『アンダー・ザ・シルバーレイク』を観る。

『アンダー・ザ・シルバーレイク』を観る。ピンチョンの『競売ナンバー49の叫び』を現代にアップデートして映像化したかのよう。イメージの洪水に悪酔いを起こす、凄まじい迷宮映画だった。しかしながらそこには歴史も対抗文化ももはや無く、自ら築いた迷路には消費とポップの悪夢だけが広がっている。 街中の看板、テレビ番組、流行曲、お菓子の景品、壁の落書き、動物の死骸、シンクロニシティ。氾濫するメッセージに「真相」などなく、解読は誤読にしかなり得ず、読み取った物語は自身の映し鏡である。意味も黒幕も限りなく空虚だ。 そこには、あたかも身体性は無いけど生理的というのだろうか、肉体を持たないまま五感だけが鋭敏になっているような感覚がある。 作中で言及される大衆文化についての知識合戦や隠喩についての考察合戦がおそらく繰り広げられるのだろうけど、撒かれたピースから各々が解釈を組み立ててしまうこと自体が作品と相似している。...

2018年秋ドラマ・チェック

今週は新ドラマの主に初回チェックで終わった。『SUITS』『中学聖日記』『文学処女』『獣になれない…』『天』『黄昏流星群』『ブラックスキャンダル』『昭和元禄落語心中』『大恋愛』『僕とシッポと…』『忘却のサチコ』『ドロ刑』『結婚相手は…』『過ちスクランブル』『こんな未来は聞いてない』 どれも今いちぱっとしない。『僕らは奇跡で…』が唯一見たくて見れなかったのでそれに期待。 今のところ『昭和元禄…』『結婚相手は…』『獣になれない…』の順かな。 『文学処女』6話まで これまでありきたりな設定と退屈なストーリーに落ち着くと見てきたが、6話で一変した。和室に座り背後から抱えるように担当編集の髪をドライヤーで乾かす作家というシーンで漸くタイトルにもある文学が形だけでも意識される。そこから怒涛のように各人物の過去の影とトラウマが連鎖する。作家の過剰な反応、作家と付き合いの長い編集者、主人公の同僚、編集長。同じような痛みや負い目に結ばれて、これまで目立たなかった人物たちにスポットがあたる。物語はここから複雑性を増しそうな予感があり、下田悠子の脚本にも期待。 『中学聖日記』2話まで オーソドックスな中学校...

...

タイ(バンコク・アユタヤ)を旅する ― 聖なるものと俗なるものの濁流をさまよう

2018年9月14日~18日、タイ〈バンコク・アユタヤ〉を旅行した。 微笑みの王国、タイ。かつて「クルンテープ」(天使の都)と呼ばれ「東洋のヴェネツィア」と讃えられる水の都バンコク。あるいは、世界遺産にも登録された古都アユタヤ。アジアの雑踏。崇高な超越へのあこがれと、猥雑な風俗が雑多に混じりあった東洋の王国。 バンコクを流れるチャオプラヤー川の濁流は聖俗浄穢を飲み込むタイの風土を象徴しているかのようだ。それは、同じアジアの王国でも、日本の列島全土を流れる清流や神道的な穢れの思想とは対称的である。 初日 ぼくら(友人とぼくの3人)は、9月13日(木)の夜に羽田空港に集まり、9月14日(金) 00:30 東京・羽田発 → 9月14日(金) 04:50タイ・バンコク行きのフライトで旅行を開始した。旅行初日はトラブルの連続であった。バンコクの空港に降り立つと、友人がひとり行方不明になった。iPhoneのSIMカードはwifi環境でのアクティベートが必要ですぐには使えなかった。ぼくらは、とりあえず、なかば諦めて入国審査カードを記入した。 どうにか、ようやく友人と再会し、電車や船を乗り継ぎながら朝...

...

