映画『芳華 Youth』

中国という国は、いままさに激動の時代を駆け抜け興隆の頂点にあるといってもよいだろう。
激動を駆け抜けた中国では、また現在から過去を遡行し、そこから現在を見つめるといった物語が描かれるようになっている。たとえば、90年代以降の社会主義市場経済以来の大河を描いた『山河ノスタルジア』や『后来的我们(僕らの先にある道)』がそうだろう。

過去を振り返るときにどうしても胸につかえるような出来事の記憶というものがある。
日本にとっては、かつての第二次世界大戦や左翼的闘争の記憶というものがそうであるように、中国にもしこりのような記憶となっているものがある。文化大革命がそのひとつである。
文化大革命を行使した毛沢東の評価も現在では両価的なものとなっている。それは周恩来が国民のだれからも愛される人物として記憶されていることと対象的である。

過去を振り返るときに、どうしても見返さなければならない問題としての文化大革命。近年、その時代を描いた作品も多く作られるようになった。たとえば、チャン・イーモウ監督の映画『サンザシの樹の下で』『妻への家路』あるいは同じくチャン・イーモウ監督が現代の中国を代表する作家 余華の作品を映画化した映画『活きる』。そして、余華の大作『兄弟』は文化大革命の時代から元禄の中国ともいえる現代までを描いている。

本作、『芳華 Youth』もまた文化大革命の時代から現代までの大河を群像劇として描いた作品である。
青春=大河的群像劇と映像美で、まちがいなく最高の映画のひとつだろう。

また、この映画は中国の近代における農村共同体の喪失=国民国家の形成=資本制社会の成立の歴史とそれに翻弄される人びとの姿でもある。

主人公の農村出身の少女は国家により家庭を破壊された過去を持つ。もうひとりの主人公の青年は国家のあり方が変容する中で自分の生き方を見失う。
激動の中で、彼らの精神は変容し、いくつかの交流は失敗する。が、最後に既存の関係をこえた連帯にいたる者もいた。

しかし、献身的な生き方というのは互助的な農村共同体的な生き方なのだろうか。
あるいは、近代資本制的な自由な商品交換を重視する側面が強くなった社会の中では、それはむしろ野暮ったく下心を感じさせる不潔なものなのだろう。誠実なものこそが不条理の中に投げ出される。その姿は人をひきつける。それゆえに、人は過去を振り返り、そこにこそ本来的に大切なものがあったのだとノスタルジーを感じる。そして、どうして人はそれを回復できないのかと。

余談であるが、現在中国人に人気の日本の観光地は大分であるということだ。その農村や田園の姿が、中国の人々には喪失とノスタルジーをくすぐるものであるらしい。同じく、日本のバブル期にジブリの『となりのトトロ』が人気であったように、現在トトロは人気であるようだ。

印象的であったのは、素朴で学級委員的で優等生の模範兵が、ギャル的な丁丁に惚れて気持ちを抑えられなくなっったシーン。彼は告白するけれどギャル的に擦れた少女にはむしろ「え、、キモっ。(性的な目で見るとかありえない.. 怖いわ…. )」というような感じでフラれる。しかも、その上でそれを誇張して暴露される姿。うーん。なるほどな〜と思った。

『イップ・マン外伝 マスターZ』

 ブルース・リーの師としても知られる葉問(イップ・マン)の生涯をモデルしたカンフーアクション『イップ・マン』シリーズのスピンオフ。シリーズ3作目の『イップ・マン 継承』でドニー・イェン演じるイップ・マンと激闘を繰り広げた詠春拳の達人チョン・ティンチ(マックス・チャン)が今作では主人公になる。

 『イップ・マン 序章』から今作までストーリーは毎回一緒だ。家族や市井の人達とささやかながら幸せに暮らす主人公が、トラブルに巻き込まれ、生活を失う。その背後には街を牛耳る外国人(『序章』では旧日本軍、『継承』ではアメリカ人、『葉問』『マスターZ』ではイギリス人)と、彼らの言いなりになっている地元の警察やチンピラがいる。映画の前半でチンピラとの大立ち回りがあり、主人公と家族が絆を深める描写があり、やがて誰かが死ぬ。ついに立ち上がった主人公が詠春拳の技で悪い外国人に一騎打ちを挑む。主人公に感化され、地元の警察も反旗を翻す。だいたいこんな流れである。

 このシリーズの魅力は何と言っても、主役を演じるドニー・イェン、今作ではマックス・チャンの、超絶技巧の詠春拳と、手を変え品を変え物量を変えて繰り出されるアクションシーンの数々である。
繁華街の看板の上を飛び回りながら繰り広げられる1対多の立ち回り。上体が全くぶれずに高速で打ち出されるショートパンチ。酒のグラスの譲り合いから流れるように移行する組み手。志を取り戻したティンチの名乗り。ドラマがベタというよりもアクションがドラマでありカンフーで人物を描いている。
やられたら即倍にして返す荒っぽさといい、人格者のイップ・マンの端正な演技とはまた異なる、ある種ダークヒーロー的なティンチのキャラクターがアクションに反映されている。

 主人公が現代に生きる詠春拳の達人という設定なので、一介の刑事が突如アクロバティックな蹴り技を披露するSPLシリーズのようなアクションシーンとシリアスなドラマの乖離が起こらないのもいい(SPL2『ドラゴン×マッハ!』は大傑作だけど)。

 「友情出演」トニー・ジャー演じる謎の黒づくめの男(本当に謎だった)も見どころ。

映画『バーニング 劇場版』

『バーニング 劇場版』

 村上春樹の短編小説『納屋を焼く』のイ・チャンドンによる映画化である『バーニング劇場版』はいくつかの点で原作から大きく変更されている。

 その一つが主要な登場人物の設定だ。村上春樹の『納屋を焼く』では語り手は作者を連想させる小説家だが、映画『バーニング』の主人公ジョンスは20代前半の若者である。金も仕事も無く、小説家志望と言いつつ何を書いたらいいのかわからずにいる。「彼女」にあたるヘミはジョンスの幼馴染であり、一見華やかではあるが境遇的には彼とそう変わらない位置にいる。

 借金に追われる母親、起訴された父親、ヘミ。ジョンスの周りは成功者であるベンと対称的な人たちだ。

 菓子パンを歩き食いするジョンスと、スポーツジムでランニングするベン。軽トラの車内でコンビニ飯?を飲み食いするジョンスと、パスタを作り、ソウルで一番美味いもつ鍋屋に誘い、高級ワインを持参し、ホームパーティーを開くベン(列挙してみたら思ってた以上に食の対比が多かった)。

 「僕」=ジョンスと、「彼」にあたるベンを非対称な存在として描き、韓国の現代社会における階級間の対立を作品に持ち込んでいるように見える。

 もう一つ、原作と決定的に異なるのが後半の展開である。ここで映画の作り手は原作のある有名な解釈に従ってストーリーを展開させる。

 それは、ベンが若い女性を狙った連続殺人犯であり、「ビニールハウスを焼く」とは彼の犯行の隠喩だというものだ。ベンが実際に殺人犯であれジョンスの思い込みであれ(その答えは曖昧にされている)この解釈を基に映画の後半部が展開する。

 これらの相違の果てに映画は原作とは異なる「衝撃的」な結末にたどり着く。
 この作品にはリトルハンガーとグレートハンガーという言葉が出てくる。ヘミがアフリカ旅行中に出合った部族の言い伝えだという。

 この映画の人物設定で言えば、ジョンス達餓えた層(=ハンガー)とその対極としてベンのような富裕層が存在する。

 「リトル」な餓えた者から「グレート」な餓えた者になること。それを、個人的な不満が社会的な怒りに変わること?と解釈するとラストのジョンスの行動は「持たざる若者」から「ギャツビー」への復讐という象徴的な性格が強くなる。ジョンスがベンを刺すことに何重もの含みを持たせているのだろう。ヘミ(を奪われたこと)の復讐だけでなく。この二人は持たざる者と持つ者にはっきり分けたのは原作との大きな相違点だから。

 小説を書き始めたのはベンが殺人犯だと確信したのと同時に見えたが、この二つのことはどう関係しているのだろうか。

 ラストシーンの炎に包まれるベンと寒空の下全裸のジョンスの対比も非常に印象的だった。この映画では焔の存在感がとても強い。父親が出て行った母親の衣服を燃やしたことがジョンスのトラウマになっている。また彼は、おそらくヘミが姿を消した(殺された)と同時刻、燃えるビニールハウスの夢を見ている(その時の主人公は少年の姿をしている。おそらく母親の衣服を焼かされた時と同じ年齢である。燃えるビニールハウスに惹かれているような表情をしている)。そしてベンを燃やしている。

 ヘミの記憶と周りの人達の記憶の食い違い(または彼女の虚言癖)はこの映画に一定の曖昧さ、不確かさの存在する余地を残してはいるが、ラストの展開も含め後半はオリジナルと言っていいほど作り手の解釈が強く出ている。

 同時存在といった村上春樹的なキーワードを散りばめつつ、韓国の現代劇として再構築している。それは原作を70年代ドイツの時代劇・政治劇として解釈したリメイク版『サスペリア』に似たアプローチかもしれない。

 良い悪いではなく、「村上春樹の『納屋を焼く』の映画化」というよりも「イ・チャンドンの『バーニング劇場版』」だ。

映画『ROMA/ローマ』

 聞いていた通り冒頭のシーンがまず凄くて、床の掃除を延々と映す映像で美しさを感じさせられることに驚いた。床を洗う水が起こす波と、水に映る上空の飛行機が結末と呼応していた。

 『ゼロ・グラビティ』が宇宙飛行であるのに対して『ROMA』は時間旅行なのか。この作品は(カメラの視点を借りた)語り手の記憶や回想というよりも、その裏側で起きていたこと、当時は知り得なかった出来事の別の顔を、過去に戻って眺めている印象を与える。

 固定された視点による長回しは、懐かしい人に触れることも目の前の悲劇を止めることもできずにただ見ていることしかできないもどかしさがあり(いくつかのシーンは早くカメラを止めてあげてと思った)、決定的に過ぎ去ってしまった時間だということが強く感じられた。

 主人公の恋人のフェルミン(クソ男)や武術のコーチの芸人やその門下生たちや武力抗争を引き起こした男たち等、「マッチョなもの」に対する批判、戯画化する視線を感じた。フェルミンが全裸で棒術を披露するシーンは色んな意味で面白い。

 悲痛な出来事が映し出される一方で愉快なところもある。一家の父親が高級車を車庫入れする場面の妙に凝った演出とその結果。同じ車を運転してド派手な傷を拵える母親。

 一家にある変化が起きた後の母親の車庫入れの場面。その出来事を乗り越えて小型車に買い換え、古い車で最後に家族旅行に行く。主人公を病院に運ぶのもこれらの自家用車だ。車は出来事を見届け、登場人物の心理状態を表す、『ROMA』のもう一つの語り手に思えた。

 「識者が絶賛してるからきっと難しい作品なんだろうな…」と観る前は身構えていたけど(実際よく読み解けてはいないけど)、良い映像作品を観たな、という充実感があった。

 自宅のテレビやPC画面だと集中が途切れる怠惰な観客なので、ネット配信の話題作を劇場公開してくれるのはありがたい。

 余談だが、観始めて真っ先に浮かんだ言葉は「犬を散歩に連れていってあげればいいのに…」だった。

Q&A

応援しててもいいですか!!

ありがとうございます!
ぼくも応援してます!

最近怒ったことはありますか?

うーん。そうですね。いつも怒ってますよ。
自分が満たされないからといって、当然のように他者や世界にそれを満たすことを要求するのはよくないです。

引越しの時って新生活の期待よりも悲しみの方が大きいよね・・・

引っ越し、新生活。そうですね。
ぼくにとっても、新生活のはじまるこの時期は心踊るような希望の季節というよりも、どこか底冷えのするような、新しい部屋でひとりどこか空虚な違和感を感じるような時期だという印象があります。

新生活。人生の季節の切断。
これまで一緒にいた人たちとの別れ、捨てるものへの負い目、離れて遠くへいってしまった人への想い。喪失感。

一方で、これからの大きく変化した生活で果てしなく続いていくだろう日々への不安。希望的なヴィジョンを描くことはできず、けれど、強制的な力で強いられる新しい生活への移行。

新しい生活。新たな環境の文化、新たな共同体のコード、新たな土地の風土。それに適応することの難しさ。まさに言語ゲーム的な飛躍に馴染むことの困難。
そこで、世界と自分のあいだに感じる不調和。世界と自分の身体が、そして私の意識がつながっていないかのような離人症的な気配。

たしかに、ぼくも適応できない方ですね。
もう、同じ部屋に8年住んでいるし、社会人になってから転職もしたことがないのは、そういった変化があまり得意ではないからかもしれません。

後から考えれば、すべて時間が解決してくれるのですが、それはいまこの瞬間の悲しみには何の解決も与えませんね。

新しい街は散策してみましたか? 散歩をして街を歩き、お茶を飲みながら人びとをながめると、新生活とこれからの日々もこんなものかなと思えるかもしれません。良き新生活を!

1日スマホ使えない代わりに1万円貰えます。何日スマホ我慢できる?

そうしたら、小型のタブレットを使うので一生スマホ使いません。

Youtuberの生き方について賛成ですか?反対ですか?

Youtuber がやりたかったことが Youtuberとして生きることであったなら、自分のやりたいように 自由に生きることはいいことなので、いいのではないでしょうか。

とはいえ、人のまなざしを受けて生きることを選択する以上、いつも人のまなざしの中で生きることの覚悟は必要だと思います。

まなざしを向けられることは他有化といって 他者の評価によって生きることになりますし(自己疎外)、PVや広告で稼ぐ必要がある以上 本来的にはやりたくのない企画をやったり やりたくないことを(稼ぐ)ためにしたり 話さなければいかなくなるでしょう。

個人的には、そもそもプロとして なにかクリエイティブなことをする生き方というのは、自分自身の探求と 他者からの評価という 矛盾するものを同時に求めなければいけないので、生き方としてはあまり評価できないです。
けど、それが自分のしたいことならYouTuberもいいかもしれないなと思います。

うーん。だけど、やっぱりぼくは 人の注目を集めるような生き方はストレスがあるし、自由だとは思えないからやりたくないですね!

怖い話って嫌いじゃない?

ものにも依るのですが、未解決事件系の話は本当に怖いです。事実が多いと思うのですが、人間は、その温かさの一方で一瞬の狂気やあるいは深淵や闇を持つものなんだなと。

怖い話でも、心霊現象系の話は唯物論者なのでそんなに怖くはないです。あ、幽霊の話?怪談?エンターテイメントと思えるからでしょうか。

とはいえ、むかし大学生の時に何人かで心霊スポットに行って、ほんとうは存在しないらしい鳥居の前で写真を撮ったりした記憶もあるので、すべて心つがいやさかいとも思います。

とりあえず、やさしい世界を期待していきたいです。

お金が足りない時はどうしてますか?

何人かで飲みに行って、支払い係をやってクレジットカードで支払い、現金をもらいます。

それから、クレジットカードでビタミン剤とオリーブオイルと塩と安いパンと紅茶のティーバッグを買います。
しばらくはそれを食べて、青空文庫を読んですごします。

まあ、困った状況なら親に頼んじゃうな。

LINEスタンプなんこ持ってる?

5個くらい持ってます。「ひもっくま」とか「あしたのジョー」とか。

「携帯少女 ミム」がいちばん使いやすくて好きです。

ものすごく疲れたときやイライラしたとき、どうやって気分転換しますか?

ものすごく疲れたときはKREVAの『愛・自分博』を聴いて(ティーン・エイジャの頃に聴いて勇気づけられた音楽)、お風呂に入り、マッサージ・クッション(首肩用と肩甲骨用と腰用の3つを持っています)でマッサージして、アルコールを飲んで(翌日大丈夫そうな場合は)、寝ます。ヘパリーゼを飲んでも良いかも。
本当に落ち込みそうなら、ミューズを求めてアイドルの曲を聴いてみるのも男女問わず常套パターンです。お笑いでも良いですね。

イライラしたときには、セロトニンを出すために散歩し、それから呼吸法を意識するために口先からヒューっと息を吐きます。クソくらえみたいなことを言っているバンドの曲を聞いたりもします。パンクとかポスト・パンクとか、まあ、なんでもよいです。

それから、問題を直視して、本当の問題なのは何なのか?をよく見つめます。
だいたい、構造的な問題や誤解であったりすることが多いので、自分を責める必要はないです。
怒りを抑えてひとつひとつ言語化していき、まとめて体系化していきます。
結論が出ればシンプルだし大したことなくなります。虫歯が痛くても、神経抜いたり、治療したら大したことなくなるのと同じです。

もちろん、事実からそれをもとに反省したり教訓を学ぶことも大事です。とはいえ、てめー 俺の人生にお前文句あるならお前の人生 俺によこせよ??できるよね???です。

無理せず、落ち着いて、できる限り素直に、けれど エレガントに生きられたら良いですね。

口癖はありますか?

口癖というか、文法がかなり定形化されているので語彙とか驚くほど少ないです。

ぼくの真似をする牧瀬まきを氏というのが、かなり的を射てます。

「あ〜、完全に理解した。〇〇的〇〇な人たちと〇〇的〇〇な人たちとがあって、完全に自分はこっち側で、もはやそれはパターンなわけ」

みたいな感じです。かなり言文一致しているので、まきを氏いわくぼくのツイートは声が聞こえるそうです…!

あとは「〇〇感がある」「ふつうに考えて」「それが意味するのは〇〇というよりも、むしろ〇〇」とかみたいなパターンがあります。

何歳から何歳までストライクゾーンですか!

上下 5歳くらいなので26〜36歳くらいかな。だいたい、上下10歳差以内ならそれほどの違和感はないのでは。
年齢のギャップみたいのとか 大人になると そんなにないと思うんですよね。ある年齢をこえると、人間そんなに成長しない。

ちなみに17才とか18才とか16才とか違和感ないと思うんですよね。
けど、28才はなんとなく違和感があって28歳のほうがいい気がする。
そんな風な感じがあります。

スマホ何もってます?

スマホはチープなAndroidと通信契約のないiPhone6sの2台持ちです。iPhoneすこし高すぎませんか?あれ、部屋の中の何より高いと思うの。洗濯機や冷蔵庫、ダイソンの掃除機やTiffanyのアクセサリーもあれより安いと思うのです。少しついていけないな。幻想力強すぎるのでは。

むかしは、ぼくもボール・グレアムの『ハッカーと画家』とかジェフ・ジャービスの『グーグル的思考』を読んだり、Evernote使ってIT礼賛だったんですよ。

けど、みんな”Think different”って覚えてる?”Don’t Be Evil”って覚えてる?
マルクスとエンゲルスがやったような革命的なことをガレージでやったんじゃなかったのかな?

ITは人びとのライフスタイルを豊かにしたとともに、同時にかなりクリティカルなレベルで人びとを疎外し貧しくしたと思います。たとえば、SNSはあるべき姿ではないと思う。マルチチュードな”ソーシャル・ネットワーク”こそが本来的なSNSの可能性の中心だったのでは? 少なくとも、ぼくは最近はITよりカセットテープやレコードで聴く音楽にこころを動かされています。

とはいえ、EvernoteもDropboxもAmazon PrimeもApple MusicもAudibleも契約してますよ? NetflixとHuluは時間泥棒なので一時解約中。
いんたーねっつ最高!!

独楽ということは、独楽がくるくる回り続けるための紐が最初にあったと思うのですが、CoMAさんにとっての紐とはなんだったのでしょうか?

ぼくはけっこう大人しくて優しくて誠実そうに見えるらしいのです。
それってダサいじゃないですか?

そう思われたりするのに イラッとムカッとして、そうゆう周りからの目線や期待に応えようとなんか絶対にしない。自由にふざけてやるぜと、小学2年生の時にこころに決めたのを覚えています。

_人人人人人人人人人_
> 成長していない <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^ ̄

CoMAの由来ってなんですか?

独楽(こま)です。ひとりでくるくる。MoMAっぽくしようとふざけてCoMAです。もだーんでしょ?

ジェイ・マキナニーの『Bright Lights , Big City 』という小説にcoma babyというのが出てきます。どうしようもない小説だけれど、こころにぐっときます。よいです。

Guns N’ Rosesの曲にComaという曲があります。『Use Your Illusion I』というアルバムに入ってます。ただ長いだけの曲かもしれないけれど。

アメリカ文学科卒ですか?

文学部は落ちちゃいました!あこがれてたんだけどな~
なので、都市教養学科卒です。

今まで誰にも言ってない秘密を教えて!

たぶん ないです..!

映画『THE GUILTY』を観る。

映画『ギルティ』を観た。
劇中の会話の95%が主人公と誰かとの電話によるものという、とても特徴的な映画。
視覚を完全に奪った中で観客を欺くオチとその後に残る嫌な感じ(後述するが主人公と観客の共犯関係)は、この映画でしか成し得ない体験だと思う。
その点に関しては見事だった。

映画を観ながら視覚情報について考えるということは、例えばキューブリックや最近で言うとウェス・アンダーソンみたいな完璧な構図を前にしてという時が常だと思うが、今回のように完全に情報を遮断された時に、如何に人間が視覚に頼っているかということを改めて感じさせてくれた。

例えば、少し前に視覚障害者の方のために映画に音声解説を入れるという特集をタマフルでやったときに感じた、音声のみから映像を想像する際の聴覚の研ぎ澄まし方や、より広義に捉えれば小説を読みながら映像を想像するという体験に近い。
その中でこの映画は嫌らしく観客のミスリードを誘う。

大半の人間はこの映画のオチが分かったときに、絶句するはず。その後に如何に自分がありふれた範囲までしか想像が及んでないか、限られた情報で決めつけの判断を下してしまうかというところに自己嫌悪する。もちろん主人公もこの錯誤にはまっており、ここで主人公と観客の共犯関係が成立する。

映画のタイトル『ギルティ』にちなんで、主人公はラストで事件とは無関係の完全に個人的な罪について告白する。物語は終息を迎え、主人公は初めて物語中に居た部屋から出る。
個人的にはここは少し甘かったと思う。受け手のミスリードや手を差しのべられない不能感による共犯関係でいえば、『こちらあみ子』に代表される今村夏子の諸小説のどぎつさには及ばなかった。

ただ、緊迫感の演出や一定のリズムで鳴り続ける音のバリエーション(電話の着信音、電話越しの雨やサイレンの音、水に薬が溶ける音まで)の不気味さなどは、普段は無意識に排除される事で、映画体験としては斬新だった。

映画『女王陛下のお気に入り』を観る。

映画『女王陛下のお気に入り』を観た。
前作『聖なる鹿殺し』でランティモスに期待外れな部分があったけど、今回は余りにシンプルにとても面白かった。
ざっくり言うと、『寝ても覚めても』と同じく、ヤバい監督がありふれたテーマの商業映画を撮ったときに起こるおかしくなる感じが要所にあった。

ストーリーはシンプルで、宣伝では‘’海外版大奥‘’と言われてるみたいだけど、まさにそう。政治音痴の女王ゆえ、政治の話も本題には全く絡まず、シンプルに女王をめぐる女官の争い(しかも争うのはたった2人の一騎討ち)に終始する。なのに余りに面白い。魚眼レンズを使ったカメラでの撮影や当時の豪華絢爛な美術セットや衣装など楽しめる要素は多々あるが、やはりこの映画は女優たち名演に尽きる。
オリヴィア・コールマンが主演女優賞を取ったときはグレン・グロース前世で映画冒涜したとしか思えんと確信したけど、この映画見たら正直解らんでもないと思えた。

腹グロのエマ・ストーンと真っ直ぐなレイチェル・ワイズの2人のやりあいも見応えがあった。
僕は男子だからこのテーマをファンタジーとして楽しめたし、これからもずっと好きな映画でいられることが嬉しい。
女子は他人事としては見れない部分もあるだろうなと。

2019年1月期ドラマ時評 2月末進捗

1話完結の連ドラは型が見えた段階でいつでも切れるし、逆にその型での最上の回が突然来たりする(大げさかもしれないがこのドラマはこの回のためだと思える)ので、簡単には切れないし、その回でドラマの評価を決めたい。
5話の『アタル』や6話の『イノセンス』がまさにそうだった。

もちろん1話ごとに型の中でのバリエーションを作り、その蓄積から神回と呼ばれる回は生まれる。つまり、回を重ねるごとに良い回が来る可能性が上がるのが一般的。ただ、最近の傾向としては中盤あたりに一度完成形を見せ、その精度を基準としてドラマ自体の質が担保されるケースが多い気がする。

『イノセンス』6話

初回から言ってる弁護士が無罪を勝ち取り続けるという設定自体が非現実的なので、そこの解釈を如何に広げるかというのがこのドラマの鍵だが、本作はそこに極めて明確にアプローチをしている。
今回もまさにそうで、結果だけを見れば被告人は無罪判決を受けた。

ただそこに複数の事件を絡め本件では無罪だけど別件では裁かれるべきという被告人の中の二面を用意した上で、無罪を勝ち取った弁護士の正しさという尺度を揺さぶるというというこのドラマの型の一番のテーマが見事に描けていたと思う。ゲストの吹越満・須賀健太の演技も素晴らしかった。

『スキャンダル専門弁護士 QUEEN』6話

今クールの民放ゴールデンでは間違いなく最も完成度の高いドラマだが、視聴率が悪いらしく、全くと言っていいほど話題になってない。
この完成度の高さを言語化(記事として取り上げる)しにくいのも分かるし、受け手にも伝わりづらいのも分かる。

敢えてここで少し解説すると、ドラマのテーマである昨今社会を騒がせている謝罪会見とその元ネタ(アイドル、企業のセクハラ/パワハラ、スポーツ界、都議会野次、夫/妻のDV、電子決済)についてはリアルタイム性を兼ね備えつつ丁寧に扱われているが、注目すべき点は正直そこではない。

実はこのドラマの凄さは1話完結を支える型の構成自体にある。
まず、主要4人のキャラクターと配置のバランス。コメディに寄りすぎない程度に無駄話を交えじゃれ合いながら、お仕事チームもののような団結力をほぼ感じさせない。
あくまで仕事上の付き合いというリアリティが体現できている。

それを支えているのが、アドリブに近い脚本(実際アドリブも多いと思うが)を書く倉光泰子。ストーリー上の重要な場面では差別を煽りかねない強い言葉を敢えて使い緩急を付けている(後述する氷見の危うさ)部分もさすがだと思う。
後は、何度も言及しているが関和亮の演出・撮影が一目で分かる新しさ。

WOWや去年だと『dele』はなんかは頑張っていたが、まだ民放ドラマでここまでしっかりと画面を作り込んだ作品は少ない。
これからラストに向け、主人公・氷見の素顔が暴かれていく。
1話から徹底して白と黒以外の服を着ていない氷見紅は、シロかクロか。
最後まで目が離せない。
あと泉里香やっぱ好き

映画『半世界』を観る。

映画『半世界』を観た。
39歳という人生の折り返しを迎えた3人の幼馴染みの話。
タイトルの半世界に込められた意味に注視して観ていたが、特に前半は徹底的に救いのないストーリーが展開される。
余りにも無慈悲で一種の純文学的な物語だと気づいたときから、全てがそう見えてきた。

