山田かまち『山田かまちのノート』『17歳のポケット』を読む。

山田かまちについて考えるとき、僕は抗いようもなく、17才の自分に戻ってしまう。 彼は、繊細で傷つきやすい、17才の青年だった。 そして、今でも17才のまま、その一瞬のかがやきを残している。 山田かまちの名前を知ったのは、まだティーンエイジャーになったばかりの頃だったと思う。僕は山田かまちと同じ高崎市で生まれ、育った。 記憶の中の高崎は、いつも風が吹いていた。 耳をすませば、ウォークマンのイヤホンを外した耳に、ヒューという風の音が響いて聞こえた。 ときおり思いがけず吹く風で砂ぼこりが目に入り、涙がにじんだ。 烏川をまたぐ長さ400メートルばかりの橋梁の上を、横風にあおられながら前のめりになって自転車で走り抜けた。 とにかく、乾いた強い風の吹く街だった。 13才~15才の抑圧されたむず痒い時期を中学校でやり過ごし、高校受験をなんとか切り抜けると、高校は山田かまちと同じ高崎高校に進学した。 そこは、かつて旧制中学だった男子校でバンカラな風土で有名だった。 たまらないくらい自由な日々だった。 まるで、すべてが許されているような気がした。 授業をエスケープして、図書館や市営のプラネタリウムで時間...

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辻仁成『そこに僕はいた』『音楽が終わった夜に』を読む。

辻仁成について語るのはムヅカシイ。 まず、辻仁成のキャラクターが奇異だからだ。 元ECHOESのボーカル、中山美穂の元ダンナ、バラエティ番組に出ている「中性化」した長髪のいい年をした大人。 ただ、それでも僕にとっては、10代のある時点で、辻仁成の本を読み、ECHOESのサウンドを聴き歌詞カードを読んだ、そして精神的な何かを形成した、そのことにはどうしても否定できないものがあった。 辻仁成の本では芥川賞を受賞した『海峡の光』や『サヨナライツカ』『冷静と情熱のあいだ』がよく読まれているのだろうか。 小説では『グラスウールの城』『母なる凪と父なる時化』『ニュートンの林檎』を楽しんだ記憶がある。 けれど、僕にとって特に新鮮な刺激だったのは、エッセイの『そこに僕はいた』『音楽が終わった夜に』だった。   内容紹介 大人になった今、毎日楽しみにしていた学校はもうない。でも友達は、僕が死ぬまで大切に抱えていける宝物なんだ――。少年時代を過ごした土地で出会った初恋の人、けんか友達、読書ライバル、硬派の先輩、怖い教師、バンドのマドンナ……。僕の人生において大いなる大地となった、もう戻ってはこないあの頃。...

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石原莞爾『世界最終戦論』『戦争史大観』を読む。

石原莞爾という名を聞いたことがあるだろうか。 学生時代に歴史科目が好きだった人は覚えているかもしれない。 関東軍の参謀であり、柳条湖事件・満州事変の首謀者であり、満州国建設の中心人物である。独自の戦争史観と日蓮宗系の国柱会の思想をもとにした「世界最終戦論」という軍事思想と戦略の巧みさで有名だ。 思えば、当時の日本には力強い思想家が少なからずいたように思う。 たとえば石原莞爾がそうであるし、2・26事件の北一輝や血盟団事件の井上日召、あるいはコーランの研究で有名な大川周明、京都学派の西田幾太郎や禅文化の海外発信で有名な鈴木大拙などがそうだ。 僕が石原莞爾について知ったのは、中学生の頃だったと思う。日本史の参考書を読んでいた時だ。 認めるのは恥ずかしいことだが、10代の若者がナショナリズムに触れれば、それなりに感化される。 石原の、戦後の極東軍事裁判での以下のような裁判の記録を読んで妙に納得したのを覚えている。 この出張法廷では、判事に歴史をどこまでさかのぼって戦争責任を問うかを尋ね、「およそ日清・日露戦争までさかのぼる」との回答に対し、「それなら、ペルリ(ペリー)をあの世から連れてきて、...