ドラマ『高嶺の花』最終回

『高嶺の花』最終回 近年稀に見る程の傑作ドラマが乱立した今クールの中でも、最後まで異彩?を放ち続けていた。下火傾向が著しい10年代のテレビドラマは、良くも悪くも脚本家の作家性が大きなウエイトを占めることになる。 個人的にその流れが変わったのが、『逃げ恥』のヒットだと思ってる。 言わずもがな野木亜紀子も作家性の強い脚本家ではある。ただ、『逃げ恥』以降、脚本家のみが作品を一手に背負のではなく、制作陣がチームとなって如何に面白いものを届けられるかという変化が『透明なゆりかご』『dele』『この世界の片隅に』など今クールのドラマの成功に繋がっているように感じる。 そんな中、唯一といって良いほど最後まで野島伸司という確固たる作家性で勝負した作品が『高嶺の花』だった。伝統と革新、継承、姉妹兄弟、ひきこもり、反抗、暴力など、これでもかと言わんばかりにテーマを詰め込んだ本作は、間違いなく迷走していた。 ただ、情報の詰め込み過ぎによって発生する迷走や、そもそも迷走を迷走とすら自覚できないのが現代である。野島伸司の迷走を日本社会の迷走と重ねるのは無理がある。しかし、本作は全てが綿のようにふわふわと重みを失...

...

映画『きみの鳥はうたえる』を観る。

「きみの鳥はうたえる」を見た。 素晴らしかった。良い映画を観れたという実感が強く残った。 主人公である“僕”のバランス感覚に好感を抱いた。純文学作品の映像化となると、主人公の偏屈さだったり欠損(その痛さこそがチャームでもあるが)がどうしても目立ちがちだが、本作の“僕”にはそれがあまりみられないような気がした。 行動の動機や生活における力の配分、人との接し方など、とてもバランス感覚に優れている。だからこそ彼を含む佐知子と静雄との関係は永遠に続くはずだったし、彼が最も望んでいたことがそれだったのは冒頭のモノローグからも自明である。 ただ、そんな事はあるはずもなく、この物語でも“僕”の感覚ではどうにもできないところからバランスが崩れていく。顕著な例が森口というバイト先の人物。彼の致命的なバランス感覚の無さに僕は居ても立っても居られず鉄槌を下す。思えばあの場面から少しずつ雲行きが怪しくなっていった。 永遠に続くように思えた飲んだり遊んだりの毎日は、不安の裏返しだろう。振り返った時にそう思えるのは何ら問題がない。問題なのは、その瞬間に不安を感じていることだと思う。少なからず“僕”にはそれが無かっ...

...

映画『カメラを止めるな!』を観る。

『カメラを止めるな!』最高だった。 僕は基本的に喜劇への理解が薄く、面白い話が苦手。それに加えてインディペンデント映画であり企画ものというところにバイアスを抱き、世間の注目と称賛とは裏腹にアレルギーが出そうだなと予感していた。 実際、冒頭の37分ワンカットという壮大な挑戦である一幕に散見された妙な間や噛み合わない会話に仕掛けがあるのだろうと分析的に見てしまった。しかし、この映画は後半パートでその受け手の冷めた見解を見事に蹴散らしてくれ、さらに壮大なメッセージに替える。 「俺たちは頑張ってるんだ」と。 作品の特徴に一つずつ触れていくと、まず企画・脚本の妙。 映画やドラマにおいては、前例のない企画(構成)を思いついた時点で勝ちという作品は往々にしてある。本作も紛れもなくそのうちの一つだと思う。そして、その企画を最も魅力的に表現した脚本も素晴らしい。 37分のワンカットでのゾンビ映像→映像が作られるまでの過程→もう一度37分のワンカット映像を今度はネタバレで見せる。 それほど複雑ではない企画(構成)だが、脚本がしっかりしているので随所(というかほぼ全編)に笑いが生まれ、企画(構成)への説得力...

...

映画『少女邂逅』を観る。

いじめをきっかけに声が出なくなった小原ミユリ(保紫萌香)。自己主張もできず、周囲にSOSを発信するためのリストカットをする勇気もない。そんなミユリの唯一の友達は、山の中で拾った蚕。ミユリは蚕に「紬(ツムギ)」と名付け、こっそり大切に飼っていた。「君は、私が困っていたら助けてくれるよね、ツムギ」この窮屈で息が詰まるような現実から、いつか誰かがやってきて救い出してくれる──とミユリはいつも願っていた。 ある日、いじめっ子の清水に蚕の存在がバレ、捨てられてしまう。唯一の友達を失ったミユリは絶望する。 その次の日、ミユリの通う学校に「富田紬(つむぎ)」という少女(モトーラ世理奈)が転校してくる───。 映画『少女邂逅』公式サイトより http://kaikogirl.com/ 映画『少女邂逅』。すごく良かった。これは間違いなく傑作だ。 イノセント&フラジャイルなティーン・エイジャを描いた作品として、目がくらみ意識が遠のくような作品であった。 手取りやiPhoneでの撮影による映像や視点、光や色の美しさ、夢と現実のあいだをゆききするようなマジックリアリズムのような世界観とそれを強化する音響効果。...

