『ダンケルク』をもう一度劇場で

クリストファー・ノーランの監督作品をそんなに観たわけではないけれど、一部の映画ファンのように強い反発を覚えるわけでもなく、すごく好きというわけでもなく。特に思い入れはなかったので、この映画をまさか4回もリピートするとは思わなかった。 遠いな、と思った。揺れる(響く)な、と思った。それから、追われてるな、と思った。 遠さが最初の印象だった。カットされたバージョンでしか観ていないので広さについてはなんとも言えないが、常にはるか向こうが映っている画面の奥行に何か異様なものを感じた。風通しが良すぎて息が詰まりそうだった。冒頭の、無音で紙が降ってくるひと気の無い市街地。そこからいきなり銃撃が始まり、路地を抜けた先は大勢の兵士が並ぶ砂浜だった。このシーンの鮮烈さで映画に引き込まれていた。 空の奥行、浜辺の奥行、広さというか、向こうがずっと先まである。このスケール感と、船の中の密閉感の怖ろしい落差。 「大きさと小ささは瞬時に入れ替わる。細部を意識した眼で広い空間が描かれ、広い空間を意識した眼で細部が描かれるのだ。この反復が勤勉なため、映画はけっして雑にならない」(芝山幹郎『大きな映画を、マイナーポエ...

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『港町』で観察映画に初めて触れた

想田監督作品では『選挙』が一番好きだが、監督の作品で初めて観たのは『港町』だった。渋谷のイメージフォーラムでの上映だった。観終えて出てきたら渋谷の街が静かで、全然違う場所なのにまだ映画の中に居るような不思議な感覚を今も覚えている。 観察映画というジャンルに触れること自体、この作品が初めてだった。 牛窓という瀬戸内の漁師町。映されるのは人々の生活する姿。本当に、ただ生活を撮っている。にもかかわらずそれが美しく見える瞬間がある。 現在という感覚を喪失させるモノクロの画面。時間のグラーデションというか、いくつもの時制を行き来している感じがする。撮っている人間が、撮りながらその光景に入り込んでいるからか、映画の見え方が違う。横にも後ろにも牛窓の光景が広がっている気がしてくる。機械が作動しているのを見るのが気持ち良くて、いつまでもぼーっと眺めてしまう。そして魚の経済。漁師から、卸売りから、魚屋から、近所への配達から、買って帰る人たちから、猫へ。牛窓の営みの終着点が猫のような。人間が居なくなった後も猫がいるんじゃないか、猫に生まれ変わっていくんじゃないかと思わされる。モノクロの日光は終末の後の光に...

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今日は『ウィーアーリトルゾンビーズ』見る。それだけで大丈夫。

川崎にタラちゃんの映画観に来たらいっぱいだったので、喫茶店に入り『ウィーアーリトルゾンビーズ』観た。 観に行かなきゃと思いながらも時間が作れず、こうやってたまたま無料で観られてしまったことに申し訳なさが残る。 『そうして私たちはプールに金魚を、』も無料で観てるんだよな。 『ウィーアーリトルゾンビーズ』面白かった。 冒頭から長久監督の作品性を象徴するキレキレの映像の連続。あの映像は恐らくあらかじめ監督の脳内にあるものので、その感性と忠実な再現性こそがこの作品の一番の魅力であることは間違いないし、前作もそうだった。 ゾンビをテーマに据えた物語の部分に関しては独自の解釈に欠ける部分もあったかと思うが、両親を亡くしたのに全く泣けない子どもが4人葬儀所で出会ってという設定から、彼らの話題に乗っかり金を稼ごうとする大人やそれを考えなしに消費する大人、一連の騒動でターゲットになって死ぬ大人のふとした瞬間の死にかけた目がゾンビのメタファーであることと、そこから子どもたち4人は何度となく親や周囲のこんな目を見てきたからこそ感情が失われてしまったのだなということが伝わってきた。 彼ら4人が今後どういう選択...

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天気の子

何もかもが間違っていて、それゆえに正しいと思わせる映画だった。平成最後の夏も過ぎた後にこんな堂々としたセカイ系をぶつけられるとは思わなかった。最初から最後まで瑕疵が目につくのに不思議と嫌いになれなかった。 そもそもの印象はマイナスから。元々新海誠の作品は好きではなかった。甘い感傷に浸っているように思えたし、東京(都会)の過度な美化にいちいち引っかかってしまった(特に『君の名は』に出てくる高めの価格設定のカフェで駄弁る男子高校生たちの描写が嫌いだったのだけど、これについては他人から賛同を得たことがないので私の感覚がおかしいのかもしれない)。 なので『天気の子』についても最初は「また東京に出てくる話かよ・・・」と思っていた。 あと非常にどうでもいいことだけど少年を「少年」呼ばわりするフィクション特有のアレも居心地が悪かった。オタク的なサービスシーンのあれこれも一般向け大作で良くやるなあと感心もしつつ気恥ずかしくなった。 しかし、にもかかわらずこの作品は面白かった。 一言で言えばそれは開き直りだ。世界を壊してしまっても構わないという開き直り。プラス、壊れた世界を受け容れること。 ヒロインが異...

