辻仁成『そこに僕はいた』『音楽が終わった夜に』を読む。

辻仁成について語るのはムヅカシイ。 まず、辻仁成のキャラクターが奇異だからだ。 元ECHOESのボーカル、中山美穂の元ダンナ、バラエティ番組に出ている「中性化」した長髪のいい年をした大人。 ただ、それでも僕にとっては、10代のある時点で、辻仁成の本を読み、ECHOESのサウンドを聴き歌詞カードを読んだ、そして精神的な何かを形成した、そのことにはどうしても否定できないものがあった。 辻仁成の本では芥川賞を受賞した『海峡の光』や『サヨナライツカ』『冷静と情熱のあいだ』がよく読まれているのだろうか。 小説では『グラスウールの城』『母なる凪と父なる時化』『ニュートンの林檎』を楽しんだ記憶がある。 けれど、僕にとって特に新鮮な刺激だったのは、エッセイの『そこに僕はいた』『音楽が終わった夜に』だった。   内容紹介 大人になった今、毎日楽しみにしていた学校はもうない。でも友達は、僕が死ぬまで大切に抱えていける宝物なんだ――。少年時代を過ごした土地で出会った初恋の人、けんか友達、読書ライバル、硬派の先輩、怖い教師、バンドのマドンナ……。僕の人生において大いなる大地となった、もう戻ってはこないあの頃。...

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石原莞爾『世界最終戦論』『戦争史大観』を読む。

石原莞爾という名を聞いたことがあるだろうか。 学生時代に歴史科目が好きだった人は覚えているかもしれない。 関東軍の参謀であり、柳条湖事件・満州事変の首謀者であり、満州国建設の中心人物である。独自の戦争史観と日蓮宗系の国柱会の思想をもとにした「世界最終戦論」という軍事思想と戦略の巧みさで有名だ。 思えば、当時の日本には力強い思想家が少なからずいたように思う。 たとえば石原莞爾がそうであるし、2・26事件の北一輝や血盟団事件の井上日召、あるいはコーランの研究で有名な大川周明、京都学派の西田幾太郎や禅文化の海外発信で有名な鈴木大拙などがそうだ。 僕が石原莞爾について知ったのは、中学生の頃だったと思う。日本史の参考書を読んでいた時だ。 認めるのは恥ずかしいことだが、10代の若者がナショナリズムに触れれば、それなりに感化される。 石原の、戦後の極東軍事裁判での以下のような裁判の記録を読んで妙に納得したのを覚えている。 この出張法廷では、判事に歴史をどこまでさかのぼって戦争責任を問うかを尋ね、「およそ日清・日露戦争までさかのぼる」との回答に対し、「それなら、ペルリ(ペリー)をあの世から連れてきて、...

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僕はこんな本に影響を受けてきた

本には不思議な力がある。 それは、想像をかき立てるからであるし、思考をつかさどる言葉の性質によるものだと思う。 そして、本こそがもっとも思想を形成するものではないかと考えている。 僕は思想というものを、人間のOSだと考えている。 コンピューターでいうところのWindowsやLinux、UNIXといった意味でのOSである。 優れたOSは優れた処理をすることができるし、柔軟なOSは様々な状況に対応する姿勢を持っている。 人間にとって、OSの役割を果たすのが思想なのだ。 優れた思想は行動を後押しし、状況に対応する力を与えてくれる。 そして、強い思想には人を動かす力がある。 キリスト教は聖書の力により2000年の歴史を作ってきた。 マルクス主義もマルクスやレーニンの著書による功績は大きい。清濁併呑。 イスラム教のコーランや原理主義書の『道しるべ』もそうであろうし、 ジーン・シャープの『独裁から民主主義へ』もそうだろう。 僕はどんな本を読んできただろうか。 そして、その本からどんな影響を受けてきただろうか。 今から振り返れば、恥ずかしいものもあるだろう。 けれど、必死に読み込んだ本があったはずだ...

