Q&A

応援しててもいいですか!!

ありがとうございます!
ぼくも応援してます!

最近怒ったことはありますか?

うーん。そうですね。いつも怒ってますよ。
自分が満たされないからといって、当然のように他者や世界にそれを満たすことを要求するのはよくないです。

引越しの時って新生活の期待よりも悲しみの方が大きいよね・・・

引っ越し、新生活。そうですね。
ぼくにとっても、新生活のはじまるこの時期は心踊るような希望の季節というよりも、どこか底冷えのするような、新しい部屋でひとりどこか空虚な違和感を感じるような時期だという印象があります。

新生活。人生の季節の切断。
これまで一緒にいた人たちとの別れ、捨てるものへの負い目、離れて遠くへいってしまった人への想い。喪失感。

一方で、これからの大きく変化した生活で果てしなく続いていくだろう日々への不安。希望的なヴィジョンを描くことはできず、けれど、強制的な力で強いられる新しい生活への移行。

新しい生活。新たな環境の文化、新たな共同体のコード、新たな土地の風土。それに適応することの難しさ。まさに言語ゲーム的な飛躍に馴染むことの困難。
そこで、世界と自分のあいだに感じる不調和。世界と自分の身体が、そして私の意識がつながっていないかのような離人症的な気配。

たしかに、ぼくも適応できない方ですね。
もう、同じ部屋に8年住んでいるし、社会人になってから転職もしたことがないのは、そういった変化があまり得意ではないからかもしれません。

後から考えれば、すべて時間が解決してくれるのですが、それはいまこの瞬間の悲しみには何の解決も与えませんね。

新しい街は散策してみましたか? 散歩をして街を歩き、お茶を飲みながら人びとをながめると、新生活とこれからの日々もこんなものかなと思えるかもしれません。良き新生活を!

1日スマホ使えない代わりに1万円貰えます。何日スマホ我慢できる?

そうしたら、小型のタブレットを使うので一生スマホ使いません。

Youtuberの生き方について賛成ですか?反対ですか?

Youtuber がやりたかったことが Youtuberとして生きることであったなら、自分のやりたいように 自由に生きることはいいことなので、いいのではないでしょうか。

とはいえ、人のまなざしを受けて生きることを選択する以上、いつも人のまなざしの中で生きることの覚悟は必要だと思います。

まなざしを向けられることは他有化といって 他者の評価によって生きることになりますし(自己疎外)、PVや広告で稼ぐ必要がある以上 本来的にはやりたくのない企画をやったり やりたくないことを(稼ぐ)ためにしたり 話さなければいかなくなるでしょう。

個人的には、そもそもプロとして なにかクリエイティブなことをする生き方というのは、自分自身の探求と 他者からの評価という 矛盾するものを同時に求めなければいけないので、生き方としてはあまり評価できないです。
けど、それが自分のしたいことならYouTuberもいいかもしれないなと思います。

うーん。だけど、やっぱりぼくは 人の注目を集めるような生き方はストレスがあるし、自由だとは思えないからやりたくないですね!

怖い話って嫌いじゃない?

ものにも依るのですが、未解決事件系の話は本当に怖いです。事実が多いと思うのですが、人間は、その温かさの一方で一瞬の狂気やあるいは深淵や闇を持つものなんだなと。

怖い話でも、心霊現象系の話は唯物論者なのでそんなに怖くはないです。あ、幽霊の話?怪談?エンターテイメントと思えるからでしょうか。

とはいえ、むかし大学生の時に何人かで心霊スポットに行って、ほんとうは存在しないらしい鳥居の前で写真を撮ったりした記憶もあるので、すべて心つがいやさかいとも思います。

とりあえず、やさしい世界を期待していきたいです。

お金が足りない時はどうしてますか?

何人かで飲みに行って、支払い係をやってクレジットカードで支払い、現金をもらいます。

それから、クレジットカードでビタミン剤とオリーブオイルと塩と安いパンと紅茶のティーバッグを買います。
しばらくはそれを食べて、青空文庫を読んですごします。

まあ、困った状況なら親に頼んじゃうな。

LINEスタンプなんこ持ってる?

5個くらい持ってます。「ひもっくま」とか「あしたのジョー」とか。

「携帯少女 ミム」がいちばん使いやすくて好きです。

ものすごく疲れたときやイライラしたとき、どうやって気分転換しますか?

ものすごく疲れたときはKREVAの『愛・自分博』を聴いて(ティーン・エイジャの頃に聴いて勇気づけられた音楽)、お風呂に入り、マッサージ・クッション(首肩用と肩甲骨用と腰用の3つを持っています)でマッサージして、アルコールを飲んで(翌日大丈夫そうな場合は)、寝ます。ヘパリーゼを飲んでも良いかも。
本当に落ち込みそうなら、ミューズを求めてアイドルの曲を聴いてみるのも男女問わず常套パターンです。お笑いでも良いですね。

イライラしたときには、セロトニンを出すために散歩し、それから呼吸法を意識するために口先からヒューっと息を吐きます。クソくらえみたいなことを言っているバンドの曲を聞いたりもします。パンクとかポスト・パンクとか、まあ、なんでもよいです。

それから、問題を直視して、本当の問題なのは何なのか?をよく見つめます。
だいたい、構造的な問題や誤解であったりすることが多いので、自分を責める必要はないです。
怒りを抑えてひとつひとつ言語化していき、まとめて体系化していきます。
結論が出ればシンプルだし大したことなくなります。虫歯が痛くても、神経抜いたり、治療したら大したことなくなるのと同じです。

もちろん、事実からそれをもとに反省したり教訓を学ぶことも大事です。とはいえ、てめー 俺の人生にお前文句あるならお前の人生 俺によこせよ??できるよね???です。

無理せず、落ち着いて、できる限り素直に、けれど エレガントに生きられたら良いですね。

口癖はありますか?

口癖というか、文法がかなり定形化されているので語彙とか驚くほど少ないです。

ぼくの真似をする牧瀬まきを氏というのが、かなり的を射てます。

「あ〜、完全に理解した。〇〇的〇〇な人たちと〇〇的〇〇な人たちとがあって、完全に自分はこっち側で、もはやそれはパターンなわけ」

みたいな感じです。かなり言文一致しているので、まきを氏いわくぼくのツイートは声が聞こえるそうです…!

あとは「〇〇感がある」「ふつうに考えて」「それが意味するのは〇〇というよりも、むしろ〇〇」とかみたいなパターンがあります。

何歳から何歳までストライクゾーンですか!

上下 5歳くらいなので26〜36歳くらいかな。だいたい、上下10歳差以内ならそれほどの違和感はないのでは。
年齢のギャップみたいのとか 大人になると そんなにないと思うんですよね。ある年齢をこえると、人間そんなに成長しない。

ちなみに17才とか18才とか16才とか違和感ないと思うんですよね。
けど、28才はなんとなく違和感があって28歳のほうがいい気がする。
そんな風な感じがあります。

スマホ何もってます?

スマホはチープなAndroidと通信契約のないiPhone6sの2台持ちです。iPhoneすこし高すぎませんか?あれ、部屋の中の何より高いと思うの。洗濯機や冷蔵庫、ダイソンの掃除機やTiffanyのアクセサリーもあれより安いと思うのです。少しついていけないな。幻想力強すぎるのでは。

むかしは、ぼくもボール・グレアムの『ハッカーと画家』とかジェフ・ジャービスの『グーグル的思考』を読んだり、Evernote使ってIT礼賛だったんですよ。

けど、みんな”Think different”って覚えてる?”Don’t Be Evil”って覚えてる?
マルクスとエンゲルスがやったような革命的なことをガレージでやったんじゃなかったのかな?

ITは人びとのライフスタイルを豊かにしたとともに、同時にかなりクリティカルなレベルで人びとを疎外し貧しくしたと思います。たとえば、SNSはあるべき姿ではないと思う。マルチチュードな”ソーシャル・ネットワーク”こそが本来的なSNSの可能性の中心だったのでは? 少なくとも、ぼくは最近はITよりカセットテープやレコードで聴く音楽にこころを動かされています。

とはいえ、EvernoteもDropboxもAmazon PrimeもApple MusicもAudibleも契約してますよ? NetflixとHuluは時間泥棒なので一時解約中。
いんたーねっつ最高!!

