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坂道AKB「誰のことを一番 愛してる?」 ~ モーセからキリストへ、”欅坂のニュータイプ” 平手 友梨奈 ~

AKB以降の秋元康プロデュースアイドルにおける現段階での最高傑作であり極致といえる。
アイドルの面白さとしての目まぐるしい流動性を否定するまでの基準ができてしまった。

構造の面白さとして、ダンスや歌詞・曲調などコンセプトのすべてが欅坂にひっぱられていることが挙げられる。

欅以外のメンバーはこの曲をパフォーマンスすることの意味を理解している。
その上で沸き上がる嫉妬と悦びを全身で表現しようとする挑戦的な姿勢を感じる。
その反面、不馴れな違和感も拭えない。

他方、欅のメンバーは歴が浅くても自分たちの得意とする土俵でそれなりにまとまった表現ができている。
ここから更に個々のメンバーの思いの強さや余裕から微妙な違和感が生まれる。

これらの不協和音を纏ったセンターの平手はダンスも歌も殆ど力が入っていない、いわば象徴としてのセンターとして屹立している。
その姿はかつての前田敦子のよう。

脱AKB・脱乃木坂を掲げて欅坂というアイドルとしての新形態に挑むメンバーを尻目に、欅坂のセンターはかつてAKBとして圧倒的な存在感を誇ったメンバーとして佇む という円環構造。

その大きな渦の中に未来はあるのだろうか。

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欅坂46 – 君から僕へ ~ 平手友梨奈と2度目の春の事変 –

欅坂46がCDデビューを果たしたのは、今から1年前の2016年4月6日だった。
その鮮烈なデビューは世間でも注目を浴び、過激なメッセージを纏う姿から「反体制アイドル」とも呼ばれた彼女たちは、デビューからわずか8ヶ月で紅白歌合戦に出場するなど現在も破竹の勢いで支持を広げている。
その欅坂46がデビュー1周年を記念して、アイドルとしては初めてNHKの音楽番組「SONGS」に出演を果たした。番組では、デビューシングルから先日発売されたばかりの4thシングル(TV初披露)までのパフォーマンスの合間に4作連続でセンターを務めた平手友梨奈へのインタビューが差し込まれた。
グループアイドルのセンターはグループを象徴する存在として担ぎ上げられる。AKB48が世間に登場して以降、センターが示すものについては世間でも広く認知されることになった。無論、平手友梨奈も例外ではない。しかし、これまでリリースされた楽曲のパフォーマンスを見ると、欅坂46は既存のアイドルとは異なる路線を辿っているように映る。それが番組の構成からもはっきりとうたがえた。

パフォーマンスをコンセプトに掲げるグループとはいえデビュー1年ほどのアイドルが初めて登場する場合、メンバーの紹介やインタビューが用意されるのが通例だろう。しかし、番組ではそのような場面は見られなかった。たとえセンターである平手にスポットをあてるとしても「欅坂46とそのセンターとしての平手友梨奈」とするべきところを、いわば「平手友梨奈という存在と彼女の所属するグループ」という衝撃的な紹介がなされたのである。グループ内の格差が激しかったり、マイナーグループならばこのようなことが起こってもおかしくはない。しかし、欅坂46は今や全国的に知名度のあるグループである。メンバー個人としても活躍の場を広げているし、人気でいったら平手に勝るメンバーも多くいるかもしれない。
それなのになぜ「欅坂=平手が所属しているグループ」という、グループより個人か優越する扱いが許容されたのか。
それを考える鍵はこれまでのシングルのパフォーマンスにあるように思う。

デビューシングル「サイレントマジョリティ―」

デビューシングル「サイレントマジョリティ―」については当初から様々な事を書いてきた。激しいダンスと独特の振付・メッセージ性の強い歌詞や笑顔を見せないパフォーマンス。MVに至ってはデビュー曲にも関わらず逆光で撮影され、平手以外のメンバーの認識は困難なほどだった。挙げればきりが無いほど多くの新しさを孕みつつ、センターには当時14歳の平手友梨奈が立っていた。
歌詞を見れば分かるのだが、この曲は基本的に二人称で書かれている。