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『ゲンロン4 現代日本の批評III』を読む。

評論・現代思想の雑誌『ゲンロン4』を読み終えた。 読み終えて、評論や現代思想の課題は「多様化し点として分散化した人々を、いかに線としてつなぐのか。いかに孤立した大衆を、マルチチュードとして連帯に導くか。そこから、(マルチチュードの)自律した主体としての一般意志をいかに導くか。」ということではないかと考えた。 そして、そのためには人を育て空間をつくり、流れ(運動、短期的な政治運動ではなくエネルギーや共有意識の流れ)を生み出すことが必要である。 東浩紀さんのゲンロンは、まさにそのための実践をしているのではないかと思う。 ゲンロン4の巻頭は、浅田彰さんのインタビューであった。浅田彰さんはポストモダンやニューアカの旗手であり80年代思想のリーダー的存在だ。ニューアカというと、今ではバブル崩壊前の浅薄な思想だったと捉えられがちだ。だが、その実は資本主義礼賛や広告・商業主義への転向、あるいは反マルクス主義や反革命的なものではなく、むしろ新たな闘争(逃走)を提起していたというのが、あらためてよく分かるインタビューだった。 考えてみれば、フランス現代思想のフーコーやアルチュセール、ドゥルーズもパリ5月...

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絶対的な瞬間について – あるいはニヒリズムの克服について –

最近、年上の女性と仲良くなり、お酒を飲みながら古典教養や哲学・思想について話をするようになった。 たとえば、カントやヘーゲル、ハイデガーやサルトル、フロイトやユング、プラトンやマルクス、三島由紀夫などについてだ。 つまり、本質や存在あるいは弁証法について居酒屋で雑談するのだ。 きわめて正しいお酒の飲み方であるように思う。 さらに言えば、形而上学自体がある種の人間にとっては、アルコールのようなものなのだけど。 ただ、エリートではなく、アカデミックな世界でもなく、普通のビジネスマンとして生きていく中で、このような友人ができるというのはきわめてまれなことだと思う。 一般的に言えば、哲学・思想というのは、鼻持ちならないもの、いかがわしいもの、敷居が高いもの、その実価値のないものと見られがちだからだ。 現代においては、アナクロニズムにも過ぎる。 彼女と話していて感じたことだが、やはり哲学や思想に夢中になる人には、論理や日常における価値をこえた何かに出くわしてしまったと感じる経験「絶対的な瞬間」というのが往々にしてあるらしい。そこから、形而上学的な本質をさらに追求したいと感じるようになるのだ。 た...

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言葉のキャッチボールから、シンボリックな社交ダンスへ

この四半世紀において、もっとも発達した技術は何であったかと振り返って、情報技術がその最たるものだという意見を否定する人はいないだろう。中でも、2010年以降のスマートフォンの普及は、人がどこでもいつでも常時インターネットのネットワークと通信し、様々なアプリケーションを日常の私生活の中で利用する時代が来たという意味で、人々のライフスタイルにどれほどの影響を与えているのか測り知れない。 考えてみれば、ヒット曲を生んだドラマ『ポケベルが鳴らなくて』が放送されたのは1993年のことである。 当時の若者は10数文字の数字の文字列を駆使して連絡をやり取りしていたというが、現在では想像するのもむずかしい。 ところで、情報技術の発達した現在において「言葉」を利用しないコミュニケーションが増えている。 例えば、LINEスタンプやInstagramの写真共有がそうだ。 「言葉」での「説明」の省かれた記号で若者はコミュニケーションをしている。 これは高度な言語ゲームであるように思う。 記号でのコミュニケーションが可能であるというのは、コンテクストの共有量が増えたのか、あるいはメッセージが単純化されたのか。 ...

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キャンバスを汚せ、黒くぬれ – 世界的なポピュリズム勃興の流れを前にして私たちはいかなる態度で臨むべきか –

世界的にある種のポピュリズム=大衆迎合主義が席巻している。 それは、ナショナリズムと経済的な自国救済主義を内包した、大衆扇動型の政治であるといえる。 この動きは、2016年現在つとに明確な流れを示しており、アメリカ大統領選でのトランプ氏の勝利や欧州政治の右傾化、フィリピンのドゥテルテ大統領の人権・法律を超越した過激な治世に現れている。 この要因は、ギリシャ・スペインを代表するヨーロッパの経済危機やドイツ・フランスでの移民政策の失敗、そして世界的なグローバリズムの行き詰まりなど、極めて多数の社会的・情勢的な問題に端を発していると考えられる。 しかし、ここでは「ポピュリズム=大衆迎合主義」の席巻の要因は、現代の思想・哲学界隈の潮流の衰退と、人々の中で相対主義があまねく一般化され意思の関係付にとっての基盤が揺らいでいることに問題があるのではないかと提起したい。 なお、これは抽象的で観念的な仮説であり、ひとつの問題提起にすぎない。   ■ イズム(主義)のキャンバスとしてのタブラ・ラーサ(白紙状態) 企業での人事において、企業はプロパー社員育成のために、大学を卒業したての新入社員を望...