独楽ということは、独楽がくるくる回り続けるための紐が最初にあったと思うのですが、CoMAさんにとっての紐とはなんだったのでしょうか?

ぼくはけっこう大人しくて優しくて誠実そうに見えるらしいのです。
それってダサいじゃないですか?

そう思われたりするのに イラッとムカッとして、そうゆう周りからの目線や期待に応えようとなんか絶対にしない。自由にふざけてやるぜと、小学2年生の時にこころに決めたのを覚えています。

_人人人人人人人人人_
> 成長していない <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^ ̄

CoMAの由来ってなんですか?

独楽(こま)です。ひとりでくるくる。MoMAっぽくしようとふざけてCoMAです。もだーんでしょ?

ジェイ・マキナニーの『Bright Lights , Big City 』という小説にcoma babyというのが出てきます。どうしようもない小説だけれど、こころにぐっときます。よいです。

Guns N’ Rosesの曲にComaという曲があります。『Use Your Illusion I』というアルバムに入ってます。ただ長いだけの曲かもしれないけれど。

アメリカ文学科卒ですか?

文学部は落ちちゃいました!あこがれてたんだけどな~
なので、都市教養学科卒です。

今まで誰にも言ってない秘密を教えて!

たぶん ないです..!

原風景としての郊外

都市に生きるというのは根なし草として生きることなのかもしれない。人波に流され根なし草として彷徨い、それでも心の底にある邂逅への淡い期待。ぼくはやり直せるかもしれない。また、あたらしくはじまるものがあるかもしれないという淡い期待。

あるいは、ぼくらがアーバン・リベラル・アーツとかポストモダンなシティ・ボーイらしくどんなにうそぶいてみても、きみは根なし草で、きみの原風景は風の吹く乾いた地方の郊外じゃないか?という事実を友人と共有したことから2019年のはじまった。

他方で、郊外に残された者、戻った者。そこにはかつて存在したという神話のような共同体は存在しない。血縁だってほとんどないかもしれない。 そこにあるのは記憶だけだ。商店街は死に絶え、駅前のレコード・ショップや古着屋や雑貨屋はもうない。ティーン・エイジャの頃のイノセントな記憶と気配。

人々は国道沿いのモールに車を走らせ、日常性を補充する。食品(パンや牛乳あるいは冷凍食品)や日常雑貨(歯磨き、トイレットペーパー、LEDの蛍光灯)あるいはZARAやGAPなどのファッション、家電、自転車、ペット用品。休日のレジャーもそこにある。映画館、ヨガスタジオ、カフェ、フードコート。

年に何度かぼくらはその地に足を運ぶ。両親の顔を見て、ぼくはあと何日間一緒に過ごすのだろうかと思うこともある。 地元の友人たちとの飲み会。子供と住宅ローンについて話す大人になった友人たち。人妻になったかつての同級生。 そこで何日か過ごし、それからぼくらは湘南新宿ラインで日常に戻る。

ドラマ『僕らは奇跡でできている』最終回

いいドラマだった。相河一輝というキャラクターを創造し、彼に沢山のことを教えてもらったというか再確認したということだけで満足。脚本家・橋部敦子の最高の仕事だったと思う。

現代的な生き難さというテーマでこの作品を『獣になれない私たち』と比較していた部分は多く、先ほど『獣になれない私たち』の最終回の感想のところで書いたけど『僕らは奇跡でできている』は物語で徹底的に“ない”を否定し続け、最終回では受け手の創造を遥かに超えた“あるかも”(宇宙へ行く)を“やる”と宣言した。

これは明らかに受け手からのあり得“ない”という非難を承知でやっており、作り手としてはそこの“ない”という態度に少しでも疑問を持って欲しいというメッセージだったと思う。そこには『獣になれない私たち』と共通する自分を信じるという命題への直面があり、本作は単に自分の好きなことをやるという提案ではなく好きなことを見つけることこそが奇跡への第一歩だと、そこを自分で納得して動けることこそが重要だということだろう。好き放題していた相河先生も実は最後はしっかり成長している。「水泳とロシア語」は興味がないけど宇宙に行くためにやれるのは水本先生のおかげだと感謝したシーンがそれ。

こうやって“あるかも”を前提に物語が良い方に進むのは偽善的でつまらないと思う人も多いのは分かる。ただ、現実の手に負えなさを改善するヒントとなる向こう見ずな希望の物語は個人的には好きだなと思う。

大河原さんの不在の存在も良かったし、エンドクレジットの毎回特定のところに色がつく意味のある演出も見逃してない。最終回はクレジットまるまる虹のように色が変化していた。とても幸せな物語だった。

ドラマ『獣になれない私たち』最終回

ラストに間違った?と台詞が出るあたりがまさにそうで、彼女彼らの性質からするとあの選択肢は未知の領域であり、つまりこの作品で初めて一線を越えたことになる。獣になれないという比喩的な苦しさを対岸から見つめた時、彼女彼らは何を語るのか。頑張って欲しいところです。

本作に関して一貫して否定的だった自分からしたらこの上ない納得の終わりだった。裏を返せば、その生々しい苦しさ同感していた人たちをある種裏切ったラストだったとも言えるはず。自分が本作に感じていたドラマ的な難しさというのは、フィクションとの境界であり、こういうリアリティベースの群像劇が一定程度虚構性を排除し現実世界に誠実でなければならないというのは必然だろう。

ただ、あくまでドラマはフィクションであり、物語的な起伏が無く、登場人物たちもその場で身動きが取れずもがいていると、早くそこから救ってあげてとどうしても思ってしまう。

本作がこの問題に果敢にチャレンジしていたのは最終回の構成でも自明である。最終回前で二人は初めて一線を越えた(これは単に寝たという意味ではなく)のだが、その件について最終回の冒頭から話し始め、60分の内の30分を使う。もちろん30分ずっと二人の会話劇が続いた訳ではなく、その間に二人に関係する人たちがそれぞれの問題を抱えて救済を求め現れることで、二人にとっての重要な話し合いが自然と先延ばしにされていく。これこそまさにこの作品全体の構造そのものであり、自分がいの一番に向き合うべき問題が他人への譲歩や干渉によって薄れていくのである。

不特定多数の周囲の人たちを大切にするというのは現代人の最重要課題である。ただ、その中においてもある程度自分を信じて生きてく環境を整える努力をすべきではないかと思う。5tapには行かないが結局本物の鐘に関係を委ねた本作のラストそうなったようななってないような終わり方だった。

自分だったら絶対に本物の鐘が鳴る前のグラスを合わせる描写を鐘としてこじつけて、「鐘が鳴ったから大丈夫、上手くいくよ」と言う。そこに根拠はないけど、自分を信じる力があるから。ただ、それが最後まで出来ないのかこの主人公たちひいては現代人たちということも分かるので、その微妙なバランスを踏まえた上で、ラストをあそこに落ちつけたというのは評価する。

最初から最後まで徹底的に“あるかも”を排除した“ない”前提の物語、最後にほんの少しだけ“あるかも”を信じれた、その小さな変化を読み解くような極めて繊細なドラマだったということでしょうか。いい経験でした。

映画『ア・ゴースト・ストーリー』を観る。

昨日『ア・ゴースト・ストーリー』観てきたけど、ちょっと僕のこれまでの経験ではうまく語れないタイプの映画だった。
カメラワークで言えば極端な長回しとたまにある俯瞰的な映像、ゆったりとしたパンなどこれが物語的には幽霊の視点と解釈してもいいところなんだけど、実はそれでは説明がつかない。

少し前にNHKでやった『カラスになったおれは地上の世界をみおろした。』というドラマは、人間とカラスの身体が入れ替わるという設定で、カラスの目線の映像を全部ドローンで撮影したというものだったが、この映画の映像もそういったものに近いニュアンスで撮影されていたのだと思う。

主人公が死んで幽霊になり、その姿で自宅まで帰り恋人を見守り続ける生活(というか死に活)が始まるのは間違いないから、あの幽霊は死んだ主人公なんだけど、途中で対面の家にも同じ姿の幽霊が現れたり、実は悠久の時を超えて存在してしている幽霊の存在も明かになり、後半はスケールがかなり大きくなる。