「君は君らしく生きていく自由があるんだ。大人たちに支配されるな。」
この曲の語り手はのちに「僕ら」という言葉があるように、同世代から選ばれし一人であると考えれらる。それがすなわちセンターである平手友梨奈だった。デビュー間もない素人同然の平手が、世代の代表として若者を率いながら体制に立ち向かえと鼓舞するシチュエーションはショッキングなものであった。何度も繰り返すが、当時彼女はまだ14歳の中学3年になったばかりである。しかし彼女は従来のアイドルとしては到底考えられないある方法をもって、この困難な命運に立ち向かい奇跡的にそれをやり遂げてしまったのである。その方法が“憑依”である。
強固な「見る/見られる関係」の上で成り立つアイドルの常識を超えた、憑依されることで自らの意志に因らずただ何かに突き動かされる少女の姿がそこにはあった。完璧に作り込んだ笑顔や自分が最も美しく映る企みは放棄され、自分ならざる者を呼び込むことで彼女はその存在を世に知らしめることになった。あまりにも強烈なデビューだ。

セカンドシングル「世界には愛しかない」

セカンドシングル「世界には愛しかない」は、言葉の力をひたむきに信じる少年の姿が滲み出る。冒頭の象徴的なポエトリーリーディングと明るく爽快な曲調、単純な感情が紡ぐ恋愛についてのストレートな歌詞が目を引くが、実は過激と話題だった前作よりもテンポが速く、曲中に組み込まれる言葉の数も幾分多くなっている。
平手はこの曲についてのインタビューで、歌詞の意味を理解することの重要性を語った。それは一人称の「僕」で表現(感情移入)するためだそうだ。ゆえに、歌詞の意味を踏まえしっかりと伝えたいという態度は随所に見られる。ただその若さと経験不足から一度背負ってしまった“憑依”という表現方法が完全に抜けきれていないのも伝わる。

サードシングル「二人セゾン」

サードシングル「二人セゾン」は、極端ともいえるダンス構成やデビュー曲と似た二人称に近い歌詞、平手のソロダンスが注目される。これまで貫いてきたグループとしての態度を崩さず、欅坂が既存のアイドルとは決定的に違うことを確信できる。
欅坂はこれまでセンターである平手以外の立ち位置を毎回大きく変えている。平手と心中するというのがグループの総意なら、平手以外のフロントメンバーを固めた方が平手にとってもやり易いはずだ。ただこのスタイルこそ、ある決定的な事柄を指し示しているのである。それが冒頭に述べた「欅坂=平手が所属しているグループ」という定義である。

結論から言うと、パフォーマンス中の欅坂というのはデビューから一貫して二人(平手と対象)とセゾン(他のメンバー)なのだ。他のメンバーやもちろん平手にとっても残酷ではあるが、いくら季節が変わろうとも平手友梨奈だけはその中心に立ち続けなければならない運命をその身に宿してしまったのである。少し過剰に崇めた嫌いもあるが、それでもこの曲での平手の表現力は当初から目を見張るものがあった。通常15歳の少女があれほどまでに情感を湛え歌詞の世界を複雑に表現することはまず不可能だ。彼女がこれを成し遂げたのは、民衆を率いる女神のシチュエーション(グループとしての強いコンセプト)で体得した“憑依”と、歌詞の意味を理解した上で表現するという2つの要素が備わりつつあることの証左となる。