...

平成の終わりという時代に『半分、青い。』を観る。

先輩から4月クールのドラマ評が届いて、ようやく文化的な生活があったことを思い出した。 ただ、4月期ドラマは稀にみる不作だった。数作を除いてはほぼ惰性で見てしまっていた。 そんな中『半分、青い。』は異色すぎると言ってもいいほどの独自路線を貫いてる。 特にここ1ヶ月の展開は目が離せない。主人公の鈴愛が性別や家などの外的要因が絡む問題からではなく、自ら選んだフリーランスの仕事で行き詰まる様を容赦なく描く。 あれは恐らくすべての創作する者の恐怖に通ずる。先日言及した今年の群像新人賞の盗用疑惑の話題とも時期的に重なり、生みの苦しみがリアルに伝わってくる。 『半分、青い。』については、平成史という着眼が一つ重要な要素になってくる。先輩が『半分、青い。』の感想に『20センチュリー・ウーマン』との類似性を指摘していたのだか、僕も本作は鈴愛の生を通じて平成を描くというのは北川悦吏子の一つの狙いであると思っている。 律が鈴愛にプロポーズしたのが95年(あのさりげない告白と重なる当時の日本)でそこから時は流れ99年に鈴愛は「私は28歳になって何もない」と失意のどん底に落ちる。 そして今日は仙吉が『あの素晴ら...

...

群像新人賞-芥川賞候補作、北条裕子『美しい顔』問題によせて

北条裕子『美しい顔』の無断引用問題は個人的に非常に残念です。 僕は『美しい顔』を読んで、非常に優れた小説だと思いました。 群像新人賞の選評でも賞賛され、掲載翌月の新聞の書評でも好意的に取り上げられた記事も多くみました。 そして、159回の芥川賞の候補にもノミネートされている。 読み手としては、無断引用なんて問題は当たり前にクリアされている前提で受け取るので、もはや対処の仕様がない。 一つの作品として世に出されたものが素晴らしければ積極的に賞賛したいし、本作に救われたと実感した人もいたはず。そんな人たちの期待と感謝を裏切ることとなったのは事実。 と、一元的に片付けられない部分も確かにあると思う。 本作のテーマが震災を扱っていることや客観的に作者の容姿が整っていることや新人賞の在り方など。 ただ、一つ言えるのは、本作は未だ単行本化されておらず、事態が発覚した際は既に次の号の群像が発売されており本作が掲載されている群像は書店には残っていなかった。 つまり、本作『美しい顔』をきちんと読んでいる人間は、数多の批判がなされるなかのほんの一握りしかいないという事。 純文学雑誌(群像)の発行部数を考え...

...

メモ書き『サリンジャー的、サルトル的ーあるいは村上春樹と柄谷行人、ポストモダンの文学精神』

本稿では、20世紀の米文学界を代表する作家J.D.サリンジャーとフランスの哲学者・思想家で作家のジャン=ポール・サルトルの作品・作家および日本における受容と影響を比較することを通して浮かび上がってくる日本文学の思想・精神史を読みときたい。 Ⅰ. サリンジャー的、サルトル的 〈サルトルの倫理、サリンジャーの倫理〉 Ⅱ. サルトル的ー超越へと駆動する力   (三島由紀夫、大江健三郎、吉本隆明、柄谷行人) 〈三島由紀夫の場合(時間)ー行動の究極地点、テロリズム〉 〈大江健三郎の場合(空間)ーサルトルとの対話〉 〈吉本隆明(空間・時間)・柄谷行人(空間)の受容と差異〉 〈サルトルの倫理〉 Ⅲ. サリンジャー的ー自己修復の物語   (村上春樹、村上龍、高橋源一郎、加藤典洋) 〈サリンジャーーイノセント&フラジャイルな作家〉 〈三つの翻訳、三つのサリンジャー〉 ・α.戦争神経症的なサリンジャーー『危険な年齢』〉 ・β.分裂的なサリンジャーー『ライ麦畑でつかまえて』〉 ・γ.解離的なサリンジャーー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』〉 〈ポスト全共闘のサリンジャー革命からのロスト〉 ...

...