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いまさら『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』

公開から1ヵ月以上経ってしまったがやはり感想は書いておこうと思った。なんであれ2年間待ち続けた映画だから。 正直に言うとこの映画を初めて観た時、少なからず戸惑ってしまった。これが観たかった!という満足感と同時に、観たかったのはこれだった?という違和感もあった。 唐突だが、怪獣映画はファーストコンタクトと怪獣バトルの大きく2つに分けられる。 ファーストコンタクトの古典ははたとえば第1作目の『ゴジラ』で、この作品は怪獣という未知との遭遇によって起きた変化を描いている。 だがゴジラ映画が語ってきたのはそれだけではない。第二作の『ゴジラの逆襲』から現在に至るまで、ゴジラと敵怪獣の戦いが何度も何度も繰り返されてきた。 近年の作品で言えば『シン・ゴジラ』は前者について様々な先行作品を引用しアップデートした。それに対して『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』は後者の最新型だ。 この映画は怪獣の出番を出し惜しみしない。冒頭のモスラの誕生から南極でのゴジラ対ギドラ、メキシコでのラドン・ギドラ・ゴジラの交戦、ゴジラ復活、そして最終決戦へ。人間ドラマなど知るかと言わんばかりに、話がダレる間もなく怪獣が現れる...

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映画『ホットギミック ガールミーツボーイ』

まだ2週目だけど入りが悪く気づいたら終わってるかもと先輩に言われたが、確かに今日の渋谷もガラガラだった。 世の中が山戸結希の凄さに気づいてないのは仕方ないが、こういう若手女性監督が撮った映画が盛り上がらないのは邦画にとってとてつもなくマイナスだと思う。 僕は山戸監督の前作「溺れるナイフ」の強烈なエネルギーに圧倒され、その時から次回作を心待ちにはしていて、その次回作を乃木坂の掘で撮ると発表された時に、正直傑作の予感しかしないと思ってた。 堀の話をすると先に進まないから割愛するけど、アンチも多い堀を僕はアイドルとして評価してる。 で、ここからが映画の感想なんだけど、結論、凄い映画だった。 僕の基準から好き嫌いを決めると「溺れるナイフ」には及ばないけど、それでもこの映画は山戸結希にしか撮れないだろうし、その作家性が前作より一回りも二回りも大きくなったのは確かだと思う。 彼女の映画を撮る上でのポリシーというかルール(この前のセブンルールにも出てたけど)、ここを突き詰めた作品だった。 若い女の子(や男の子)をその時の状態でフレッシュに切り取るとどうしても心と身体の不一致から物語として成立しない部...

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『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』の予習の記録 ―― ゴジラ作品総レビュー

『ゴジラ(1954)』 「現実」に初めて侵入してきたゴジラ。小さい頃は苦手だったけど、何度も観返すにつれて良さがわかった。今ではオールタイムベスト。哀しく怖ろしく格好いい、怪獣のすべてがある。燃える都市の向こうに巨大な影が見えるどこか夢の中を思わせる不思議な情景が印象的。 このゴジラは古代生物と伝説上の怪物と人間の手によるミュータントという三つの異なる顔(出自)を併せ持っている。栄光丸が沈み、探査に向かった船も沈み、それを救助した漁船も沈み、そこから一人生き残った大戸島の若者もゴジラに踏み潰される。誰も生き延びられない連鎖が怖い。 『ゴジラの逆襲』 1作目よりも手探り感が強く、歪で、それゆえに意外な面白さもある怪作にして快作。怪獣プロレスが存在しなかった時代の怪獣バトルは、意図しない早回しや、噛み付きなどの動物的なリアルな格闘、クライマックスではなく中盤に持ってくる構成など、怪獣映画のフォーマットが確立された現代では見られない描写が新鮮。前作の映像が無音でただ上映される会議室や、やけに時間をかけて描かれる宴会など、必要性のわからないシーンが妙に面白い。乱杭歯が不気味なゴジラの造形や凍結...

