タイ(バンコク・アユタヤ)を旅する ― 聖なるものと俗なるものの濁流をさまよう

2018年9月14日~18日、タイ〈バンコク・アユタヤ〉を旅行した。

微笑みの王国、タイ。
かつて「クルンテープ」(天使の都)と呼ばれ「東洋のヴェネツィア」と讃えられる水の都バンコク。
あるいは、世界遺産にも登録された古都アユタヤ。
アジアの雑踏。崇高な超越へのあこがれと、猥雑な風俗が雑多に混じりあった東洋の王国。

バンコクを流れるチャオプラヤー川の濁流は聖俗浄穢を飲み込むタイの風土を象徴しているかのようだ。
それは、同じアジアの王国でも、日本の列島全土を流れる清流や神道的な穢れの思想とは対称的である。

初日

ぼくら(友人とぼくの3人)は、9月13日(木)の夜に羽田空港に集まり、9月14日(金) 00:30 東京・羽田発 → 9月14日(金) 04:50タイ・バンコク行きのフライトで旅行を開始した。
旅行初日はトラブルの連続であった。バンコクの空港に降り立つと、友人がひとり行方不明になった。iPhoneのSIMカードはwifi環境でのアクティベートが必要ですぐには使えなかった。ぼくらは、とりあえず、なかば諦めて入国審査カードを記入した。

どうにか、ようやく友人と再会し、電車や船を乗り継ぎながら朝8時ころホテルにチェックインすることができた。

観光を開始すると、王宮前ですぐに詐欺グループに絡まれた。友人たちは気のよさそうな(ぼくにはそう思えなかったのだが)タイ人の親父相手に会話を楽しみ、言われるがまま通りすがりのトゥクトゥクに乗り込んでいた。正直に言って、ぼくは友人たちの素直さにうらやましさを感じた。
もちろん、トゥクトゥクの運転手はぼくらと会話していたタイ人の親父の顔見知りであった。どうやら、彼らは言葉たくみに観光客を誘導し、大金をだまし取る詐欺グループだったらしい。タイの有名観光地でのこうしたトラブルは数十年前から存在するという。
http://www.newsclip.be/article/2015/05/24/25730.html

しかし、さすがに、初日から詐欺にあうわけにはいかない。彼らの前を立ち去り、ぼくらは王宮、タイ料理屋でのランチ、ワット・ポーの見学とタイ式マッサージ、その後、射撃クラブとナイト・マーケットを楽しんだ。三島由紀夫の『暁の寺』に登場するワット・アルン、一番の楽しみでもあったが時間の都合で今回は省略した。次回、その暁の姿を見たい。

だが、問題はその後であった。ぼくらは、終電のバスを乗り過ごした。
フライトからぶっ続けで遊び続けた疲労困憊のぼくらは、いくつもの失敗を繰り返した。
まずは、バス停で待ちながら所定の路線(25番線)のバスを見過ごした。ふたつめに、バスに乗り込むとそれは逆側方向へのバスであった。道を渡って、Googleマップでバス停の位置を探す。それが最後のチャンスだった。スコールが降っていた。ぼくらは雨の中バスを待ち続けた。
かすかに、そこが本当にバス停なのだろうかと不安を抱いていた。なぜなら、そこにバス停の標識が見られなかったからだ。友人はぼくに「雨宿りしながら、少し離れた場所でバスを待とう」と言った。
だが、ぼくはその最終バスを逃したくはなかった。ぼくはこのまま待つと答えた。
バスが現れた。ぼくらは手をふった。バスは通り過ぎて、200メートル離れたところで停車し、また走り出した。バス停はぼくらのいたところには存在しなかった。ぼくらは現実と地図をはき違えていた。

24時過ぎ。ぼくらは最終バスのないバスの停留所に座り込んだ。タクシーは観光客には冷淡だった。
彼らは深夜のぼくらを乗車させてくれなかった。疲れたぼくらはそこで15分ばかりぼんやりと過ごした。スコールは、その雨脚をいっそう強いものにしていた。だが、その雨音の向こうにかすかに大型車のブレーキの音が聞こえた。雨脚の向こうに、バス停のすぐ手前に、バスがいままさにそこに停車しようとしていた。それは25番線だった。バスは時刻表を30分以上遅れて運行していた。ぼくは奇跡という言葉の意味がわかった気がした。

ホテルに戻ると、浴槽のないバスルームでシャワーを浴び、シンハー・ビールを飲んで、ぼくらは朝までゆっくりと眠った。

二日目

二日目は、チャイナ・タウン、カオサン・ロード、電車移動をして古代遺跡アユタヤ、そしてナイト・クラブを巡った。

アジアにおいて、中華文明というのは特異点であり、タイにおいても中国文化の影響は色濃い。
一説には、そもそも、タイ族は中国南方から移動してきた人々だともいわれている。
タイ各地においても中国風の寺院や漢字が見られるところは多い。そんなタイのチャイナ・タウンで朝食をし散策をしながら二日目ははじまった。

チャイナ・タウンを散策すると、トゥクトゥクで15分ほど移動してカオサン・ロードに移動した。
バックパッカーの聖地。マクドナルドのキャラクター、 ロナルド・マクドナルドがワイ(合掌)している姿も見られる。カオサン・ロードはシルバー・アクセサリーの名店街でもあるらしい。SILVER FACTORYなどの看板が多く掲げられていた。

午後は、バンコク駅(フワランポーン駅)に移動し、そこから鉄道で古都アユタヤに移動した。
バンコク駅と鉄道移動で見た景色はもしかしたら今回の旅でもっとも印象深かったものかもしれない。
バンコク駅ではイスラームの衣装を着た女の子たちが離れ離れになるのだろう、抱き合って涙を流している姿を見かけた。仏教国タイにも少数ながらイスラーム人口はあるということらしい。近年の統計では、約400万人、4.6%がイスラム教徒であるという。
それから、弁当の売り子、ペプシのポスター、サバ缶の看板。色とりどりのタイがバンコク駅にはあった。
鉄道が出発してしばらくすると、バラック建ての家々が立ち並び、アユタヤ周辺まで移動したころには広大な農地がその姿を見せるようになった。タイは非常に都市と地方の差が大きく、また、貧富の差も大きかった。

古都アユタヤは、王朝の滅亡とかつての仏教の繁栄をよく示していた。日本でいえば、平家物語や奥州藤原氏を思わせる栄枯盛衰を想像させた。あらためて、一日かけてゆっくり見たいと感じた。
今回は駆け足でトゥクトゥクでツアーを行い、その後、河上のコテージ風のレストランでタイ料理とシンハー・ビールを飲むと、また鉄道でバンコクに戻った。
そして、ナイト・クラブを楽しむことにした。

バンコクでもっとも有名な歓楽街のひとつナナプラザ。ゴーゴーバーやバービアが多く集合するモール型の歓楽街。多くの日本人が訪れるという。
正直に言えば、セクシーな女の子が舞台の上に並んでるのを眺めながらアルコールを飲むところと聞いていて、Disco Trainみたいないわゆるclubを想像していた。だが、それとは違っていた。ステージの上の女の子たちは踊ってはいなかった。彼女たちは、ただステージに立ち、音楽に合わせてポージングする。
それを見つめる男たちの熱狂、熱い視線。対して、見られる彼女たちは、彼女たちの肉体は熱狂とは遠く、冷たい肉のようにも見えた。仏教国のタイでは、人々は輪廻転生を当たり前のことのように考え生きているという。あるいは、肉体と精神の乖離した彼女たち。肉体は現世における魂の牢獄にすぎないだろうか。
タイでは売春は違法ではない。厳密にいえば刑事的な処罰はない。だが、それらは合法でもない。それらは、双方が法的に守られた関係でもない。そこには、ただ、微笑みがあった。ぼくらはどこか醒めた気持ちを感じながらジントニックを飲み干した。

三日日

三日目はサムットソンクラーム県のメークロン市場(折り畳み市場)とバンコクの水上マーケットを観察し、エラワン美術館を巡った後で、サイアム・スクエアのモールでお土産を買い、ホテルに戻った。
そして、浴槽のないバスルームでシャワーを浴び、シンハー・ビールを飲んで、空港行きの朝4:30のシャトル・バスまで少しのあいだゆっくりと眠った。

そして、ぼくらのタイ旅行は終わった。朝7時半、タイ・バンコク発 → 東京・成田行きのフライトでぼくらは日常に戻った。
きっと、いつかまたぼくらは、タイの街を訪れるのだろうという予感を残して、上野駅でぼくらは別れた。

映画『きみの鳥はうたえる』を観る。

「きみの鳥はうたえる」を見た。
素晴らしかった。良い映画を観れたという実感が強く残った。

主人公である“僕”のバランス感覚に好感を抱いた。純文学作品の映像化となると、主人公の偏屈さだったり欠損(その痛さこそがチャームでもあるが)がどうしても目立ちがちだが、本作の“僕”にはそれがあまりみられないような気がした。

行動の動機や生活における力の配分、人との接し方など、とてもバランス感覚に優れている。だからこそ彼を含む佐知子と静雄との関係は永遠に続くはずだったし、彼が最も望んでいたことがそれだったのは冒頭のモノローグからも自明である。

ただ、そんな事はあるはずもなく、この物語でも“僕”の感覚ではどうにもできないところからバランスが崩れていく。顕著な例が森口というバイト先の人物。彼の致命的なバランス感覚の無さに僕は居ても立っても居られず鉄槌を下す。思えばあの場面から少しずつ雲行きが怪しくなっていった。

永遠に続くように思えた飲んだり遊んだりの毎日は、不安の裏返しだろう。振り返った時にそう思えるのは何ら問題がない。問題なのは、その瞬間に不安を感じていることだと思う。少なからず“僕”にはそれが無かったと思いたい。佐知子や静雄には、店長や森口や静雄の母には恐らく不安があった。

不安は日常のバランスを揺るがす。揺らいだ日常は、かつてのものではない。佐知子と静雄の関係の変化はその顕れだろう。その変化に気づいた“僕”も少しずつ変化していく。嫉妬もそうだ。静雄の母とのことをあのように佐知子と静雄に伝えたのは、“僕”のバランスが少しずつ崩れている証左だろう。

そして最後のシーン。もう戻れないところまでバランスを崩した“僕”は120を待つことができず13で走り出す。佐知子のこの上ない表情で物語は閉じられ、結末は観客に委ねられる。ただ、あのいつまでも続くと思われた夏がはっきりと終わったという事だけは明らかだ。

映画『カメラを止めるな!』を観る。

『カメラを止めるな!』最高だった。
僕は基本的に喜劇への理解が薄く、面白い話が苦手。それに加えてインディペンデント映画であり企画ものというところにバイアスを抱き、世間の注目と称賛とは裏腹にアレルギーが出そうだなと予感していた。

実際、冒頭の37分ワンカットという壮大な挑戦である一幕に散見された妙な間や噛み合わない会話に仕掛けがあるのだろうと分析的に見てしまった。しかし、この映画は後半パートでその受け手の冷めた見解を見事に蹴散らしてくれ、さらに壮大なメッセージに替える。
「俺たちは頑張ってるんだ」と。

作品の特徴に一つずつ触れていくと、まず企画・脚本の妙。
映画やドラマにおいては、前例のない企画(構成)を思いついた時点で勝ちという作品は往々にしてある。本作も紛れもなくそのうちの一つだと思う。そして、その企画を最も魅力的に表現した脚本も素晴らしい。

37分のワンカットでのゾンビ映像→映像が作られるまでの過程→もう一度37分のワンカット映像を今度はネタバレで見せる。
それほど複雑ではない企画(構成)だが、脚本がしっかりしているので随所(というかほぼ全編)に笑いが生まれ、企画(構成)への説得力をアシストする。

これでも十分過ぎるくらい贅沢な映画体験なのだが、僕が最も感動したのは、この映画から最終的に受けたメッセージが作品の作り手たちの苦悩と達成だったということ。映画を作る映画となるとこの手の展開は避けられないが、そこで現代日本の問題点を指摘し、さらに、頑張ってますと落とす。爽やかに。

制作費の都合・制作期間の短縮・俳優や事務所同士の関係や宣伝・流行への迎合・ポリティカルコレクトネスなど、今の時代のドラマや映画表現の純粋性のなさは言うまでもない。作り手はそのつまらなさを嘆き逃げることもできる。しかしこの映画は、そこで諦めない。

それを体現するのが37分ワンカットという不可逆的な構造なのではないか。一度スタートすればカットが掛かるまではカメラは止められない。予想外のことが起こっても、工夫をする。振り返らない。頑張る。
クライマックスが近づくにつれてどんどんそのメッセージが強くなる。

どこで誰が何を工夫してどう成立させたか、どのカメラがどの映像を撮影していて実際どれが使われて今はどの映像なのか。二幕目で舞台裏を映すことで虚実が綯い交ぜになりつつも、作り手の苦労と頑張りがリアルに面白可笑く、同時にグッとくる。映画愛に溢れた映画だった。

映画『少女邂逅』を観る。

いじめをきっかけに声が出なくなった小原ミユリ(保紫萌香)。自己主張もできず、周囲にSOSを発信するためのリストカットをする勇気もない。そんなミユリの唯一の友達は、山の中で拾った蚕。ミユリは蚕に「紬(ツムギ)」と名付け、こっそり大切に飼っていた。「君は、私が困っていたら助けてくれるよね、ツムギ」この窮屈で息が詰まるような現実から、いつか誰かがやってきて救い出してくれる──とミユリはいつも願っていた。

ある日、いじめっ子の清水に蚕の存在がバレ、捨てられてしまう。唯一の友達を失ったミユリは絶望する。
その次の日、ミユリの通う学校に「富田紬(つむぎ)」という少女(モトーラ世理奈)が転校してくる───。

映画『少女邂逅』公式サイトより http://kaikogirl.com/


映画『少女邂逅』。すごく良かった。これは間違いなく傑作だ。
イノセント&フラジャイルなティーン・エイジャを描いた作品として、目がくらみ意識が遠のくような作品であった。

手取りやiPhoneでの撮影による映像や視点、光や色の美しさ、夢と現実のあいだをゆききするようなマジックリアリズムのような世界観とそれを強化する音響効果。すべてがとても良かった。

この作品を見るきっかけは偶然予告編を目にしたことだった。この風景はどこかで見たような、高崎の感じがすると思って見たのが、きっかけだった。やはり舞台は高崎中心だった。枝優花監督が高崎出身ということだった。
だが、結果的にいえば、地元補正はゼロで完璧な作品だった。ぼくが見た新宿武蔵野館での上映後には、枝優花監督と出演者の秋葉美希さんと土山茜さんのトークイベントがあった。監督は驚くくらい若い女の子で、パルプフィクションのTシャツがよく似合っている雰囲気だった。

久しく映画のパンフレットを買うことはなかったが、上映後あまりの鮮烈さに劇場のロビーでパンフレットを購入した。
枝優花監督の経歴を見ると、『オーバー・フェンス』の特典映像撮影編集だという記載があった。
『オーバー・フェンス』は、ぼくにとって特別な作品のひとつで、数年前に見てかなり救われたところがあった映画だった。
出演していた俳優の松澤匠さんも『少女邂逅』でも『オーバー・フェンス』でも両作で良い演技をしていた。

ふつう、高校生の不安定なところを描く作品であれば、過剰な事件の連続とエゴのぶつかり合いを想定する。
だが、本作はそうではなかった。精神科医で批評家の斎藤環は、境界例的「分裂」から多重人格的「解離」へという時代精神の変化を表現するが、本作のティーン・エイジャのフラジャイルさも分裂的ではなく、むしろ、解離的であった。解離的な精神状態、そのとき、人にとっては存在論的なテーマが切実に重要なものとなる。

本作では、自分の価値や人生の意味を見失ったふたりの邂逅とそれがふたりの人生を左右するものであったことが描かれていた。
そしてその邂逅は周囲の人間のこころにも少なからず影響を与えるものであった。

本作のモティーフである蚕。ふつう、蚕をモティーフとして扱うのならば、喪失とか損壊からの修復のモティーフとして利用されるというのが一般的であるだろう。たとえば、村上春樹の『1Q84』などのように。
だが、本作では、そうではなくむしろ社会・システムの嘘や欺瞞、他方で生の不条理、そして少女たちの人生を疎外し暴力的に搾取する現実を描くものとして蚕をモティーフとしていた。たしかに、製糸場は女子の人生を簒奪し、蚕の命を略奪し蹂躙するものであった。
そのような現実の中で、現実から目をそらして直視せずに思考停止してシステムの中でいきる多くのひとびと、そしてそうではなくもがき苦しみながら生の意味を獲得しようというふたり。

