Category

文学

2018年7月1日

群像新人賞-芥川賞候補作、北条裕子『美しい顔』問題によせて

北条裕子『美しい顔』の無断引用問題は個人的に非常に残念です。
僕は『美しい顔』を読んで、非常に優れた小説だと思いました。
群像新人賞の選評でも賞賛され、掲載翌月の新聞の書評でも好意的に取り上げられた記事も多くみました。
そして、159回の芥川賞の候補にもノミネートされている。

読み手としては、無断引用なんて問題は当たり前にクリアされている前提で受け取るので、もはや対処の仕様がない。
一つの作品として世に出されたものが素晴らしければ積極的に賞賛したいし、本作に救われたと実感した人もいたはず。そんな人たちの期待と感謝を裏切ることとなったのは事実。

と、一元的に片付けられない部分も確かにあると思う。
本作のテーマが震災を扱っていることや客観的に作者の容姿が整っていることや新人賞の在り方など。

ただ、一つ言えるのは、本作は未だ単行本化されておらず、事態が発覚した際は既に次の号の群像が発売されており本作が掲載されている群像は書店には残っていなかった。
つまり、本作『美しい顔』をきちんと読んでいる人間は、数多の批判がなされるなかのほんの一握りしかいないという事。

純文学雑誌(群像)の発行部数を考えると、これは紛れもない事実。

何が言いたいのかというと、僕はバイアスがかかる前の『美しい顔』を読み純粋に心を打たれる経験をできたということ。残念ながらこの小説はもう純粋ではなくなってしまった。ただ、僕はまだ当たり前に純粋と信じられている時に読み、
まだ若い主人公のやり場のない憤怒が堰を切ったように溢れだす瞬間に心を打たれた。それを力強く表現した小説の世界に圧倒された。そんな貴重な読書体験ができたと思う。

とはいえ、乗代雄介『生き方の問題』が本作の載った号に同載されたせいで芥川賞候補にならなかったというのが純文学界的な一番の問題な気もする。

今回の芥川賞は暗い純文学界隈の話題を吹き飛ばすためにも松尾スズキ受賞が一番だろうけど、現実的ではない。町屋良平の『しき』も個人的には大好きだけど、受賞のボーダーには満たない気がする。古谷田は三島賞取ったばっかりだしさすがに難しそう。となると、満を持しての高橋弘希になるのだろうか。

2018年7月1日

メモ書き『サリンジャー的、サルトル的ーあるいは村上春樹と柄谷行人、ポストモダンの文学精神』

本稿では、20世紀の米文学界を代表する作家J.D.サリンジャーとフランスの哲学者・思想家で作家のジャン=ポール・サルトルの作品・作家および日本における受容と影響を比較することを通して浮かび上がってくる日本文学の思想・精神史を読みときたい。


Ⅰ. サリンジャー的、サルトル的
〈サルトルの倫理、サリンジャーの倫理〉

Ⅱ. サルトル的ー超越へと駆動する力
  (三島由紀夫、大江健三郎、吉本隆明、柄谷行人)
〈三島由紀夫の場合(時間)ー行動の究極地点、テロリズム〉
〈大江健三郎の場合(空間)ーサルトルとの対話〉
〈吉本隆明(空間・時間)・柄谷行人(空間)の受容と差異〉
〈サルトルの倫理〉

Ⅲ. サリンジャー的ー自己修復の物語
  (村上春樹、村上龍、高橋源一郎、加藤典洋)
〈サリンジャーーイノセント&フラジャイルな作家〉
〈三つの翻訳、三つのサリンジャー〉
・α.戦争神経症的なサリンジャーー『危険な年齢』〉
・β.分裂的なサリンジャーー『ライ麦畑でつかまえて』〉
・γ.解離的なサリンジャーー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』〉
〈ポスト全共闘のサリンジャー革命からのロスト〉
・彼らの失語症
・欺瞞へのいらだち
・彼らの失語からの回復ー物語の構築
〈サリンジャー的倫理〉

Ⅳ. 邂逅、対立、躓き、四散
〈サルトルとサリンジャー〉
1980 – 1989
〈吉本隆明による高橋源一郎・村上春樹・村上龍評〉
〈柄谷行人・浅田彰への批判 季刊思潮「批評は今なぜ、むずかしいか」〉
1990 – 1999
〈柄谷行人による村上春樹批評『終焉をめぐって』「村上春樹の「風景」」〉
〈湾岸戦争・自衛隊派遣への抗議 〉
〈オウム真理教事件ー村上春樹のコミットメント、サルトルのアンガージュマン〉
〈吉本隆明が語る人間の深いところー毛沢東と麻原彰晃〉
〈加藤典洋『敗戦後論』批判ー批評空間派〉
2000 – 2006
〈批評空間・NAM解散〉
〈村上春樹『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を発表〉

Ⅴ. サリンジャーとサルトルのあいだで
〈村上春樹の『壁と卵』〉
〈サルトル『いま希望とは』〉

■ 参考資料
・『吉本隆明と柄谷行人』合田正人
・村上春樹『考える人』2010年夏
・その他


Ⅰ. サリンジャー的、サルトル的


J.D.サリンジャーとジャン=ポール・サルトル。いずれも20世紀に一世を風靡し世界中を席巻した小説家であり文化人である。

サリンジャーは海外文学としては、非常に広く受容されている作家である。野崎が名訳を残し、村上春樹により新訳された『ライ麦畑でつかまえて(キャッチャー・イン・ザ・ライ)』は世界的にヒットした伝説的な小説である。思春期・青年期の若者に絶大な影響を及ぼしてきた作家・小説といえる。

他方、サルトルもかつてほどの名声は聞かないまでも、読者の価値観を塗り替えるような小説『嘔吐』や哲学書『存在と無』は文学・哲学史に燦然と輝きを残している。いわゆる全共闘以上の世代にはカリスマ的な知識人であった。

しかし、社会から隠遁したミステリアスなアメリカの作家サリンジャーと、アンガージュマンを唱え行動する哲学者として振る舞ったフランスの思想家サルトル、まったく正反対ともいうべきふたりの作家をどうして比較しようというのだろうか。
だが、これまで特別に比較されてこなかったこのふたりの作家をあえて比較することは単に筆者の個人的な思いつきや嗜好によるものではない。

あえていえば、ある時期から、サリンジャー的なるものとサルトル的なるものが交錯し対立しながら揺れ動き、日本の文学・思想の潮流を作ってきたといえる。

サリンジャーとサルトル。ふたりを補助線として、サルトル的なるものとしての三島由紀夫・大江健三郎・吉本隆明・柄谷行人、サリンジャー的なるものとして村上春樹・村上龍・加藤典洋・高橋源一郎をそれぞれみることで、1960年代以降のポストモダンな日本文学の精神史を追うことにしたい。

だが、なぜあらためてポストモダンの文学の精神史を問う必要があるのだろうか。
それはポストモダンの文学は物語がないところでいかになにを語るのかということを問い続けた半世紀という時間を持つからである。
これは現代という時代に対峙するときにアクチュアルな意味を持つ問いである。
ぼくらの生きる現在、2018年においてはポスト・トゥルースという言葉が跋扈する時代である。それは、フェイク・ニュースや歴史論争やマーケティングにおいて人々の精神が書き換えられていく時代でもある。

ぼくらの時代精神はあらためてよりどころとなる真実がないということに気付かされ畏怖している。
ポストトゥルースという言葉は、真実などないという現状から超越しようという精神が姿を現したということを表現しているといえるだろう。どこにも真実などないのだから、自分たちの信じたいことを信じ、自分たちに都合の良いことだけを語ろうとしてしまう人間の開き直りと弱さ。

そのときに、ある者は科学的・工学的なものだけを正しいものとして思考し、ある者は現実を直視するのではなくそれを超えた真実というものを発見し、スピリチュアルやナショナリズムに意味を見出し、ある者は自分自身だけが正しいという独我論に陥って他者を排斥していくであろう。

だからこそ、ぼくらはあらためて物語の終焉から、いかに物語がありうるだろうかと問い続けた半世紀の文学の精神史を問う必要があるのだ。そして、日本における
ポストモダンな文学はサルトルとサリンジャーの影響をおおいに受けて涵養された。
その精神史の中心人物が上に記した8名の作家である。

彼らにとって、何がサルトル的、何がサリンジャー的であったのか?
それは倫理である。

〈サルトルの倫理、サリンジャーの倫理〉

先に核心的なところを述べれば、サルトル的な倫理とは、根源的な問題との格闘であり、前進である。それに対し、サリンジャー的なるものの倫理は損壊した世界と私を修復しようという試みであり、癒やしというようなものである。

サルトルは不条理の中のコギトであり混沌を切り裂きながら意味を作り出すプロジェクトに全身全霊を捧げる。
哲学研究者の合田正人は、吉本隆明・柄谷行人と「全共闘」世代を比較しこう記載している。
これはサルトル的なものによる、サリンジャー的なものへの批判である。

”昨今、「分カリ易サ」のイデオロギー、新たな「ニッポン・イデオロギー」(戸坂潤[一九〇〇~一九四五])が台頭し、それが、「倫理」「エートス」「大人」といった御守言葉でさまざまに偽装された「全共闘」世代論とともに暗躍しつつあること、それと、吉本、柄谷をめぐるこの逆説的情況とは、無縁であるどころか密接に関連している。原理的問題群と格闘する者たちへの畏敬の念はやがて、誰がやってもダメじゃないかという諦観に変容し、それだけならまだしも、この停滞のうちに、原理的問題群を棚上げにする格好の口実を見出す者たちがまたしても跋扈しはじめたのだ。”
(『吉本隆明と柄谷行人』合田正人)

他方で、村上春樹は雑誌のインタビューでサルトル的なものを批判してこう言う。

”大げささな言い方をするなら、『1Q84』というのは、二〇世紀の「現代小説」、たとえばサルトル的なものに対する、僕なりの対抗テーゼと言ってもいいかもしれない。”
(村上春樹『考える人』2010年夏)

前進し分裂的なサルトルと、失語する離人的なサリンジャー。
サルトルの不条理をつらぬく視点と、いかに現実を再形成しようかとさまようサリンジャーの視線。

それは、集合論や精神分析のキーワードとも関係してくる問題である。
外部のスプリッティングがいきつく暗黒の噴出、内部が充満する開かれた集合。
あるいは超自我的な超越と井戸の底の集合的無意識。

ポストモダン文学を精神史を俯瞰するために、まずは時代の流れに沿って、サルトルの作品・作家・日本における受容を把握することからはじめたい。


Ⅱ. サルトル的ー三島由紀夫、大江健三郎、吉本隆明、柄谷行人


〈サルトルー行動する哲学者〉

サルトルならびにサルトル的な思想家とはなんであろうか。彼らは超越に取り憑かれた思想家たちである。

サルトルは絶対的な無の中に現象を視る。混沌とする無の中に、どこからか現れたそれは超越である。人は超越を掴もうとする。
超越はイマジナリーな世界を人に想起させる。それを現実として掴もうとサルトルは超越を追いかけて、行動する。

これがサルトル的な思想家の共通点である。

〈三島由紀夫の場合ー行動の究極地点、テロリズム〉
三島由紀夫の現代文学に対する後に残した影響は大きい。
ある意味で、サルトルがポストモダンのフランス現代思想家たちに残したものを、三島由紀夫も日本文学上に残したといえる。

だが、三島由紀夫はサルトルを嫌いだと公言していた。そこから話を始めよう。

もちろん、三島由紀夫のサルトルを嫌いだという言葉を額面通りに受け取ってはならない。
なぜならば、彼はその強烈なエゴにより太宰治に憧れながら彼に対して直接『私はあなたの文学が嫌いです』と言った人物であったのだから。

三島由紀夫とサルトルの共通点は明らかである。前後に颯爽と登場した行動する知識人。
三島由紀夫と対話したこともある文筆家の小阪修平は、サルトルと三島由紀夫を評してこう言う。

『三島由紀夫vs.東大全共闘―美と共同体と東大闘争』

三島由紀夫はサルトルに対して、同族嫌悪を感じていたと言わざるを得ないだろう。彼が、太宰治に感じていたのと同じように。

〈大江健三郎の場合ーサルトルとの対話〉
大江健三郎は三島由紀夫とは異なり、サルトルの影響を直接に受けた。

彼はのサルトルの翻訳で名高い海老坂武らとともに、実際にサルトルと対話を行なっている。

〈吉本隆明・柄谷行人の受容と差異〉

共同体の幻想を構造的に把握、それを突き破るものとしての柄谷行人

哲学者の合田正人は著作『柄谷行人と吉本隆明』でこう語る。

※ ここに引用

〈サルトルの倫理〉

「飢えた子どもに物語が有効か」


Ⅲ. サリンジャー的ー村上春樹、村上龍、高橋源一郎、加藤典洋


『ライ麦畑でつかまえて』 伝説的であり、いわくつきの本でもある。

〈三つの翻訳、三つのサリンジャー〉

サリンジャーは日本ではどのように受容され、村上春樹、加藤典洋、高橋源一郎にどのように影響を与えたのであろうか。また、なぜ村上春樹はサリンジャーを翻訳し直したのだろうか? そこから考えていこう。

これまでに日本で出された『The Catcher in the Rye』には複数の翻訳が存在する。
それぞれの翻訳を見ると、時代の空気をよく反映しているのがよく分かる。

時代の空気。よく言われることだが、精神的な病というものは、時代とともにその現れが変容する。
70年代頃までは対人恐怖や神経症が多く、80年代は境界例の時代であり、90年代以後は解離性障害が増加したという。
サリンジャーは無垢であるとともに、病的な小説家でもある。
翻訳と時代の空気、病からサリンジャー受容を見ていこう。

・1951年  J. D. Salinger『The Catcher in the Rye』(原著)
・1952年  橋本福夫 訳  『危険な年齢』
・1964年  野崎孝  訳  『ライ麦畑でつかまえて』(1984年 改訳)
・2003年  村上春樹 訳  『キャッチャー・イン・ザ・ライ』

〈α.戦争神経症的なサリンジャーー『危険な年齢』〉

まず、はじめに、原著が刊行してすぐの1952年に訳した橋本福夫訳は『The Catcher in the Rye』を戦後文学として受容した。
以下、論文を引用するが、『危険な年齢』というタイトルは”「戦後のアメリカの若い人達の持つ空虚感を表明した言葉」を日本のコンテクストに受容可能なように訳した”というものであった。つまり、いわゆるロスト・ジェネレーションの文学として受容された。

” 日本でいち早く The Catcher in the Rye を翻訳したのは、橋本福夫である。翻訳に先立つ書評(橋本 1952, 52)で、「わたくしはこれはいわゆる war novel ではないが戦争の生んだ小説、après guerre(戦後)小説の一つだと思う」と述べている。”
(論文『村上春樹の新訳と三人のサリンジャー(林 圭介)』)

石原慎太郎が『太陽の季節』を描き、木下恵介が『日本の悲劇』を撮った時代である。

〈β.分裂的なサリンジャーー『ライ麦畑でつかまえて』〉

名訳と名高い野崎孝による翻訳が描かれたのは、1964年のことであった、その翻訳を1984年に改訳する。
1964年に翻訳した野崎孝は社会の下層に位置する主人公が、大人に反抗する小説という「ピカレスク小説」としてこの作品を翻訳したと書いている。今でいえば、村上龍の小説と近いフォーマットとでもいえる。
そして、1984年の改訳ではそのフォーマットのパターンを強化したという。

” 一方、1964 年の初訳における「解説」で、野崎(サリンジャー 1964, 299-301)は「子供の夢と大人の現実の衝突」が「作品の基本的パターン」だと指摘し、「彼は子供の世 界にありながら、大人の世界に片足突っ込んだ不安定な姿勢で立っている」と主人公 のホールデンについて論じている。野崎がこのテクストに見出すのは、「見なれた場面 を、常とは変わった、興味をひく視点」が主人公によって描かれる「ピカレスク小説」 という枠組みである。この枠組みは 1984 年の改訳で強化される。”
(論文『村上春樹の新訳と三人のサリンジャー(林 圭介)』)

精神科医の斎藤環は『ライ麦畑でつかまえて』を “世界でもっとも有名なボーダーライン文学” “ボーダラインの標本みたいな小説” と評し、分裂的な文学としてとらえているが、その斎藤環がより身近に感じているのが、この野崎孝の翻訳である。

分裂とは、不安などから自己の精神を守るための防衛機制のひとつである。ここで分裂を定義するなら、対象の全体を受け入れるのではなく、白黒をつけて切断し、認識や判断をすること、としよう。
「好き・嫌い」/「綺麗・汚い」/「正義・悪」/「敵・味方」/「愛・憎悪」/「粋・野暮」こういった二項対立での思考形態が典型的な分裂的な思考である。