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僕はこんな本に影響を受けてきた

本には不思議な力がある。 それは、想像をかき立てるからであるし、思考をつかさどる言葉の性質によるものだと思う。 そして、本こそがもっとも思想を形成するものではないかと考えている。 僕は思想というものを、人間のOSだと考えている。 コンピューターでいうところのWindowsやLinux、UNIXといった意味でのOSである。 優れたOSは優れた処理をすることができるし、柔軟なOSは様々な状況に対応する姿勢を持っている。 人間にとって、OSの役割を果たすのが思想なのだ。 優れた思想は行動を後押しし、状況に対応する力を与えてくれる。 そして、強い思想には人を動かす力がある。 キリスト教は聖書の力により2000年の歴史を作ってきた。 マルクス主義もマルクスやレーニンの著書による功績は大きい。清濁併呑。 イスラム教のコーランや原理主義書の『道しるべ』もそうであろうし、 ジーン・シャープの『独裁から民主主義へ』もそうだろう。 僕はどんな本を読んできただろうか。 そして、その本からどんな影響を受けてきただろうか。 今から振り返れば、恥ずかしいものもあるだろう。 けれど、必死に読み込んだ本があったはずだ...

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『ゲンロン4 現代日本の批評III』を読む。

評論・現代思想の雑誌『ゲンロン4』を読み終えた。 読み終えて、評論や現代思想の課題は「多様化し点として分散化した人々を、いかに線としてつなぐのか。いかに孤立した大衆を、マルチチュードとして連帯に導くか。そこから、(マルチチュードの)自律した主体としての一般意志をいかに導くか。」ということではないかと考えた。 そして、そのためには人を育て空間をつくり、流れ(運動、短期的な政治運動ではなくエネルギーや共有意識の流れ)を生み出すことが必要である。 東浩紀さんのゲンロンは、まさにそのための実践をしているのではないかと思う。 ゲンロン4の巻頭は、浅田彰さんのインタビューであった。浅田彰さんはポストモダンやニューアカの旗手であり80年代思想のリーダー的存在だ。ニューアカというと、今ではバブル崩壊前の浅薄な思想だったと捉えられがちだ。だが、その実は資本主義礼賛や広告・商業主義への転向、あるいは反マルクス主義や反革命的なものではなく、むしろ新たな闘争(逃走)を提起していたというのが、あらためてよく分かるインタビューだった。 考えてみれば、フランス現代思想のフーコーやアルチュセール、ドゥルーズもパリ5月...

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最近の村上春樹について書かれた文章で「おっ!」となったものを紹介。

今年ノーベル文学賞1週間遅れてるんだけど 果たして村上春樹が取るのだろうかというところで、 僕個人としては村上春樹という作家には何の思い入れもないのだが(刊行された小説は全部読んでいて何の思い入れもないのだからおもしろい)もしかすると今年あたりさらっと取る可能性があるのではないかと思っているので、 最近の村上春樹について書かれた文章で「おっ!」となったものを紹介。 ※完全なる引用・転載です もし明後日取ったらみんないいねしてね。 それまではしなくていいから。 ➀「ノルウェイの森」と「君の名は。」 東浩紀 ひと月ほど考え続けた結果、ぼくは、「君の名は。」はたいへんな傑作であり、ぼくがいままで擁護してきた価値観を見事に体現した作品でもあるが、いまのぼくとしては絶対肯定できない作品だという結論に達した。言い換えれば、この作品に行き着いたセカイ系の想像力を肯定できないという結論に達した。 — 東浩紀 (@hazuma) 2016年10月5日 連動して呟けば、ぼくはいままで村上春樹を高く評価してきたし、それ自体はまちがいでもないと思うが、かつて1990年代、「ノルウェイの森」の後の春...