しかし、結局のところ富田紬(モトーラ世理奈)は、自分の生の物語を紡ぐことはできず、価値を見出せなくなり損なわれてしまう。
一方で、小原ミユリも自身の生の意味を獲得し、価値を感じられれようになったわけではない。彼女はある意味では富田紬を搾取してしまった。邂逅の中で、彼女のイメージを神さまのようなものとして描き、そのすべてを受容することができなかったのだから。
彼女はたしかに疎外された状態、システムの外から、中にうまく入り込んだ。しかし、それだけだ。であるのならば、それから、以後、どうだい?と想像せざるを得ない。

本作については、岩井俊二監督に影響されたところが大きいとの声が聞こえるが、ぼく自身は『FRIED DRAGON FISH』をむかし見たくらいでまったく岩井監督の作品を見たことがなかったのだが、この作品を見て翻って岩井監督の作品を観ようと感じた。別の話ではあるが、最近、中国人の女の子から「岩井俊二の『Love Letter』を見て日本に来ようと決めた」という話を聞いたというのもあるのだが。
しかし、中国では村上春樹と岩井俊二は同じような受容のされ方をしているという話も聞く。ある意味では、サリンジャー的 – 村上春樹的 – 岩井俊二的というのは、ひとつの流れなのかもしれない。
ぼくが『サリンジャー的、サルトル的』などと言って、言いたいこともそこにあるのではないか。
あるいは、『オーバー・フェンス』と『少女邂逅』にすごい近いところのことのような気がしている。あるいは山田かまち的か。

青空とレモン・テロリスト

きみは疲れている。どこかから太鼓の音が聴こえる。そうか、盆踊りなんだ。キーボードを叩きながら思う。13日の金曜日。一週間が終わった。今週はすこし忙しかった。でも、三連休だ。

ぼんやりとしていると共産主義者同盟青空派の革命家があらわれた。
革命家はノートパソコンの上に檸檬を置いて言った。

「これは爆弾だ」

日本における電力事業の歴史(明治から戦前まで)

明治の時代から戦前までは、文明開化と殖産興業、富国強兵を目的に電力事業の発展は進んでいくこととなります。
そして、日本の電力事業は、自由市場から独占体制へ、そして政府の主導による体制に委ねられることとなります。
 

文明開化と電気の登場

19世紀後半の日本は、黒船の来航と欧米列強との出会いで激動の時代を迎えていました。
1858年(安政5年)、アメリカ総領事ハリスと徳川幕府による日米修好通商条約の締結で開国を決めた日本は、欧米列強との関係の中で近代化の必要性に迫られます。すでに産業革命を経験していた西洋各国の近代的・産業的な力を目の当たりにした日本は、明治維新とともに文明開化と殖産興業の政策に力を入れることとなります。
 
明治の文明開化の時代には、欧米から輸入された西洋文化が街にあふれました。その西洋文化の一つの象徴が電灯照明でした。1882年(明治15年)に東京・銀座に日本初の電灯(アーク灯)が点灯され、街を照らします。電灯を初めて見た人々は西洋文明のマジックのような光に息を飲んだことでしょう。連日大勢の人が見物に訪れたといわれています。
 
そのような背景の中で、日本の電力事業は西洋の新しい技術の導入という形で、1887年(明治20年)からはじまりました。エジソンによるニューヨークでの世界初の電灯事業開始(1881年)から遅れることわずかに6年後、東京電灯会社(現・東京電力の前身)により日本初の火力発電所が稼働し配電を開始しました。
同年には、名古屋電灯・神戸電灯・京都電灯・大阪電灯が相次いで設立されています。
(東京電力は、前年の1886年に日本で初めての電気事業者として東京電灯会社(現・東京電力)として企業活動を開始しています。)
 
電力会社による発電所の登場により、電灯は東京を中心に急速に普及していきます。さらにエレベーターや工場など、電気は産業用の動力用としても利用され、次々と発電所が建設されていくこととなります。
 
以降、産業の発展とともに電力へのニーズは絶えず増え続けていきます。
1890年には日本初の電車運転が行われ、1904年には鉄道の蒸気機関から電気駆動への電化が始まります。
また、1912年には東京市内に電灯がほぼ完全に普及しました。
そして、1917年には、工場動力の電化率が50%を突破します。
日本の電力事業はこのような産業や文化の発展のかなめとして、ともに発展を続けてきました。
 

業界の再編(自由市場から独占体制へ)

1920年、電力過剰となり電力会社の再編がおこります。
当時の電力市場は自由市場で、多くの電力会社がひしめきあっていました。
そのため、過剰な価格競争や吸収合併で、電力会社の経営は不安定で、効率的な電源開発はできませんでした。
結果として、1929年には全国総発電出力の50%が5大電力会社に集中します。
(同年には、ニューヨーク株式が大暴落し、世界恐慌が起きています。)
当時は、産業界でもカルテルやトラストなど財閥による独占が過剰になった時代でした。
そして、1932年には5大電力会社が電力連盟を結成しました。
つまり、ここにおいて、電力会社は価格競争などの休戦協定を結んだということとなります。
 

政府による電力市場管理へ

1936年、政府が電力国家管理案を発表します。
当時、すでに日本は中国との戦争を目前にしていました。
近代戦争の特徴は、国家の資源・生産力のすべてを投入する総力戦でした。
そのために、政府は自由市場・自由経済では戦争のための生産管理が不可能であるとして、国家による電力事業の管理の必要性を示したのです。
現在から見れば、太平洋戦争にともなう戦時経済統制の典型といえるでしょう。
以降、戦後まで、このような国家による電力管理が進められていくこととなりました。
 
また、戦争に突入した後には「ぜいたくは敵だ」との声のもとに電力消費規制が行われ、一般市民の生活では電力の使用に大きな制限がかけられることとなります。
 
参考)電気事業連合会HP 『電気の歴史(日本の電気事業と社会)』
http://www.fepc.or.jp/enterprise/rekishi/index.html

平成の終わりという時代に『半分、青い。』を観る。

先輩から4月クールのドラマ評が届いて、ようやく文化的な生活があったことを思い出した。
ただ、4月期ドラマは稀にみる不作だった。数作を除いてはほぼ惰性で見てしまっていた。

そんな中『半分、青い。』は異色すぎると言ってもいいほどの独自路線を貫いてる。
特にここ1ヶ月の展開は目が離せない。主人公の鈴愛が性別や家などの外的要因が絡む問題からではなく、自ら選んだフリーランスの仕事で行き詰まる様を容赦なく描く。

あれは恐らくすべての創作する者の恐怖に通ずる。先日言及した今年の群像新人賞の盗用疑惑の話題とも時期的に重なり、生みの苦しみがリアルに伝わってくる。
『半分、青い。』については、平成史という着眼が一つ重要な要素になってくる。先輩が『半分、青い。』の感想に『20センチュリー・ウーマン』との類似性を指摘していたのだか、僕も本作は鈴愛の生を通じて平成を描くというのは北川悦吏子の一つの狙いであると思っている。
律が鈴愛にプロポーズしたのが95年(あのさりげない告白と重なる当時の日本)でそこから時は流れ99年に鈴愛は「私は28歳になって何もない」と失意のどん底に落ちる。

そして今日は仙吉が『あの素晴らしい愛をもう一度』を鈴愛に贈る。
朝ドラは前時代の呪縛に囚われる人物の存在を通じて歴史の暗い部分を表現することは往々にあるが(最近だと「ひょっこ」の峯田がそう)、今回は仙吉がその役であり、時代を示す指標にもなっている。

鈴愛の「28歳になって何もない」という言葉や「あの素晴らしい愛をもう一度」が口ずさめることなど、しっかり見ると99年をリアルに描けているんだが、どうしても物語の中から時代が立ちのぼってきにくいのは少し残念に思う。油断してると普通に平成30年の話として見れてしまう。

文学とは何か?純文学批判としての小説『美しい顔』

以下、現実から乖離したメタ的な深読みであること、あるいは既存の「純文学」を批判し、「純文学」の枠を無理やり「ブログ記事」などの領域まで拡張しようとする立場での考えだとご指摘を受けました。

大変、申し訳ございません。ここにお詫びさせていただきます。


『美しい顔』という作品が話題にされ、大きく波紋を広げている。
この作品は群像新人賞に輝き賞賛され、新聞の書評でも好意的に取り上げられ、第159回の芥川賞の候補にもノミネートされた作品である。

だが、この作品の引用方法に慣習上問題となる点があったこと、実際に被災地に赴かずに震災を舞台にした小説を書いたという倫理的なところが、議論されているのだ。

実際に本作を読んでみると、かならずしも被災地をモティーフにする必然性のなかったテーマの作品であるようにも思えるし、モティーフの部分をこういう形で引用する必要もなかったという風に思わなくもない。

少なくとも、被災者の立場を考えたならば、倫理的な問題があることは間違いないように思われる。それは反省されなければならないであろう。

しかし、であるならば、なぜ、あえて、このような作品としてこの小説を書いたのだろうか。

むしろ、ぼくらはこの作品を「あえて」このモティーフを利用して、このような引用をしたということに注目しなければならない。
本作の力はこの「あえて」という部分にあるからだ。

逆説的に、あえて純文学的に震災という社会性のあるモティーフを利用して作品を描くこと、あえて被災地をポルノのように消費するメディアを批判すること、それらがメタ的・自己言及的に物語るというのがこの小説を強烈な印象を残すものとしている。

そもそも、この小説は「純文学」小説ではない。
この作品は「純文学批判」小説なのだ。

この作品が問うのは、結局のところ文学の社会的な意味とは何かということである。
むろん、それは意図されたものではないかもしれない。

倫理的にとわれるべきところであるが、この作品は、あえて現地に赴かずにノンフィクション作品の表現を参考にして構築されている。
また、この作品は現在、無償でインターネットで公開されダウンロードされている。
それはまるでヒップホップにおけるサンプリング・コラージュ・配布を思わせる。

たしかに、この小説はあたかも純文学であるようなテーマ・モティーフ・スタイルで描かれているが、その手法はいわゆる純文学的なものではないのだ。

それと同時に、仮に現地を視察したからといって、震災の当事者でない人間の書く文章に意義はあるのかという問いかけがある。それは作中のカメラマンのような行為ではないのかと。

かりに、震災をモティーフにしたのではなく、都会のナイトライフをモティーフに既存のルポを参考・引用し構築された小説であれば今回のような形での批判にはならなかったのではないか。その意味では、今回の問題は、震災による被災者・関係者への人間としての礼儀をもった振る舞いの問題、震災や戦争など特殊なテーマを被害者・被災地をモティーフにして作品やフィクションを創作することは許されるのかという問題に収れんされていく。

他方、意識されたものか否かにかかわらず、
文学の存在意義への問いは、新人賞受賞のことばにも現れている。

小説を書くことは罪深いことだと思っています。この小説はそのことを特に意識した作品になりました。それは、被災者ではない私が震災を題材にし、それも一人称で書いたからです。

あまりに自己言及的でアイロニーに満ちた発言としても読み取れる。

しかし、メタ的であるこの小説と発言は、いわゆる純文学というものを徹底化したうえで脱構築して粉砕する純文学批判的なものであった。

言いかえると、アイロニカルなこのモティーフの選択や小説の構築手法は既存の文学を批判的に描くためのものだったとしか結果的に思えない。

かつてサルトルは『文学とは何か』において現実社会における作家の役割を批判した。
だが、時は経ち、かつて以上に現実に対する文学の役割は大きく低下している。

かつての「文学-批評-哲学」の業界は、今では「ブロガー-広告-自己啓発」にその役割を取って代わられた。

現在ではひとびとは本よりはインターネット上の記事を流し読みするような状況である。
しかし、文学はその流れに適応できているとは考えられない。
いわゆる純文学的なものは現実から乖離している。

そんな状況の中で現れたのが本作である。
いわゆる「文学」がインターネット上で議論され、群像2018年6月号は高騰し1万円に近い価格で取引され、芥川賞は受賞作が決まる前から大きな話題を呼んでいる。
このような状況は、ほとんどありえないものではないだろうか。

あらためて社会の中で「文学とは何か」ということが問われている。

群像新人賞-芥川賞候補作、北条裕子『美しい顔』問題によせて

北条裕子『美しい顔』の無断引用問題は個人的に非常に残念です。
僕は『美しい顔』を読んで、非常に優れた小説だと思いました。
群像新人賞の選評でも賞賛され、掲載翌月の新聞の書評でも好意的に取り上げられた記事も多くみました。
そして、159回の芥川賞の候補にもノミネートされている。

読み手としては、無断引用なんて問題は当たり前にクリアされている前提で受け取るので、もはや対処の仕様がない。
一つの作品として世に出されたものが素晴らしければ積極的に賞賛したいし、本作に救われたと実感した人もいたはず。そんな人たちの期待と感謝を裏切ることとなったのは事実。

と、一元的に片付けられない部分も確かにあると思う。
本作のテーマが震災を扱っていることや客観的に作者の容姿が整っていることや新人賞の在り方など。

ただ、一つ言えるのは、本作は未だ単行本化されておらず、事態が発覚した際は既に次の号の群像が発売されており本作が掲載されている群像は書店には残っていなかった。
つまり、本作『美しい顔』をきちんと読んでいる人間は、数多の批判がなされるなかのほんの一握りしかいないという事。

純文学雑誌(群像)の発行部数を考えると、これは紛れもない事実。

何が言いたいのかというと、僕はバイアスがかかる前の『美しい顔』を読み純粋に心を打たれる経験をできたということ。残念ながらこの小説はもう純粋ではなくなってしまった。ただ、僕はまだ当たり前に純粋と信じられている時に読み、
まだ若い主人公のやり場のない憤怒が堰を切ったように溢れだす瞬間に心を打たれた。それを力強く表現した小説の世界に圧倒された。そんな貴重な読書体験ができたと思う。

とはいえ、乗代雄介『生き方の問題』が本作の載った号に同載されたせいで芥川賞候補にならなかったというのが純文学界的な一番の問題な気もする。

今回の芥川賞は暗い純文学界隈の話題を吹き飛ばすためにも松尾スズキ受賞が一番だろうけど、現実的ではない。町屋良平の『しき』も個人的には大好きだけど、受賞のボーダーには満たない気がする。古谷田は三島賞取ったばっかりだしさすがに難しそう。となると、満を持しての高橋弘希になるのだろうか。

草稿ノート 評論『サリンジャー的、サルトル的ー現代日本の文学精神』

本稿では、20世紀の米文学界を代表する作家J.D.サリンジャーとフランスの哲学者・思想家で作家のジャン=ポール・サルトルの作品・作家および日本における受容と影響を比較することを通して浮かび上がってくる日本文学の思想・精神史を読みときたい。


Ⅰ. サリンジャー的、サルトル的
 〈サルトルの倫理、サリンジャーの倫理〉

Ⅱ. サルトル的ー超越へと駆動する力
  (三島由紀夫、大江健三郎、吉本隆明、柄谷行人)
 〈三島由紀夫の場合(時間)ー行動の究極地点、テロリズム〉
 〈大江健三郎の場合(空間)ーサルトルとの対話〉
 〈吉本隆明(空間・時間)・柄谷行人(空間)の受容と差異〉
 〈サルトルの倫理〉

Ⅲ. サリンジャー的ー自己修復の物語
  (村上春樹、村上龍、高橋源一郎、加藤典洋)
 〈サリンジャーーイノセント&フラジャイルな作家〉
 〈三つの翻訳、三つのサリンジャー〉
  ・α.戦争神経症的なサリンジャーー『危険な年齢』〉
  ・β.分裂的なサリンジャーー『ライ麦畑でつかまえて』〉
  ・γ.解離的なサリンジャーー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』〉
 〈ポスト全共闘のサリンジャー革命からのロスト〉
  ・彼らの失語症
  ・欺瞞へのいらだち
  ・彼らの失語からの回復ー物語の構築
 〈サリンジャー的倫理〉

Ⅳ. 邂逅、対立、躓き、四散
 〈サルトルとサリンジャー〉
 1980 – 1989
 〈吉本隆明による高橋源一郎・村上春樹・村上龍評〉
 〈柄谷行人・浅田彰への批判 季刊思潮「批評は今なぜ、むずかしいか」〉
 1990 – 1999
 〈柄谷行人による村上春樹批評『終焉をめぐって』「村上春樹の「風景」」〉
 〈湾岸戦争・自衛隊派遣への抗議 〉
 〈オウム真理教事件ー村上春樹のコミットメント、サルトルのアンガージュマン〉
 〈吉本隆明が語る人間の深いところー毛沢東と麻原彰晃〉
 〈加藤典洋『敗戦後論』批判ー批評空間派〉
 2000 – 2006
 〈批評空間・NAM解散〉
 〈村上春樹『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を発表〉