小説『サリンジャー的、サルトル的 ー Like Salinger, Like Sartre』(抜粋)

ぼくらはまた歩きはじめた。 モール内の有線放送では、The Mamas & the Papasの『California Dreamin’』が流れていた。 ぼくはふと、むかしのことを思い出した。それはいまから10年前の風景だった。 その頃のぼくは、東京の端にある公立大学に通っていて、調布の安アパートにひとり暮らしていた。大学に入り、ひとり暮らしをはじめると、時間軸から開放される。 それがたった4年間の話だったとしても、開放された空間を楽しむのが学生の特権だ。 当時は、iPodが広く普及した時期だった。誰も彼もが、iPodで音楽を聴いていた。 当時のiPodはいまのiPhoneやAndroidのような通信系のモバイル端末ではなかった。ぼくが持っていたのはiPod Classicで、それは60GBの記憶装置を持つ小さなジューク・ボックスだった。 バーに入りカウンターのマスターにオリーブ入りのドライ・マティーニを注文する。一服しながら空間の隅っこにあるジューク・ボックスをながめる。ジューク・ボックスに近づき、お気に入りのナンバーを探す。 クリームのWhite Room、ディ...

...

2018年4月期 ドラマ評(概観)

4月期ドラマも半分ほどが初回を迎えたのでざっと総評。 全体的に少し低調のような気がしてしまうが、期待したい。 『コンフィデンスマンJP』 連ドラは3年ぶりの古沢良太の脚本。昨今恐らく誰も引き受けたがらない月9枠は、前作『デート』と同枠。 古沢は前作からの3年の間に映画の脚本を何本か書いていて、その影響が色濃く出ている。 ただ、古沢の特徴であるキャラ造形や膨大な台詞量に魅力を感じる一方、特に連ドラで描くべき作品なのかという疑問が残る。制作陣から取り敢えず何でもいいので月9で書いて下さいと丸投げされ、それをこなしているように感じてしまう。 第2話を通して 初回の暴走する展開にがっかりしたが、今回は良かった。 初回では昨今の映画での古沢脚本との近接性を感じたが、2話でようやく『リーガル・ハイ』のリブートをおこなうという狙いに気づいた。 『リーガル・ハイ』は12年と13年の連ドラなので、あれから5年か。 『リーガル・ハイ』は悪人や悪事に対して、人間的には変態ではあるものの司法という公的な武器で対峙する辛うじて「正義」が存在する物語だった。一方、本作の主人公は詐欺師。つまり「法律」や「正義」が悪...

...

映画『きみへの距離、1万キロ』/『さよなら、僕のマンハッタン』を観る。

昨日『きみへの距離、1万キロ』と『さよなら、僕のマンハッタン』を見てきた。 どちらも90分前後でコンパクトにまとまった良作だった。 『きみへの距離、1万キロ』 随所にコンプライアンスやプライバシーにおいてアウトだろうという点があったけど、設定上ということもあるが極端に少ない台詞の中に「誰かの脅威がビジネスになる」とか「運命の人は一人じゃなくていい」など、輝くものがあった。 本作は特にラストシーンの重複が意図的としか思えないほど『君の名は。』的で、つまりネットが普及し誰といつどこでも瞬時につながれる時代に“すれ違いの恋”というシチュエーションを作れるかというのが創作の原点にある。 とはいえ、『君の名は。』はアニメということもあり時間をズラすというファンタジーでシチュエーションを作ったが、本作は現実で起こり得る可能性を担保しつつ、それを限界まで狭めたという設定。 石油パイプライン監視・ロボット遠隔操作・アメリカと北アフリカ・国境を越えるなど、現代的な切り取り方も良かった。 『さよなら、僕のマンハッタン』 『さよなら、僕のマンハッタン』良かった。 僕は去年の年べス10位に『ギフテッド』を入れ...

...

映画『心と体と』を観る。

『心と体と』 孤独に生きる女と人生を諦めた男。 二人を結びつけたのは鹿の夢。幻想と現実が交錯する愛の物語。 <STORY> ハンガリー、ブダペスト郊外の食肉処理場。代理職員として働くマーリアはコミュニケーションが苦手で職場になじめない。 片手が不自由な上司のエンドレは彼女を気に掛けるが、うまく噛み合わず…。 そんな不器用な二人が急接近するきっかけは「同じ夢を見た」ことだった。 恋からはほど遠い孤独な男女の少し不思議で刺激的なラブストーリー。 映画『心と体と』を観た。 今年の暫定トップ5に入るくらい心が動かされた。 この映画は実は幾つもの対比から出来ていて、まず一番分かりやすいのが夢と現実。 それから、気配や空気という観念的なものと生々しいまでの現実。 撮影も人の視点で捉えた手持ちの映像と固定で無機的な映像。後は赤と白の色など。 全ての要素が観念と現実で大別されていて、最後にそれが不穏な空気と共に重なりあってしまう。 この一貫した構造だけでも素晴らしいのに、冒頭のシーンのマーリアが日向に出たつま先だけを陰に向かって引くシーンや男女のシーンでの目線の追い方や切り方を繊細に捉えるシーンなど美...