ニューシングル「不協和音」

そして、ニューシングル「不協和音」に辿り着く。
現実に肉薄する圧巻のパフォーマンスに、改めて平手友梨奈はセンターに立つために生まれてきたと確信した。しかし間に挟まれたインタビューにおいて、平手は明確な時期こそ明らかにしなかったものの(恐らく去年の紅白出場前後)現在ひどく悩んでいることを明かした。「僕は嫌だ」というこの曲の歌詞が現在の自分の心境と重なると淡々と口にしている。この曲はデビューシングルよりもメッセージ性が強く、直接的な歌詞で構成されている。かつて彼女を救った“憑依”という超人的な感覚がこの曲をパフォーマンスする上では再度必要となるのだが、表現の技術や経験が身についたことで今の彼女にはこれまでの“憑依”という感覚が失われつつあるではないか。彼女の中にこれまであった二層構造のバランスが崩れ、結果としてそれが彼女に悪影響を及ぼしている。インタビューにおける平手の言葉や「不協和音」のパフォーマンスを見ながらそのような事を考えた。欅坂のコンセプトからいって恐らく今後もこのような系統のメッセージソングは作られ続けるだろう。その時彼女が曲とどう向き合い試行錯誤し表現していくか。彼女の中に蓄積されたものやこれから新しく身につくもの、それを武器に全身全霊を賭けて闘う今後の平手友梨奈そして欅坂というグループに注目していきたい。

最後になってしまったが、これから書くことは余談でも何でもない。
今回の「不協和音」は平手以外のメンバーにもきちんとスポットが当たっている。
デビューシングルにおいて平手が担った「僕」が想定している「君」というのは、あくまで不特定多数の若者だった。しかし今回のシングルは「仲間からも撃たれると思わなかった」という歌詞にもあるように「僕」が発信するメッセージは最も身近なメンバーも想定されている。「支配したいなら 僕を倒してからいけよ」これは、ある意味メンバーの下剋上を煽っているようにもよめる。つまり、この曲は「欅坂=平手が所属しているグループ」を脱するための序曲になる可能性の曲なのだ。平手の今の心境に重なり胸を貫いた「僕は嫌だ」という叫びは二番では長濱ねるが担う。「僕」でも「君」でもない「セゾン」だったメンバーが「君」として煽られ、いつかは「僕」を担う。この曲を皮切りに、平手以外のメンバーがこれまでの欅坂の体制にノーを突きつけられたとき、欅坂はまた新しいステージに登ることができるはずだ。

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「テレビドラマはヒロインを殺したか?——–2016年の連ドラをめぐって」

遅くなりましたが2016年のテレビドラマベスト10を発表します。

1位 「早子先生、結婚するって本当ですか?」
2位 「ふれなばおちん」
3位 「ゆとりですがなにか」
4位 「逃げるは恥だが役に立つ」
5位 「ちかえもん」
6位 「徳山大五郎を誰が殺したか?」
7位 「プリンセスメゾン」
8位 「フラジャイル」
9位 「奇跡の人」
10位 「地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子」
※大河・朝ドラ・WOWOW・ネット系有料ドラマを除く

全体の印象としては、大作ぞろいの邦画の陰で盛り上がりに欠ける作品が多かったように感じます。それでも「逃げ恥」や「真田丸」などの話題になった作品もあり、実験段階ではありますが視聴率にも録画予約の数字が組み込まれたりと、現代のライフスタイルに合わせた評価のされ方も徐々に浸透しているのかなと実感しました。

個々の作品にざっと触れた後、総評をします。

「早子先生、結婚するって本当ですか?」

昨今乱立している大文字の「婚活ドラマ」とは一線を画し、今までに見たことのない斬新なアプローチから婚活を描いたのが印象的でした。この手のドラマにおいて焦点となる周囲からの目線や主人公の焦り、それに関連づけられた行動はあからさまには描かれません。主人公が小学校の先生という設定もあり、ストーリー全体が“報告”で進むという形も特徴的でした。徹底した観察や報告・連絡がテーマとは少し離れた不思議でリアルな日常を浮き上がらせます。
「愛し合えることは素敵 もちろんひとりでも素敵 私が私でいる それが大切なの」
本作の主題歌だったchayの「それでしあわせ」の一節です。
報告・連絡という体裁を貫いた主人公は周りの人の幸せを見届け一人一人にしっかりと“はなまる”をつけていきます。そんな主人公だからこそ、最後の最後に自信をもって自らの現在や未来を肯定するに至った結末は感動的でした。