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マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読む

マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』という本を読んでいる。 これは、もっと早く読んでおくべきだった。 できれば社会人になる前に。 近代以降、社会は資本主義のシステムで動いているといって良いと思う。 マルクス的な発想で言えば、資本主義を下部構造として、その上部構造として現代の社会の制度や人々の価値観は存在している。 人間や人生の価値でさえ、どれだけ富を得ることができるかによって、定義される部分がある。 しかし、なぜこういった状況は生まれたのか。 マルクスは唯物史観に基づき、自然科学的に原始共産制 ⇒ 奴隷制 ⇒ 封建制 ⇒ 資本主義 ⇒ 社会主義 ⇒ 共産主義へと歴史は発展すると定義した。 現代は、自然科学的・歴史的な理由から、資本主義社会であるというのだ。 そして、労働者は階級意識を明確に持ち、科学的・歴史的進歩のために、革命闘争をしなければならない。 しかし、マックス・ウェーバーは、まったく別の論理で説明をしている。 資本主義の発展は、労働と敬遠に重きを置くプロテスタントの精神を基礎として、その結果だというのだ。 16世紀にルターやカルヴァンによる宗教...

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『愛するということ』 エーリッヒ・フロム

愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない。そのなかに「落ちる」ものではなく、「みずから踏みこむ」ものである。 愛は技術だろうか。技術だとしたら、知識と努力が必要だ。それとも、愛は一つの快感であり、それを経験するかどうかは運の問題で、運がよければそこに「落ちる」ようなものだろうか。この小さな本は、愛は技術であるという前者の前提のうえに立っている。しかし、今日の人びとの大半は、後者のほうを信じているにちがいない。 愛は何よりも与えることであり、もらうことではない。 たくさん持っている人が豊かなのではなく、たくさん与える人が豊かなのだ。 愛は、影響力のひとつだ。 ヒューマニズムによる、影響力の行使を愛と呼ぶ。 影響力は、はじめから存在するものではない。 他者に影響を与えるという行為によって、結果としての状況の変化を、影響力と呼び、その時影響力は発現する。 愛もまた、はじめから存在するものではない。 他者を受け入れ、そして与えるという行為によって、生じる。 影響力を持つためには、影響力を持つ人だと評価される必要はない。 影響力を持ちたいという、欲求さえ不要である。 必要なのは、他者に影響を...

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27歳からの読書のすすめ

あるBarでの会話 店主「どこでこの店知ったんだい?」 男 「店のまえを歩いていたら、ブコウスキーのポスターが貼ってあったので。それで、実は前から興味を持ってたんです。」 店主「そうかい。ブコウスキー好きなの?」 男 「好きですねェ。ブコウスキーは、だいたい読んでます。」 店主「ブコウスキーじゃ、何が1番好き?」 男 「1番ですかァ。そうですね。僕はやっぱり『ありきたりの狂気の物語』かな。」 店主「なるほどねェ、俺は『ポスト・オフィス』っだなァ。俺のね、おすすめのブコウスキーの読み方はね、自分の齢の時に書かれた本を読むってことだね。それが1番見るべきものが、はっきり見える頃あいってもんなんだ。若いやつにはね、若い奴の気持ちがわかるし、ジジイにはジジイの気持ちが1番よくわかるもんなんだよ。」 今日、渋谷のBarで耳にした会話です。 ブコウスキー好きが盛り上がる渋谷というのも、なんとも意外なものだなと思います。 店主の見解によれば、小説というものは、例えば 自分が27歳・28歳のなら、作家が27歳・28歳の時に書いた作品を読むと身に染みてよく理解できるということです。 僕も来月28歳になる...