この小説の主人公、コーンフィールドが世間や他者を批判しながら、しかし、無垢なものを求める姿勢。物事の本質を白黒ついてはっきり突くという姿勢はまさしく分裂的なものといえよう。分裂的な傾向というのは、ある種の批評性のようにも思えるが、この思考法が病理と呼ばれるようになった段階のひとつが境界例(ボーダーライン)である。

だが、名訳といわれる野崎孝の『ライ麦畑でつかまえて』であるが、村上春樹・高橋源一郎・加藤典洋によるサリンジャー受容はかならずしも〈分裂的なサリンジャー〉ではないようなのだ。彼らの受容は後述する。

〈γ.解離的なサリンジャーー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』〉

そして、村上春樹は解離的なサリンジャーを描いた。

精神科医の斎藤環は村上春樹を解離的あると評価する。
” 私の村上評価は、「ねじまき鳥クロニクル」を境として、ほとんど180度近く変化した。(略)私にとって重要なのは、この作品を嚆矢として、村上作品の「解離」ぶりは、いっそう洗練されていったという点である。(略)解離の導入がなぜ必要であったか。それは私がかつて述べたような、境界例的「分裂」から多重人格的「解離」へ、という、時代精神の変化を反映した流れであった(p115)”

斎藤環のこの発言の後に発表された村上春樹によるサリンジャー翻訳はこれまでの神経症・分裂的であった物語を解離的な翻訳に変容させた。しかし、それだけでなく、村上春樹の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』は、これまでの翻訳よりも、やさしく、癒やしを感じさせる文章が志向されていた。ある種、それはカウンセリングを感じさせる表現であった。
それに対して、世間からは「これは翻訳ではない。翻案だ」という批判の声もあがった。だが、その批判は正しくない。村上春樹の飛躍した翻訳には、彼自身の転回、彼自身の飛躍が試行されていた。しかし、その飛躍の前には、躓きが必要であった。

〈ポスト全共闘のサリンジャー革命からのロスト〉

ここで、サリンジャー的作家の4人が登場する以前に戻り、かれらの世代について一度確認しておこう。

東大安田講堂事件が終局、70年安保が自動延長すると、全共闘的な学生運動は一気に退潮した。
物語の終焉、革命の終わり、宴の後。そして三島由紀夫は自決する。
1970年代はさめざめとした殺伐とした風景を思わせる。

1970年「よど号ハイジャック事件」、1971-1972年「連合赤軍事件」。文化面では、1972年『木枯らし紋次郎』、1973年『氷の世界』、1974年『傷だらけの天使』、1975年『僕たちの失敗』、1976年『いちご白書をもう一度』。

文筆家の小阪修平はその時代の空気を『思想としての全共闘』でこう語る。”同世代の一番優秀な奴は滅んだか、半ば廃人になった” 小阪修平もなかば離人症のようになったという。誰もが、語る言葉を失った。

イーグルスによる『ホテル・カルフォルニア』が歌われた次の年、「ダッカ日航機ハイジャック事件」の翌年、1978年に村上春樹は処女作『風の歌を聴け』の執筆を開始する。高橋源一郎は『さようなら、ギャングたち』を1980年に書く。
彼らは、その時までことばを失っていた。

彼らは、ロスト・ジェネレーションであった。そして、そんな彼らがサリンジャーを読んだのだ。1984年以前の、より分裂的に改訳される前の野崎孝の翻訳、あるいは橋本福夫訳によって。革命の終わりに、喪失感と共に、まるで戦後のような心情で。

加藤典洋は『敗戦後論』でこう書いている。彼はサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を“戦争からの生還者の苦しみ”だと表現する。そこには、彼の革命の失敗した後に生き続ける自分の苦悩が重ねられていただろう。
“太宰の「トカトントン」はわたしにJ・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を思いださせる。一見したところ関わりをもちそうにない二作だが、全く無縁だというのでもない。簡単にいえば『ライ麦畑でつかまえて』は、あの『お伽草紙』がそうであるような戦争小説である。そこに描かれていることの一つは、「トカトントン」が描くのと違わない、戦争からの生還者の苦しみなのである。”
(加藤典洋『敗戦後論 』)

〈彼らの失語症、欺瞞へのいらだち〉

学生運動と逮捕・拘置所での勾留から失語症を経験したことのある高橋源一郎は小説『優雅で感傷的な日本野球』でこう書いている。
そこからは、どうしても拭い去ることのできない不快感のようなものが見て取れる。

“驚くべきことに、生徒たちの何人かは『危険な年齢』というタイトルになっていたサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の古い訳本を持っていました、また何人かは「抹香街」という漢字を即座に書き取ることができました、また何人かは真善美社から出版された本を持っていました、どうしたんですか? 気分でも悪いんですか?”

そして、村上春樹もまた失語した。
デビュー作『風の歌を聴け』にはこんな文章がある。

“それにもかかわらず、文章を書くことは楽しい作業でもある。生きることの困難さに比べ、それに意味をつけるのはあまりにも簡単だからだ。十代の頃だろうか、僕はその事実に気がついて一週間ばかり口も聞けないほど驚いたことがある。少し気を利かしさえすれば世界は僕の意のままになり、あらゆる価値は転換し、時は流れを変える…そんな気がした。
それが落とし穴だと気づいたのは、不幸なことにずっと後だった。僕はノートの真ん中に1本の線を引き、左側にその間に得たものを書き出し、右側に失ったも のを書いた。失ったもの、踏みにじったもの、とっくに見捨ててしまったもの、犠牲にしたもの、裏切ったもの…僕はそれらを最後まで書き通すことはできなかった。”

加藤典洋は『敗戦後論』で現実をアクチュアルに捉えることのない、帰還兵の欺瞞へのいらだちをこう言う。
“彼の窮状とは、彼がどうにもいわゆる世の中のインチキに我慢できず、それに従うなら死んだほうがましだ、と思っているということだ。”
(加藤典洋.敗戦後論(ちくま文庫))

村上春樹もまた『ノルウェイの森』で欺瞞へのいらだちを明らかにする。
” ストが解除され機動隊の占領下で講義が再開されると、いちばん最初に出席してきたのはストを指導した立場にある連中だった。(略)これはどうも変な話だった。なぜならスト決議はまだ有効だったし、誰もスト終結を宣言していなかったからだ。大学が機動隊を導入してバリケードを破壊しただけのことで、原理的にはストはまだ継続しているのだ。そして彼らはスト決議のときには言いたいだけ元気なことを言って、ストに反対する(あるいは疑念を表明する)学生を罵倒し、あるいは吊るしあげたのだ。(略)そんな連中が大学解体を叫んでいたのかと思うとおかしくて仕方なかった。”

〈彼らの失語からの回復ー物語の構築〉

村上春樹、村上龍、加藤典洋、高橋源一郎をひとりひとり見てみよう。
〈村上龍 ー『限りなく透明に近いブルー』〉
〈村上春樹ー『風の歌を聴け』〉
〈加藤典洋ー『敗戦後論』〉
〈高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』〉

〈サリンジャー的倫理〉
「物語」


Ⅳ. 邂逅、対立、躓き


〈サルトルとサリンジャー〉

言語にとって美とは何か、ひとりの個体 位置づけ 吉本隆明

戦争が個体にとってどのような影響を及ぼすかとちうこと

【1980 – 1989】

1980年台、ポストモダンが一気に受容された時代に、颯爽とあらわれたサリンジャー的な作家たちは一世を風靡する。
これに対して称賛を送るサルトル的な批評家がいた。他方で、 サリンジャー的な作家を批判する批評家も出現する。

彼らは、時に出会い、 認め合い、対立し、時にはすれ違った。
流れはわかれ、時にはヘゲモニー争いのように三つ巴・四つ巴の論争となる。
あらためて、サルトル的/サリンジャー的な彼ら8人を分類しておくならば以下のように分けられるだろう。

① サルトル的(右翼)           :三島由紀夫
② サルトル的(岩波朝日文化人) :大江健三郎
③ サルトル的(批評空間)    :柄谷行人
④ サルトル的(大衆の原像)   :吉本隆明
⑤ サリンジャー的        :村上龍
⑥ サリンジャー的 (吉本派)  :加藤典洋、高橋源一郎
⑦ サリンジャー的 (英米文学) :村上春樹

以下、1980年代以降の彼らの邂逅と対立を見ていこう。

〈吉本隆明による高橋源一郎・村上春樹・村上龍評ー吉本隆明の転向〉

吉本隆明は転向した。

1990年代を通して、サリンジャー的、サルトル的な彼らはさらに交錯し、対立し、あるいは自壊した。

その前哨戦は、1988年の加藤典洋/高橋源一郎/竹田青嗣の鼎談「批評は今なぜ、むずかしいか」からはじまった。

〈1988年 :批評空間・加藤典洋の対立 季刊思潮「批評は今なぜ、むずかしいか」〉

対して、柄谷行人率いる批評空間の編集者となる浅田彰は猛烈な反論を行った。
いわく、加藤典洋/高橋源一郎/竹田青嗣らの批評は外部に開いていない。閉じている。
共同体の内部に閉じこもっているというものであった。

「季刊思潮「昭和批評の諸問題1965−1989」」

【1990 – 1999】

〈1990年 : 柄谷行人による村上春樹批評『終焉をめぐって』「村上春樹の「風景」」〉

1990年、柄谷行人は著作『終焉をめぐって』を発表する。
その第一部は「大江健三郎のアレゴリー」と「村上春樹の「風景」」という批評であり柄谷行人による、大江健三郎と、村上春樹への批判が描かれている。

これに対して、村上春樹は村上春樹は沈黙を貫いていた。
それは、1986年-1995年まで、海外で活動をしていたところによるものも大きい。
だが、1998年に出版された『夜のくもざる』に「柄谷行人」というタイトルの柄谷行人を批判する戯作的な文章を入れる予定だったと本人が語っているところをみても、これらの評論から受けた影響は少なくないだろうと思われる。(村上春樹『雑文集』に収録)

〈1991年 : 湾岸戦争・自衛隊派遣への抗議 〉

1991年、湾岸戦争への自衛隊派遣に抗議し、柄谷行人、中上健次、津島佑子、田中康夫、高橋源一郎らは『湾岸戦争に反対する文学者声明』を発表した。

この件は大きな反応を呼ばなかった。だが、これは後に加藤典洋とのあいだで大きな論争に発展する。

〈1994年 : 大江健三郎 ノーベル文学賞受賞〉

1994年、ノーベル文学賞を受賞した。
川端康成以来26年ぶり、日本人では2人目の受賞者となる。
サルトルのように辞退することはなかった。

受賞理由として、以下が語られている。
「詩的な力によって想像的な世界を創りだした。その世界では生命と神話が凝縮されて、現代の人間の窮状を描く摩訶不思議な情景が形作られている (who with poetic force creates an imagined world, where life and myth condense to form a disconcerting picture of the human predicament today )」

〈1995年 –  : オウム真理教事件ー村上春樹のコミットメント、サルトルのアンガージュマン〉

1995年、阪神・淡路大震災と同じ年に、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起きる。
地下鉄サリン事件は、死亡者13人、負傷者 約6,300人の大規模テロ事件である。

オウム真理教には、ある種のニューエイジ運動(New Age movement / NAM)の側面があった。
それは、サリンジャーが後期に辿りついた神秘主義や東洋思想、輪廻的なものをベースにした新宗教であったことだ。
ある意味で、オウム真理教は政治性から離れて世捨て人になったサリンジャー的な人びとの集団であった。

この事件に村上春樹は衝撃を受ける。そして、村上春樹は海外から帰国しノンフィクションの仕事をはじめる。
しかも、地下鉄サリン事件の被害者へのインタビュー『アンダーグラウンド』と、オウム真理教の信者に対するインタビュー『約束された場所で―underground 2』を両面で行ったのである。
これは不思議な方法である。
だが、アンダーグラウンドの意味するところを考えれば意図は明確であった。アンダーグラウンドは、直訳すれば「地下」を意味するが、「見えないもの、影の存在」を意味する言葉でもある。村上春樹は『アンダーグラウンド』では地下鉄事件の被害者を描き、『約束された場所で―underground 2』ではオウム真理教信者の心の深いところを描こうとしたのである。

そして、この経験から、村上春樹は加害者であるオウム真理教信者からむしろ示唆を受けることになる。
それは、人が物語を持たないことの危険性である。

オウム真理教に帰依した何人かの人々にインタビューしたとき、僕は彼ら全員にひとつの共通の質問をした。「あなたは思春期に小説を熱心に読みましたか?」答えはだいたい決まっていた。ノーだ。彼らのほとんどは小説に対して興味を持たなかったし、違和感さえ抱いているようだった。人によっては哲学や宗教に深い興味を持っており、そのような種類の本を熱心に読んでいた。アニメーションにのめり込んでいるものも多かった。言い換えれば、彼らの心は主に形而上的思考と視覚的虚構とのあいだを行ったりきたりしていたということになるかもしれない(形而上的思考の視覚的虚構化、あるいはその逆)。
彼らは物語というものの成り立ち方を十分に理解していなかったかもしれない。ご存知のように、いくつもの異なった物語を通過してきた人間には、フィクションと実際の現実とのあいだに引かれている一線を、自然に見つけだすことができる。
(中略)
つまりフィクションが本来的に発揮する作用に対する免疫性を身につけていなかったと言っていいかもしれない。
(村上春樹『村上春樹雑文集』「東京の地下のブラック・マジック」)

これにより、村上春樹は人びとに物語を語ることを志向するようになる。
物事を語ることによるコミットメントである。それは、サルトルが「文学は何ができるか」で語った「飢えて死ぬ子供を前にしては『嘔吐』は無力である」「作家たるものは、今日飢えている二十億の人間の側に立たねばならず、そのためには、文学を一時放棄することも止むを得ない」というテーゼとは相反するものであった。
はじめに出した彼の「『1Q84』というのは、二〇世紀の「現代小説」、たとえばサルトル的なものに対する、僕なりの対抗テーゼと言ってもいいかもしれない」というのは、まさにこの意味である。

〈1995年 –  : 吉本隆明が語る人間の深いところー毛沢東と麻原彰晃〉

他方、サルトル的な人物の中にもこの事件に関心を持つ人間がいた。吉本隆明である。
彼は、対話集『夜と女と毛沢東』において、毛沢東の深い闇の部分と麻原彰晃の闇の深さを共通のものとして語っている。

吉本隆明/辺見庸 『夜と女と毛沢東』(文春文庫)2000年

〈1997年 : 加藤典洋『敗戦後論』批判ー批評空間派〉

内田樹「戦争論の構造」(『論集』第46巻第3号、2000年3月、神戸女学院大学研究所に収録予定)(内田樹のホームページで読める。http://www.geocities.co.jp/Berkeley/3949/)この論文で内田は高橋をサルトル – カミュ論争における「正しすぎる」サルトルに見立てている。興味深い指摘である。

批評空間出身の東浩紀は加藤典洋と批評空間派との対立を『郵便的な不安たち』の中で、こう称している。

【2000 – 2006】

〈2002年 : 批評空間、2003年 : NAM解散〉

2000年、柄谷行人は資本と国家への対抗として、政治運動 New Associationist Movement (NAM)を立ち上げる。
それは、あらたな希望を切り開こうとする柄谷行人の行動であった。
あるいは、盾の会を率いた三島由紀夫や、毛沢東主義の学生を支援したサルトルのように。

サルトルは分裂的な作家であった。いや、彼は分裂的であったからこそ、明晰であったといって良い。
解離は内部をスプリッティングさせるが、分裂的な人物は外部をスプリッティングさせる。
他者を語った柄谷行人もまた明晰であった。そして、柄谷から大きな影響を受けた彼の子犬たちもまた明晰であった。
彼らは新たな地平を切り開こうとした。NAMは2003年に解散する。

そして、批評空間社も2002年に編集長 内藤裕治の急死により解散した。

だが、それ以降も柄谷行人は超越を切り開こうと前進し続けている。
「新たな交換様式にもとづくグローバル・コミュニティ(アソシエーション)」に向けて「その実現は容易ではないが、けっして絶望的ではありません。少なくとも、その道筋だけははっきりしているからです」と語っている。
(柄谷行人『世界共和国へ』(2006年))

〈2004年 : 九条の会 結成〉
2004年、大江健三郎は中心人物のひとりとして、九条の会を結成した。
呼びかけ人は、オールド左翼の以下の9人であった。
井上ひさし、梅原猛、大江健三郎、奥平康弘、小田実、加藤周一、澤地久枝、鶴見俊輔、三木睦子。
彼らは60年台から、大きく転向せずに戦い続けている。時代の流れに逆らいながらも戦い続けたサルトルのように。