Ⅴ. サリンジャーとサルトルのあいだで
 〈村上春樹の『壁と卵』〉
 〈サルトル『いま希望とは』〉

■ 参考資料
・『吉本隆明と柄谷行人』合田正人
・村上春樹『考える人』2010年夏
・その他


Ⅰ. サリンジャー的、サルトル的


J.D.サリンジャーとジャン=ポール・サルトル。いずれも20世紀に一世を風靡し世界中を席巻した小説家であり文化人である。

サリンジャーは海外文学としては、非常に広く受容されている作家である。野崎が名訳を残し、村上春樹により新訳された『ライ麦畑でつかまえて(キャッチャー・イン・ザ・ライ)』は世界的にヒットした伝説的な小説である。思春期・青年期の若者に絶大な影響を及ぼしてきた作家・小説といえる。

他方、サルトルもかつてほどの名声は聞かないまでも、読者の価値観を塗り替えるような小説『嘔吐』や哲学書『存在と無』は文学・哲学史に燦然と輝きを残している。いわゆる全共闘以上の世代にはカリスマ的な知識人であった。

しかし、社会から隠遁したミステリアスなアメリカの作家サリンジャーと、アンガージュマンを唱え行動する哲学者として振る舞ったフランスの思想家サルトル、まったく正反対ともいうべきふたりの作家をどうして比較しようというのだろうか。
だが、これまで特別に比較されてこなかったこのふたりの作家をあえて比較することは単に筆者の個人的な思いつきや嗜好によるものではない。

あえていえば、ある時期から、サリンジャー的なるものとサルトル的なるものが交錯し対立しながら揺れ動き、日本の文学・思想の潮流を作ってきたといえる。

サリンジャーとサルトル。ふたりを補助線として、サルトル的なるものとしての三島由紀夫・大江健三郎・吉本隆明・柄谷行人、サリンジャー的なるものとして村上春樹・村上龍・加藤典洋・高橋源一郎をそれぞれみることで、1960年代以降のポストモダンな日本文学の精神史を追うことにしたい。

だが、なぜあらためてポストモダンの文学の精神史を問う必要があるのだろうか。
それはポストモダンの文学は物語がないところでいかになにを語るのかということを問い続けた半世紀という時間を持つからである。
これは現代という時代に対峙するときにアクチュアルな意味を持つ問いである。
ぼくらの生きる現在、2018年においてはポスト・トゥルースという言葉が跋扈する時代である。それは、フェイク・ニュースや歴史論争やマーケティングにおいて人々の精神が書き換えられていく時代でもある。

ぼくらの時代精神はあらためてよりどころとなる真実がないということに気付かされ畏怖している。
ポストトゥルースという言葉は、真実などないという現状から超越しようという精神が姿を現したということを表現しているといえるだろう。どこにも真実などないのだから、自分たちの信じたいことを信じ、自分たちに都合の良いことだけを語ろうとしてしまう人間の開き直りと弱さ。

そのときに、ある者は科学的・工学的なものだけを正しいものとして思考し、ある者は現実を直視するのではなくそれを超えた真実というものを発見し、スピリチュアルやナショナリズムに意味を見出し、ある者は自分自身だけが正しいという独我論に陥って他者を排斥していくであろう。

だからこそ、ぼくらはあらためて物語の終焉から、いかに物語がありうるだろうかと問い続けた半世紀の文学の精神史を問う必要があるのだ。そして、日本における
ポストモダンな文学はサルトルとサリンジャーの影響をおおいに受けて涵養された。
その精神史の中心人物が上に記した8名の作家である。

彼らにとって、何がサルトル的、何がサリンジャー的であったのか?
それは倫理である。

〈サルトルの倫理、サリンジャーの倫理〉

先に核心的なところを述べれば、サルトル的な倫理とは、根源的な問題との格闘であり、前進である。それに対し、サリンジャー的なるものの倫理は損壊した世界と私を修復しようという試みであり、癒やしというようなものである。

サルトルは不条理の中のコギトであり混沌を切り裂きながら意味を作り出すプロジェクトに全身全霊を捧げる。
哲学研究者の合田正人は、吉本隆明・柄谷行人と「全共闘」世代を比較しこう記載している。
これはサルトル的なものによる、サリンジャー的なものへの批判である。

”昨今、「分カリ易サ」のイデオロギー、新たな「ニッポン・イデオロギー」(戸坂潤[一九〇〇~一九四五])が台頭し、それが、「倫理」「エートス」「大人」といった御守言葉でさまざまに偽装された「全共闘」世代論とともに暗躍しつつあること、それと、吉本、柄谷をめぐるこの逆説的情況とは、無縁であるどころか密接に関連している。原理的問題群と格闘する者たちへの畏敬の念はやがて、誰がやってもダメじゃないかという諦観に変容し、それだけならまだしも、この停滞のうちに、原理的問題群を棚上げにする格好の口実を見出す者たちがまたしても跋扈しはじめたのだ。”
(『吉本隆明と柄谷行人』合田正人)

他方で、村上春樹は雑誌のインタビューでサルトル的なものを批判してこう言う。

”大げささな言い方をするなら、『1Q84』というのは、二〇世紀の「現代小説」、たとえばサルトル的なものに対する、僕なりの対抗テーゼと言ってもいいかもしれない。”
(村上春樹『考える人』2010年夏)

前進し分裂的なサルトルと、失語する離人的なサリンジャー。
サルトルの不条理をつらぬく視点と、いかに現実を再形成しようかとさまようサリンジャーの視線。

それは、集合論や精神分析のキーワードとも関係してくる問題である。
外部のスプリッティングがいきつく暗黒の噴出、内部が充満する開かれた集合。
あるいは超自我的な超越と井戸の底の集合的無意識。

ポストモダン文学を精神史を俯瞰するために、まずは時代の流れに沿って、サルトルの作品・作家・日本における受容を把握することからはじめたい。


Ⅱ. サルトル的ー三島由紀夫、大江健三郎、吉本隆明、柄谷行人


〈サルトルー行動する哲学者〉

サルトルならびにサルトル的な思想家とはなんであろうか。彼らは超越に取り憑かれた思想家たちである。

サルトルは絶対的な無の中に現象を視る。混沌とする無の中に、どこからか現れたそれは超越である。人は超越を掴もうとする。
超越はイマジナリーな世界を人に想起させる。それを現実として掴もうとサルトルは超越を追いかけて、行動する。

これがサルトル的な思想家の共通点である。

〈三島由紀夫の場合ー行動の究極地点、テロリズム〉
三島由紀夫の現代文学に対する後に残した影響は大きい。
ある意味で、サルトルがポストモダンのフランス現代思想家たちに残したものを、三島由紀夫も日本文学上に残したといえる。

だが、三島由紀夫はサルトルを嫌いだと公言していた。そこから話を始めよう。

もちろん、三島由紀夫のサルトルを嫌いだという言葉を額面通りに受け取ってはならない。
なぜならば、彼はその強烈なエゴにより太宰治に憧れながら彼に対して直接『私はあなたの文学が嫌いです』と言った人物であったのだから。

三島由紀夫とサルトルの共通点は明らかである。前後に颯爽と登場した行動する知識人。
三島由紀夫と対話したこともある文筆家の小阪修平は、サルトルと三島由紀夫を評してこう言う。

『三島由紀夫vs.東大全共闘―美と共同体と東大闘争』

三島由紀夫はサルトルに対して、同族嫌悪を感じていたと言わざるを得ないだろう。彼が、太宰治に感じていたのと同じように。

〈大江健三郎の場合ーサルトルとの対話〉
大江健三郎は三島由紀夫とは異なり、サルトルの影響を直接に受けた。

彼はのサルトルの翻訳で名高い海老坂武らとともに、実際にサルトルと対話を行なっている。

〈吉本隆明・柄谷行人の受容と差異〉

共同体の幻想を構造的に把握、それを突き破るものとしての柄谷行人

哲学者の合田正人は著作『柄谷行人と吉本隆明』でこう語る。

かれら二人はサルトルを批判しながらも、大きな影響を受けているという。だが、かれら二人は対立をしていたことでも知られている。かれらのサルトル批判と、両者の相互の批判についても見てみよう。

かれらの試行していたもの違いはなんだったのであろうか。

吉本隆明は現象学的還元を批判している。
“「事物のあまりに異様な関係 [錯綜 ]に耐えられなくなった事物を救済するために 、この種の現象学的な還元が 、きわめて有効な遁走であるという事実 ( … … ) 」 ( 『心的現象論本論 』三〇ペ ージ ) ─

“「構造 」と 「構造化 」を現代数学の第一義的な課題とみなした遠山がこう言っているわけだが 、遠山の発言はもちろんカント ールについての否定的な発言ではまったくなかった 。事実遠山は 、集合を 「完全に限定されているものを入れている閉じた袋 」にたとえたリヒャルト ・デデキント (一八三一 ~一九一六 )に 、カント ールが 「私は集合とは底なしの深淵だと思っています 」と応じたことを紹介しながら 、 「カントールは積極的に新しい無限集合をつぎつぎとつくりだしていくことに興味をもっていた 」 ( 『数学論シリ ーズ 6数学と文化 』一二八ペ ージ )と評価している 。興味深いことに 、物理学者のニ ールス ・ボ ーア (一八八五 ~一九六二 )も来日時に 、量子力学について 「底なしの深淵 」 ( b o t t o m l e s s a b y s s )と言っていた 。吉本はまさにこの深淵を覗き込んだのだろう 。いや 、柄谷の 「内省 」もそうだったのだ。”

“カント ールは 「構造化 」 「建築 」そのものが 「脱構造化 」 「解体 」であることを示した 。 「ディコンストラクション 」 (脱構築 )の淵源の一つがここにある 。たとえば柄谷の師のひとりであるポ ール ・ド ・マン (一九一九 ~一九八三 )は 、 「テクストそのものがディコンストラクションである 」といった意味のことを言っているのだが ( 『読むことのアレゴリ ー 』一九七九年 ) 、柄谷自身の仕事が 、遠山の描いたプログラムと決して無縁でなかったことは 、 『隠喩としての建築 』の次の引用からも明らかだろう 。”

“柄谷行人に対して、思想家の東浩紀は指摘する。「柄谷の問題意識はそのまま 、 『ひとは何故超越論的問題に取り憑かれるのか 』という問いに言い換えることができる 」”

“集合の概念と 、カントの意味での純粋悟性のカテゴリ ーとの間には密接な関係があることに留意されたい 。すなわち 、両者ともその機能は 「総合 」であり 、つまり統一性を多様性から生成させること (例えば 、カントにおいては 、一つの対象をその多様な諸側面 〈 a s p e c t s 〉から生成させること )なのである 。 (田中一之編 『ゲ ーデルと 2 0世紀の論理学集合論とプラトニズム 』二八六 ~二八七ペ ージ )”

“「情熱と方法 」 ─ ─カント ールの集合論は 、 「単一な論理的階程に依存する思考方法 」 (同 「詩と科学との問題 」七ペ ージ )の不可能性を吉本に知らしめたのだ 。たとえば 、粒子と波動が量子力学において共存するように 、吉本は 、きわめて微妙で 「曖昧 」 [両義的 ]な境界線をもつ 「情熱と方法 」の方法それ自体のなかに 、アルチュ ール ・ランボ ー (一八五四 ~一八九一 )とマルクスという 「逆立 」せるもの ─ ─ 「相反性 」 ─ ─を共存させた 。マルクスは 「世界を変え 」 、ランボ ーは 「生活 [感性 :引用者付記 ]を変える 」というアンドレ ・ブルトン (一八九六 ~一九六六 )の言葉 、そしてまた 、ブレ ーズ ・パスカル (一六二三 ~一六六二 )のいう 「幾何学的精神 」と 「繊細の精神 」との対立をきっと踏まえていたのだろう 。”

“「わかちがたさ 」と呼ばれる緊張せる錯綜 、結節 、屈折 、逆立ち 、乖離の 「構造 」 ─ ─それこそが吉本が最も重視しているものなのだ 。この 「構造 」は 「構造の限界 ・境界の構造 」にほかならず 、私自身 、 「限界 ・境界 」の不思議について 、この十数年あれこれ考えをめぐらせてきた 。そのためにこの点がことさら目につくということはあるだろうが 、吉本ほど 「限界 ・境界 」の非線形的複雑さをいかに表現するかに腐心した日本の思想家は他に例を見ないし 、また 、その努力によって 、現代思想のいくつかの重要な潮流と彼は結びつくことにもなる 。”

〈サルトルの倫理〉

「飢えた子どもに物語が有効か」


Ⅲ. サリンジャー的ー村上春樹、村上龍、高橋源一郎、加藤典洋


『ライ麦畑でつかまえて』 伝説的であり、いわくつきの本でもある。

〈三つの翻訳、三つのサリンジャー〉

サリンジャーは日本ではどのように受容され、村上春樹、加藤典洋、高橋源一郎にどのように影響を与えたのであろうか。また、なぜ村上春樹はサリンジャーを翻訳し直したのだろうか? そこから考えていこう。

これまでに日本で出された『The Catcher in the Rye』には複数の翻訳が存在する。
それぞれの翻訳を見ると、時代の空気をよく反映しているのがよく分かる。

時代の空気。よく言われることだが、精神的な病というものは、時代とともにその現れが変容する。
70年代頃までは対人恐怖や神経症が多く、80年代は境界例の時代であり、90年代以後は解離性障害が増加したという。
サリンジャーは無垢であるとともに、病的な小説家でもある。
翻訳と時代の空気、病からサリンジャー受容を見ていこう。

 ・1951年  J. D. Salinger『The Catcher in the Rye』(原著)
 ・1952年  橋本福夫 訳  『危険な年齢』
 ・1964年  野崎孝  訳  『ライ麦畑でつかまえて』(1984年 改訳)
 ・2003年  村上春樹 訳  『キャッチャー・イン・ザ・ライ』

〈α.戦争神経症的なサリンジャーー『危険な年齢』〉

まず、はじめに、原著が刊行してすぐの1952年に訳した橋本福夫訳は『The Catcher in the Rye』を戦後文学として受容した。
以下、論文を引用するが、『危険な年齢』というタイトルは”「戦後のアメリカの若い人達の持つ空虚感を表明した言葉」を日本のコンテクストに受容可能なように訳した”というものであった。つまり、いわゆるロスト・ジェネレーションの文学として受容された。

” 日本でいち早く The Catcher in the Rye を翻訳したのは、橋本福夫である。翻訳に先立つ書評(橋本 1952, 52)で、「わたくしはこれはいわゆる war novel ではないが戦争の生んだ小説、après guerre(戦後)小説の一つだと思う」と述べている。”
(論文『村上春樹の新訳と三人のサリンジャー(林 圭介)』)

石原慎太郎が『太陽の季節』を描き、木下恵介が『日本の悲劇』を撮った時代である。

〈β.分裂的なサリンジャーー『ライ麦畑でつかまえて』〉

名訳と名高い野崎孝による翻訳が描かれたのは、1964年のことであった、その翻訳を1984年に改訳する。
1964年に翻訳した野崎孝は社会の下層に位置する主人公が、大人に反抗する小説という「ピカレスク小説」としてこの作品を翻訳したと書いている。今でいえば、村上龍の小説と近いフォーマットとでもいえる。
そして、1984年の改訳ではそのフォーマットのパターンを強化したという。

” 一方、1964 年の初訳における「解説」で、野崎(サリンジャー 1964, 299-301)は「子供の夢と大人の現実の衝突」が「作品の基本的パターン」だと指摘し、「彼は子供の世 界にありながら、大人の世界に片足突っ込んだ不安定な姿勢で立っている」と主人公 のホールデンについて論じている。野崎がこのテクストに見出すのは、「見なれた場面 を、常とは変わった、興味をひく視点」が主人公によって描かれる「ピカレスク小説」 という枠組みである。この枠組みは 1984 年の改訳で強化される。”
(論文『村上春樹の新訳と三人のサリンジャー(林 圭介)』)

精神科医の斎藤環は『ライ麦畑でつかまえて』を “世界でもっとも有名なボーダーライン文学” “ボーダラインの標本みたいな小説” と評し、分裂的な文学としてとらえているが、その斎藤環がより身近に感じているのが、この野崎孝の翻訳である。

分裂とは、不安などから自己の精神を守るための防衛機制のひとつである。ここで分裂を定義するなら、対象の全体を受け入れるのではなく、白黒をつけて切断し、認識や判断をすること、としよう。
「好き・嫌い」/「綺麗・汚い」/「正義・悪」/「敵・味方」/「愛・憎悪」/「粋・野暮」こういった二項対立での思考形態が典型的な分裂的な思考である。