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『知覚の扉』 オルダス・ハクスリーと認識論

オルダス・ハクスリーについて つい最近、本当にひさしぶりにオルダス・ハクスリーの本を読み返した。 オルダス・ハクスリーは、『すばらしい新世界』というディストピア小説(ジョージ・オーウェルの『1984』的なもの)や、ジム・モリスン率いるドアーズのバンド名の由来となった『知覚の扉』で有名なイギリスの作家だ。 歴史的に見れば、オルダス・ハクスリーの『知覚の扉』は、60年代の西海岸のヒッピーやハーバード大学教授だったティモシー・リアリーやジョン・C・リリーが行った運動、LSDによって意識の拡張を追求した社会的ムーブメントに、大きな影響を与えている。 『知覚の扉』 『知覚の扉』は、幻覚剤メスカリンをオルダス・ハクスリーが実際に体験した、エッセイであり体験記である。 その中で、幻覚剤メスカリンを使用した意識状態での、芸術の見え方、人との関係のあり方、存在の仕方が描かれている。 オルダス・ハクスリーは、身体に刺激を与えることで人間固有の認識のフィルターや社会的なバイアスのフィルターを除去し、知覚の拡大をできるのではないかと考えていた。 イマニュエル・カントがいうように、人間は外部の物自体の存在を知覚...

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小阪修平の哲学 – 全共闘、三島由紀夫、吉本隆明、村上春樹 –

かつて、いわゆる「オルガン派」「マルクス葬送派」という思想家の中心的人物として、小阪修平がいた。 僕は、現代思想の入門書を小阪修平の著作を通してはじめて読んだ。 小坂修平は、東大全共闘を経験した世代で、三島由紀夫と討論を行った人物の一人であった。 そして、世代の責任として「連合赤軍」の問題を総括し続けた稀有な人であった。 彼らの世代で、「連合赤軍」の問題をきちんと総括し続けたのは、村上春樹と小坂修平くらいだろうと思う。 一般に、全共闘世代や団塊の世代は敬遠されがちである。 しかし、僕は全共闘世代が自己否定と解放区の中で辿り着いた地平というのは、むしろ思想的に重要なところまで到達していたのではと思っていて、けれども、結局それを総括して語ることができず次の世代に引き継げなかったのは残念ではあった。 三島由紀夫vs東大全共闘 言葉をめぐる冒険 村上春樹の『羊をめぐる冒険』の羊は、西洋哲学・現代思想の言葉でいえば「形而上学」そのものなのだろうと感じている。 人に幻想を抱かせ操るもの。 だからあの物語は『言葉をめぐる冒険』と名付けることもできる。 完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶...

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村上春樹と三島由紀夫

三島由紀夫から村上春樹へ 『羊をめぐる冒険』の羊は、西洋哲学・現代思想の言葉でいえば「形而上学」そのものなのだろうという思いが、ふと湧いてきた。人に幻想を抱かせ操るもの。 だからあれは『言葉をめぐる旅』と名付けることもできる。 “完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね” 形而上学の果てともいえる「1960年代」近代の終焉に起こったのが若者たちの”知性の叛乱”だった。 それは形而上学=哲学=理性を、=現実たらしめるための進歩主義的革命だった。 しかし、「僕」はその中で彼らイデオローグたちの「言葉」の欺瞞に気づき、それとの闘争/闘争を開始する。 村上春樹と同世代、全共闘世代の小阪修平は言っている。 “同世代の一番優秀な奴は滅んだか、半ば廃人になった” 「羊抜け」だ。小阪修平もなかば離人症のようになったと言っている。 革命の終わりの時代、1970年代の雰囲気は想像がつく。 1970によど号ハイジャック事件、1971-1972には連合赤軍事件。 文化面では、1972『木枯らし紋次郎』、1973『氷の世界』、1974『傷だらけの天使』、1975『僕たちの失敗』、1...