...

映画『レディ・プレイヤー1』を観る。

この作品は「私小説」ならぬ「私映画」だ。スピルバーグとハリデーの、大きな大きな「私」の物語だ。 VRが文字通りもう一つの現実と化した未来でありながら、この世界を彩るのは特定の年代の特定のカルチャーばかり。 オアシスの世界は言わば一冊の自伝で、それを読み解くプレイヤーは、この『レディ・プレイヤー1』を読み解こうとする観客と重なる。丹念に読み、行間に隠されたヒントを拾う。主人公のハリデーオタっぷりはテクストを精読する研究者のよう。 この映画を観て感じるのは、小さく、狭い方向に向かう力が大きなものを生み出しているということ。 世界と上手く繋がれなかったオタク少年がもう一つの世界を創造し、作り手の私的な記憶が多くの観客の記憶と結びつく。 「私」という小さな人称にとてつもない広さがある。 「私」への埋没こそが世界を創造し、つながりをもたらすということ。 あるいは、オアシスは仮想現実というよりも、むしろ「もう一つの」現実と呼んだ方がしっくりくる。 あちらも現実、だがこちらも現実。どちらか片方が本物なのではなく。 それは、ある意味では世界の多元的存在構造を示すこと、僕らが「いまここ」で見ているのはひ...

...

「人生は歩きまわる影法師、あわれな役者」~DNA-偶然性-運命論-自由~

シミュラークルになりたいとか、ポスト・トゥルース・ストーリーを撒き散らすとか、検索エンジン汚したいとか言ってるの結構一貫性がある気がしてきた。はっきり言って、どうゆう欲求で診断名はどんな精神病理なのだろうか。 — COMA (@Factory_COMA) 2018年4月7日 DNAはランダムに進化を試してて自分はオルタナティブ枠を担当することになってしまったんだなって感じで捉えてますね!非常時には役に立つけど基本的に反社会性なんたらみたいな病理になりそう… — 藤井勇治郎 (@fujiiyujiro) 2018年4月7日 “DNAはランダムに進化を試してて自分はオルタナティブ枠を担当することになってしまったんだな” これはすごい言い得て妙な感じがあります。笑 この枠で爆進するしかない!笑 — COMA (@Factory_COMA) 2018年4月7日 種としての人類存続のための精子と卵子の組み合わせという膨大な数のランダム制が、唯物論・運命論に決定的な偶然性を与えている、しかし人生は唯物論と運命論によって決定されているので、人々はそれゆえに自由に(なぜならどう...

...

映画『ちはやふる -結び-』を観る。

『ちはやふる 結び』瑞沢の三年間と真島太一の成長物語に最高の決着を付けた完結編。 超絶技巧で描かれるかるたの格好良さ。名人の言葉と、もがき続けた先の太一の姿に胸が熱くなる。 青春という「一瞬」から継承という「永遠」へ、部活映画の枠を越えたスケールの着地に心が震えた。 『上の句』で「青春全部懸けたってあいつには敵わない」と言っていた太一は『結び』で「原田先生や周防さんが懸けているものは、青春どころか(人生すべて)」だと気付く。 太一とともにこの作品の視野も、高校三年間から人生そのもの、そしてそれすら包み込む大きな時間へ開けていく。 千年前の思いを百人一首が今に伝える、というモチーフは『上の句』からあったけど、『結び』では今を未来へ伝えるという視点が加わった。 自分の強さを周囲へ分け与えること、先輩から後輩へ部の記憶を伝えていくこと。 千早が後輩二人に「素敵なことが始まったと思った」と言ったのは、自分たちがいなくなった後にも残るものができて、かるた部で過ごした時間が、奏の言う「千年先に残る歌」になったと感じたからではないか。 『結び』に強く感動させられるのは、この作品が時を越えることについ...

...