この小説の主人公、コーンフィールドが世間や他者を批判しながら、しかし、無垢なものを求める姿勢。物事の本質を白黒ついてはっきり突くという姿勢はまさしく分裂的なものといえよう。分裂的な傾向というのは、ある種の批評性のようにも思えるが、この思考法が病理と呼ばれるようになった段階のひとつが境界例(ボーダーライン)である。

だが、名訳といわれる野崎孝の『ライ麦畑でつかまえて』であるが、村上春樹・高橋源一郎・加藤典洋によるサリンジャー受容はかならずしも〈分裂的なサリンジャー〉ではないようなのだ。彼らの受容は後述する。

〈γ.解離的なサリンジャーー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』〉

そして、村上春樹は解離的なサリンジャーを描いた。

精神科医の斎藤環は村上春樹を解離的あると評価する。
” 私の村上評価は、「ねじまき鳥クロニクル」を境として、ほとんど180度近く変化した。(略)私にとって重要なのは、この作品を嚆矢として、村上作品の「解離」ぶりは、いっそう洗練されていったという点である。(略)解離の導入がなぜ必要であったか。それは私がかつて述べたような、境界例的「分裂」から多重人格的「解離」へ、という、時代精神の変化を反映した流れであった(p115)”

斎藤環のこの発言の後に発表された村上春樹によるサリンジャー翻訳はこれまでの神経症・分裂的であった物語を解離的な翻訳に変容させた。しかし、それだけでなく、村上春樹の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』は、これまでの翻訳よりも、やさしく、癒やしを感じさせる文章が志向されていた。ある種、それはカウンセリングを感じさせる表現であった。
それに対して、世間からは「これは翻訳ではない。翻案だ」という批判の声もあがった。だが、その批判は正しくない。村上春樹の飛躍した翻訳には、彼自身の転回、彼自身の飛躍が試行されていた。しかし、その飛躍の前には、躓きが必要であった。

〈ポスト全共闘のサリンジャー革命からのロスト〉

ここで、サリンジャー的作家の4人が登場する以前に戻り、かれらの世代について一度確認しておこう。

東大安田講堂事件が終局、70年安保が自動延長すると、全共闘的な学生運動は一気に退潮した。
物語の終焉、革命の終わり、宴の後。そして三島由紀夫は自決する。
1970年代はさめざめとした殺伐とした風景を思わせる。

1970年「よど号ハイジャック事件」、1971-1972年「連合赤軍事件」。文化面では、1972年『木枯らし紋次郎』、1973年『氷の世界』、1974年『傷だらけの天使』、1975年『僕たちの失敗』、1976年『いちご白書をもう一度』。

文筆家の小阪修平はその時代の空気を『思想としての全共闘』でこう語る。”同世代の一番優秀な奴は滅んだか、半ば廃人になった” 小阪修平もなかば離人症のようになったという。誰もが、語る言葉を失った。

イーグルスによる『ホテル・カルフォルニア』が歌われた次の年、「ダッカ日航機ハイジャック事件」の翌年、1978年に村上春樹は処女作『風の歌を聴け』の執筆を開始する。高橋源一郎は『さようなら、ギャングたち』を1980年に書く。
彼らは、その時までことばを失っていた。

彼らは、ロスト・ジェネレーションであった。そして、そんな彼らがサリンジャーを読んだのだ。1984年以前の、より分裂的に改訳される前の野崎孝の翻訳、あるいは橋本福夫訳によって。革命の終わりに、喪失感と共に、まるで戦後のような心情で。

加藤典洋は『敗戦後論』でこう書いている。彼はサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を“戦争からの生還者の苦しみ”だと表現する。そこには、彼の革命の失敗した後に生き続ける自分の苦悩が重ねられていただろう。
“太宰の「トカトントン」はわたしにJ・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を思いださせる。一見したところ関わりをもちそうにない二作だが、全く無縁だというのでもない。簡単にいえば『ライ麦畑でつかまえて』は、あの『お伽草紙』がそうであるような戦争小説である。そこに描かれていることの一つは、「トカトントン」が描くのと違わない、戦争からの生還者の苦しみなのである。”
(加藤典洋『敗戦後論 』)

〈彼らの失語症、欺瞞へのいらだち〉

学生運動と逮捕・拘置所での勾留から失語症を経験したことのある高橋源一郎は小説『優雅で感傷的な日本野球』でこう書いている。
そこからは、どうしても拭い去ることのできない不快感のようなものが見て取れる。

“驚くべきことに、生徒たちの何人かは『危険な年齢』というタイトルになっていたサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の古い訳本を持っていました、また何人かは「抹香街」という漢字を即座に書き取ることができました、また何人かは真善美社から出版された本を持っていました、どうしたんですか? 気分でも悪いんですか?”

そして、村上春樹もまた失語した。
デビュー作『風の歌を聴け』にはこんな文章がある。

“それにもかかわらず、文章を書くことは楽しい作業でもある。生きることの困難さに比べ、それに意味をつけるのはあまりにも簡単だからだ。十代の頃だろうか、僕はその事実に気がついて一週間ばかり口も聞けないほど驚いたことがある。少し気を利かしさえすれば世界は僕の意のままになり、あらゆる価値は転換し、時は流れを変える…そんな気がした。
それが落とし穴だと気づいたのは、不幸なことにずっと後だった。僕はノートの真ん中に1本の線を引き、左側にその間に得たものを書き出し、右側に失ったも のを書いた。失ったもの、踏みにじったもの、とっくに見捨ててしまったもの、犠牲にしたもの、裏切ったもの…僕はそれらを最後まで書き通すことはできなかった。”

加藤典洋は『敗戦後論』で現実をアクチュアルに捉えることのない、帰還兵の欺瞞へのいらだちをこう言う。
“彼の窮状とは、彼がどうにもいわゆる世の中のインチキに我慢できず、それに従うなら死んだほうがましだ、と思っているということだ。”
(加藤典洋.敗戦後論(ちくま文庫))

村上春樹もまた『ノルウェイの森』で欺瞞へのいらだちを明らかにする。
” ストが解除され機動隊の占領下で講義が再開されると、いちばん最初に出席してきたのはストを指導した立場にある連中だった。(略)これはどうも変な話だった。なぜならスト決議はまだ有効だったし、誰もスト終結を宣言していなかったからだ。大学が機動隊を導入してバリケードを破壊しただけのことで、原理的にはストはまだ継続しているのだ。そして彼らはスト決議のときには言いたいだけ元気なことを言って、ストに反対する(あるいは疑念を表明する)学生を罵倒し、あるいは吊るしあげたのだ。(略)そんな連中が大学解体を叫んでいたのかと思うとおかしくて仕方なかった。”

〈彼らの失語からの回復ー物語の構築〉

村上春樹、村上龍、加藤典洋、高橋源一郎をひとりひとり見てみよう。
〈村上龍 ー『限りなく透明に近いブルー』〉
〈村上春樹ー『風の歌を聴け』〉
〈加藤典洋ー『敗戦後論』〉
〈高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』〉

〈サリンジャー的倫理〉
「物語」


Ⅳ. 邂逅、対立、躓き


〈サルトルとサリンジャー〉

言語にとって美とは何か、ひとりの個体 位置づけ 吉本隆明

戦争が個体にとってどのような影響を及ぼすかとちうこと

【1980 – 1989】

1980年台、ポストモダンが一気に受容された時代に、颯爽とあらわれたサリンジャー的な作家たちは一世を風靡する。
これに対して称賛を送るサルトル的な批評家がいた。他方で、 サリンジャー的な作家を批判する批評家も出現する。

彼らは、時に出会い、 認め合い、対立し、時にはすれ違った。
流れはわかれ、時にはヘゲモニー争いのように三つ巴・四つ巴の論争となる。
あらためて、サルトル的/サリンジャー的な彼ら8人を分類しておくならば以下のように分けられるだろう。

① サルトル的(右翼)           :三島由紀夫
② サルトル的(岩波朝日文化人) :大江健三郎
③ サルトル的(批評空間)    :柄谷行人
④ サルトル的(大衆の原像)   :吉本隆明
⑤ サリンジャー的 (批評空間派):村上龍
⑥ サリンジャー的 (吉本派)  :加藤典洋、高橋源一郎
⑦ サリンジャー的 (英米文学) :村上春樹

以下、1980年代以降の彼らの邂逅と対立を見ていこう。

〈吉本隆明による高橋源一郎・村上春樹・村上龍評ー吉本隆明の転向〉

吉本隆明は転向した。

1990年代を通して、サリンジャー的、サルトル的な彼らはさらに交錯し、対立し、あるいは自壊した。

その前哨戦は、1988年の加藤典洋/高橋源一郎/竹田青嗣の鼎談「批評は今なぜ、むずかしいか」からはじまった。

〈1988年 :批評空間・加藤典洋の対立 季刊思潮「批評は今なぜ、むずかしいか」〉

対して、柄谷行人率いる批評空間の編集者となる浅田彰は猛烈な反論を行った。
いわく、加藤典洋/高橋源一郎/竹田青嗣らの批評は外部に開いていない。閉じている。
共同体の内部に閉じこもっているというものであった。

「季刊思潮「昭和批評の諸問題1965−1989」」

【1990 – 1999】

〈1990年 : 柄谷行人による村上春樹批評『終焉をめぐって』「村上春樹の「風景」」〉

1990年、柄谷行人は著作『終焉をめぐって』を発表する。
その第一部は「大江健三郎のアレゴリー」と「村上春樹の「風景」」という批評であり柄谷行人による、大江健三郎と、村上春樹への批判が描かれている。

これに対して、村上春樹は村上春樹は沈黙を貫いていた。
それは、1986年-1995年まで、海外で活動をしていたところによるものも大きい。
だが、1998年に出版された『夜のくもざる』に「柄谷行人」というタイトルの柄谷行人を批判する戯作的な文章を入れる予定だったと本人が語っているところをみても、これらの評論から受けた影響は少なくないだろうと思われる。(村上春樹『雑文集』に収録)

〈1991年 : 湾岸戦争・自衛隊派遣への抗議 〉

1991年、湾岸戦争への自衛隊派遣に抗議し、柄谷行人、中上健次、津島佑子、田中康夫、高橋源一郎らは『湾岸戦争に反対する文学者声明』を発表した。

この件は大きな反応を呼ばなかった。だが、これは後に加藤典洋とのあいだで大きな論争に発展する。

〈1994年 : 大江健三郎 ノーベル文学賞受賞〉

1994年、ノーベル文学賞を受賞した。
川端康成以来26年ぶり、日本人では2人目の受賞者となる。
サルトルのように辞退することはなかった。

受賞理由として、以下が語られている。
「詩的な力によって想像的な世界を創りだした。その世界では生命と神話が凝縮されて、現代の人間の窮状を描く摩訶不思議な情景が形作られている (who with poetic force creates an imagined world, where life and myth condense to form a disconcerting picture of the human predicament today )」

〈1995年 –  : オウム真理教事件ー村上春樹のコミットメント、サルトルのアンガージュマン〉

1995年、阪神・淡路大震災と同じ年に、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起きる。
地下鉄サリン事件は、死亡者13人、負傷者 約6,300人の大規模テロ事件である。

オウム真理教には、ある種のニューエイジ運動(New Age movement / NAM)の側面があった。
それは、サリンジャーが後期に辿りついた神秘主義や東洋思想、輪廻的なものをベースにした新宗教であったことだ。
ある意味で、オウム真理教は政治性から離れて世捨て人になったサリンジャー的な人びとの集団であった。

この事件に村上春樹は衝撃を受ける。そして、村上春樹は海外から帰国しノンフィクションの仕事をはじめる。
しかも、地下鉄サリン事件の被害者へのインタビュー『アンダーグラウンド』と、オウム真理教の信者に対するインタビュー『約束された場所で―underground 2』を両面で行ったのである。
これは不思議な方法である。
だが、アンダーグラウンドの意味するところを考えれば意図は明確であった。アンダーグラウンドは、直訳すれば「地下」を意味するが、「見えないもの、影の存在」を意味する言葉でもある。村上春樹は『アンダーグラウンド』では地下鉄事件の被害者を描き、『約束された場所で―underground 2』ではオウム真理教信者の心の深いところを描こうとしたのである。

そして、この経験から、村上春樹は加害者であるオウム真理教信者からむしろ示唆を受けることになる。
それは、人が物語を持たないことの危険性である。

 オウム真理教に帰依した何人かの人々にインタビューしたとき、僕は彼ら全員にひとつの共通の質問をした。「あなたは思春期に小説を熱心に読みましたか?」答えはだいたい決まっていた。ノーだ。彼らのほとんどは小説に対して興味を持たなかったし、違和感さえ抱いているようだった。人によっては哲学や宗教に深い興味を持っており、そのような種類の本を熱心に読んでいた。アニメーションにのめり込んでいるものも多かった。言い換えれば、彼らの心は主に形而上的思考と視覚的虚構とのあいだを行ったりきたりしていたということになるかもしれない(形而上的思考の視覚的虚構化、あるいはその逆)。
 彼らは物語というものの成り立ち方を十分に理解していなかったかもしれない。ご存知のように、いくつもの異なった物語を通過してきた人間には、フィクションと実際の現実とのあいだに引かれている一線を、自然に見つけだすことができる。
(中略)
つまりフィクションが本来的に発揮する作用に対する免疫性を身につけていなかったと言っていいかもしれない。
(村上春樹『村上春樹雑文集』「東京の地下のブラック・マジック」)

これにより、村上春樹は人びとに物語を語ることを志向するようになる。
物事を語ることによるコミットメントである。それは、サルトルが「文学は何ができるか」で語った「飢えて死ぬ子供を前にしては『嘔吐』は無力である」「作家たるものは、今日飢えている二十億の人間の側に立たねばならず、そのためには、文学を一時放棄することも止むを得ない」というテーゼとは相反するものであった。
はじめに出した彼の「『1Q84』というのは、二〇世紀の「現代小説」、たとえばサルトル的なものに対する、僕なりの対抗テーゼと言ってもいいかもしれない」というのは、まさにこの意味である。

〈1995年 –  : 吉本隆明が語る人間の深いところー毛沢東と麻原彰晃〉

他方、サルトル的な人物の中にもこの事件に関心を持つ人間がいた。吉本隆明である。
彼は、対話集『夜と女と毛沢東』において、毛沢東の深い闇の部分と麻原彰晃の闇の深さを共通のものとして語っている。

吉本隆明/辺見庸 『夜と女と毛沢東』(文春文庫)2000年

〈1997年 : 加藤典洋『敗戦後論』批判ー批評空間派〉

内田樹「戦争論の構造」(『論集』第46巻第3号、2000年3月、神戸女学院大学研究所に収録予定)(内田樹のホームページで読める。http://www.geocities.co.jp/Berkeley/3949/)この論文で内田は高橋をサルトル – カミュ論争における「正しすぎる」サルトルに見立てている。興味深い指摘である。

批評空間出身の東浩紀は加藤典洋と批評空間派との対立を『郵便的な不安たち』の中で、こう称している。

【2000 – 2006】

〈2002年 : 批評空間、2003年 : NAM解散〉

2000年、柄谷行人は資本と国家への対抗として、政治運動 New Associationist Movement (NAM)を立ち上げる。
それは、あらたな希望を切り開こうとする柄谷行人の行動であった。
あるいは、盾の会を率いた三島由紀夫や、毛沢東主義の学生を支援したサルトルのように。

サルトルは分裂的な作家であった。いや、彼は分裂的であったからこそ、明晰であったといって良い。
解離は内部をスプリッティングさせるが、分裂的な人物は他者をスプリッティングさせる。
他者を語った柄谷行人もまた明晰であった。そして、柄谷から大きな影響を受けた彼の子犬たちもまた明晰であった。
NAMは2003年に解散する。

そして、批評空間社も2002年に編集長 内藤裕治の急死により解散した。

だが、それ以降も柄谷行人は超越を切り開こうと前進し続けている。
「新たな交換様式にもとづくグローバル・コミュニティ(アソシエーション)」に向けて「その実現は容易ではないが、けっして絶望的ではありません。少なくとも、その道筋だけははっきりしているからです」と語っている。
(柄谷行人『世界共和国へ』(2006年))

〈2004年 : 九条の会 結成〉
2004年、大江健三郎は中心人物のひとりとして、九条の会を結成した。
呼びかけ人は、オールド左翼の以下の9人であった。
井上ひさし、梅原猛、大江健三郎、奥平康弘、小田実、加藤周一、澤地久枝、鶴見俊輔、三木睦子。
彼らは60年台から、大きく転向せずに戦い続けている。時代の流れに逆らいながらも戦い続けたサルトルのように。