〈2006年 :村上春樹『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を発表〉

2006年、村上春樹は『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を発表した。


Ⅴ. サリンジャーとサルトルのあいだで


批評空間の崩壊後、日本の思想のシーンはアカデミズム・ジャーナリズム・サブカルチャー・政治経済へと四散し、曖昧になった。批評は、ストリートの思想と呼ばれるマルチチュードとゼロ年代批評といわれる傾向に別れていった。
ある意味では、サルトル的な〈行動〉とサリンジャー的な〈引きこもり〉が極限まで突き詰められたともいえるだろう。
サウンド・デモ〈祝祭的革命〉とセカイ系〈失語的喪失的世界〉と考えればサルトル的なものとサリンジャー的なものであったことがよく分かる。
だが、アクチュアルな意味での一般的な現実からは乖離し続けた。そして、世間への影響力は低下した。

一方で、村上春樹が新刊を出版すると大騒ぎとなった。だが、そのあまりの人気の高さから村上春樹の物語は商品として流通し、日本国内では文学として批評されずらい状況が続いた。

そして、サリンジャーとサルトルは、また交錯しはじめている。

2011年、3月11日 東日本大震災、福島第一原発事故が発生。
同年、それまで『未完のレーニン 〈力〉の思想を読む』、『「物質」の蜂起をめざして: レーニン、“力”の思想』レーニン研究など理論的な仕事をしていた批評家の白井聡は、加藤典洋の『敗戦後論』の影響が見られる『永続敗戦論』を出版した。

2012年、批評家の吉本隆明が他界した。
吉本隆明の講演は、ほぼ日刊イトイ新聞の糸井重里がアーカイブスし、無料で公開している。
ぼくらはいつでも彼の思想に触れることができる。
http://www.1101.com/yoshimoto_voice/

2013年、加藤転洋と高橋源一郎は対談『吉本隆明がぼくたちに遺したもの』を出版。
同年、「批評空間」出身の東浩紀は福島第一原発観光地化計画を主催、2015年には批評史「ゲンロン」を創刊する。

2015年、高橋源一郎はSEALDsの学生と対話を行い『民主主義ってなんだ?』を「自由と民主主義のための学生緊急行動主宰メンバーたちとの対談」として出版した。
同年、村上春樹は『職業としての小説家』を発表、自身がかつてノンセクト・ラジカルであったこと、イスラエル賞受賞式前の苦悩を明かしている。

2017年、村上春樹は現在の文壇の中心人物ともいえる川上未映子との対談『みみずくは黄昏に飛びたつ』を発表した。


さて、サリンジャーとサルトルとの違いは、その倫理であるとはじめに告げた。
それぞれの倫理がどんなものであるか、最後に整理しよう。

〈村上春樹の『壁と卵』〉

2009年、イスラエル賞受賞式での村上春樹発言は大きく報道された。
これをオウム事件後以降の村上春樹のデタッチメントからコミットメントだと評価したしともいた。
一方で、あのような発言には意味がない、受賞を断るべきだという意見もあった。
だが、そうではない。彼の試みは単なるアイロニカルな抵抗ではないということを理解しなければならない。
オウム事件語の『アンダーグラウンド』/『アンダーグラウンド』で彼は転回し、サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の翻訳で彼は飛躍し物語をつくり、そこから離れることなく跳躍をして『壁と卵』を語ったといわなければならないではないか。

彼は語る。
「高くて硬い壁と、壁にぶつかって割れてしまう卵があるときには、私は常に卵の側に立つ」

以下引用しよう。

” 「それでも私は最終的に熟慮の末、ここに来ることを決意しました。気持ちが固まった理由の一つは、あまりに多くの人が止めたほうがいいと私に忠告したからです。他の多くの小説家たちと同じように、私もまたやりなさいといわれたことのちょうど反対のことがしたくなるのです。私は遠く距離を保っていることよりも、ここに来ることを選びました。自分の眼で見ることを選びました。」

そして、たいへん印象的な「壁と卵」の比喩に続く。

「高く堅牢な壁とそれにぶつかって砕ける卵の間で、私はどんな場合でも卵の側につきます。そうです。壁がどれほど正しくても、卵がどれほど間違っていても、私は卵の味方です。」

http://blog.tatsuru.com/2009/02/18_1832.php ”

ここで思い出すべきであるのは、まさに『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の一説である。

サリンジャーの倫理は憐れみである。か弱きイノセントなものたちを包み込むように守らなければならない。
サリンジャーの以下の文章は、まさに村上春樹のイスラエル文学賞でのスピーチと響き合うものである。

"「僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ――つまり、子供たちは走ってるときにどこを通ってるかなんて見やしないだろう。そんなときに僕は、どっかから、さっととび出して行って、その子をつかまえてやらなきゃならないんだ。
一日じゅう、それだけをやればいいんだな。ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。馬鹿げてることは知ってるよ。
でも、ほんとになりたいものといったら、それしかないね。馬鹿げてることは知ってるけどさ」"

〈サルトル『いま希望とは』〉

対して、すでに明らかであるが、サルトルの倫理は希望であり、それは行動である。
少し長くなるが、サルトルの言葉を引用する。

"企てられた行動のきわめて重要な特徴の一つは、さきほど言ったように希望だということ。そして希望という言葉の意味するところは、行動を企てれば必ず行動の実現を期待する、ということだ。(略)ということは、行動が必ず目的を実現するに違いない、ということではなく、未来のものとして立てられた目的の実現の中に、行動が姿を現すに違いない、ということだ。しかも、希望自体の中に、一種の必然性がある。いま現在、挫折の観念はわたしの内で深い根拠を持っていない。"

そしてサルトルは続ける。

"とにかく、世界は醜く、不正で、希望がないように見える。といったことが、こうした世界の中で死のうとしている老人の静かな絶望さ。だがまさしくね、わたしはこれに抵抗し、自分ではわかってるのだが、希望の中で死んでいくだろう。ただ、この希望、これをつくり出さなければね。
説明を試みる必要があるな。なぜ今日の世界、恐るべき世界が歴史の長い発展の一契機にすぎないのかを、希望が常に、革命と蜂起の支配的な力の一つであったということを。それから、自分の未来観としてどういうふうにわたしがまだ希望を感じているのかを。"


これもまた村上春樹に新訳された小説であるが、レイモンド・チャンドラーが生み出したハードボイルド小説の主人公フィリップ・マーロウは言った。

"強くなければ生きていけない、優しくなければ生きる資格が無い"

ぼくらは、サリンジャー的、サルトル的であるだろうか。


【P.S.】
最後に、個人的な想い出をひとつ。
いまから10年ばかり前のこと、大学の卒業式に東京都知事であった石原慎太郎が来賓として登壇した。
彼は、ぼくらに、こう言った。

「サルトルのようにアンガジェしなさい」

2018年3月30日

読書ノート

『不安定な時間』ミシェル・ジュリ

「われわれの時代に、人類はついに内的宇宙を征服することができたんだ」「だが、部屋には悪魔がはいっていて、あんたがたはドアに鍵をかけなくちゃならないのだ」 ディックの『ユービック』を連想する。主観的な時間旅行あるいは死後の世界。人格と場面が唐突に目まぐるしく変転し、変奏を加えて何度も何度も繰り返される。この反復がどういうわけか愉しくてしかたない。どこにもたどり着かずに跳躍し続けてくれてもいいくらい。SF文学史にボリス・ヴィアンやレーモン・クノーの名前が出てくるあたりがとてもフランス。

『神曲 地獄篇』ダンテ

建築物としての全体も神学も歴史的背景もわからないなりに、パオロとフランチェスカの恋愛、ウゴリーノ伯の餓死、農耕詩的な比喩、といった細部の造型を美しいと思う。と同時に作者の自我の強さというのか同人誌的というのか、自らを偉大な叙事詩作者として数えたり、オウィディウスの『変身譚』にも勝ると自負したり、嫌いな相手を(存命であっても!)地獄に落としたり、大好きなウェルギリウスを登場させてイチャイチャしたり、作品の緻密さや幻視の凄まじさと合わせて、文学者の業に感動する。解説『ダンテは良心的な詩人か』がためになった。

『アウトライナー実践入門 ~「書く・考える・生活する」創造的アウトライン・プロセッシングの技術~』Tak.

死ぬほど苦手だった、文章を書くということの仕組みを初めて体感できた気がする。今まで目にしたどんな文章技術の本よりも実践的でわかりやすい。

『挑戦者たち』法月 綸太郎

ジョジョやノベルゲーやTwitterのネタからボルヘスや稲垣足穂、カフカにベケットにレムにナボコフにカルヴィーノまでパロった本格ミステリ版「文体練習」。元ネタの多彩さが楽しい。特に『幻獣辞典』が笑えた。「〈読者への挑戦〉とは書物の中にひそむ妖魔で、(F・R・ストックトンの疑わしい報告によれば)女と虎が半分ずつ混じり合った姿をしている」って何だ。

2018年3月25日

人文の終わり/批判的であること – マルクスからスティーブ・ジョブズへ –

先日、ワシントン・ポストの記事にウィスコンシン大学が人文学と社会科学の実質ほぼ全てともいえる13のコースを廃止するというニュースがあり衝撃を受けた。

A University of Wisconsin campus pushes plan to drop 13 majors — including English, history and philosophy

大学には経営と予算、学生の集客の課題がある。そのため、より予算が付きやすく、より学生が集まりやすい、就職やキャリアにつながるような実学的な学部を増強し、予算が付きにくく学生の集客力の弱いリベラル・アーツ系の学部は廃止したほうがビジネスとして合理的であるという判断である。
背景として、アメリカは学生の奨学金返済問題が深刻だという問題もある。

他方で、保守的な共和党から影響を受けている部分も大いにある。
ウィスコンシン州知事であるスコット・ウォーカーは2015年にウィスコンシン大学の理念を秘密裏に変更しようとしたということである。
その内容はこうだ。

by removing words that commanded the university to “search for truth” and “improve the human condition” and replacing them with “meet the state’s workforce needs.”

大学のミッションから「真実を探る」と「人類の発展」という言葉を削除し、それらを「国家の労働需要を満たす」というように置き換える

真実を探求したり、人類のより良い状態を目指すのではなく、国の労働力になれと。
いうなれば、社会に借りがあるのだから、働き蜂になって返せというのが保守陣営のまっとうな論理ということである。

いわゆる人文知は圧倒的な敗北に帰した。遠からず消滅へ向かうのだろうか。

一方でITやグラフィック・デザインやマーケティングやMBAのコースは拡張するということである。
また、VRやGAMEや観光学などビジネスにつながりそうな領域は伸びそうである。

しかし、これはある種の「動物化」や「機械化」ではないだろうか。
間違いなく近代 – ポストモダンの終わりという感じがして、人々は〈神〉をその台座から引きずり降ろして殺すことで近代を迎えたけれど〈人間〉を殺して近代を終えるのだなという感じが強い。

ポスト・トゥルース的高度資本主義世界へようこそ


しかし、人文は本当に終わったのだろうか。
無くなってしまったのだろうか。

あるいは、かつての「文学-批評-哲学」の業界は、今では「ブロガー-広告-自己啓発」にその役割を取って代わられ、マルクス的な〈革命〉の理念はスティーブ・ジョブズ的な〈起業〉へと置き換えられたというのが、実際のところなのだろう。
その移行を象徴的に表すシンボルが『資本論』から『Mac Book』へのアイコンの変化だろう。

そういった意味では、今の時代の「文学-批評-哲学」をアクチュアルに理解しようと思ったら、やはりはあちゅう やイケダハヤトやほぼ日をちゃんと読まなくてはいけないのかもしれない。

とはいえ、マルクスは教条主義化されて二度死んだわけだけれど、あるいはジョブズも二度死ぬのだろうか。
それこそ『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』を地で行く話ではある。

ヘーゲルはどこかで、すべての偉大な世界史的な事実と世界史的人物はいわば二度現れる、と述べている。彼はこう付け加えるのを忘れた。一度目は偉大な悲劇として、二度目はみじめな笑劇として、と。


近年、批評的言説の衰退と再起動ということが言われる。

課題として、吉本隆明的な批評家の後継がきちんと継承できなかったのが問題であったのではないだろうか。
もちろん、多くの人に影響を与えている。高橋源一郎や中沢新一、宮台真司など。
しかし、今のところの1番大きな後継者(吉本隆明-試行を継ぐもの)は糸井重里-ほぼ日であろう。

一般的に、吉本隆明のテクストはあまりに詩的で読めないという批判がある。
けれども、人々に影響を与えるのは結局は広告やコピーライトであるという現実はあって、それを認めることのできない批評性とは何だろうか。

2018年1月12日

日本語のエクリチュール/パロールと中国語

少し遅れたが、すでに、2018年がはじまっている。
個人的には、今年、少し語学を学習しようと考えている。

これまでの興味の対象は概念であったが、ある種の言語的転回(展開)が沸きあがってきたというところだろう。
昨年わずかに英語・中国語・PHPを学習しはじめたが、今年はそれをどれだけ蓄積できるだろうか。

ところで、中国語を少し勉強してみて、とてもよくわかったのは、むしろ日本語についてで、日本語は書き言葉(エクリチュール)と話し言葉(パロール)がまったく別の流れを持った別々の言語だということ。
日本語と中国語は、漢字という共通の基盤を持つためエクリチュールは眺めればかなり内容の想像がつく。

しかし、にもかかわらず音声言語においては、相互に輸出入された単語はあるが、基礎的な音からまったく異なっていて学習しなければ聞き取ることができない。
考えてみれば、日本語は古代の漢字の輸入以前からあったわけで、音声言語としては別の流れにあるわけである。

中国語は構造的な性質を持ち、日本語は叙情的な性質を持つ。
古代、日本に輸入された頃から漢字は官僚機構によるシステム運用にりようされた。これが日本の書き言葉の始まりだろう。
他方、もともと存在した日本語は話し言葉としてそのまま残る。これが記録に残ったのは、詩、和歌においてだ。

平安の時代、遣唐使の派遣事業の終了と並行して、国風文化が栄える。その時、日本的な風土をもとにしたかな文字が生まれる。そういった意味では、ひらがなこそが日本的な日本語であろう。
源氏物語や平家物語などその後の文学に大きな影響を与える。

とはいえ、もののあはれを体現したような言語はあまりに自然でシステム運用には向かない。
そのため、ながく公用語としては中国由来の漢文が用いられ、漢文は江戸時代においてもヨーロッパにおけるラテン語のような教養の地位を占めていた。

ここから想像されるのが、近代における言文一致運動の不徹底だ。日本語は、書き言葉と話し言葉が一体となっていない。
これは哲学の構築にも影響を与えている。ドイツやフランスなど西洋おいては、日常言語と哲学書の文体が接続されているという。しかし、日本語はそうではない。

西欧における近代哲学の果たした役割を日本では文学や批評のシーンが担っていた部分が大きい。これは、日本語の言文の不一致ゆえ、構造と叙情性のはざまで揺れ動く言語であることにあるだろう。

そして、その由来は書き言葉と話し言葉の源流の違い、中国-大陸の漢字と日本-島の音声言語からなる言語であることにあるのではないかと思うのだ。

2017年12月31日

現代中国を描く大河ドラマ 小説『兄弟』/映画『山河ノスタルジア』

2017年も残りわずか数時間となった。
今年は近年稀に見る激動の年であった。

アメリカではポピュリズム的な現象を背景にトランプ政権が発足、フランスではマクロンに敗れたがマリーヌ・ル・ペン率いる国民戦線が躍進。

ヨーロッパでは、イギリスのメイ首相がEUに離脱を通知、スペインのカタルーニャ地区は独立を宣言した。

中東ではイスラム国は事実上の崩壊。
しかし、アメリカのトランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都と認定したことから多数の抗議活動が起きている。

アジアでは、フィリピンのドゥテルテ大統領が麻薬撲滅キャンペーンを実施し超法規的殺人が行使され、マレーシア・クアラルンプール空港では北朝鮮の金正日総書記の長男である金正男が暗殺され、ミャンマーはかつての民主化運動の旗手アウンサンスーチーによる新政権のもとロヒンギャは混乱に陥っている。
そして、日本では飛翔体が定期的に飛び越えている。

他方、経済面は数値の上ではバブルとも思える好調であった。
世界的に各国の経済は軒並み好調、日経平均もかつて1992年のバブル崩壊前の水準に上昇。
また、仮想通貨の価格は10倍にも100倍にも高騰した。

そのような状況の中で、ひときわ存在感と彩色を放っていたのは一帯一路国際フォーラムや中国共産党第十九回全国代表大会を開催した中国であったかもしれない。
現在の中国は、かつてのソビエト連邦-第三インターナショナルや日本の夢見た満州国-大東亜共栄圏のような、東の中心・大国としての存在感を増している。


今年、自分にとって大きな影響を与えたのは前半は香港や台湾(中華民国)など東アジアを旅行したこと、後半は中国本土出身の女の子と友人になったことだった。

彼女は、ほぼ同世代の1988年の中国生まれ。僕は、1987年の日本生まれ。その世界観・パースペクティブには大きな差がある。

一方で、改革開放と天亜門事件以後の社会主義市場経済とその発展の中で育った彼女には(実際には中国の同世代の彼ら・彼女らには)明るい未来が見えるだろう。
他方で、1987年の日本生まれの僕らは、バブル崩壊、オウム事件、失われた20年の中を生き、リーマン・ショックや年越し派遣村の報道を見ながら就職活動を行い、社会人になると東日本大震災や福島第一原子力発電所事故を見てきた。
それは見えるものは異なるだろう。

とはいえ、個人的な関係は、文化・制度・国家を超えたところにある。
はじめは好奇心から始まり、次には差異を感じながら、次第に共感を抱くようになる。

その中で、今年はいくつか現代の中国を描いた作品を読んだり観た。
特に印象的だったのは、余華の小説『兄弟』とジャ・チャンクー監督の『山河ノスタルジア』だった。

余華『兄弟』

カンヌ映画祭で鮮烈な印象を残した張芸謀の『活きる』。
その原作者である中国文壇の気鋭、余華が十年ぶりに発表した長編小説『兄弟』は、中国に大議論を巻き起こした。軽薄! ソープドラマ! ゴミ小説! 文学界の猛批判をヨソに爆発的なヒットとなった本書は、文化大革命から世界二位の経済大国という、極端から極端の現代中国四十年の悲喜劇を余すことなく描ききった、まさに大・傑・作。
これを読まずして、中国人民(と文学)を語るなかれ!