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映画『芳華 Youth』

中国という国は、いままさに激動の時代を駆け抜け興隆の頂点にあるといってもよいだろう。 激動を駆け抜けた中国では、また現在から過去を遡行し、そこから現在を見つめるといった物語が描かれるようになっている。たとえば、90年代以降の社会主義市場経済以来の大河を描いた『山河ノスタルジア』や『后来的我们(僕らの先にある道)』がそうだろう。 過去を振り返るときにどうしても胸につかえるような出来事の記憶というものがある。 日本にとっては、かつての第二次世界大戦や左翼的闘争の記憶というものがそうであるように、中国にもしこりのような記憶となっているものがある。文化大革命がそのひとつである。 文化大革命を行使した毛沢東の評価も現在では両価的なものとなっている。それは周恩来が国民のだれからも愛される人物として記憶されていることと対象的である。 過去を振り返るときに、どうしても見返さなければならない問題としての文化大革命。近年、その時代を描いた作品も多く作られるようになった。たとえば、チャン・イーモウ監督の映画『サンザシの樹の下で』『妻への家路』あるいは同じくチャン・イーモウ監督が現代の中国を代表する作家 余華...

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『イップ・マン外伝 マスターZ』

 ブルース・リーの師としても知られる葉問(イップ・マン)の生涯をモデルしたカンフーアクション『イップ・マン』シリーズのスピンオフ。シリーズ3作目の『イップ・マン 継承』でドニー・イェン演じるイップ・マンと激闘を繰り広げた詠春拳の達人チョン・ティンチ(マックス・チャン)が今作では主人公になる。  『イップ・マン 序章』から今作までストーリーは毎回一緒だ。家族や市井の人達とささやかながら幸せに暮らす主人公が、トラブルに巻き込まれ、生活を失う。その背後には街を牛耳る外国人(『序章』では旧日本軍、『継承』ではアメリカ人、『葉問』『マスターZ』ではイギリス人)と、彼らの言いなりになっている地元の警察やチンピラがいる。映画の前半でチンピラとの大立ち回りがあり、主人公と家族が絆を深める描写があり、やがて誰かが死ぬ。ついに立ち上がった主人公が詠春拳の技で悪い外国人に一騎打ちを挑む。主人公に感化され、地元の警察も反旗を翻す。だいたいこんな流れである。  このシリーズの魅力は何と言っても、主役を演じるドニー・イェン、今作ではマックス・チャンの、超絶技巧の詠春拳と、手を変え品を変え物量を変えて繰り出されるア...

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映画『バーニング 劇場版』

『バーニング 劇場版』  村上春樹の短編小説『納屋を焼く』のイ・チャンドンによる映画化である『バーニング劇場版』はいくつかの点で原作から大きく変更されている。  その一つが主要な登場人物の設定だ。村上春樹の『納屋を焼く』では語り手は作者を連想させる小説家だが、映画『バーニング』の主人公ジョンスは20代前半の若者である。金も仕事も無く、小説家志望と言いつつ何を書いたらいいのかわからずにいる。「彼女」にあたるヘミはジョンスの幼馴染であり、一見華やかではあるが境遇的には彼とそう変わらない位置にいる。  借金に追われる母親、起訴された父親、ヘミ。ジョンスの周りは成功者であるベンと対称的な人たちだ。  菓子パンを歩き食いするジョンスと、スポーツジムでランニングするベン。軽トラの車内でコンビニ飯?を飲み食いするジョンスと、パスタを作り、ソウルで一番美味いもつ鍋屋に誘い、高級ワインを持参し、ホームパーティーを開くベン(列挙してみたら思ってた以上に食の対比が多かった)。  「僕」=ジョンスと、「彼」にあたるベンを非対称な存在として描き、韓国の現代社会における階級間の対立を作品に持ち込んでいるように見え...

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映画『ROMA/ローマ』

 聞いていた通り冒頭のシーンがまず凄くて、床の掃除を延々と映す映像で美しさを感じさせられることに驚いた。床を洗う水が起こす波と、水に映る上空の飛行機が結末と呼応していた。  『ゼロ・グラビティ』が宇宙飛行であるのに対して『ROMA』は時間旅行なのか。この作品は(カメラの視点を借りた)語り手の記憶や回想というよりも、その裏側で起きていたこと、当時は知り得なかった出来事の別の顔を、過去に戻って眺めている印象を与える。  固定された視点による長回しは、懐かしい人に触れることも目の前の悲劇を止めることもできずにただ見ていることしかできないもどかしさがあり(いくつかのシーンは早くカメラを止めてあげてと思った)、決定的に過ぎ去ってしまった時間だということが強く感じられた。  主人公の恋人のフェルミン(クソ男)や武術のコーチの芸人やその門下生たちや武力抗争を引き起こした男たち等、「マッチョなもの」に対する批判、戯画化する視線を感じた。フェルミンが全裸で棒術を披露するシーンは色んな意味で面白い。  悲痛な出来事が映し出される一方で愉快なところもある。一家の父親が高級車を車庫入れする場面の妙に凝った演出...

