メモ書き『サリンジャー的、サルトル的ーあるいは村上春樹と柄谷行人、ポストモダンの文学精神』

本稿では、20世紀の米文学界を代表する作家J.D.サリンジャーとフランスの哲学者・思想家で作家のジャン=ポール・サルトルの作品・作家および日本における受容と影響を比較することを通して浮かび上がってくる日本文学の思想・精神史を読みときたい。 Ⅰ. サリンジャー的、サルトル的 〈サルトルの倫理、サリンジャーの倫理〉 Ⅱ. サルトル的ー超越へと駆動する力   (三島由紀夫、大江健三郎、吉本隆明、柄谷行人) 〈三島由紀夫の場合(時間)ー行動の究極地点、テロリズム〉 〈大江健三郎の場合(空間)ーサルトルとの対話〉 〈吉本隆明(空間・時間)・柄谷行人(空間)の受容と差異〉 〈サルトルの倫理〉 Ⅲ. サリンジャー的ー自己修復の物語   (村上春樹、村上龍、高橋源一郎、加藤典洋) 〈サリンジャーーイノセント&フラジャイルな作家〉 〈三つの翻訳、三つのサリンジャー〉 ・α.戦争神経症的なサリンジャーー『危険な年齢』〉 ・β.分裂的なサリンジャーー『ライ麦畑でつかまえて』〉 ・γ.解離的なサリンジャーー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』〉 〈ポスト全共闘のサリンジャー革命からのロスト〉 ...

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小説『サリンジャー的、サルトル的 ー Like Salinger, Like Sartre』(抜粋)

ぼくらはまた歩きはじめた。 モール内の有線放送では、The Mamas & the Papasの『California Dreamin’』が流れていた。 ぼくはふと、むかしのことを思い出した。それはいまから10年前の風景だった。 その頃のぼくは、東京の端にある公立大学に通っていて、調布の安アパートにひとり暮らしていた。大学に入り、ひとり暮らしをはじめると、時間軸から開放される。 それがたった4年間の話だったとしても、開放された空間を楽しむのが学生の特権だ。 当時は、iPodが広く普及した時期だった。誰も彼もが、iPodで音楽を聴いていた。 当時のiPodはいまのiPhoneやAndroidのような通信系のモバイル端末ではなかった。ぼくが持っていたのはiPod Classicで、それは60GBの記憶装置を持つ小さなジューク・ボックスだった。 バーに入りカウンターのマスターにオリーブ入りのドライ・マティーニを注文する。一服しながら空間の隅っこにあるジューク・ボックスをながめる。ジューク・ボックスに近づき、お気に入りのナンバーを探す。 クリームのWhite Room、ディ...

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