2018年の終わりに

2018年も残りわずか数時間となった。以下のエントリーからすでに一年がたった。 2017年12月31日現代中国を描く大河ドラマ 小説『兄弟』/映画『山河ノスタルジア』 2018年は、年初から米朝関係が大きな動きを見せ、2月・3月からは米中間の対立が激化し貿易戦争が開始され、現在では冷戦とも思えるような様相を見せはじめている。現在もカナダにおいてHuawei創業者の娘でHuawei副会長の孟晩舟氏が逮捕され拘束されており、中国においても複数のカナダ人が逮捕され拘束されている。 フランスではイエロー・ベスト集団による革命的ともいえる抗議デモ=騒乱が発生し、マクロン政権は年明けに予定していた燃料税増税を中止した。イエロー・ベスト運動は、アイルランドや台湾にも波及しているという。 また、日本国内でも日産のゴーン代表が逮捕され、フランス・ルノーとの対立姿勢を見せており、ルノー・日産・三菱との同盟関係にも変化が出てきている。 これらはあたかも相互に結びついた問題にもみえる上に、あるいはサイバー戦争や日産コンツェルン創始者・満州重工業開発株式会社総裁の鮎川義介と岸信介との関係なども想起される。 一方...

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柄谷行人と村上春樹-デカルト、フッサール、サルトルと構造主義からの批判

デカルトのコギトにしても、フッサールの超越論的自我にしても、サルトルの無の自由にしても、それらは超越論的主観である。 そして、それは形式的であり人間中心主義だと構造主義から批判される。 超越論的主観による形式化に対する批判が構造主義からなされたのだとすれば、なぜ、フランス現代思想はある種文学的な文体を持つ文章なのかということは確かに理解できる。 他方で、日本のポストモダン文学史の中での柄谷行人による村上春樹批判はその超越論的主観を問題視した。 また、フランス文学者の蓮實重彦もサルトルのフローベール論『家の馬鹿息子』の翻訳を15年に渡り放置した言われ、そこにはある種のサルトルフォビアがあったのではないかと考えられている。 そう考えてみると、文壇における村上春樹批判というのはむしろ文芸批評家による哲学的コギト批判にも思える。 だが、他方で柄谷行人はデカルトを評価している。デカルトは哲学界の悪役でコギト的であると評価されているが、しかし、常に共同体の外で考えようとした人間だと評価するのだ。 この共同体は言語ゲームを互いに共有する人々であろう。であるならば、柄谷行人による村上春樹批判は何を意味...

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メモ書き『サリンジャー的、サルトル的ーあるいは村上春樹と柄谷行人、ポストモダンの文学精神』

本稿では、20世紀の米文学界を代表する作家J.D.サリンジャーとフランスの哲学者・思想家で作家のジャン=ポール・サルトルの作品・作家および日本における受容と影響を比較することを通して浮かび上がってくる日本文学の思想・精神史を読みときたい。 Ⅰ. サリンジャー的、サルトル的 〈サルトルの倫理、サリンジャーの倫理〉 Ⅱ. サルトル的ー超越へと駆動する力   (三島由紀夫、大江健三郎、吉本隆明、柄谷行人) 〈三島由紀夫の場合(時間)ー行動の究極地点、テロリズム〉 〈大江健三郎の場合(空間)ーサルトルとの対話〉 〈吉本隆明(空間・時間)・柄谷行人(空間)の受容と差異〉 〈サルトルの倫理〉 Ⅲ. サリンジャー的ー自己修復の物語   (村上春樹、村上龍、高橋源一郎、加藤典洋) 〈サリンジャーーイノセント&フラジャイルな作家〉 〈三つの翻訳、三つのサリンジャー〉 ・α.戦争神経症的なサリンジャーー『危険な年齢』〉 ・β.分裂的なサリンジャーー『ライ麦畑でつかまえて』〉 ・γ.解離的なサリンジャーー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』〉 〈ポスト全共闘のサリンジャー革命からのロスト〉 ...

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『ゲンロン0 観光客の哲学』を読む。

『ゲンロン0』を読んだ。 『ゲンロン』は、東浩紀氏監修の批評雑誌であり、『ゲンロン0』はその創刊号である。 また、『ゲンロン0』は東浩紀氏の集大成的な哲学書である。 本書の副題は、「観光客の哲学」である。 これは、ある意味で柄谷行人氏の『トランス・クリティーク』の理論の更新ではないだろうか。 本書にはナショナリズムとグローバリズムに分裂した、2017年現在の状況をどう捉えるか、いかにわれわれは思考し行動すべきか。そう問うための、ビジョンが描かれている。 本書の核心のひとつは、現代のわれわれはモダンとポスト・モダンのふたつのレイヤーの中に生きていると捉えていることである。 現代の僕らの文化は、西洋近代の発展に大きな影響を受けている。 それは決して超克されてはいない。 しかし、1970年代以降のポスト・モダンの興隆と1990年代のソビエト崩壊以降、僕らはあたかも近代後の現代に生きていると考えているところがある。 モダン(近代の絶対的なツリー状の文化)はポスト・モダン(相対的なリゾーム状の文化)に転換されたのだと。 これらの展開を東浩紀氏は、モダンとポスト・モダン、アメリカ政治思想のコミュニ...

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最近の村上春樹について書かれた文章で「おっ!」となったものを紹介。

今年ノーベル文学賞1週間遅れてるんだけど 果たして村上春樹が取るのだろうかというところで、 僕個人としては村上春樹という作家には何の思い入れもないのだが(刊行された小説は全部読んでいて何の思い入れもないのだからおもしろい)もしかすると今年あたりさらっと取る可能性があるのではないかと思っているので、 最近の村上春樹について書かれた文章で「おっ!」となったものを紹介。 ※完全なる引用・転載です もし明後日取ったらみんないいねしてね。 それまではしなくていいから。 ➀「ノルウェイの森」と「君の名は。」 東浩紀 ひと月ほど考え続けた結果、ぼくは、「君の名は。」はたいへんな傑作であり、ぼくがいままで擁護してきた価値観を見事に体現した作品でもあるが、いまのぼくとしては絶対肯定できない作品だという結論に達した。言い換えれば、この作品に行き着いたセカイ系の想像力を肯定できないという結論に達した。 — 東浩紀 (@hazuma) 2016年10月5日 連動して呟けば、ぼくはいままで村上春樹を高く評価してきたし、それ自体はまちがいでもないと思うが、かつて1990年代、「ノルウェイの森」の後の春...

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