独り釜で炭を焼く職人、後輩の殉職がトラウマで田舎に戻ってきた元自衛官、地元の中古車販売店店員、息子とのコミュニケーション不全、不健全な父性、田舎の狭い人間関係、陰湿な苛め、漁村の風景、拭いきれない血の力など、小説だったらお手本のような土着文化を扱った文芸作品になっていただろう。

田舎ならではの荒廃した街の描写と自然の豊かさは現代における半世界(反世界)と呼べるものだろう。その他、半分が強調された世界の描写も多くあり、特にラストの日が射しているのに雨が降っている中でのシーンは強く印象に残った。

映画の中で主に描かれるのは3ヶ月という短い期間たが、物語以前もこうやってダラダラと光の見えない毎日が続いてきたこと、そしてこの先も好転することなく日々が続いていってしまうんだろうという事が窺える。この長く苦しい毎日から抜け出した主人公をどう見るか、また世界を知った出戻りの彼の「ここもまた世界」という台詞をどう捉えるか。

映画『バーニング 劇場版』/『THE GUILTY』を見る。

今月、見逃してはいけない映画は『バーニング 劇場版』と『THE GUILTY』だろうかと考え両作品を観た。

『バーニング 劇場版』

いかにも映画っぽい瞬間しかなくてとても面白かった。

村上春樹的なメタファー会話や世界の中にぽっかり口を開けた空虚の存在と、村上春樹っぽくない非モテ属性の主人公や韓国の社会問題や田舎の土の臭いが、相反せず作品を肉付けしている。韓国の今・ここの物語でありながら、不可知の暗闇も感じさせる。

姿の見えない飼い猫も夜中の無言電話も映画の結末も一見現実的な説明が与えられているが、決定的な瞬間は一度も描写されない。ヘミが幼い頃井戸に落ちた話のように真相は宙ぶらりんで、未来と同じくらい過去も現在も不確かなものとなっている。

納屋(ビニールハウス)を焼くという隠喩がビニールハウスで韓国の農村に結びつく。そこから貧富の格差が描かれ、主人公に対比されるベン=ギャツビー(=何で稼いでいるのかわからない金持ちの若者「韓国にはギャツビーがたくさんいる」)を通して、韓国の社会問題とアメリカ文学両方に連想が繋がるのが面白い。

同時存在の意味はよくわからないけど、Aであると同時にBである、連続殺人犯であると同時に無実の女たらしである、妄想に駆られた狂気の人間であると同時にルサンチマンを抱えた不遇な凡人であるというような、虚実が並行して存在する感覚は、フィクションを通してしか描けないものだと思う。

北朝鮮との国境近くの農村って韓国ではどういう位置付けなんだろうか。フォークナーにおける「南部」と重ねられているのだろうか。

『THE GUILTY ギルティ』

これは面白かった。ほとんど警察のコールセンターのやり取りだけでドラマが進行するのだが、「限られた情報で事件を解決する」というよりも「限られた情報しかないから真実を取り違える」要素が強く、見えないことがひたすら怖かった。暗闇の中でもがき続ける話だった。

子どもを装い犯人の情報を聞き出す場面や管制室とのやり取り等、通話音声だけを頼りに誘拐犯を突き止めるサスペンスに前半は引き込まれる。だが解決に焦る主人公の独断専行が増えるにつれ、事件の真相も彼の人格も別の顔が見えてくる。そして後半のある会話で、あまりにも痛ましい過失が明るみになる。何が起きていて誰に罪があるのか二転三転するストーリーの中で、裁かれることを受け入れた者同士がわずかながら救われるクライマックスにタイトルの意味が示される。傑作。

映画『バハールの涙』

『バハールの涙』を観てきた。凄かった。
世界のこういう実録ものを見るたびに自分の無知を痛感する。
作り手の伝えなければという責任感があまりに強すぎて、受け手の想像力を奪いかねない箇所がいくつかあったように思えるが、それでもあそこまで真正面からテーマを描いた力強さと勇敢さは他に換え難い

単に女性が自らの尊厳のために戦うという通り一辺倒なストーリーではなく、戦士の長となり戦うバハールとそれを間近で記録し続ける女性ジャーナリストの視点のバランスなどには計算が感じられ、物語の終わりに用意された残る(続く)戦士と還る(広く伝える)記者の信頼とそれぞれのその先を感じられた。

パターソンの時もいたく記憶に焼きついたけど、改めてゴルシフテ・ファラハニの神々しさに終始釘付けだった。
美しい彼女の砂埃で汚れた頬を伝う涙の跡を忘れてはならないと思った。


話は逸れるが、婚姻届を提出した当日に一人で映画館で映画を観た人間っているのだろうか。
極寒の小雨降りしきる中、晴れて結婚した。

2019年1月期ドラマ時評

昨日、新年会を兼ねて先輩と会って話したが、1月期のドラマは今のところあまり豊作ではないかもしれないという印象。『3年A組』『トレース』『刑事ゼロ』『人生が楽しくなる幸せの法則』『メゾン・ド・ポリス』『私のおじさん』『さすらい温泉』『デザイナー渋井直人の休日』あたりは、初回でもう特に言うこともないという感じ。

今日までで初回放送済みで残すのは『ゆうべはお楽しみでしたね』『スキャンダル専門弁護士』『フルーツ宅配便』『グッドワイフ』『初めて恋をした日に読む話』『ハケン占い師アタル』『トクサツガガガ』かな。
これプラス今週始まるのもいくつかあるから十分なんだけど。

『ゆうべはお楽しみでしたね』

『ゆうべはお楽しみでしたね』は本田翼とオンラインゲームの親和性(ほんだのばいく)と深夜ドラマのゆるさ、『フルーツ宅配便』は風俗嬢の有象無象を不能の男性の目線から見守る視点で描く点と地方都市(Uターン)、『初めて恋をした日に読む話』はラブに寄り過ぎない(希望)落ちこぼれ塾講師とヤンキー高校生のバディーものの側面が光った。

『スキャンダル専門弁護士』


今のところ一番は『スキャンダル専門弁護士』かな。
初回見た時にラストがあまりにコテコテでいただけないなと思ったけど、2話ではストーリーに抑制が効いて本来このドラマの売りである撮影・演出・脚本などが際立っていた。

倉光泰子のオリジナル脚本はアドリブのようなセリフがテンポ良く交わされ、1話完結のストーリーにも王道を与えず、バラバラに用意した要素を帰納法的に集めて解決するスピード感・整理力が素晴らしい。

関和亮の演出・映像も冴えていて、全体の撮り方もそうだけどカットが変わる前に意図的に竹内結子初め役者のアップを抜いたり、2話の最後の背面からのショットも良かった。

ネット記事を見ると昨今の芸能人の不祥事における謝罪や1話でアイドル2話で社内セクハラやパワハラを扱ったセンセーショナルさを讃える記事も散見されるが、別にその部分に新しさはまるでなくて、見るべきは脚本・演出・映像の3つ。
年上の3人の女性とチームを組む最年少の中川大志も素晴らしい。

今クールは『グッドワイフ』『スキャンダル専門弁護士』『イノセンス 冤罪弁護士』と弁護士ものが3つも。幾ら作りやすいからといってあまりにも専門職ものに拘泥するのは個人的には危険だなと思うが、まだ始まったばかりだし静観。

『イノセンス 冤罪弁護士』初回


弁護士ドラマとしてはあまりにもオーソドックス過ぎる作りだが、丁寧に作られているとは思う。
冤罪というテーマで毎回無罪を勝ち取るという展開には現実味が無いので、今後は真実を究明しても事実は覆せないといった挫折の展開も予想できる。

その時に、警察も検察も被告の証言をも鵜呑みにせず、しっかりと証拠を集め事実確認を行い真実を明らかにするという行為がいかに重要かを今の時代状況と向き合った上で主張することには十分に意義がある。
寡黙な主人公の静かな情熱にもう少し付き合ってもいいかなと思った。

『ゾンビが来たから人生見つめ直した件』初回

初回に関して言えばこれは物凄く良く出来てた。
今ゾンビものを真正面から作るリスク(『カメラを止めるな!』の二番煎じ)を完全に逆手に取って、ゾンビを非日常の意味的なメタファーとしてのみ使い、そこに地方のアラサー女子をぶつける狙いが素晴らしい。

いつの時代もゾンビは不安や危機のモチーフであり、物語のテーマはあくまで一つ屋根の下で暮らさざるを得ないアラサー女子3人の現状。彼女たちが抱える三者三様の問題を30分という短い尺の中で見事に解説しきっていた。
終わりなき日常に亀裂が生じた今後の彼女たちのあられもない生命力に期待。

『トクサツガガガ』初回


特オタを隠しながら日々を過ごす女の子の苦悩や奮闘をコメディタッチで描く。今でこそ世間のオタクに対するイメージはかなり軟化したが、それでも特殊な趣味趣向は特に職場において、未だにどの程度までオープンにするかと悩む人も多いはず。

会話の流れでたまたま発覚し意気投合したり、はたまた思い切って打ち明けたら死ぬほど盛り上がらかったりと、誰もが経験したことのあるようなあるあるで今後物語が安定して進んでいくのだろうと予測できた。
小芝風花のコメディエンヌぶりと特撮的な演出も嫌味がなく好感を持った。

原風景としての郊外

都市に生きるというのは根なし草として生きることなのかもしれない。人波に流され根なし草として彷徨い、それでも心の底にある邂逅への淡い期待。ぼくはやり直せるかもしれない。また、あたらしくはじまるものがあるかもしれないという淡い期待。

あるいは、ぼくらがアーバン・リベラル・アーツとかポストモダンなシティ・ボーイらしくどんなにうそぶいてみても、きみは根なし草で、きみの原風景は風の吹く乾いた地方の郊外じゃないか?という事実を友人と共有したことから2019年のはじまった。

他方で、郊外に残された者、戻った者。そこにはかつて存在したという神話のような共同体は存在しない。血縁だってほとんどないかもしれない。 そこにあるのは記憶だけだ。商店街は死に絶え、駅前のレコード・ショップや古着屋や雑貨屋はもうない。ティーン・エイジャの頃のイノセントな記憶と気配。

人々は国道沿いのモールに車を走らせ、日常性を補充する。食品(パンや牛乳あるいは冷凍食品)や日常雑貨(歯磨き、トイレットペーパー、LEDの蛍光灯)あるいはZARAやGAPなどのファッション、家電、自転車、ペット用品。休日のレジャーもそこにある。映画館、ヨガスタジオ、カフェ、フードコート。

年に何度かぼくらはその地に足を運ぶ。両親の顔を見て、ぼくはあと何日間一緒に過ごすのだろうかと思うこともある。 地元の友人たちとの飲み会。子供と住宅ローンについて話す大人になった友人たち。人妻になったかつての同級生。 そこで何日か過ごし、それからぼくらは湘南新宿ラインで日常に戻る。

2018年の終わりに

2018年も残りわずか数時間となった。
以下のエントリーからすでに一年がたった。

2017年12月31日現代中国を描く大河ドラマ 小説『兄弟』/映画『山河ノスタルジア』

2018年は、年初から米朝関係が大きな動きを見せ、2月・3月からは米中間の対立が激化し貿易戦争が開始され、現在では冷戦とも思えるような様相を見せはじめている。現在もカナダにおいてHuawei創業者の娘でHuawei副会長の孟晩舟氏が逮捕され拘束されており、中国においても複数のカナダ人が逮捕され拘束されている。

フランスではイエロー・ベスト集団による革命的ともいえる抗議デモ=騒乱が発生し、マクロン政権は年明けに予定していた燃料税増税を中止した。イエロー・ベスト運動は、アイルランドや台湾にも波及しているという。

また、日本国内でも日産のゴーン代表が逮捕され、フランス・ルノーとの対立姿勢を見せており、ルノー・日産・三菱との同盟関係にも変化が出てきている。

これらはあたかも相互に結びついた問題にもみえる上に、あるいはサイバー戦争や日産コンツェルン創始者・満州重工業開発株式会社総裁の鮎川義介と岸信介との関係なども想起される。

一方で、景況感は行き詰まりを見せはじめ、ビットコインは昨年12月の最高価格から80%下落し、中国を代表するIT企業テンセント株は1月の最高価格から一時47%株価が下落、上海総合指数も年間を通して30%下落、バブル崩壊後最高値を記録した日経平均も20%下落、米国のIT企業の5強FAANG(Facebook、Amazon.com、Apple、Netflix、Google)の成長も頭打ちとなり下落した。

他方で、昨年12月1日に天皇陛下の生前退位が発表されたことから、この一年を通して平成という時代の終わりが感じられた。天皇陛下の退位は2019年4月30日が予定されている。

だが、あるいはと思うことがある。あるいは、平成は恐慌と震災がありながら、それでも小春日和とデモクラシーの季節だといわれる大正に似た時代だったのだろうか。


個人的には、2018年という年は多くの文章を書いた。

そして、現象学的存在論、偶然性(状況)、エンカウンター(邂逅)、共存(共-存在)、アンガージュマン(自由)、弱さとあわれみ、それから東方アジアについて考えた年だった。
これは20歳くらいから10年近く考えてきたことでもあった。ようやく整理され、体系づけられたように思う。

あるいは、経験から「近すぎると、見えなくなったり、傷つけたり、ダメになってしまう。」「俺たちは空っぽだから知らず知らずのうちに人を傷つけてしまうけれど、優しくなれるように努力するしかない。」ということを身を持って学んだ。

以下が、この1年間で書いた文章だ。

2018年01月12日アイデンティティとナショナリズム

2018年01月12日日本語のエクリチュール/パロールと中国語

2018年01月27日西洋コンプレックスとアジア的意識近代/一神教/自由の意味

2018年03月03日哲学賭け愛するということ

2018年03月15日〈ガチャ資本主義ゲーム〉価値とルール

2018年03月18日映画『リバーズ・エッジ』を観る。

2018年03月25日人文の終わり/批判的であることマルクスからスティーブ・ジョブズへ

2018年04月01日2018年のエイプリルフール

2018年04月08日「人生は歩きまわる影法師、あわれな役者」~DNA-偶然性運命論自由~

2018年06月30日小説『サリンジャー的、サルトル的 Like Salinger, Like Sartre』(抜粋)

2018年07月01日草稿ノート 評論『サリンジャー的、サルトル的ー現代日本の文学精神』

2018年07月15日映画『少女邂逅』を観る。

2018年09月21日タイ(バンコク・アユタヤ)を旅する聖なるものと俗なるものの濁流をさまよう

2018年10月25日『東方のラビリンス』

2018年11月02日柄谷行人と村上春樹-デカルト、フッサール、サルトルと構造主義からの批判

2018年11月09日『音楽が終わった、その後で』

2018年11月23日Sounds of the City

2018年12月10日映画『ボヘミアン・ラプソディー』を観る。


最後に、今年、個人的に大きな影響を受け、あるいは考えた「本」「映画」「言葉」を。

「本」

・ジェイ・マキナニー 『Bright Lights, Big City』

・雑誌SWITCH THE NEW LOST GENERATION[あらかじめ失われた世代]

・ベルナール=アンリ・レヴィ『サルトルの世紀』(再読)

・梅木達郎『サルトル―失われた直接性をもとめて』

「映画」

・『台北暮色』(『強尼・凱克』)(台湾)

・『少女邂逅』(日本)

・『きみの鳥はうたえる』(日本)

・『アンダー・ザ・シルバーレイク』(アメリカ)

・『僕らの先にある未来』(『后来的我们』)(中国)

「言葉」

Decade(2008年前後を遡行して)

ドラマ『僕らは奇跡でできている』最終回

いいドラマだった。相河一輝というキャラクターを創造し、彼に沢山のことを教えてもらったというか再確認したということだけで満足。脚本家・橋部敦子の最高の仕事だったと思う。

現代的な生き難さというテーマでこの作品を『獣になれない私たち』と比較していた部分は多く、先ほど『獣になれない私たち』の最終回の感想のところで書いたけど『僕らは奇跡でできている』は物語で徹底的に“ない”を否定し続け、最終回では受け手の創造を遥かに超えた“あるかも”(宇宙へ行く)を“やる”と宣言した。

これは明らかに受け手からのあり得“ない”という非難を承知でやっており、作り手としてはそこの“ない”という態度に少しでも疑問を持って欲しいというメッセージだったと思う。そこには『獣になれない私たち』と共通する自分を信じるという命題への直面があり、本作は単に自分の好きなことをやるという提案ではなく好きなことを見つけることこそが奇跡への第一歩だと、そこを自分で納得して動けることこそが重要だということだろう。好き放題していた相河先生も実は最後はしっかり成長している。「水泳とロシア語」は興味がないけど宇宙に行くためにやれるのは水本先生のおかげだと感謝したシーンがそれ。

こうやって“あるかも”を前提に物語が良い方に進むのは偽善的でつまらないと思う人も多いのは分かる。ただ、現実の手に負えなさを改善するヒントとなる向こう見ずな希望の物語は個人的には好きだなと思う。

大河原さんの不在の存在も良かったし、エンドクレジットの毎回特定のところに色がつく意味のある演出も見逃してない。最終回はクレジットまるまる虹のように色が変化していた。とても幸せな物語だった。

ドラマ『獣になれない私たち』最終回

ラストに間違った?と台詞が出るあたりがまさにそうで、彼女彼らの性質からするとあの選択肢は未知の領域であり、つまりこの作品で初めて一線を越えたことになる。獣になれないという比喩的な苦しさを対岸から見つめた時、彼女彼らは何を語るのか。頑張って欲しいところです。

本作に関して一貫して否定的だった自分からしたらこの上ない納得の終わりだった。裏を返せば、その生々しい苦しさ同感していた人たちをある種裏切ったラストだったとも言えるはず。自分が本作に感じていたドラマ的な難しさというのは、フィクションとの境界であり、こういうリアリティベースの群像劇が一定程度虚構性を排除し現実世界に誠実でなければならないというのは必然だろう。

ただ、あくまでドラマはフィクションであり、物語的な起伏が無く、登場人物たちもその場で身動きが取れずもがいていると、早くそこから救ってあげてとどうしても思ってしまう。

本作がこの問題に果敢にチャレンジしていたのは最終回の構成でも自明である。最終回前で二人は初めて一線を越えた(これは単に寝たという意味ではなく)のだが、その件について最終回の冒頭から話し始め、60分の内の30分を使う。もちろん30分ずっと二人の会話劇が続いた訳ではなく、その間に二人に関係する人たちがそれぞれの問題を抱えて救済を求め現れることで、二人にとっての重要な話し合いが自然と先延ばしにされていく。これこそまさにこの作品全体の構造そのものであり、自分がいの一番に向き合うべき問題が他人への譲歩や干渉によって薄れていくのである。

不特定多数の周囲の人たちを大切にするというのは現代人の最重要課題である。ただ、その中においてもある程度自分を信じて生きてく環境を整える努力をすべきではないかと思う。5tapには行かないが結局本物の鐘に関係を委ねた本作のラストそうなったようななってないような終わり方だった。

自分だったら絶対に本物の鐘が鳴る前のグラスを合わせる描写を鐘としてこじつけて、「鐘が鳴ったから大丈夫、上手くいくよ」と言う。そこに根拠はないけど、自分を信じる力があるから。ただ、それが最後まで出来ないのかこの主人公たちひいては現代人たちということも分かるので、その微妙なバランスを踏まえた上で、ラストをあそこに落ちつけたというのは評価する。

最初から最後まで徹底的に“あるかも”を排除した“ない”前提の物語、最後にほんの少しだけ“あるかも”を信じれた、その小さな変化を読み解くような極めて繊細なドラマだったということでしょうか。いい経験でした。

映画『ア・ゴースト・ストーリー』を観る。

昨日『ア・ゴースト・ストーリー』観てきたけど、ちょっと僕のこれまでの経験ではうまく語れないタイプの映画だった。
カメラワークで言えば極端な長回しとたまにある俯瞰的な映像、ゆったりとしたパンなどこれが物語的には幽霊の視点と解釈してもいいところなんだけど、実はそれでは説明がつかない。

少し前にNHKでやった『カラスになったおれは地上の世界をみおろした。』というドラマは、人間とカラスの身体が入れ替わるという設定で、カラスの目線の映像を全部ドローンで撮影したというものだったが、この映画の映像もそういったものに近いニュアンスで撮影されていたのだと思う。

主人公が死んで幽霊になり、その姿で自宅まで帰り恋人を見守り続ける生活(というか死に活)が始まるのは間違いないから、あの幽霊は死んだ主人公なんだけど、途中で対面の家にも同じ姿の幽霊が現れたり、実は悠久の時を超えて存在してしている幽霊の存在も明かになり、後半はスケールがかなり大きくなる。

ラストシーンでは幽霊は成仏され形を失うのだが、恐らく成仏という概念はキリスト教的には無いはずで、そうすると鎮魂と成仏の違いなどが気になる。ただ、後半のスケールを考えると幽霊というのは遺された者の記憶や思い出のメタファーなのかもしれないとも取れる。それなら鎮魂や成仏とは切り離される。

死んだ主人公が幽霊になり恋人を見守るという設定にも関わらず、特に最後まで暖かみは一切感じず、台詞も極めて少なく無機的なシーンが最後まで続く。ただ、このポジションをロボットに代用できる時代において、敢えて幽霊という荒唐無稽な設定にこだわった部分に作り手の意図は集約されているはず。

映画『ボヘミアン・ラプソディー』を観る。

『ボヘミアン・ラプソディー』とてもよかった。だが、より注目されるべきは、この2018年に人びとが人びととつながりAssociateするような映画が作られ、人びとを魅了していることだろう。他方で、『獣になれない私たち』に見られるように、人びとが解離的や独我論的に生きる時代にである。

あるいは、2018年現在は世界中でポピュリズムが席巻し、ヘイトスピーチが行われ、深センではプロジェクション・マッピングによりプロパガンダが流れ、パリでは暴動と激しいデモが行われている時代でもある。

イーン=フレディ・マーキュリーはメタファーとして境界例的な力があった。彼らのパフォーマンスは人と人との境界を溶解させ集団として人びとをつなげた。フレディはその自らのすべてを開放して免疫系をやられながら45年の人生を全うした。そして、それは伝説にすらなった。

フレディ・マーキュリーの死後数年、彼から影響を受けたカート・コバーンが自殺する。1994年、日本では『新世紀エヴァンゲリオン』が発表された年でもある。精神性は時代を反映する。70年代頃までは対人恐怖や神経症が多く、80年代は境界例の時代であり、90年代以後は解離性障害が増加したという。

そして四半世紀が経った。2018年、映画『ボヘミアン・ラプソディー』は人びとに涙と感動を湧き起こしている。
右腕と拳をかかげるフレディ、クイーンはマイノリティによる連帯のひとつの形だったのだろうか。

映画『アンダー・ザ・シルバー・レイク』を観る。

『アンダー・ザ・シルバー・レイク』面白かった。
これだけふんだんにポップカルチャーを盛り込めば、何処をどう取り上げても議論が白熱するのは自明で、それはそれで楽しいのだが、個人的には一見複雑そうに見えるストーリーと現代におけるオタクという存在に注目した。

この物語のストーリーは紆余曲折がありながらも、最後これでもかと言わんばかりに明確な落ちがある。
一般的に陰謀論や都市伝説ものの面白さは、①推理の過程と②ラストの信じるか信じないかはあなた次第という2つであり、もちろんこの作品も全編にわたって①は大いに繰り広げられる。

それは冒頭の落書きのメッセージから最後の自室のシーンまで99%がそうと言っていい。しかし、この作品は②が全くない。なぜなら、ラストで主人公が信じた答えが示されるからである。作品中延々と振り回された主人公は最後に全てを踏まえた上で、そこから降りる決断をし物語を終わらせる。

陰謀論や都市伝説を解読した者はそれだけで選ばれた者であり、場合によっては大富豪になりうる可能性すら秘める。しかしこの主人公は、その可能性を他社に譲渡し(自室に◇◇を記し)、隣人の部屋へと向かう。地図上の大がかりな謎解きの矢印が最後の矢印移動に選んだのが歳の離れた隣人だったのは面白い。

この選択は何度か来る母親からの電話とも呼応する。簡単にこじつけ過ぎかも知れないが、マザコンとオタクという個人的に着目したもう一つのテーマである。主人公のルックスとオタク走りのギャップがチャーミングだった。
彼の謎解きの力は紛れもなくオタク的な深堀りの力である。

ネットを使えば誰でもそれ相応の知識が手に入る時代に、その有効な仕分けや使い方、自らの領域においては曖昧さを一切排除して明瞭な回答を導くこと、さらにそれを踏まえて自ら決断する迷いの無さも、今の時代へのメッセージのような気がした。

映画『ア・ゴースト・ストーリー』を観る。

『ア・ゴースト・ストーリー』これは、なんと言ったらいいのか、「死んで幽霊になった男が残された妻を見守る話」ではあるけれど、もっと広い意味で、去っていくものと後に残されるものの話である。ただし去っていくのは生きている人間の方だ。幽霊は後に残される。ここでは生者と死者が逆転している。

事故で死んだ男はシーツを被った幽霊の姿になって家に帰る。幽霊は生きた人間に触れることはできない。過ぎていく時間の中で、かつての妻をただ見守り続ける。生きている人間と幽霊の一番の違いは時間の流れ方だ。幽霊になった人間の時間は止まる。

印象的なのは、彼が幽霊になった少し後、一人で床に座り込んで食事する妻を長回しで映した場面だ。彼女は食べる。食べ続け、そして吐く。壁に反射する光や外の物音は少しずつ変化する。しかし横で見ている幽霊だけは微動だにしない。動いている生者の時間と止まった死者の時間。

男が作った歌の歌詞にもある通り、彼女は去っていく。旅立って、それっきり物語から退場する。その後も見知らぬ人間たちが次々とやってきてはいなくなる。去っていくのはいつも生きている人間であり、それを見送る幽霊は独りで取り残される。

時間も去っていく。やがて家は失われ、見知らぬ未来で幽霊だけが取り残される。それでも幽霊は家から離れることができない。この映画では幽霊と家は切り離しては語れない。英米の怪談では幽霊屋敷ものが1つのジャンルとしてあるが、この映画にはそういう家に憑りつく幽霊というモチーフも感じられる。

生者に触れることのできない幽霊なので、黙って何かを見つめている場面が多くなるのだが、幽霊のその目線は家そのものが持つ目線なのではないか。見守る視線というか、固定された視点からの長回しが多い。男が幽霊になるより前から、廊下の向こうから誰かが見つめているような映し方をしている。

妻を見つめる視点、離れたところから家を映す視点。長回しは幽霊の視線を代弁しているようだ。固定されたカメラの視点の中で、人間が生き、時間が流れる。見ている側の時間は止まっている。幽霊はリアルタイムで動いているように見えながら、その目の前で何日、何年もの時間が早回しで経過している。

この映画では個人的な物語がもっと大きな感覚と結びついている印象がある。星空が映される冒頭のような、宇宙的な時間感覚、人間の尺度を越えた時間感覚。人間の世界から切り離された存在を主人公にしたことで、それを観るものに認識させることができる。