ラストシーンでは幽霊は成仏され形を失うのだが、恐らく成仏という概念はキリスト教的には無いはずで、そうすると鎮魂と成仏の違いなどが気になる。ただ、後半のスケールを考えると幽霊というのは遺された者の記憶や思い出のメタファーなのかもしれないとも取れる。それなら鎮魂や成仏とは切り離される。

死んだ主人公が幽霊になり恋人を見守るという設定にも関わらず、特に最後まで暖かみは一切感じず、台詞も極めて少なく無機的なシーンが最後まで続く。ただ、このポジションをロボットに代用できる時代において、敢えて幽霊という荒唐無稽な設定にこだわった部分に作り手の意図は集約されているはず。

映画『ア・ゴースト・ストーリー』を観る。

『ア・ゴースト・ストーリー』これは、なんと言ったらいいのか、「死んで幽霊になった男が残された妻を見守る話」ではあるけれど、もっと広い意味で、去っていくものと後に残されるものの話である。ただし去っていくのは生きている人間の方だ。幽霊は後に残される。ここでは生者と死者が逆転している。

事故で死んだ男はシーツを被った幽霊の姿になって家に帰る。幽霊は生きた人間に触れることはできない。過ぎていく時間の中で、かつての妻をただ見守り続ける。生きている人間と幽霊の一番の違いは時間の流れ方だ。幽霊になった人間の時間は止まる。

印象的なのは、彼が幽霊になった少し後、一人で床に座り込んで食事する妻を長回しで映した場面だ。彼女は食べる。食べ続け、そして吐く。壁に反射する光や外の物音は少しずつ変化する。しかし横で見ている幽霊だけは微動だにしない。動いている生者の時間と止まった死者の時間。

男が作った歌の歌詞にもある通り、彼女は去っていく。旅立って、それっきり物語から退場する。その後も見知らぬ人間たちが次々とやってきてはいなくなる。去っていくのはいつも生きている人間であり、それを見送る幽霊は独りで取り残される。

時間も去っていく。やがて家は失われ、見知らぬ未来で幽霊だけが取り残される。それでも幽霊は家から離れることができない。この映画では幽霊と家は切り離しては語れない。英米の怪談では幽霊屋敷ものが1つのジャンルとしてあるが、この映画にはそういう家に憑りつく幽霊というモチーフも感じられる。

生者に触れることのできない幽霊なので、黙って何かを見つめている場面が多くなるのだが、幽霊のその目線は家そのものが持つ目線なのではないか。見守る視線というか、固定された視点からの長回しが多い。男が幽霊になるより前から、廊下の向こうから誰かが見つめているような映し方をしている。

妻を見つめる視点、離れたところから家を映す視点。長回しは幽霊の視線を代弁しているようだ。固定されたカメラの視点の中で、人間が生き、時間が流れる。見ている側の時間は止まっている。幽霊はリアルタイムで動いているように見えながら、その目の前で何日、何年もの時間が早回しで経過している。

この映画では個人的な物語がもっと大きな感覚と結びついている印象がある。星空が映される冒頭のような、宇宙的な時間感覚、人間の尺度を越えた時間感覚。人間の世界から切り離された存在を主人公にしたことで、それを観るものに認識させることができる。

病院を抜け出して家に帰りつくまでの、遠景から映した野原をゆく幽霊の姿にとても感動した。今ここの世界であるはずなのに誰もいない地球に思えた。

『Sounds of the City』

写真は、被写体がかつて確かにそこにいたこと、そして同時に(少なくとも当時の姿では)もういないことを絶対的な事実として突きつける。

このことは、小説、少なくともバルトにとって重要なプルースト的な小説に似ている。

何かが語られるのは、それが終わった後にしかありえない。
語られた出来事は、取り返しようのない距離で隔てられた過去として表れる。

言ってみれば、小説の始まりにはいつも写真がある。

『音楽が終わった、その後で』

誰かに気持ちを許すことは油断すると甘えてしまうことに繋がりやすい。
甘えは芯の方からじわじわと蔓延し、やがて全てを食い尽くす。なんてね。

思いやりを持った自立した人間でありたいと思うよ。一応は。
未来を思うと吐き気がするし、今を思っても寒気がする。
思考を捨てて過ごすのが精神衛生上は宜しいというのはわかるんだけど、それもちょっとちがう。

一生戯言を抜かしたいので、そのために精一杯体裁を整えよう。



“小さな旅”のはじまり、「ぼくらが旅に出る理由」

2017年3月9日 by 宝田 とまり

これは何度も懲りず無謀な旅に出る前の“小さな旅”のはじまりについてのことだ。 

先日突如として、小沢健二の19年ぶりとなるニューシングルが発売された。
発売を機にテレビなどメディアへの出演も果たし、近年表舞台での活動を控えていた小沢健二のカムバックに歓喜するファンの声がネットを中心に話題となった。
言わずもがな、僕もその一人である。

彼の代表曲の一つに「ぼくらが旅に出る理由」という歌がある。のちに数多くのアーティストにカバーされテレビCMにも使用されるなど、発売から20年以上が経つ現在もその人気は絶えない。
僕がこの曲に深い思い入れを抱くきっかけとなった出来事がある。それは2010年2月にとあるラジオ番組が行った「小沢健二とその時代」という放送だった。

当時まだ大学生だった僕は就職活動も終わり4月から新社会人として働くことが決まっており、残りわずかな大学生活でやり残したことはすべてやってしまわねばと焦燥感に駆られていた。内定していた会社は希望していた業界や職種とはかけ離れているにも関わらず、大学時代のようにいくらでも自分の好きなことに時間や労力を割ける生活が望めないことは自明だった。毎日一緒だった友人たちと離れることを考えると、焦りというより絶望的な気持ちの方が強かったかもしれない。本当にぼくらに旅に出る理由などあるのだろうか。誰か理由くらい教えてくれてもいいだろうと「ぼくらが旅に出る理由」の歌詞を追った記憶がある。
  

遠くまで旅する人たちに あふれる幸せを祈るよ
ぼくらの住むこの世界には 旅に出る理由があり
誰もみな手をふっては しばし別れる

上記は、「ぼくらが旅に出る理由」の歌詞の一部の引用だ。
歌詞を最後まで読めば明らかなのだが、この曲の中で「旅に出る理由」というのは明示されない。
具体的な理由に触れられないものの、人は旅に出ることがあるし旅に出ることは即ち“しばし”の別れが訪れるものだということが象徴的に歌われている。
答えのないこの歌詞に当時はもどかしさを感じていたかもしれない。

あれから8年、社会に出て働くことや転職に伴ういくつかの旅と別れを経験してきた。
時間が経つにつれ、旅についての心境の変化があったようにも思う。当たり前のことなのだが、旅に出ることは視野や行動範囲を格段に広げ、一方で永久の別れを生み出すようなことはない。理由についてもそうだ。旅に出る瞬間にはこれといった具体的な理由にこだわる必要はなく、振り返った時初めてその理由を見出せたりするのも旅の面白さなのかもしれない。そう考えると当時の自分が可愛らしくもあり、これからの旅にも思いを馳せることができる。

今日は良く晴れている。天気読みの必要はなさそうだ。


魔法がかかる、という表現についての聴覚的回答

2015年4月27日 by Heiwagokko

よく耳にする言葉だけれど、はっきりとした定義がわからないもの。

特に音楽を言葉で表す時にそういうものに出くわすケースが多い。(のではないかと)
グルーヴ、メロウ、スウィング、アーバン…

(”アーバン”に関しては山下達郎がmm…oh! Honey!
と歌う時に感じるキラキラとした感覚がそれだとベイビーキッズ達に伝えるようにしています。)

今回の主題は”魔法がかかった”という表現について。

2015年現在僕達一般の人間にとって、意図して何かに魔法をかけることはできません。
ただ、ある偶然や必然の事情が絡まることで初めて意図せず”魔法がかかる”ことがあります。