〈2006年 :村上春樹『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を発表〉

2006年、村上春樹は『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を発表した。


Ⅴ. サリンジャーとサルトルのあいだで


批評空間の崩壊後、日本の思想のシーンはアカデミズム・ジャーナリズム・サブカルチャー・政治経済へと四散し、曖昧になった。批評は、ストリートの思想と呼ばれるマルチチュードとゼロ年代批評といわれる傾向に別れていった。
ある意味では、サルトル的な〈行動〉とサリンジャー的な〈引きこもり〉が極限まで突き詰められたともいえるだろう。
サウンド・デモ〈祝祭的革命〉とセカイ系〈失語的喪失的世界〉と考えればサルトル的なものとサリンジャー的なものであったことがよく分かる。
だが、アクチュアルな意味での一般的な現実からは乖離し続けた。そして、世間への影響力は低下した。

一方で、村上春樹が新刊を出版すると大騒ぎとなった。だが、そのあまりの人気の高さから村上春樹の物語は商品として流通し、日本国内では文学として批評されずらい状況が続いた。

そして、サリンジャーとサルトルは、また交錯しはじめている。

2011年、3月11日 東日本大震災、福島第一原発事故が発生。
同年、それまで『未完のレーニン 〈力〉の思想を読む』、『「物質」の蜂起をめざして: レーニン、“力”の思想』レーニン研究など理論的な仕事をしていた批評家の白井聡は、加藤典洋の『敗戦後論』の影響が見られる『永続敗戦論』を出版した。

2012年、批評家の吉本隆明が他界した。
吉本隆明の講演は、ほぼ日刊イトイ新聞の糸井重里がアーカイブスし、無料で公開している。
ぼくらはいつでも彼の思想に触れることができる。
http://www.1101.com/yoshimoto_voice/

2013年、加藤転洋と高橋源一郎は対談『吉本隆明がぼくたちに遺したもの』を出版。
同年、「批評空間」出身の東浩紀は福島第一原発観光地化計画を主催、2015年には批評史「ゲンロン」を創刊する。

2015年、高橋源一郎はSEALDsの学生と対話を行い『民主主義ってなんだ?』を「自由と民主主義のための学生緊急行動主宰メンバーたちとの対談」として出版した。
同年、村上春樹は『職業としての小説家』を発表、自身がかつてノンセクト・ラジカルであったこと、イスラエル賞受賞式前の苦悩を明かしている。

2017年、村上春樹は現在の文壇の中心人物ともいえる川上未映子との対談『みみずくは黄昏に飛びたつ』を発表した。


さて、サリンジャーとサルトルとの違いは、その倫理であるとはじめに告げた。
それぞれの倫理がどんなものであるか、最後に整理しよう。

〈村上春樹の『壁と卵』〉

2009年、イスラエル賞受賞式での村上春樹発言は大きく報道された。
これをオウム事件後以降の村上春樹のデタッチメントからコミットメントだと評価したしともいた。
一方で、あのような発言には意味がない、受賞を断るべきだという意見もあった。
だが、そうではない。彼の試みは単なるアイロニカルな抵抗ではないということを理解しなければならない。
オウム事件語の『アンダーグラウンド』/『アンダーグラウンド』で彼は転回し、サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の翻訳で彼は飛躍し物語をつくり、そこから離れることなく跳躍をして『壁と卵』を語ったといわなければならないではないか。

彼は語る。
「高くて硬い壁と、壁にぶつかって割れてしまう卵があるときには、私は常に卵の側に立つ」

以下引用しよう。

” 「それでも私は最終的に熟慮の末、ここに来ることを決意しました。気持ちが固まった理由の一つは、あまりに多くの人が止めたほうがいいと私に忠告したからです。他の多くの小説家たちと同じように、私もまたやりなさいといわれたことのちょうど反対のことがしたくなるのです。私は遠く距離を保っていることよりも、ここに来ることを選びました。自分の眼で見ることを選びました。」

そして、たいへん印象的な「壁と卵」の比喩に続く。

「高く堅牢な壁とそれにぶつかって砕ける卵の間で、私はどんな場合でも卵の側につきます。そうです。壁がどれほど正しくても、卵がどれほど間違っていても、私は卵の味方です。」

http://blog.tatsuru.com/2009/02/18_1832.php ”

ここで思い出すべきであるのは、まさに『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の一説である。

サリンジャーの倫理は憐れみである。か弱きイノセントなものたちを包み込むように守らなければならない。
サリンジャーの以下の文章は、まさに村上春樹のイスラエル文学賞でのスピーチと響き合うものである。

"「僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ――つまり、子供たちは走ってるときにどこを通ってるかなんて見やしないだろう。そんなときに僕は、どっかから、さっととび出して行って、その子をつかまえてやらなきゃならないんだ。
一日じゅう、それだけをやればいいんだな。ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。馬鹿げてることは知ってるよ。
でも、ほんとになりたいものといったら、それしかないね。馬鹿げてることは知ってるけどさ」"

〈サルトル『いま希望とは』〉

対して、すでに明らかであるが、サルトルの倫理は希望であり、それは行動である。
少し長くなるが、サルトルの言葉を引用する。

"企てられた行動のきわめて重要な特徴の一つは、さきほど言ったように希望だということ。そして希望という言葉の意味するところは、行動を企てれば必ず行動の実現を期待する、ということだ。(略)ということは、行動が必ず目的を実現するに違いない、ということではなく、未来のものとして立てられた目的の実現の中に、行動が姿を現すに違いない、ということだ。しかも、希望自体の中に、一種の必然性がある。いま現在、挫折の観念はわたしの内で深い根拠を持っていない。"

そしてサルトルは続ける。

"とにかく、世界は醜く、不正で、希望がないように見える。といったことが、こうした世界の中で死のうとしている老人の静かな絶望さ。だがまさしくね、わたしはこれに抵抗し、自分ではわかってるのだが、希望の中で死んでいくだろう。ただ、この希望、これをつくり出さなければね。
説明を試みる必要があるな。なぜ今日の世界、恐るべき世界が歴史の長い発展の一契機にすぎないのかを、希望が常に、革命と蜂起の支配的な力の一つであったということを。それから、自分の未来観としてどういうふうにわたしがまだ希望を感じているのかを。"


これもまた村上春樹に新訳された小説であるが、レイモンド・チャンドラーが生み出したハードボイルド小説の主人公フィリップ・マーロウは言った。

"強くなければ生きていけない、優しくなければ生きる資格が無い"

ぼくらは、サリンジャー的、サルトル的であるだろうか。


【P.S.】
最後に、個人的な想い出をひとつ。
いまから10年ばかり前のこと、大学の卒業式に東京都知事であった石原慎太郎が来賓として登壇した。
彼は、ぼくらに、こう言った。

「サルトルのようにアンガジェしなさい」

小説『サリンジャー的、サルトル的 ー Like Salinger, Like Sartre』(抜粋)

東京、2018年。 サルトル好きの青年とサリンジャー好きの女の子が出会った。 中国人の女の子、白人の青年、ケイト・スペードの死、ドストエフスキー『罪と罰』とハイデガー『存在と時間』、ヒッピーの青年、シティ・ボーイの青年。
渋谷の街でぼくは10年という時が過ぎ去ったのを感じた。


ぼくらはまた歩きはじめた。
モール内の有線放送では、The Mamas & the Papasの『California Dreamin’』が流れていた。

ぼくはふと、むかしのことを思い出した。それはいまから10年前の風景だった。
その頃のぼくは、東京の端にある公立大学に通っていて、調布の安アパートにひとり暮らしていた。大学に入り、ひとり暮らしをはじめると、時間軸から開放される。
それがたった4年間の話だったとしても、開放された空間を楽しむのが学生の特権だ。

当時は、iPodが広く普及した時期だった。誰も彼もが、iPodで音楽を聴いていた。
当時のiPodはいまのiPhoneやAndroidのような通信系のモバイル端末ではなかった。ぼくが持っていたのはiPod Classicで、それは60GBの記憶装置を持つ小さなジューク・ボックスだった。

バーに入りカウンターのマスターにオリーブ入りのドライ・マティーニを注文する。一服しながら空間の隅っこにあるジューク・ボックスをながめる。ジューク・ボックスに近づき、お気に入りのナンバーを探す。
クリームのWhite Room、ディープ・パープルのSmoke on the Water、レッド・ツェッペリンのStairway to Heaven、そしてドアーズのLight My Fire。そんな風に、ぼくらは、喫茶店でマクドナルドで駅のプラットフォームで下北沢の商店街で、どこでもiPodで音楽を聴いていた。

当時、音楽を聴いていない友人がいただろうか。
”NO MUSIC NO LIFE.”
”DIVE INTO MUSIC.”
そんな言葉が、まだいきいきして見えていた。

iPodは音楽の聴き方を変えた。TSUTAYAでCDを借りると60GBの記憶装置にあらゆる音楽を詰め込んだ。
60’s~00’sのロック、ヴィレッジヴァンガードで知ったジャズの名盤、映画の影響で聴きかじってみたストラヴィンスキーやマーラー。
あらゆる音楽の波に呑み込まれて楽しんだ。
不思議なのだけれど、音楽を集中して聴いていると、目の前に音の色をした光が現われたり、音の球体がひだまりの猫のように目の前で遊び飛び跳ねるように見えることがある。
音楽との戯れは、直接的に、ぼくらにフィジカルになにかを見せてくれた。

おそらく、秋だったと思う。大学にはなかなか通わず、多摩川の河原沿いをiPod classicでボブ・ディランを聴きながら、CAMELのタバコを吸って散歩ばかりしていた頃だ。当時は絶望的に未来が見えなかった。単位取得や卒業について考えるのは憂鬱だったし、はじめから関心などなく諦めていた。社会人になることなど考えるのも嫌だった。とにかくいつまでも自由でいたかった。

日が暮れると家に帰り、ウォッカにナツメグを溶かして一口に飲むと、ソファーに横になり乾燥させたアジサイを混ぜたタバコを吸った。当時は、オルダス・ハクスリーやジョン・C・リリーなどの1960年代のヒッピーに傾倒していた。憂鬱な気分もいくらか穏やかになり、あるいは高揚した。

オルダス・ハクスリーの『知覚の扉』。ドアーズ(The Doors)の名前の由来になったエッセイだ。『知覚の扉』というのは、もともとは詩人ウイリアム・ブレイクの一説からの引用による。

“知覚の扉澄みたれば、人の目にものみなすべて永遠の実相を顕わさん”

ずっとむかしから、ものごとの存在や本質を見たいと思っていた。それは、もしかしたら、ぼくが色盲だからということもあるのかもしれない。人と見えているものが違うということに違和感があった。人々のいう常識や法律の授業に出てくる社会通念に強烈な違和を感じていた。
オルダス・ハクスリーの『知覚の扉』はそんな疑問を解くための方法論としてぼくにとってヴィヴィッドなものだった。

『知覚の扉』は、幻覚剤メスカリンをオルダス・ハクスリーが実際に体験した、エッセイであり体験記である。その本には、幻覚剤メスカリンを使用した意識状態でのものごとの見え方、芸術の見え方、人との関係のあり方、存在の仕方が描かれている。

オルダス・ハクスリーは、身体に刺激を与えることで人間固有の認識のフィルターや社会的なバイアスのフィルターを除去し、知覚の拡大をできるのではないかと考えていた。

イマニュエル・カントが『純粋理性批判』でいうように、人間は外部の物自体の存在を知覚しているのではなく、悟性や理性のフィルターを通して認識を行っているとすれば、人は事象そのものを把握することはできない。つまり人は客観には到達しえないし、あらゆる人は主観で語るにすぎない。
そうした状況での常識・社会通念に不信感と欺瞞を感じるのは、どうしても避けられないのではないかと思う。

しかし、もし物理的な刺激により、人間固有の認識のフィルターや社会的なバイアスのフィルターを除去することができるのであれば、本質を体験することができるのではないか。そして、それは理想的な話に思えた。

歴史的に見れば、オルダス・ハクスリーの『知覚の扉』は、1960年代の西海岸のヒッピーやハーバード大学教授だったティモシー・リアリーやジョン・C・リリーが行った運動、LSDによって意識の拡張を追求した社会的ムーブメントに、大きな影響を与えている。
意識の拡張は、個人のあらたな意識への変革と他者への共感を意味する。彼らは、新しい物語として、あらゆる人々の意識の変革を未来の社会の希望としていた。

おそらくぼくはそのパロディを個人的な体験として求めていた、あるいはサイキック・ボルシェヴィキを夢想していたのだろうか。iPodから流れる音楽と共に。

ある日、Pink FloydをBGMに、明かりを消したバスルームでチャンダンのお香を焚きながらウォッカを飲んでいると、不思議なイメージが現れた。目の前あるのは宇宙だった。無であり混沌とした形而上学的な宇宙だった。

あたりを見回すと、その宇宙の中で、人々が回し車の中を歩き続けていた。まるで、車輪の中のハムスターだった。どれだけ歩き続けても決して前進することはない。虚空の上で車輪が回り続けるだけなのだ。それなのに、人々は絶えず歩き続けていた。なぜ人々が歩き続けるのかぼくには理解できなかった。歩き続けても意味などないのに。ぼくは、みんなになぜ歩き続けるのかと尋ねた。誰も答えはしなかった。
ぼくは孤独を感じた。ふと足元を見ると恐怖が沸き起こった。ぼくの足元はなにものの上にも立ってはいなかった。ぼくはどうしようもない気持ちになっていた。

すると太陽が現れた。狂おしいほど眩しい、真っ白な太陽だった。太陽は膨張しはじめた。熱量を大きくしながら、さらに巨大になり続けた。すべては太陽に包まれた。すべては太陽に焼かれていった。
風が吹いた。そのとき、ぼくは生きるとはこういうことなのだと思った。


以前、レズビアンの女の子となかよくなったことがあった。厳格なプロテスタントの家庭で育ち、ミッション系の大学を卒業した法律事務所で働く年上の女の子。ぼくらはよく新宿三丁目の飲屋街で、ふたりで食事をした。仕事を終えた、その後で。
あるとき、彼女は神秘的な体験を経験したという話をしてくれた。愛の神秘体験。彼女にとっての永遠の瞬間は、タイを旅行中にメコン川をボートでくだっている瞬間だったらしい。その濁流の水面が太陽できらめく一瞬を目にして、彼女は愛ということばの意味を理解したと言って笑った。
それから彼女はロサンジェルスへ行くと言った。家族とは絶縁状態だから、もう帰って来ないかもしれないと。彼女はいま、なにをしているだろう?