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映画『THE GUILTY』を観る。

映画『ギルティ』を観た。 劇中の会話の95%が主人公と誰かとの電話によるものという、とても特徴的な映画。 視覚を完全に奪った中で観客を欺くオチとその後に残る嫌な感じ(後述するが主人公と観客の共犯関係)は、この映画でしか成し得ない体験だと思う。 その点に関しては見事だった。 映画を観ながら視覚情報について考えるということは、例えばキューブリックや最近で言うとウェス・アンダーソンみたいな完璧な構図を前にしてという時が常だと思うが、今回のように完全に情報を遮断された時に、如何に人間が視覚に頼っているかということを改めて感じさせてくれた。 例えば、少し前に視覚障害者の方のために映画に音声解説を入れるという特集をタマフルでやったときに感じた、音声のみから映像を想像する際の聴覚の研ぎ澄まし方や、より広義に捉えれば小説を読みながら映像を想像するという体験に近い。 その中でこの映画は嫌らしく観客のミスリードを誘う。 大半の人間はこの映画のオチが分かったときに、絶句するはず。その後に如何に自分がありふれた範囲までしか想像が及んでないか、限られた情報で決めつけの判断を下してしまうかというところに自己嫌悪す...

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映画『女王陛下のお気に入り』を観る。

映画『女王陛下のお気に入り』を観た。 前作『聖なる鹿殺し』でランティモスに期待外れな部分があったけど、今回は余りにシンプルにとても面白かった。 ざっくり言うと、『寝ても覚めても』と同じく、ヤバい監督がありふれたテーマの商業映画を撮ったときに起こるおかしくなる感じが要所にあった。 ストーリーはシンプルで、宣伝では‘’海外版大奥‘’と言われてるみたいだけど、まさにそう。政治音痴の女王ゆえ、政治の話も本題には全く絡まず、シンプルに女王をめぐる女官の争い(しかも争うのはたった2人の一騎討ち)に終始する。なのに余りに面白い。魚眼レンズを使ったカメラでの撮影や当時の豪華絢爛な美術セットや衣装など楽しめる要素は多々あるが、やはりこの映画は女優たち名演に尽きる。 オリヴィア・コールマンが主演女優賞を取ったときはグレン・グロース前世で映画冒涜したとしか思えんと確信したけど、この映画見たら正直解らんでもないと思えた。 腹グロのエマ・ストーンと真っ直ぐなレイチェル・ワイズの2人のやりあいも見応えがあった。 僕は男子だからこのテーマをファンタジーとして楽しめたし、これからもずっと好きな映画でいられることが嬉し...

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2019年1月期ドラマ時評 2月末進捗

1話完結の連ドラは型が見えた段階でいつでも切れるし、逆にその型での最上の回が突然来たりする(大げさかもしれないがこのドラマはこの回のためだと思える)ので、簡単には切れないし、その回でドラマの評価を決めたい。 5話の『アタル』や6話の『イノセンス』がまさにそうだった。 もちろん1話ごとに型の中でのバリエーションを作り、その蓄積から神回と呼ばれる回は生まれる。つまり、回を重ねるごとに良い回が来る可能性が上がるのが一般的。ただ、最近の傾向としては中盤あたりに一度完成形を見せ、その精度を基準としてドラマ自体の質が担保されるケースが多い気がする。 『イノセンス』6話 初回から言ってる弁護士が無罪を勝ち取り続けるという設定自体が非現実的なので、そこの解釈を如何に広げるかというのがこのドラマの鍵だが、本作はそこに極めて明確にアプローチをしている。 今回もまさにそうで、結果だけを見れば被告人は無罪判決を受けた。 ただそこに複数の事件を絡め本件では無罪だけど別件では裁かれるべきという被告人の中の二面を用意した上で、無罪を勝ち取った弁護士の正しさという尺度を揺さぶるというというこのドラマの型の一番のテーマ...

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映画『半世界』を観る。

映画『半世界』を観た。 39歳という人生の折り返しを迎えた3人の幼馴染みの話。 タイトルの半世界に込められた意味に注視して観ていたが、特に前半は徹底的に救いのないストーリーが展開される。 余りにも無慈悲で一種の純文学的な物語だと気づいたときから、全てがそう見えてきた。 独り釜で炭を焼く職人、後輩の殉職がトラウマで田舎に戻ってきた元自衛官、地元の中古車販売店店員、息子とのコミュニケーション不全、不健全な父性、田舎の狭い人間関係、陰湿な苛め、漁村の風景、拭いきれない血の力など、小説だったらお手本のような土着文化を扱った文芸作品になっていただろう。 田舎ならではの荒廃した街の描写と自然の豊かさは現代における半世界(反世界)と呼べるものだろう。その他、半分が強調された世界の描写も多くあり、特にラストの日が射しているのに雨が降っている中でのシーンは強く印象に残った。 映画の中で主に描かれるのは3ヶ月という短い期間たが、物語以前もこうやってダラダラと光の見えない毎日が続いてきたこと、そしてこの先も好転することなく日々が続いていってしまうんだろうという事が窺える。この長く苦しい毎日から抜け出した主人...