今回紹介するレコードは1963年のミラクルズのライブ盤、”The Miracles On Stage”
(魔法と言っておきながら、ミラクルズ・オン・ステージというタイトルに齟齬は感じますが笑)

タイトルで検索にかけても日本語ページがあまりヒットせず、youtubeでも音源が出てこないので一般的には評価を得ているアルバムでは無いと思うのですが、是非ご一聴を。
ブートでは無くきちんとTamlaからリリースされています。

録音環境も悪く、演奏も歌もそれぞれ出来が良いわけではないのですが、観客の声、演者の息遣いがあいまって見事にライブというものの一回性を閉じ込めた素晴らしいアルバムに仕上がっています。
B面の終わり、おなじみ”抱きしめたい”からの”Way Over There”の流れには音楽の心地よさや空間芸術性(言い過ぎかな)が詰まっています。

”魔法がかかる”

お解り頂けるでしょうか?

mp3では無く、ノイズ混じりのアナログでご賞味下さい。


病院

2017年2月1日 by Heiwagokko

‪病院に行った。彼女の名前を伝え病室を聞き出して訪ねると、ベッドの四方にはぴったりとカーテンが張り巡らされていた。‬‬‬‬‬
‪恐る恐るカーテンを捲ると、眠っている彼女の身体にいくつも管が下がっていた。‬‬‬‬‬
‪自分が普段眼を瞑っていた事が急に表出したかのような光景に呆然として暫く立ち竦んだ。‬‬‬‬‬
勿論大した病気では無い。
しかし否応にも無くイメージが湧いてくる。
死のイメージ。

15年程前に祖父が亡くなった。
自分にとっては近しい人が去った初めての事だった。
末期癌で、最期には苦しむ事が無い様にと薬が投与された。
普段関わりの薄い、親等の近い者だけが最期に病室に通され言葉を交わしに行った。

自分は祖父を愛していた。祖父も自分を愛していた。これは揺るぎの無い事実だったと思う。
子供だから、孫だから、まして血が繋がっていないからという理由で遠ざけられることの意味が全く分からなかった。それは今も分からない。

死のイメージ。

これから歩行訓練がある。見られたくないから帰って、と彼女は意思の強い眼で僕に言った。分別のある大人を演じて病室を出た。

初めて結婚しようと思った。


W.G.ゼーバルト『アウステルリッツ 』について

2017年7月16日  GU

歴史の天使はこのような姿をしているにちがいない。
彼は顔を過去の方に向けている。
私たちの眼には出来事の連鎖が立ち現れてくるところに、彼はただひとつの破局だけを見るのだ。
その破局はひっきりなしに瓦礫のうえに瓦礫を積み重ねて、それを彼の足元に投げつけている。
きっと彼は、なろうことならそこにとどまり、死者たちを目覚めさせ、破壊されたものを寄せ集めて繋ぎ合わせたいのだろう。

ところが楽園から嵐が吹きつけていて、それが彼の翼にはらまれ、あまりの激しさに天使はもはや翼を閉じることができない。
この嵐が彼を、背を向けている未来の方へと引き留めがたく押し流してゆき、その間にも彼の眼前では、瓦礫の山が積み上がって天にも届かんばかりである。
私たちが進歩と呼んでいるもの、それがこの嵐なのだ。

ヴァルター・ベンヤミン「歴史の概念について」

不可知の暗闇、ぽっかりと空いた大きな穴を迂回する小説という印象もある。
避けているし、そもそも近づこうにも近づけない。
アウステルリッツがたびたび披露する建築にまつわる考察や薀蓄は、自分自身の歴史・あるいは現在から目をそらすための時間稼ぎ、方便だと感じた。
それが、避けているということ。

しかしそれだけではなく、自分の歴史と向き合い、探求を始め、今度は自分から近づこうとしても、決して近づけない真っ暗で巨大な穴の存在を思い知らされる。
そうして、ひとまずこの作品は終わる。

ゼーバルトの作品を読んでいると、幽霊を見るとはどういうことかと考えさせられる。
幽霊とは、当人の人格から切り離された残留想念、あるいは人の記憶や場所に残った痕跡から再生される映像のようなものだと思う。
そしてそれは時間にも関係する。
古い建物やがれきの山を歩いて、積もった歴史を紐解く、それは一種の時間旅行だし、幽霊に出会うことでもある。

ゼーバルトは幻視者だが、その幻視は、幽霊・過去・歴史そのものではなく、それが刻まれた廃墟・瓦礫であるところが面白い。
いつどこにいても、彼の眼前には記憶の刻まれた廃墟が姿を現す。


ロラン・バルト『明るい部屋―写真についての覚書』について

2017年7月12日 by GU

『ロラン・バルト』(中公新書)を読んで最も印象に残ったのは小説を書こうとして書けないバルトの姿だった。
この『明るい部屋』は、ひとまずは写真論であるが、同時に小説論であり、小説に踏み出そうとして踏み出せないバルトの逡巡の跡であることが読み進むにつれて明らかになっていく。

この本でバルトはストゥディウムとプンクトゥムという2つの概念を提示する。
ストゥディウムは文化的なコードで読み解ける、言うなればタグ付け可能なものである。
それに対してプンクトゥムはストゥディウムを破壊して、見る者を突き刺す。

それは、1つは写真の意味をかき乱す細部であり、もう一つは、被写体がかつてあったという時間の感覚である。
写真は、被写体がかつて確かにそこにいたこと、そして同時に(少なくとも当時の姿では)もういないことを絶対的な事実として突きつける。

このことは、小説、少なくともバルトにとって重要なプルースト的な小説に似ている。
何かが語られるのは、それが終わった後にしかありえない。
語られた出来事は、取り返しようのない距離で隔てられた過去として表れる。
言ってみれば、小説の始まりにはいつも写真がある。


IN THE CITY

2018年3月18日 by CoMA

週末の夜は、大学時代からの友人たちと飲んだ。
彼らと会うのはだいたい渋谷だ。学生の頃はよく渋谷に来た。HMV、TOWER RECORD、ディスク・ユニオンを巡り、宝探しのように中古のCDやレコードを掘り当てていた。それから、すこし原宿方面に歩いて古着屋を巡り歩いて、あれも宝探しのようだった。あとは、なにかがありそうな期待感からCLUBに行って、でも結局、そんなところに出会いなんてぼくらにはなにもなくて、夜明けまで飲んで過ごして、目に刺さるような朝焼けの太陽を見ながらぼくらは始発の井の頭線に乗ったんだ。

結局、ぼくらが〈渋谷〉に求めているのはなんなのだろう。
ショップの店先で流れるサウンド、流行のマジックナンバー、街角に溢れるシーン、アルコールで漂う中飛び込んでくる電飾、深夜の交差点を行き交う人波、誰かのクラクション。

「また会おう、それじゃ」
「すこし歩こうか」
「もう一軒、飲み直そうよ」

人波の中で聞こえてくる、そんな会話の断片。

渋谷も、もう若者の街ではないかもしれない。
ストリートはInstagramに、古着屋やファッションはメルカリやZOZOTOWNに、レコード屋はYouTubeやApple MusicやSpotifyに取って代わられてしまった。
もちろん、ぼくらももう若者じゃない。この10年のあいだに、政権だって二回も変わった。

だけど、それがどうしたって言うんだ?
時代が変わったってなにも変わらないじゃないか。時と共に、人間も変わるものだろうか? すくなくとも、ぼくは、人間はそんなに変わるものじゃないという立場を取るし、そんな変わらない人間を大事に思いたい。変わらずに人間の心の奥にある柔らかいところを愛しているから。それから、もしも、そんな風に考える人と人が出会い理解し合うことができたならば、と。

「最近は、なにを聴いているの?」
出版業界から広告代理店に転職した友人にたずねた。
彼はいまでもディスク・ユニオンに通ってレコードを発掘していた。Mr.digg。

「レコードはもう古いのばかり聴いているよ。ファラオ・サンダースとか、アフリカン・ファンクとか。最近のものは、そうだな、カニエ・ウェストの新譜とか。あとは、すこし前だけどコーチェラ・フェスのビヨンセ観た?」