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滝口悠生『愛と人生』を読んで考えること

3月11日ですね。 あれから4年、早いのか遅いのかその判断が遠のく辺りに震災の風化を現実のものとして感じてしまいます。(個人の意見です) 今日ある小説を読み終えました。 とても偶然にその本の最後には、それまでとは何の脈絡もない形で震災を思わせる記述がありそれによって今僕はこれを書いています。 だから、今日僕がその本を読み終わらなかったらここにこれを書くことはなかったでしょう。 今日、地震が起こった14時46分に黙祷を捧げたり自身のSNSに書き込みをした人が多くいたと思います。 その中に一つ興味深いツイートを見つけました。 呟いた人(ある文芸批評家の方です)の名は伏せて転載させて頂きます。 「2万人近くの死、というのも、よくわからない。交通事故であれなんであれ、人が死ぬのは哀しいだろう。しかし、知らない二万人よりも、家族とか親しい一人の死の方がつらくないかね。(中略) 集団の死を、集団で慰霊するということの意義が、リアリティを持った形で想像できないというか、それは一体どういうことなのか? っていう本質が未だにわからない。親しい人を喪った人の気持ちを想像する。これはわかる。それが数万人分。...

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感銘を受けた本ベスト10

ようやく書き終わりました。 去年発売された中で個人的に感銘を受けた本のベスト10です。 今回は小説にしぼってます。 10位 キャプテンサンダーボルト 伊坂幸太郎/阿部和重 著 図書館では借りれそうになかったので、去年唯一購入した単行本小説。 人気作家2人が4年かけて900枚も書いたと発売前には特設ページなんかも作られ、書き下ろしの本に読む前からこんなにも興奮したのは久しぶりでした。 一番の特徴は、なんといっても共著であること。 これまでも話題になった共著というのは幾つかありました。 今ぱっと思い浮かぶのは、江國香織と辻仁成の『冷静と情熱のあいだ』ですかね。同じく14年に出版された中田永一(乙一)と中村航の共著『僕は小説が書けない』は、芝浦工大が開発した「物語生成支援ソフト」というものを使って書かれた本筋とは若干違う話がしたくなる書き手の存在の問題に切り込んだ作品でした。タイプは異なれど本作同様話題になった共著と言えるでしょう。 ただこの作品は、共著という形を取りながらも従来の章ごとに作家が交互に書いていくというようなスタイルを採用しません。 ゆえに読んでいても一見何処をどちらが書いてい...

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芥川賞についての定期投稿

さて今回は候補作を読み終わった芥川賞についての定期投稿です。 前回の第150回記念は、事前の高い評判を押し切って小山田浩子『穴』が受賞。 読む前はどうせ小山田だろうと思ってましたが、作品を丁寧に一つ一つ読んでいくと意外と他の候補作も良くできていて、山下澄人『コルバトントリ』なんかは受賞に肉薄するのでは(願望を込めてですが)なんて思っていました。 そんなことも含め、下馬評通りの結果に物足りなさを感じたのですが、だんだんと今の選考委員の傾向も顕れてきているのかなと思ったりしています。 今回は第151回になります。まずは候補作の紹介から。 戌井昭人  「どろにやいと」(群像1月号) 小林エリカ 「マダム・キュリーと朝食を」(すばる4月号) 柴崎友香  「春の庭」(文學界6月号) 羽田圭介  「メタモルフォシス」(新潮3月号) 横山悠太  「吾輩ハ猫ニナル」(群像6月号) 毎度おなじみの顔ぶれからちょっと意外な候補者、そして候補作が出揃う前から恐らく受賞が濃厚と純文学界隈でかなりに話題になっていた新人賞受賞者までといったところです。 前回明らかになったように、芥川賞の選評には下馬評の強さという...

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芥川賞選評

さて今回は候補作を読み終わった芥川賞についての定期投稿です。 前回の第150回記念は、事前の高い評判を押し切って小山田浩子『穴』が受賞。 読む前はどうせ小山田だろうと思ってましたが、作品を丁寧に一つ一つ読んでいくと意外と他の候補作も良くできていて、山下澄人『コルバトントリ』なんかは受賞に肉薄するのでは(願望を込めてですが)なんて思っていました。 そんなことも含め、下馬評通りの結果になんとなく面白くなさを感じたのですが、だんだんと今の選考委員の傾向も顕れてきているのかなと思ったりしています。 今回は第151回になります。まずは候補作の紹介から。 戌井昭人     「どろにやいと」(群像1月号) 小林エリカ    「マダム・キュリーと朝食を」(すばる4月号) 柴崎友香     「春の庭」(文學界6月号) 羽田圭介     「メタモルフォシス」(新潮3月号) 横山悠太     「吾輩ハ猫ニナル」(群像6月号) 毎度おなじみの顔ぶれからちょっと意外な候補者、そして候補作が出揃う前から恐らく受賞が濃厚と純文学界隈でかなりに話題になっていた新人賞受賞者までといったところです。 前回明らかになったよ...