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映画『バーニング 劇場版』/『THE GUILTY』を見る。

今月、見逃してはいけない映画は『バーニング 劇場版』と『THE GUILTY』だろうかと考え両作品を観た。 『バーニング 劇場版』 いかにも映画っぽい瞬間しかなくてとても面白かった。 村上春樹的なメタファー会話や世界の中にぽっかり口を開けた空虚の存在と、村上春樹っぽくない非モテ属性の主人公や韓国の社会問題や田舎の土の臭いが、相反せず作品を肉付けしている。韓国の今・ここの物語でありながら、不可知の暗闇も感じさせる。 姿の見えない飼い猫も夜中の無言電話も映画の結末も一見現実的な説明が与えられているが、決定的な瞬間は一度も描写されない。ヘミが幼い頃井戸に落ちた話のように真相は宙ぶらりんで、未来と同じくらい過去も現在も不確かなものとなっている。 納屋(ビニールハウス)を焼くという隠喩がビニールハウスで韓国の農村に結びつく。そこから貧富の格差が描かれ、主人公に対比されるベン=ギャツビー(=何で稼いでいるのかわからない金持ちの若者「韓国にはギャツビーがたくさんいる」)を通して、韓国の社会問題とアメリカ文学両方に連想が繋がるのが面白い。 同時存在の意味はよくわからないけど、Aであると同時にBである、...

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映画『バハールの涙』

『バハールの涙』を観てきた。凄かった。 世界のこういう実録ものを見るたびに自分の無知を痛感する。 作り手の伝えなければという責任感があまりに強すぎて、受け手の想像力を奪いかねない箇所がいくつかあったように思えるが、それでもあそこまで真正面からテーマを描いた力強さと勇敢さは他に換え難い 単に女性が自らの尊厳のために戦うという通り一辺倒なストーリーではなく、戦士の長となり戦うバハールとそれを間近で記録し続ける女性ジャーナリストの視点のバランスなどには計算が感じられ、物語の終わりに用意された残る(続く)戦士と還る(広く伝える)記者の信頼とそれぞれのその先を感じられた。 パターソンの時もいたく記憶に焼きついたけど、改めてゴルシフテ・ファラハニの神々しさに終始釘付けだった。 美しい彼女の砂埃で汚れた頬を伝う涙の跡を忘れてはならないと思った。 話は逸れるが、婚姻届を提出した当日に一人で映画館で映画を観た人間っているのだろうか。 極寒の小雨降りしきる中、晴れて結婚した。...

2019年1月期ドラマ時評

昨日、新年会を兼ねて先輩と会って話したが、1月期のドラマは今のところあまり豊作ではないかもしれないという印象。『3年A組』『トレース』『刑事ゼロ』『人生が楽しくなる幸せの法則』『メゾン・ド・ポリス』『私のおじさん』『さすらい温泉』『デザイナー渋井直人の休日』あたりは、初回でもう特に言うこともないという感じ。 今日までで初回放送済みで残すのは『ゆうべはお楽しみでしたね』『スキャンダル専門弁護士』『フルーツ宅配便』『グッドワイフ』『初めて恋をした日に読む話』『ハケン占い師アタル』『トクサツガガガ』かな。 これプラス今週始まるのもいくつかあるから十分なんだけど。 『ゆうべはお楽しみでしたね』 『ゆうべはお楽しみでしたね』は本田翼とオンラインゲームの親和性(ほんだのばいく)と深夜ドラマのゆるさ、『フルーツ宅配便』は風俗嬢の有象無象を不能の男性の目線から見守る視点で描く点と地方都市(Uターン)、『初めて恋をした日に読む話』はラブに寄り過ぎない(希望)落ちこぼれ塾講師とヤンキー高校生のバディーものの側面が光った。 『スキャンダル専門弁護士』 今のところ一番は『スキャンダル専門弁護士』かな。 初回見...

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ドラマ『僕らは奇跡でできている』最終回

いいドラマだった。相河一輝というキャラクターを創造し、彼に沢山のことを教えてもらったというか再確認したということだけで満足。脚本家・橋部敦子の最高の仕事だったと思う。 現代的な生き難さというテーマでこの作品を『獣になれない私たち』と比較していた部分は多く、先ほど『獣になれない私たち』の最終回の感想のところで書いたけど『僕らは奇跡でできている』は物語で徹底的に“ない”を否定し続け、最終回では受け手の創造を遥かに超えた“あるかも”(宇宙へ行く)を“やる”と宣言した。 これは明らかに受け手からのあり得“ない”という非難を承知でやっており、作り手としてはそこの“ない”という態度に少しでも疑問を持って欲しいというメッセージだったと思う。そこには『獣になれない私たち』と共通する自分を信じるという命題への直面があり、本作は単に自分の好きなことをやるという提案ではなく好きなことを見つけることこそが奇跡への第一歩だと、そこを自分で納得して動けることこそが重要だということだろう。好き放題していた相河先生も実は最後はしっかり成長している。「水泳とロシア語」は興味がないけど宇宙に行くためにやれるのは水本先生の...