「観てないな。今度、観てみるよ」とぼくは言った。

「だけどね、最近の新譜はけっこう良いんだよ。音楽業界って1999年に売り上げがピークになって、それ以降、売り上げが落ちているんだよ。これは国内のデータだけどね。世界的に見たら、1999年というのは、Napsterが登場した年でもある。その後、2005~2007年のあいだにYouTubeが登場してさ。ちょっと違うけれど、『ラジオ・スターの悲劇』みたいな話だよね。ちなみに、2003年にMySpaceがはじまって、2006年にはmixiミュージックが開始した」

「mixiミュージック。あれ、良かったよね。みんなで、あいつはなにを聴いてるんだろう? このアルバム知らないぞ! やばい! 聴かなくちゃ! みたいにね」

「そうだった」と言ってぼくらは笑った。

「けどさ、音楽業界の失速とか再編が原因で、それで音楽活動やめちゃった人も多いんじゃないかな。残念だけど。
けど、考えてみたらほんとうに音楽をやりたい人たちはもう手元の楽器とiMacなんかでDIY的に作っちゃってYouTubeなんかで流通できるんだよね。TofubeatsとかDAOKOも最初はインターネットで活動して出てきたもの。
だけど、もっと大きいのはほんとうに音楽が好きな人は、結局、音楽業界に残ったってことだね。最近の若いバンド、ceroとかSuchmosなんか、かっこ良いものね」

「だからさ、俺はこれからも音楽というカルチャーの未来については、楽観的なんだ。ずっと、いい音楽聞き続けられるかもね」
そう彼は笑った。


River’s Edge

2018年3月18日 by CoMA

現在から当時を遡行しつつ若者の心理を描いた作品として良かった。
ケータイ(PHS)の普及以前(1995年PHSサービス開始)、インターネットの登場以前(1995年が日本におけるインターネット元年といわれる)、オウム事件以前(日本社会のうわべとその精神病理が暴かれた1995年)の物語。

僕は近年のある種の映像には生々しさが欠けていると感じていたのだが(ここでいう映像はアダルトな意味でのAVも含む)、『リバーズ・エッジ』の映像には生々しさがあった。そこには、デジタルやPhotoshopやフォトジェニック以前の生々しさが描かれていた。生のコミュニケーション。生きてる感じ。

80年代は浮かれた時代だったと言われる。『なんとなく、クリスタル』、ポスト・モダン、MTV。
しかし、90年代、世相は大きく変わる。消費社会の神話と構造、社会システムのマンダラが切り裂かれ、破壊的な人々の生の感情(生と死が隣接したものであるというヒリヒリした感情)が溢れ出た時代だった。

当時は現在よりも清潔でない時代だった。川は臭く、タバコはポイ捨てし、空き缶を川に投げ入れた時代。公害やオゾン層の破壊が問題として語られた時代。そんな時代だった。(現在の方が実際にはより深刻なのかもしれないが。)
グランジ(薄汚い)シーンの、カート・コバーンが死んだ年。1994年。

このドラマは、そんな時代の若者たちが描かれる。むき出しの生の欲動、生の不安。若者たちのSEXも今とは異なる描き方をされる。Xvideosなどはない時代だ。ネットを介さない欲望の露出。タナトスと一体化したエロス。もちろん避妊もしない。生の性体験。

「生きてるって感じする?」インタビュアーに聞かれた二階堂ふみ演じる主人公は答える。「どちらかと言えば、生きてない。」
登場人物はみな生きづらさを抱えている。生きることは、SEXすること、食べること、愛し愛されて生きること。
いじめ、性的マイノリティ、摂食障害、家族の不和、届かぬ愛。

文字通りの生のコミュニケーション、ヒリヒリした関係、傷を感じ人を傷をつける状況はトラブルを生む。
それを通して、ある者は死に、ある者は生き残り、ある者は場所を変え、ある者は留まる。
もちろん、みなに避けがたく傷跡は残る。

しかし、時代は変わった。このドラマの設定された時代から、24年。およそ四半世紀が経つ。状況は変わった。
若者ですら、当時ほどのヒリヒリした感覚で生きているかはわからない。とはいえ、愛し愛されて生きることに飢え満ち足りない気持ちは今でも変わりはしない。たとえ、デジタルに容易につながれても。

あるいは、インターネットの普及以降発展したネット文化やバーチャルな価値観。例えば、多くの承認を集めるネット上の各種システムとプラットフォーム上のアイドル群。そのシステムの欺瞞と精神的な空虚さが暴かれ明らかにされるのは現在これからであろう。

この作品の時代は1995年にひとつのパラダイムを終える。
その後は、ケータイとネットと、ある種の相対主義とマイノリティに対するリベラルさが普及した時代だった。同時に哲学や精神性は死に、社会学と統計学的な思考が普遍化した時代でもある。

ところで、この作品の1995年までのパラダイムは1972年からはじまった。
大きな物語の終焉の終焉、ポスト・モダンのパラダイムの終焉が1995年であった。
1972年から23年。
なお、1972年にまでのパラダイムは1950年朝鮮戦争からの復興と高度成長までのパラダイムであろう。
そして、1995年から23年が経った。

とはいえ、あらためて思ったのは、この四半世紀に(ここ数年くらいかもしれない)性的マイノリティ(LGBT)に対する理解は相当変化したのではないか。

主人公二階堂ふみがゲイの少年山田に「入れる方?入れられる方?ローションとか塗るの?」と質問すると「クリトリス舐められるのと、中に指入れられるのどっちが好き?ゲイだからってSEXの質問するの失礼でしょ。」と返される場面にはハッとさせられた。

それはともかく、映像として熱かったのは、主人公二階堂ふみの彼氏が浮気相手のあそことあそこにヘアスタイル用のムースの缶を入れるという場面。劇場に響くカラカラという音。
まじか。ドン・キホーテとそのアダルト・コーナーが普及して良かった。


アナログ・ミュージック

2017年3月19日 by CoMA

村上春樹の『騎士団長殺し』を読み、その中で音楽を聞くことの描写に関心を抱いた。
それは、主人公や友人がレコードやカセットテープといった時代遅れのメディアで音楽を聞くことが描かれている点である。
村上春樹は、そこに(”時代遅れのメディアで音楽を聞くこと”)どんな意味を込めて描いたのだろうか。そう感じたのだ。

ここ数年、レコードの復権やカセット・リバイバルがささやかれてはいる。
しかし、今さら、時代遅れのレコードやカセットテープで音楽を聞いてどんな意味があるのだろうか。

そこには、僕らがいつの間にか失ってしまった何か、なくしてはいけない何かがあるのだろうか。
あるいは、レコードやカセット・テープで音楽を聴くというのは、ある意味何らかの価値観の提示・アティテュードの表明だろうか。
では、それはどのような価値観・アティテュードの表明なのだろうか。

そして、最近、僕自身思わずカセット・プレイヤーとカセット・テープのライブラリを購入してしまった。
これはどんな意味を持っているのだろうか。

ゆらぎ性を持つレコードやカセット・テープの音の響き

まず、カセットについていえば、聴き始めてわかったのだが、カセット・テープの音の響きにはどこか絵画的な印象がある。そこには、ある種二次元的でありつつ、現実を浮遊した、いわば印象派の絵画のようなフィーリングがある。
レコードは臨場感があり生々しく写実的な絵画なのだが、カセットは中音域の音にフォーカスし背景は多少ぼやかされているので“印象派”的な印象を得るのだろうか。
そこに独特の柔らかさやスムースさを感じる。

あるいは、レコードがフィルム・カメラによる写真で、MP3がデジタル・イメージだとしたら、カセットはフィルム式のトイ・カメラやポラロイド・カメラに近い質感のフォトグラフだといえる。
トイ・カメラやポラロイド・カメラの質感をデジタルに再現して、若者に人気があるのがInstagramなどのiPhone/Androidアプリだが、そのような感覚で現在ではカセットが注目されているのかもしれない。

ところで、レコードやカセットの音とデジタル音楽では、何が異なるのであろうか。
その違い、メディア毎の音の響きの差は、記録の方法(方式)によるものが大きいのではないだろうか。