病院を抜け出して家に帰りつくまでの、遠景から映した野原をゆく幽霊の姿にとても感動した。今ここの世界であるはずなのに誰もいない地球に思えた。

『Sounds of the City』

写真は、被写体がかつて確かにそこにいたこと、そして同時に(少なくとも当時の姿では)もういないことを絶対的な事実として突きつける。

このことは、小説、少なくともバルトにとって重要なプルースト的な小説に似ている。

何かが語られるのは、それが終わった後にしかありえない。
語られた出来事は、取り返しようのない距離で隔てられた過去として表れる。

言ってみれば、小説の始まりにはいつも写真がある。

『音楽が終わった、その後で』

誰かに気持ちを許すことは油断すると甘えてしまうことに繋がりやすい。
甘えは芯の方からじわじわと蔓延し、やがて全てを食い尽くす。なんてね。

思いやりを持った自立した人間でありたいと思うよ。一応は。
未来を思うと吐き気がするし、今を思っても寒気がする。
思考を捨てて過ごすのが精神衛生上は宜しいというのはわかるんだけど、それもちょっとちがう。

一生戯言を抜かしたいので、そのために精一杯体裁を整えよう。



“小さな旅”のはじまり、「ぼくらが旅に出る理由」

2017年3月9日 by 宝田 とまり

これは何度も懲りず無謀な旅に出る前の“小さな旅”のはじまりについてのことだ。 

先日突如として、小沢健二の19年ぶりとなるニューシングルが発売された。
発売を機にテレビなどメディアへの出演も果たし、近年表舞台での活動を控えていた小沢健二のカムバックに歓喜するファンの声がネットを中心に話題となった。
言わずもがな、僕もその一人である。

彼の代表曲の一つに「ぼくらが旅に出る理由」という歌がある。のちに数多くのアーティストにカバーされテレビCMにも使用されるなど、発売から20年以上が経つ現在もその人気は絶えない。
僕がこの曲に深い思い入れを抱くきっかけとなった出来事がある。それは2010年2月にとあるラジオ番組が行った「小沢健二とその時代」という放送だった。

当時まだ大学生だった僕は就職活動も終わり4月から新社会人として働くことが決まっており、残りわずかな大学生活でやり残したことはすべてやってしまわねばと焦燥感に駆られていた。内定していた会社は希望していた業界や職種とはかけ離れているにも関わらず、大学時代のようにいくらでも自分の好きなことに時間や労力を割ける生活が望めないことは自明だった。毎日一緒だった友人たちと離れることを考えると、焦りというより絶望的な気持ちの方が強かったかもしれない。本当にぼくらに旅に出る理由などあるのだろうか。誰か理由くらい教えてくれてもいいだろうと「ぼくらが旅に出る理由」の歌詞を追った記憶がある。
  

遠くまで旅する人たちに あふれる幸せを祈るよ
ぼくらの住むこの世界には 旅に出る理由があり
誰もみな手をふっては しばし別れる

上記は、「ぼくらが旅に出る理由」の歌詞の一部の引用だ。
歌詞を最後まで読めば明らかなのだが、この曲の中で「旅に出る理由」というのは明示されない。
具体的な理由に触れられないものの、人は旅に出ることがあるし旅に出ることは即ち“しばし”の別れが訪れるものだということが象徴的に歌われている。
答えのないこの歌詞に当時はもどかしさを感じていたかもしれない。

あれから8年、社会に出て働くことや転職に伴ういくつかの旅と別れを経験してきた。
時間が経つにつれ、旅についての心境の変化があったようにも思う。当たり前のことなのだが、旅に出ることは視野や行動範囲を格段に広げ、一方で永久の別れを生み出すようなことはない。理由についてもそうだ。旅に出る瞬間にはこれといった具体的な理由にこだわる必要はなく、振り返った時初めてその理由を見出せたりするのも旅の面白さなのかもしれない。そう考えると当時の自分が可愛らしくもあり、これからの旅にも思いを馳せることができる。

今日は良く晴れている。天気読みの必要はなさそうだ。


魔法がかかる、という表現についての聴覚的回答

2015年4月27日 by Heiwagokko

よく耳にする言葉だけれど、はっきりとした定義がわからないもの。

特に音楽を言葉で表す時にそういうものに出くわすケースが多い。(のではないかと)
グルーヴ、メロウ、スウィング、アーバン…

(”アーバン”に関しては山下達郎がmm…oh! Honey!
と歌う時に感じるキラキラとした感覚がそれだとベイビーキッズ達に伝えるようにしています。)

今回の主題は”魔法がかかった”という表現について。

2015年現在僕達一般の人間にとって、意図して何かに魔法をかけることはできません。
ただ、ある偶然や必然の事情が絡まることで初めて意図せず”魔法がかかる”ことがあります。

今回紹介するレコードは1963年のミラクルズのライブ盤、”The Miracles On Stage”
(魔法と言っておきながら、ミラクルズ・オン・ステージというタイトルに齟齬は感じますが笑)

タイトルで検索にかけても日本語ページがあまりヒットせず、youtubeでも音源が出てこないので一般的には評価を得ているアルバムでは無いと思うのですが、是非ご一聴を。
ブートでは無くきちんとTamlaからリリースされています。

録音環境も悪く、演奏も歌もそれぞれ出来が良いわけではないのですが、観客の声、演者の息遣いがあいまって見事にライブというものの一回性を閉じ込めた素晴らしいアルバムに仕上がっています。
B面の終わり、おなじみ”抱きしめたい”からの”Way Over There”の流れには音楽の心地よさや空間芸術性(言い過ぎかな)が詰まっています。

”魔法がかかる”

お解り頂けるでしょうか?

mp3では無く、ノイズ混じりのアナログでご賞味下さい。


病院

2017年2月1日 by Heiwagokko

‪病院に行った。彼女の名前を伝え病室を聞き出して訪ねると、ベッドの四方にはぴったりとカーテンが張り巡らされていた。‬‬‬‬‬
‪恐る恐るカーテンを捲ると、眠っている彼女の身体にいくつも管が下がっていた。‬‬‬‬‬
‪自分が普段眼を瞑っていた事が急に表出したかのような光景に呆然として暫く立ち竦んだ。‬‬‬‬‬
勿論大した病気では無い。
しかし否応にも無くイメージが湧いてくる。
死のイメージ。

15年程前に祖父が亡くなった。
自分にとっては近しい人が去った初めての事だった。
末期癌で、最期には苦しむ事が無い様にと薬が投与された。
普段関わりの薄い、親等の近い者だけが最期に病室に通され言葉を交わしに行った。

自分は祖父を愛していた。祖父も自分を愛していた。これは揺るぎの無い事実だったと思う。
子供だから、孫だから、まして血が繋がっていないからという理由で遠ざけられることの意味が全く分からなかった。それは今も分からない。

死のイメージ。

これから歩行訓練がある。見られたくないから帰って、と彼女は意思の強い眼で僕に言った。分別のある大人を演じて病室を出た。

初めて結婚しようと思った。


W.G.ゼーバルト『アウステルリッツ 』について

2017年7月16日  GU

歴史の天使はこのような姿をしているにちがいない。
彼は顔を過去の方に向けている。
私たちの眼には出来事の連鎖が立ち現れてくるところに、彼はただひとつの破局だけを見るのだ。
その破局はひっきりなしに瓦礫のうえに瓦礫を積み重ねて、それを彼の足元に投げつけている。
きっと彼は、なろうことならそこにとどまり、死者たちを目覚めさせ、破壊されたものを寄せ集めて繋ぎ合わせたいのだろう。

ところが楽園から嵐が吹きつけていて、それが彼の翼にはらまれ、あまりの激しさに天使はもはや翼を閉じることができない。
この嵐が彼を、背を向けている未来の方へと引き留めがたく押し流してゆき、その間にも彼の眼前では、瓦礫の山が積み上がって天にも届かんばかりである。
私たちが進歩と呼んでいるもの、それがこの嵐なのだ。

ヴァルター・ベンヤミン「歴史の概念について」

不可知の暗闇、ぽっかりと空いた大きな穴を迂回する小説という印象もある。
避けているし、そもそも近づこうにも近づけない。
アウステルリッツがたびたび披露する建築にまつわる考察や薀蓄は、自分自身の歴史・あるいは現在から目をそらすための時間稼ぎ、方便だと感じた。
それが、避けているということ。

しかしそれだけではなく、自分の歴史と向き合い、探求を始め、今度は自分から近づこうとしても、決して近づけない真っ暗で巨大な穴の存在を思い知らされる。
そうして、ひとまずこの作品は終わる。

ゼーバルトの作品を読んでいると、幽霊を見るとはどういうことかと考えさせられる。
幽霊とは、当人の人格から切り離された残留想念、あるいは人の記憶や場所に残った痕跡から再生される映像のようなものだと思う。
そしてそれは時間にも関係する。
古い建物やがれきの山を歩いて、積もった歴史を紐解く、それは一種の時間旅行だし、幽霊に出会うことでもある。

ゼーバルトは幻視者だが、その幻視は、幽霊・過去・歴史そのものではなく、それが刻まれた廃墟・瓦礫であるところが面白い。
いつどこにいても、彼の眼前には記憶の刻まれた廃墟が姿を現す。


ロラン・バルト『明るい部屋―写真についての覚書』について

2017年7月12日 by GU

『ロラン・バルト』(中公新書)を読んで最も印象に残ったのは小説を書こうとして書けないバルトの姿だった。
この『明るい部屋』は、ひとまずは写真論であるが、同時に小説論であり、小説に踏み出そうとして踏み出せないバルトの逡巡の跡であることが読み進むにつれて明らかになっていく。

この本でバルトはストゥディウムとプンクトゥムという2つの概念を提示する。
ストゥディウムは文化的なコードで読み解ける、言うなればタグ付け可能なものである。
それに対してプンクトゥムはストゥディウムを破壊して、見る者を突き刺す。

それは、1つは写真の意味をかき乱す細部であり、もう一つは、被写体がかつてあったという時間の感覚である。
写真は、被写体がかつて確かにそこにいたこと、そして同時に(少なくとも当時の姿では)もういないことを絶対的な事実として突きつける。

このことは、小説、少なくともバルトにとって重要なプルースト的な小説に似ている。
何かが語られるのは、それが終わった後にしかありえない。
語られた出来事は、取り返しようのない距離で隔てられた過去として表れる。
言ってみれば、小説の始まりにはいつも写真がある。


IN THE CITY

2018年3月18日 by CoMA

週末の夜は、大学時代からの友人たちと飲んだ。
彼らと会うのはだいたい渋谷だ。学生の頃はよく渋谷に来た。HMV、TOWER RECORD、ディスク・ユニオンを巡り、宝探しのように中古のCDやレコードを掘り当てていた。それから、すこし原宿方面に歩いて古着屋を巡り歩いて、あれも宝探しのようだった。あとは、なにかがありそうな期待感からCLUBに行って、でも結局、そんなところに出会いなんてぼくらにはなにもなくて、夜明けまで飲んで過ごして、目に刺さるような朝焼けの太陽を見ながらぼくらは始発の井の頭線に乗ったんだ。

結局、ぼくらが〈渋谷〉に求めているのはなんなのだろう。
ショップの店先で流れるサウンド、流行のマジックナンバー、街角に溢れるシーン、アルコールで漂う中飛び込んでくる電飾、深夜の交差点を行き交う人波、誰かのクラクション。

「また会おう、それじゃ」
「すこし歩こうか」
「もう一軒、飲み直そうよ」

人波の中で聞こえてくる、そんな会話の断片。

渋谷も、もう若者の街ではないかもしれない。
ストリートはInstagramに、古着屋やファッションはメルカリやZOZOTOWNに、レコード屋はYouTubeやApple MusicやSpotifyに取って代わられてしまった。
もちろん、ぼくらももう若者じゃない。この10年のあいだに、政権だって二回も変わった。

だけど、それがどうしたって言うんだ?
時代が変わったってなにも変わらないじゃないか。時と共に、人間も変わるものだろうか? すくなくとも、ぼくは、人間はそんなに変わるものじゃないという立場を取るし、そんな変わらない人間を大事に思いたい。変わらずに人間の心の奥にある柔らかいところを愛しているから。それから、もしも、そんな風に考える人と人が出会い理解し合うことができたならば、と。

「最近は、なにを聴いているの?」
出版業界から広告代理店に転職した友人にたずねた。
彼はいまでもディスク・ユニオンに通ってレコードを発掘していた。Mr.digg。

「レコードはもう古いのばかり聴いているよ。ファラオ・サンダースとか、アフリカン・ファンクとか。最近のものは、そうだな、カニエ・ウェストの新譜とか。あとは、すこし前だけどコーチェラ・フェスのビヨンセ観た?」

「観てないな。今度、観てみるよ」とぼくは言った。

「だけどね、最近の新譜はけっこう良いんだよ。音楽業界って1999年に売り上げがピークになって、それ以降、売り上げが落ちているんだよ。これは国内のデータだけどね。世界的に見たら、1999年というのは、Napsterが登場した年でもある。その後、2005~2007年のあいだにYouTubeが登場してさ。ちょっと違うけれど、『ラジオ・スターの悲劇』みたいな話だよね。ちなみに、2003年にMySpaceがはじまって、2006年にはmixiミュージックが開始した」

「mixiミュージック。あれ、良かったよね。みんなで、あいつはなにを聴いてるんだろう? このアルバム知らないぞ! やばい! 聴かなくちゃ! みたいにね」

「そうだった」と言ってぼくらは笑った。

「けどさ、音楽業界の失速とか再編が原因で、それで音楽活動やめちゃった人も多いんじゃないかな。残念だけど。
けど、考えてみたらほんとうに音楽をやりたい人たちはもう手元の楽器とiMacなんかでDIY的に作っちゃってYouTubeなんかで流通できるんだよね。TofubeatsとかDAOKOも最初はインターネットで活動して出てきたもの。
だけど、もっと大きいのはほんとうに音楽が好きな人は、結局、音楽業界に残ったってことだね。最近の若いバンド、ceroとかSuchmosなんか、かっこ良いものね」

「だからさ、俺はこれからも音楽というカルチャーの未来については、楽観的なんだ。ずっと、いい音楽聞き続けられるかもね」
そう彼は笑った。


River’s Edge

2018年3月18日 by CoMA

現在から当時を遡行しつつ若者の心理を描いた作品として良かった。
ケータイ(PHS)の普及以前(1995年PHSサービス開始)、インターネットの登場以前(1995年が日本におけるインターネット元年といわれる)、オウム事件以前(日本社会のうわべとその精神病理が暴かれた1995年)の物語。

僕は近年のある種の映像には生々しさが欠けていると感じていたのだが(ここでいう映像はアダルトな意味でのAVも含む)、『リバーズ・エッジ』の映像には生々しさがあった。そこには、デジタルやPhotoshopやフォトジェニック以前の生々しさが描かれていた。生のコミュニケーション。生きてる感じ。

80年代は浮かれた時代だったと言われる。『なんとなく、クリスタル』、ポスト・モダン、MTV。
しかし、90年代、世相は大きく変わる。消費社会の神話と構造、社会システムのマンダラが切り裂かれ、破壊的な人々の生の感情(生と死が隣接したものであるというヒリヒリした感情)が溢れ出た時代だった。

当時は現在よりも清潔でない時代だった。川は臭く、タバコはポイ捨てし、空き缶を川に投げ入れた時代。公害やオゾン層の破壊が問題として語られた時代。そんな時代だった。(現在の方が実際にはより深刻なのかもしれないが。)
グランジ(薄汚い)シーンの、カート・コバーンが死んだ年。1994年。

このドラマは、そんな時代の若者たちが描かれる。むき出しの生の欲動、生の不安。若者たちのSEXも今とは異なる描き方をされる。Xvideosなどはない時代だ。ネットを介さない欲望の露出。タナトスと一体化したエロス。もちろん避妊もしない。生の性体験。

「生きてるって感じする?」インタビュアーに聞かれた二階堂ふみ演じる主人公は答える。「どちらかと言えば、生きてない。」
登場人物はみな生きづらさを抱えている。生きることは、SEXすること、食べること、愛し愛されて生きること。
いじめ、性的マイノリティ、摂食障害、家族の不和、届かぬ愛。

文字通りの生のコミュニケーション、ヒリヒリした関係、傷を感じ人を傷をつける状況はトラブルを生む。
それを通して、ある者は死に、ある者は生き残り、ある者は場所を変え、ある者は留まる。
もちろん、みなに避けがたく傷跡は残る。

しかし、時代は変わった。このドラマの設定された時代から、24年。およそ四半世紀が経つ。状況は変わった。
若者ですら、当時ほどのヒリヒリした感覚で生きているかはわからない。とはいえ、愛し愛されて生きることに飢え満ち足りない気持ちは今でも変わりはしない。たとえ、デジタルに容易につながれても。

あるいは、インターネットの普及以降発展したネット文化やバーチャルな価値観。例えば、多くの承認を集めるネット上の各種システムとプラットフォーム上のアイドル群。そのシステムの欺瞞と精神的な空虚さが暴かれ明らかにされるのは現在これからであろう。

この作品の時代は1995年にひとつのパラダイムを終える。
その後は、ケータイとネットと、ある種の相対主義とマイノリティに対するリベラルさが普及した時代だった。同時に哲学や精神性は死に、社会学と統計学的な思考が普遍化した時代でもある。

ところで、この作品の1995年までのパラダイムは1972年からはじまった。
大きな物語の終焉の終焉、ポスト・モダンのパラダイムの終焉が1995年であった。
1972年から23年。
なお、1972年にまでのパラダイムは1950年朝鮮戦争からの復興と高度成長までのパラダイムであろう。
そして、1995年から23年が経った。

とはいえ、あらためて思ったのは、この四半世紀に(ここ数年くらいかもしれない)性的マイノリティ(LGBT)に対する理解は相当変化したのではないか。

主人公二階堂ふみがゲイの少年山田に「入れる方?入れられる方?ローションとか塗るの?」と質問すると「クリトリス舐められるのと、中に指入れられるのどっちが好き?ゲイだからってSEXの質問するの失礼でしょ。」と返される場面にはハッとさせられた。

それはともかく、映像として熱かったのは、主人公二階堂ふみの彼氏が浮気相手のあそことあそこにヘアスタイル用のムースの缶を入れるという場面。劇場に響くカラカラという音。
まじか。ドン・キホーテとそのアダルト・コーナーが普及して良かった。


アナログ・ミュージック

2017年3月19日 by CoMA

村上春樹の『騎士団長殺し』を読み、その中で音楽を聞くことの描写に関心を抱いた。
それは、主人公や友人がレコードやカセットテープといった時代遅れのメディアで音楽を聞くことが描かれている点である。
村上春樹は、そこに(”時代遅れのメディアで音楽を聞くこと”)どんな意味を込めて描いたのだろうか。そう感じたのだ。

ここ数年、レコードの復権やカセット・リバイバルがささやかれてはいる。
しかし、今さら、時代遅れのレコードやカセットテープで音楽を聞いてどんな意味があるのだろうか。

そこには、僕らがいつの間にか失ってしまった何か、なくしてはいけない何かがあるのだろうか。
あるいは、レコードやカセット・テープで音楽を聴くというのは、ある意味何らかの価値観の提示・アティテュードの表明だろうか。
では、それはどのような価値観・アティテュードの表明なのだろうか。

そして、最近、僕自身思わずカセット・プレイヤーとカセット・テープのライブラリを購入してしまった。
これはどんな意味を持っているのだろうか。

ゆらぎ性を持つレコードやカセット・テープの音の響き

まず、カセットについていえば、聴き始めてわかったのだが、カセット・テープの音の響きにはどこか絵画的な印象がある。そこには、ある種二次元的でありつつ、現実を浮遊した、いわば印象派の絵画のようなフィーリングがある。
レコードは臨場感があり生々しく写実的な絵画なのだが、カセットは中音域の音にフォーカスし背景は多少ぼやかされているので“印象派”的な印象を得るのだろうか。
そこに独特の柔らかさやスムースさを感じる。

あるいは、レコードがフィルム・カメラによる写真で、MP3がデジタル・イメージだとしたら、カセットはフィルム式のトイ・カメラやポラロイド・カメラに近い質感のフォトグラフだといえる。
トイ・カメラやポラロイド・カメラの質感をデジタルに再現して、若者に人気があるのがInstagramなどのiPhone/Androidアプリだが、そのような感覚で現在ではカセットが注目されているのかもしれない。

ところで、レコードやカセットの音とデジタル音楽では、何が異なるのであろうか。
その違い、メディア毎の音の響きの差は、記録の方法(方式)によるものが大きいのではないだろうか。

レコードやカセットは、音の波をそのまま記録する。
レコードは、音の波を物理的な溝として、カセットは電磁的なコードとして記録する。
それらは、音そのものを描画するという点でアナログなメディアである。
この音そのものが描画されていることが、音に豊かさを持たせているのだ。

他方、デジタルメディアは音そのものを描画するのではない。
音の波を、切り取り棒グラフに変換して描画して、その数値を01で記述する。
この音の波を切り取り棒グラフに変換するときに多くの周縁的な隙間が抜け落ちてしまうことが問題であり、さらに01への変換は全てを有と無に変換することであり、ゆらぎ性が失われることが問題である。

こういった記録の方法によって、“やわらかさ”や“ゆらぎ”に違いが出るのだ。

A面・B面の物語性
もうひとつ重要なのは、物語性である。

かつて、音楽は物語を持っていた。若者は、音楽で社会を変えられると信じていた。
しかし、現代の音楽にかつてのような物語性・思想的な意味が内包されているかは疑問がある。

現代はクラウドにある音楽をシャッフルで再生するような時代、
あるいは提供されたプレイリストの音楽を気分に合わせて聞く時代である。
そのような文脈に物語は成立しえない。
それはファスト・フードのように、何らかの欲求を満たすための、ファストな何かにすぎないだろう。

あらゆるものをデータベースからピックアップしてキュレーションする社会。
キャピタリズムとエンジニアリングの成れの果て、物語を失い真実の喪失に動揺する社会。

そういった状況の中で、レコードやカセット・テープで音楽を聴くことは、カウンターとしての意思の表明である。
つまり、それは「動物化するポストモダン」化した社会へのアンチテーゼではないだろうか。
それは、物語の喪失への異議申し立てであり、コンテンツのデータベース消費へのNoであり、全てが相対主義化した社会への批判だ。

もちろん、音楽は曲自体がひとつの物語を描いているものかもしれない。
しかし、レコードやカセット・テープは、シャッフル再生することはできないメディアである。
そして、そのことがより大きな意味を描き出している。

それらにはA面とB面があり、それぞれがその作品全体の前半と後半の構成として展開されていて、
作品全体として、その中に大きな物語が描かれているのだ。

2015年のグラミー賞を覚えているだろうか。
プレゼンターを務めたプリンスのスピーチが評判を呼んだ。

‟Albums, Remember Those? Albums still matter. Like books and black lives, albums still matter. ”
(アルバムって皆覚えてるかい? アルバムはまだ大事だ。本とか黒人の命と同じようにアルバムって重要なんだよ)

僕はいまカセットテープでプリンスの音楽を聴いている。

なぜ、音楽はデジタルであっては、十分ではないのか。
それは、音楽の本質によるものだ。

音楽はつねに超越を希求し体感するものであり、聴くものにとっては超越性との合一が快楽となる。
それは、現象からの解放であり、意識を溶解させ音楽の流れに身をまかせることだ。

では、なぜ、音楽は超越を希求するものなのだろうか。
音楽の役割は、経験的日常からの解放であり、日常を超えたところを体感することにあるからだ。
現実をある種の意味で否定し、超現実を体感すること、それが音楽を聴くことの意味だろう。

音楽が超越を希求してきたことは、キリスト教やインド哲学やチベット密教や浄土教の残してきたものを見れば明らかだ。
神の絶対性や神への愛を表現するものとして、すべてを包み込むような賛美歌があり、バッハの旋律があり、主への歓喜としてのベートーヴェンの第九がある。
あるいは、輪廻転生する生命体のブラフマンへの合一として、インド哲学やチベット密教における身体的な発生音としてマントラの音律があり、浄土教の極楽浄土への夢想として念仏や鳴り響く鐘の音があるのだ。

しかし、現在の音楽マーケットでの音楽は、そうではないといえるだろうか?
例えば、若い子たちが聴くラブソングなどは、現実における愛の不十分さに満たされない心境が超越的な愛を求め、それを満たすものとして震えるようなラブソングがある。
そういった意味では、ある種の夢想、非現実を想起し体感することを目的に音楽があるというのは変わらない。

音楽はデジタルであっては十分ではない、その問題は、この体感、音楽のフィジカル性にあるだろう。
仮に、グラフィック映像や電子ブックを考えてみる。
現代のグラフィック映像が多用された映画を見たときに、誰が臨場感を憶えないだろうか。
あるいは、電子ブックでテクストを読み、物語を想起するときに、そのデジタルさがどんな不具合をもたらすだろうか。
もちろん、そのデジタル技術の発達度にもよるが、ラディカルな問題としてはなんら支障は発生しないであろう。
なぜならば、それらは直接的に表象や観念に飛び込んでくるものであるからだ。
人間の論理の生み出したデジタルは表象や観念との親和性は低くないのだ。
問題は、それがフィジカルとの接触を持つときである。
デジタルのゼロイチの音は親和性のある響き、フィジカルな経験をもたらすことが難しいのだ。

音の波には、多くの周縁的な意味が含まれており、そこにはゼロイチあるいは有と無に変換することのできないゆらぎ性が含まれている。
それは、自然といわれるネイチャーの性質であり、ある種のヒューマニズムと似ているものだろう。
そういった意味では、人間の論理を超えた自然の摂理、生成消滅を繰り返す流転しつづける唯物論的な球体の論理こそ人間にとっては超越的なものなのかもしれない。

そして、その超越的な経験をするために必要なものとして、ゆらぎ性のある音があるのだろう。


山田かまちを巡って

2017年1月5日 by CoMA

山田かまちについて考えるとき、僕は抗いようもなく、17才の自分に戻ってしまう。

彼は、繊細で傷つきやすい、17才の青年だった。
そして、今でも17才のまま、その一瞬のかがやきを残している。

山田かまちの名前を知ったのは、まだティーンエイジャーになったばかりの頃だったと思う。僕は山田かまちと同じ高崎市で生まれ、育った。

記憶の中の高崎は、いつも風が吹いていた。
耳をすませば、ウォークマンのイヤホンを外した耳に、ヒューという風の音が響いて聞こえた。
ときおり思いがけず吹く風で砂ぼこりが目に入り、涙がにじんだ。
烏川をまたぐ長さ400メートルばかりの橋梁の上を、横風にあおられながら前のめりになって自転車で走り抜けた。
とにかく、乾いた強い風の吹く街だった。

