光画紀行―香港・中国編

ちょっと、世界一周目指してふらふら旅をしてきます。特に深い理由や志はございません。ただ旅がしたい。風の吹くまま気の向くままに。嫌になったら帰ってきます。 — miyairiii@旅人 (@miya5ho) August 21, 2019 香港   この投稿をInstagramで見る   #grist #grsnaps #ricohgr #streetphotography #視界がGR #ストリートフォト #shared_streets #spjstreets #STORYOFTHESTREET #streetshared #thestreetphotographyhub #life_is_street #streetphotographerscommunity #challengerstreets #streetstylesgf #streetleaks #streetphotographersmagazine #dreaminstreets #streets_storytelling #voidtokyo #_streetscenes #streetclassi...

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『Sounds of the City』

写真は、被写体がかつて確かにそこにいたこと、そして同時に(少なくとも当時の姿では)もういないことを絶対的な事実として突きつける。 このことは、小説、少なくともバルトにとって重要なプルースト的な小説に似ている。 何かが語られるのは、それが終わった後にしかありえない。 語られた出来事は、取り返しようのない距離で隔てられた過去として表れる。 言ってみれば、小説の始まりにはいつも写真がある。...

タイ(バンコク・アユタヤ)を旅する ― 聖なるものと俗なるものの濁流をさまよう

2018年9月14日~18日、タイ〈バンコク・アユタヤ〉を旅行した。 微笑みの王国、タイ。かつて「クルンテープ」(天使の都)と呼ばれ「東洋のヴェネツィア」と讃えられる水の都バンコク。あるいは、世界遺産にも登録された古都アユタヤ。アジアの雑踏。崇高な超越へのあこがれと、猥雑な風俗が雑多に混じりあった東洋の王国。 バンコクを流れるチャオプラヤー川の濁流は聖俗浄穢を飲み込むタイの風土を象徴しているかのようだ。それは、同じアジアの王国でも、日本の列島全土を流れる清流や神道的な穢れの思想とは対称的である。 初日 ぼくら(友人とぼくの3人)は、9月13日(木)の夜に羽田空港に集まり、9月14日(金) 00:30 東京・羽田発 → 9月14日(金) 04:50タイ・バンコク行きのフライトで旅行を開始した。旅行初日はトラブルの連続であった。バンコクの空港に降り立つと、友人がひとり行方不明になった。iPhoneのSIMカードはwifi環境でのアクティベートが必要ですぐには使えなかった。ぼくらは、とりあえず、なかば諦めて入国審査カードを記入した。 どうにか、ようやく友人と再会し、電車や船を乗り継ぎながら朝...

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台湾を旅行する。- 中華民国台湾省台北市的小旅行 –

8月24日から8月28日にかけて、台湾を旅行した。 台湾旅行を振り返ると、文化あるいは歴史的な流れにおける気づきが大きかった。 また、この旅は4泊5日だったのだけれど、予想していたよりも台北は大きかった。 旅の全体像は、以下のような日程であった。 前日深夜から羽田空港で過ごし、LCCのタイガーエアで05:30に離陸。 1日目、西門駅周辺の昆明街にあるホテルに到着。龍山寺周辺や台湾総督府周辺を散策。 2日目、世界三大博物館の故宮博物館や誠品書店をめぐる。夜は士林夜市を散策。 3日目、鼎泰豊の本店で食事、夕方からは九份を散策、台北101 にてナイトビュー。台湾式マッサージを試す。 4日目、夏休みらしく白沙湾のビーチで過ごす。足裏マッサージを試す。 5日目、昼過ぎの便で帰宅。日常に戻る。 香港旅行のように気軽な散策という感じでは十分ではなく、満喫するにはもう数日いてもよかったように思う。 正統なる「中国」としての台湾 台湾は思いのほか中国であった。あるいは、失われた故郷としての中国であった。 そこには、連綿と連なる中国王朝とその芳醇な文化の香りが漂っていた。 そして南国の風土がそのその香りを...

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僕らが旅に出る理由 – 日常の外の日常 –

僕らが旅に出る理由はなんだろうか? とはいえ、旅にも色々あるかもしれない。 ある意味、旅はある形での自由(自我の拡大)の追求だろう。 ヘーゲルの絶対精神の弁証法の旅やゲーテの自由を求めるビルドゥングスロマン、コリントスから逃れたオイディプスの悲劇の旅。 他方、旅は他者との邂逅や出会いと別れ、ヒューマンを感じるものかもしれない。 東浩紀の「観光客の哲学」や川端康成の「伊豆の踊り子」、あるいは市川崑の「木枯し紋次郎」「股旅」。 僕は以前から「旅」「旅行」「観光」といったキーワードには違和感を持ち続けていた。 そこには、ある種の憧れと軽蔑、アンビバレントな感情があった。 なぜ、旅をするのか?目的は何か?何をどう楽しむものだろうか? そもそも、社会人の男性をターゲットとした旅の目的地はあるのだろうかという疑問(風俗や酒場は別として)。 あるいは、物理的に移動する意味はあるのか?旅行とインナートリップはどちらがより遠くまで行けるのか。 しかし、5月は思いがけずに何度か遠出をした。 香港・マカオへの旅行、ブラジル街大泉町の散策、伊豆大島の旅行、御岳山登山。 住めば都というが、出れば旅も悪くない。 ...

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“小さな旅”のはじまり、「ぼくらが旅に出る理由」。

これは何度も懲りず無謀な旅に出る前の“小さな旅”のはじまりについてのことだ。  先日突如として、小沢健二の19年ぶりとなるニューシングルが発売された。 発売を機にテレビなどメディアへの出演も果たし、近年表舞台での活動を控えていた小沢健二のカムバックに歓喜するファンの声がネットを中心に話題となった。 言わずもがな、僕もその一人である。 彼の代表曲の一つに「ぼくらが旅に出る理由」という歌がある。のちに数多くのアーティストにカバーされテレビCMにも使用されるなど、発売から20年以上が経つ現在もその人気は絶えない。 僕がこの曲に深い思い入れを抱くきっかけとなった出来事がある。それは2010年2月にとあるラジオ番組が行った「小沢健二とその時代」という放送だった。 当時まだ大学生だった僕は就職活動も終わり4月から新社会人として働くことが決まっており、残りわずかな大学生活でやり残したことはすべてやってしまわねばと焦燥感に駆られていた。内定していた会社は希望していた業界や職種とはかけ離れているにも関わらず、大学時代のようにいくらでも自分の好きなことに時間や労力を割ける生活が望めないことは自明だった。毎...

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