1966年――文化大革命が毛沢東の手ではじまった。
隣人が隣人をおとしいれるこの恐怖の時代に、出会ったふたつの家族。
男はやさしい男の子を連れ、女はつよい男の子をつれていた。
男の名は宋凡平。子どもの名は宋鋼。
女の名は李蘭。子どもの名は李光頭。
ふたつの家族はひとつになり、宋鋼と李光頭のふたりは兄弟になった。
しかし、時代はこの小さな家族すら、見逃しはしなかった――。

『山河ノスタルジア』

第68回カンヌ国際映画祭コンペティション部門正式出品!
『長江哀歌』(ヴェネチア国際映画祭金獅子賞)、
『罪の手ざわり』(カンヌ国際映画祭脚本賞)の名匠ジャ・ジャンクー監督最新作!
時代を越えて変わらないもの―母が子を想う気持ち、旧友との絆、そして生まれ育った故郷の風景。
その全てが愛おしくも哀愁に満ち溢れ、世界が賛辞を贈った壮大な叙事詩。

過去、現在、そして未来。ずっとあなたを想いつづける。

急速に発展する中国の片隅で、別れた息子を想いひとり故郷に暮らす母。
息子は異国の地で、母の面影を探している。
母と子の強い愛から浮かびあがる、変わりゆくこの世界。変わらぬ想い。

1999年、山西省・汾陽(ルビ:フェンヤン)。
小学校教師のタオは、炭鉱で働くリャンズーと実業家のジンシェンの、二人の幼なじみから想いを寄せられていた。
やがてタオはジンシェンからのプロポーズを受け、息子・ダオラーを授かる。
2014年。タオはジンシェンと離婚し、一人汾陽で暮らしていた。ある日突然、タオを襲う父親の死。
葬儀に出席するため、タオは離れて暮らすダオラーと再会する。

タオは、彼がジンシェンと共にオーストラリアに移住することを知ることになる。
2025年、オーストラリア。19歳のダオラーは長い海外生活で中国語が話せなくなっていた。
父親と確執がうまれ自らのアイデンティティを見失うなか、中国語教師ミアとの出会いを機に、
かすかに記憶する母親の面影を探しはじめる―。

現代の中国を描く2つの大河ドラマ

大きな意味では二つの作品には重なるところがある。

ひとつは、このどちらの作品も中国の現代を壮大に描いた大河的作品であったということだ。
『兄弟』は文化大革命〜現代までの中国の姿、『山河ノスタルジア』は1990年代〜2025年の中国の姿が描かれている。

中国の発展のスピードはヨーロッパや日本の現代とは異なる圧倒的な展開とスピードで歩みを進めている。その発展は、新しくより良い未来を手に入れるということは、しかし同時に、古いものを捨てることをともなっている。
この2つの作品の中で描かれるのは、中国の発展が勝ち取ったその栄光と古き良き家族との離別であった。
それはかつて、木下恵介監督が『日本の悲劇』で描いたような、ある種の悲劇である。

もうひとつ、この2つの作品に共通していたのは作品のモティーフとして三角関係が描かれていることだった。2人の男、1人の女。
2人の男は友人であるが、1人の女を同時に好きになる。強い男と、優しい男。女は最終的に強い男を選ぶ。(あるいは選んでしまう。)
言われてみれば、これは文学的にはよく見られるモティーフかもしれない。夏目漱石の『こころ』に見られる先生とKとお嬢さんの三角関係。村上春樹の『風の歌を聴け』や『ノルウェイの森』に見られるような三角関係。
そこで描かれる2人の男は「近代化・高度経済成長の時代」と「古き良き時代(ノスタルジー)」を表しているのだろう。

近代化や高度経済成長にはある種の喪失とノスタルジーが必要なのだろうか。
『山河ノスタルジア』のラストシーンはとても美しく印象的であった。
それでも、音楽は鳴り、人々は踊り続け、時代は流れる。

2017年11月26日

読書好き必見!インドア派におすすめする10冊の本

読書週間は過ぎてしまったが、読書好きにおすすめする10冊の本を紹介。

紅葉の季節でもあり、クリスマスの季節が近づいている現在、街や公園には人が溢れています。
しかし、充実した生活とはなんだろうか。

この秋冬インドア派におすすめしたい10冊の本を紹介。

『トリストラム・シャンディ』(ロレンス・スターン/岩波文庫)

語り手が自分の一代記を語ると言いながら出生にすら辿り着かずに終わる小説。本文の九割以上が関係ない話をしている。いきなり自作解説を始めたり、真っ黒なページやまだら模様のページが次々挟まれたり、粗筋を線で表現したり。

[amazon_link asins=’4003221214′ template=’ProductCarousel’ store=’tokyofactoryk-22′ marketplace=’JP’ link_id=’1b1dfa18-d277-11e7-b56f-b3721015d4aa’]

『エンジン・サマー』(ジョン・クロウリー/扶桑社海外文庫)

文明崩壊後の地球を叙情的かつ象徴的な文体で描くボーイミーツガール。この作品そのものが物語を語る物語であり、メタフィクションという形式でしか表せない恐怖と悲しみと切なさがある。物語と語り手は絶望的に隔てられている。

[amazon_link asins=’4594058019′ template=’ProductCarousel’ store=’tokyofactoryk-22′ marketplace=’JP’ link_id=’65d99a00-d277-11e7-86ab-31caf4cf8f9f’]

『ロクス・ソルス』(レーモン・ルーセル/平凡社ライブラリー)

マッドサイエンティストが自分の発明品を見せびらかすだけの幸福な小説。手品をやるそばから種明かししていくような話なのに、それがひたすら愉しい。馬鹿丁寧さが非現実を現実に変えていく。

[amazon_link asins=’4582765114′ template=’ProductCarousel’ store=’tokyofactoryk-22′ marketplace=’JP’ link_id=’7cc75972-d277-11e7-8f70-17c6e8be497d’]

『黒い時計の旅』(スティーヴ・エリクソン/白水Uブックス)

ここにはすべてがある、と思わせる作品は貴重だ。一人の人間の愛と憎悪が一つの世紀をまるごと飲み込む。「読むこと」と「書くこと」が歴史を切り裂いてもう一つの宇宙を生み出す。情念と知性が奇跡的に調和した小説。

[amazon_link asins=’4560071500′ template=’ProductCarousel’ store=’tokyofactoryk-22′ marketplace=’JP’ link_id=’8d4fd51c-d277-11e7-a912-ffa3f73ab057′]

『重力の虹』(トマス・ピンチョン/新潮社)

わからなくても、読めなくても問題ない。この小説を体験するのは言葉の通じない国で迷子になるようなもの。読み解くカギが多すぎるせいでかえって読解困難になり、読者は「パラノイア」に陥らざるを得ない。その混乱が不思議な熱を生む。

[amazon_link asins=’4105372122′ template=’ProductCarousel’ store=’tokyofactoryk-22′ marketplace=’JP’ link_id=’a20c8488-d277-11e7-8435-615de5638de6′]

『魔女の子供はやってこない』 (矢部 嵩/角川ホラー文庫)

スプラッターなジュブナイル&魔法少女。全編異化と言わんばかりに俗語と堅い紋切り型の入り乱れる文体。悪趣味を通り越して馬鹿馬鹿しいグロを連発しながら、意味のわからないタイミングですごくまともなことを言う。刺さる人には泣く程刺さる

[amazon_link asins=’B00HEB90OK’ template=’ProductCarousel’ store=’tokyofactoryk-22′ marketplace=’JP’ link_id=’b0300e39-d277-11e7-8017-65dfe83d16af’]

『影を踏まれた女』(岡本綺堂/光文社文庫)

端正な語り口と不可解さが魅力の怪談集。怪異と因縁が繋がらない。何かが欠けていたり、何かが余計だったり。語り終えても暗闇は暗闇のままそこに残される。

[amazon_link asins=’4334740685′ template=’ProductCarousel’ store=’tokyofactoryk-22′ marketplace=’JP’ link_id=’bfb990b5-d277-11e7-9234-8d8dddcd70ee’]

『阿房列車』(内田百閒/新潮文庫ほか)

どうでもいいことを言い、曖昧な返事をし、なんとなく会話が途切れる。グダグダであることをこれだけ愉快に書いた文章をほかに知らない。

[amazon_link asins=’4101356335′ template=’ProductCarousel’ store=’tokyofactoryk-22′ marketplace=’JP’ link_id=’de2447a8-d277-11e7-8558-3d0158652184′]

『クラゲの海に浮かぶ舟』(北野勇作/徳間デュアル文庫)

これも物語が語る物語。おかしくて、かなしくて、ぶよぶよしている。怪獣(映画)の夢も詰まっている。

[amazon_link asins=’B06X9G8J62′ template=’ProductCarousel’ store=’tokyofactoryk-22′ marketplace=’JP’ link_id=’eafefd42-d277-11e7-be0f-d155bdd7cfff’]

『奇々耳草紙 呪詛』(我妻俊樹/竹書房文庫)

我妻俊樹の作品は実話怪談というジャンルからはみ出た変な話ばかりなのだけど、この本に収められている『歯医者へ』は特に凄い。読んでいるこちら側の現実すらぐらつかせる。これが恐怖だとして一体何の恐怖なんだろうと戸惑う。

[amazon_link asins=’4801904475′ template=’ProductCarousel’ store=’tokyofactoryk-22′ marketplace=’JP’ link_id=’f7ade7f7-d277-11e7-a8bf-05622838ba1a’]

2017年9月20日

古川 日出男『非常出口の音楽』を読む。

もう一冊の掌編集である『gift』とは似ているようで全然違う。
あちらはアイデア集というか、小説が萌す瞬間に焦点を合わせた作品だった。

この本が語ろうとしているものは、もっと掴みがたく、もしかしたらもっと切実なものかもしれない。
それは、現実というフィクションに立ち向かい、生き延びる助けになるフィクションがあるとしたらどんな姿をしているのか、ということだ。
その点で、古川日出男の小説は坂口恭平の『現実脱出論』と接続することができるのではないかと思う。

否定や逃避では現実をより強固にしてしまうだけだから、個々人の思考(空間認識)に還る=脱出という考え方は、古川日出男の作品にも見出せる。

たとえば本書の『アップルヘッド、アップルヘッド』。
ある建物にいる人間が被っていたヘルメットを脱ぐ。
同時に別の建物の人間が同じ色のヘルメットを被る。
それを「ほら、アップルヘッドが移動した。宙から、宙に!」と言われても、何だそりゃと思う。
でも、これは一つの発見ではある。
あるいは『聖家族』で東北の田舎道に山手線を見出す子供たちや、街中の猫を数える競技にしのぎを削る『LOVE』の登場人物たち。

古川日出男はこのようなやり方で「奇蹟」や「救い」を語ってきたのではないか。
何かが何かを演じている、とも言えるし、違う地図で空間を読む、とも言えるし、これが小説の描くべき「本当のこと」なんじゃないかとも言いたい。

2017年9月20日

古川 日出男『ルート350』を読む。

短篇小説は長篇に較べ、作家の核となるものがより表れやすい。
多彩なスタイルに見えて、その実(あとがきで触れているように)同じモティーフを変奏のように繰り返し語り続けている古川日出男のような作家は特に。

この短篇集では「レプリカ」という単語が何度も使われている。
小説は、現実のレプリカなのか。
そうだとしたら、人はなぜ、わざわざ模造品を作って、読むのか。
ここに収められた8篇は、そんな問いを読者に突きつける。

『お前のことは忘れていないよバッハ』 三軒並んだお隣同士が不倫しあって父母シャッフルというとんでもない状況で共同生活を始めた三人の子どもたち、それからハムスターのバッハ。
家の中を世界地図に見立てる空間の想像力、「生き延びろ」という著者の作品で繰り返されたメッセージ、物語る=距離をつくる・カッコに入れることの救い、語りの裏に隠された切実な感情。
古川日出男のエッセンスが半分。もう半分は『カノン』に。

『カノン』 男の子、女の子、それからザ・マウス。
現実自体が何かのレプリカとしか思えない姿をとるようになった時、どんなフィクションがテロになり得るのか。
「女の子」の過剰な優秀さと、啓示に対する迷いの無さがとても古川的。文章のノリがちょうどいい。
『ストーリーライター、ストーリーダンサー、ストーリーファイター』 幽体離脱した「僕」が語る、3人の同級生たち(そういえば、鏡に映らない語り手の姿は『物語卵』の「鏡を見るとそこにはいつも僕がいません」という一文を連想させる)。
「戦闘的に」書き、踊り、闘う彼らの物語が始まる寸前で幕を引くこの作品は、爽快な、小説以前だ。
『飲み物はいるかい』 いくつかの点で『サマーバケーションEP』の原型だと感じる。想像力のある歩行。著者の書く散歩はとても魅力的だ。
『物語卵』 映画『スプリット』の多重人格者を連想してしまった…のはともかく、入れ代わり立ち代わり表れて物語を語っていく彼らは一体何なのか。

語り手たちは階層を持ち、それはさらに樹形図のように枝分かれしているのだという。
各々が語る物語は、「生き延びる」というただ一つのことを語っているようにも聞こえる。
物語は、何かを生かし伝えていくものであり、その過程で姿を変えていく(べきな)のだということか。

2017年9月17日

『ゲンロン6 ロシア現代思想Ⅰ』を読む。 – 再び、ヒューマニズムと本来性を求めて –

時代が大きく変化している情況において、より大きな動きが見られるのはもっとも開発されもっとも進んだ先進国ではない。

むしろ、ある種のつまずきを抱えてその遅れを取り返そうとしている国において、大きな動きが見られる。帝国主義時代のドイツ・ロシア・日本がそうであったろう。

そして、今のロシアはまた同じようにつまずきを抱えて、それを乗り越えようとしている。
であるならば、これからの21世紀の相貌の一端がまた見られるのは、ロシアの現代思想からなのかもしれない。


現代思想としての哲学は、20世紀に取り残された1つの課題を抱えている。

それは、しばらくのあいだ忘れ去られていた課題、「近代の超克」の問題だ。

思想史的な現代の情況をみたてると、ヒューマニズムにより近代を超克しようという熱病が再燃しているのが現在だろう。

近代哲学の完成がヘーゲルだというのは意見の一致するところだが、そこからの超克を目指して19世紀後半から20世紀前半に展開されたのがニーチェやマルクス,ハイデガーやラッセルなどいわゆる反哲学=現代思想としての哲学だった。

19世紀の近代化された世界は問題を抱えていた。
それを乗り越えるために20世紀に企画・実施された壮大なプロジェクト、反哲学的な思想をふまえて近代の超克を目指して提起されたのが、⑴マルクス=レーニン主義によるソビエト型社会主義(共産主義),⑵ナチスなどのファシズム的な国家主義(国家社会主義),そして⑶ケインズ的な修正資本主義(国家資本主義)だった。

ざっと20世紀を振り返れば、上記の⑴マルクス=レーニン主義と⑵ファシズムが倒れたのは自明であった。
そして、現在は⑴・⑵の体制が崩れ去ったその後で、⑶の修正資本主義(国家資本主義)だけが残りはじめの意図を超えて爆進しているというのが実情だろう。