映画『聖なる鹿殺し』を観る。

『聖なる鹿殺し』を観た。 ランティモス監督の前作『ロブスター』を観たときにあまりにはまってしまって、もちろんその年のぶっちぎりの年間ベストだったんだけど、そのせいでハードルが上がりすぎてたのか正直心から絶賛はできなかった。 理由の1つが、脚本というか物語の筋があまりにシンプル過ぎたというところ。前作『ロブスター』は物語が誰も意図しない方へ加速度的に転がっていき、その奇想天外ぶりと洗練された映像・音楽のバランスが完璧だった。 本作も、撮影・音楽に関しては文句なく最上のスタイリッシュさなんだけど、如何せん物語がシンプルすぎて、しかも最後に大どんでん返しもない。 復讐譚というフォーマットの上で、節々の台詞やいたたまれない結末を使い家族の脆さや善悪の判断がつかない人間の弱さなどを表現するあたりにはハッとする。その痛みに一切寄り添わない無慈悲さも恐ろしい。 ただ、大元の歩けなくなるそして死ぬという呪術的な設定に仕掛けが全くなかったのが残念だった。そこを裏切るか、設定が破綻するほど物語が進んでいくことで、受け手を混乱させて尚残るのはあまりに美しい画と音楽というランティモス的な世界がもっと堪能したか...

...

2018年のエイプリルフール

米国株式の現在の状況は1929年・1987年・1990年という歴史上の3大崩壊に非常に似ているというニュース記事と、中国経済は日本のバブル崩壊直前と酷似しているとニュース記事に目を通した。 そんなことはいつも言われているのだろうが、しかし、大正・昭和の終わりのように、元号の変わり目だなという感じが強い。 けれど、春の日差しの中、待ちゆく人々の顔にはうきうきとした気持ちが表れ、新宿御苑には満開の桜の花を見に来た人たちが溢れていた。 今夜はブルームーン。2018年最後のブルームーン、次は2年半後の2020年ということだ。 「極東の火薬庫」からはじまった第三次世界大戦は前世紀の二度の世界大戦と東西冷戦を弁証法的に止揚したものとして展開した。 それはフランシス・フクヤマの『歴史の終わり』や石原莞爾の『世界最終戦論』における仮説を覆し、5次元空間での戦争と新たな歴史を本格的に始動するものであった。...

読書ノート

『不安定な時間』ミシェル・ジュリ 「われわれの時代に、人類はついに内的宇宙を征服することができたんだ」「だが、部屋には悪魔がはいっていて、あんたがたはドアに鍵をかけなくちゃならないのだ」 ディックの『ユービック』を連想する。主観的な時間旅行あるいは死後の世界。人格と場面が唐突に目まぐるしく変転し、変奏を加えて何度も何度も繰り返される。この反復がどういうわけか愉しくてしかたない。どこにもたどり着かずに跳躍し続けてくれてもいいくらい。SF文学史にボリス・ヴィアンやレーモン・クノーの名前が出てくるあたりがとてもフランス。 『神曲 地獄篇』ダンテ 建築物としての全体も神学も歴史的背景もわからないなりに、パオロとフランチェスカの恋愛、ウゴリーノ伯の餓死、農耕詩的な比喩、といった細部の造型を美しいと思う。と同時に作者の自我の強さというのか同人誌的というのか、自らを偉大な叙事詩作者として数えたり、オウィディウスの『変身譚』にも勝ると自負したり、嫌いな相手を(存命であっても!)地獄に落としたり、大好きなウェルギリウスを登場させてイチャイチャしたり、作品の緻密さや幻視の凄まじさと合わせて、文学者の業に感...

...

人文の終わり/批判的であること – マルクスからスティーブ・ジョブズへ –

先日、ワシントン・ポストの記事にウィスコンシン大学が人文学と社会科学の実質ほぼ全てともいえる13のコースを廃止するというニュースがあり衝撃を受けた。 A University of Wisconsin campus pushes plan to drop 13 majors — including English, history and philosophy 大学には経営と予算、学生の集客の課題がある。そのため、より予算が付きやすく、より学生が集まりやすい、就職やキャリアにつながるような実学的な学部を増強し、予算が付きにくく学生の集客力の弱いリベラル・アーツ系の学部は廃止したほうがビジネスとして合理的であるという判断である。 背景として、アメリカは学生の奨学金返済問題が深刻だという問題もある。 他方で、保守的な共和党から影響を受けている部分も大いにある。 ウィスコンシン州知事であるスコット・ウォーカーは2015年にウィスコンシン大学の理念を秘密裏に変更しようとしたということである。 その内容はこうだ。 by removing words that commanded the univ...

...

Scroll to top