2018年6月5日、ケイト・スペードが自殺した。
世界的に有名なデザイナーが自殺をしたというニュース。
彼女はこの5年間、鬱病や不安神経症に罹患していたが、麻薬やアルコールへの依存はなかったという。自殺の前夜は、カリフォルニアへの旅行計画の話をしていて楽しそうにしていたという。
自分の名前を冠したブランドで世界中を席巻したデザイナーの死。
それはとても悲しい話のようにぼくには思えた。


つぎに彼女と会ったのは新宿だった。新宿駅構内のビアカフェで彼女と会った。その日、彼女は休日を楽しんでいた。ぼくらはホットドッグをかじり、レバー・ペーストを食べて、ビールを飲んだ。

「お仕事、おつかれさま」

「おつかれさま。今日はなにをしていたの?」

「今日はね、新宿御苑を散歩しながら写真を撮って、バルト9で『レディ・プレイヤー1』を見て、それから紀伊国屋でデザインの本を買って、あとはLUMINEで服を見たりね」

「それは満載だね! 活動的なんだね?」

「休日はとにかく予定を詰め込むタイプなの。とにかく外に出て動かなきゃ」
正直にいって感心してしまう。

「仕事はどう?」

「そうね。最近はなんとなくスランプなのよね。もしかしたら、忙しくしていて、落ちついて考えることができていないのかもしれない。
アパレルのデザイナーって、とにかくなんでもするの。いまのトレンドを追ってコンセプトを考えるような企画会議をしてるだけじゃないの。裁断してくれる工場と交渉をしたり、海外や地方の会社から生地を手配したり、店舗の空間のアレンジメントを考えたり、実際に売り場に出てお客さんと会話をして反応を見たりね。
けれど、忙しいだけじゃないかな。人間関係の調整も大変だもの。商業デザインだから他のデザイナーさんとも共同で仕事をするのだけれどデザイナーにはどうしてもこれはゆずれないっていうような部分がけっこうあるの。だけど、それはうまくいくように折り合いをつけて調和させてやらなきゃならない。あと、年配のデザイナーさんなんかにはかなり性格がきつい人も多かったりするしね。
それに、店舗のスタッフの声からの意見もある。彼らがいちばんお客さんのそばにいるのだから、店舗のスタッフは絶対に無視できない。けど、そう考えていたらどんどん混乱していっちゃうし。とにかく、いろいろ大変」そう言って彼女は笑った。

「藤井さんは、仕事どうだった?」

「どうかな。とりあえず、順調だよ。だって、そんなに複雑なことじゃないもの。
相談を受けて、状況を把握。コンセプトを整理して、課題を明確にする。あとは、現実的に、余裕を持った形でプロジェクトをまとめて、進捗を確認する。目標数字は達成しているか? スケジュールに遅れはないか? それで、きちんと成果を出して、その分だけきちんと報酬をもらって、また次につなげる。合理的でシンプルな話だよ。世界は合理的でシンプル」

「藤井さんからするとなんでもシンプルなのね」と彼女はあきれた。

「わたしにはすべてそんなにシンプルとは思えない」心底というような感じで彼女はつぶやいた。

「わたしにはわたしのことすらよくわからないの。すごい複雑。色々なものがもやもやとしていて、わたしはいつも形を変えている。見る角度によって色々なわたしが存在するの。そういうのってわかる?」

「まだ、わからないかもしれない。でも、これからきっとわかると思うよ」

「わたしのことほんとうに好き?」彼女はたずねた。

「もちろん。インターネットの占いで姓名診断したくらい」

「それは、ちょっとやばいね」彼女は笑った。

「結果はどうだった?」

「相性95%だったよ」

「それはすてき。良い未来が示されている」
ふたりとも笑った。


土曜日の夜はひとりで過ごした。
ひとり暮らしの休日の半分は、ライフスタイルのメンテナンス=洗濯と掃除に費やされる。万が一、川本さんが部屋に来ることを想定して、不要なものは捨てることにした。

部屋の片隅にあるティファニーのペンダント。中国人の女の子とクリスマス・イブにふたりでスキーに行った時に渡そうとしたものだ。あの時は色々とトラブルが重なって、ヘマをして微妙なムードになったうえにぼくがiPhoneをゲレンデに起き忘れて別々の新幹線で帰ったんだ。それでなんとなく上手くいかなくなって‥。だけど、その後で、その子は終電を逃したと言ってうちに泊まりに来たことがあったのだけれど、しかし、まあぼくは意図を解さずにベッドと床に別々に寝て、それからは疎遠に‥‥。彼女からはもうメッセージは届かない。なんとなくだけれど、これは部屋に置いておかないほうが良い気がした。


中国人の女の子。
彼女は、1988年の中国生まれ。ぼくは、1987年の日本生まれ。

彼女とぼくのあいだには、世界観・パースペクティブに大きな差があった。一方で、改革開放と天亜門事件以後の社会主義市場経済とその発展の中で育った彼女には(中国の同世代の彼ら・彼女らには)明るい未来が見えていた。
他方で、1987年の日本生まれのぼくらは、バブル崩壊、オウム事件、失われた20年の中を生き、リーマン・ショックや年越し派遣村の報道を見て就職活動を行い、社会人になると東日本大震災や福島第一原子力発電所事故を見てきた。

それは見えるものは異なるだろう。とはいえ、個人的な関係は、文化・制度・国家を超えたところにある。はじめは好奇心から、つぎは違いを意識ながら、次第に共感を抱くようになった。

「日本文化が好きなの。大学では日本語を専攻していて『NARUTO』とか『ONE PIECE』を見て日本文化を勉強した。日本の風景はきれい。京都とか鎌倉とか、北海道もナイス。あとは、スキーとかゴルフが好きだからね。知らないと思うけど、日本は世界一スキー場の数が多くて、世界で二番目にゴルフ場の数が多いの。最高よ」

山東省の生まれ。上海の大学に進学して、大学院から日本の大学に留学。それからはずっと日本に住んでいる。
そう彼女は言っていた。

「中国ってほんとうに人の数が多いの。もう人波の洪水って感じ。だって、13億8,000万人だもの。ほとんど14億。だけどね、それだけの数の人波にもまれて流されていると、もうほんとうの自分がなんなのかわからなくちゃうの。自分を見失っちゃうの。それで、ほんとうに自分の好きなものはなんだろうって考えて日本に来たの。冒険ね。それで、いまは日本の中でマイノリティとして生きてる」

「ぼくもマイノリティだよ。いままで、ひとりも似てると思える人に会ったことないもの」

「男の人ってすぐそう言うのよね。藤井さんはふつうだよ。大丈夫、すごくふつう」と彼女は笑った。

「結局ね、マジョリティかマイノリティかという問いは二項対立でしょ? それは集合論の問題なの。切り方によっては、全員がマジョリティだし、全員がマイノリティなのよ。ほんとうはね。

わたしはね、中国と日本の架け橋になりたいの。2017年で日中国交正常化45周年。2018年は日中平和友好条約締結40周年なのよ」


部屋の掃除を終えると意外にもそれほど捨てるべきものはなかった。本棚に収まりきらずに床に重ねられている本がいくつかあったが、これは仕方がない。
ハンガーラックにはUNIQLOの服、本棚には紙の本、それにラジカセ、ベッド、電子レンジ、冷蔵庫、洗濯機。あらためて、部屋にあるものを眺めるとそれくらいだった。やっぱり世界はシンプルじゃないか。

iPhoneのイヤホン・ジャックにケーブルを挿して、ラジカセのInputにつなげる。SONYのCF-1980Ⅱ。LINE INをONにして、LOUDNESSもONに。
NIRVANAの『Smells Like Teen Spirit』は剥き出しの音という感じがした。

彼女はどんな気持ちでこの音楽を聴いているのだろう。
うまくチューニングしてイメージを想像できなかった。
むずかしい。

しばらく聴いてからBill Evansに切り替えた。さすがに、もうNIRVANAを聴く年齢ではなかった。”Don’t trust over thirty.”なんて言えたものじゃない。
なんていうのか、30歳を迎えたときに大きな感慨やショックなんて全然なかった。
だけど、20歳になったときはとてもショックだった。ティーン・エイジャでなくなること、ダメな大人や汚い社会の仲間入りをしてしまうということに吐き気がしていた。
20歳の冬、憂鬱な気持ちで雪の降る街を歩いていた。Paul Smithのコートで身を包んで、iPod classicが奏でるBill Evansの『B Minor Waltz』を聴きながら。くわえタバコに両手はポケットに突っ込んで身を縮めながら、それでもなにかに震えていた。その目に景色は映らない。当時は、ほんとうに死にたい気分だった。


アルコールが飲みたくなった。
部屋にはなにもなかった。コンビニに買いに行こう。最寄りの千駄ヶ谷のミニストップに行き、ジム・ビーム・ハイボールの缶を3つカゴに入れてレジに並んだ。それから、フライドポテトも買った。
店の前のベンチに座り、ジム・ビーム・ハイボールを飲みながら、フライドポテトを食べた。ベンチには他に誰もいなかった。ぼくはなにも考えず、明治通りと交差する目の前の414号の車の流れをながめていた。まるで海岸の波の音のような、414号沿いの高速道路を走り去る車の音を聞きながら。高速道路の向こう側にはドコモタワーがあって、それから共産党本部の赤旗が風に揺れているはずだけれど見えなかった。もしかしたら、存在しないのかもしれない。白人の男性が歩いてくるのが見えた。彼は一度コンビニに入るとすぐに出てきて、ベンチのぼくのとなりに座った。

しばらくして、ぼくはなんとなく視線を感じた。右をふり向くと彼がこちらを見つめていた。目が合うと彼は微笑んだ。ぼくも微笑み返した。ぼくはiPhoneを取り出して、なんとなくTwitterのタイムラインを眺めていた。

ふと、白人の彼に話しかけられた。
「ねえ、きみは歳はいくつ?」

「ぼく? 30歳。旅行中?」と、ぼくは返した。

「旅行中? いや違う。日本に住んでいる」と彼は答えた。

「きみは結婚してる?」そう彼は聞いた。

ぼくは笑いながら「結婚してない」と答えた。
すこし緊張した空気が流れた。なんだろう。
彼はすこし照れながら言った。
「これから一緒に寝ませんか?」

「ごめん。彼女がいるんだ」とぼくは答えた。

「OK. All right.」と彼は言った。

すこし考えて、ぼくはビニール袋からジム・ビーム・ハイボールの缶を取り出し、彼に差し出した。
彼は微笑んで「ありがとう」と言って、受け取った。そしてプルタブを開け、飲んだ。ぼくはハイ・ボールを一缶飲み終わると、席を立って彼に「おやすみ」と言った。彼も微笑んで「おやすみ」と言った。


2018年6月9日夜、神奈川県内を走行中の東海道新幹線内で乗客の男女3人が男に刃物で殺傷された事件で、殺人未遂容疑で現行犯逮捕された自称愛知県岡崎市の無職、小島一朗容疑者が逮捕された。
調べに対し、小島容疑者は「誰でもよかった。むしゃくしゃしてやった」などと供述していて、警察は動機などをくわしく調べる方針。

2001年6月8日に8人の死者を出した「大阪池田小事件」から17年、2008年6月8日に7人の被害者を出した「秋葉原事件」から10年を迎えたというニュースが大きく報道された直後にこのような事件があったことから、それらニュースを見たことによる模倣犯だったのではないかとも指摘されている。

小島容疑者は自閉症と診断され、昨年2~3月には岡崎市内の病院に入院していた。自宅ではいつも2階の部屋に引きこもってパソコンを触っていた。「自分は価値のない人間だ。自由に生きたい。それが許されないのなら死にたい」などと話していた。一部報道によると、小島容疑者の部屋にはドストエフスキーの『罪と罰』やハイデガーの『存在と時間』があったとされ、生きることに対する悩みと社会に対する深い苛立ちがあったのではないかと分析されている。


『今度、実際に会って飲みませんか?』

突然の誘い。
Twitterにダイレクト・メッセージが届いていた。それは、普段からTwitterで相互フォローしている青年からの誘いだった。彼とぼくと、共通のフォロワーであるもうひとりの青年との3人で飲もうという誘いだった。それまで、ぼくはインターネットで知らない人に会うなんてしたことはなかった。けれども、彼らとぼくは哲学や文学のなど共通のジャンルに興味があることはよく理解っていた。それで、なんとなく会ってみたいと感じた。金曜日の夜、ぼくらは新宿で飲むことにした。

彼らはふたりともエンジニアで、それぞれ四谷と国分寺に住んでいた。

「俺たちには共通点がある。都内在住、IT周辺で仕事をしていて、在野でなにやら個人的にカウンター的な哲学的な活動をしている。俺はね、これから軽トラックで北海道から沖縄まで旅をしてね、沖縄で安い土地を買って、小屋を作って住もうと思っているんだ。ほんとうの生きた思想を見つけようと思ってね」クラシックなヒッピーらしい国分寺の青年はそう言って笑った。

四谷の青年は、対象的に、あからさまにアーバンなシティ・ボーイだった。Mr.POPEYE。彼は、深夜の都心を徘徊しながらRICHO GRⅡで写真を撮影していると言った。

「僕らがふだん想像している世界は、世界の一つの側面に過ぎないんですよ。日常の中には色々な側面があって、僕らは気づいていないだけで、様々な美しさを持っている。僕はそれを切り取ってサンプリングしているんです」と彼は言った。

Twitterを通してではなく実際に出会って、すぐにぼくらは意気投合した。
「どうして旅にに出るんだい?」クラシック・ヒッピーの青年にぼくはたずねた。

「正直言ってね、もう、顧客先に常駐の契約社員のエンジニアなんてうんざりなんだ。たしかに、年収は意外に悪くはないよ。けどね、金銭的に安定した生活をしたいからって、社会のヒエラルキーの中で決められたルールやしがらみやに束縛されて生きるのには、もう俺にはうんざりなんだ。わかるだろ?
俺たちは、たぶんマイノリティなんだ。それはわかっている。DNAはランダムに進化を試していて、そのシステムの中で、俺はオルタナティブ枠を担当することになってしまったんだなってそんなような自覚はある。メインストリームの側から俺たちを診断してみたら、非常時には役に立つけど、基本的には反社会性なんたらみたいな病理かもしれない。
とにかくね、俺たちには俺たちのスタイルが大事なんだよ。それぞれが、それぞれのスタイルを確立することがね。それができたら、俺たちマイノリティは、はじめてマルチチュードな連帯ができるんじゃないかってね」

「そうですよ。僕らにはぼくらのスタイルが大事なんです。単に、多様な相対主義ってわけじゃない。そんなんじゃ、ドナルド・トランプみたいなポスト・トゥルースな力やナショナリズムに飲み込まれてお終いです。トランプはある意味天才ですよ。白人であることだけしかアイデンティティのない白人の弱者に対して優越感を持てるような物語を与えて強大な力を手に入れた。だけど、僕らはそっちに行っちゃいけない。マスの力に飲み込まれるなんてツラいだけです。飲み込まれて、個性を殺しちゃいけない。僕らは、ひとりひとりのライフ・スタイルにそれぞれが自分らしい物語を与えることが大事なんですよ」

「ふたりとも冴えている!」

「藤井さんだってそうでしょ? TwitterとかBlog見ていますよ。良いこと書いてある。あのコンセプトかっこいいですよ。作者のところに匿名的な幾何学的なアイコンがあって、自己紹介のところに“シミュラークルになりたい”って」
ぼくは笑いながら言い訳をした。

「インターネット上におけるストリート・アートやグラフィティみたいなことがしたいんだよ。キース・ヘリングと誕生日が一緒なんだ。次の日だったらカール・マルクスと一緒だったんだけどね。
とにかく、テクストを書いて、インターネットや情報空間でシミュラークルとして氾濫したいみたいなこと考えるんだよ。射精して、遺伝子のコードで女性を汚してしまうように、検索エンジンにテクストを散種して汚したい。そして、世界中に、四半世紀先の彼方に語りかけてみたい、みたいにね」

「結構、特殊な性癖ですよ」

「結構、特殊かもしれない。ぼくらは、みんな特殊」
三人とも思わず笑った。

「藤井さん、けど、なんで匿名が良いんですか? 承認とかアイデンティティとかは?」

「アイデンティティ? むずかしい。考えたことないんだ。アイデンティティとか考えなくても、はじめからぼくのコギトは存在しているし」

「ほら、悩みとかこうなりたいとか、コンプレックスとかないんですか?」

「むかしから虫歯が多いとかかな。あまりわからないんだ。ないのかも」

「前提条件なんですけど、悩みと哲学ってセットですよ」四谷のシティ・ボーイの彼は言った。

「普通に、そう」国分寺のクラシック・ヒッピーの彼もそう言った。

「そうなんだ。ちょっと想定外だった。というか、哲学って健康的な発想だと思っていたというか‥。ニーチェとかサルトルとか、なんだろう。永劫回帰とか超人とかって、健康的じゃない?」

「特殊だよ、特殊。みんなが超人になれるわけじゃない。みんな色々抱えて、むしろ、悩んだり満たされなくて、みんな承認を求めて生きているんだと思うよ。それで、もがきながら思想書とか古典を読んで、その中に自分にとっての真実がないかっていうのを探すんだと思うよ。多くの人にとって哲学とか文学っていうのはそういうものだよ」

「当然ですよ。それに、承認欲求だって全否定できるものでもない。もし、承認欲求がなければ、愛なんてはじまらないんじゃないかな? 愛のプロセス自体が。
もし、他者の承認なしで、自分だけで楽しめるのなら、それはそれで良いかもしれないけど、どこか心の中で修復不可能な問題が起きそうな気がする。たとえばそれは、ウロボロスの蛇みたいに自分で自分を飲み込むような破壊的な衝動だとか」

「むずかしい問題だ」ぼくは言った。
「むずかしい」四谷のシティ・ボーイの彼は言った。
「むずかしい」国分寺のクラシック・ヒッピーの彼もそう言った。

「彼女いる?」ぼくはたずねた?
「いまはいない」みんなそう答えた。

「そういえば、このあいだナンパ塾というのに行ってみたんです」Mr.POPEYEがそう言った。

「もちろん、本気じゃないですよ。知り合いに誘われて。誘ってくれた彼、MBAも持っているし独立して中国とかシンガポールとかマレーシアとかアジアを飛び回ってビジネスをしている人で、すごくアクティブな人だから面白いかもしれないって思って、ついていったんです。Tinderって知っていますか?」

聞いたことのない固有名だった。ぼくらはふたりとも知らないと答えた。

「スマートフォンの出会い系のアプリなんですけど、異性の写真が表示されて、それを指でシュッとスワイプして〈いいね〉をしていくんです。それで、お互いに〈いいね〉を押したらマッチング成立。連絡を取り合うらしいんです。
そのナンパ塾では、恋愛工学みたいなものを教えていて、要するに確率の問題。ひとつは、ひたすら、出会いの数を増やす。だから写真なんか見て迷っちゃだめだって。とにかく、スワイプ・スワイプ・スワイプ。それでマッチする確率を高める。
もうひとつは大事なのは知り合ってから、心理的なラポール、信頼感とか安心感を掴むまでのテクニックの問題だって教えているんです。だから、神経言語プログラミングとかコールドリーディングとか心理学を応用して、工学的に解決しようって」