しかし、その課題をきちんと見つめ捉え返さなければいけない時が来ているのではないか。
そもそも、マルクス=レーニン主義やファシズムが現れたのは、ヒューマニズムからであった。
理性的な人間を中心とした近代的な思考と社会システムが、かえって人を疎外し抑圧するものとなる。その阻害に対してのノン、異議申し立てから湧き上がったのが、マルクス=レーニン主義やファシズムであったのだから。

それらがヒューマニズムから湧き上がったものであれば、現在の問題であるヘイト・スピーチやテロリズムの問題が、またヒューマニズムを源泉としていることは明らかだろう。
彼らは、本来的な人間のあり方を訴えるナロードニキでありボリシェヴィキであるのだ。

ヘイト・スピーチやテロリズムがヒューマニズム?ナンセンス!
確かに、ナンセンスと思われるかもしれない。
しかし、たとえば代表的テロリストとしての日本人、重信房子の言葉を引用してみよう。

“隊伍を整えなさい。隊伍とは、仲間であります。仲間でない隊伍がうまくゆくはずがないではありませんか”

届くならちぎれるまで手を差し伸べたい。

革命に向けて、同志たち、友人たち。燃える連帯を込めて、勝利の日まで。さようなら。

『週刊読売』1972年4月15日号 赤軍派アラブ代表 重信房子

見誤ってはいけないのは、彼らは単に憎悪に燃えた人間ではなく、抑圧されたシステムからの解放を願う本来的なあり方を求めるヒューマニストそのものなのだ。

そこでは右翼や左翼といったイデオロギーの方向は大きな意味を持たない。
個別具体的な事例ではあるが、重信房子の父親が血盟団事件に関わった右翼組織の門下生であったことは有名な話だ。
むしろ、「小さな親切運動」に熱心に取り組むような人情に篤い少女であったこと、このヒューマニズムが反転したところでテロリズムに至ったと考える方が自然なのだ。


だが、問題はロシアだ。
東方正教会の信仰とツァーリへの崇拝が一体となったヨーロッパの反動ロシア。大衆のためのインテリゲンチャ、ナロードニキによるテロリズムの国ロシア。
そして、レーニンにより領導され理想のユートピア国家ソビエトを建設したロシア。

そのユートピアの夢はスターリンにより悪夢へと変わる。ディストピア国家、赤い帝国。
しかし、ソビエトは70年間でその歴史を終える。
後に残ったのは、意味も価値観も何もない戦後思想のような、フロイト的超自我としての父を持たないロシアだった。

「ゲンロン6」 共同討議で感じたのはある種のイデオロギーと神秘主義の国ロシアだった。

ロシアにおけるイデアとマテリアルの結びつき、象徴的なものの壁を突破して聖なるものに触れたいという欲望、あるいは父のいないロシア=カルフォルニア的な神秘思想。

しかし、これは、どこかで見たような景色だ。
オウム真理教の身体への直接刺激による超越への跳躍、捨てられた子供としての教祖・麻原彰晃と繋がるものを感じるのだ。
1995年の事件、20年以上前の話だ。
今では、95年をめぐる心暖まる伝説のひとつに過ぎない。

これはオウム以前の類似現象としての連合赤軍。1972年のあの事件にも似たものを見い出せる。
あのリンチ事件も単なるヘゲモニー争いからの暴力ではなく、森恒夫による「殴ることによる総括。殴られ気を失うことにより、次に目覚めた時に共産主義化された人間として生まれ変わる。」という超越への跳躍だった。
そして、父なき時代、丸山眞男が殴られる時代の帰結だったのだ。

“暴力を包み込む保護者不在”

たが、これも今では些細なことかもしれない。
結局のところ、それらは、エルンスト・レーム率いる突撃隊のように、あるいは北一輝と二・二六事件のように時折歴史の舞台の上に現れる何かなのだろう。

だが、乗松享平さんの「敗者の(ポスト)モダン」にもあるように反体制的ナショナリストとソ連の「ロシア性」が結びつく様相、哲学者アレクサンドル・ドゥーギンとラディカルな若者たちの動きはあるいは同じような構図にも見える。1930年代的な様相。本来的なあり方を求める志向性。一気に革新に進もうというそのラディカルなスタイル。
反復される普遍性だろうか。
しかし、本来的なあり方があるなら、非本来的とされるあり方は?ここでは、言うまでもなく、米国式リベラリズム=グローバリズム=リバタリアニズムだろう。

新たなる本来性の物語

しかしながら、本著の特集の中心とされているアレクサンドル・ドゥーギンの思想は確かに人を納得させ魅了するだけの力があるのではないか。

そのチャート式やポストモダン的なスタイルはわかりやすく、またブラヴァッキーのような神智学的な世界認識は、世界に対して違和を抱いているものに真実を与えるものだろう。

他方、ザハール・プリレーピンは、戦後何もないところの虚無主義から舞台で演ずる役者となった三島由紀夫の再来のようだ。

流石に世界文学の国のポスト・トゥルース・ストーリーといって良いように思う。

2017年9月10日

『サルトルの世紀』から考える。 – ハイデガー問題メモ –

『サルトルの世紀』という本を読んでいる。
サルトルと20世紀、その時代と思想について書かれた本だ。
注釈を抜いて全体で800ページ、まだその3分の1程度を読んでいる段階なのだが、第1章「世紀人」の末は50ページばかり「ハイデガー問題メモ」としてハイデガーの思想とその問題について描かれていた。

ハイデガーについてのテクストを読んで思うのは、ハイデガーの思想のその危険性というのは両義的であって、その危険はむしろ僕らが求めなくてはいけないところにあるということがある。
それは、本来的なあり方・非本来的なあり方という考え方だ。


三島由紀夫は昭和45年に以下のような文章を残している。
「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである」

三島由紀夫もまた本来的なあり方を求めた作家だった。


ポピュリズムや全体主義は闇の中から登場するのではない。むしろ、希望として、光としてあらわれる。それは、非本来的な現状を切り崩すものとして、本来的なあり方を再建しようとあらわれる。
問題はその現れ方が、本来的なあり方を生きる者としての改革者と、非本来的な大衆に分別されることだ。

吉本隆明は「大衆の原像」という言葉を語っていた。それは統整的理念であって、そのあり方は示されてはいない。それを構成的理念として普遍的なものとして表現することは難しい。あるいは、東浩紀の「観光客の哲学」というのも近いところを示すものだろうか。

大衆にとっての本来的なあり方、他者を非本来的なあり方であると糾弾する必要のない本来的なあり方を示すこと。
たとえば、サルトルの「自由」の哲学は最終的に滑稽に見えるものとなり、ポストモダンの「逃走」の哲学は疲弊してしまったが、しかし、そのような思想のアップデートが要請される。

ヒューマニズム/反ヒューマニズムの問題と現代

ヒューマニズム/反ヒューマニズムの問題は現代における非常に大きな問題だと思う。

振り返れば、僕らはヒューマニズムの危険性について、もっと真剣に考えているべきであった。
けれども、たとえば、ソビエト問題,ナチス問題,連赤問題,オウム問題など、僕らはそれらを総括できていないのではないか。むしろ、こう決めつけてはいないだろうか。彼らは、頭がおかしくなっていて、あるいは頭のおかしな人間に操られてしまったのだと。

現代における問題は、もちろんヘイト・スピーチや移民排斥などにつながってくるものだ。
もちろん、そこには経済的なあるいは治安など社会的な問題も含まれてはいる。しかし、より深刻な問題は、ヘイト・スピーチや移民排斥を訴えている人々はむしろそれがあるべきあり方、ヒューマニズムに根ざしたもののあり方だと考えて行動をしていることだ。
ましてや、システム,権力者,ブルジョアが火の元だと断言するのは陰謀論的な何かであろう。

さらなる問題は、リベラルと称する人々が、ヘイト・スピーチなどを行う人々の思考・行動を、単なる悪、非ヒューマニズム的なものとして対抗していることだ。彼らが戦っているのは、非ヒューマニズムではない。それらは、ヒューマニズム的なものの現れだ。であるならば、それらに対して、ヒューマニズムを武器として戦うのは有効なのだろうか。それこそ、「神々の戦い」のような「ヒューマニズムの戦い」になるだけだろう。

ヒューマニズムの暴走に対抗する武器。すると、問題は、反ヒューマニズムをどこから取り出すかということになる。

2017年7月19日

第157回芥川賞/直木賞について

直木賞の佐藤正午さんの接待受賞(されてしかるべき)と比べて、沼田さんの芥川賞受賞は意外だった。

芥川賞には「あの作品で取るべきだった」とか「この作品にあげちゃうか」という喧喧諤諤がつきもので、作家たちはいつまでもそれを僻んだりネタにしたりし続ける。

沼田さんの『影裏』は(デビュー作ということもあり)「あの作品で取るべきだった」と言われる作品で受賞を遂げた極めて稀な例だといえる。

読んだ後のメモはこんな感じだった。

文学界新人賞受賞作。短い作品。
岩手の自然の滑らかさや釣りの俗気ない描写ですらすらと読ませてしまうのだが、途中で一回・最後にもう一回、誤って飲み込んでしまうと窒息しかける異物が紛れている。描かないことで浮かびあがってくる輪郭のみに対峙している不確かが不気味であるも逃れられない。震災との距離も考え抜かれており、筆者の並々ならぬ才能を感じた。

欲を言えば、今村夏子さん『星の子』の同時受賞を見たかった。
これも現代における本当の怖さに肉薄したエキセントリックな作品だったから。

第157回芥川賞は沼田真佑さんに決定!(平成29年上半期)|公益財団法人日本文学振興会
第157回直木賞は佐藤正午さんに決定!(平成29年上半期)|公益財団法人日本文学振興会

2017年7月16日

W.G.ゼーバルト『アウステルリッツ 』を読む。

歴史の天使はこのような姿をしているにちがいない。
彼は顔を過去の方に向けている。
私たちの眼には出来事の連鎖が立ち現れてくるところに、彼はただひとつの破局だけを見るのだ。
その破局はひっきりなしに瓦礫のうえに瓦礫を積み重ねて、それを彼の足元に投げつけている。
きっと彼は、なろうことならそこにとどまり、死者たちを目覚めさせ、破壊されたものを寄せ集めて繋ぎ合わせたいのだろう。

ところが楽園から嵐が吹きつけていて、それが彼の翼にはらまれ、あまりの激しさに天使はもはや翼を閉じることができない。
この嵐が彼を、背を向けている未来の方へと引き留めがたく押し流してゆき、その間にも彼の眼前では、瓦礫の山が積み上がって天にも届かんばかりである。
私たちが進歩と呼んでいるもの、それがこの嵐なのだ。

ヴァルター・ベンヤミン「歴史の概念について」

不可知の暗闇、ぽっかりと空いた大きな穴を迂回する小説という印象もある。
避けているし、そもそも近づこうにも近づけない。
アウステルリッツがたびたび披露する建築にまつわる考察や薀蓄は、自分自身の歴史・あるいは現在から目をそらすための時間稼ぎ、方便だと感じた。
それが、避けているということ。

しかしそれだけではなく、自分の歴史と向き合い、探求を始め、今度は自分から近づこうとしても、決して近づけない真っ暗で巨大な穴の存在を思い知らされる。
そうして、ひとまずこの作品は終わる。

ゼーバルトの作品を読んでいると、幽霊を見るとはどういうことかと考えさせられる。
幽霊とは、当人の人格から切り離された残留想念、あるいは人の記憶や場所に残った痕跡から再生される映像のようなものだと思う。
そしてそれは時間にも関係する。
古い建物やがれきの山を歩いて、積もった歴史を紐解く、それは一種の時間旅行だし、幽霊に出会うことでもある。

ゼーバルトは幻視者だが、その幻視は、幽霊・過去・歴史そのものではなく、それが刻まれた廃墟・瓦礫であるところが面白い。
いつどこにいても、彼の眼前には記憶の刻まれた廃墟が姿を現す。

[amazon_link asins=’4560047677′ template=’ProductAd’ store=’tokyofactoryk-22′ marketplace=’JP’ link_id=’2bf357f2-69e3-11e7-a081-83a60779af42′]

2017年7月12日

ロラン・バルト『明るい部屋―写真についての覚書』を読む。

『ロラン・バルト』(中公新書)を読んで最も印象に残ったのは小説を書こうとして書けないバルトの姿だった。
この『明るい部屋』は、ひとまずは写真論であるが、同時に小説論であり、小説に踏み出そうとして踏み出せないバルトの逡巡の跡であることが読み進むにつれて明らかになっていく。

この本でバルトはストゥディウムとプンクトゥムという2つの概念を提示する。
ストゥディウムは文化的なコードで読み解ける、言うなればタグ付け可能なものである。
それに対してプンクトゥムはストゥディウムを破壊して、見る者を突き刺す。

それは、1つは写真の意味をかき乱す細部であり、もう一つは、被写体がかつてあったという時間の感覚である。
写真は、被写体がかつて確かにそこにいたこと、そして同時に(少なくとも当時の姿では)もういないことを絶対的な事実として突きつける。

このことは、小説、少なくともバルトにとって重要なプルースト的な小説に似ている。
何かが語られるのは、それが終わった後にしかありえない。
語られた出来事は、取り返しようのない距離で隔てられた過去として表れる。
言ってみれば、小説の始まりにはいつも写真がある。

[amazon_link asins=’4622049058′ template=’ProductAd’ store=’tokyofactoryk-22′ marketplace=’JP’ link_id=’61b6e751-66c0-11e7-a47a-01f41aa22414′]

2017年7月11日

倉阪鬼一郎『クトゥルー短編集 魔界への入口』を読む。

クトゥルー神話というテーマに絞ってこれだけ多彩な作品集を作れることに驚く。
また、終末の光景の美しさ、物寂しさに惹かれるものがある。

これはシンクロニシティのような話ではあるが、たまたま同時期に読んでいた『続・入沢康夫詩集』に収められているエッセイ『作品の廃墟へ――幻想的な作品についての妄想的な断想』の文章を思い起こされた。

幻想的作品がうさんくささを呼び、マイナーな感じを持つとすれば、そのより本質的な理由と考えられるのは、それら幻想的作品の「時間性」の問題である。その幻想が真に戦慄的であるためには、(中略)それは超時間的なもの、時間と垂直に交わるものなのである。ところが、いわゆる幻想的作品は、物語であり、譚詩であり、そこでは事件の推移が叙述されなければならない。また、時間を絶した一つのヴィジョンを描き出す場合でも、それが言葉による叙述である以上は、「叙述の時間」がそこには介入してくる。一語の中に、一字の中に、一音の中に、すべてをひしめき合わせることができるなら別だが、われわれの言葉はそのようにはできていない。叙述できないことを叙述しているという点に、そのうさんくささの源がある

これがクトゥルー神話のある種の作品と意図せずに共鳴しているように思えた。

「時が<時>として流れる」以前の「大いなる旧支配者による至福の世界」(『鏡のない鏡』)という風に、無時間を(邪神たちの)還るべき理想郷としている。
それは、「一語の中に、一字の中に、一音の中に、すべてをひしめき合わせること」という幻想文学の不可能な理想に似ている。
ラヴクラフトの作品は、うさんくささを纏うことを恐れずにこの理想を追求したものなのではないかと思った。

[amazon_link asins=’4798830410′ template=’ProductAd’ store=’tokyofactoryk-22′ marketplace=’JP’ link_id=’610185b2-65f2-11e7-b5af-3b1467763ea9′]

2017年7月4日

千葉雅也『勉強の哲学 来たるべきバカのために』を読む。

『勉強の哲学』を読んだ。
思った以上に好きなテーマが扱われていたように思う。
また、佐々木敦の『未知との遭遇―無限のセカイと有限のワタシ』に繋がるところが結構あった。
そちらも、勉強の際限なさに対して有限性を活用することから始まっていたから。

「環境のノリ」が言語による刷り込みなら、勉強とは違う言語を使えるようになることだろうか?