13才~15才の抑圧されたむず痒い時期を中学校でやり過ごし、高校受験をなんとか切り抜けると、高校は山田かまちと同じ高崎高校に進学した。
そこは、かつて旧制中学だった男子校でバンカラな風土で有名だった。
たまらないくらい自由な日々だった。
まるで、すべてが許されているような気がした。
授業をエスケープして、図書館や市営のプラネタリウムで時間をつぶしたり、コパトーン(ココナッツの香りのサンオイル)を用意してプールサイドで日焼けをしたり、今はなき真下商店で駄菓子を齧りながら猥談ばかりしていた。
今思い返すと、あれは何だったのだろう。(もちろん留年しかけた。)
井上ひさしに『青葉繁れる』という小説があるが、あんな高校だった。
(余談だが、東京の大学に進学すると周囲のソフィスティケートされた立ち振舞いに、当初だいぶ戸惑いを感じた。)

三島由紀夫がどこかで「本当の卒業とは、『学校時代の私は頭がヘンだったんだ』と気がつくことです。」と語っていたように思う。いま思うと、確かに、当時は少しおかしかったように思う。

当時の僕は、タナトスの欲求に突き動かされていた。
死への欲求は、生の欲求である。
死を覚悟することによって、生の実感を得るのだ。
それはスリルの欲求であり、逆説的な快楽の衝動である。

一瞬一瞬の刹那的な生の実感を、限界まで求めていたように思う。

それは、美と超越の探求だった。
観念的で形而上学的な、存在と本質の追求だともいえる。

当時の僕を、友人は「躁鬱病みたいだった」というし、ある人は「あたまのおかしなチンピラだった」という。
おそらく、そうだったのだと思う。

ある時は女の子にどうしようもなく恋をしてライバルの男子を殴り飛ばしたり、
ある時は街のチンピラに目をつけられて追いかけまわされ必死に逃げ回っていた。

それは、刹那的な生の実感を得るための即物的な方法だった。
そして、そうすることによって実存の不安を解消していたのだ。

とにかく、当時、山田かまちの描いた絵と詩に、どうしようもなく共感してしまう自分がいた。

山田かまちは高崎高校に通う17才の時に自宅の2階でエレキギターに感電して亡くなった。
ビートルズに憧れて、ロックのサウンドに惹かれ、水彩画を描き、恋をして、詩を書いた。
そして、死んだ。

彼が17才の自分に向けたメッセージ。

感じなくちゃならない
やらなくちゃならない
美しがらなくちゃならない

当時、僕は焦燥感を抱いていた。
理由はわからない。
たぶん、そういう年齢なんじゃないかな。

あらゆる可能性があるように感じ、同時に、将来はまったく見えなかった。
エゴの肥大化と、実際の行動とのあいだには、大きな裂け目が存在した。

とにかく、何かしなくちゃいけなかった。
そうでなければ、ディオニュソス的な狂気に呑み込まれそうだった。
なにをすべきかは、わからなかったけど、とにかくエネルギーがあふれそうだった。
興奮して身体と心が震えてしょうがなかった。

もっともっと一瞬一瞬の感覚を鋭くしなければ、
もっとすべてに感動しなければ、
そしてこの瞬間を絶対的なものに純化しなければ、と感じていた。

実をいえば、いまでもこの感覚は忘れていない。
もしかすると、あの頃よりも、少しは慎重に、ほんの少しは大人らしくなっているとは思うけれど。
それでも時々、こみ上げてくるものがある。

だから、これは僕のためのメッセージでもあるんだ。

感じなくちゃならない
やらなくちゃならない
美しがらなくちゃならない


村上春樹について

2017年1月7日 by CoMA

『ノルウェイの森』をはじめに読むと、村上春樹が苦手になるといわれる。

ある空間への「入射角」というのは大事だ。
角度が浅ければ反射してしまうし、角度が深すぎるとすぐに失速してしまう。
乱反射するのも悪くはないが、できればスッと屈折することなく進むのが理想的だ。

その意味で、村上春樹の作品を『風の歌を聴け』から読み始めたのは幸運だった。
個人的には、小説を読む場合には、デビュー作から入り、次に代表作を読む、という流れがベストだと思う。村上春樹でいえば、『風の歌を聴け』から入り、『ノルウェイの森』を読んで、それから『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』『ダンス・ダンス・ダンス』と読んでいくのがいいと思う。

実をいえば、村上春樹の作品は大体読んでいる。
「ハルキスト」という言葉があり、熱狂的な信者を冷笑する人もいるが、それもあながち誤った解釈ではない。

聖書の膨大なテクストを、創世記、ヨシュア記、ルツ記、サムエル記、イザヤ書、エレミヤ書、詩篇、箴言と読み込んでいくように、気がつけば大体の作品は読んでいた。
同じような友人とは、冗談半分でこんな話をすることがある。
「もう村上春樹の新刊は慌てて読む必要はないよね。だいたい何が書いてあるのかわかるから。」

おそらく村上春樹の作品を初めて読んだのは、高校2年生の夏のはじまり、6月の文化祭のすぐ後だったと思う。
いつもどおり授業をエスケープして、高校の裏山の高台にある駐車場のベンチで、コカ・コーラを飲みながら、ケータイの電子メールで女子校の生徒とデートの約束を取り付けると、キャメルのタバコを吸いながら『風の歌を聴け』を読んだ。
強い日差しが文庫の白い紙の表面で反射し少し目にしみた。
駅ビルのスターバックスでの待ち合わせまで2・3時間ひまを持て余していた。
「まずデニーズで軽く腹を満たして、その後はホテルSUNに行こう。今日は彼女、何色の下着だろう。部屋で、冷蔵庫のビールで乾杯するのもわるくないな。」
そんなことを考えながら、軽く文章に目を通していた。やれやれ。

ところで、『風の歌を聴け』をはじめに、次に『ノルウェイの森』を、そしてその後で『1973のピンボール』という順で読んだことは、
村上春樹は1960年代の革命闘争・学生運動とその終焉を経験し、その後で喪失感の中を生きていく生活を描いたポスト・モダンな作家という印象を強く抱かせた。

フランス現代思想の旗手であるフーコーやアルチュセール、ドゥールーズが5月革命を経験して登場したように、日本のポストモダン作家の村上春樹もあの革命闘争・学生運動を経験して登場したんだというのが僕の感じ方だった。

たしかに、最近の著書には、ノンセクト・ラジカルであったことが示唆されている。
上記の順で本を読むと、その当時の作者の心象が、より鮮やかに想起されると思う。

日本におけるポストモダン。
80年代、浅田彰は『構造と力』や『逃走論』で「シラケつつノル」姿勢や「逃走」を提示した。
田中康夫は『なんとなくクリスタル』ですべてが商品・ブランド化した資本主義社会のライフスタイルをコマーシャルでビビットな表現で皮肉った。
法政大学の中核派だった糸井重里は「スカッと爽やかコカ・コーラ」「おいしい生活」というコピーを量産し、資本主義の内部で新たなライフスタイルの改革を試みた。

一方、村上春樹は、ただ社会とシステムに拒否をした。
新しいシステムに飲み込まれながら、社会については沈黙した。
そして、1995年の阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件まで、社会とのデタッチメントをつらぬいた。

デタッチメント、沈黙、それは強烈な否定だ。
作家の仕事は語ることである。その作家が語らないことを選択した。
それは単に、距離を置くというのとは違う意味を持っていたはずだ。

デートの最中で、彼女が黙ることがある。
昨日まで上目遣いで話しかけてきた後輩がある日、突然無視してくることがある。
そこには、怒り、嫌悪感、いきどおりが満ちている。

『風の歌を聴け』にはこんな文章がある。

それにもかかわらず、文章を書くことは楽しい作業でもある。生きることの困難さに比べ、それに意味をつけるのはあまりにも簡単だからだ。
十代の頃だろうか、僕はその事実に気がついて一週間ばかり口も聞けないほど驚いたことがある。少し気を利かしさえすれば世界は僕の意のままになり、あらゆる価値は転換し、時は流れを変える…そんな気がした。
それが落とし穴だと気づいたのは、不幸なことにずっと後だった。僕はノートの真ん中に1本の線を引き、左側にその間に得たものを書き出し、右側に失ったも のを書いた。失ったもの、踏みにじったもの、とっくに見捨ててしまったもの、犠牲にしたもの、裏切ったもの…僕はそれらを最後まで書き通すことはできなかった。

1960年代~1970年代、時代は大きな変化を見せた。
「意味」に大きな転換がおこり、あらゆる価値や世界観を書き換えたのだ。
人間の理性を信頼してきた近代が終わり、ポストモダンに時代は転換した。

ベトナム戦争を横目にニクソンは周恩来と握手を交わし、学生集会に集まった学生たちは就職が決まって髪を切った。
もう若くはないさと言い訳をしながら。

モダンは自ら滅んでいった。
三島由紀夫は天皇万歳を叫んで自決し、学生たちは山岳ベースの内ゲバを通して自滅した。

社会主義の神話は崩壊し、マルクスの権威は失墜した。
「革命」は希望から虚構になった。神は二度死んだ。

世界はコード(意味)を書き換えていた。
そして1980年代に、新たな価値体系である高度資本主義というシステムは完成する。

そのあいだ、村上春樹は、ただシステムを拒否し続けた。
変化する社会とのデタッチメントが村上春樹のノンだった。

そして、作り出された「価値」から形成される社会に「言葉」と「物語」を武器に一人で闘争/逃走を開始したのだ。

『ノルウェイの森』にはこんなエピソードでソサエティへの不信感があきらかにされている。

夏休みの間に大学が機動隊の出動を要請し、機動隊はバリケードを叩きつぶし、中に籠っていた学生を全員逮捕した。(‥‥中略‥‥)大学は解体なんてしなかった。大学には大量の資本が投下されているし、そんなものが学生が暴れたくらいで「はい、そうですか」とおとなしく解体されるわけがないのだ。そして大学をバリケード封鎖した連中も本当に大学を解体したいなんて思っていたわけではなかった。(‥‥中略‥‥)
ストが解除され機動隊の占領下で講義が再開されると、いちばん最初に出席してきたのはストを指導した立場にある連中だった。彼らは何事もなかったように教室に出てきてノートをとり、名前を呼ばれると返事をした。これはどうも変な話だった。なぜならスト決議はまだ有効だったし、誰もスト終結を宣言していなかったからだ。大学が機動隊を導入してバリケードを破壊しただけのことで、原理的にはストはまだ継続しているのだ。そして彼らはスト決議のときには言いたいだけ元気なことを言って、ストに反対する(あるいは疑念を表明する)学生を罵倒し、あるいは吊るしあげたのだ。(‥‥中略‥‥)彼らは出席不足で単位を落とすのが怖いのだ。そんな連中が大学解体を叫んでいたのかと思うとおかしくて仕方なかった。そんな下劣な連中が風向きひとつで大声を出したり小さくなったりするのだ。
おいキズキ、ここはひどい世界だよ、と僕は思った。こういう奴らがきちんと大学の単位をとって社会に出て、せっせと下劣な社会を作るんだ。

この後、村上春樹はセカイ系に影響を与えたという『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』や『ねじまき鳥のクロニクル』まで、社会とデタッチメントの関係を保ちながら、無意識/意識と自己/世界との境界線の物語を描いてくことになる。

そして、ある時、革命闘争・学生運動の反転したラジカル、超越と聖を求める倒錯した狂気の集団と交差するのだ。
そして1995年の事件以降、村上春樹はコミットメント(アンガージュマン)に向かっていくことになる。

重要なことは、二つある。

ひとつは、ずっと村上春樹がシステムへの拒否の姿勢を示し続けているということだ。
村上春樹はひとりで闘争/逃走を続けていた。
それが、沈黙という暗示であるか、明らかなかたちであるかを問わず、システムへの抵抗を続けていた。

そして、もうひとつ。
いずれコミットすべき時は来るということだ。


〈知覚の扉〉を叩いて

2017年1月8日 by CoMA

オルダス・ハクスリー(1894 – 1963)は『すばらしい新世界』で知られるイギリスの作家だ。

僕が、オルダス・ハクスリーについて知ったのはドアーズ(The Doors)を介してだ。
それは、大学に入学した年だったと思う。だから、18か19の時だ。もう10年以上前の話だ。

大学に入り、ひとり暮らしをはじめると、時間軸から開放される。
それがたった4年間の話だったとしても、開放された空間を楽しむのが学生の特権だ。

当時は、iPodが広く普及しはじめた時期だった。
誰も彼もが、iPodで音楽を聞いていた。
当時のiPodは今のiPhoneやAndroidのような通信系のモバイル端末ではなかった。
僕が持っていたのはiPod Classicで、それは60GBの記憶装置を持つ小さなジューク・ボックスだった。

バーに入りカウンターのマスターにシャンディー・ガフを注文する。
一服しながら空間の隅っこにあるジューク・ボックスをながめる。
ジュークボックスに近づき、お気に入りのナンバーを探す。
クリームのWhite Room、ディープ・パープルのsmoke on the water、レッド・ツェッペリンのStairway to Heaven、そしてドアーズのLight My Fire。

そんな風に僕らは、喫茶店でマクドナルドで駅のプラットフォームで下北沢の商店街で、どこでもiPodで音楽を聞いていた。
当時、音楽を聞いていない友人がいただろうか。
”NO MUSIC NO LIFE.”
”DIVE INTO MUSIC.”
そんな言葉が、まだ生き生きして見えていた。

iPodは音楽の聞き方を変えた。TSUTAYAでCDを借りると60GBの記憶装置にあらゆる音楽を詰め込んだ。
60’s~00’sのロック、ヴィレッジヴァンガードで知ったジャズの名盤、映画の影響で聞きかじってみたストラヴィンスキーやマーラー。
あらゆる音楽の波に呑み込まれて楽しんだ。

不思議なのだけれど、音楽を集中して聞いていると、目の前に音の色をした光が現れたり、音の球体がひだまりの猫のように目の前で遊び飛び跳ねるように見えることがある。
音楽というのは直接的に、フィジカルに僕らに何かを見せてくれることがあるのだ。

オルダス・ハクスリーについて知ったのは、そんな頃だった。
ドアーズ(The Doors)の名前の由来は、オルダス・ハクスリーの『知覚の扉』だ。

『知覚の扉』というのは、もともとは詩人ウイリアム・ブレイクの以下の一説からの引用のようだ。

知覚の扉澄みたれば、人の眼に ものみなすべて永遠の実相を顕わさん

昔から、10代の頃から「存在」や「本質」を見たいと思っていた。
人々のいう「常識」や法律の授業に出てくる「社会通念」に強烈な違和感を感じていたからだ。

オルダス・ハクスリーの『知覚の扉』はそんな疑問を解くための、方法論として僕にとってヴィヴィッドなものだった。

『知覚の扉』は、幻覚剤メスカリンをオルダス・ハクスリーが実際に体験した、エッセイであり体験記である。
その中で、幻覚剤メスカリンを使用した意識状態での、芸術の見え方、人との関係のあり方、存在の仕方が描かれている。

オルダス・ハクスリーは、身体に刺激を与えることで人間固有の認識のフィルターや社会的なバイアスのフィルターを除去し、知覚の拡大をできるのではないかと考えていた。

イマニュエル・カントがいうように、人間は外部の物自体の存在を知覚しているのではなく、悟性や理性のフィルターを通して認識を行っているとすれば、人は事象そのものを把握することはできない。
つまり人は客観には到達しえないし、あらゆる人は主観で語るにすぎない。
そうした状況での「常識」・「社会通念」に不信感と欺瞞を感じるのは、どうしても避けられないのではないかと思う。

しかし、もし物理的な刺激により、人間固有の認識のフィルターや社会的なバイアスのフィルターを除去することができるのであれば、本質を体験することができるのではないか。そして、それは理想的な話に思えた。

歴史的に見れば、オルダス・ハクスリーの『知覚の扉』は、60年代の西海岸のヒッピーやハーバード大学教授だったティモシー・リアリーやジョン・C・リリーが行った運動、LSDによって意識の拡張を追求した社会的ムーブメントに、大きな影響を与えている。
意識の拡張は、個人のあらたな意識への変革と他者への共感を意味する。彼らは、新しい物語として、あらゆる人々の意識の変革を未来の社会の希望としていた。
おそらく僕はそのパロディを個人的な体験として求めていた、あるいはサイキック・ボリシェヴィキを夢想していたのだろうか。
iPodから流れる音楽と一緒に。

オルダス・ハクスリーの『知覚の扉』や西海岸のヒッピーのムーブメントは、その後もニュー・エイジなど様々な運動の起点となっている。
日本においてはその影響が、東洋思想と反資本主義の感情に結びつき、80年代~90年代前半に強烈な負の側面を露呈してしまったが。

しかし、フィジカルな体験、しかも内的な経験は、実は強烈な力を持っている。
世界のシステムはいま完全にバーチャル化した。
今あらためてフィジカルなカウンターへと歴史の振り子は向きを変えるのではないかと考えている。


絶対的な瞬間について

2016年12月18日 by CoMA

最近、年上の女性と仲良くなり、お酒を飲みながら古典について話をするようになった。

たとえば、カントやヘーゲル、ハイデガーやサルトル、フロイトやユング、プラトンやマルクス、三島由紀夫などについてだ。

つまり、本質や存在あるいは弁証法について居酒屋で雑談するのだ。
きわめて正しいお酒の飲み方であるように思う。
さらに言えば、形而上学自体がある種の人間にとっては、アルコールのようなものなのだけど。

ただ、エリートではなく、アカデミックな世界でもなく、普通のビジネスマンとして生きていく中で、このような友人ができるというのはきわめてまれなことだと思う。
一般的に言えば、哲学・思想というのは、鼻持ちならないもの、いかがわしいもの、敷居が高いもの、その実価値のないものと見られがちだからだ。
現代においては、アナクロニズムにも過ぎる。

彼女と話していて感じたことだが、やはり哲学や思想に夢中になる人には、論理や日常における価値をこえた何かに出くわしてしまったと感じる経験「絶対的な瞬間」というのが往々にしてあるらしい。そこから、形而上学的な本質をさらに追求したいと感じるようになるのだ。

たとえば、ソクラテスがデルフォイのアポロン神殿で「ソクラテスがギリシャ一の賢人だ」というお告げを受けたことがそうだろう。

あるいは、ヘーゲルがイエナ・アウエルシュタットの戦いに勝利したナポレオンの凱旋を目撃し「世界精神が馬に乗って通る」と表現したのも、現象をこえた何らかの意味に出くわしたということだろう。

作家の三島由紀夫は、1945年の終戦の詔勅を親戚の家の庭で聞いたという。
そして、家族との日常の中で、終戦という絶対的な非日常の終焉を聞き、そこに不思議な感動を通り越した様な空白感を感じたという。
三島にとっては、それが何かに出くわしてしまった瞬間であったのであろうし、終戦後はそれを問い続けたと自らが語っている。『豊穣の海』の最終巻『天人五衰』のラストシーンはその超越的な瞬間を明晰に記したものだろう。

彼女にとっての「絶対的な瞬間」は、タイを旅行中にメコン川をボートでくだっている時だったらしい。その濁流の水面が太陽できらめく一瞬を目にして、彼女は愛を感じるという神秘体験を経験したという話を語ってくれた。
自然というのは、人になんらかのメッセージを示唆するものであるようだ。

その話を聞いて、僕もある瞬間を思い出した。
僕は、その「絶対的な瞬間」に、大学時代20歳の頃に出くわしてしまった。

その頃の僕は、東京の端にある国公立大学に通っていて、調布の安アパートにひとり暮らしていた。

おそらく、秋だったと思う。大学にはなかなか通わず、多摩川の河原沿いをiPod classicでボブ・ディランを聞きながら、CAMELのタバコを吸って散歩ばかりしていた頃だ。当時は絶望的に未来が見えなかった。単位取得や卒業について考えるのは憂鬱だったし、はじめから関心などなく諦めていた。社会人になることなど考えるのも嫌だった。とにかくいつまでも自由でいたかった。

日が暮れると家に帰り、ウォッカにナツメグを溶かして一口に飲むと、ソファーに横になり乾燥させたアジサイを混ぜたタバコを吸った。当時は、オルダス・ハクスリーやジョン・C・リリーなどの60年代のヒッピーに傾倒していた。憂鬱な気分もいくらか穏やかになり、あるいは高揚した。

ある日、明かりを消したバスルームでチャンダンのお香を焚きながらウォッカを飲んでいると、不思議なイメージが現れた。目の前にあるのは宇宙だった。無であり混沌とした形而上学的な宇宙だった。
あたりを見回すと、その宇宙の中で、人々が回し車の中を歩き続けていた。まるで、車輪の中のハムスターと同じだった。どれだけ歩き続けても決して前進することはない。虚空の上で車輪が回り続けるだけなのだ。それなのに、人々は絶えず歩き続けていた。なぜ人々が歩き続けるのか僕には理解できなかった。歩き続けても意味などないのに。僕は、みんなになぜ歩き続けるのかと尋ねた。誰も答えはしなかった。

すると太陽が現れた。狂おしいほど眩しい、真っ白な太陽だった。
太陽は膨張しはじめた。熱量を大きくしながら、さらに巨大になり続けた。
すべては太陽に包まれた。すべては太陽に焼かれていった。
風が吹いた。その時、僕は生きるとはこういうことなのだと思った。

僕がその体験について話を終えると、「それは多分、悪魔のささやきね。」と彼女は笑った。

けれども、僕はなんとなくすっきりした気持ちになっていた。
ようやく気づいたのだ。
このイメージは、誰かのストーリーをなぞっているだけだと。

それは、フリードリヒ・ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』だった。

ニーチェは、19世紀の終わりに活躍し、20世紀が訪れる前年1900年に亡くなった。
「ニヒリズムが、来るべき2世紀の最大の問題であり、これは、文明の『病』だ。」と語って。

今は、2016年だ。
あれから10年近くたってしまった。
ボブ・ディランはノーベル文学賞を受賞した。
僕は社会人になってまがいなりにもコンサルタントを名乗っている。
いまだに安アパートにひとり暮らしだ。

文明は「病」を克服するだろうか。
確かに相対主義の時代が終える気配はある。
けれど、それは反動に過ぎないのかもしれない。


滝口悠生『愛と人生』を読んで考えること

2015年3月11日 by 宝田 とまり

3月11日ですね。
あれから4年、早いのか遅いのかその判断が遠のく辺りに震災の風化を現実のものとして感じてしまいます。(個人の意見です)

今日ある小説を読み終えました。
とても偶然にその本の最後には、それまでとは何の脈絡もない形で震災を思わせる記述がありそれによって今僕はこれを書いています。
だから、今日僕がその本を読み終わらなかったらここにこれを書くことはなかったでしょう。

今日、地震が起こった14時46分に黙祷を捧げたり自身のSNSに書き込みをした人が多くいたと思います。
その中に一つ興味深いツイートを見つけました。
呟いた人(ある文芸批評家の方です)の名は伏せて転載させて頂きます。

2万人近くの死、というのも、よくわからない。交通事故であれなんであれ、人が死ぬのは哀しいだろう。しかし、知らない二万人よりも、家族とか親しい一人の死の方がつらくないかね。(中略)
集団の死を、集団で慰霊するということの意義が、リアリティを持った形で想像できないというか、それは一体どういうことなのか? っていう本質が未だにわからない。親しい人を喪った人の気持ちを想像する。これはわかる。それが数万人分。これ、脳の容量超える。そして、普段、その辺でやっている知らん人の葬式にもそう感じなきゃならんのか、でも現にそう生きていない。では、日々の死者や遺族の悲しみに、差をつける根拠はなんぞやってのが、わからなくなる。

死んだ人間に黙祷を捧げるのに、何故、加害者である地震の側のタイミングに皆が合わせなければならないのか。納得ならん。

ここまでです。
僕も純粋にそうだなーと納得してしまう部分もありました。
テレビではテレ東を除きキー局は半ば義務的にワイドショーの枠を拡大し震災4年に合わせた報道番組をやっていました。
ただ僕はこのツイートへの答えってこういう事じゃないかなと思ったのです。

滝口悠生『愛と人生』(講談社)
中編が3つ載った作品集です。
その中の3つ目『泥棒』という作品の最後で、今までご近所だった伊澤さんという人物がなんの前触れもなく引っ越しをし、元あった家や庭が業者によってまたたく間に更地にされてしまうという部分があります。
突然お隣さんがいなくなったり、解体までの描写には「水」や「川」「流れ」といったワードが吹き出すように現れ、これはまず間違いなく震災での被害を表していると言えます。
話はさらに少しだけ続き、そして最後にこんな文章で締められています。
(途中出てくる“熊”というのは登場人物のあだ名であり人の事です)

私も驚きがおさまらぬまま、慌てて、ありがとう、と早口で言った。自分も何かを取り繕っているみたいな気持ちになって、振り返ると、熊を見る時にはたいてい冷たく醒めた顔つきの妻が、珍しく私と一緒に熊に礼を言いそうな柔らかな笑顔をしていた。これまでにほんの何度かだけ見たことのある、私の好きな、忘れられない表情だった。妻もびっくりしてつくる表情を間違えたのかもしれなかった。私はこれからもこの瞬間のことと、その妻の表情を忘れないが、妻の表情を覚えることはできなくて、だから自由に思い出すこともできない。(滝口悠生『泥棒』)

なぜ、誰しもが誰しもに倣ったかのように同じ時間に黙祷を捧げる(意地悪な言い方をすれば自己顕示的)のか。
それは4年前の東日本大震災の被災者やその関係者でない人間の方が日本には圧倒的に多いからです。その人たちは、どうなるか。
“震災”のことを忘れまいと誓うが、次第に
「覚えることはできなくて、だから自由に思い出すこともできない。」
ようになってしまうのです。

なので半ば機械的なタイミングを利用せざるをえなくて、こうやって祈ったり思い出したりするのです。
人間は弱く不自由で特に自然になんて勝てっこなく、圧倒的に無力です。
しかし、一人ではなく多くの人が集まって一緒になることで生まれる力もあるのかもしせません。いや、実際はそんなシーンばかりでしょう。
震災の被災者の方、今も苦しみながら毎日生活されている方にとって少しでも良い未来が訪れればと思います。


あの頃、僕らが夢中になったのはこんなレコードだった。

2018年11月2日 by Heiwagokko

10年弱前のmixiの日記に大学4年間で刺さった10枚みたいなものを書いていたのを偶然見つけた。ほぼ全てインディーロックで時代を少し感じたのと自分可愛いかったなと暖かい眼差しで読んだ。


どうも!今日は僕が大学4年間に聴いたアルバムの中から特に素晴らしかった10枚をピックアップして紹介します。 
興味のない方は僕の牧場に虫でも入れてお引取り下さい。 
それなら公開しなきゃいいじゃないか?もっともです。でもあえて公開するのはちょっと見てもらいたい気持ちもあるからです。笑

スタートする前に注意事項を!今回は70’s~2000’sの中から10枚を選びました。

なぜ、60’s(50’sはともかく)を外したのか。かのピッチフォーク(アメリカの音楽サイト)も60’sはアルバムのランキングを公開せずに、曲のランキングだけに留めてあります。おそらく音楽基地外の集団であろうピッチフォークでも「ごめん、60sはアルバムで順位はつけれねーわ。わかるだろ?」的なことが英語で書いてありました。
それをたかだか4年間音楽をかじった程度の僕が安易に優劣をつけることはできません。70’s以降なら多少なりとも詳しい人とある程度は会話できるんですが、60’sの話になると、「それは何ですか?」の嵐です。60’sは奥が深いし、いちいちクオリティが高いので、それを含めたものは5年後なり10年後なりにでも書けたらいいと思ってます。
一応一つのバンドでアルバム一枚までっていう制限をつけました。それじゃあ、スタート。