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マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読む

マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』という本を読んでいる。 これは、もっと早く読んでおくべきだった。 できれば社会人になる前に。 近代以降、社会は資本主義のシステムで動いているといって良いと思う。 マルクス的な発想で言えば、資本主義を下部構造として、その上部構造として現代の社会の制度や人々の価値観は存在している。 人間や人生の価値でさえ、どれだけ富を得ることができるかによって、定義される部分がある。 しかし、なぜこういった状況は生まれたのか。 マルクスは唯物史観に基づき、自然科学的に原始共産制 ⇒ 奴隷制 ⇒ 封建制 ⇒ 資本主義 ⇒ 社会主義 ⇒ 共産主義へと歴史は発展すると定義した。 現代は、自然科学的・歴史的な理由から、資本主義社会であるというのだ。 そして、労働者は階級意識を明確に持ち、科学的・歴史的進歩のために、革命闘争をしなければならない。 しかし、マックス・ウェーバーは、まったく別の論理で説明をしている。 資本主義の発展は、労働と敬遠に重きを置くプロテスタントの精神を基礎として、その結果だというのだ。 16世紀にルターやカルヴァンによる宗教...

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ABOUT US

Urban Liberal Arts & Post-Truth Stories for the People これらのテクストはシミュラークルか? あるいは、シュミラークルにすぎない。ぼくらは、シュミラークルにすぎない。 1960年代のニューヨークの象徴的存在、アンディ・ウォーホルのファクトリー(The Factory)。 1980年代のマンチェスターの象徴的存在、トニー・ウィルソンやニュー・オーダーのファクトリー・レコード(Factory Records)。 彼らは、社会にとってカウンターであり、実験的でアヴァンギャルドでインディペンデントな存在だった。 僕らは、彼らのようなカウンターに憧れていた。なぜって、そりゃヒップでクールだから。 カウンターとしての存在はどこに行ってしまったのだろうか。 現代はポスト・モダンの延長線上にありながら、すべてが相対化され物語がなくなってしまった。 僕らは、そのことにある種の寂しさを感じています。 レコードに裏表があるように、社会にはシステムとカウンターがあり、文化にもメインとサブがかつてあったと。 これは印象論ですが、ジャン=フランソワ・リ...

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『愛するということ』 エーリッヒ・フロム

愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない。そのなかに「落ちる」ものではなく、「みずから踏みこむ」ものである。 愛は技術だろうか。技術だとしたら、知識と努力が必要だ。それとも、愛は一つの快感であり、それを経験するかどうかは運の問題で、運がよければそこに「落ちる」ようなものだろうか。この小さな本は、愛は技術であるという前者の前提のうえに立っている。しかし、今日の人びとの大半は、後者のほうを信じているにちがいない。 愛は何よりも与えることであり、もらうことではない。 たくさん持っている人が豊かなのではなく、たくさん与える人が豊かなのだ。 愛は、影響力のひとつだ。 ヒューマニズムによる、影響力の行使を愛と呼ぶ。 影響力は、はじめから存在するものではない。 他者に影響を与えるという行為によって、結果としての状況の変化を、影響力と呼び、その時影響力は発現する。 愛もまた、はじめから存在するものではない。 他者を受け入れ、そして与えるという行為によって、生じる。 影響力を持つためには、影響力を持つ人だと評価される必要はない。 影響力を持ちたいという、欲求さえ不要である。 必要なのは、他者に影響を...