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ドラマ『獣になれない私たち』最終回

ラストに間違った?と台詞が出るあたりがまさにそうで、彼女彼らの性質からするとあの選択肢は未知の領域であり、つまりこの作品で初めて一線を越えたことになる。獣になれないという比喩的な苦しさを対岸から見つめた時、彼女彼らは何を語るのか。頑張って欲しいところです。 本作に関して一貫して否定的だった自分からしたらこの上ない納得の終わりだった。裏を返せば、その生々しい苦しさ同感していた人たちをある種裏切ったラストだったとも言えるはず。自分が本作に感じていたドラマ的な難しさというのは、フィクションとの境界であり、こういうリアリティベースの群像劇が一定程度虚構性を排除し現実世界に誠実でなければならないというのは必然だろう。 ただ、あくまでドラマはフィクションであり、物語的な起伏が無く、登場人物たちもその場で身動きが取れずもがいていると、早くそこから救ってあげてとどうしても思ってしまう。 本作がこの問題に果敢にチャレンジしていたのは最終回の構成でも自明である。最終回前で二人は初めて一線を越えた(これは単に寝たという意味ではなく)のだが、その件について最終回の冒頭から話し始め、60分の内の30分を使う。も...

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映画『ア・ゴースト・ストーリー』を観る。

昨日『ア・ゴースト・ストーリー』観てきたけど、ちょっと僕のこれまでの経験ではうまく語れないタイプの映画だった。 カメラワークで言えば極端な長回しとたまにある俯瞰的な映像、ゆったりとしたパンなどこれが物語的には幽霊の視点と解釈してもいいところなんだけど、実はそれでは説明がつかない。 少し前にNHKでやった『カラスになったおれは地上の世界をみおろした。』というドラマは、人間とカラスの身体が入れ替わるという設定で、カラスの目線の映像を全部ドローンで撮影したというものだったが、この映画の映像もそういったものに近いニュアンスで撮影されていたのだと思う。 主人公が死んで幽霊になり、その姿で自宅まで帰り恋人を見守り続ける生活(というか死に活)が始まるのは間違いないから、あの幽霊は死んだ主人公なんだけど、途中で対面の家にも同じ姿の幽霊が現れたり、実は悠久の時を超えて存在してしている幽霊の存在も明かになり、後半はスケールがかなり大きくなる。 ラストシーンでは幽霊は成仏され形を失うのだが、恐らく成仏という概念はキリスト教的には無いはずで、そうすると鎮魂と成仏の違いなどが気になる。ただ、後半のスケールを考え...

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映画『ボヘミアン・ラプソディー』を観る。

『ボヘミアン・ラプソディー』とてもよかった。だが、より注目されるべきは、この2018年に人びとが人びととつながりAssociateするような映画が作られ、人びとを魅了していることだろう。他方で、『獣になれない私たち』に見られるように、人びとが解離的や独我論的に生きる時代にである。 あるいは、2018年現在は世界中でポピュリズムが席巻し、ヘイトスピーチが行われ、深センではプロジェクション・マッピングによりプロパガンダが流れ、パリでは暴動と激しいデモが行われている時代でもある。 イーン=フレディ・マーキュリーはメタファーとして境界例的な力があった。彼らのパフォーマンスは人と人との境界を溶解させ集団として人びとをつなげた。フレディはその自らのすべてを開放して免疫系をやられながら45年の人生を全うした。そして、それは伝説にすらなった。 フレディ・マーキュリーの死後数年、彼から影響を受けたカート・コバーンが自殺する。1994年、日本では『新世紀エヴァンゲリオン』が発表された年でもある。精神性は時代を反映する。70年代頃までは対人恐怖や神経症が多く、80年代は境界例の時代であり、90年代以後は解離...

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映画『アンダー・ザ・シルバー・レイク』を観る。

『アンダー・ザ・シルバー・レイク』面白かった。 これだけふんだんにポップカルチャーを盛り込めば、何処をどう取り上げても議論が白熱するのは自明で、それはそれで楽しいのだが、個人的には一見複雑そうに見えるストーリーと現代におけるオタクという存在に注目した。 この物語のストーリーは紆余曲折がありながらも、最後これでもかと言わんばかりに明確な落ちがある。 一般的に陰謀論や都市伝説ものの面白さは、①推理の過程と②ラストの信じるか信じないかはあなた次第という2つであり、もちろんこの作品も全編にわたって①は大いに繰り広げられる。 それは冒頭の落書きのメッセージから最後の自室のシーンまで99%がそうと言っていい。しかし、この作品は②が全くない。なぜなら、ラストで主人公が信じた答えが示されるからである。作品中延々と振り回された主人公は最後に全てを踏まえた上で、そこから降りる決断をし物語を終わらせる。 陰謀論や都市伝説を解読した者はそれだけで選ばれた者であり、場合によっては大富豪になりうる可能性すら秘める。しかしこの主人公は、その可能性を他社に譲渡し(自室に◇◇を記し)、隣人の部屋へと向かう。地図上の大が...