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芥川賞・直木賞予想

遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。 最近寒いですね。毎日「今年一番の寒さ」って言葉聞いてる気がしますが、ずっと寒いのであんま変に煽らず、そっとみんなで耐えたいと思うものです。 さて、早速今年一発目の長文。 記念すべき第150回の芥川賞・直木賞の発表が明日の16日に迫っています。 そこで、今回も候補作を前読みしちゃって受賞作を予想しよう的なやつです。 もうここ5年ぐらいやってますが、受賞作が決まるのが半年に1回なのでまぁ毎回こんなひっそりとしてます。ただ、個人的にはここ4回全部受賞作当ててたりするので、読書の参考にでもしてもらえればうれしいなと思います。 ちなみに直木賞候補は今回も人気で借りれなかったので、いつものように大賞が決まった後にゆっくり読もうと思っていますゆえ、ここでは触れません。ご容赦ください。 早速、今回の候補作から。 いとうせいこう 「鼻に挟(はさ)み撃ち」(すばる12月号) 岩城けい  「さようなら、オレンジ」(太宰治賞2013) 小山田浩子  「穴」(新潮9月号) 松波太郎  「LIFE」(群像7月号) 山下澄人 「コルバトントリ」(文學界10月号) ...

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芥川賞候補の個人的な選評

今季の芥川賞候補の個人的な選評です。 興味ない人しかいないと思いますが、無視して下さい。 総論からいくと、やはり直木賞の候補作が粒ぞろいな分、芥川賞は候補作の時点でやや引けを取ってるように感じざるを得ないです。 純文学の価値とは何かという事を考えたときに、考えさせる、結論を委ねる、とういう長所があると思います。選択される事の決して多くない純文学の逆襲、それを感じられる作品が自ずと魅力のあるものとして選ばれるのだろうと今回は特に感じています。 候補の5作品はいとうせいこう『想像ラジオ』を除き、全て怒らく原稿用紙100枚以内だったと思います。癖のある作品も多くなかったので5作品は3日ぐらいで読み終わってしまったのですが、最近の忙しさと、なぜか忙しい合間をぬって指原莉乃論を5000字ぐらい書いてしまうという馬鹿馬鹿しい事態に見舞われて、発表が明日に迫った今こうやって急ぎ足で書いています。 読んだ順に書いていきます。   1、戌井昭人『すっぽん心中』 三人称小説です。舞台は東京。あらすじは、主人公の田野という人が、追突事故を起こされ首に怪我を負って、運送の仕事が出来ずにリハビリをして...

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惜日のアリスとはあの子のことだって、今でも、そう思う。

坂上秋成『惜日のアリス』読み終わりました。 僕はこの本を、読むまでの期待感で言えば今年一番なんじゃないかという事を色々なところで言っていました。 ただ、読み終わった直後には、とっておきの感想が浮かんだり、これについてもっと自分なりの解釈を付けようなんていう気はあまり起こらず、でも、期待はずれに落胆したということもなく、終わったあとも長く物語の世界に居させてくれるんだなとぼんやり考えていました。 僕は小説の感想を書くにあたっては、よくプロットとかロジカルな構図を洗い出し、それが今に書かれた事にどの様な作用となるかという事を一番に考えます。 もっと簡単に言えば、構図や文体、主人公の心的描写や風景描写から感じる色彩や音量や 匂い。そんな部分に作家の特徴は顕著に現れるので、そこを端緒に自分が思ったことをくっつけていくようなやり方をしています。 もちろんこの作品も、特徴としてジェンダーについてだったり、各章の分量(物語の区切り方)だったり、会話の中の春樹のような文体だったり、読んでいればすんなりと感じれる異変というのを幾つか上げるのは容易だと思います。そしてそれを切り口に上手く流れを作って、物語...