言葉は環境のコードに規定されるが環境のコードは言葉でできている。
違う何かになる方法は使う言葉を変えることだ。
違う言葉遣いの界隈(=ノリ)へ参入し、聞きなれない言葉を異物感を味わいながら使ってみる。
その時、言葉の他者性・物質性に(改めて)気付き、別の可能性が開けてくる。

しかし言葉はあくまで環境依存的なものだから、あるノリから別のノリへと転身し続けなければならない。
そんな絶え間ない自己解体をこの本では「勉強」と定義する。

その中で、「アイロニー」と「ユーモア」というキーワードが提示される。

「アイロニー」とは、ツッコミ・縦軸・深掘りを意味する。
そして、行き過ぎると現実それ自体という不可能という極限に突き当たる。

「ユーモア」は、ボケ・横軸・言葉のずらしである。
行き過ぎると接続過剰、どうとでも言えてしまうという無意味(ナンセンス)に導かれてしまう。

それゆえに、必要なことは、アイロニーの過剰をユーモアで抑え、ユーモアの飽和を「享楽的こだわり」で断ち切るが、「享楽的こだわり」を絶対的なものとしない(変われる可能性がある)ためにアイロニカルな視線を向け続けることだ。
常に仮の固定であり、勉強とはし続けるものである。

「勉強」というキーワードを用いて哲学するのと同時に勉強の実際的なノウハウ本でもあるのが読み心地の奇妙さの理由か。

[amazon_link asins=’4163905367′ template=’ProductAd’ store=’tokyofactoryk-22′ marketplace=’JP’ link_id=’9b7e3439-60a1-11e7-9ea7-452046934d78′]

2017年7月1日

読書ノート 2017年6月

フォークナー『アブサロム、アブサロム!(上・下) (岩波文庫)』

p263「真実より本当の《あったかもしれないこと》があると理解できる力が、本当の智慧なのでしょうか?」

偏執的としか言いようのない入り組んだ語りに何度も何度も立ち止まらされ、直線的な時間など(少なくともこの小説には)存在しないことを思い知る。

時間の中で継起する出来事を語るのではなく、一つの場所(南部)を舞台としてその中でいかようにでも変転する時間そのものを語ること、《あったかもしれないこと》を執拗に重ねることで狭い作品世界の内部が無限かと思えるような広がりを持つこと。

「五十年も前に起こって終わってしまった出来事に対する、死霊のような、抑えようもない怒りと誇りに満ちている真空のようなものは何なの?」

実際に起こらなかったことも歴史のうちであるというだか寺山修司だかの言葉を信じるなら、何行にもわたって描いた情景や台詞を「ではなく」と否定する無駄としか思えない書き方も、「実際には起こらなかったこと」を記述するための方法なのでは。

純血という神話を打ち立てようとした男が混血によって(愛の不在によって)滅びる物語であり、異様に入り組んだ語りは歴史を召喚する何かの儀式のよう。

管 啓次郎『海に降る雨 (Agend’Ars3)』

歩行と、読書と、地、水、火、風。著者のこれまでの思索の道程が詩の形をとって演じられている。
歩くという動詞が、どの詩にも見え隠れしているように感じる。
「こうして土地がかれらの祭壇となった/祈りの一形式としてのかれらの歩行」

『ユリイカ2006年8月号 特集=古川日出男 雑種の文学』

吉増剛造との対談と『川、川、川、草書で』とインタビューを再読。

吉増剛造『静かな場所 (Le livre de luciole)』

「耳を澄ます、という表現がある。(中略)耳をすます、とひらがなに変えると、響きがうつりはじめる。/音楽に耳をすます。そのとき、たしかに、私達は、一つのかたちに耳をすましていることに気づく。かたち、フォーム、形式、様式に」

「色に耳をすます、そのかたちに耳をすます」「耳をすます」「静かな場所」「声の溜り」

この本の中で吉増剛造は、聴覚に戸惑い、戦きながら、記憶やイメージをたどり、言葉を一つ一つ掬い上げるように文章を綴っている。連想と共感覚の散文。

末尾に置かれた詩『オルガン』が素晴らしくて繰返し読んだ。

吉増 剛造『我が詩的自伝 素手で焔をつかみとれ! (講談社現代新書)』

吉増剛造の朗読を初めて聴いた時、すごく腑に落ちる思いがしたことを覚えている。
こういう風に読む詩なのか、こういう声で書かれたのか、と思った。
わかるわからないはともかくその作品に引き寄せられるのは、それが声の詩だと感じられたからだ(単に視覚型の文章が読めないだけかもしれないけど)。

「詩というのは音と言葉の間みたいなもの、そういうところにある」と語る吉増剛造の詩は、稠密な割注や当て字で判読不能と思えるような作品でさえ、すべてが聴覚に、あるいは「耳をすます」(『静かな場所』)ことに繋がっている、と断言したくなる。

モルモット吉田『映画評論・入門! (映画秘宝セレクション)』

映画評論を論じる、という珍しい切り口の映画本。作品をめぐる論争史から「名作」の同時代評まで、映画はどのように観られ、語られてきたのかがわかりやすくまとめられている。
オールタイムベストの常連作品こそ評価の移り変わりを知っておくべきだと実感。
『シン・ゴジラ』が実にタイムリーだ。

2017年6月29日

『クラゲの海に浮かぶ舟』を読む。

操作された記憶、奪われた記憶、欠落した記憶。
そんな世界の不確かさに怯えるのでも憤るのでもなく、ただ、ぼんやりと(ニセモノかもしれない)「現実」を受け入れる「ぼく」(あるいは「君」)。
この、離人症的というか、感覚の麻痺した語りが、何よりも饒舌に、そして切実に、語られていない「これまでのあらすじ」を訴えかける。

この小説が描く世界は断片的だ。
ナノマシンによってバラバラにされて組み直されたヒトやモノや世界。
そして小説の語りも断片的になり、時には互いに矛盾した記述も出てくる。
形の合わないパズルのピースである。

しかしながらピースは不定形の生もので出来ているから、形を変えてすっぽり収まってしまう。
無理やり当てはめたものだから、色んなところに不具合が出てくる。
現実のような何か。記憶のような何か。小説のような何か。
ニセモノにしかなりえないこと。それは哀しい。けれど美しい(ホンモノよりも。だってそれこそがニセモノなんだから)

この作品は怪獣小説でもある。
怪獣が呼び起こすノスタルジー(今はもうない小さな映画館で観た怪獣映画の記憶)。
おそらく、語り手にとっては本当は存在しない記憶、ホンモノの記憶が歪められた姿。まさに夢だ。
そして怪獣も、夢の中の存在だ。メタ怪獣小説。

[amazon_link asins=’B06X9G8J62′ template=’ProductAd’ store=’tokyofactoryk-22′ marketplace=’JP’ link_id=’d07e5f18-5cb8-11e7-9f8f-6de939c84dde’]

科学者になりたかった。科学者になって怪獣を創りたかったのだ。―どんなものでも創れるシステム。なんでも売っているデパート。人に夢を見せてくれる機械。大人になったぼくは「会社」の技術開発部に所属して、新しい生き物を作る研究をしていた。だが、意に反した方向で進められることになった研究の続行を拒否し、会社を去ることになってしまった。そのせいであれに関する記憶のすべては、会社によって破壊されることに…。新感覚サイバー・ワンダー・ワールド。
(BOOK」データベースより)

2017年6月29日

『J・G・バラード短編全集2 (歌う彫刻)』を読む。

J・G・バラードは見ることの作家だ。というか、本来他の感覚で受け取るものまで視覚で描いてしまう。音響彫刻などいい例だ。
そして、見えないものを見ることには、固形化・固定化が付きまとう。
例えば『結晶世界』。その背後には『時の声』で語られているような時間の死が隠れている。

バラードといえば例の自転車と健忘症の男の喩えを思い出すが、この「健忘症」もバラードにとっては一つの技法だ。
よく見知っているはずのものを無知の状態の中に放り込んでその本質、外界の反応を視る。
バラードの作品を読んでいるとそういう印象を受けることがよくある。
反応を視られているのは私たち読者も同じかもしれない。

J・G・バラードが見たもの、描いたもの。
死亡した宇宙飛行士、それから挫折した宇宙時代。
挫折した人類の夢は預言でもある。
月に行くことで、宇宙を旅することで、人工衛星が地球の周りを回ることで、ロケットが墜落することで、人間の精神に起きる変化・出来事、つまり反応を書くのがバラードの、少なくともこの時期の作品の特徴ではないか。(その出来事自体というよりは。)
だからそこで積極的に行動しようが消極的に破滅を受け入れていようが、本質的には受け身であり、変化を「蒙る」物語となる。

[amazon_link asins=’4488010598′ template=’ProductAd’ store=’tokyofactoryk-22′ marketplace=’JP’ link_id=’c492c022-5c6a-11e7-8e23-859c0414b837′]

2017年6月24日

『ゲンロン5 幽霊的身体』を読む。

『ゲンロン5 幽霊的身体』を読んでいる。

個人的に「幽霊」・「身体」というキーワードには以前から興味があった。

それは、20代のあいだずっと「絶対」の存在と可能性(「絶対」が成立し得ないことだけが絶対的に存在するという現実をどう捉えればよいのか)について思いを巡らしていたからであるし、またオルダス・ハクスリーやティモシー・リアリーやジョン・C・リリーのような言語的論理の外部に興味を持ち続けていたからだ。

ところで、自分の見立てとしては「幽霊的身体」というのを考えてみると、それはある種の弁証法への反省と再度の実践を踏まえた話ではないかと思う。
たとえば、ユートピアを目指した左翼が連合赤軍みたいなところに行き着いたという現実があった。そこにはテロルの現象学のような課題があった。それに対置する形でアソシエーションやマルチチュードが提起されたが、しかしそれは否定神学的な概念だから有効性を持たないため、ある種の「存在の揺らぎ性」を基盤にした思想が必要なのではないかということだ。

それはこう言いかえることもできて、アドルノの否定弁証法のように近代の啓蒙理性はその理想に反してその極で非人間的なものであった。
近代理性が見落としていたのは、存在の揺らぎ性ではないだろうか。
それは、たとえば、村上春樹の物語で描かれている「向こう側」とこちらの繋がりのようなものではないか。あるいは、最新作『騎士団長殺し』で描かれた「血縁関係(事実)をこえた家族(人とのつながり)」を想定したエチカと通底するものがあるかもしれない。

近代や哲学が見落としていた視点は「存在」を言語により定義したところにあるのではないか。あるいは「有と無」はデジタルに切り離された存在ではなく、アナログなもので明るさと暗さが絶え間ないコントラストで継続しているものではないだろうか。

『ゲンロン5』の話に戻ると、論考がとても面白かった。鴻英良さんの「虚体、死体、そして〈外〉へ」で描かれた〈自同律の不快〉はとてもよくわかる話だったし、渡邉大輔さんの「『顔』に憑く幽霊たち」で描かれたInstagramやSNOWのアプリを使う人々の意識についての話はテクノロジーがリアルに人々に変化を与えるかという可能性のようなものを感じさせた。
共同討議の「ユートピアと弁証法」は純粋におもしろい。
ところで、今年はロシア革命100年だからトロツキーの『ロシア革命史』を読もうと思っていたのだけれど、もう2017年も半分が過ぎてしまった。

すっかり、真夏そのものが姿を見せ始めている。

2017年4月6日

『かもめのジョナサン』を読む。

『かもめのジョナサン』を読んだ。
きっかけは、ふとしたことだ。YouTubeでミュージック・ビデオを流していると、ある動画が再生された。
それは1970年代をイメージした映像だった。
そこには時代を象徴するシンボルが映されていた。
フォークソング、喫茶店、コーヒー、ナポリタン、かもめのジョナサン。

『かもめのジョナサン』は、1970年代に世界的に大ヒットした小説だ。特に、ヒッピー文化に影響を与え、後にニュー・エイジやオカルティックな精神世界や自己啓発にも影響を与えた。

有名なところでは、オウム真理教の信者であった村井幹部は、「かもめのジョナサン」の心境になって出家をしたといわれている。

たしかに『かもめのジョナサン』は宗教的な要素のある作品だ。
しかし、思えば、それは宗教よりもその少し前の若者に影響を与えた『あしたのジョー』に似ている。
ジョーは燃え尽きた。真っ白な灰になるまで。そんじょそこらの不完全燃焼ではなく、真っ白に燃え尽きた。
「われわれは、“あしたのジョー”である。」

赤軍派(あしたのジョー)から、オウム(かもめのジョナサン)へという時代の流れが予見されていたのかもしれない。

『かもめのジョナサン』の話に戻ろう。
正直にいえば、僕にはあまり関心の持てないスピリチュアルな自己啓発書のような内容なのではないかという先入観があった。ある種の自分探しを肯定するような作品ではないかと想定していた。
しかし、読んでみると思いがけず鮮やかな印象を受ける作品であった。

主人公は、カモメのジョナサンだ。彼は、群れの中で変わり者である。
むしろ、彼は群れに馴染んでいない、はみ出しものだといえる。
彼は、飛ぶことの楽しさを知っているカモメだ。
ただ飛ぶことに夢中になり、それだけを探求するジョナサン。

一方で、他の群れをなすカモメたちはエサを求めるためだけに飛ぶ。
彼らは、ただ飛ぶという行為に意味を見いださない。
彼らからすればジョナサンは異端である。
ジョナサンは群れを追放される。
そして、ジョナサンはひとり超越を目指すのである。

その後の展開は、まるでチベット密教の師弟関係や、カルロス・カスタネダの作品を思わせる描写で、真理への接近が描かれる。

そして、あらたに書き加えられた第四章には、この作品が社会に与えた影響に対する、ある種の諦観や弁明、あるいは希望が描かれている。

この作品は全体として、限りなく純粋でピュアでありながら、一方である種の狂気や危険を孕んでいる。あやうい作品であると思うが、宮沢賢治や『星の王子さま』のように、読みやすく平易な言葉で超越的な実践の美が描かれていて、ため息さえ出ない。

2017年4月5日

『ゲンロン0 観光客の哲学』を読む。

『ゲンロン0』を読んだ。
『ゲンロン』は、東浩紀氏監修の批評雑誌であり、『ゲンロン0』はその創刊号である。
また、『ゲンロン0』は東浩紀氏の集大成的な哲学書である。

本書の副題は、「観光客の哲学」である。
これは、ある意味で柄谷行人氏の『トランス・クリティーク』の理論の更新ではないだろうか。

本書にはナショナリズムとグローバリズムに分裂した、2017年現在の状況をどう捉えるか、いかにわれわれは思考し行動すべきか。そう問うための、ビジョンが描かれている。

本書の核心のひとつは、現代のわれわれはモダンとポスト・モダンのふたつのレイヤーの中に生きていると捉えていることである。

現代の僕らの文化は、西洋近代の発展に大きな影響を受けている。
それは決して超克されてはいない。
しかし、1970年代以降のポスト・モダンの興隆と1990年代のソビエト崩壊以降、僕らはあたかも近代後の現代に生きていると考えているところがある。

モダン(近代の絶対的なツリー状の文化)はポスト・モダン(相対的なリゾーム状の文化)に転換されたのだと。

これらの展開を東浩紀氏は、モダンとポスト・モダン、アメリカ政治思想のコミュニタリアニズムとリバタリアニズム、ネットワーク理論のスモール・ワールドとスケール・フリーの概念を利用して説明する。
そして、現代をこう捉えるのだ。
現代のわれわれはモダンとポスト・モダンのふたつのレイヤー、そのふたつのレイヤーに足を踏み入れ両方が重なる世界に生きているのだと。

その上で、東浩紀氏はその異なるレイヤーの世界を調和させる思想として「観光客の哲学」を提示する。そして、それこそが現代的な21世紀にあるべき連帯の形、郵便的マルチチュードを形成するのではないかと。

ここ数年の東浩紀氏の言動を振り返れば、ある種の「運動」に対して批判的なスタンスを崩すことがなかった。あくまで、それは、本来あるべき形ではないと。
そして、空虚な連帯ではなく大きな物語をいかに再興するかそれが課題であると語っていたように思われる。

本書は、それに応えるメッセージが読み取れる作品であった。

『ゲンロン0 観光客の哲学』と『トランス・クリティーク』が机上に並んでいるのを眺めると、父なるものと母なるものが生み出した空間が家族ならば、そこから生まれた子が父とは異質の物語を語り、あらたな家族のもとで散種しているのだと批評のダイナミズムを感じてしまう。

2017年3月21日

又吉直樹『劇場』を読む。

又吉直樹『劇場』を読み終える。
『火花』を読んだときに、芸人を主人公にした職業小説ゆえのリアリティが又吉にしか書けないものだと思ったが、同時に次は大変だろうなとも思った。
しかし、そんなことは全くなかった。
劇団を主催する永田とその恋人沙希との話。
物語は永田の「僕」の一人称で語られる。

この永田が重症。小劇場や芸人・バンドマンに見られるような夢追い人属性に加え、過剰なまでに他者を拒絶する。その配分されない他者の全てを沙希が受け入れる。『火花』にもあったダメ男と健気な恋人というのは又吉の得意な設定。
ありふれてはいるものの個々の話の真実味に胸が詰まる思いがした。

不器用な永田を擁護しつつ、健気な沙希に安心させられる。
もちろんこのような関係が続くことはなく、鈍感な永田が関係を維持するための沙希の努力にハッとする場面など、沙希の思いの残滓に必死に火をつけようとする小さく大きな姿に胸が千切れそうだった。