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美しいということ

不思議なものなのだけれど、ここのところ花を見て綺麗だと思うようになった。 ハクモクレン、ライラック、タンポポ、藤の花などを見ると息を飲む美しさを感じるのだ。 それは、どのような感じ方かというと、有機的で自然な花の中に幾何学的な美を感じ、また、鮮やかな色彩の中に有限性とうつろいを感じるのだ。 これまで花に興味を持ったことはなかったし、むしろオーガニックなものはあまり好きではなかった。 だから、少し戸惑った。 「これは、はっきり言って、年というやつなんじゃないか?」と。 ここから、あらためて気づくことがあった。 それは、当然のことなのだが、「beauty」というのは対象の中にあるのではなく、あくまで観察者のイメージの中、あるいは対象と観察者の関係の中にあるということだ。 上の話で言えば、この10年~20年の間に、花にとびきりの変化があったとはまず考えられない。(もちろん、絶え間ない技術革新や品種改良はあるのだろうが。) しかし、感じ方が変わったということは、おそらく変わったのは花ではなく、むしろ僕のセンスだろうと判断できる。年月というのは、大きく人を変える。 つまりは、「beauty」とい...

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映画『ティモシー・リアリー』(1996年製作の映画)

“野望は世界の人々の意識を開放すること 実現する可能性は低いけど 人生短いんだし地球をより良い場所にしたいだけさ” Turn On, Tune In, Drop Out. 徹底的な唯物論と夢想による意識の探求、そして狂気じみた社会システム批判。 ヒッピーもロックも革命も、すべて20世紀の歴史の中の遺物になってしまった。 信じられるかい?音楽やドラッグで世界が変わると信じてたんだぜ。 意識による革命を、いまだに夢見ている人に、ぜひ見てもらいたいドキュメンタリー。 “Timothy Leary” (movie of the 1996 production) “Ambition is that to open the consciousness of the world’s people but unlikely to realize just want to’m short life and a better place of the earth” Turn On, Tune In, Drop ...

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市川崑『股旅』 時代劇のロードムービー

今日は、台風一過でしたね。外は夏を感じさせる陽気で、オフィスはとても寒かった。クーラー24度に設定するの、やめてほしいなあ。 ところで、昨日は せっかくの台風だから相米慎二の『台風クラブ』を見ようと思ったのだけど、気づけば市川崑の『股旅』という映画を見ていました。 おそらく先日『傷だらけの天使』の代々木会館を見に行った影響だと思います。 『股旅』は1973年の市川崑 監督作品で、日本アート・シアター・ギルドの作品です。 脚本は谷川俊太郎、主演は萩原健一・小倉一郎・尾藤イサオです。 ジャンルというか、どんな映画化というと、簡単にいえば「時代劇設定のロードムービー」です。 クールな映画です。 時代劇なのだけれど、時代劇特有の湿っぽさみたいなものはまったくなく、シニカルで無味乾燥、そしてヒリヒリした空気感のある映画です。 方向性としては、『俺達に明日はない』とか『イージーライダー』に似た雰囲気で、あるいは、無軌道に生きる若者映画としては『トレインスポッティング』なんかに近い気もします。 上に、『傷だらけの天使』の影響と書きましたが、 この映画の前年の1972年に市川崑がテレビドラマで監督をし...

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代々木の街の『傷だらけの天使』

僕は代々木に住んでいます。 前から気になっていたのだけれど、代々木の駅前にはドラマ『傷だらけの天使』でショーケンが住んでいたペントハウスの撮影で使われたビル(劇中ではエンジェルビル)があります。 カッコイイですよね。『傷だらけの天使』。 魚肉ソーセージとナビスコリッツとコンビーフはつい買ってしまう。 今日は休日なので、「あのビル何があるんだろう?」と散歩ついでに寄ってみました。 まずは、外観がこちら。 ukiyo-banare!さん(@ukiyobanarephoto)が投稿した写真 – 2015 5月 10 4:49午前 PDT 左のビルです。なんて言えばいいんだろう。風格というか、味わいがありますね。侘び寂びです。 中を見てみましょう。   ukiyo-banare!さん(@ukiyobanarephoto)が投稿した写真 – 2015 5月 10 3:17午前 PDT   この感じ好きです。アジアですね。 上の階に行くと、中国書籍専門の本屋さんがあります。 ukiyo-banare!さん(@ukiyobanarephoto)が投稿した写...