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大江 健三郎『芽むしり仔撃ち』を読む。

この作品を読み始める前に大島渚の『太陽の墓場』という映画を見て、ひどく感動したのだが、よくできてるが故に、一昔前の作品(これは映画に限った事ではないが)に纏う現代との齟齬を強く感じた事があった。 しかし、この作品は戦時という背景で物語を構成しているにも関わらず、それが現代においても通じるものを数多く内包していると感じる事ができる。それは大江健三郎という類稀なき才能を有する書き手のなせる技であり、その部分に終始衝撃を受け続けた。 ここまで丁寧に日本語を操り、丹念な描写で村を描し、少年たちの小さな心に宿る感情を描し、その悲壮なまでの結末を描す事は容易な事ではない。それは読者の五感を揺さぶり、完全に物語の中に読者を溶け混ませる事となろう。 久しぶりに本の強い力を感じた作品であった。...

戌井 昭人『ぴんぞろ』を読む。

上半期の芥川賞候補作で唯一読んでいなかった作品なので、これが取ったらどうしようもないなと思っていたら、結局この回は受賞作無しに決着したので、自分的には何の責務も負ってないにも拘らず危難を逃れたつもりでいました。ただ、受賞作無しのなかでも本作は評価が高かったのでなんとなくその後も心残りで、単行本にもなっていた由縁、この前ふらっと図書館で借りてみました。 彼の本は今まで読んだ事がありませんでした。 出だしから言葉選びが丁寧で、舞台となる下町の浅草や場末の温泉郷の雰囲気をきちっと踏まえている文章が貫徹されていたので、作品の空気に馴染みやすく読み進めることができました。特に彼の文章が作り出す浅草の風景は田原町の駅を出たところから自分がそこを歩いているかのように音や匂いが伝わり、それが媚びる様でもなく妙に凝った違和感もなく、控え目ながらまさにそのままを味わっている雰囲気にさせてくれました。物語の展開としても余計な寄り道をせずスムーズに流れ結果として終いまで作品のつくる雰囲気を味わえるように出来ていたと思います。 とある劇作家がふとした事件に巻き込まれ、場末の温泉郷に住み込みでストリップの前座をや...

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今村 夏子『こちらあみ子』を読む。

小学校から中学の卒業までの「あみ子」というひとりの女の子について描かれた物語。 そのあまりに純心で無垢ゆえの「あみ子」の言動は、周りにいる両親や兄・クラスメイトを常に傷つけ、悲しみの底に落とし、挙句の果てに遠ざけてしまう結果になってしまうのです。それでもあみ子は構いません。 いつでも真っ直ぐに生きるあみ子の「こちらあみ子」という投げかけに、返答する声は果たしてあるのか。 デビュー作で太宰賞と三島賞をダブル受賞した異色の物語、必読です!...

映画 「村上春樹『風の歌を聴け』」(1981年製作の映画)

村上春樹の処女作「風の歌を聴け」の実写化作品。 ストーリーとしては原作に沿って作られているけれど、部分的に映画オリジナルの場面も加えられている。 はっきり言って映画として前衛的で実験的な作風だから好き嫌いは大きく別れると思う。 原作に思い入れのある人は、配役、特にジェイと鼠に対して激しく不満を持つかもしれない。 けれど、それはかつて村上春樹と同窓生であった監督の、極めて現実的で、とてもリアルな描写なのだろう。 作品の完成度は決して低くない。 一見の価値ありというより、見返すと価値を再発見することが出来るタイプの良い作品だろう。 ちなみに小指のない女の子役の真行寺君枝は村上春樹の短編集「カンガルー日和」のタクシーに乗った吸血鬼で血の美味しそうな女優にその名をあげられていた一人である。...

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