「それ、どうなんだろう」ぼくは思わず笑った。

「けど、クレバーなやり方ではある」クラシック・ヒッピーは言った。

「そうなんです。クレバーではあるんです。たしかに、賢く考えたらエンジニアリングでいけは良いんです。でもね、その会場を見回したら、なんていうのかな、みんな目の奥が濁っているような感じで、それで講師の話を聞いて、確率論と心理学に夢中になって熱中しているんです。それで、僕はなんかもういいかなって、受講料1万2千円払っちゃったけど、途中で帰っちゃいました」

「ちゃんと最後まで受講してればね、いまごろは女の子と食事をしていたよ」とぼくは笑った。

「なんでもかんでも統計処理とエンジニアリングなんてうんざりさ。AIなんかで計算してすべてが解決するもんじゃない。もちろん、エンジニアリングをバカにしているわけじゃない。俺だってエンジニアだからね。だから、エンジニアリングでいけるところまではエンジニアリングでいけば良いと思っている。だけどね、人間はエンジニアリングの対象だとは思えないな」

「AIに愛を語らせるつもりはないって話だね?」
みんな笑わなかった。

「愛の問題はむずかしい。とりあえず、アルコールをまた頼もう」
ハイボールとレモン・サワーを追加した。

「けどさ、どうしてこうなっちゃったのかな。以前は、Appleが”Think Different”って言って、Googleは” Don’t Be Evil(邪悪になるな)”って言って、ちょっと違うやばい奴らがクールなことをしているって感覚があったじゃないか? もっと前は、リチャード・ストールマンのフリーソフトウェア運動とかGNUプロジェクトとか、ハッカー文化とか。なんだか、そういう理念は忘れ去られて、技術とか方法だけが目的化されちゃってさ」

「そうだね。19世紀に、マルクスが『資本論』を書いて革命を夢見たじゃない? エンゲルスと一緒に。 20世紀になって、ロシア革命があって、ユートピア建設を目指してプロジェクトを進めた。だけど、科学的とか歴史法則とかいって無理やり進めてソビエト連邦はおかしくなるし、60年代・70年代の学生は『資本論』をシンボルにして、暴れておかしくなっちゃった。それと同じなんじゃないかな。
スティーブ・ジョブズはスティーブ・ウォズニアックとふたりでガレージでMacを作った。IBMとかシステムに反抗してね。だけど、彼も偶像化されて、iMacと林檎のマークはシンボルになって、若者もえらい大人もみんな理念を忘れて小手先でテクノロジーを使い回して騒ぎまくっている。そうやって『すばらしい新世界』を創ろうとしているんだからね。きっと、なにも変わらないよ。ファルス!」

結局ぼくらは終電近くまで話し続けた。

クラシック・ヒッピーの彼は二週間後に旅に出ると言った。
まずは北海道、南下して全国をまわってから沖縄へ。
また、東京まで南下してきたら飲もうと、三人で約束した。

「おやすみ。それじゃ、また」

新宿駅の南口でぼくらは別れた。


それから、また一週間が過ぎた。大人になってからの一週間なんてあっという間だ。ほとんど2・3日くらいの感覚で一週間なんて過ぎていく。川本さんの記憶は、もう夢のように思えた。日常の感覚があっという間に戻ってくる。
シェア・オフィスの女の子の視線はまだ痛い感じがする。根本的にデリカシーの問題が疑われている。それは確かに認めるしかない。


週末の夜は、大学時代からの友人たちと飲んだ。
彼らと会うのはだいたい渋谷だ。学生の頃はよく渋谷に来た。HMV、TOWER RECORD、ディスク・ユニオンを巡り、宝探しのように中古のCDやレコードを掘り当てていた。それから、すこし原宿方面に歩いて古着屋を巡り歩いて、あれも宝探しのようだった。あとは、なにかがありそうな期待感からCLUBに行って、でも結局、そんなところに出会いなんてぼくらにはなにもなくて、夜明けまで飲んで過ごして、目に刺さるような朝焼けの太陽を見ながらぼくらは始発の井の頭線に乗ったんだ。

結局、ぼくらが〈渋谷〉に求めているのはなんなのだろう。
ショップの店先で流れるサウンド、流行のマジックナンバー、街角に溢れるシーン、アルコールで漂う中飛び込んでくる電飾、深夜の交差点を行き交う人波、誰かのクラクション。

「また会おう、それじゃ」
「すこし歩こうか」
「もう一軒、飲み直そうよ」

人波の中で聞こえてくる、そんな会話の断片。

渋谷も、もう若者の街ではないかもしれない。
ストリートはInstagramに、古着屋やファッションはメルカリやZOZOTOWNに、レコード屋はYouTubeやApple MusicやSpotifyに取って代わられてしまった。
もちろん、ぼくらももう若者じゃない。この10年のあいだに、政権だって二回も変わった。

だけど、それがどうしたって言うんだ?
時代が変わったってなにも変わらないじゃないか。時と共に、人間も変わるものだろうか? すくなくとも、ぼくは、人間はそんなに変わるものじゃないという立場を取るし、そんな変わらない人間を大事に思いたい。変わらずに人間の心の奥にある柔らかいところを愛しているから。それから、もしも、そんな風に考える人と人が出会い理解し合うことができたならば、と。


「最近は、なにを聴いているの?」
出版業界から広告代理店に転職した友人にたずねた。
彼はいまでもディスク・ユニオンに通ってレコードを発掘していた。Mr.digg。

「レコードはもう古いのばかり聴いているよ。ファラオ・サンダースとか、アフリカン・ファンクとか。最近のものは、そうだな、カニエ・ウェストの新譜とか。あとは、すこし前だけどコーチェラ・フェスのビヨンセ観た?」

「観てないな。今度、観てみるよ」とぼくは言った。

「だけどね、最近の新譜はけっこう良いんだよ。音楽業界って1999年に売り上げがピークになって、それ以降、売り上げが落ちているんだよ。これは国内のデータだけどね。世界的に見たら、1999年というのは、Napsterが登場した年でもある。その後、2005~2007年のあいだにYouTubeが登場してさ。ちょっと違うけれど、『ラジオ・スターの悲劇』みたいな話だよね。ちなみに、2003年にMySpaceがはじまって、2006年にはmixiミュージックが開始した」

「mixiミュージック。あれ、良かったよね。みんなで、あいつはなにを聴いてるんだろう? このアルバム知らないぞ! やばい! 聴かなくちゃ! みたいにね」

「そうだった」と言ってぼくらは笑った。

「けどさ、音楽業界の失速とか再編が原因で、それで音楽活動やめちゃった人も多いんじゃないかな。残念だけど。
けど、考えてみたらほんとうに音楽をやりたい人たちはもう手元の楽器とiMacなんかでDIY的に作っちゃってYouTubeなんかで流通できるんだよね。TofubeatsとかDAOKOも最初はインターネットで活動して出てきたもの。
だけど、もっと大きいのはほんとうに音楽が好きな人は、結局、音楽業界に残ったってことだね。最近の若いバンド、ceroとかSuchmosなんか、かっこ良いものね」

「だからさ、俺はこれからも音楽というカルチャーの未来については、楽観的なんだ。ずっと、いい音楽聞き続けられるかもね」
そう彼は笑った。

「転職して、仕事はどうだい?」

「同じように言葉を売るのでも全然違うよ」と彼はうんざりした顔をして言った。

「けど、まあ仕事だからね。俺、結婚することにしたんだ。婚約したんだ」

「おめでとう! そうか。じゃあ、今日はぼくのおごりだ。高いのをたくさん頼んで良いよ」

「ありがとう」と彼は笑った。

「同棲もう何年だっけ?」

「3年と半年。そういや、すこし前、年末に妹がデキ婚して子供を産んだんだ。その時は、ずいぶん偶然性に身を任せて冒険するなと思ったんだけどね。
だけど、先月彼女が入院したんだ。全然そんなにたいした病気じゃなかったんだけど、手術することになって、それで彼女1週間くらい入院することになってさ。見舞いに行ってね。病室に入ったら彼女は眠っていたんだ。カーテンを空けて彼女の寝顔を覗き込んだらさ、なんだか、たまらなくなって。それで、彼女が退院してから、結婚しようってプロポーズして婚約したってわけだ。エンゲージリングは、それなりに高かったよ。大変だ」彼は笑った。

「すばらしいね! うらやましいな」

「けどね、やっぱり冒険とか賭けみたいなところはあるな。彼女がほんとうはなにを考えているのかなんてわからないもの。不安はある。けど、まあ、前進する価値はある」

「ちゃんと大人の階段を登っているね」とぼくは言った。

「大人だからね」と彼は微笑んだ。

「そういえば、このあいだ言っていた女の子とどうだった? 川本さんだっけ?」

「夢かと思うくらい最高だった。でも、終わってしまった」

「けど、一瞬の夢でもすてきな出会いだったんだろ?」

「ほんとうにそう思うよ。正直に言ってね、彼女に出会ってぼくは興奮して感動してしまった。それは、ぼくのコギトを超えて現象学的な世界を共有できると実感できる人にはじめて出会えたということだよ。はじめて世界が実際に存在すると実感できた。だって、一瞬だけでも同じ世界を見ていると感じることのできる人が存在していたんだからね。誤解だったのかもしれない。だけど、その一瞬で、彼女の存在そのものが、彼女が存在してくれているということがすごくうれしくて、なんていうんだろう、ほんとうの安心みたいなものを感じられたんだ。彼女のおかげで、無意味な世界に意味が作り出されたという感じがあった」

「永遠の一瞬だった?」

「そう。永遠と思えるような、夢みたいな一瞬だった」

「ねえ、どうして人を傷つけてしまうんだろうね?」

「まあ、俺たちは知らず知らずのうちに人を傷つけてしまうタイプだからね。
たぶん、傷ついたことがないからだろうな。俺たちは空っぽだから」

「そうかもしれない」

「優しくなれるように努力するしかない」

「うん」

「それで、彼女とはもう終わり?」

「たぶん、そうだと思う。だけど、もしかしたら、夢で会えるかもしれない」

「うん。きみらしいよ」

それから、と考えながらぼくは言った。
「小説を書いてみようと思うんだ」


あれからひと月になる。
もう、夏だ。

中国人の女の子からメッセージが届いた。

2018年4月期 ドラマ評(概観)

4月期ドラマも半分ほどが初回を迎えたのでざっと総評。
全体的に少し低調のような気がしてしまうが、期待したい。

『コンフィデンスマンJP』

連ドラは3年ぶりの古沢良太の脚本。昨今恐らく誰も引き受けたがらない月9枠は、前作『デート』と同枠。
古沢は前作からの3年の間に映画の脚本を何本か書いていて、その影響が色濃く出ている。

ただ、古沢の特徴であるキャラ造形や膨大な台詞量に魅力を感じる一方、特に連ドラで描くべき作品なのかという疑問が残る。制作陣から取り敢えず何でもいいので月9で書いて下さいと丸投げされ、それをこなしているように感じてしまう。

第2話を通して
初回の暴走する展開にがっかりしたが、今回は良かった。
初回では昨今の映画での古沢脚本との近接性を感じたが、2話でようやく『リーガル・ハイ』のリブートをおこなうという狙いに気づいた。
『リーガル・ハイ』は12年と13年の連ドラなので、あれから5年か。

『リーガル・ハイ』は悪人や悪事に対して、人間的には変態ではあるものの司法という公的な武器で対峙する辛うじて「正義」が存在する物語だった。一方、本作の主人公は詐欺師。つまり「法律」や「正義」が悪に対する武器として機能しなくなり、それに代替されるのが詐欺師が武器に使う「感情」。

本質的で真っ向から正論をかまし敵を論破する古御門と、“らしさ”や“空気”を演出し敵の感情に付け込みぎゃふんと言わせる本作の3人。時代観がしっかり反映されている。それに加えて、後ろめたさから任務を完遂できないボクちゃんの感情に流されるキャラクター造形や、今回の吉瀬美智子演じるヒール役のワンマンで新しい事を目論む人間に対する日本的な寛容のなさへの皮肉など、物語の軽いタッチとは裏腹にしっかりと描くべき現代的なテーマが見てとれた。これが続いていくとは限らないが、2話でだけみれば古沢脚本の良さが十分伝わる内容だった。

『正義のセ』

個人的に『タラレバ娘』がなぜあれだけ評価されたかイマイチ理解できない身としては、同じ制作陣と主演の吉高由里子での本作に魅力を感じない。1話を見た限りではお仕事ものとしての話の筋や画面の装飾などの演出も中途半端。あと、職場に女性が主人公の吉高一人なのはどうかと思う。

『あなたには帰る家がある』

これも良くある頑張れお母さんもので、そこに不倫とサイコパスキャラを入れアクセントにしましたというお世辞にも褒められない設定。最終的に中谷美紀が理想とする家族が再生されれば良いのだろうか。テーマが散漫になってしまっていてメッセージが伝わりにくい。

『Missデビル』

平穏な世界にノイズを差し込み価値観に根本から揺さぶりをかけるというのはまさに遊川和彦の手法で、その二番煎じのような作品。過去の成功体験から視聴者を繋ぎ止めるフックとしてこのような設定を利用するのは悪くないが、毎度同じような展開で続けていては最後まで持たないだろう。

『いつまでも白い羽根』

大きく括るとお仕事ものだが、主人公がその職業に夢や希望を抱かず単につぶしだと割り切っている点が今っぽい。そこに周囲の人間の問題が組み込まれる点も評価できる。ただ、基本淡々とした展開で物語が進む中、主人公が初回から2度同じ流れでキレた点に単純な型の予感を抱いた

『宮本から君へ』

まだ初回しか見てないけど、素晴らしい。
原作の評判は様々なところで聞くが、未読。池松壮亮演じる宮本のエネルギーがとにかく明るい。明るいんだけど暗い。このアンビバレントを真利子哲也が確信犯的についてくるんだから、間違いようもない。

原作の予備知識がないのでオープニングでベタ過ぎるみやじの声が聞こえ池松壮亮のあの何とも言えない表情のアップを見せられると、もう最高だろうとなってしまう。ヒロインの華村あすかもドラマの出演がほぼ初めてみたいだが存在感があるし、三浦透子にも『素敵な…』を見たばかりでドキッとさせられた

『シグナル』

初回だけでみれば明らかに一番良くできていた。
韓国で大ヒットしたドラマのリメイクで、原作が安定しているのが大きい。設定を説明するような台詞をことごとく省く尾崎将也の脚本も良い。お決まりの警察内部の闇という流れにならず、時空を超えた心情と事件をしっかり結びつけてほしい。

『未解決の女』

初回を見る。大森美香の久々民放作品がテレ朝というのに不安があったが、その不安が見事に的中。
演出が『ケイゾク』『SPEC』と酷似し、主題歌の使い方も『アンナチュラル』の成功の模倣。
そもそも、挑戦的なドラマを悉く避け数字だけを追い求めるテレ朝ドラマに大森美香は勿体なさ過ぎる

きちんとした原作もあり重厚感のある1話完結の刑事もの(謎解き)をやりたいのであれば、今までやってきたように専用の作家を使えばいいのにと思う。
この作品で大森美香が描く書き言葉というのは彼女の作品史的にはとても重要なテーマなのに、それがボヤけまくっている。

もう少し辛抱してみようと思うが、波瑠含め登場人物も全くぱっとしないし、見所が見つからない。
大森脚本のオリジナリティはNHKに戻ったときの楽しみとしたい。

映画『きみへの距離、1万キロ』/『さよなら、僕のマンハッタン』を観る。

昨日『きみへの距離、1万キロ』と『さよなら、僕のマンハッタン』を見てきた。
どちらも90分前後でコンパクトにまとまった良作だった。

『きみへの距離、1万キロ』

随所にコンプライアンスやプライバシーにおいてアウトだろうという点があったけど、設定上ということもあるが極端に少ない台詞の中に「誰かの脅威がビジネスになる」とか「運命の人は一人じゃなくていい」など、輝くものがあった。

本作は特にラストシーンの重複が意図的としか思えないほど『君の名は。』的で、つまりネットが普及し誰といつどこでも瞬時につながれる時代に“すれ違いの恋”というシチュエーションを作れるかというのが創作の原点にある。

とはいえ、『君の名は。』はアニメということもあり時間をズラすというファンタジーでシチュエーションを作ったが、本作は現実で起こり得る可能性を担保しつつ、それを限界まで狭めたという設定。
石油パイプライン監視・ロボット遠隔操作・アメリカと北アフリカ・国境を越えるなど、現代的な切り取り方も良かった。