ただ、それだけ。ただそれだけなんだけど、永田のダメ男ぶりや沙希の可愛らしさ、仕事関係の青山という人物とのメールのやり取りなど、小説として引き込まれる部分も多かった。

途中から、回想のように書かれている地の文に気づいて、ラストシーンこそどちらに転ぶかという終わりだったが、僕があれを思い出しながら書いてるということは、ふたりは上手くいかなかったんだろうな。周りは上手くいくはずないと思っていたふたりだったが、少なくとも僕には最強のふたりだった。

2017年3月14日

村上春樹『騎士団長殺し』を読む。~ イデアとメタファーと、ポスト・トゥルースのその先へ ~

自分の好きな作家について語るのは難しい。
また、偉大な作家の作品に不要な批評を書くことは愚行かもしれない。

にもかかわらず、文章を書きたいと思う。

村上春樹の『騎士団長殺し イデア篇/メタファー篇』を読んだ。

いうまでもなく、傑作だったといえる。
もしかしたら、村上春樹の最高傑作といえるようになるかもしれない。

まず、視覚的な絵画を小説のなかで描いたこと挑戦的な試みだったといえる。
また、村上春樹作品の特徴である有と無とをこえたゆらぎの存在論、物語の構成には大きな深みを感じた。

しかし、これまでの作品との、もっとも大きな違いは主人公が「“父親”になった」ことかもしれない。

■ イデアとメタファーについて

まず、表題に付加されているイデアとメタファーについて考えてみたい。
これは、ある種、哲学的な概念である。

イデアは絶対観念であり、メタファーは言語による差異化の遊戯性だといえる。

村上春樹の小説がこれまで描いてきたものはそれであった。
それはイデアの喪失と自己修復の小説であり、メタファーによる闘争/逃走であったともいえる。
そこから、いかなる物語を紡ぎ出すか。それが問題であった。

村上春樹という作家は、ポスト・モダンを代表する作家であるといって間違いない。
そして、その登場は60年代末のマルクス主義的学生運動の敗北と三島由紀夫の自決を通過したものだった。

「僕」は機動隊員に前歯を折られズキズキしたり、学食で三島由紀夫の演説をテレビジョンで眺め、
1978年神宮球場でヤクルト対広島戦を観戦中に突然小説を書くことを思い立った。
そして、80年代以降、そのポスト・モダン的作風と独特の文体と物語で文学界を席巻することとなる。

それは、絶対性<大きな物語>の喪失から物語を再構築する大いなる歩みだったといえる。

初期の作品である『風の歌を聴け』や『1973のピンボール』『羊をめぐる冒険』『ノルウェイの森』は、イデア喪失のその言いようのない悲しみを深く感じさせるものであった。
羊抜けがそうだ。

『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』や『ダンス・ダンス・ダンス』には、ポスト・モダン的なある種の可能性世界や高度資本主義経済との関係性が比喩的表現巧みに描かれていた。
それはスキゾ的な逃走の宣言であった。

「踊るんだよ」
「でも踊るしかないんだよ」
「それもとびっきり上手く踊るんだ。みんなが感心するくらいに。そうすればおいらもあんたのことを、手伝ってあげられるかもしれない。だから踊るんだよ。音楽の続く限り」
オドルンダヨ。オンガクノツヅクカギリ。

90年代以降、作風は深みを帯びていく。
地下鉄サリン事件や阪神淡路大震災の影響から社会へのコミットメントを宣言する。

2009年には、イスラエル文学賞の授賞式にて『卵と壁』のスピーチを行い、小説の社会的意義を説く。

そして、本作においては、そこから一つパラダイムが進み、あらたな物語を紡ぎ出したというのが僕の見立てである。

■ 村上春樹によって描かれる父性 – あらたな物語構築のためのエチカ –

今回の作品で、関心を惹いたのは、主人公が父親となったことである。
それも、「実の子」であるかどうかがわからない子の、父親となったのだ。

村上春樹氏に子どもはいないはずである。
また、これまでの村上春樹の作品を振り返ると、主人公が父親として描かれた記憶はない。

もちろん、『国境の南、太陽の西』の主人公は妻子ある男性であったし、『1Q84』では青豆と天悟の間で、青豆が妊娠し子どもができたはずである。そして、天悟とNHK集金係であった父親との関係の中で、父親というものが描かれていたようにも思う。

しかし、村上春樹の物語といえば、独身の主人公が事件に巻き込まれながら女性と出会いセックスをするという展開の方がイメージに近いだろう。
今回の作品は、単に、そうではない。(そうではあるのだが。)

この点は、今回の作品とこれまでの作品との大きな違いである。

そして、これは「イデアの喪失/メタファーによる闘争/逃走」から、ひとつの新たなる物語を紡ぎ出したといえると思う。

結論からいえば、本作では、「実の子」かわからない子と“本当の親子”になることによって、
真実としてのイデアの獲得ではなく、メタファーによる世界観の転換でもなく、
他者との関係性の中で“真実を超えた本当の物語”の構築に辿り着いたといえる。

加えて、これまでの作品では、現実と可能性世界との関係で物語が紡ぎ出されていた。
しかし、今回は、その関係を乗り越えた上で、現実世界の中で、物語を紡ぎ出したといえる。

現実の世界の中に、真実は存在しない。しかし、その中に、本当の物語を見出すのだ。
これは、ポスト・トゥルースなどという安易な言葉で片付けてはいけない、物語の創造であると思う。

本作は、村上春樹の過去の作品の各要素が散りばめられて構成された大長編であった。
ある意味で、これは村上春樹の総決算的な作品になるのではないか。

■ レコードやカセット・テープで音楽を聴くこと

本作で、あらためて気になったのが、音楽を聴くことの描写だ。
もちろん、音楽について描かれているのは、いつものことである。

今回、気になったのは、レコードやカセットテープといったアナクロで非合理なメディアで音楽を聞いていることだ。
もちろん、ここ数年、レコードの復権やカセット・リバイバルがささやかれてはいる。

しかし、今さら、時代遅れのレコードやカセットテープで音楽を聞いてどんな意味があるのだろうか。
すると、レコードやカセット・テープで音楽を聴くというのは、ある意味何らかのアチチュードの表明ではないかと考えられる。

つまり、それは「動物化するポストモダン」化した社会へのアンチテーゼではないだろうか。
それは、物語の喪失への異議申し立てであり、コンテンツのデータベース消費へのNoであり、全てが相対主義化した社会への批判だ。

すべてが等価値であり、無価値である世界。
あらゆるものをデータベースからピックアップしてキュレーションする社会。
キャピタリズムとエンジニアリングの成れの果て、物語を失い真実の喪失に動揺する社会への批判であろう。

もちろん、音楽は曲自体物語を内包しているものである。
しかし、レコードやカセット・テープは、シャッフル再生することはできないメディアである。
そして、そのことが意味をつくりだす。
それらにはA面とB面があり、それぞれがその作品全体の前半と後半の構成として展開されていて、
作品全体として、その中に大きな物語が描かれているのだ。

ちなみに、私事であるが、この本の影響を受けてカセット・プレーヤーと大量のカセット・ライブラリを購入してしまった。
物語が現実に与える影響の大きさを感じざるをえない。やれやれ。

2017年2月25日

村上春樹『職業としての小説家』/『騎士団長殺し』を読む。

村上春樹の『職業としての小説家』を読み終わった。驚いたのは数年前に出たばかりの比較的新しい本の内容なのに既知に溢れていたこと。monkeyで書いていたのがもう少し前ということもあるのだろうが、村上春樹を語る上で多くの人間がここから引用してるということが良く分かった。

僕の印象では、彼は小説の創作や個人の話をそれほど語ってこなかった。それは彼の特異な部分だし、それを望んでいるファンもいるのだろう。だけど、僕はこれはアンフェアだと思う。海外の知らないところで書いて、具体的な声明もないまま新刊が出て、本当に読まれてるのか分からないが売れている。

よく言えば読者に委ねると表現できるが、僕は彼のテーマとは別の態度としてのデタッチメントに付き合いきれないと思っていた面が大きいということが分かった。人間臭くなるけど、もっと苦労したとか性描写ってくせになるよねとかそういったありふれた声と共に作品が届いて欲しかったのかもしれない。

間接的ではあるものの今回この『職業としての小説家』を読んで村上春樹の人間的な部分に触れることができ、それが新刊をおおいに面白く読んでいる結果につながっているようで、嬉しいし楽しい。

新刊『騎士団長殺し』を200ページ辺り読み始めて、感じたことをざっと書くと、改めて村上春樹は虚構の作家だ。冒頭の20頁は要らない。思った以上に売れてない。(あくまでポイント)

物語がしっかりあるし、現段階では設定もシンプルで読みやすい。
村上春樹が売れなくなったら日本の小説界は終わるというのは紛れもない事実で、だから普段本読まない人とか馬鹿もカッコつけて買ってくれないと困る。

僕はかれこれ15年村上春樹という作家がいいと思えず来たけど、村上春樹が祭りにならないとダメなんだよね。

たぶん、今回の本あんまり売れないという懸念から書いてます。

コンテンツ買い叩きの波の皺寄せが村上春樹にまで来るなんてと哀しいです。
僕は二時間半立ち読みして、今のところすごく面白いので絶対買って損はないです!

1Q84とか絶対みんな理解できてなかったじゃん。今回は、読めるから!

まだ途中でこんなこと言うの何ですが、村上春樹『騎士団長殺し』は面白いです。
みんな買って読みましょう。

2017年2月4日

松浦理英子『最愛の子ども』を読む

忙しくてなかなか進まなかった松浦理英子『最愛の子ども』読み終わり。

傑作中の傑作で、これまでこんなに愛おしいと思いながら読んだ小説があっただろうかと思うほど。

<わたしたち>という一人称複数で<わたしたちファミリー>を追いかけるという構造には一見無理があるのだが、徹底した構造順守の姿勢と読み手の期待や愛のようなものが<わたしたち>の妄想部分の違和感を消し去る。
深層には松浦さんに一貫するテーマを確認できるが、少女という設定によりその一歩手前・分化される間際が青春小説として読めるあたりが個人的には良かった。

また、これは“距離”が一つの重要なアクセントになっている。
事実や妄想で伸び縮みする<わたしたち>と<わたしたちファミリー>の距離感、<わたしたち>という総称を持ちながらそこから自在に分裂する彼女たちなど、特定の場所に依拠しない/できない浮遊感が対象との距離を際立たせる。

真汐・日夏・空穂という捏造された家族(<わたしたちファミリー>)という実体こそあるものの未だ世界に受け入れがたいものの総称を虚実を交えて時間をかけて観察し実体を持つものへ重ねたり広げたりを繰り返しながら解釈を取っていくという技法が、現実でも通用して欲しいと思った。

2017年1月28日

(草稿)苫米地英人『洗脳原論』/中沢新一『チベットのモーツァルト』を読む。

あまり言っても、フランス映画好きのように格好の良いものでもないので、最近はあまり言わないのだけれど、苫米地英人さんと中沢新一さんの著作はかなり好きだ。

彼らは、基本的には対極の存在と位置付けられていて、オウムを接続点としている。 社会的にはアウトサイダーかもしれない。思想的に反対の立場の人や批判的な人からは、両者ともにある種のアジテーターのようにも位置づけられているかもしれない。

しかし、社会的な評判を捨象すると、両者は極めてラディカルな思想家であると思う。どちらもサイキックでオカルティズムであると見られる節があるが、それは本質ではない。むしろ、現代の科学的知見の外部存在を、哲学・科学の内部に引き込み、それを応用して市井の人々に注入している。

ある意味ではオウムは現代思想の極地点であった。いや、あれは単なる事件だ。社会の中の異端の暴走だ。あるいは、単なるバグだという意見もある。 しかし、近代哲学と科学の論理の不完全性が明白になった現在において、根源的ものを論理単体において基底することは不可能であった。

いま現在において、世界を語る場合の基底は、社会学とビジネスであると思う。書店に行けば、社会学とビジネス書と両者が結びつき人々を救済するところの自己啓発本が氾濫しているだろう。

しかし、振り返る。それ以前はどうだったか。もちろん、ポスト・モダンでありニューアカであった。しかし、それは市井の大衆に、本当に届いていただろうか。 むしろ、大衆に届いていたのは、オカルティズムであり、UFOであり、ツチノコであり、ノストラダムスの大預言であった。

それは、マルクス主義が衰退する後、物語を求めた人々にとって、終焉にある哲学や歴史の代わりに、人々が手に入れたところの文化人類学や民俗学に紐付いたものであったのだろう。 この流れが、切断されたのが、オウム事件だったのではないだろうかと思う。

それら、近代科学の外部存在としてのオカルティズムをラディカルに突き詰めたものが、オウムであった。 そして、彼らが際立っていた点は、ヨーガという身体に根ざしたものを、その思想・活動の根元にしていたことだ。

20世紀は、論理が崩壊したところから、はじまったと言って良いと思う。 18世紀、カントは理性・論理のその内在的矛盾を提示していたが、いまだ論理は信じられていた。そしてヘーゲルが論理の体系を完成させ、19世紀にマルクスがその論理を唯物史観と結びつけ、社会的に応用した。

そのマルクスの弁証法的唯物史観の理論を実践したのがレーニンだった。1917年、ロシア革命。ソビエト連邦が誕生する。初めての社会主義国。科学的ユートピア。人類の夢。 しかし、現実には、それらは始めから破綻していた。科学的・哲学的論理は現実には即適応できなかった。

ついで、科学への失望が広がった。1914年、第一次世界大戦。1939年、第二次世界大戦。科学が人々を悲惨に追い込んだ。人間に幸せな生活を提供するはずの、科学が人々を苦しめた。 1930年、ゲーデルの不完全性定理が発表される。科学の王者、数学に矛盾が内包されることが明らかになった。

1968年、パリ五月革命。1969年、安田講堂事件。1972年、あさま山荘事件、マルクス主義の物語は急速に力を失う。リオタールの大きな物語の終焉。 しかし、60年代に新たな真実が生まれつつあった。アメリカ西海岸のヒッピー文化。ロック、LSD、東洋のヨーガだった。

ロック、ヨーガ、LSD。その共通的な本質は、フィジカルな超越的真実との遭遇だ。 現実的・社会的な日常の外部に真実が存在する。そしてフィジカルを通して、その真実と遭遇する。 この探求が、外部存在としてのオカルティズムとフィジカルな内的体験を結びつけた。ニューエイジがその流れにある。

科学的・論理的存在としてのマルクス主義の破綻。そしてそれに伴う物語の終焉。 その代わりとなる希望が、文化人類学・民俗学に、そしてフィジカルなロック・LSD・ヨーガに向かった。 その成果としてのニューエイジ、オカルティズム、そして最終的帰結としてのオウム。

だから、あれは現代思想における、一大事件であったし、その出来事に役者として登場したのが中沢新一と苫米地英人だった。

2017年1月8日

オルダス・ハクスリー『知覚の扉』を読む。

オルダス・ハクスリー(1894 – 1963)は『すばらしい新世界』で知られるイギリスの作家だ。

僕が、オルダス・ハクスリーについて知ったのはドアーズ(The Doors)を介してだ。
それは、大学に入学した年だったと思う。だから、18か19の時だ。もう10年以上前の話だ。

大学に入り、ひとり暮らしをはじめると、時間軸から開放される。
それがたった4年間の話だったとしても、開放された空間を楽しむのが学生の特権だ。

当時は、iPodが広く普及しはじめた時期だった。
誰も彼もが、iPodで音楽を聞いていた。
当時のiPodは今のiPhoneやAndroidのような通信系のモバイル端末ではなかった。
僕が持っていたのはiPod Classicで、それは60GBの記憶装置を持つ小さなジューク・ボックスだった。

バーに入りカウンターのマスターにシャンディー・ガフを注文する。
一服しながら空間の隅っこにあるジューク・ボックスをながめる。
ジュークボックスに近づき、お気に入りのナンバーを探す。
クリームのWhite Room、ディープ・パープルのsmoke on the water、レッド・ツェッペリンのStairway to Heaven、そしてドアーズのLight My Fire。

そんな風に僕らは、喫茶店でマクドナルドで駅のプラットフォームで下北沢の商店街で、どこでもiPodで音楽を聞いていた。
当時、音楽を聞いていない友人がいただろうか。
”NO MUSIC NO LIFE.”
”DIVE INTO MUSIC.”
そんな言葉が、まだ生き生きして見えていた。

iPodは音楽の聞き方を変えた。TSUTAYAでCDを借りると60GBの記憶装置にあらゆる音楽を詰め込んだ。
60’s~00’sのロック、ヴィレッジヴァンガードで知ったジャズの名盤、映画の影響で聞きかじってみたストラヴィンスキーやマーラー。
あらゆる音楽の波に呑み込まれて楽しんだ。