レコードやカセットは、音の波をそのまま記録する。
レコードは、音の波を物理的な溝として、カセットは電磁的なコードとして記録する。
それらは、音そのものを描画するという点でアナログなメディアである。
この音そのものが描画されていることが、音に豊かさを持たせているのだ。

他方、デジタルメディアは音そのものを描画するのではない。
音の波を、切り取り棒グラフに変換して描画して、その数値を01で記述する。
この音の波を切り取り棒グラフに変換するときに多くの周縁的な隙間が抜け落ちてしまうことが問題であり、さらに01への変換は全てを有と無に変換することであり、ゆらぎ性が失われることが問題である。

こういった記録の方法によって、“やわらかさ”や“ゆらぎ”に違いが出るのだ。

A面・B面の物語性
もうひとつ重要なのは、物語性である。

かつて、音楽は物語を持っていた。若者は、音楽で社会を変えられると信じていた。
しかし、現代の音楽にかつてのような物語性・思想的な意味が内包されているかは疑問がある。

現代はクラウドにある音楽をシャッフルで再生するような時代、
あるいは提供されたプレイリストの音楽を気分に合わせて聞く時代である。
そのような文脈に物語は成立しえない。
それはファスト・フードのように、何らかの欲求を満たすための、ファストな何かにすぎないだろう。

あらゆるものをデータベースからピックアップしてキュレーションする社会。
キャピタリズムとエンジニアリングの成れの果て、物語を失い真実の喪失に動揺する社会。

そういった状況の中で、レコードやカセット・テープで音楽を聴くことは、カウンターとしての意思の表明である。
つまり、それは「動物化するポストモダン」化した社会へのアンチテーゼではないだろうか。
それは、物語の喪失への異議申し立てであり、コンテンツのデータベース消費へのNoであり、全てが相対主義化した社会への批判だ。

もちろん、音楽は曲自体がひとつの物語を描いているものかもしれない。
しかし、レコードやカセット・テープは、シャッフル再生することはできないメディアである。
そして、そのことがより大きな意味を描き出している。

それらにはA面とB面があり、それぞれがその作品全体の前半と後半の構成として展開されていて、
作品全体として、その中に大きな物語が描かれているのだ。

2015年のグラミー賞を覚えているだろうか。
プレゼンターを務めたプリンスのスピーチが評判を呼んだ。

‟Albums, Remember Those? Albums still matter. Like books and black lives, albums still matter. ”
(アルバムって皆覚えてるかい? アルバムはまだ大事だ。本とか黒人の命と同じようにアルバムって重要なんだよ)

僕はいまカセットテープでプリンスの音楽を聴いている。

なぜ、音楽はデジタルであっては、十分ではないのか。
それは、音楽の本質によるものだ。

音楽はつねに超越を希求し体感するものであり、聴くものにとっては超越性との合一が快楽となる。
それは、現象からの解放であり、意識を溶解させ音楽の流れに身をまかせることだ。

では、なぜ、音楽は超越を希求するものなのだろうか。
音楽の役割は、経験的日常からの解放であり、日常を超えたところを体感することにあるからだ。
現実をある種の意味で否定し、超現実を体感すること、それが音楽を聴くことの意味だろう。

音楽が超越を希求してきたことは、キリスト教やインド哲学やチベット密教や浄土教の残してきたものを見れば明らかだ。
神の絶対性や神への愛を表現するものとして、すべてを包み込むような賛美歌があり、バッハの旋律があり、主への歓喜としてのベートーヴェンの第九がある。
あるいは、輪廻転生する生命体のブラフマンへの合一として、インド哲学やチベット密教における身体的な発生音としてマントラの音律があり、浄土教の極楽浄土への夢想として念仏や鳴り響く鐘の音があるのだ。

しかし、現在の音楽マーケットでの音楽は、そうではないといえるだろうか?
例えば、若い子たちが聴くラブソングなどは、現実における愛の不十分さに満たされない心境が超越的な愛を求め、それを満たすものとして震えるようなラブソングがある。
そういった意味では、ある種の夢想、非現実を想起し体感することを目的に音楽があるというのは変わらない。

音楽はデジタルであっては十分ではない、その問題は、この体感、音楽のフィジカル性にあるだろう。
仮に、グラフィック映像や電子ブックを考えてみる。
現代のグラフィック映像が多用された映画を見たときに、誰が臨場感を憶えないだろうか。
あるいは、電子ブックでテクストを読み、物語を想起するときに、そのデジタルさがどんな不具合をもたらすだろうか。
もちろん、そのデジタル技術の発達度にもよるが、ラディカルな問題としてはなんら支障は発生しないであろう。
なぜならば、それらは直接的に表象や観念に飛び込んでくるものであるからだ。
人間の論理の生み出したデジタルは表象や観念との親和性は低くないのだ。
問題は、それがフィジカルとの接触を持つときである。
デジタルのゼロイチの音は親和性のある響き、フィジカルな経験をもたらすことが難しいのだ。

音の波には、多くの周縁的な意味が含まれており、そこにはゼロイチあるいは有と無に変換することのできないゆらぎ性が含まれている。
それは、自然といわれるネイチャーの性質であり、ある種のヒューマニズムと似ているものだろう。
そういった意味では、人間の論理を超えた自然の摂理、生成消滅を繰り返す流転しつづける唯物論的な球体の論理こそ人間にとっては超越的なものなのかもしれない。

そして、その超越的な経験をするために必要なものとして、ゆらぎ性のある音があるのだろう。


山田かまちを巡って

2017年1月5日 by CoMA

山田かまちについて考えるとき、僕は抗いようもなく、17才の自分に戻ってしまう。

彼は、繊細で傷つきやすい、17才の青年だった。
そして、今でも17才のまま、その一瞬のかがやきを残している。

山田かまちの名前を知ったのは、まだティーンエイジャーになったばかりの頃だったと思う。僕は山田かまちと同じ高崎市で生まれ、育った。

記憶の中の高崎は、いつも風が吹いていた。
耳をすませば、ウォークマンのイヤホンを外した耳に、ヒューという風の音が響いて聞こえた。
ときおり思いがけず吹く風で砂ぼこりが目に入り、涙がにじんだ。
烏川をまたぐ長さ400メートルばかりの橋梁の上を、横風にあおられながら前のめりになって自転車で走り抜けた。
とにかく、乾いた強い風の吹く街だった。

13才~15才の抑圧されたむず痒い時期を中学校でやり過ごし、高校受験をなんとか切り抜けると、高校は山田かまちと同じ高崎高校に進学した。
そこは、かつて旧制中学だった男子校でバンカラな風土で有名だった。
たまらないくらい自由な日々だった。
まるで、すべてが許されているような気がした。
授業をエスケープして、図書館や市営のプラネタリウムで時間をつぶしたり、コパトーン(ココナッツの香りのサンオイル)を用意してプールサイドで日焼けをしたり、今はなき真下商店で駄菓子を齧りながら猥談ばかりしていた。
今思い返すと、あれは何だったのだろう。(もちろん留年しかけた。)
井上ひさしに『青葉繁れる』という小説があるが、あんな高校だった。
(余談だが、東京の大学に進学すると周囲のソフィスティケートされた立ち振舞いに、当初だいぶ戸惑いを感じた。)

三島由紀夫がどこかで「本当の卒業とは、『学校時代の私は頭がヘンだったんだ』と気がつくことです。」と語っていたように思う。いま思うと、確かに、当時は少しおかしかったように思う。

当時の僕は、タナトスの欲求に突き動かされていた。
死への欲求は、生の欲求である。
死を覚悟することによって、生の実感を得るのだ。
それはスリルの欲求であり、逆説的な快楽の衝動である。

一瞬一瞬の刹那的な生の実感を、限界まで求めていたように思う。

それは、美と超越の探求だった。
観念的で形而上学的な、存在と本質の追求だともいえる。

当時の僕を、友人は「躁鬱病みたいだった」というし、ある人は「あたまのおかしなチンピラだった」という。
おそらく、そうだったのだと思う。

ある時は女の子にどうしようもなく恋をしてライバルの男子を殴り飛ばしたり、
ある時は街のチンピラに目をつけられて追いかけまわされ必死に逃げ回っていた。

それは、刹那的な生の実感を得るための即物的な方法だった。
そして、そうすることによって実存の不安を解消していたのだ。

とにかく、当時、山田かまちの描いた絵と詩に、どうしようもなく共感してしまう自分がいた。

山田かまちは高崎高校に通う17才の時に自宅の2階でエレキギターに感電して亡くなった。
ビートルズに憧れて、ロックのサウンドに惹かれ、水彩画を描き、恋をして、詩を書いた。
そして、死んだ。