「ふれなばおちん」

最終話のラストの5秒の展開があまりにも衝撃的でした。
この驚くべきラストから作品を通じて拭いきれないでいた違和感の正体が明らかになり、改めて脚本家・安達奈緒子の技量の高さを思い知らされました。
一見すると不倫とは無縁な地味な主婦の前に詐欺師のような若者が現れ日常が狂わされていく様子を主婦目線から描くという凡庸なストーリーなのですが、物語の根底には言い得ない違和感が常にありました。実はこの感覚の正体こそが物語の肝であり、それが最終話の最後の5秒で突如見る者に襲い掛かってきます。これ以上はネタバレになるので書けませんが、驚愕の視点の転換(自分たちが見せられていたものは真実の片面に過ぎなかった)と、この結末を許可したプロデューサーの手腕は見事だったと思います。
NHKでないと決して成立しえなかったドラマでしょう。

「ゆとりですかなにか」

宮藤官九郎が若者をテーマに「社会派ドラマ」を書き上げました。
個人的には今後彼の転機となるような作品に仕上がっていたと思います。
「ゆとり第一世代」である1987年生まれの主人公3人を軸に物語は展開します。
クドカンの十八番であるコミカルなやり取りや登場人物の絡み合いといった物語の推進力のとなるプロットの中にも「自分より下の世代の若者をしっかりと見据える」という彼なりの眼差しを随所に感じました。若者にも責任世代にも分類可能な曖昧な領域で彷徨うアラサーとなったゆとり世代をどう解釈し向き合っていくか。
時に自身の経験をもさらけ出し、「結局、完璧な大人なんていない」という若者への彼なりのエールがそこにはありました。
後半にかけて「ゆとり第一世代」の下の世代にあたる切れ味抜群のキャラクターたちがことごとく丸くなってしまったことはマイナス要因でしたが、これも下の世代含め大枠の「ゆとり」として型にはめ込まれる運命を共有する者同士、状況を逆手に取り武器として共闘していくのもありなのではという投げかけだったのかもしれません。

「逃げるは恥だが役に立つ」

これは前に長い評を書いたので割愛します。

「ちかえもん」

主人公に近松門左衛門を据え『曽根崎心中』を巡って話が進んでいく時代劇です。
近松を初老のシナリオライターと称するあたりが時代劇なのに現代的です。
最近の時代劇は優秀な作品が多いですが、その中でも本作は群を抜いていました。
松尾スズキ演じる近松のキャラクターもさることながら、何と言っても青木崇高が演じた万吉の強烈なキャラクターが印象的です。この二人の主人公の掛け合いによって景気よく歴史を改竄?しながら、最後まで力強く観る者を引っ張っていってくれたことで安心して最後まで楽しめました。
このドラマ、オチも実に見事でした。黒幕や謎解きといったプロットを上回るように、虚実の入り混じった人間同士の情のからまりが大きなうねりとして可視化された末のラストの展開には“あっぱれ”の一言です。

「徳山大五郎を誰が殺したか?」

昨年メディアを席巻し大いに話題となった「欅坂46」の全メンバーが出演した学園ミステリーです。一見すると日常系アニメのフォーマットを中島哲也的な映像世界で構成した短絡的なつくりなのですが、最後まで見るとそれが彼女たちの成長や青春の儚さの克明な記録になっていることに気づかされます。
デビュー直後で演技経験のないメンバーが丸腰で撮影に挑んだことが大きかったのでしょう。作り込まれていない表情や台詞がそのまま形になっていきます。
結果、リアルとフィクションの境は極めて曖昧になり、ドラマ内での7日間がそのまま彼女たちの現実の7日間として置き換えて見ることができます。
本作を「内輪向けPV作品」と捉えるか「PR戦略としてのミステリ」と捉えるかで作品の評価はがらりと変わります。オチの部分で特定のメンバーにリスクを負わさせない配慮があるなどミステリとしては不十分な要素もありますが、メンバーの魅力を発見するファンムービーとしては及第点だったでしょう。
個々のメンバーついて語るとキリがありませんが、特に主人公の平手友梨奈の存在感はドラマ以外の活動を含めて驚かされることが非常に多い一年でした。
今後、彼女は表現者として大成すること間違いないでしょう。