No.10 
I Can Hear the Heart Beating as One/Yo La Tengo <1997> 

アメリカの良心!ってよく言われるバンドだけども、ホントにその通りでコンスタントにいいアルバムを作るし、どれをベストに挙げるかはすごく難しい。これと近い時期にでたエレクトロオピューラっていうのも大好きで迷ったんだけどアルバムとしての完成度の高さからこっちを。

このバンドの何がいいかって、音に人柄がすごくよく出てる。得意の3分ポップス系(ストックホルムシンドロームとか)なんかは、家庭生活の延長線上にこの音がありそうだし、長尺系の曲にしてもギターの音はすごくひしゃげてるんだけどどこか暖かい。ロックバンドっていうと、自分達とは離れた世界の存在をイメージしがちだけど、この人たちはふつうのおじさんとおばさん。(おじさんはギター持つと、ノイズおじさんに変身するけど。)すぐ隣に住んでそうな。そこにどこかひとつのクッションがあるというか、だからライブでお遊戯みたいなダンスをしても許されるんじゃないかなんて思う。

No.9 
Entertainment!/Gang of Four<1979> 

ニューウェーヴ、ポストパンク期の名盤として取り上げられることが多いこのアルバムだけど、時代が偶然に生んだ音かっていうとそうじゃなくて、このキレキレでジャキジャキの音は、ドクターフィールグッドから受け継がれてきたものらしい。去年フジでウィルコジョンソン見た時にはギターの音にそこまでキレを感じなかったんだけど、当時の映像を見てみると、面白いくらいにジャキジャキした音を出しててびっくりした。この音をニューウェーヴの解釈でより無機的にしたのがギャングオブフォーだって考えるとすごくしっくりくる。

このアルバムについてだけど、もうひたすらカッコよくて踊りださずにはいられない程のキレと勢い。序盤から中盤にかけての勢いがとまらずに爆発していくような感じがたまりません。映画のマリーアントワネットを見た時に、オープニングでこの曲がフルに近いくらい流れてて、ちょっといじらしい気持ちになった。ソフィアコッポラはずるい。おれも好きな曲あーいう風に使いたい。笑 ちなみにソフィアが映画で使った音楽で一番上手だなと思ったのが、ロストイントランスレーションでのマイブラのサムタイムズ。あれはぞくっとした。

No.8 
Marquee Moon/Television<1977> 

このアルバムが出た頃はちょうどピストルズがイギリスでわいわいやってた頃で、アメリカではちょっと前からニューヨークドールズなんかがやいやいやってた影響もあって、テレビジョンもニューヨーク・パンクのジャンルでくくられることが多いんだけど、これはパンクか?笑 

歌詞はまともに読んだことないけど、詩的で知的な印象まで受ける。 
もちろんアルバム全体を通してすごく完成度が高い。音はとてもシンプルな構成なのに名曲のオンパレード。 
でもなんといってもそこはやっぱりタイトル曲のマーキームーンが群を抜いて素晴らしい。ギターが絡む絡む。そりゃもう官能的なまでに絡む。こんな名曲が生まれた時の気持ちを是非聞いてみたい。 
ちなみに一曲目のSee No Evilには「足、足のー、いぼー」っていう空耳もあります。

No.7 
The Lonesome Crowded West/Modest Mouse<1997> 


はいきた。モデストマウス!僕はこのバンドに関しては断然初期派でこれかファーストかどっちかで迷った。ファーストはアメリカの労働者階級のことを主に詞にしてて、ギターも一貫してヒリヒリした音を鳴らしてるんだけど、どこか救いがない感じがするのでこっちを選んだ。今回えらんだこのセカンドは曲の強弱がハッキリしてるし、音にも柔らかさが出てきたのがファーストよりも進歩してるんじゃないかな。ちょっと前にジョニーマーが加入したけど、正直このバンド自体にものすごくパワーがあるから、あまりプラスには働かなかったんじゃないかな。クリブスに移って正解だと思う。

モデストマウスはアルバム一枚の時間が長いものが多くて、1枚40分推進党の僕としては強く推せないところもあるんだけど、それは抜け出せないアメリカの貧富の差や汚い言葉でのメッセージを伝える為にあるんだと思って目を瞑ります。 
あ、下手糞なのにすごくいい声、歌い方してますこのボーカル。

No.6 
Y/Pop Group<1979> 


気をつけて下さい。全然ポップじゃありません。 
この人達はホントはジャズとかファンクとかそういう音楽がやりたかったみたいなんだけど、技術が追いつかなくて、なんとかうまくやれないかってことでこういう形でアルバムを作ったとのこと。

これもやっぱりニューウェーブ期のミックス感のなせる業じゃないかな。このアルバムがきっかけでダブとかレゲエのアルバムも何枚か聴いてみたけど、うまく雰囲気をそこから持ってきてるのがよくわかった。実際解散後にダブに寄せたアルバムも何枚か作ってるし。

でもそういうテクニック云々な話は抜きにしても、この衝動的な音はなかなかだせるもんじゃないと思う。パンクの形容でよく使われる、初期衝動のような~とは一線を画す本当に衝動的な音。ぜったい需要はあるはずなのにセカンドが廃盤なのが謎。CD1枚に5,000円は出せません。再発を強く希望。

No.5 
Crooked Rain,Crooked Rain/Pavement<1994> 


このときのアメリカはグランジ全盛、太いでかい音が暴れ回ってるような時代。そんな中、うらでひっそりとヘロヘロ、ローファイムーブメントが!ベックなんかもローファイで括られるんだけど、僕に言わせるとベックはローファイじゃない。弱気なこと歌ってればそれはローファイか?違う。笑

このペイブメントこそ、弱気、無気力、ダサい、三拍子揃った真のローファイバンドじゃないだろうか。曲もどこかつかみ所が無くて、ふわふわしてる感じなんだけど、多分それをあえてやってるところが恐ろしい。耳慣れないリズムで進んでいく曲が多いんだけど、下手糞が間違ってたどりつけるようなものではない気がする。ファーストかこのセカンドかで迷うところだけど、生活にフィットしやすく、春に向かうこの時期にうってつけなセカンドを選んだ。 
捨て曲無し、感涙必至のアルバムです。

No.4 
Closer/Joy Division<1980> 


最近やたらとジョイディビジョンのTシャツ着てる人がいて嫌だ。おれが着れなくなるじゃねーか。笑

首吊って自殺したとか、そんなことばっかりが取り上げられてロックのファッションアイコン化してるイアンカーティスだけど、音は間違い無く本物です。このアルバムに関してはは隙みたいな部分が一切無く、文句のつけようがないです。うねるギターあり、絡むギターあり、ベースの音もたってるし、印象的なのはファクトリー的なキシッというドラムの音。24アワーかコントロールか忘れたけど、ファクトリーはドラムの音にものすごく気を使っていてドラマーにドラムを何回も何回も叩かせていたシーンがあった。それの結晶がこの音、じゃないかな。

もちろんニューオーダーも12インチ買うくらい大好きなんだけど、アルバムで選ぶんだったらジョイディビジョンになっちゃうね。他に代わりのきかない凛としたカッコよさ、美しさがすごくよく出てるアルバム。偏見を捨てて、音量高めで、さあどうぞ。

No.3 
Future Days/CAN<1973> 


CANっていうのはドイツのバンドで、ボーカルは日本人のダモ鈴木さんが担当しております。 
去年の後半から僕がジャーマンロックの世界に迷い込んだのはこのバンドのせい。 

CANの何がいいって、延々と続く反復リズムにいろいろ音が乗っかっていくときのあの感じ! 
今のミニマルミュージックの起源はこの時期のドイツにあって、なるほど頷けるものがこのCANにもあります。これはダモ期最後のアルバムで、独特の浮遊感がたまりません。バンドとしてのピークはやっぱりダモがいた3作とその後のババルーマまでだと思うんだけど、他の作品もまだ僕の耳が追いついてないだけかもしれない。約40年前、みんながロックに走る中で、現代のポストロックとでもいうべきこんな音楽を、ふざけたくらいの高レベルでやっていたCAN。もはや笑うしかない!天才!

No.2 
Remain In Light/Talking Heads<1980> 


このアルバムはCDでも持ってるし、レコードでも持ってます。そのぐらい好きな一枚です。 
トーキンヘッズはもうほとんど全部のアルバムが好きなんだけど、とりあえず選べと言われたらこれかな。ファーストの曲のような完璧なポップセンス、サードでのアフリカに若干寄せた感じ、スピーキングインタンズのエレポップ路線、どれも捨てがたい。ただ、このアルバムはその中でも際立って完成度が高い。3枚目から継続してバーンはアフリカンミュージックを取り入れたアルバム作りをこのアルバムでも行ったわけだけど、多分イーノの力も多分にあるんじゃないかな。

バーンとイーノがこのアルバムを作る前に、ソロの共同作として、これよりも幾分実験的なアルバムを一枚つくってるんだけど、それが3枚目のフィアオブミュージックをより奥に押し進めたようなもので、その時点でこの名盤、4枚目に繋がるものがある程度見えていたんじゃないかと思う。このアルバムでのファンクともどこか違う、もっと血沸き肉踊るような独特なサウンドは唯一無二の一言。体が自然に動き出します。このアルバムリリース後にはゲストメンバーを迎えて世界ツアーをしてたみたいでその頃のライブも必見!

No.1 
Hatful of Hollow/The Smiths<1984> 


ありがとうございます。スミスです。なんでクイーンイズデッドじゃないのか?理由は単純で初期スミスこそが僕の中では本当のソフィスティケイトされてないスミスだと思うから。グズグズでダメダメなスミス。メロディーが痛いくらいに沁みる。最高。 

こんだけ書いといてあれだけど、そもそもロックなんていうのはそもそもが騙し、騙されの存在であって、歌詞に共感したり、優しいメロディーなんかに心惹かれても、こちらの問題は何にも解決してないわけで。そんな事実には10代を超えれば大抵の人は気づくし、理解もちゃんとできる。でもなんで古いレコード集めるおっさん達がいなくならないか。単純に騙され続けていたいから、はじめて聞いたときの感傷的な気分を忘れたくないから、そんな理由だと思います。僕もスミスが騙しだってことには気づいてるんだけど、それでもこうして一番上に持ってきてるし、外そうなんて思いません。2万でヨレヨレのスミスTシャツ買ったりします。笑 

似てるとこではウィーザーなんかも騙しだと思うんだけど、繰り返し聞いたことは全然恥ずかしくないしむしろ良かったと思う。騙すこともある種の力だと思うし、これからもできることならどんどん音楽に騙されたい。頑張って60年代掘り進めよう。

2010年02月11日07:20

古市憲寿『平成くん、さようなら』を読む。

『平成くん、さようなら』読み終わり。 安楽死というテーマに対する社会学である著者のアプローチと、それを平成という時代を絡めて小説というコンテンツで見事に表現する構成力はデビュー作としては見事。著者を思わせる平成くんという主人公を恋人の一人称から描く距離感も著者らしい。

著者の来歴や作風も含め田中康夫の『なんとなく、クリスタル』は比較されうる作品であるが、『なんとなく…』は恐らく当時あの作品を読んで共感できる人が多くいたからこそ、現在でも80年代の時代の空気を切り取ったという評価が一般化されているのだろう。

だが、その事を踏まえると『平成くん…』は果たして平成という時代の映し鏡のような作品だろうかということを考えると必ずしもそうでない気がする。逆説的にはそれこそが平成という時代の多様性や格差の象徴なのかもしれないが、僕にはほぼ同時代を生きてきた平成くんと愛ちゃんの2018年の日常は想像し難い。

東京湾に面した家賃130万のタワーマンションや特殊な労働環境、移動手段はほぼタクシーで身につけている服は俗に言うハイブランドものとという彼ら。その彼らの寂しさや辛さにいまいち共感が持てなかった。もちろんこれは想像力の問題で、あの主人公たちに時代が共感するのであればそれはそれで頼もしい。

もちろん、『なんとなく…』は後追いで読んでも時代の終わりに対しての警鐘と対策が実感できるように、『平成くん…』では同じような時代の転換点にどのような結論が導かれたかと考えると、安楽死というのはあくまで提案の一つに過ぎないながらもそれに伴う平成くんの講じた対策も今では全く非現実的でないことは分かる。

情報や記号はしっかりと時代の的を射ていて、その情報や記号を効率よく取捨選択する彼らのライフスタイルや価値観も分からなくはない。

とはいえ、結局そんな彼らの生身の人間性みたいな部分が物語には必要不可欠で、結局その部分に本作の重心も置かれてしまうバランスが個人的には腑に落ちない部分だった。

何時の時代であれ、人はその人にしか分からない淋しさや恐れがあるし、自分が生きている証を刻みたいと思うものなのだろう。その哀しみや願望に対して選択肢をぐっと増やしてくれたのが平成という時代だったのだろう。まぁ結局みんな同じ選択をするので時代は繰り返されるのだが。

あの頃、僕らが夢中になったのはこんなレコードだった。

10年弱前のmixiの日記に大学4年間で刺さった10枚みたいなものを書いていたのを偶然見つけた。ほぼ全てインディーロックで時代を少し感じたのと自分可愛いかったなと暖かい眼差しで読んだ。


どうも!今日は僕が大学4年間に聴いたアルバムの中から特に素晴らしかった10枚をピックアップして紹介します。 
興味のない方は僕の牧場に虫でも入れてお引取り下さい。 
それなら公開しなきゃいいじゃないか?もっともです。でもあえて公開するのはちょっと見てもらいたい気持ちもあるからです。笑

スタートする前に注意事項を!今回は70’s~2000’sの中から10枚を選びました。


なぜ、60’s(50’sはともかく)を外したのか。かのピッチフォーク(アメリカの音楽サイト)も60’sはアルバムのランキングを公開せずに、曲のランキングだけに留めてあります。おそらく音楽基地外の集団であろうピッチフォークでも「ごめん、60sはアルバムで順位はつけれねーわ。わかるだろ?」的なことが英語で書いてありました。
それをたかだか4年間音楽をかじった程度の僕が安易に優劣をつけることはできません。70’s以降なら多少なりとも詳しい人とある程度は会話できるんですが、60’sの話になると、「それは何ですか?」の嵐です。60’sは奥が深いし、いちいちクオリティが高いので、それを含めたものは5年後なり10年後なりにでも書けたらいいと思ってます。
一応一つのバンドでアルバム一枚までっていう制限をつけました。それじゃあ、スタート。

No.10 
I Can Hear the Heart Beating as One/Yo La Tengo <1997> 

アメリカの良心!ってよく言われるバンドだけども、ホントにその通りでコンスタントにいいアルバムを作るし、どれをベストに挙げるかはすごく難しい。これと近い時期にでたエレクトロオピューラっていうのも大好きで迷ったんだけどアルバムとしての完成度の高さからこっちを。

このバンドの何がいいかって、音に人柄がすごくよく出てる。得意の3分ポップス系(ストックホルムシンドロームとか)なんかは、家庭生活の延長線上にこの音がありそうだし、長尺系の曲にしてもギターの音はすごくひしゃげてるんだけどどこか暖かい。ロックバンドっていうと、自分達とは離れた世界の存在をイメージしがちだけど、この人たちはふつうのおじさんとおばさん。(おじさんはギター持つと、ノイズおじさんに変身するけど。)すぐ隣に住んでそうな。そこにどこかひとつのクッションがあるというか、だからライブでお遊戯みたいなダンスをしても許されるんじゃないかなんて思う。

No.9 
Entertainment!/Gang of Four<1979> 

ニューウェーヴ、ポストパンク期の名盤として取り上げられることが多いこのアルバムだけど、時代が偶然に生んだ音かっていうとそうじゃなくて、このキレキレでジャキジャキの音は、ドクターフィールグッドから受け継がれてきたものらしい。去年フジでウィルコジョンソン見た時にはギターの音にそこまでキレを感じなかったんだけど、当時の映像を見てみると、面白いくらいにジャキジャキした音を出しててびっくりした。この音をニューウェーヴの解釈でより無機的にしたのがギャングオブフォーだって考えるとすごくしっくりくる。

このアルバムについてだけど、もうひたすらカッコよくて踊りださずにはいられない程のキレと勢い。序盤から中盤にかけての勢いがとまらずに爆発していくような感じがたまりません。映画のマリーアントワネットを見た時に、オープニングでこの曲がフルに近いくらい流れてて、ちょっといじらしい気持ちになった。ソフィアコッポラはずるい。おれも好きな曲あーいう風に使いたい。笑 ちなみにソフィアが映画で使った音楽で一番上手だなと思ったのが、ロストイントランスレーションでのマイブラのサムタイムズ。あれはぞくっとした。

No.8 
Marquee Moon/Television<1977> 

このアルバムが出た頃はちょうどピストルズがイギリスでわいわいやってた頃で、アメリカではちょっと前からニューヨークドールズなんかがやいやいやってた影響もあって、テレビジョンもニューヨーク・パンクのジャンルでくくられることが多いんだけど、これはパンクか?笑 

歌詞はまともに読んだことないけど、詩的で知的な印象まで受ける。 
もちろんアルバム全体を通してすごく完成度が高い。音はとてもシンプルな構成なのに名曲のオンパレード。 
でもなんといってもそこはやっぱりタイトル曲のマーキームーンが群を抜いて素晴らしい。ギターが絡む絡む。そりゃもう官能的なまでに絡む。こんな名曲が生まれた時の気持ちを是非聞いてみたい。 
ちなみに一曲目のSee No Evilには「足、足のー、いぼー」っていう空耳もあります。

No.7 
The Lonesome Crowded West/Modest Mouse<1997> 



はいきた。モデストマウス!僕はこのバンドに関しては断然初期派でこれかファーストかどっちかで迷った。ファーストはアメリカの労働者階級のことを主に詞にしてて、ギターも一貫してヒリヒリした音を鳴らしてるんだけど、どこか救いがない感じがするのでこっちを選んだ。今回えらんだこのセカンドは曲の強弱がハッキリしてるし、音にも柔らかさが出てきたのがファーストよりも進歩してるんじゃないかな。ちょっと前にジョニーマーが加入したけど、正直このバンド自体にものすごくパワーがあるから、あまりプラスには働かなかったんじゃないかな。クリブスに移って正解だと思う。

モデストマウスはアルバム一枚の時間が長いものが多くて、1枚40分推進党の僕としては強く推せないところもあるんだけど、それは抜け出せないアメリカの貧富の差や汚い言葉でのメッセージを伝える為にあるんだと思って目を瞑ります。 
あ、下手糞なのにすごくいい声、歌い方してますこのボーカル。

No.6 
Y/Pop Group<1979> 



気をつけて下さい。全然ポップじゃありません。 
この人達はホントはジャズとかファンクとかそういう音楽がやりたかったみたいなんだけど、技術が追いつかなくて、なんとかうまくやれないかってことでこういう形でアルバムを作ったとのこと。

これもやっぱりニューウェーブ期のミックス感のなせる業じゃないかな。このアルバムがきっかけでダブとかレゲエのアルバムも何枚か聴いてみたけど、うまく雰囲気をそこから持ってきてるのがよくわかった。実際解散後にダブに寄せたアルバムも何枚か作ってるし。

でもそういうテクニック云々な話は抜きにしても、この衝動的な音はなかなかだせるもんじゃないと思う。パンクの形容でよく使われる、初期衝動のような~とは一線を画す本当に衝動的な音。ぜったい需要はあるはずなのにセカンドが廃盤なのが謎。CD1枚に5,000円は出せません。再発を強く希望。

No.5 
Crooked Rain,Crooked Rain/Pavement<1994> 



このときのアメリカはグランジ全盛、太いでかい音が暴れ回ってるような時代。そんな中、うらでひっそりとヘロヘロ、ローファイムーブメントが!ベックなんかもローファイで括られるんだけど、僕に言わせるとベックはローファイじゃない。弱気なこと歌ってればそれはローファイか?違う。笑

このペイブメントこそ、弱気、無気力、ダサい、三拍子揃った真のローファイバンドじゃないだろうか。曲もどこかつかみ所が無くて、ふわふわしてる感じなんだけど、多分それをあえてやってるところが恐ろしい。耳慣れないリズムで進んでいく曲が多いんだけど、下手糞が間違ってたどりつけるようなものではない気がする。ファーストかこのセカンドかで迷うところだけど、生活にフィットしやすく、春に向かうこの時期にうってつけなセカンドを選んだ。 
捨て曲無し、感涙必至のアルバムです。

No.4 
Closer/Joy Division<1980> 



最近やたらとジョイディビジョンのTシャツ着てる人がいて嫌だ。おれが着れなくなるじゃねーか。笑

首吊って自殺したとか、そんなことばっかりが取り上げられてロックのファッションアイコン化してるイアンカーティスだけど、音は間違い無く本物です。このアルバムに関してはは隙みたいな部分が一切無く、文句のつけようがないです。うねるギターあり、絡むギターあり、ベースの音もたってるし、印象的なのはファクトリー的なキシッというドラムの音。24アワーかコントロールか忘れたけど、ファクトリーはドラムの音にものすごく気を使っていてドラマーにドラムを何回も何回も叩かせていたシーンがあった。それの結晶がこの音、じゃないかな。

もちろんニューオーダーも12インチ買うくらい大好きなんだけど、アルバムで選ぶんだったらジョイディビジョンになっちゃうね。他に代わりのきかない凛としたカッコよさ、美しさがすごくよく出てるアルバム。偏見を捨てて、音量高めで、さあどうぞ。

No.3 
Future Days/CAN<1973> 



CANっていうのはドイツのバンドで、ボーカルは日本人のダモ鈴木さんが担当しております。 
去年の後半から僕がジャーマンロックの世界に迷い込んだのはこのバンドのせい。 

CANの何がいいって、延々と続く反復リズムにいろいろ音が乗っかっていくときのあの感じ! 
今のミニマルミュージックの起源はこの時期のドイツにあって、なるほど頷けるものがこのCANにもあります。これはダモ期最後のアルバムで、独特の浮遊感がたまりません。バンドとしてのピークはやっぱりダモがいた3作とその後のババルーマまでだと思うんだけど、他の作品もまだ僕の耳が追いついてないだけかもしれない。約40年前、みんながロックに走る中で、現代のポストロックとでもいうべきこんな音楽を、ふざけたくらいの高レベルでやっていたCAN。もはや笑うしかない!天才!

No.2 
Remain In Light/Talking Heads<1980> 



このアルバムはCDでも持ってるし、レコードでも持ってます。そのぐらい好きな一枚です。 
トーキンヘッズはもうほとんど全部のアルバムが好きなんだけど、とりあえず選べと言われたらこれかな。ファーストの曲のような完璧なポップセンス、サードでのアフリカに若干寄せた感じ、スピーキングインタンズのエレポップ路線、どれも捨てがたい。ただ、このアルバムはその中でも際立って完成度が高い。3枚目から継続してバーンはアフリカンミュージックを取り入れたアルバム作りをこのアルバムでも行ったわけだけど、多分イーノの力も多分にあるんじゃないかな。

バーンとイーノがこのアルバムを作る前に、ソロの共同作として、これよりも幾分実験的なアルバムを一枚つくってるんだけど、それが3枚目のフィアオブミュージックをより奥に押し進めたようなもので、その時点でこの名盤、4枚目に繋がるものがある程度見えていたんじゃないかと思う。このアルバムでのファンクともどこか違う、もっと血沸き肉踊るような独特なサウンドは唯一無二の一言。体が自然に動き出します。このアルバムリリース後にはゲストメンバーを迎えて世界ツアーをしてたみたいでその頃のライブも必見!