不思議なのだけれど、音楽を集中して聞いていると、目の前に音の色をした光が現れたり、音の球体がひだまりの猫のように目の前で遊び飛び跳ねるように見えることがある。
音楽というのは直接的に、フィジカルに僕らに何かを見せてくれることがあるのだ。

オルダス・ハクスリーについて知ったのは、そんな頃だった。
ドアーズ(The Doors)の名前の由来は、オルダス・ハクスリーの『知覚の扉』だ。

『知覚の扉』というのは、もともとは詩人ウイリアム・ブレイクの以下の一説からの引用のようだ。

知覚の扉澄みたれば、人の眼に ものみなすべて永遠の実相を顕わさん

昔から、10代の頃から「存在」や「本質」を見たいと思っていた。
人々のいう「常識」や法律の授業に出てくる「社会通念」に強烈な違和感を感じていたからだ。

オルダス・ハクスリーの『知覚の扉』はそんな疑問を解くための、方法論として僕にとってヴィヴィッドなものだった。

『知覚の扉』は、幻覚剤メスカリンをオルダス・ハクスリーが実際に体験した、エッセイであり体験記である。
その中で、幻覚剤メスカリンを使用した意識状態での、芸術の見え方、人との関係のあり方、存在の仕方が描かれている。

オルダス・ハクスリーは、身体に刺激を与えることで人間固有の認識のフィルターや社会的なバイアスのフィルターを除去し、知覚の拡大をできるのではないかと考えていた。

イマニュエル・カントがいうように、人間は外部の物自体の存在を知覚しているのではなく、悟性や理性のフィルターを通して認識を行っているとすれば、人は事象そのものを把握することはできない。
つまり人は客観には到達しえないし、あらゆる人は主観で語るにすぎない。
そうした状況での「常識」・「社会通念」に不信感と欺瞞を感じるのは、どうしても避けられないのではないかと思う。

しかし、もし物理的な刺激により、人間固有の認識のフィルターや社会的なバイアスのフィルターを除去することができるのであれば、本質を体験することができるのではないか。そして、それは理想的な話に思えた。

歴史的に見れば、オルダス・ハクスリーの『知覚の扉』は、60年代の西海岸のヒッピーやハーバード大学教授だったティモシー・リアリーやジョン・C・リリーが行った運動、LSDによって意識の拡張を追求した社会的ムーブメントに、大きな影響を与えている。
意識の拡張は、個人のあらたな意識への変革と他者への共感を意味する。彼らは、新しい物語として、あらゆる人々の意識の変革を未来の社会の希望としていた。
おそらく僕はそのパロディを個人的な体験として求めていた、あるいはサイキック・ボリシェヴィキを夢想していたのだろうか。
iPodから流れる音楽と一緒に。

オルダス・ハクスリーの『知覚の扉』や西海岸のヒッピーのムーブメントは、その後もニュー・エイジなど様々な運動の起点となっている。
日本においてはその影響が、東洋思想と反資本主義の感情に結びつき、80年代~90年代前半に強烈な負の側面を露呈してしまったが。

しかし、フィジカルな体験、しかも内的な経験は、実は強烈な力を持っている。
世界のシステムはいま完全にバーチャル化した。
今あらためてフィジカルなカウンターへと歴史の振り子は向きを変えるのではないかと考えている。

2017年1月7日

村上春樹『風の歌を聴け』『ノルウェイの森』を読む。

『ノルウェイの森』をはじめに読むと、村上春樹が苦手になるといわれる。

ある空間への「入射角」というのは大事だ。
角度が浅ければ反射してしまうし、角度が深すぎるとすぐに失速してしまう。
乱反射するのも悪くはないが、できればスッと屈折することなく進むのが理想的だ。

その意味で、村上春樹の作品を『風の歌を聴け』から読み始めたのは幸運だった。
個人的には、小説を読む場合には、デビュー作から入り、次に代表作を読む、という流れがベストだと思う。

[amazon_link asins=’4062748703′ template=’ProductAd’ store=’tokyofactoryk-22′ marketplace=’JP’ link_id=’f0846055-d49d-11e6-ae0b-8bbcbcfbd410′]

村上春樹でいえば、『風の歌を聴け』から入り、『ノルウェイの森』を読んで、それから『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』『ダンス・ダンス・ダンス』と読んでいくのがいいと思う。

実をいえば、村上春樹の作品は大体読んでいる。
「ハルキスト」という言葉があり、熱狂的な信者を冷笑する人もいるが、それもあながち誤った解釈ではない。

聖書の膨大なテクストを、創世記、ヨシュア記、ルツ記、サムエル記、イザヤ書、エレミヤ書、詩篇、箴言と読み込んでいくように、気がつけば大体の作品は読んでいた。
同じような友人とは、冗談半分でこんな話をすることがある。
「もう村上春樹の新刊は慌てて読む必要はないよね。だいたい何が書いてあるのかわかるから。」

おそらく村上春樹の作品を初めて読んだのは、高校2年生の夏のはじまり、6月の文化祭のすぐ後だったと思う。
いつもどおり授業をエスケープして、高校の裏山の高台にある駐車場のベンチで、コカ・コーラを飲みながら、ケータイの電子メールで女子校の生徒とデートの約束を取り付けると、キャメルのタバコを吸いながら『風の歌を聴け』を読んだ。
強い日差しが文庫の白い紙の表面で反射し少し目にしみた。
駅ビルのスターバックスでの待ち合わせまで2・3時間ひまを持て余していた。
「まずデニーズで軽く腹を満たして、その後はホテルSUNに行こう。今日は彼女、何色の下着だろう。部屋で、冷蔵庫のビールで乾杯するのもわるくないな。」
そんなことを考えながら、軽く文章に目を通していた。やれやれ。

ところで、『風の歌を聴け』をはじめに、次に『ノルウェイの森』を、そしてその後で『1973のピンボール』という順で読んだことは、
村上春樹は1960年代の革命闘争・学生運動とその終焉を経験し、その後で喪失感の中を生きていく生活を描いたポスト・モダンな作家という印象を強く抱かせた。

フランス現代思想の旗手であるフーコーやアルチュセール、ドゥールーズが5月革命を経験して登場したように、日本のポストモダン作家の村上春樹もあの革命闘争・学生運動を経験して登場したんだというのが僕の感じ方だった。

たしかに、最近の著書には、ノンセクト・ラジカルであったことが示唆されている。
上記の順で本を読むと、その当時の作者の心象が、より鮮やかに想起されると思う。

日本におけるポストモダン。
80年代、浅田彰は『構造と力』や『逃走論』で「シラケつつノル」姿勢や「逃走」を提示した。
田中康夫は『なんとなくクリスタル』ですべてが商品・ブランド化した資本主義社会のライフスタイルをコマーシャルでビビットな表現で皮肉った。
法政大学の中核派だった糸井重里は「スカッと爽やかコカ・コーラ」「おいしい生活」というコピーを量産し、資本主義の内部で新たなライフスタイルの改革を試みた。

一方、村上春樹は、ただ社会とシステムに拒否をした。
新しいシステムに飲み込まれながら、社会については沈黙した。
そして、1995年の阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件まで、社会とのデタッチメントをつらぬいた。

デタッチメント、沈黙、それは強烈な否定だ。
作家の仕事は語ることである。その作家が語らないことを選択した。
それは単に、距離を置くというのとは違う意味を持っていたはずだ。

デートの最中で、彼女が黙ることがある。
昨日まで上目遣いで話しかけてきた後輩がある日、突然無視してくることがある。
そこには、怒り、嫌悪感、いきどおりが満ちている。

『風の歌を聴け』にはこんな文章がある。

それにもかかわらず、文章を書くことは楽しい作業でもある。生きることの困難さに比べ、それに意味をつけるのはあまりにも簡単だからだ。
十代の頃だろうか、僕はその事実に気がついて一週間ばかり口も聞けないほど驚いたことがある。少し気を利かしさえすれば世界は僕の意のままになり、あらゆる価値は転換し、時は流れを変える…そんな気がした。
それが落とし穴だと気づいたのは、不幸なことにずっと後だった。僕はノートの真ん中に1本の線を引き、左側にその間に得たものを書き出し、右側に失ったも のを書いた。失ったもの、踏みにじったもの、とっくに見捨ててしまったもの、犠牲にしたもの、裏切ったもの…僕はそれらを最後まで書き通すことはできなかった。

1960年代~1970年代、時代は大きな変化を見せた。
「意味」に大きな転換がおこり、あらゆる価値や世界観を書き換えたのだ。
人間の理性を信頼してきた近代が終わり、ポストモダンに時代は転換した。

ベトナム戦争を横目にニクソンは周恩来と握手を交わし、学生集会に集まった学生たちは就職が決まって髪を切った。
もう若くはないさと言い訳をしながら。

モダンは自ら滅んでいった。
三島由紀夫は天皇万歳を叫んで自決し、学生たちは山岳ベースの内ゲバを通して自滅した。

社会主義の神話は崩壊し、マルクスの権威は失墜した。
「革命」は希望から虚構になった。神は二度死んだ。

世界はコード(意味)を書き換えていた。
そして1980年代に、新たな価値体系である高度資本主義というシステムは完成する。

そのあいだ、村上春樹は、ただシステムを拒否し続けた。
変化する社会とのデタッチメントが村上春樹のノンだった。

そして、作り出された「価値」から形成される社会に「言葉」と「物語」を武器に一人で闘争/逃走を開始したのだ。

『ノルウェイの森』にはこんなエピソードでソサエティへの不信感があきらかにされている。

夏休みの間に大学が機動隊の出動を要請し、機動隊はバリケードを叩きつぶし、中に籠っていた学生を全員逮捕した。(‥‥中略‥‥)大学は解体なんてしなかった。大学には大量の資本が投下されているし、そんなものが学生が暴れたくらいで「はい、そうですか」とおとなしく解体されるわけがないのだ。そして大学をバリケード封鎖した連中も本当に大学を解体したいなんて思っていたわけではなかった。(‥‥中略‥‥)
ストが解除され機動隊の占領下で講義が再開されると、いちばん最初に出席してきたのはストを指導した立場にある連中だった。彼らは何事もなかったように教室に出てきてノートをとり、名前を呼ばれると返事をした。これはどうも変な話だった。なぜならスト決議はまだ有効だったし、誰もスト終結を宣言していなかったからだ。大学が機動隊を導入してバリケードを破壊しただけのことで、原理的にはストはまだ継続しているのだ。そして彼らはスト決議のときには言いたいだけ元気なことを言って、ストに反対する(あるいは疑念を表明する)学生を罵倒し、あるいは吊るしあげたのだ。(‥‥中略‥‥)彼らは出席不足で単位を落とすのが怖いのだ。そんな連中が大学解体を叫んでいたのかと思うとおかしくて仕方なかった。そんな下劣な連中が風向きひとつで大声を出したり小さくなったりするのだ。
おいキズキ、ここはひどい世界だよ、と僕は思った。こういう奴らがきちんと大学の単位をとって社会に出て、せっせと下劣な社会を作るんだ。

この後、村上春樹はセカイ系に影響を与えたという『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』や『ねじまき鳥のクロニクル』まで、社会とデタッチメントの関係を保ちながら、無意識/意識と自己/世界との境界線の物語を描いてくことになる。

そして、ある時、革命闘争・学生運動の反転したラジカル、超越と聖を求める倒錯した狂気の集団と交差するのだ。
そして1995年の事件以降、村上春樹はコミットメント(アンガージュマン)に向かっていくことになる。

重要なことは、二つある。

ひとつは、ずっと村上春樹がシステムへの拒否の姿勢を示し続けているということだ。
村上春樹はひとりで闘争/逃走を続けていた。
それが、沈黙という暗示であるか、明らかなかたちであるかを問わず、システムへの抵抗を続けていた。

そして、もうひとつ。
いずれコミットすべき時は来るということだ。

[amazon_link asins=’4062748703,4062748681,4062749114′ template=’ProductCarousel’ store=’tokyofactoryk-22′ marketplace=’JP’ link_id=’29f8efb0-d49e-11e6-8c64-6b22dac3d7d1′]

2017年1月5日

山田かまち『山田かまちのノート』『17歳のポケット』を読む。

山田かまちについて考えるとき、僕は抗いようもなく、17才の自分に戻ってしまう。

彼は、繊細で傷つきやすい、17才の青年だった。
そして、今でも17才のまま、その一瞬のかがやきを残している。

山田かまちの名前を知ったのは、まだティーンエイジャーになったばかりの頃だったと思う。僕は山田かまちと同じ高崎市で生まれ、育った。

記憶の中の高崎は、いつも風が吹いていた。
耳をすませば、ウォークマンのイヤホンを外した耳に、ヒューという風の音が響いて聞こえた。
ときおり思いがけず吹く風で砂ぼこりが目に入り、涙がにじんだ。
烏川をまたぐ長さ400メートルばかりの橋梁の上を、横風にあおられながら前のめりになって自転車で走り抜けた。
とにかく、乾いた強い風の吹く街だった。

13才~15才の抑圧されたむず痒い時期を中学校でやり過ごし、高校受験をなんとか切り抜けると、高校は山田かまちと同じ高崎高校に進学した。
そこは、かつて旧制中学だった男子校でバンカラな風土で有名だった。
たまらないくらい自由な日々だった。
まるで、すべてが許されているような気がした。
授業をエスケープして、図書館や市営のプラネタリウムで時間をつぶしたり、コパトーン(ココナッツの香りのサンオイル)を用意してプールサイドで日焼けをしたり、今はなき真下商店で駄菓子を齧りながら猥談ばかりしていた。
今思い返すと、あれは何だったのだろう。(もちろん留年しかけた。)
井上ひさしに『青葉繁れる』という小説があるが、あんな高校だった。
(余談だが、東京の大学に進学すると周囲のソフィスティケートされた立ち振舞いに、当初だいぶ戸惑いを感じた。)

三島由紀夫がどこかで「本当の卒業とは、『学校時代の私は頭がヘンだったんだ』と気がつくことです。」と語っていたように思う。いま思うと、確かに、当時は少しおかしかったように思う。

当時の僕は、タナトスの欲求に突き動かされていた。
死への欲求は、生の欲求である。
死を覚悟することによって、生の実感を得るのだ。
それはスリルの欲求であり、逆説的な快楽の衝動である。

一瞬一瞬の刹那的な生の実感を、限界まで求めていたように思う。

それは、美と超越の探求だった。
観念的で形而上学的な、存在と本質の追求だともいえる。

当時の僕を、友人は「躁鬱病みたいだった」というし、ある人は「あたまのおかしなチンピラだった」という。
おそらく、そうだったのだと思う。

ある時は女の子にどうしようもなく恋をしてライバルの男子を殴り飛ばしたり、
ある時は街のチンピラに目をつけられて追いかけまわされ必死に逃げ回っていた。

それは、刹那的な生の実感を得るための即物的な方法だった。
そして、そうすることによって実存の不安を解消していたのだ。

とにかく、当時、山田かまちの描いた絵と詩に、どうしようもなく共感してしまう自分がいた。

山田かまちは高崎高校に通う17才の時に自宅の2階でエレキギターに感電して亡くなった。
ビートルズに憧れて、ロックのサウンドに惹かれ、水彩画を描き、恋をして、詩を書いた。
そして、死んだ。

彼が17才の自分に向けたメッセージ。

感じなくちゃならない
やらなくちゃならない
美しがらなくちゃならない

当時、僕は焦燥感を抱いていた。
理由はわからない。
たぶん、そういう年齢なんじゃないかな。

あらゆる可能性があるように感じ、同時に、将来はまったく見えなかった。
エゴの肥大化と、実際の行動とのあいだには、大きな裂け目が存在した。

とにかく、何かしなくちゃいけなかった。
そうでなければ、ディオニュソス的な狂気に呑み込まれそうだった。
なにをすべきかは、わからなかったけど、とにかくエネルギーがあふれそうだった。
興奮して身体と心が震えてしょうがなかった。

もっともっと一瞬一瞬の感覚を鋭くしなければ、
もっとすべてに感動しなければ、
そしてこの瞬間を絶対的なものに純化しなければ、と感じていた。

実をいえば、いまでもこの感覚は忘れていない。
もしかすると、あの頃よりも、少しは慎重に、ほんの少しは大人らしくなっているとは思うけれど。
それでも時々、こみ上げてくるものがある。

だから、これは僕のためのメッセージでもあるんだ。

“感じなくちゃならない
やらなくちゃならない
美しがらなくちゃならない”

[amazon_link asins=’4480028153,4087484874,4480803211,4054001408′ template=’ProductCarousel’ store=’tokyofactoryk-22′ marketplace=’JP’ link_id=’d31961cd-d302-11e6-9f5c-bdba7a033042′]

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。