彼が17才の自分に向けたメッセージ。

感じなくちゃならない
やらなくちゃならない
美しがらなくちゃならない

当時、僕は焦燥感を抱いていた。
理由はわからない。
たぶん、そういう年齢なんじゃないかな。

あらゆる可能性があるように感じ、同時に、将来はまったく見えなかった。
エゴの肥大化と、実際の行動とのあいだには、大きな裂け目が存在した。

とにかく、何かしなくちゃいけなかった。
そうでなければ、ディオニュソス的な狂気に呑み込まれそうだった。
なにをすべきかは、わからなかったけど、とにかくエネルギーがあふれそうだった。
興奮して身体と心が震えてしょうがなかった。

もっともっと一瞬一瞬の感覚を鋭くしなければ、
もっとすべてに感動しなければ、
そしてこの瞬間を絶対的なものに純化しなければ、と感じていた。

実をいえば、いまでもこの感覚は忘れていない。
もしかすると、あの頃よりも、少しは慎重に、ほんの少しは大人らしくなっているとは思うけれど。
それでも時々、こみ上げてくるものがある。

だから、これは僕のためのメッセージでもあるんだ。

感じなくちゃならない
やらなくちゃならない
美しがらなくちゃならない


村上春樹について

2017年1月7日 by CoMA

『ノルウェイの森』をはじめに読むと、村上春樹が苦手になるといわれる。

ある空間への「入射角」というのは大事だ。
角度が浅ければ反射してしまうし、角度が深すぎるとすぐに失速してしまう。
乱反射するのも悪くはないが、できればスッと屈折することなく進むのが理想的だ。

その意味で、村上春樹の作品を『風の歌を聴け』から読み始めたのは幸運だった。
個人的には、小説を読む場合には、デビュー作から入り、次に代表作を読む、という流れがベストだと思う。村上春樹でいえば、『風の歌を聴け』から入り、『ノルウェイの森』を読んで、それから『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』『ダンス・ダンス・ダンス』と読んでいくのがいいと思う。

実をいえば、村上春樹の作品は大体読んでいる。
「ハルキスト」という言葉があり、熱狂的な信者を冷笑する人もいるが、それもあながち誤った解釈ではない。

聖書の膨大なテクストを、創世記、ヨシュア記、ルツ記、サムエル記、イザヤ書、エレミヤ書、詩篇、箴言と読み込んでいくように、気がつけば大体の作品は読んでいた。
同じような友人とは、冗談半分でこんな話をすることがある。
「もう村上春樹の新刊は慌てて読む必要はないよね。だいたい何が書いてあるのかわかるから。」

おそらく村上春樹の作品を初めて読んだのは、高校2年生の夏のはじまり、6月の文化祭のすぐ後だったと思う。
いつもどおり授業をエスケープして、高校の裏山の高台にある駐車場のベンチで、コカ・コーラを飲みながら、ケータイの電子メールで女子校の生徒とデートの約束を取り付けると、キャメルのタバコを吸いながら『風の歌を聴け』を読んだ。
強い日差しが文庫の白い紙の表面で反射し少し目にしみた。
駅ビルのスターバックスでの待ち合わせまで2・3時間ひまを持て余していた。
「まずデニーズで軽く腹を満たして、その後はホテルSUNに行こう。今日は彼女、何色の下着だろう。部屋で、冷蔵庫のビールで乾杯するのもわるくないな。」
そんなことを考えながら、軽く文章に目を通していた。やれやれ。

ところで、『風の歌を聴け』をはじめに、次に『ノルウェイの森』を、そしてその後で『1973のピンボール』という順で読んだことは、
村上春樹は1960年代の革命闘争・学生運動とその終焉を経験し、その後で喪失感の中を生きていく生活を描いたポスト・モダンな作家という印象を強く抱かせた。

フランス現代思想の旗手であるフーコーやアルチュセール、ドゥールーズが5月革命を経験して登場したように、日本のポストモダン作家の村上春樹もあの革命闘争・学生運動を経験して登場したんだというのが僕の感じ方だった。

たしかに、最近の著書には、ノンセクト・ラジカルであったことが示唆されている。
上記の順で本を読むと、その当時の作者の心象が、より鮮やかに想起されると思う。

日本におけるポストモダン。
80年代、浅田彰は『構造と力』や『逃走論』で「シラケつつノル」姿勢や「逃走」を提示した。
田中康夫は『なんとなくクリスタル』ですべてが商品・ブランド化した資本主義社会のライフスタイルをコマーシャルでビビットな表現で皮肉った。
法政大学の中核派だった糸井重里は「スカッと爽やかコカ・コーラ」「おいしい生活」というコピーを量産し、資本主義の内部で新たなライフスタイルの改革を試みた。

一方、村上春樹は、ただ社会とシステムに拒否をした。
新しいシステムに飲み込まれながら、社会については沈黙した。
そして、1995年の阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件まで、社会とのデタッチメントをつらぬいた。

デタッチメント、沈黙、それは強烈な否定だ。
作家の仕事は語ることである。その作家が語らないことを選択した。
それは単に、距離を置くというのとは違う意味を持っていたはずだ。

デートの最中で、彼女が黙ることがある。
昨日まで上目遣いで話しかけてきた後輩がある日、突然無視してくることがある。
そこには、怒り、嫌悪感、いきどおりが満ちている。

『風の歌を聴け』にはこんな文章がある。

それにもかかわらず、文章を書くことは楽しい作業でもある。生きることの困難さに比べ、それに意味をつけるのはあまりにも簡単だからだ。
十代の頃だろうか、僕はその事実に気がついて一週間ばかり口も聞けないほど驚いたことがある。少し気を利かしさえすれば世界は僕の意のままになり、あらゆる価値は転換し、時は流れを変える…そんな気がした。
それが落とし穴だと気づいたのは、不幸なことにずっと後だった。僕はノートの真ん中に1本の線を引き、左側にその間に得たものを書き出し、右側に失ったも のを書いた。失ったもの、踏みにじったもの、とっくに見捨ててしまったもの、犠牲にしたもの、裏切ったもの…僕はそれらを最後まで書き通すことはできなかった。

1960年代~1970年代、時代は大きな変化を見せた。
「意味」に大きな転換がおこり、あらゆる価値や世界観を書き換えたのだ。
人間の理性を信頼してきた近代が終わり、ポストモダンに時代は転換した。

ベトナム戦争を横目にニクソンは周恩来と握手を交わし、学生集会に集まった学生たちは就職が決まって髪を切った。
もう若くはないさと言い訳をしながら。

モダンは自ら滅んでいった。
三島由紀夫は天皇万歳を叫んで自決し、学生たちは山岳ベースの内ゲバを通して自滅した。

社会主義の神話は崩壊し、マルクスの権威は失墜した。
「革命」は希望から虚構になった。神は二度死んだ。

世界はコード(意味)を書き換えていた。
そして1980年代に、新たな価値体系である高度資本主義というシステムは完成する。

そのあいだ、村上春樹は、ただシステムを拒否し続けた。
変化する社会とのデタッチメントが村上春樹のノンだった。

そして、作り出された「価値」から形成される社会に「言葉」と「物語」を武器に一人で闘争/逃走を開始したのだ。

『ノルウェイの森』にはこんなエピソードでソサエティへの不信感があきらかにされている。

夏休みの間に大学が機動隊の出動を要請し、機動隊はバリケードを叩きつぶし、中に籠っていた学生を全員逮捕した。(‥‥中略‥‥)大学は解体なんてしなかった。大学には大量の資本が投下されているし、そんなものが学生が暴れたくらいで「はい、そうですか」とおとなしく解体されるわけがないのだ。そして大学をバリケード封鎖した連中も本当に大学を解体したいなんて思っていたわけではなかった。(‥‥中略‥‥)
ストが解除され機動隊の占領下で講義が再開されると、いちばん最初に出席してきたのはストを指導した立場にある連中だった。彼らは何事もなかったように教室に出てきてノートをとり、名前を呼ばれると返事をした。これはどうも変な話だった。なぜならスト決議はまだ有効だったし、誰もスト終結を宣言していなかったからだ。大学が機動隊を導入してバリケードを破壊しただけのことで、原理的にはストはまだ継続しているのだ。そして彼らはスト決議のときには言いたいだけ元気なことを言って、ストに反対する(あるいは疑念を表明する)学生を罵倒し、あるいは吊るしあげたのだ。(‥‥中略‥‥)彼らは出席不足で単位を落とすのが怖いのだ。そんな連中が大学解体を叫んでいたのかと思うとおかしくて仕方なかった。そんな下劣な連中が風向きひとつで大声を出したり小さくなったりするのだ。
おいキズキ、ここはひどい世界だよ、と僕は思った。こういう奴らがきちんと大学の単位をとって社会に出て、せっせと下劣な社会を作るんだ。