No.1 
Hatful of Hollow/The Smiths<1984> 



ありがとうございます。スミスです。なんでクイーンイズデッドじゃないのか?理由は単純で初期スミスこそが僕の中では本当のソフィスティケイトされてないスミスだと思うから。グズグズでダメダメなスミス。メロディーが痛いくらいに沁みる。最高。 

こんだけ書いといてあれだけど、そもそもロックなんていうのはそもそもが騙し、騙されの存在であって、歌詞に共感したり、優しいメロディーなんかに心惹かれても、こちらの問題は何にも解決してないわけで。そんな事実には10代を超えれば大抵の人は気づくし、理解もちゃんとできる。でもなんで古いレコード集めるおっさん達がいなくならないか。単純に騙され続けていたいから、はじめて聞いたときの感傷的な気分を忘れたくないから、そんな理由だと思います。僕もスミスが騙しだってことには気づいてるんだけど、それでもこうして一番上に持ってきてるし、外そうなんて思いません。2万でヨレヨレのスミスTシャツ買ったりします。笑 

似てるとこではウィーザーなんかも騙しだと思うんだけど、繰り返し聞いたことは全然恥ずかしくないしむしろ良かったと思う。騙すこともある種の力だと思うし、これからもできることならどんどん音楽に騙されたい。頑張って60年代掘り進めよう。

2010年02月11日07:20

柄谷行人と村上春樹-デカルト、フッサール、サルトルと構造主義からの批判

デカルトのコギトにしても、フッサールの超越論的自我にしても、サルトルの無の自由にしても、それらは超越論的主観である。
そして、それは形式的であり人間中心主義だと構造主義から批判される。

超越論的主観による形式化に対する批判が構造主義からなされたのだとすれば、なぜ、フランス現代思想はある種文学的な文体を持つ文章なのかということは確かに理解できる。

他方で、日本のポストモダン文学史の中での柄谷行人による村上春樹批判はその超越論的主観を問題視した。
また、フランス文学者の蓮實重彦もサルトルのフローベール論『家の馬鹿息子』の翻訳を15年に渡り放置した言われ、そこにはある種のサルトルフォビアがあったのではないかと考えられている。
そう考えてみると、文壇における村上春樹批判というのはむしろ文芸批評家による哲学的コギト批判にも思える。

だが、他方で柄谷行人はデカルトを評価している。デカルトは哲学界の悪役でコギト的であると評価されているが、しかし、常に共同体の外で考えようとした人間だと評価するのだ。
この共同体は言語ゲームを互いに共有する人々であろう。であるならば、柄谷行人による村上春樹批判は何を意味したか。

それは、大きく言えば全共闘世代、つまり、解放区を共有した者同士の共同主観性を前提とした主観を超越論的主観として他者との関係を考慮する意思のないインポになった新左翼への批判でもあったのではないか。

だが、問題は、むしろ他者を持たないはずの超越論的主観の作家である村上春樹の作品が世界中の人々に救済として受容されていることだろう。
その意味を、ポップなファストフードとして消費されていたとしても、また、問わねばならないのではないか。

『東方のラビリンス』

以下は、過去636日間における14の文章である。
順序としては、もっとも新しい2018年9月21日の文章から順番に並び、2017年1月27日が終わりの文章にあたる。

これらの文章が何を意味しているのかはわからない。
ただ、最近、熱帯魚のベタを飼いはじめたことが関係しているように思う。
タイトルはベタの「ラビリンス器官」による。



タイ(バンコク・アユタヤ)を旅する ― 聖なるものと俗なるものの濁流をさまよう

2018年9月21日

2018年9月14日~18日、タイ〈バンコク・アユタヤ〉を旅行した。

微笑みの王国、タイ。

かつて「クルンテープ」(天使の都)と呼ばれ「東洋のヴェネツィア」と讃えられる水の都バンコク。

あるいは、世界遺産にも登録された古都アユタヤ。

アジアの雑踏。崇高な超越へのあこがれと、猥雑な風俗が雑多に混じりあった東洋の王国。

バンコクを流れるチャオプラヤー川の濁流は聖俗浄穢を飲み込むタイの風土を象徴しているかのようだ。

それは、同じアジアの王国でも、日本の列島全土を流れる清流や神道的な穢れの思想とは対称的である。

初日

ぼくら(友人とぼくの3人)は、9月13日(木)の夜に羽田空港に集まり、9月14日(金) 00:30 東京・羽田発 → 9月14日(金) 04:50タイ・バンコク行きのフライトで旅行を開始した。

旅行初日はトラブルの連続であった。バンコクの空港に降り立つと、友人がひとり行方不明になった。iPhoneのSIMカードはwifi環境でのアクティベートが必要ですぐには使えなかった。ぼくらは、とりあえず、なかば諦めて入国審査カードを記入した。

どうにか、ようやく友人と再会し、電車や船を乗り継ぎながら朝8時ころホテルにチェックインすることができた。

観光を開始すると、王宮前ですぐに詐欺グループに絡まれた。友人たちは気のよさそうな(ぼくにはそう思えなかったのだが)タイ人の親父相手に会話を楽しみ、言われるがまま通りすがりのトゥクトゥクに乗り込んでいた。正直に言って、ぼくは友人たちの素直さにうらやましさを感じた。

もちろん、トゥクトゥクの運転手はぼくらと会話していたタイ人の親父の顔見知りであった。どうやら、彼らは言葉たくみに観光客を誘導し、大金をだまし取る詐欺グループだったらしい。タイの有名観光地でのこうしたトラブルは数十年前から存在するという。

しかし、さすがに、初日から詐欺にあうわけにはいかない。彼らの前を立ち去り、ぼくらは王宮、タイ料理屋でのランチ、ワット・ポーの見学とタイ式マッサージ、その後、射撃クラブとナイト・マーケットを楽しんだ。三島由紀夫の『暁の寺』に登場するワット・アルン、一番の楽しみでもあったが時間の都合で今回は省略した。次回、その暁の姿を見たい。

だが、問題はその後であった。ぼくらは、終電のバスを乗り過ごした。

フライトからぶっ続けで遊び続けた疲労困憊のぼくらは、いくつもの失敗を繰り返した。

まずは、バス停で待ちながら所定の路線(25番線)のバスを見過ごした。ふたつめに、バスに乗り込むとそれは逆側方向へのバスであった。道を渡って、Googleマップでバス停の位置を探す。それが最後のチャンスだった。スコールが降っていた。ぼくらは雨の中バスを待ち続けた。

かすかに、そこが本当にバス停なのだろうかと不安を抱いていた。なぜなら、そこにバス停の標識が見られなかったからだ。友人はぼくに「雨宿りしながら、少し離れた場所でバスを待とう」と言った。

だが、ぼくはその最終バスを逃したくはなかった。ぼくはこのまま待つと答えた。

バスが現れた。ぼくらは手をふった。バスは通り過ぎて、200メートル離れたところで停車し、また走り出した。バス停はぼくらのいたところには存在しなかった。ぼくらは現実と地図をはき違えていた。

24時過ぎ。ぼくらは最終バスのないバスの停留所に座り込んだ。タクシーは観光客には冷淡だった。

彼らは深夜のぼくらを乗車させてくれなかった。疲れたぼくらはそこで15分ばかりぼんやりと過ごした。スコールは、その雨脚をいっそう強いものにしていた。だが、その雨音の向こうにかすかに大型車のブレーキの音が聞こえた。雨脚の向こうに、バス停のすぐ手前に、バスがいままさにそこに停車しようとしていた。それは25番線だった。バスは時刻表を30分以上遅れて運行していた。ぼくは奇跡という言葉の意味がわかった気がした。

ホテルに戻ると、浴槽のないバスルームでシャワーを浴び、シンハー・ビールを飲んで、ぼくらは朝までゆっくりと眠った。

二日目

二日目は、チャイナ・タウン、カオサン・ロード、電車移動をして古代遺跡アユタヤ、そしてナイト・クラブを巡った。

アジアにおいて、中華文明というのは特異点であり、タイにおいても中国文化の影響は色濃い。

一説には、そもそも、タイ族は中国南方から移動してきた人々だともいわれている。

タイ各地においても中国風の寺院や漢字が見られるところは多い。そんなタイのチャイナ・タウンで朝食をし散策をしながら二日目ははじまった。

チャイナ・タウンを散策すると、トゥクトゥクで15分ほど移動してカオサン・ロードに移動した。

バックパッカーの聖地。マクドナルドのキャラクター、
ロナルド・マクドナルドがワイ(合掌)している姿も見られる。カオサン・ロードはシルバー・アクセサリーの名店街でもあるらしい。SILVER
FACTORYなどの看板が多く掲げられていた。

午後は、バンコク駅(フワランポーン駅)に移動し、そこから鉄道で古都アユタヤに移動した。

バンコク駅と鉄道移動で見た景色はもしかしたら今回の旅でもっとも印象深かったものかもしれない。

バンコク駅ではイスラームの衣装を着た女の子たちが離れ離れになるのだろう、抱き合って涙を流している姿を見かけた。仏教国タイにも少数ながらイスラーム人口はあるということらしい。近年の統計では、約400万人、4.6%がイスラム教徒であるという。

それから、弁当の売り子、ペプシのポスター、サバ缶の看板。色とりどりのタイがバンコク駅にはあった。

鉄道が出発してしばらくすると、バラック建ての家々が立ち並び、アユタヤ周辺まで移動したころには広大な農地がその姿を見せるようになった。タイは非常に都市と地方の差が大きく、また、貧富の差も大きかった。

古都アユタヤは、王朝の滅亡とかつての仏教の繁栄をよく示していた。日本でいえば、平家物語や奥州藤原氏を思わせる栄枯盛衰を想像させた。あらためて、一日かけてゆっくり見たいと感じた。

今回は駆け足でトゥクトゥクでツアーを行い、その後、河上のコテージ風のレストランでタイ料理とシンハー・ビールを飲むと、また鉄道でバンコクに戻った。

そして、ナイト・クラブを楽しむことにした。

バンコクでもっとも有名な歓楽街のひとつナナプラザ。ゴーゴーバーやバービアが多く集合するモール型の歓楽街。多くの日本人が訪れるという。

正直に言えば、セクシーな女の子が舞台の上に並んでるのを眺めながらアルコールを飲むところと聞いていて、Disco Trainみたいないわゆるclubを想像していた。だが、それとは違っていた。ステージの上の女の子たちは踊ってはいなかった。彼女たちは、ただステージに立ち、音楽に合わせてポージングする。

それを見つめる男たちの熱狂、熱い視線。対して、見られる彼女たちは、彼女たちの肉体は熱狂とは遠く、冷たい肉のようにも見えた。仏教国のタイでは、人々は輪廻転生を当たり前のことのように考え生きているという。あるいは、肉体と精神の乖離した彼女たち。肉体は現世における魂の牢獄にすぎないだろうか。

タイでは売春は違法ではない。厳密にいえば刑事的な処罰はない。だが、それらは合法でもない。それらは、双方が法的に守られた関係でもない。そこには、ただ、微笑みがあった。ぼくらはどこか醒めた気持ちを感じながらジントニックを飲み干した。

三日日

三日目はサムットソンクラーム県のメークロン市場(折り畳み市場)とバンコクの水上マーケットを観察し、エラワン美術館を巡った後で、サイアム・スクエアのモールでお土産を買い、ホテルに戻った。

そして、浴槽のないバスルームでシャワーを浴び、シンハー・ビールを飲んで、空港行きの朝4:30のシャトル・バスまで少しのあいだゆっくりと眠った。

そして、ぼくらのタイ旅行は終わった。朝7時半、タイ・バンコク発 → 東京・成田行きのフライトでぼくらは日常に戻った。

きっと、いつかまたぼくらは、タイの街を訪れるのだろうという予感を残して、上野駅でぼくらは別れた。


哲学–賭け–愛するということ

2018年3月3日

パスカルは神の実在に賭け、アインシュタインは神はサイコロを振らないと言い、カエサルは賽は投げられたと行動し、ハイデガーやサルトルは企ての中に身を投じることをエンドースした。

哲学的な認識と実践のあいだには決定的な亀裂があって、それらは二元論的に制御すべきで一元論的に統合することは出来ない。

しかし、認識と実践のあいだにある飛躍、死を覚悟した跳躍というのは?

それは、まさに賭けというものなのではないだろうか。

賭けは、人間にとって強烈で不思議な魔力を持っている。ギャンブラーであれば、赤のカードが5回続いた次には黒が来るのではないかと流れを感じ取ってしまうはずだ。

奇妙な話ではある。確率的にいえば、これからの出来事とこれまでの出来事には因果関係はない。しかし、人はそこに流れを見出してしまう。あたかも、ヒューム的な違和感というか、有らぬものをあたかも有るかのように感じるのだ。

ある意味では、人生自体、賭けと言えなくもない。もちろん、僕らはディーラーではないからほとんどの場合には、はじめから負け戦だけれど。

他者を愛するということも賭けである。

僕らに、彼女らの気持ちは解りえない。応えてくれるだろうか?あるいは裏切らないだろうか?

無償の愛ならどんな愛でも良いだろう。しかし、もし相手に求めるところがあるなら?

サルトルの言った、投企=アンガジェは、エンゲージ(リング)=婚約=愛するということと同じ語源である。

愛することは自らを投げ入れること、それは賭けと言わざるを得ない。

とはいえ、賭けというものは、状況把握と確率のコントロールと可能性への前進であり、それは主体性の問題であるといえる。

それはある意味では、コミットする機会を逃さぬことでもあるが、他方で良くないゲームは続けずにすぐに降りなければならない。

つまるところ、賭けで最も下手なやり方は、ロマン主義であることと冒険主義であることだ。

まずは、心を落ち着けて、クールにゲームを楽しむことだ。そのうちに流れも変わる。あるいは、チャンスが巡ってくるかもしれない。

君のゲームにボーナス・ライトが灯ることを願って。

Have a nice play !!


西洋コンプレックスとアジア的意識 – 近代/一神教/自由の意味 –

2018年1月27日

最近、アジア的なものに関心がある。

基本的に自国や他国に対する強い思い入れはないのだが、なぜアジアについてとらえ始めたのかと考えているうちに、自分の中に強い西洋コンプレックスがあるのではないかと気づいた。

アジア人として生まれたことに対する、非西欧的であることへのコンプレックス。

一見すると、かなり奇異なことを言っているように思われるかもしれないが、やはり現在の世界は西欧中心の価値観で構成されていると考えていいのではないだろうか。

世界的なグローバル化はある意味で文化的なアメリカナイズという側面が強く、世界中どこへ行ってもある程度の都市ではSTARBUCKSやMcDonaldやGAPの店に出会うだろうし、道行く人々の手の中にはApple製のiPhoneかGoogleのAndroidのスマートフォンが握りしめられている。彼らが休日を過ごすのはローマ-イギリス-アメリカ起源のショッピング・モールだし、日記代わりに記録を残していくのはシリコンバレーで開発されているFacebookやInstagramやTwitterにである。

精神的にも経済にも、マックス・ウェーバーが語ったところの西洋におけるプロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神に覆われたシステムの中に僕らは生きていると言っていいだろう。

そもそも、普段からジャケットやパンツ(ズボン)やシャツを着て生活し、ローマ字入力のキーボードを叩いているのだから、西洋化された世界に取り込まれていないと考えるのは難しいのではないだろうか。

正直に言えば、近代化以後の日本人の中には強烈な西洋コンプレックスがあったのではないかと思う。

福沢諭吉の脱亜論もある意味でそうだが、現在でもある中国・韓国・朝鮮への強烈なヘイトや反発の基底にあるのは、西洋コンプレックスそのものではないだろうか。

一方で、ある種のヒエラルキーの中で、彼らよりも近代化を先んじたから上にあるという不遜。他方で、伝統ある大陸の東洋文化を無知蒙昧で未開で下品なものとして見る態度。

強い一神教的西洋とか弱き多神教的東洋

とはいえ、西洋コンプレックスというのは、結局のところ一神教的理念を持たないアジア・東洋におけるある種の弱さから来るものではないかと思うのだ。

それは、近代化を確立し得たのが一神教的理念を持つ西欧(西洋)であったこと、いまだにその近代モデルの中に世界があるということから由来する。

もちろん歴史的には例外もあった。多神教的な世界観が良い結果をもたらすのかと期待された時代だ。

80年代は日本にとってはミラクルな時代でJapan As No.1/エコノミック・アニマルとしての経済的成功と、ポスト・モダン的な思想の潮流に後押しされた乗った時代だった。

それは再評価されたコジェーブがいったところのスノッブな形式主義な日本と、ロラン・バルトがいったところの空虚な中心としての皇居〈コーラ〉という言説が輝いて見えた時代だった。

それは、結局のところアニミズム-汎神論-多神教的なイメージにつながるものだ。その意味でスピノザ-ドゥルーズにも連なるものだった。

とはいえ、90年代になってみれば強力なリーダーシップ不在の日本企業は没落し、リベラル的な多様性の尊重と承認の言説からは結局十分な多様なる個人が満たされることはなかった。

加えて、21世紀は一神教 対 一神教の戦争からはじまって、現在は相対主義の反動から強烈に一神教的ともいえるポスト・トゥルース的状況に至っている。

これでは、多神教的なものに弱さを感じざるを得ない。

他方で、僕は現在この瞬間の中国という国に注目しているところがある。

それは、現在の中国の状況が80年代の日本とよく似ていて、大衆の時代精神としてはエコノミック・アニマル=爆買い、Japan As No.1=強い中国経済のようには見えるからだ。

とはいえ、中国はアジアの特異点で、一神教的なところが強い。

もともと、天-皇帝-王朝という天帝-天子による民衆とのある種の世俗化した信仰的意識が強い。それは、天-毛沢東-共産党という体制として今も受け継がれている。

アジア的に土着化されていて、帝国主義的だけれど、ある種の一神教であるのが中国という国だ。

今後、アメリカ-中国という西洋-東洋のコンフリクトが激化していくのは、まず間違いないだろう。

世界第1の大国としての西洋のアメリカと世界第2の大国としての東洋の中国の対立ともいえる。

ある意味で、かつて日本が天皇-西田哲学-近代の超克-八紘一宇-満州国で東洋代表として西洋文明に対抗していたことの反復のようにも思える。

中国にも勿論日本と同様近代化を先んじた西洋に対するコンプレックスは根強くあるだろう。

中国の政治的・経済的な成功によって、アジアは西洋コンプレックスを克服できるのだろうか。

アジアに自由と民主主義はあり得るか

シンガポールは「明るい北朝鮮」と呼ばれているらしい。それは、経済的に高度に発達しながらも独裁的な政治であることを示唆している。

ある意味で、オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』が現実化された世界だといえるだろう。

それは、ジョージ・オーウェルの『1984』的な監視社会と揶揄される中国が経済発展の中で目指しているような世界像でもあるだろう。

最近、インド映画の『バーフバリ』を見た。

それは理想的な王の到来を描いた神話的超大作であった。

そこで思わず気付かされたのは、アジアにおいては民主主義という理念は現実味がなく、むしろ王→民という統治意識が強いのかもしれないということだった。

しかし、アジアの国々のそのような統治意識を単にアジアの未開性と切り捨てるわけにもいかないだろう。

アジア各国には、近代史的経験、ヨーロッパがそれぞれ闘争を通してリバティを獲得して近代化したのとは異なり、帝国列強の植民地であったトラウマの記憶があるのだ。

それゆえに、支配された経験のあるアジア各国が自由でリベラルな国民主権ではなく国家としての強固さ権力システムに有利な国家主権に重きをおくのは自然なことだろう。

例外はタイと日本だけだ。むしろ、例外的に被植民地ではなくむしろ列強であった日本、外交により難局をやり過ごしたタイも王国であったのである。

他方で、自由という言葉にはリベラル的なリバティという理念だけではなく、リバタリアン-自由主義-ハイエク的な(ハイエクはリバタリアン的ではないのだが)自由競争の自由という意味もある。

この自由の概念はアジアにも行き届いた。中国では改革開放の中でハイエクが大きな影響力を持ったらしい。

アジアの人々は権利としてリバティとしての「自由」は獲得できずに、西洋的「自由」競争の世界の中で生きているといえる。

未だ複雑な思いを抱えて生きざるを得ないだろう。


アイデンティティとナショナリズム

2018年1月12日

人間には否応なく認めざるを得ない暴力性というのがあるのではないか。

それは、ある種アイデンティティの維持と関わるものだと思われる。

暴力性は、他者を攻撃したり人を支配するという欲望と同質のもので、特に自己の危機において顕著に立ち現れる。

批評空間の「明治批評の諸問題」を読んでいる。

そこでは、日本語の言文一致はむしろ根本的に翻訳が起源だと書かれている。

二葉亭四迷のツルゲーネフ翻訳や漱石の翻訳的言文一致的な文章が起源だというのだ。

言文一致とナショナリズムは大きな補完関係にある。

ナショナリズムについて書かれた著作には、ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』がある。

そこによれば、ナショナリズムが起因する近代国家〈ネーション〉は、成員が「共同幻想」を共有することによって成立するとされている。

アンダーソンは近代国家〈ネーション〉成立の要因を出版資本主義の発展に求め、新聞が〈ネーション〉の公用語の普及に大きな役割を果たし、世俗語の言文一致をあまねく至らしめるとともに「想像の共同体」の形成に大きく寄与したとする。

翻って日本の言文一致の起源を考えると、言文一致の翻訳起源を否定するような日本ナショナリズムがあれば、それは翻訳が起源の言文一致により生まれたナショナリズムによるという現象が起こるということになる。

これは奇妙なパラドックスではある。

ナショナリズムというものが求めるのは、ミクロコスモスたる〈私〉とマクロコスモスたるネーション・ステート〈国家〉の合一で、それはウパニシャッドのアートマンとブラフマンの梵我一如や、プラトンの一者合一と同じものであろう。
あるいは、ヘーゲル=キリスト教的な弁証法による神の国への救済。
つまり、救済だ。

ナショナリズムについて別の見方をすれば、近世以降、宗教国家から世俗国家へと権力による支配形態が変わる時に正当性として〈宗教〉から置き換えられたものが〈ナショナリズム〉の起源だろう。

そして、その後、正当性となるものは国家の論理〈ナショナリズム〉から資本の論理〈資本主義〉へと移行した。

19世紀後半から20世紀にかけて、上記の動きが行き過ぎた結果をもたらす。

20世紀は、それへの対抗としてソビエト型社会主義〈共産主義〉・ファシズム〈国家社会主義〉・ケインズ主義〈修正資本主義(国家資本主義)〉が台頭した。

そして、それぞれが20世紀の内に自壊した。

1990年代以降は、純粋資本主義の独壇場であった。

それは情報技術と交通技術の発展によりグローバル化を果たした。

あたかも国家や宗教は死滅してゆくように思われた。

しかし、グローバル化はむしろ紛争など民族同士の対立をもたらした。

そして、21世紀は宗教国家と資本主義国家との対立から始まった。

20世紀は、社会主義-国家
対 資本主義-国家のイデオロギーの対立があった。

21世紀は、イスラム-国家
対 キリスト教-資本主義-国家との対立から始まった。

あるいは、この時、宗教-資本-国家の結びつきが再接続されたと言われるのではないだろうか。


日本語のエクリチュール/パロールと中国語

2018年1月12日

少し遅れたが、すでに、2018年がはじまっている。

個人的には、今年、少し語学を学習しようと考えている。

これまでの興味の対象は概念であったが、ある種の言語的転回(展開)が沸きあがってきたというところだろう。

昨年わずかに英語・中国語・PHPを学習しはじめたが、今年はそれをどれだけ蓄積できるだろうか。

ところで、中国語を少し勉強してみて、とてもよくわかったのは、むしろ日本語についてで、日本語は書き言葉(エクリチュール)と話し言葉(パロール)がまったく別の流れを持った別々の言語だということ。

日本語と中国語は、漢字という共通の基盤を持つためエクリチュールは眺めればかなり内容の想像がつく。

しかし、にもかかわらず音声言語においては、相互に輸出入された単語はあるが、基礎的な音からまったく異なっていて学習しなければ聞き取ることができない。

考えてみれば、日本語は古代の漢字の輸入以前からあったわけで、音声言語としては別の流れにあるわけである。

中国語は構造的な性質を持ち、日本語は叙情的な性質を持つ。

古代、日本に輸入された頃から漢字は官僚機構によるシステム運用にりようされた。これが日本の書き言葉の始まりだろう。

他方、もともと存在した日本語は話し言葉としてそのまま残る。これが記録に残ったのは、詩、和歌においてだ。

平安の時代、遣唐使の派遣事業の終了と並行して、国風文化が栄える。その時、日本的な風土をもとにしたかな文字が生まれる。そういった意味では、ひらがなこそが日本的な日本語であろう。

源氏物語や平家物語などその後の文学に大きな影響を与える。

とはいえ、もののあはれを体現したような言語はあまりに自然でシステム運用には向かない。

そのため、ながく公用語としては中国由来の漢文が用いられ、漢文は江戸時代においてもヨーロッパにおけるラテン語のような教養の地位を占めていた。

ここから想像されるのが、近代における言文一致運動の不徹底だ。日本語は、書き言葉と話し言葉が一体となっていない。

これは哲学の構築にも影響を与えている。ドイツやフランスなど西洋おいては、日常言語と哲学書の文体が接続されているという。しかし、日本語はそうではない。

西欧における近代哲学の果たした役割を日本では文学や批評のシーンが担っていた部分が大きい。これは、日本語の言文の不一致ゆえ、構造と叙情性のはざまで揺れ動く言語であることにあるだろう。

そして、その由来は書き言葉と話し言葉の源流の違い、中国-大陸の漢字と日本-島の音声言語からなる言語であることにあるのではないかと思うのだ。


現代中国を描く大河ドラマ
小説『兄弟』/映画『山河ノスタルジア』

2017年12月31日

2017年も残りわずか数時間となった。

今年は近年稀に見る激動の年であった。

アメリカではポピュリズム的な現象を背景にトランプ政権が発足、フランスではマクロンに敗れたがマリーヌ・ル・ペン率いる国民戦線が躍進。

ヨーロッパでは、イギリスのメイ首相がEUに離脱を通知、スペインのカタルーニャ地区は独立を宣言した。

中東ではイスラム国は事実上の崩壊。

しかし、アメリカのトランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都と認定したことから多数の抗議活動が起きている。

アジアでは、フィリピンのドゥテルテ大統領が麻薬撲滅キャンペーンを実施し超法規的殺人が行使され、マレーシア・クアラルンプール空港では北朝鮮の金正日総書記の長男である金正男が暗殺され、ミャンマーはかつての民主化運動の旗手アウンサンスーチーによる新政権のもとロヒンギャは混乱に陥っている。

そして、日本では飛翔体が定期的に飛び越えている。

他方、経済面は数値の上ではバブルとも思える好調であった。

世界的に各国の経済は軒並み好調、日経平均もかつて1992年のバブル崩壊前の水準に上昇。

また、仮想通貨の価格は10倍にも100倍にも高騰した。

そのような状況の中で、ひときわ存在感と彩色を放っていたのは一帯一路国際フォーラムや中国共産党第十九回全国代表大会を開催した中国であったかもしれない。

現在の中国は、かつてのソビエト連邦-第三インターナショナルや日本の夢見た満州国-大東亜共栄圏のような、東の中心・大国としての存在感を増している。

今年、自分にとって大きな影響を与えたのは前半は香港や台湾(中華民国)など東アジアを旅行したこと、後半は中国本土出身の女の子と友人になったことだった。

彼女は、ほぼ同世代の1988年の中国生まれ。僕は、1987年の日本生まれ。その世界観・パースペクティブには大きな差がある。

一方で、改革開放と天亜門事件以後の社会主義市場経済とその発展の中で育った彼女には(実際には中国の同世代の彼ら・彼女らには)明るい未来が見えるだろう。

他方で、1987年の日本生まれの僕らは、バブル崩壊、オウム事件、失われた20年の中を生き、リーマン・ショックや年越し派遣村の報道を見ながら就職活動を行い、社会人になると東日本大震災や福島第一原子力発電所事故を見てきた。

それは見えるものは異なるだろう。

とはいえ、個人的な関係は、文化・制度・国家を超えたところにある。

はじめは好奇心から始まり、次には差異を感じながら、次第に共感を抱くようになる。

その中で、今年はいくつか現代の中国を描いた作品を読んだり観た。

特に印象的だったのは、余華の小説『兄弟』とジャ・チャンクー監督の『山河ノスタルジア』だった。

余華『兄弟』

カンヌ映画祭で鮮烈な印象を残した張芸謀の『活きる』。
その原作者である中国文壇の気鋭、余華が十年ぶりに発表した長編小説『兄弟』は、中国に大議論を巻き起こした。軽薄! ソープドラマ! ゴミ小説! 文学界の猛批判をヨソに爆発的なヒットとなった本書は、文化大革命から世界二位の経済大国という、極端から極端の現代中国四十年の悲喜劇を余すことなく描ききった、まさに大・傑・作。
これを読まずして、中国人民(と文学)を語るなかれ!