「プリンセスメゾン」

去年見たドラマの中でもズバ抜けた怪作でした。
正直、最後の最後まで何を伝えたかったのか正確に把握できないほどでした。
大まかなストーリーは「居酒屋勤務の独身女性が単身用のマンションを購入することの意味を問う」というものでしたが、これはあくまで物語を成立させるための補助線にしか過ぎません。主人公がマンションを購入するために奔走する姿とそれをサポートする周囲の人間の姿が淡々と描かれ、しかし彼女がマンション購入を決心した理由やその後の計画などはいつまで経っても不透明なままです。結果、このドラマを“現在”足らしめる絶対的な基準や解釈の余地が圧倒的に足りないという事態が引き起こされます。
似たタイプのドラマに1位に挙げた「早子先生…」がありましたが、本作はそれを遥かに上回る抽象度でした。主人公の言動にも不可解な点が多く、しかしこれこそがフィクションにおけるリアリズム(不透明な現在/現代)の本来の姿だと思い起こさせてくれます。一つの画面に過剰な情報を詰め込むドラマが目立った去年において、極限まで情報を排し、自分なりに作品を咀嚼する力が求められるタイプの珍しいドラマでした。
そしてそれこそが唯一無二の存在感として非常に際立っていました。

「フラジャイル」

従来の医療ドラマにおける「医者」のイメージを覆す意欲作だったと思います。
例えば一昨年放送された「コウノドリ」のように温和で正義感の強い医者という設定もありましたが、そういった場合であっても結局のところ医者は患者にとっての絶対的な存在として描かれるのがこれまでの通例でした。
しかし本作は医者と患者の主従関係を捨て「病理医」という医者をも超越する立場を仮設することで、患者の側に治療方法含め今後の生き方についての主導権を委ねる姿を描いた部分が魅力的でした。従来とは異なる角度から医療や医者のあるべき姿を考えるきっかけとなるような作品でした。
主人公が全くブレないので物語の芯がしっかりしていたのも大きかったです。
紆余曲折を経ながら主人公を取り巻く環境が結果ドラマチックには変化しなかったことで、劇的ではないが自分たちの課題はこの先も常にここにあるという普遍的なメッセージが上手く前面に押し出されたように感じました。

「奇跡の人」

全盲ろうの女の子を育てるシングルマザーに恋した何も取り柄のない青年が2人にとっての奇跡の人となるまでのストーリーです。
ヘレンケラーとサリヴァン先生の関係を軸に、脚本の岡田恵和が障害というテーマに正面から向き合った意欲作でした。
作中に何度も登場するロックという台詞とロックな劇中歌が、厳しく苦しい現状を打破するエネルギーとなり刹那的なパワーとして奇跡を呼び込みます。
安易なヒューマンドラマに回収させないような母親の頑ななキャラクター設定や、岡田脚本らしい疑似家族コミュニティーの存在など、シンプルでありながらも特徴が出た見応え十分の佳作だったと思います。
こちらも9月あたりに詳しく書いたので気になる方はそこを参照下さい。

「地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子」

去年のテレビドラマの流行のひとつを極めたような作品でした。
テロップやビジュアルをこれでもかと差し込み、過剰なまでの情報量が画面を覆い尽くす様は新たなテレビドラマの誕生を予感させました。石原さとみ演じる主人公のキャラクターが3次元(リアル)と2次元(フィクション)の間をとった「2.5次元」と呼ばれる造形として高度に再現されたことも流行を象徴していたと言えます。
初めはこの2.5次元キャラクターとストーリーの乖離に戸惑う部分がありました。
以下、初回直後の感想です。