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たとえば、完璧な文章が存在するのなら│シンセサイザーについて

もし、完璧な文章が存在するとしたら、 それは相反する対立する概念を矛盾なく内包するものでなければならないと僕は考えている。 もちろん、それは本来文章だけの問題ではない。 思想やライフスタイル・仕事の片付け方など、あらゆるものごとにおいて、相反する対立する概念をいかに調整するのかということが根源的な課題にあるのだと思う。 例をあげて考えると、たとえばテクノロジー企業のApple社は人々を混乱に陥れるような複雑なテクノロジーを、ユーザー・インターフェイスやライフスタイルなどヒューマンな視点からデザインすることで、クオリティの高い商品を開発し続けている。 彼らの場合で考えると、相対立する概念はテクノロジーとヒューマンであり、それらがコンフリクトする部分を乗り越えて、新たな発想を導き出すことで人々の賞賛を受けているのだ。   文章の話に戻ると、相反する対立する概念とはなんだろうか。 例えば、具体的な文章と抽象的な文章、即物的な文章と観念的な文章。 現実的なものと空想的なもの、理性的なものと感情的なもの、悲劇的なものと喜劇的なもの、 個人的なものと社会的なもの、創造的なものと破壊的なも...

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27歳からの読書のすすめ

あるBarでの会話 店主「どこでこの店知ったんだい?」 男 「店のまえを歩いていたら、ブコウスキーのポスターが貼ってあったので。それで、実は前から興味を持ってたんです。」 店主「そうかい。ブコウスキー好きなの?」 男 「好きですねェ。ブコウスキーは、だいたい読んでます。」 店主「ブコウスキーじゃ、何が1番好き?」 男 「1番ですかァ。そうですね。僕はやっぱり『ありきたりの狂気の物語』かな。」 店主「なるほどねェ、俺は『ポスト・オフィス』っだなァ。俺のね、おすすめのブコウスキーの読み方はね、自分の齢の時に書かれた本を読むってことだね。それが1番見るべきものが、はっきり見える頃あいってもんなんだ。若いやつにはね、若い奴の気持ちがわかるし、ジジイにはジジイの気持ちが1番よくわかるもんなんだよ。」 今日、渋谷のBarで耳にした会話です。 ブコウスキー好きが盛り上がる渋谷というのも、なんとも意外なものだなと思います。 店主の見解によれば、小説というものは、例えば 自分が27歳・28歳のなら、作家が27歳・28歳の時に書いた作品を読むと身に染みてよく理解できるということです。 僕も来月28歳になる...

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ぼんやり洋楽の売り上げを分析する

最近、マドンナの 『ライク・ア・ヴァージン』を好んで聞いている。 このアルバムについて調べてみると、気になることがあった。 『ライク・ア・ヴァージン』は、日本でもとても売れた。 1985年当時のオリコン年間アルバムランキングでは8位だった。 ちなみに、1位は井上陽水の『9.5カラット』、2位はワム!『メイク・イット・ビッグ』だった。 気になったのは、当時のアルバムランキングについてだ。 『ライク・ア・ヴァージン』がランキング入りしている1985年の年間アルバムランキングTOP50には以下の8枚の洋楽のアルバムがランクインしている。 2位 ワム!:『メイク・イット・ビッグ』 8位 マドンナ:『ライク・ア・ヴァージン』 15位 USA for AFRICA:『ウィ・アー・ザ・ワールド』 24位 ビリー・ジョエル:『ビリー・ザ・ベスト』 37位 フィル・コリンズ:『フィル・コリンズIII』 44位 サウンドトラック:『ゴーストバスターズ』 49位 スティーヴィー・ワンダー:『ウーマン・イン・レッド』 50位 ティアーズ・フォー・フィアーズ:『シャウト』 何が気になったのか? それは、TOP5...