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死者=家の時間と生者の時間『A GHOST STORY  ア・ゴースト・ストーリー』

これは、なんと言ったらいいのか、「死んで幽霊になった男が残された妻を見守る話」ではあるけれど、もっと広い意味で、去っていくものと後に残されるものの話である。ただし去っていくのは生きている人間の方だ。幽霊は後に残される。ここでは生者と死者の立場が逆転している。 事故で死んだ男はシーツを被った幽霊の姿になって家に帰る。幽霊は生きた人間に触れることはできない。過ぎていく時間の中で、かつての妻をただ見守り続ける。生きている人間と幽霊の一番の違いは時間の流れ方だ。幽霊になった人間の時間は止まる。 印象的なのは、彼が幽霊になった少し後、一人で床に座り込んで食事する妻を長回しで映した場面だ。彼女は食べる。食べ続け、そして吐く。壁に反射する光や外の物音は少しずつ変化する。しかし横で見ている幽霊だけは微動だにしない。動いている生者の時間と止まった死者の時間。 男が作った歌の歌詞にもある通り、彼女は去っていく。旅立って、それっきり物語から退場する。その後も見知らぬ人間たちが次々とやってきてはいなくなる。去っていくのはいつも生きている人間であり、それを見送る幽霊は独りで取り残される。時間も去っていく。やがて...

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2018年秋ドラマ・チェック

今週は新ドラマの主に初回チェックで終わった。『SUITS』『中学聖日記』『文学処女』『獣になれない…』『天』『黄昏流星群』『ブラックスキャンダル』『昭和元禄落語心中』『大恋愛』『僕とシッポと…』『忘却のサチコ』『ドロ刑』『結婚相手は…』『過ちスクランブル』『こんな未来は聞いてない』 どれも今いちぱっとしない。『僕らは奇跡で…』が唯一見たくて見れなかったのでそれに期待。 今のところ『昭和元禄…』『結婚相手は…』『獣になれない…』の順かな。 『文学処女』6話まで これまでありきたりな設定と退屈なストーリーに落ち着くと見てきたが、6話で一変した。和室に座り背後から抱えるように担当編集の髪をドライヤーで乾かす作家というシーンで漸くタイトルにもある文学が形だけでも意識される。そこから怒涛のように各人物の過去の影とトラウマが連鎖する。作家の過剰な反応、作家と付き合いの長い編集者、主人公の同僚、編集長。同じような痛みや負い目に結ばれて、これまで目立たなかった人物たちにスポットがあたる。物語はここから複雑性を増しそうな予感があり、下田悠子の脚本にも期待。 『中学聖日記』2話まで オーソドックスな中学校...

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ドラマ『高嶺の花』最終回

『高嶺の花』最終回 近年稀に見る程の傑作ドラマが乱立した今クールの中でも、最後まで異彩?を放ち続けていた。下火傾向が著しい10年代のテレビドラマは、良くも悪くも脚本家の作家性が大きなウエイトを占めることになる。 個人的にその流れが変わったのが、『逃げ恥』のヒットだと思ってる。 言わずもがな野木亜紀子も作家性の強い脚本家ではある。ただ、『逃げ恥』以降、脚本家のみが作品を一手に背負のではなく、制作陣がチームとなって如何に面白いものを届けられるかという変化が『透明なゆりかご』『dele』『この世界の片隅に』など今クールのドラマの成功に繋がっているように感じる。 そんな中、唯一といって良いほど最後まで野島伸司という確固たる作家性で勝負した作品が『高嶺の花』だった。伝統と革新、継承、姉妹兄弟、ひきこもり、反抗、暴力など、これでもかと言わんばかりにテーマを詰め込んだ本作は、間違いなく迷走していた。 ただ、情報の詰め込み過ぎによって発生する迷走や、そもそも迷走を迷走とすら自覚できないのが現代である。野島伸司の迷走を日本社会の迷走と重ねるのは無理がある。しかし、本作は全てが綿のようにふわふわと重みを失...