1966年――文化大革命が毛沢東の手ではじまった。
隣人が隣人をおとしいれるこの恐怖の時代に、出会ったふたつの家族。
男はやさしい男の子を連れ、女はつよい男の子をつれていた。
男の名は宋凡平。子どもの名は宋鋼。
女の名は李蘭。子どもの名は李光頭。
ふたつの家族はひとつになり、宋鋼と李光頭のふたりは兄弟になった。
しかし、時代はこの小さな家族すら、見逃しはしなかった――。

『山河ノスタルジア』

第68回カンヌ国際映画祭コンペティション部門正式出品!
『長江哀歌』(ヴェネチア国際映画祭金獅子賞)、
『罪の手ざわり』(カンヌ国際映画祭脚本賞)の名匠ジャ・ジャンクー監督最新作!
時代を越えて変わらないもの―母が子を想う気持ち、旧友との絆、そして生まれ育った故郷の風景。
その全てが愛おしくも哀愁に満ち溢れ、世界が賛辞を贈った壮大な叙事詩。
過去、現在、そして未来。ずっとあなたを想いつづける。
急速に発展する中国の片隅で、別れた息子を想いひとり故郷に暮らす母。
息子は異国の地で、母の面影を探している。
母と子の強い愛から浮かびあがる、変わりゆくこの世界。変わらぬ想い。

1999年、山西省・汾陽(ルビ:フェンヤン)。
小学校教師のタオは、炭鉱で働くリャンズーと実業家のジンシェンの、二人の幼なじみから想いを寄せられていた。
やがてタオはジンシェンからのプロポーズを受け、息子・ダオラーを授かる。
2014年。タオはジンシェンと離婚し、一人汾陽で暮らしていた。ある日突然、タオを襲う父親の死。
葬儀に出席するため、タオは離れて暮らすダオラーと再会する。
タオは、彼がジンシェンと共にオーストラリアに移住することを知ることになる。
2025年、オーストラリア。19歳のダオラーは長い海外生活で中国語が話せなくなっていた。
父親と確執がうまれ自らのアイデンティティを見失うなか、中国語教師ミアとの出会いを機に、
かすかに記憶する母親の面影を探しはじめる―。

現代の中国を描く2つの大河ドラマ

大きな意味では二つの作品には重なるところがある。

ひとつは、このどちらの作品も中国の現代を壮大に描いた大河的作品であったということだ。

『兄弟』は文化大革命〜現代までの中国の姿、『山河ノスタルジア』は1990年代〜2025年の中国の姿が描かれている。

中国の発展のスピードはヨーロッパや日本の現代とは異なる圧倒的な展開とスピードで歩みを進めている。その発展は、新しくより良い未来を手に入れるということは、しかし同時に、古いものを捨てることをともなっている。

この2つの作品の中で描かれるのは、中国の発展が勝ち取ったその栄光と古き良き家族との離別であった。

それはかつて、木下恵介監督が『日本の悲劇』で描いたような、ある種の悲劇である。

もうひとつ、この2つの作品に共通していたのは作品のモティーフとして三角関係が描かれていることだった。2人の男、1人の女。

2人の男は友人であるが、1人の女を同時に好きになる。強い男と、優しい男。女は最終的に強い男を選ぶ。(あるいは選んでしまう。)

言われてみれば、これは文学的にはよく見られるモティーフかもしれない。夏目漱石の『こころ』に見られる先生とKとお嬢さんの三角関係。村上春樹の『風の歌を聴け』や『ノルウェイの森』に見られるような三角関係。

そこで描かれる2人の男は「近代化・高度経済成長の時代」と「古き良き時代(ノスタルジー)」を表しているのだろう。

近代化や高度経済成長にはある種の喪失とノスタルジーが必要なのだろうか。

『山河ノスタルジア』のラストシーンはとても美しく印象的であった。

それでも、音楽は鳴り、人々は踊り続け、時代は流れる。


『ゲンロン6 ロシア現代思想Ⅰ』を読む。 – 再び、ヒューマニズムと本来性を求めて –

2017年9月17日

時代が大きく変化している情況において、より大きな動きが見られるのはもっとも開発されもっとも進んだ先進国ではない。

むしろ、ある種のつまずきを抱えてその遅れを取り返そうとしている国において、大きな動きが見られる。帝国主義時代のドイツ・ロシア・日本がそうであったろう。

そして、今のロシアはまた同じようにつまずきを抱えて、それを乗り越えようとしている。

であるならば、これからの21世紀の相貌の一端がまた見られるのは、ロシアの現代思想からなのかもしれない。

現代思想としての哲学は、20世紀に取り残された1つの課題を抱えている。

それは、しばらくのあいだ忘れ去られていた課題、「近代の超克」の問題だ。

思想史的な現代の情況をみたてると、ヒューマニズムにより近代を超克しようという熱病が再燃しているのが現在だろう。

近代哲学の完成がヘーゲルだというのは意見の一致するところだが、そこからの超克を目指して19世紀後半から20世紀前半に展開されたのがニーチェやマルクス,ハイデガーやラッセルなどいわゆる反哲学=現代思想としての哲学だった。

19世紀の近代化された世界は問題を抱えていた。

それを乗り越えるために20世紀に企画・実施された壮大なプロジェクト、反哲学的な思想をふまえて近代の超克を目指して提起されたのが、⑴マルクス=レーニン主義によるソビエト型社会主義(共産主義),⑵ナチスなどのファシズム的な国家主義(国家社会主義),そして⑶ケインズ的な修正資本主義(国家資本主義)だった。

ざっと20世紀を振り返れば、上記の⑴マルクス=レーニン主義と⑵ファシズムが倒れたのは自明であった。

そして、現在は⑴・⑵の体制が崩れ去ったその後で、⑶の修正資本主義(国家資本主義)だけが残りはじめの意図を超えて爆進しているというのが実情だろう。

しかし、その課題をきちんと見つめ捉え返さなければいけない時が来ているのではないか。

そもそも、マルクス=レーニン主義やファシズムが現れたのは、ヒューマニズムからであった。

理性的な人間を中心とした近代的な思考と社会システムが、かえって人を疎外し抑圧するものとなる。その阻害に対してのノン、異議申し立てから湧き上がったのが、マルクス=レーニン主義やファシズムであったのだから。

それらがヒューマニズムから湧き上がったものであれば、現在の問題であるヘイト・スピーチやテロリズムの問題が、またヒューマニズムを源泉としていることは明らかだろう。

彼らは、本来的な人間のあり方を訴えるナロードニキでありボリシェヴィキであるのだ。

ヘイト・スピーチやテロリズムがヒューマニズム?ナンセンス!

確かに、ナンセンスと思われるかもしれない。

しかし、たとえば代表的テロリストとしての日本人、重信房子の言葉を引用してみよう。

“隊伍を整えなさい。隊伍とは、仲間であります。仲間でない隊伍がうまくゆくはずがないではありませんか”

届くならちぎれるまで手を差し伸べたい。

革命に向けて、同志たち、友人たち。燃える連帯を込めて、勝利の日まで。さようなら。

『週刊読売』1972年4月15日号 赤軍派アラブ代表 重信房子

見誤ってはいけないのは、彼らは単に憎悪に燃えた人間ではなく、抑圧されたシステムからの解放を願う本来的なあり方を求めるヒューマニストそのものなのだ。

そこでは右翼や左翼といったイデオロギーの方向は大きな意味を持たない。

個別具体的な事例ではあるが、重信房子の父親が血盟団事件に関わった右翼組織の門下生であったことは有名な話だ。

むしろ、「小さな親切運動」に熱心に取り組むような人情に篤い少女であったこと、このヒューマニズムが反転したところでテロリズムに至ったと考える方が自然なのだ。

だが、問題はロシアだ。

東方正教会の信仰とツァーリへの崇拝が一体となったヨーロッパの反動ロシア。大衆のためのインテリゲンチャ、ナロードニキによるテロリズムの国ロシア。

そして、レーニンにより領導され理想のユートピア国家ソビエトを建設したロシア。

そのユートピアの夢はスターリンにより悪夢へと変わる。ディストピア国家、赤い帝国。

しかし、ソビエトは70年間でその歴史を終える。

後に残ったのは、意味も価値観も何もない戦後思想のような、フロイト的超自我としての父を持たないロシアだった。

「ゲンロン6」 共同討議で感じたのはある種のイデオロギーと神秘主義の国ロシアだった。

ロシアにおけるイデアとマテリアルの結びつき、象徴的なものの壁を突破して聖なるものに触れたいという欲望、あるいは父のいないロシア=カルフォルニア的な神秘思想。

しかし、これは、どこかで見たような景色だ。

オウム真理教の身体への直接刺激による超越への跳躍、捨てられた子供としての教祖・麻原彰晃と繋がるものを感じるのだ。

1995年の事件、20年以上前の話だ。

今では、95年をめぐる心暖まる伝説のひとつに過ぎない。

これはオウム以前の類似現象としての連合赤軍。1972年のあの事件にも似たものを見い出せる。

あのリンチ事件も単なるヘゲモニー争いからの暴力ではなく、森恒夫による「殴ることによる総括。殴られ気を失うことにより、次に目覚めた時に共産主義化された人間として生まれ変わる。」という超越への跳躍だった。

そして、父なき時代、丸山眞男が殴られる時代の帰結だったのだ。

“暴力を包み込む保護者不在”

たが、これも今では些細なことかもしれない。

結局のところ、それらは、エルンスト・レーム率いる突撃隊のように、あるいは北一輝と二・二六事件のように時折歴史の舞台の上に現れる何かなのだろう。

だが、乗松享平さんの「敗者の(ポスト)モダン」にもあるように反体制的ナショナリストとソ連の「ロシア性」が結びつく様相、哲学者アレクサンドル・ドゥーギンとラディカルな若者たちの動きはあるいは同じような構図にも見える。1930年代的な様相。本来的なあり方を求める志向性。一気に革新に進もうというそのラディカルなスタイル。

反復される普遍性だろうか。

しかし、本来的なあり方があるなら、非本来的とされるあり方は?ここでは、言うまでもなく、米国式リベラリズム=グローバリズム=リバタリアニズムだろう。

新たなる本来性の物語

しかしながら、本著の特集の中心とされているアレクサンドル・ドゥーギンの思想は確かに人を納得させ魅了するだけの力があるのではないか。

そのチャート式やポストモダン的なスタイルはわかりやすく、またブラヴァッキーのような神智学的な世界認識は、世界に対して違和を抱いているものに真実を与えるものだろう。

他方、ザハール・プリレーピンは、戦後何もないところの虚無主義から舞台で演ずる役者となった三島由紀夫の再来のようだ。

流石に世界文学の国のポスト・トゥルース・ストーリーといって良いように思う。


〈都市教養〉というキーワード=コンセプトについて

2017年9月9日

よくわからない名称の大学や学部というのがある。

例えば、首都大学東京にある「都市教養学部」がそうである。

「都市教養学」とは何か?あるいは「首都大学東京」という名称をファルスのように感じる人もあるかもしれない。

これは都政の改変にもとづいてつけられた名称だ。その名称には疑問の声も多い。

そして、今現在、それらの名称は変更が検討されているという。

しかし、あらためて現在という時代を眺めてみれば、今の時代に本来的に必要なのはまさに〈都市教養〉というキーワード=コンセプトではないだろうか。

そして、これは学的な分野ではなくもっと普遍的に志向されるべきキーワードだろう。

「教養」とは?それが社会に出た時に役にたつだろうか?経済性は?

「教養」という言葉自体、すでに批判の対象だろう。

古典的な「教養」が古くさいもの,ホコリを被ったもの,無用の長物,賞味期限切れ、これは確かにそうだ。自明である。

必要のない役に立たない教養こそ重要だという議論など欺瞞に過ぎない。

では、「教養」は不要なのか?そうではない。

もし、行動や信仰をむしろ良きものとする反知性主義の道を選択するのであれば、僕らは20世紀からすら何も学んでいないし、近代を超克することなどできやしないだろう。

むしろ、僕らは近代に培ったものを20世紀の経験をふまえ止揚すべきではないか。

では、それはいかにということになる。

現在をながめ未来を志向した時に、経験としての過去を振り返り、僕らの抱えている課題はなんだろうか。

移民問題やヘイトスピーチ、多文化共存やLGBT、テロリズムや観光、ブラック企業の労働問題や「日本死ね」問題。ポストモダンの末に消えゆく地域性。

僕らが抱えているのは都市の問題である。

世界は都市化している。地方ですら都市化している。

イオンを見てみればわかる。スターバックス、GAP、ルイヴィトン。東京,大阪,台北,香港,ニューヨーク,ロンドン,ミラノ,バンコク,リオと何が違うだろうか。

僕らはどこにいてもすでに都市にいる。

であるならば、僕らは都市の問題を真摯に見つめ、移民問題やヘイトスピーチあるいはテロの時代の次の世界を想像するべきではないか。

そして、そのために使うのは統計学やAIだけではない。

むしろ、歴史的な経験に裏打ちされた「教養」こそが強度をもった道具となるだろう。

もちろん、教養そのものを具体的な計画や方法論として形作ることは難しいかもしれない。

しかし、仮にそうだとしても、少なくとも「政策=都市政策=総合政策」の基礎あるいは前段階理念としての〈都市教養〉の価値は否定すべきものではないだろう。

なお、〈都市教養〉の対象とする問題は明確で、それは他者(自己ではないもの)とどう生きるべきかという問題に限りなく接近したものだろう。

それは、社会問題としては、移民問題,多文化共存,格差,労働問題,都市犯罪,テロリズムとして現れる。

それらとどのように接するのかというのが問題であり、これらを拒否するという反応をとるのか、あるいは受け入れるのか。もし、受け入れるとすればいかに受け入れるのか。

しかし、この問題の根深いところは社会的な現実がある一方、これらがアイデンティティや承認欲求の問題と深くかかわってつながっているということで、それこそが宗教やイデオロギーに偏りやすいところだ。

だからこそ、歴史や文学あるいは思想史的な展開など教養的な諸成果の上に立つ必要がある。


台湾を旅行する。- 中華民国台湾省台北市的小旅行 –

2017年9月1日

8月24日から8月28日にかけて、台湾を旅行した。

台湾旅行を振り返ると、文化あるいは歴史的な流れにおける気づきが大きかった。

また、この旅は4泊5日だったのだけれど、予想していたよりも台北は大きかった。

旅の全体像は、以下のような日程であった。

前日深夜から羽田空港で過ごし、LCCのタイガーエアで05:30に離陸。

1日目、西門駅周辺の昆明街にあるホテルに到着。龍山寺周辺や台湾総督府周辺を散策。

2日目、世界三大博物館の故宮博物館や誠品書店をめぐる。夜は士林夜市を散策。

3日目、鼎泰豊の本店で食事、夕方からは九份を散策、台北101 にてナイトビュー。台湾式マッサージを試す。

4日目、夏休みらしく白沙湾のビーチで過ごす。足裏マッサージを試す。

5日目、昼過ぎの便で帰宅。日常に戻る。

香港旅行のように気軽な散策という感じでは十分ではなく、満喫するにはもう数日いてもよかったように思う。

正統なる「中国」としての台湾

台湾は思いのほか中国であった。あるいは、失われた故郷としての中国であった。

そこには、連綿と連なる中国王朝とその芳醇な文化の香りが漂っていた。

そして南国の風土がそのその香りを包んでいた。

台湾は、彼らからしてみれば、むしろ正当なる中国である。

故宮博物館では、古代王朝から受け継ぐ文化が語れていた。そこでは漢民族の歴史だけではなく、モンゴル民族国である元や満州民族の国である清の歴史も多く語られていた。

また、その歴史の流れと強く結びつきながら語られていたものは仏教についてであった。古来、中国は仏教が大盛した国であった。

特に、自らの解脱だけではなく他者の救済をもふまえた仏教、衆生を救おうとする菩薩の御心を示した大乗仏教は中国で大きく栄えた。

そして大乗仏教は各王朝の皇帝の治世と結びついたのではないだろうか。台湾には数多くの仏教寺院が存在した。もちろん中国らしい、道教に影響を受けた寺院であるが。

それら寺院で目を引いたのは、多く関羽や孔子あるいは道教の神々や帝が同時に奉られていることであった。

台湾には多くの宮も存在した。宮とは帝を祀る宗教施設である。

日本では、古来から天皇と仏教との繋がりがあった。

また、春日大社など数々の神道と仏教が結び付きながら神仏習合を果たしていたといわれる。

しかし、日本のそのような文化はまったくのオリジナル、東方の僻地のガラパコス・カルチャーではなかったようだ。

中国においては、仏教は道教と結び付きながら受容され、また儒教と結びついた王朝文化がまた、皇帝による大乗仏教的な治世として仏教と結びついていた。

それが文化の中心、中国だった。

博物館では、中国の文化としての仏教は、インドのみならず密教で有名なチベットやその興隆地モンゴル民族の文化と結びついていることが語られていた。

くしくも、それらは中国共産党から弾圧され対抗した地域であった。

他方、台湾(中華民国)を見ると高砂族の存在があった。

彼らは音楽の音色で農耕作物をねぎらう優しい原住民であったという。

台北も中心地から少し離れると(といっても台北は東京で暮らすわれわれのイメージよりもはるかに広い)、高砂族だろうと思われる日に焼けた素朴な表情の人々ともすれ違った。

台湾と日本

しかし、振り返れば明治28年(1895年)、日清戦争の後に交わされた下関条約により日本は台湾を領有していた。

時代は帝国主義の時代であった。

1919年に完成した台湾総督府は現在も公務で使用されている。

総督府の周辺にはいまだに当時の面影を残す建物が多く建ち並んでいる。

また、かつて日本軍が使用していた軍事施設は、現在では中華民国国軍により利用されている。

ガイドの男性によると懲役の任期中にはこのような怪談話も囁かれるという。

“夜中見廻りをしていると軍靴の音が聞こえた。”

“見廻り中に居眠りをしてしまったら、上官らしき声に日本語で怒鳴られ起こされた。”

総督府付近を散策しながら商店街の中で趣のある寺院を見つけ入ると意外にも空海が祀られていた。

西門駅周辺にある台北天后宮である。

ふと、その像を眺めながらカメラのシャッターを切っていると日本語で人の良さそうなおばあさんに話しかけられた。

彼女は昭和4年生まれ、現在88歳。かつて、日本が統治していた時代に国民学校に通っていたという。

あまり普段は話さないという日本語で語る彼女は、そこはかつて弘法大師を祀っていた日本の神社であったと語った。

第二次大戦後、台湾を統治した国民党によりその寺院は改められ天号宮とされたという。

中国国民党の台湾

国民党はその後、国共内戦で中国共産党との戦いにより台湾に撤退することになる。

台湾や国民党といえば、孫文というイメージがあったのだが、蒋介石も国民党の党首として語り継がれているように感じた。

硬貨の絵柄を見ると、50元や10元は孫文、10元と5元,1元は蒋介石の肖像が描かれていた。

また、国民党の歴史も見たいと思い国軍博物館にもいったのだが、記念展設営の改修のため休業であった。また機会があればよりたいものだ。

台湾には、現在でも徴兵制があるということだ。

街中にはいくつも軍警用品店というミリタリーショップがあった。

また街中に、監視カメラが設置されていた。

陶磁器と漢字の文化

故宮博物館では、仏教のほか陶磁器と漢字の文化が大きく取り扱われていた。

中国の文化のたよらかな風合いは、この陶磁器と漢字の文化によるところが大きいのではないか。

陶磁器は、古代から続く代表的な工芸・芸術である。

それらはもちろん職人が作るのだが、それはあまりに自然な雰囲気を持っている。

陶磁器はあくまで土であり、泥である。それを捏ね、造形し、焼き、色合いをつける。

しかし、それらは土であり、形を崩せばいずれそれらは土に戻るであろう。

われわれもまた、土であり泥である。われわれもまた、土に戻る芳醇な自然の一部の存在であるのだ。

あるいは、漢字文化。それらは、ラテン語やギリシャ語から影響を受けているヨーロッパの言語とは大きく異なる。ヨーロッパの言語は表音文字である。たとえば、ローマ字には1文字1文字には意味がない。デリダが批判したように、ヨーロッパの言語は音声中心主義であり語りを中心に作用する。

言いかえれば、ヨーロッパの言語には読み手による解釈の幅、遊びの要素が広くない。

きわめて論理的なのである。

他方、漢字文化はもともと象形文字由来の表意文字である。

それらは、1文字1文字がシンボルでありなんらかを象徴し表している。

他方、それゆえにそれらには厳密な論理構築には適さない。

それはこういう風にも言えるだろう。漢字はシンボリックなメタファーの遊びであると。漢文の古典を考えてみればあきらかだが、それらはいくらでも解釈の余地がある。しかし、それゆえにそれらは芳醇なのである。

それらは、論理により語り尽くすのではない。語りと語らぬ中に、別の語りを含むのだ。

それから

その他、色々と過ごした。

誠品書店ではカバーがリデザインされた洋書を買った。

白沙湾では地元の女子高生と男子たちの戯れと日差しに目が眩んだ。

士林夜市ではその喧騒のムードに飲まれたのかストリート風のTシャツとキャップを買ってしまった。

九份帰りの相乗りタクシーではサンフランシスコ出身のバリーと仲良くなった。

女の子たちは、みんな可愛かった。

女の子がみんな素敵な台湾ガールならね……。


若者の街とユース・カルチャー
~ 渋谷,音楽,ファッション ~

2017年8月21日

自分が大人になると、若者の姿を見ることがなくなる。

もしかすると僕らの知らないところで「若者」はひっそりと絶滅してしまったのかもしれない。

そんな気分になることがある。

もちろんそれは何かの勘違いのようなものだろう。

インターンをこなしている大学生、リクルートスーツの就活生、しっかりと勉学に務めている大学院生の話は聞くことがある。ありきたりでつまらない、たまらない話。

「実学」重視の就職予備校や職業人養成学校となった学園で職業訓練者たち学生らは、そのモラトリアムをどのように過ごしているのだろうか。

(実学なんて、糞食らえだ。雑学の方が、まだましだ。と、思うこともある。教養はどこに行った?時代の流れには逆らうまい。せいぜい、社会のために働くと良いと思う。)

もちろん、下の世代の若者に対して批判をしても仕方がない。

はたして、いわゆる「若者」はいまでもいるのだろうか。

むしろ、かつての「若者文化」はまだ生き残っているのだろうかというのが、気になるところだ。

おそらく、若者像自体大きく変わっている。

皮肉な言い方だが、変わるべきものが変わり、変わるべきでなかったものが変わっているのだろう。

若者の街

渋谷、原宿、下北沢。

「若者の街」と呼ばれる場所がある。いや、「あった」なのだろうか。

ストリートはいまや決してランウェイではない。

ストリート?むかしむかし、かつて、みゆき族や竹の子族のように、ファッション感覚で街にあふれることがあったらしい。

もはや、フォークロアに近い感覚だ。

渋谷はすっかりオフィス街の様相を見せている。

原宿からはファッション文化の象徴としての栄光はすでに失われてしまった。

また、かつて住みたい街ランキング常連であった下北沢からは急激に人が離れているという。

多くのファッション・ブランドが、展開を終了した。

撤退戦だ。

「何か」が終わった。

あの憧れはなんだったのだろう。

ユースカルチャーのアイコンとしての「渋谷」

それでも、僕らはやはり「渋谷」をまだ求めてるのではないかと思う。

渋谷のショップで流れるサウンド、流行のマジックナンバー、街角に溢れるシーン。アルコールで漂う中飛び込んでくる電飾。深夜の交差点を行き交う人波、誰かのクラクション。

「また会おう、それじゃ」 「少し歩こうか」 「もう一軒、飲み直そうよ」

「もう帰る?それとも、今日はあの坂を登って、泊まろうか?」

音楽は止まらない

忘れた人たちは忘れているだろうし、忘れられない人たちはきっと忘れられない。

パーティは終わった。音楽は鳴り止んだのだろうか?

夜の渋谷をさまよう人びと、淡さと切なさが交差する都会的なグルーブ感、それから。


存在探求のためのメモランダム/言葉をめぐる冒険/浮遊への逃避行

2017年8月17日

存在探求のためのメモランダム

ハイデガーの『存在と時間』を手にしている。

古代以来、哲学の根本的努力は、存在者の存在を理解し、これを概念的に表現することをめざしている。

ハイデガーは言う。「哲学や形而上学の本来問うべき問いは『存在とはいかにあるのか?』ということである」と。

けれども、これは単に論理形式上あるいは実体化された「有・無」や「揺らぎ」としての「存在」ではない。

むしろ、「在り方」への問いであるし「有意味とはいかなることか?」という問いである。

もし神がいないのならば、全てが許される。

ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』イワンの台詞だ。

もし神がいないのなら 実存が本質に先立つ。

このような言葉でサルトルは語った。

あるいは三島由紀夫の「豊饒の海『天人五衰』」のラストシーン。

しかしもし、清顕君がはじめからいなかったとすれば……それなら、勲もいなかったことになる。ジン・ジャンもいなかったことになる。……

近代はルネッサンスの人文復興が嚆矢となり、神との決別からはじまった。

しかし、だからこそ、デカルトは神の存在証明を行なったし、カントは理論理性によってはいかなる方法によっても神の存在証明はできないとしながらも道徳・実践的見地から神の存在を要請した。

ここで言う神は多神教の神ではない。それは一神教のGODである。

神はこう言いかえることもできる。神‹創造主›=客観=絶対法則。

ふりかえれば哲学の歴史はギリシャ悲劇のようであった。

プラトンからはじまりヘーゲルに至る形而上学の神殿はくしくもその根底から崩れさった。

アポロンの神殿はディオニュソスの叫びに飲み込まれた。

潮騒香る風景はその景色を一変させる。

その上、ひょっとしたら、この私ですらも…。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまった。

などてすめろぎは人間となりたまいし

神は死んだ。

他方、神なきユダヤ人のマルクスやレーニンは、客観的でもっとも正確な科学や歴史を信じた。

自由で自律した人間のユートピアを夢みて。

そして牧師になるという母の夢のために神学信徒であったスターリンも、神を棄て共産主義に傾倒する。

ブハーリンは呟く。

コーバよ、なぜ私の死が必要なのか?