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『知覚の扉』 オルダス・ハクスリーと認識論

オルダス・ハクスリーについて つい最近、本当にひさしぶりにオルダス・ハクスリーの本を読み返した。 オルダス・ハクスリーは、『すばらしい新世界』というディストピア小説(ジョージ・オーウェルの『1984』的なもの)や、ジム・モリスン率いるドアーズのバンド名の由来となった『知覚の扉』で有名なイギリスの作家だ。 歴史的に見れば、オルダス・ハクスリーの『知覚の扉』は、60年代の西海岸のヒッピーやハーバード大学教授だったティモシー・リアリーやジョン・C・リリーが行った運動、LSDによって意識の拡張を追求した社会的ムーブメントに、大きな影響を与えている。 『知覚の扉』 『知覚の扉』は、幻覚剤メスカリンをオルダス・ハクスリーが実際に体験した、エッセイであり体験記である。 その中で、幻覚剤メスカリンを使用した意識状態での、芸術の見え方、人との関係のあり方、存在の仕方が描かれている。 オルダス・ハクスリーは、身体に刺激を与えることで人間固有の認識のフィルターや社会的なバイアスのフィルターを除去し、知覚の拡大をできるのではないかと考えていた。 イマニュエル・カントがいうように、人間は外部の物自体の存在を知覚...

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小阪修平の哲学 – 全共闘、三島由紀夫、吉本隆明、村上春樹 –

かつて、いわゆる「オルガン派」「マルクス葬送派」という思想家の中心的人物として、小阪修平がいた。 僕は、現代思想の入門書を小阪修平の著作を通してはじめて読んだ。 小坂修平は、東大全共闘を経験した世代で、三島由紀夫と討論を行った人物の一人であった。 そして、世代の責任として「連合赤軍」の問題を総括し続けた稀有な人であった。 彼らの世代で、「連合赤軍」の問題をきちんと総括し続けたのは、村上春樹と小坂修平くらいだろうと思う。 一般に、全共闘世代や団塊の世代は敬遠されがちである。 しかし、僕は全共闘世代が自己否定と解放区の中で辿り着いた地平というのは、むしろ思想的に重要なところまで到達していたのではと思っていて、けれども、結局それを総括して語ることができず次の世代に引き継げなかったのは残念ではあった。 三島由紀夫vs東大全共闘 言葉をめぐる冒険 村上春樹の『羊をめぐる冒険』の羊は、西洋哲学・現代思想の言葉でいえば「形而上学」そのものなのだろうと感じている。 人に幻想を抱かせ操るもの。 だからあの物語は『言葉をめぐる冒険』と名付けることもできる。 完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶...

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村上春樹と三島由紀夫

三島由紀夫から村上春樹へ 『羊をめぐる冒険』の羊は、西洋哲学・現代思想の言葉でいえば「形而上学」そのものなのだろうという思いが、ふと湧いてきた。人に幻想を抱かせ操るもの。 だからあれは『言葉をめぐる旅』と名付けることもできる。 “完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね” 形而上学の果てともいえる「1960年代」近代の終焉に起こったのが若者たちの”知性の叛乱”だった。 それは形而上学=哲学=理性を、=現実たらしめるための進歩主義的革命だった。 しかし、「僕」はその中で彼らイデオローグたちの「言葉」の欺瞞に気づき、それとの闘争/闘争を開始する。 村上春樹と同世代、全共闘世代の小阪修平は言っている。 “同世代の一番優秀な奴は滅んだか、半ば廃人になった” 「羊抜け」だ。小阪修平もなかば離人症のようになったと言っている。 革命の終わりの時代、1970年代の雰囲気は想像がつく。 1970によど号ハイジャック事件、1971-1972には連合赤軍事件。 文化面では、1972『木枯らし紋次郎』、1973『氷の世界』、1974『傷だらけの天使』、1975『僕たちの失敗』、1...

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映画 「村上春樹『風の歌を聴け』」(1981年製作の映画)

村上春樹の処女作「風の歌を聴け」の実写化作品。 ストーリーとしては原作に沿って作られているけれど、部分的に映画オリジナルの場面も加えられている。 はっきり言って映画として前衛的で実験的な作風だから好き嫌いは大きく別れると思う。 原作に思い入れのある人は、配役、特にジェイと鼠に対して激しく不満を持つかもしれない。 けれど、それはかつて村上春樹と同窓生であった監督の、極めて現実的で、とてもリアルな描写なのだろう。 作品の完成度は決して低くない。 一見の価値ありというより、見返すと価値を再発見することが出来るタイプの良い作品だろう。 ちなみに小指のない女の子役の真行寺君枝は村上春樹の短編集「カンガルー日和」のタクシーに乗った吸血鬼で血の美味しそうな女優にその名をあげられていた一人である。...

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