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映画『きみの鳥はうたえる』を観る。

「きみの鳥はうたえる」を見た。 素晴らしかった。良い映画を観れたという実感が強く残った。 主人公である“僕”のバランス感覚に好感を抱いた。純文学作品の映像化となると、主人公の偏屈さだったり欠損(その痛さこそがチャームでもあるが)がどうしても目立ちがちだが、本作の“僕”にはそれがあまりみられないような気がした。 行動の動機や生活における力の配分、人との接し方など、とてもバランス感覚に優れている。だからこそ彼を含む佐知子と静雄との関係は永遠に続くはずだったし、彼が最も望んでいたことがそれだったのは冒頭のモノローグからも自明である。 ただ、そんな事はあるはずもなく、この物語でも“僕”の感覚ではどうにもできないところからバランスが崩れていく。顕著な例が森口というバイト先の人物。彼の致命的なバランス感覚の無さに僕は居ても立っても居られず鉄槌を下す。思えばあの場面から少しずつ雲行きが怪しくなっていった。 永遠に続くように思えた飲んだり遊んだりの毎日は、不安の裏返しだろう。振り返った時にそう思えるのは何ら問題がない。問題なのは、その瞬間に不安を感じていることだと思う。少なからず“僕”にはそれが無かっ...

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映画『カメラを止めるな!』を観る。

『カメラを止めるな!』最高だった。 僕は基本的に喜劇への理解が薄く、面白い話が苦手。それに加えてインディペンデント映画であり企画ものというところにバイアスを抱き、世間の注目と称賛とは裏腹にアレルギーが出そうだなと予感していた。 実際、冒頭の37分ワンカットという壮大な挑戦である一幕に散見された妙な間や噛み合わない会話に仕掛けがあるのだろうと分析的に見てしまった。しかし、この映画は後半パートでその受け手の冷めた見解を見事に蹴散らしてくれ、さらに壮大なメッセージに替える。 「俺たちは頑張ってるんだ」と。 作品の特徴に一つずつ触れていくと、まず企画・脚本の妙。 映画やドラマにおいては、前例のない企画(構成)を思いついた時点で勝ちという作品は往々にしてある。本作も紛れもなくそのうちの一つだと思う。そして、その企画を最も魅力的に表現した脚本も素晴らしい。 37分のワンカットでのゾンビ映像→映像が作られるまでの過程→もう一度37分のワンカット映像を今度はネタバレで見せる。 それほど複雑ではない企画(構成)だが、脚本がしっかりしているので随所(というかほぼ全編)に笑いが生まれ、企画(構成)への説得力...

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映画『少女邂逅』を観る。

いじめをきっかけに声が出なくなった小原ミユリ(保紫萌香)。自己主張もできず、周囲にSOSを発信するためのリストカットをする勇気もない。そんなミユリの唯一の友達は、山の中で拾った蚕。ミユリは蚕に「紬(ツムギ)」と名付け、こっそり大切に飼っていた。「君は、私が困っていたら助けてくれるよね、ツムギ」この窮屈で息が詰まるような現実から、いつか誰かがやってきて救い出してくれる──とミユリはいつも願っていた。 ある日、いじめっ子の清水に蚕の存在がバレ、捨てられてしまう。唯一の友達を失ったミユリは絶望する。 その次の日、ミユリの通う学校に「富田紬(つむぎ)」という少女(モトーラ世理奈)が転校してくる───。 映画『少女邂逅』公式サイトより http://kaikogirl.com/ 映画『少女邂逅』。すごく良かった。これは間違いなく傑作だ。 イノセント&フラジャイルなティーン・エイジャを描いた作品として、目がくらみ意識が遠のくような作品であった。 手取りやiPhoneでの撮影による映像や視点、光や色の美しさ、夢と現実のあいだをゆききするようなマジックリアリズムのような世界観とそれを強化する音響効果。...

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平成の終わりという時代に『半分、青い。』を観る。

先輩から4月クールのドラマ評が届いて、ようやく文化的な生活があったことを思い出した。 ただ、4月期ドラマは稀にみる不作だった。数作を除いてはほぼ惰性で見てしまっていた。 そんな中『半分、青い。』は異色すぎると言ってもいいほどの独自路線を貫いてる。 特にここ1ヶ月の展開は目が離せない。主人公の鈴愛が性別や家などの外的要因が絡む問題からではなく、自ら選んだフリーランスの仕事で行き詰まる様を容赦なく描く。 あれは恐らくすべての創作する者の恐怖に通ずる。先日言及した今年の群像新人賞の盗用疑惑の話題とも時期的に重なり、生みの苦しみがリアルに伝わってくる。 『半分、青い。』については、平成史という着眼が一つ重要な要素になってくる。先輩が『半分、青い。』の感想に『20センチュリー・ウーマン』との類似性を指摘していたのだか、僕も本作は鈴愛の生を通じて平成を描くというのは北川悦吏子の一つの狙いであると思っている。 律が鈴愛にプロポーズしたのが95年(あのさりげない告白と重なる当時の日本)でそこから時は流れ99年に鈴愛は「私は28歳になって何もない」と失意のどん底に落ちる。 そして今日は仙吉が『あの素晴ら...

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