言葉をめぐる冒険

村上春樹の『羊をめぐる冒険』の羊は、西洋哲学・現代思想の言葉でいえば「形而上学」そのものなのだろうと感じている。

人に幻想を抱かせ操るもの。

だからあの物語は『言葉をめぐる冒険』と名付けることもできる。

完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね

形而上学の果てともいえる「1960年代」近代の終焉に起こったのが若者たちの”知性の叛乱”だった。

それは形而上学=哲学=理性を、=現実たらしめるための進歩主義的革命だった。

しかし、「僕」はその中で彼らイデオローグたちの「言葉」の欺瞞に気づき、それとの闘争/逃走を開始する。

村上春樹と同世代、全共闘世代の小阪修平は言っている。

同世代の一番優秀な奴は滅んだか、半ば廃人になった

「羊抜け」だ。

小阪修平もなかば離人症のようになったという。

誰もが、語る言葉を失った。

歴史の終焉、革命の終わり、宴の後。

1970年代はさめざめとした殺伐とした風景を思わせる。

1970年「よど号ハイジャック事件」、1971-1972年「連合赤軍事件」。

文化面では、1972年『木枯らし紋次郎』、1973年『氷の世界』、1974年『傷だらけの天使』、1975年『僕たちの失敗』、1976年『いちご白書をもう一度』。

イーグルスによる『ホテル・カルフォルニア』が歌われた次の年、「ダッカ日航機ハイジャック事件」の翌年、1978年に村上春樹は処女作『風の歌を聴け』の執筆を開始する。

その小説は、歴史の終わり=観念の王国の崩壊=羊が離れた年、1970年の8月8日からはじまる18日間の物語だった。

浮遊への逃避行

僕はむかしから幻覚にすごい関心を持っていて、それは世界の認識とか在り方と係わっているものだと思っている。

そして、オルダス・ハクスリーやティモシー・リアリー、ヒッピー・ムーブメントはそれを予見したものであったのだろう。

ところで、看護師の姉から聞いたのだけれど、手術後、人は一般的にせん妄を抱く傾向があるらしいという。

そういう意味では、人間の意識というのはきわめて不安定で浮遊したものだと思う。

この意識の不安定さというのは本来ぼくらが世界とつながりを持つ上で忘れてはいけないものだと思っていて、この浮遊を捨てて理性(論理)による固定に偏るとある種の抑圧や理性の暴走につながるのではないかと考えている。

だから、この意識の不安定さというものこそが、ヒューマニズムそのものといえるだろう。

また、 この意識が浮遊した意識状態というのは経験≒論理による既成概念の固着をなくした状態、エポケーに近いものではないだろうか。

そして、その状態において、身体性に重心をおいて捉えればヨーガになどにつらなるものとなり、他方言語的な方向に重心がかかれば詩的なものになるのだろう。

それは、ある意味でポスト・モダンが思い描いていた状況によく似ているものではないだろうか。

かつて解放区で行動していた小坂修平は、そのポスト・モダンの重みを後年語っていた。

しかし、欲望は、リゾーム化したバベルの塔を夢視たいのだ。


左右対立のねじれについて ‐ あるいは革新右翼,ハイデガー,三島由紀夫 ‐

2017年8月4日

”右翼と左翼の言説が反対になっている” “右翼が改革を目指し左翼が保守的になっている” という〈左右対立のねじれ〉を問題にして、いかにして勢力図式はこう変更されたのかという問題提起がある。

たしかに、それはそうだ。右翼=保守,左翼=革新というのが一般的な見立てである。

しかし、1960年代や1970年代における新左翼の運動や冷戦構造の転換を通して、その勢力図式が塗り替えられたと語られている。

しかし、ここでは別の側面から、この〈左右対立のねじれ〉について、あるいは〈それ以後〉について捉えてみたいと思う。

それは、大正~昭和に興隆し展開した革新右翼をとおしてある時代の流れを捉えるということかもしれない。

現在からおよそ一世紀前に、革新右翼というものが登場した。

代表的な人物としては、後にイスラーム研究者となった大川周明や『日本改造法案大綱』を記した北一輝などがいるだろう。

考えてみると、彼らは僕らが “ヘイト・スピーチ” でイメージするような右翼像ではないのかもしれない。

たしかに、彼らの中にはむしろ社会主義的な主張を含むものが少なくなかった。

しかし、彼らはまさしく右翼であった。

そして、彼らを支持した一方の人々は、三陸大津波や世界恐慌、昭和東北大凶作・大飢饉に生活の煽りを受けた貧困農家の出身の青年たちであった。

大正~昭和の時代をふり返ると、そこにはロシア革命や第二次世界大戦があり、関東大震災があった。

その時代に描かれた光景は、9・11,東日本大震災=福島原発事故を通過し、イスラム国(IS)の登場とポピュリズムの台頭を目撃する現在と通底するものがあるのかもしれない。

すると、ある方向が想い描かれないだろうか。

ある段階まで、グローバリズム(帝国主義)が進んだ時代に、その時代が孕んだ問題を解決するために台頭するのは革新右翼なのではないだろうか。

少なくともそのような状況で、論理性があり、かつ行動力/実行力がある存在としての右翼が成長するというのは、不思議でないだろう。

そして、これに関連して思い出すことがある。三島由紀夫の『わが友ヒットラー』という戯曲だ。

その戯曲は(あるいは歴史の中では)、ハイデガーのドイツ民族主義的な突撃隊(SA)が親衛隊(SS)によって粛清された事件が描かれている。

これと似たような事件は日本でも起きていた。それは、勃興していた北一輝や皇道派が統制派に粉砕されたということであった。

思えば、三島由紀夫には、ハイデガー的な実存哲学に似たものがあった。

晩年の長編小説『絹と明察』には、ハイデガーの思想に傾倒しヘルダーリンの詩を好む「岡野」という人物が登場する。彼はシニカルな傍観者としての役割であったが、作品の最後で社会へのコミットメントに向かうこととなる。

あるいは、『豊饒の海』を読むとよく実感できるのだが、そこで描かれていたテーゼは、存在の偶然性と不条理な無であった。三島由紀夫の中心には空虚があった。

『豊饒の海』を書き上げた三島は市ヶ谷の自衛隊の駐屯地に乗り込むことになるが、三島由紀夫がそこで演じたのは戯曲『わが友ヒットラー』における突撃隊のレームのようなハイデガー的な愛国心を持った人間の破滅と悲劇だったのかもしれない。

レームに私はもつとも感情移入して、日本的心情主義で彼の性格を塗り込めた

また、そこには二・二六事件で銃殺刑に処せられた青年将校や北一輝に重なるものがあった。

二・二六事件により、皇道派の壊滅は決定づけられた。

一方、統制派の政治的発言力は強化されることになる。そこから時代は加速した。

知識人、理論家が左翼の方にひきつけられるように、しぜん、官僚、実際家は右翼にひかれる。したがって右翼は理論に弱く、理念わ獲得し得ないことが常に苦の種なのである。左翼の特徴的な弱点は、その理論を実際にうつすことができないことにある。

E・H・カー『危機の二十年』1939年

左翼⇔右翼,革新⇔保守という〈左右対立〉のねじれの問題を考えていたのだけど、「左翼⇔右翼」という対立イメージ自体がすでに見せかけの虚飾に過ぎないのではないかと感じた。

むしろ、アクチュアルなのは、ヒューマン⇔システム、政治的にいえば格差是正 – 平等⇔優勢性保持 – 自由ではないだろうか。

たしかに、E・H・カーの話はわかるのだけど、あまりに古典的で、それは1つのシステムの外部たる理論家や知識人というポジションが存在した時代の話であって、そこがいわゆるモダンと現在の違うところだろう。

あるいは、この状況を打開する方法はあるのだろうか。

飛躍するのだけど、多数のカルト/セクトの生成・乱立こそがむしろシステムのあり方を変えるのではないかと思った。

そして、それをつくるメディア・プラットフォームは豊富にある。

そうゆう意味ではポスト・モダンのツリー→リゾーム図式は正しくて、むしろ、それらの問題は核なき相対主義の肯定であったわけで、しかし、人はそれほど強くないということにあった。

それゆえに、アイデンティティの源泉たる物語・神話が必要なのだけれど、それを作り出せるのがポスト・トゥルース的状況ということがある。

だから、むしろポスト・トゥルース的状況をあまりに否定してはいけなくて、もちろんシステムもこの状況を利用するわけだけど、規制は逆説的にシステムによる統制だけを肯定するわけだろう。


僕らが旅に出る理由 – 日常の外の日常 –

2017年5月31日

僕らが旅に出る理由はなんだろうか?

とはいえ、旅にも色々あるかもしれない。

ある意味、旅はある形での自由(自我の拡大)の追求だろう。

ヘーゲルの絶対精神の弁証法の旅やゲーテの自由を求めるビルドゥングスロマン、コリントスから逃れたオイディプスの悲劇の旅。

他方、旅は他者との邂逅や出会いと別れ、ヒューマンを感じるものかもしれない。

東浩紀の「観光客の哲学」や川端康成の「伊豆の踊り子」、あるいは市川崑の「木枯し紋次郎」「股旅」。

僕は以前から「旅」「旅行」「観光」といったキーワードには違和感を持ち続けていた。

そこには、ある種の憧れと軽蔑、アンビバレントな感情があった。

なぜ、旅をするのか?目的は何か?何をどう楽しむものだろうか?

そもそも、社会人の男性をターゲットとした旅の目的地はあるのだろうかという疑問(風俗や酒場は別として)。

あるいは、物理的に移動する意味はあるのか?旅行とインナートリップはどちらがより遠くまで行けるのか。

しかし、5月は思いがけずに何度か遠出をした。

香港・マカオへの旅行、ブラジル街大泉町の散策、伊豆大島の旅行、御岳山登山。

住めば都というが、出れば旅も悪くない。

たしかに、日常の想像の外の世界に触れることができる。

たとえば、香港の乾物の匂いの漂う路地裏。

マカオの下町で猫のように暮らす老人たちの飲茶をする姿。

ブラジル人労働者たちのアパート暮らしと、ソウルフード、そしてカトリックの教会。

踊り子たちが暮らしていただろう島の風景。

それは、僕らの日常の外にあるものだ。

しかし、それは僕にとってであり、かれらにとっては日常だ。

僕はここにいて、かれらはそこにいて。

もしかしたら、彼らは僕らなのではないか。

そんな想いすらよぎる。

あるいは、真っ暗で底が見えやしない休火山の噴火口。

まるで人のいない18時の登山道。

沈みゆく黄昏が映る。日没が迫る。頂上まで辿り着けるのだろうか?

いや、それは日常そのものじゃないか。


思考の袋小路

2017年1月27日

ある時に、ふと袋小路に迷い込むことがある。どこから入り込んだのか、出口が見つからない。物理空間であればまだ救いはある。壁を乗り越えることができるなら。
情報空間でのエラー。繰り返しのリダイレクト、503 Error Service Unavailable。思考の袋小路。

哲学的な問いは、ある意味で薮知らずの森だ。そして、それは足を踏み入れるまでもなく、気づけば僕らを取り囲んでいる。 存在への問い、価値への問い、客観への問い。本質とは何か、美とは何か、人間とは何か。
答えはあるだろうか、ないだろうか。

思考の袋小路に迷い込んだことがある。きっかけは、すべての現象は言葉によって、善にも悪にも自由に解釈できると気づいたことから始まる。すべては人間の解釈によって定義される。つまり、世界そのものには価値は存在しない。すべては相対化されるから。

世界に価値が固定されていないのであれば、人間の論理や認識が世界を定義づけることになる。 では、人間にとって、定義の基礎は存在するのか?何か絶対的なものがなければ定義の基礎づけはできないのではないだろうか。絶対性は存在するだろうか?

絶対性は存在するだろうか?日常的には、絶対性が存在するようには思えない。しかし、絶対性が存在しないとすれば、それは絶対的な否定が存在すると肯定することとなる。論理矛盾。

あるいは、人にとって死は絶対不可避であるといえる。これこそが絶対的なものであると、人は言う。 しかし、死とは認識や解釈の無を意味する。絶対的なものが無であるのであれば、すべては無である。基礎づけはできない。

それらは観念的な妄想かもしれない。科学的に観察をすれば、客観的な事実を獲得できるはずである。客観的な事実を基礎づけに置けばいいというのが、現実的だろう。
しかし、何が客観を基礎づけるのか?客観を認識するのは主観に過ぎない。客観を観察する客観を客観的に把握しうるだろうか。

この森に出口はないように思える。 優秀な大人は、はじめからこのような問題には取り組まないという利口な態度でやり過ごす。 常識的な人間は妥協点を知っている。彼らは日和見主義だが賢い。
では、愚かな僕らはこのような問題にどのように取り組むべきだろうか。

おそらく方法はいくつもある。だから、これは僕の意見だが、重要なことは、思考の二項対立に第三項・第四項を追加することだろう。
たとえば、絶対性の存在の有無は、絶対性が有るか無いかという二項対立である。二項対立は罠だ。第三項・第四項を検討することを忘れてはならない。有かつ無、非有かつ非無。

そして、論理はつねに矛盾を内包していることを忘れてはならない。二律背反(アンチノミー)、不完全性定理。むしろ、論理は固定化できるものではなく、ヘーゲルが言うところの絶対精神の弁証法と同様に、ダイナミクスの中にあるものだろう。

加えて言えば、サルトルのように無であることを受け入れ、むしろ自由を手に入れることだ。世界には価値がない。僕らにも価値がない。すべては相対的で恣意的だ。だからこそ、すべてを定義づけられるのは、僕自身だけであるし、自由に定義づけることができる。

その時、袋小路はすでに存在しない。それは虚構の空間であった。偽物の論理は粉砕された。すべての抑圧は解き放たれた。OSはその時再起動し、人は再び語ることができる。

『判決、ふたつの希望』を観る。

『判決、ふたつの希望』を観る。歴史的であり局地的であり普遍的でもある問題。それに観る者の目を開かせ、葛藤を共有させ、そして希望を提示する。多面的な描写、平板ではない物語の進行、様々な人物のぶつかり合いによる変化、ハリウッド的に洗練された構図等、テーマとエンタメ性が巧みに絡み合っている。

裁判シーンの言葉の応酬はこの映画の見どころだ。一方で、自体を引き起こし人々を振り回すのも、言葉というものが本質的に持っている過剰さである。言葉は、それを発した本人の意思を超えて力をふるってしまう。「クズ野郎」「シャロンに抹殺されていればよかった」言葉を発端にした争いは、言葉を武器にする弁護士を介し、言葉でやり合う法廷に持ち込まれたことで、国を巻き込む一大事になってしまう。二人の主人公、夫と妻、息子と父、弁護士と弁護士(父と娘)、民族と民族、男性と女性、右派と左派、老人と若者、様々な対立が飛び火し、拡散し、露見する。

誰にも歴史があり否が応でもそれを背負わざるを得ない。裁判は歴史と傷と罪が暴かれる場でもある。主人公二人だけでなく、関わった者は皆痛みを負い、変化していく。始まりの地点と同じ場所に居る者はいない。踏み出した一歩が思ってもみなかった遠い場所に辿り着く。

『アンダー・ザ・シルバーレイク』を観る。

『アンダー・ザ・シルバーレイク』を観る。ピンチョンの『競売ナンバー49の叫び』を現代にアップデートして映像化したかのよう。イメージの洪水に悪酔いを起こす、凄まじい迷宮映画だった。しかしながらそこには歴史も対抗文化ももはや無く、自ら築いた迷路には消費とポップの悪夢だけが広がっている。

街中の看板、テレビ番組、流行曲、お菓子の景品、壁の落書き、動物の死骸、シンクロニシティ。氾濫するメッセージに「真相」などなく、解読は誤読にしかなり得ず、読み取った物語は自身の映し鏡である。意味も黒幕も限りなく空虚だ。

そこには、あたかも身体性は無いけど生理的というのだろうか、肉体を持たないまま五感だけが鋭敏になっているような感覚がある。

作中で言及される大衆文化についての知識合戦や隠喩についての考察合戦がおそらく繰り広げられるのだろうけど、撒かれたピースから各々が解釈を組み立ててしまうこと自体が作品と相似している。

2018年秋ドラマ・チェック

今週は新ドラマの主に初回チェックで終わった。『SUITS』『中学聖日記』『文学処女』『獣になれない…』『天』『黄昏流星群』『ブラックスキャンダル』『昭和元禄落語心中』『大恋愛』『僕とシッポと…』『忘却のサチコ』『ドロ刑』『結婚相手は…』『過ちスクランブル』『こんな未来は聞いてない』

どれも今いちぱっとしない。『僕らは奇跡で…』が唯一見たくて見れなかったのでそれに期待。
今のところ『昭和元禄…』『結婚相手は…』『獣になれない…』の順かな。

『文学処女』6話まで


これまでありきたりな設定と退屈なストーリーに落ち着くと見てきたが、6話で一変した。和室に座り背後から抱えるように担当編集の髪をドライヤーで乾かす作家というシーンで漸くタイトルにもある文学が形だけでも意識される。そこから怒涛のように各人物の過去の影とトラウマが連鎖する。作家の過剰な反応、作家と付き合いの長い編集者、主人公の同僚、編集長。同じような痛みや負い目に結ばれて、これまで目立たなかった人物たちにスポットがあたる。物語はここから複雑性を増しそうな予感があり、下田悠子の脚本にも期待。

『中学聖日記』2話まで

オーソドックスな中学校教師と生徒の恋。普遍的なストーリーゆえに今の時代にこのテーマを描くことで見えてくるものがあるという狙いを感じる。いつの時代も意図しない“危うさ”にこそ人は心を動かされるし、それを妬み糾弾し晒し上げる。それによって傷つく人間やそれでも後戻りできない一線をこえる瞬間が訪れるもしれない。婚約者との距離や婚約者の上司の存在、結婚する際の家族同士の難しさなど、核となるテーマ以外にも物語にはしっかり“危うさ”が用意されている印象。
あんなちんちくりんな有村架純が妙に色っぽいのはなぜなのか。

『大恋愛』2話まで


こちらも設定は大いにオーソドックスで、若年性アルツハイマー病で徐々に記憶が失われていく女医と売れない小説家の10年間の恋の話。
台詞にもあったピカレスクでエロティックな展開とは無縁の感動作に仕上がる予感しかしないのは事実だが、安定して見ていられる。初回、この設定において敢えての『脳みそ腐りますよ』という大石静の台詞には驚いたが、積極的な生の実感・エネルギーというところを突き詰め登場人物が一丸となって主人公を支えるという部分、現実に置き換えるとそれくらい大変なんだという事を感じながら見たいと思う。

『僕らは奇跡でできている』初回

橋部敦子オリジナル脚本ということで期待していたが、素晴らしかった。
動物行動学を研究する主人公の大学講師の常識や固定観念にとらわれない考え方や行動をメッセージとして発信する。冒頭、独身の主人公は家政婦の幾つかの忠言に聞く耳をもたない。一見するとコミュニケーション障害にも思える主人公のキャラクターは初回のラストにイソップのウサギと亀の話で回収される。亀はなぜ寝ているウサギを起こさなかったか。ウサギの居眠りは油断だったのか。ここにその答えは描かないが、マイノリティの自分にはすっと受け入れられる結論がそこにあった。生き難い世の中で、それでも王道を進む人間と脇道に逸れる人間がいる。

そこに優劣はなく、そもそも両者は交わることが一切ないというのが脇道に逸れる人間からの回答だろう。王道を進む人間からの回答は言うまでもなく、俺の勝ち。
脇道に逸れる人間の面白さが少しでも伝わる内容になって欲しい。

『獣になれない私たち』初回


ガッキー主演・野木亜紀子脚本という事で既に話題になってる作品。
個人的には野木亜紀子が日テレでは『掟上今日子の備忘録』以来3年ぶりに書くにあたり、チーフP西氏・演出水田氏とガチガチのスタッフで挑んでおり、今や野木亜紀子はドラマの希望なんだなというところ。

まだ初回しか見れてないのだが、『重版出来!』以降のTBSでの野木作品に比べると少し散漫でキャラ設定やストーリーにも工夫がない。
もう少し踏み込んで、職場での論点がずれまくっている人の凶暴さや、自ら負のスパイラルに飛び込んでしまわないとならない原理などの描き方があった気もする。

初回の最後で主人公が街の看板広告を目にして変身を志すブランドが『Metamorphoses』=『変身物語』からも分かるように、タイトルにもある『獣になれない』というのはつまり変身できないということ。初回を見る限り、個人的にはそこに起因するのはどこか他人からの目線・ないはずの弱みを握られいる感覚であり、このテーマをどう昇華していくか。

また、これまで見過ごしてきた事にメスをいれた時の何かが動き出す瞬間の変化に伴う負荷と変化しないままいつまでも一人で抱え込む負荷の対比など、初回はかなり分かりやすく物語の骨格を打ち出していたが、これからどうなっていくのかを楽しみたい。

野木亜紀子に関しては、昨日と来週の2週で初のNHKでのドラマ『フェイクニュース』にも期待してる。今日観れるかな。取り敢えず一旦ここまで。

タイ(バンコク・アユタヤ)を旅する ― 聖なるものと俗なるものの濁流をさまよう

2018年9月14日~18日、タイ〈バンコク・アユタヤ〉を旅行した。

微笑みの王国、タイ。
かつて「クルンテープ」(天使の都)と呼ばれ「東洋のヴェネツィア」と讃えられる水の都バンコク。
あるいは、世界遺産にも登録された古都アユタヤ。
アジアの雑踏。崇高な超越へのあこがれと、猥雑な風俗が雑多に混じりあった東洋の王国。

バンコクを流れるチャオプラヤー川の濁流は聖俗浄穢を飲み込むタイの風土を象徴しているかのようだ。
それは、同じアジアの王国でも、日本の列島全土を流れる清流や神道的な穢れの思想とは対称的である。

初日

ぼくら(友人とぼくの3人)は、9月13日(木)の夜に羽田空港に集まり、9月14日(金) 00:30 東京・羽田発 → 9月14日(金) 04:50タイ・バンコク行きのフライトで旅行を開始した。
旅行初日はトラブルの連続であった。バンコクの空港に降り立つと、友人がひとり行方不明になった。iPhoneのSIMカードはwifi環境でのアクティベートが必要ですぐには使えなかった。ぼくらは、とりあえず、なかば諦めて入国審査カードを記入した。

どうにか、ようやく友人と再会し、電車や船を乗り継ぎながら朝8時ころホテルにチェックインすることができた。

観光を開始すると、王宮前ですぐに詐欺グループに絡まれた。友人たちは気のよさそうな(ぼくにはそう思えなかったのだが)タイ人の親父相手に会話を楽しみ、言われるがまま通りすがりのトゥクトゥクに乗り込んでいた。正直に言って、ぼくは友人たちの素直さにうらやましさを感じた。
もちろん、トゥクトゥクの運転手はぼくらと会話していたタイ人の親父の顔見知りであった。どうやら、彼らは言葉たくみに観光客を誘導し、大金をだまし取る詐欺グループだったらしい。タイの有名観光地でのこうしたトラブルは数十年前から存在するという。
http://www.newsclip.be/article/2015/05/24/25730.html

しかし、さすがに、初日から詐欺にあうわけにはいかない。彼らの前を立ち去り、ぼくらは王宮、タイ料理屋でのランチ、ワット・ポーの見学とタイ式マッサージ、その後、射撃クラブとナイト・マーケットを楽しんだ。三島由紀夫の『暁の寺』に登場するワット・アルン、一番の楽しみでもあったが時間の都合で今回は省略した。次回、その暁の姿を見たい。

だが、問題はその後であった。ぼくらは、終電のバスを乗り過ごした。
フライトからぶっ続けで遊び続けた疲労困憊のぼくらは、いくつもの失敗を繰り返した。
まずは、バス停で待ちながら所定の路線(25番線)のバスを見過ごした。ふたつめに、バスに乗り込むとそれは逆側方向へのバスであった。道を渡って、Googleマップでバス停の位置を探す。それが最後のチャンスだった。スコールが降っていた。ぼくらは雨の中バスを待ち続けた。
かすかに、そこが本当にバス停なのだろうかと不安を抱いていた。なぜなら、そこにバス停の標識が見られなかったからだ。友人はぼくに「雨宿りしながら、少し離れた場所でバスを待とう」と言った。
だが、ぼくはその最終バスを逃したくはなかった。ぼくはこのまま待つと答えた。
バスが現れた。ぼくらは手をふった。バスは通り過ぎて、200メートル離れたところで停車し、また走り出した。バス停はぼくらのいたところには存在しなかった。ぼくらは現実と地図をはき違えていた。

24時過ぎ。ぼくらは最終バスのないバスの停留所に座り込んだ。タクシーは観光客には冷淡だった。
彼らは深夜のぼくらを乗車させてくれなかった。疲れたぼくらはそこで15分ばかりぼんやりと過ごした。スコールは、その雨脚をいっそう強いものにしていた。だが、その雨音の向こうにかすかに大型車のブレーキの音が聞こえた。雨脚の向こうに、バス停のすぐ手前に、バスがいままさにそこに停車しようとしていた。それは25番線だった。バスは時刻表を30分以上遅れて運行していた。ぼくは奇跡という言葉の意味がわかった気がした。

ホテルに戻ると、浴槽のないバスルームでシャワーを浴び、シンハー・ビールを飲んで、ぼくらは朝までゆっくりと眠った。

二日目

二日目は、チャイナ・タウン、カオサン・ロード、電車移動をして古代遺跡アユタヤ、そしてナイト・クラブを巡った。

アジアにおいて、中華文明というのは特異点であり、タイにおいても中国文化の影響は色濃い。
一説には、そもそも、タイ族は中国南方から移動してきた人々だともいわれている。
タイ各地においても中国風の寺院や漢字が見られるところは多い。そんなタイのチャイナ・タウンで朝食をし散策をしながら二日目ははじまった。

チャイナ・タウンを散策すると、トゥクトゥクで15分ほど移動してカオサン・ロードに移動した。
バックパッカーの聖地。マクドナルドのキャラクター、 ロナルド・マクドナルドがワイ(合掌)している姿も見られる。カオサン・ロードはシルバー・アクセサリーの名店街でもあるらしい。SILVER FACTORYなどの看板が多く掲げられていた。

午後は、バンコク駅(フワランポーン駅)に移動し、そこから鉄道で古都アユタヤに移動した。
バンコク駅と鉄道移動で見た景色はもしかしたら今回の旅でもっとも印象深かったものかもしれない。
バンコク駅ではイスラームの衣装を着た女の子たちが離れ離れになるのだろう、抱き合って涙を流している姿を見かけた。仏教国タイにも少数ながらイスラーム人口はあるということらしい。近年の統計では、約400万人、4.6%がイスラム教徒であるという。
それから、弁当の売り子、ペプシのポスター、サバ缶の看板。色とりどりのタイがバンコク駅にはあった。
鉄道が出発してしばらくすると、バラック建ての家々が立ち並び、アユタヤ周辺まで移動したころには広大な農地がその姿を見せるようになった。タイは非常に都市と地方の差が大きく、また、貧富の差も大きかった。

古都アユタヤは、王朝の滅亡とかつての仏教の繁栄をよく示していた。日本でいえば、平家物語や奥州藤原氏を思わせる栄枯盛衰を想像させた。あらためて、一日かけてゆっくり見たいと感じた。
今回は駆け足でトゥクトゥクでツアーを行い、その後、河上のコテージ風のレストランでタイ料理とシンハー・ビールを飲むと、また鉄道でバンコクに戻った。
そして、ナイト・クラブを楽しむことにした。

バンコクでもっとも有名な歓楽街のひとつナナプラザ。ゴーゴーバーやバービアが多く集合するモール型の歓楽街。多くの日本人が訪れるという。
正直に言えば、セクシーな女の子が舞台の上に並んでるのを眺めながらアルコールを飲むところと聞いていて、Disco Trainみたいないわゆるclubを想像していた。だが、それとは違っていた。ステージの上の女の子たちは踊ってはいなかった。彼女たちは、ただステージに立ち、音楽に合わせてポージングする。
それを見つめる男たちの熱狂、熱い視線。対して、見られる彼女たちは、彼女たちの肉体は熱狂とは遠く、冷たい肉のようにも見えた。仏教国のタイでは、人々は輪廻転生を当たり前のことのように考え生きているという。あるいは、肉体と精神の乖離した彼女たち。肉体は現世における魂の牢獄にすぎないだろうか。
タイでは売春は違法ではない。厳密にいえば刑事的な処罰はない。だが、それらは合法でもない。それらは、双方が法的に守られた関係でもない。そこには、ただ、微笑みがあった。ぼくらはどこか醒めた気持ちを感じながらジントニックを飲み干した。

三日日

三日目はサムットソンクラーム県のメークロン市場(折り畳み市場)とバンコクの水上マーケットを観察し、エラワン美術館を巡った後で、サイアム・スクエアのモールでお土産を買い、ホテルに戻った。
そして、浴槽のないバスルームでシャワーを浴び、シンハー・ビールを飲んで、空港行きの朝4:30のシャトル・バスまで少しのあいだゆっくりと眠った。

そして、ぼくらのタイ旅行は終わった。朝7時半、タイ・バンコク発 → 東京・成田行きのフライトでぼくらは日常に戻った。
きっと、いつかまたぼくらは、タイの街を訪れるのだろうという予感を残して、上野駅でぼくらは別れた。