『さよなら、僕のマンハッタン』

『さよなら、僕のマンハッタン』良かった。
僕は去年の年べス10位に『ギフテッド』を入れいて、あれはとても良かったんだけど、どこかでマーク・ウェブが家族のことをここまでストレートに描くのかという勝手な疎外感というのがあった。

だからこそ、本作での作品のルックというか青年の佇まいとNYの街並みや冒頭のルー・リードの話やBGMなどで、これは『(500)日のサマー』のような作品がもう一度見られるのかという期待が膨らんでいった。
中盤からラスト前までにかけては記号的な言葉遊びをしているかのような台詞の言い回しや、話しの筋を見失ってしまいそうほどの主人公の迷走ぶりと舞台のNYという街の包容力や主人公(一人称)感に拍車が掛かっていくんだけど、最後にびっくりするくらいまともなオチがついてくる。
そのオチを噛みしめながら綺麗にまとまった物語を反芻できるようになっている。いい脚本だった。

ただ、それは全く『(500)日のサマー』的な形をしてなくて、むしろ極めて『ギフテッド』的な物語に落ち着いたというあたり、マーク・ウェブが家族を描く作家になったと言われるような決定的な作品だったのかなと思う。

映画『心と体と』を観る。

『心と体と』
孤独に生きる女と人生を諦めた男。
二人を結びつけたのは鹿の夢。幻想と現実が交錯する愛の物語。
<STORY>
ハンガリー、ブダペスト郊外の食肉処理場。代理職員として働くマーリアはコミュニケーションが苦手で職場になじめない。
片手が不自由な上司のエンドレは彼女を気に掛けるが、うまく噛み合わず…。
そんな不器用な二人が急接近するきっかけは「同じ夢を見た」ことだった。
恋からはほど遠い孤独な男女の少し不思議で刺激的なラブストーリー。

映画『心と体と』を観た。
今年の暫定トップ5に入るくらい心が動かされた。
この映画は実は幾つもの対比から出来ていて、まず一番分かりやすいのが夢と現実。
それから、気配や空気という観念的なものと生々しいまでの現実。
撮影も人の視点で捉えた手持ちの映像と固定で無機的な映像。後は赤と白の色など。

全ての要素が観念と現実で大別されていて、最後にそれが不穏な空気と共に重なりあってしまう。
この一貫した構造だけでも素晴らしいのに、冒頭のシーンのマーリアが日向に出たつま先だけを陰に向かって引くシーンや男女のシーンでの目線の追い方や切り方を繊細に捉えるシーンなど美しくて仕方なかった。

本作は恋愛映画なんだけど、恋愛の特に “奥ゆかしさ”が随所に詰まっている。
マーリアの不器用さとエンドレの弱さや狡さが幾つもの恋の気配を醸造しては消しという繰り返す。
ラスト近くのバスタブのシーンは正直目を背けたくなるような痛々しさで、しかしそれが最高の美しさを湛えてしまっている。

冷静に考えるとエンドレはカウンセラーの胸をガン見した後に悪びれる様子もなく平謝りしたり、無実の部下を勝手なイメージで悪人と決めつけたり、同僚との関係をあっさり切ったり、自身の恋に保険を掛けまくったり、体の関係を求めた女をすぐ帰らせようとしたりと、かなりのグズ野郎。

にも関わらすこの恋が美しいのは、ひとえにマーリアの純真さと二人が同じ夢を共有していたという神秘的なシチュエーションがあったから。
そして、神秘的な人間と現実的な人間が「現実側」で交わってしまったラストが不穏な空気で描かれたことこそが監督の真に伝えたかったことなのだろう。

映画『レディ・プレイヤー1』を観る。

この作品は「私小説」ならぬ「私映画」だ。スピルバーグとハリデーの、大きな大きな「私」の物語だ。

VRが文字通りもう一つの現実と化した未来でありながら、この世界を彩るのは特定の年代の特定のカルチャーばかり。
オアシスの世界は言わば一冊の自伝で、それを読み解くプレイヤーは、この『レディ・プレイヤー1』を読み解こうとする観客と重なる。丹念に読み、行間に隠されたヒントを拾う。主人公のハリデーオタっぷりはテクストを精読する研究者のよう。

この映画を観て感じるのは、小さく、狭い方向に向かう力が大きなものを生み出しているということ。
世界と上手く繋がれなかったオタク少年がもう一つの世界を創造し、作り手の私的な記憶が多くの観客の記憶と結びつく。
「私」という小さな人称にとてつもない広さがある。

「私」への埋没こそが世界を創造し、つながりをもたらすということ。

あるいは、オアシスは仮想現実というよりも、むしろ「もう一つの」現実と呼んだ方がしっくりくる。
あちらも現実、だがこちらも現実。どちらか片方が本物なのではなく。

それは、ある意味では世界の多元的存在構造を示すこと、僕らが「いまここ」で見ているのはひとつのゲシュタルトひとつの現実に過ぎないと言うことを明らかにするものでもある。
ひとつのゲシュタルトを構成するものこそが現実なのだ。

映像について特筆すれば、CGはあくまで手段の一つで、それを使ってどう見せるかということこそが表現なんだということがよくわかった。
レースの場面である裏技を使った主人公の視点からの世界の見え方が、ちょっと信じられないくらい気持ち良かった。

「人生は歩きまわる影法師、あわれな役者」~DNA-偶然性-運命論-自由~

映画『ちはやふる -結び-』を観る。

『ちはやふる 結び』瑞沢の三年間と真島太一の成長物語に最高の決着を付けた完結編。
超絶技巧で描かれるかるたの格好良さ。名人の言葉と、もがき続けた先の太一の姿に胸が熱くなる。
青春という「一瞬」から継承という「永遠」へ、部活映画の枠を越えたスケールの着地に心が震えた。

『上の句』で「青春全部懸けたってあいつには敵わない」と言っていた太一は『結び』で「原田先生や周防さんが懸けているものは、青春どころか(人生すべて)」だと気付く。
太一とともにこの作品の視野も、高校三年間から人生そのもの、そしてそれすら包み込む大きな時間へ開けていく。

千年前の思いを百人一首が今に伝える、というモチーフは『上の句』からあったけど、『結び』では今を未来へ伝えるという視点が加わった。
自分の強さを周囲へ分け与えること、先輩から後輩へ部の記憶を伝えていくこと。

千早が後輩二人に「素敵なことが始まったと思った」と言ったのは、自分たちがいなくなった後にも残るものができて、かるた部で過ごした時間が、奏の言う「千年先に残る歌」になったと感じたからではないか。

『結び』に強く感動させられるのは、この作品が時を越えることについて語っているからだと思う。
部活の伝統や青春を扱っているけど、そこからもっと普遍的なものへと拡がっている。
千年前から今この時へ、今この時から千年後へ。

歌の内容が物語に深く関わってくるのだけど、本来の意味を尊重しつつ登場人物なりの解釈が加わっているのが面白い。(「今の私には「ちは」しか見えない」とか、「「しの」を獲るのは私や」とか)。競技かるたという存在が歌に新しい命を与えている。

「私達はどんな歌を千年先に残せるんでしょうね」
「この歌が千年の時を越えて今に残ったように、私達には一瞬を永遠に留める力が確かにある」
奏と周防名人の言葉がこの映画の主題を語っている。
部活という一瞬と、歌という永遠。

名人としての強さが、部の伝統が、かるたに関わる人の繋がりが、千年先に残るものとして何度も示唆される。
かるたで過ごした時間が、登場人物達にとっての「歌」になっている。
普遍的だけど、競技かるたでしか描けないテーマ。

物語と人間関係の変化を端的に示しているのが掛け声だ。
なかなか揃わない「瑞沢ファイト」がチームの状態を表していた。
部活紹介(太一)→地区予選一回戦(千早・筑波)→地区予選決勝(筑波)→全国一回戦(花野)いつも誰かが欠けていた。

瑞沢の掛け声が揃っていくのと並行して、新たち藤岡東が未成熟なチームとして描かれる。
「瑞沢の三年間に負けた」という新の言葉がはっきり表れるのは、まるで揃わない「藤岡東ファイト」の掛け声だ。あの場面の空気がいたたまれない。

ただ、新も藤岡東メンバーも団体戦を甘く見ていた訳ではない。
千早と太一が羨ましくて始めた団体戦を手探りで学んでいる感じがある。あの掛け声も、準決勝の北央を見て(ヒョロの、それ自体は声が裏返って情けない掛け声だけど、それを見て新ははっといていた)「発見」したものだ。

送り札と札合わせ。送り札は個人の物語。千早と伊織の、太一と新の。
札合わせは、一人の意思や葛藤や決断にチームで運命を共にすること。
太一と千早の物語と、瑞沢かるた部という群像がここで結び付いている。

映画『聖なる鹿殺し』を観る。

『聖なる鹿殺し』を観た。
ランティモス監督の前作『ロブスター』を観たときにあまりにはまってしまって、もちろんその年のぶっちぎりの年間ベストだったんだけど、そのせいでハードルが上がりすぎてたのか正直心から絶賛はできなかった。

理由の1つが、脚本というか物語の筋があまりにシンプル過ぎたというところ。前作『ロブスター』は物語が誰も意図しない方へ加速度的に転がっていき、その奇想天外ぶりと洗練された映像・音楽のバランスが完璧だった。
本作も、撮影・音楽に関しては文句なく最上のスタイリッシュさなんだけど、如何せん物語がシンプルすぎて、しかも最後に大どんでん返しもない。

復讐譚というフォーマットの上で、節々の台詞やいたたまれない結末を使い家族の脆さや善悪の判断がつかない人間の弱さなどを表現するあたりにはハッとする。その痛みに一切寄り添わない無慈悲さも恐ろしい。

ただ、大元の歩けなくなるそして死ぬという呪術的な設定に仕掛けが全くなかったのが残念だった。そこを裏切るか、設定が破綻するほど物語が進んでいくことで、受け手を混乱させて尚残るのはあまりに美しい画と音楽というランティモス的な世界がもっと堪能したかった。

2018年のエイプリルフール

米国株式の現在の状況は1929年・1987年・1990年という歴史上の3大崩壊に非常に似ているというニュース記事と、中国経済は日本のバブル崩壊直前と酷似しているとニュース記事に目を通した。
そんなことはいつも言われているのだろうが、しかし、大正・昭和の終わりのように、元号の変わり目だなという感じが強い。

けれど、春の日差しの中、待ちゆく人々の顔にはうきうきとした気持ちが表れ、新宿御苑には満開の桜の花を見に来た人たちが溢れていた。
今夜はブルームーン。2018年最後のブルームーン、次は2年半後の2020年ということだ。


「極東の火薬庫」からはじまった第三次世界大戦は前世紀の二度の世界大戦と東西冷戦を弁証法的に止揚したものとして展開した。
それはフランシス・フクヤマの『歴史の終わり』や石原莞爾の『世界最終戦論』における仮説を覆し、5次元空間での戦争と新たな歴史を本格的に始動するものであった。

読書ノート

『不安定な時間』ミシェル・ジュリ

「われわれの時代に、人類はついに内的宇宙を征服することができたんだ」「だが、部屋には悪魔がはいっていて、あんたがたはドアに鍵をかけなくちゃならないのだ」 ディックの『ユービック』を連想する。主観的な時間旅行あるいは死後の世界。人格と場面が唐突に目まぐるしく変転し、変奏を加えて何度も何度も繰り返される。この反復がどういうわけか愉しくてしかたない。どこにもたどり着かずに跳躍し続けてくれてもいいくらい。SF文学史にボリス・ヴィアンやレーモン・クノーの名前が出てくるあたりがとてもフランス。

『神曲 地獄篇』ダンテ

建築物としての全体も神学も歴史的背景もわからないなりに、パオロとフランチェスカの恋愛、ウゴリーノ伯の餓死、農耕詩的な比喩、といった細部の造型を美しいと思う。と同時に作者の自我の強さというのか同人誌的というのか、自らを偉大な叙事詩作者として数えたり、オウィディウスの『変身譚』にも勝ると自負したり、嫌いな相手を(存命であっても!)地獄に落としたり、大好きなウェルギリウスを登場させてイチャイチャしたり、作品の緻密さや幻視の凄まじさと合わせて、文学者の業に感動する。解説『ダンテは良心的な詩人か』がためになった。

『アウトライナー実践入門 ~「書く・考える・生活する」創造的アウトライン・プロセッシングの技術~』Tak.

死ぬほど苦手だった、文章を書くということの仕組みを初めて体感できた気がする。今まで目にしたどんな文章技術の本よりも実践的でわかりやすい。

『挑戦者たち』法月 綸太郎

ジョジョやノベルゲーやTwitterのネタからボルヘスや稲垣足穂、カフカにベケットにレムにナボコフにカルヴィーノまでパロった本格ミステリ版「文体練習」。元ネタの多彩さが楽しい。特に『幻獣辞典』が笑えた。「〈読者への挑戦〉とは書物の中にひそむ妖魔で、(F・R・ストックトンの疑わしい報告によれば)女と虎が半分ずつ混じり合った姿をしている」って何だ。

人文の終わり/批判的であること – マルクスからスティーブ・ジョブズへ –

先日、ワシントン・ポストの記事にウィスコンシン大学が人文学と社会科学の実質ほぼ全てともいえる13のコースを廃止するというニュースがあり衝撃を受けた。

A University of Wisconsin campus pushes plan to drop 13 majors — including English, history and philosophy

大学には経営と予算、学生の集客の課題がある。そのため、より予算が付きやすく、より学生が集まりやすい、就職やキャリアにつながるような実学的な学部を増強し、予算が付きにくく学生の集客力の弱いリベラル・アーツ系の学部は廃止したほうがビジネスとして合理的であるという判断である。
背景として、アメリカは学生の奨学金返済問題が深刻だという問題もある。

他方で、保守的な共和党から影響を受けている部分も大いにある。
ウィスコンシン州知事であるスコット・ウォーカーは2015年にウィスコンシン大学の理念を秘密裏に変更しようとしたということである。
その内容はこうだ。

by removing words that commanded the university to “search for truth” and “improve the human condition” and replacing them with “meet the state’s workforce needs.”

大学のミッションから「真実を探る」と「人類の発展」という言葉を削除し、それらを「国家の労働需要を満たす」というように置き換える

真実を探求したり、人類のより良い状態を目指すのではなく、国の労働力になれと。
いうなれば、社会に借りがあるのだから、働き蜂になって返せというのが保守陣営のまっとうな論理ということである。

いわゆる人文知は圧倒的な敗北に帰した。遠からず消滅へ向かうのだろうか。

一方でITやグラフィック・デザインやマーケティングやMBAのコースは拡張するということである。
また、VRやGAMEや観光学などビジネスにつながりそうな領域は伸びそうである。

しかし、これはある種の「動物化」や「機械化」ではないだろうか。
間違いなく近代 – ポストモダンの終わりという感じがして、人々は〈神〉をその台座から引きずり降ろして殺すことで近代を迎えたけれど〈人間〉を殺して近代を終えるのだなという感じが強い。

ポスト・トゥルース的高度資本主義世界へようこそ


しかし、人文は本当に終わったのだろうか。
無くなってしまったのだろうか。

あるいは、かつての「文学-批評-哲学」の業界は、今では「ブロガー-広告-自己啓発」にその役割を取って代わられ、マルクス的な〈革命〉の理念はスティーブ・ジョブズ的な〈起業〉へと置き換えられたというのが、実際のところなのだろう。
その移行を象徴的に表すシンボルが『資本論』から『Mac Book』へのアイコンの変化だろう。

そういった意味では、今の時代の「文学-批評-哲学」をアクチュアルに理解しようと思ったら、やはりはあちゅう やイケダハヤトやほぼ日をちゃんと読まなくてはいけないのかもしれない。

とはいえ、マルクスは教条主義化されて二度死んだわけだけれど、あるいはジョブズも二度死ぬのだろうか。
それこそ『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』を地で行く話ではある。

ヘーゲルはどこかで、すべての偉大な世界史的な事実と世界史的人物はいわば二度現れる、と述べている。彼はこう付け加えるのを忘れた。一度目は偉大な悲劇として、二度目はみじめな笑劇として、と。


近年、批評的言説の衰退と再起動ということが言われる。

課題として、吉本隆明的な批評家の後継がきちんと継承できなかったのが問題であったのではないだろうか。
もちろん、多くの人に影響を与えている。高橋源一郎や中沢新一、宮台真司など。
しかし、今のところの1番大きな後継者(吉本隆明-試行を継ぐもの)は糸井重里-ほぼ日であろう。

一般的に、吉本隆明のテクストはあまりに詩的で読めないという批判がある。
けれども、人々に影響を与えるのは結局は広告やコピーライトであるという現実はあって、それを認めることのできない批評性とは何だろうか。