それにしてもこの手のドラマの主人公に一体どれほどのリアリティがあるのだろう。「重版出来」の時も同じことを考えた。ドラマの主人公たるもの、もっと多面的な見せ方をするべきでないかと。
どうも「キャラクター」という説明のみで済まされてしまっていることが気にかかる。
結局のところ、主人公が閉塞した世界を変えるような物語は初回の段階つまり主人公が登場した瞬間から落としどころが見通せることが多い。物語の起伏によってカタルシスは生じにくいゆえ、重要なのは主人公が物語に寄り添いながら自ら変化を自覚すること。この変化というのが微妙で、一番しっくりくるのが受け手が予想できない内面の変化ということ。それは主人公をも予想できる範囲を超えている必要があり、その驚きを通じて物語が予想できない方向へ動いていくことが面白いのだろう。

と、初回こそキャラ造形や画面構成に違和感があったものの、その後の明快且つ抑揚の効いた展開には作り手の綿密な計算がうかがえました。
片手間でも見れるインパクトあるキャラクターや画面構成・はっきりとしたストーリーなど、一度離れたり途中から入った視聴者が瞬時にドラマの世界に浸れるという現代的なニーズの想定がされていたのでしょう。今後こういったタイプのドラマは増えていくでしょうし、本作はそのきっかけをつくった重要作として語り継がれるでしょう。
最終回でみせた現実的な展開も見事でした。
職業ドラマに必要とされるリアリティ、地味に凄い仕事が世界を支えているリアル、恋より夢を取る選択など、ラストは意外にもキャラや世界観を楽しむドラマに相応しくないシビアな結論が用意されます。ハッピーエンドこそ従来のドラマの基本構造なのですが、本作はリアルと乖離したハッピーでクレイジーな世界を徹底して描き続けた反動で、リアルでシビアなエンディングを作品全体がしっかりと受け止められることができるということも証明してくれました。
2.5次元、つまりリアルと距離をとった河野悦子という存在が周囲を巻き込み起こし続けたファンタジーに見える「小さな非日常」が、周囲の人間に正の影響を及ぼし彼らの「小さな日常」は少しづつ変化していく。リアルとフィクションの橋渡しをしていく河野悦子こそ、去年を代表するヒロインだったのかもしれません。

総評

と、ここまで延々と書いてきましたが一年を通じて最も強く感じた事は、
去年のテレビドラマに純粋なニューヒロインが誕生しなかったということです。
「逃げ恥」「校閲ガール」「真田丸」など、すでに知名度のある女優が新たな一面を開拓することで再注目されるという傾向が目立った一年だったと思います。
恐らくこれは映画との関係が大きいのでしょう。
去年、映画界では「ちはやふる」「怒り」で広瀬すずが、「ディストラクションベイビーズ」「溺れるナイフ」で小松奈菜が、「リップヴァンウィンクルの花嫁」で黒木華が名実ともにニューヒロインとして業界をしっかりと持ち上げました。今の若手はテレビドラマから映画へと活躍の場を移していることが明らかです。そんな彼女たちを再びドラマの舞台へと引き戻す体力が今のテレビドラマにあるかと問われれば微妙です。
もしそれができないのであれば、既に名の知れた女優を短絡的に起用するばかりではなく、少しずつでもいいので若手にチャンスを与える土壌をつくっていければ業界自体の延命になるのではないかと思います。

最後に勝手に部門別

男優賞:唐沢寿明(とと姉ちゃん)
女優賞:高畑充希(とと姉ちゃん)
新人賞:成田凌(ふれなばおちん)
脚本賞:橋部敦子(フラジャイル)
監督・演出賞:中江功(早子先生~)

さらに先輩の去年ベスト10(単発・大河・WOWOW含む)

1位 「沈まぬ太陽」
2位 「荒地の恋」
3位 「ふれなばおちん」
4位 「ちかえもん」
5位 「コールドケース」
6位 「五年目のひとり」
7位 「真田丸」
8位 「毒島ゆり子のせきらら日記」
9位 「時をかける少女」
10位 「フラジャイル」

部門別

男優賞:青木崇高(ちかえもん他)
女優賞:長谷川京子(ふれなばおちん)
新人賞:成田凌(ふれなばおちん)
   :堀田真由(コールドケース)
脚本賞:前川洋一(沈まぬ太陽)