この後、村上春樹はセカイ系に影響を与えたという『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』や『ねじまき鳥のクロニクル』まで、社会とデタッチメントの関係を保ちながら、無意識/意識と自己/世界との境界線の物語を描いてくことになる。

そして、ある時、革命闘争・学生運動の反転したラジカル、超越と聖を求める倒錯した狂気の集団と交差するのだ。
そして1995年の事件以降、村上春樹はコミットメント(アンガージュマン)に向かっていくことになる。

重要なことは、二つある。

ひとつは、ずっと村上春樹がシステムへの拒否の姿勢を示し続けているということだ。
村上春樹はひとりで闘争/逃走を続けていた。
それが、沈黙という暗示であるか、明らかなかたちであるかを問わず、システムへの抵抗を続けていた。

そして、もうひとつ。
いずれコミットすべき時は来るということだ。


〈知覚の扉〉を叩いて

2017年1月8日 by CoMA

オルダス・ハクスリー(1894 – 1963)は『すばらしい新世界』で知られるイギリスの作家だ。

僕が、オルダス・ハクスリーについて知ったのはドアーズ(The Doors)を介してだ。
それは、大学に入学した年だったと思う。だから、18か19の時だ。もう10年以上前の話だ。

大学に入り、ひとり暮らしをはじめると、時間軸から開放される。
それがたった4年間の話だったとしても、開放された空間を楽しむのが学生の特権だ。

当時は、iPodが広く普及しはじめた時期だった。
誰も彼もが、iPodで音楽を聞いていた。
当時のiPodは今のiPhoneやAndroidのような通信系のモバイル端末ではなかった。
僕が持っていたのはiPod Classicで、それは60GBの記憶装置を持つ小さなジューク・ボックスだった。

バーに入りカウンターのマスターにシャンディー・ガフを注文する。
一服しながら空間の隅っこにあるジューク・ボックスをながめる。
ジュークボックスに近づき、お気に入りのナンバーを探す。
クリームのWhite Room、ディープ・パープルのsmoke on the water、レッド・ツェッペリンのStairway to Heaven、そしてドアーズのLight My Fire。

そんな風に僕らは、喫茶店でマクドナルドで駅のプラットフォームで下北沢の商店街で、どこでもiPodで音楽を聞いていた。
当時、音楽を聞いていない友人がいただろうか。
”NO MUSIC NO LIFE.”
”DIVE INTO MUSIC.”
そんな言葉が、まだ生き生きして見えていた。

iPodは音楽の聞き方を変えた。TSUTAYAでCDを借りると60GBの記憶装置にあらゆる音楽を詰め込んだ。
60’s~00’sのロック、ヴィレッジヴァンガードで知ったジャズの名盤、映画の影響で聞きかじってみたストラヴィンスキーやマーラー。
あらゆる音楽の波に呑み込まれて楽しんだ。

不思議なのだけれど、音楽を集中して聞いていると、目の前に音の色をした光が現れたり、音の球体がひだまりの猫のように目の前で遊び飛び跳ねるように見えることがある。
音楽というのは直接的に、フィジカルに僕らに何かを見せてくれることがあるのだ。

オルダス・ハクスリーについて知ったのは、そんな頃だった。
ドアーズ(The Doors)の名前の由来は、オルダス・ハクスリーの『知覚の扉』だ。

『知覚の扉』というのは、もともとは詩人ウイリアム・ブレイクの以下の一説からの引用のようだ。

知覚の扉澄みたれば、人の眼に ものみなすべて永遠の実相を顕わさん

昔から、10代の頃から「存在」や「本質」を見たいと思っていた。
人々のいう「常識」や法律の授業に出てくる「社会通念」に強烈な違和感を感じていたからだ。

オルダス・ハクスリーの『知覚の扉』はそんな疑問を解くための、方法論として僕にとってヴィヴィッドなものだった。

『知覚の扉』は、幻覚剤メスカリンをオルダス・ハクスリーが実際に体験した、エッセイであり体験記である。
その中で、幻覚剤メスカリンを使用した意識状態での、芸術の見え方、人との関係のあり方、存在の仕方が描かれている。

オルダス・ハクスリーは、身体に刺激を与えることで人間固有の認識のフィルターや社会的なバイアスのフィルターを除去し、知覚の拡大をできるのではないかと考えていた。

イマニュエル・カントがいうように、人間は外部の物自体の存在を知覚しているのではなく、悟性や理性のフィルターを通して認識を行っているとすれば、人は事象そのものを把握することはできない。
つまり人は客観には到達しえないし、あらゆる人は主観で語るにすぎない。
そうした状況での「常識」・「社会通念」に不信感と欺瞞を感じるのは、どうしても避けられないのではないかと思う。

しかし、もし物理的な刺激により、人間固有の認識のフィルターや社会的なバイアスのフィルターを除去することができるのであれば、本質を体験することができるのではないか。そして、それは理想的な話に思えた。

歴史的に見れば、オルダス・ハクスリーの『知覚の扉』は、60年代の西海岸のヒッピーやハーバード大学教授だったティモシー・リアリーやジョン・C・リリーが行った運動、LSDによって意識の拡張を追求した社会的ムーブメントに、大きな影響を与えている。
意識の拡張は、個人のあらたな意識への変革と他者への共感を意味する。彼らは、新しい物語として、あらゆる人々の意識の変革を未来の社会の希望としていた。
おそらく僕はそのパロディを個人的な体験として求めていた、あるいはサイキック・ボリシェヴィキを夢想していたのだろうか。
iPodから流れる音楽と一緒に。

オルダス・ハクスリーの『知覚の扉』や西海岸のヒッピーのムーブメントは、その後もニュー・エイジなど様々な運動の起点となっている。
日本においてはその影響が、東洋思想と反資本主義の感情に結びつき、80年代~90年代前半に強烈な負の側面を露呈してしまったが。

しかし、フィジカルな体験、しかも内的な経験は、実は強烈な力を持っている。
世界のシステムはいま完全にバーチャル化した。
今あらためてフィジカルなカウンターへと歴史の振り子は向きを変えるのではないかと考えている。


絶対的な瞬間について

2016年12月18日 by CoMA

最近、年上の女性と仲良くなり、お酒を飲みながら古典について話をするようになった。

たとえば、カントやヘーゲル、ハイデガーやサルトル、フロイトやユング、プラトンやマルクス、三島由紀夫などについてだ。

つまり、本質や存在あるいは弁証法について居酒屋で雑談するのだ。
きわめて正しいお酒の飲み方であるように思う。
さらに言えば、形而上学自体がある種の人間にとっては、アルコールのようなものなのだけど。

ただ、エリートではなく、アカデミックな世界でもなく、普通のビジネスマンとして生きていく中で、このような友人ができるというのはきわめてまれなことだと思う。
一般的に言えば、哲学・思想というのは、鼻持ちならないもの、いかがわしいもの、敷居が高いもの、その実価値のないものと見られがちだからだ。
現代においては、アナクロニズムにも過ぎる。

彼女と話していて感じたことだが、やはり哲学や思想に夢中になる人には、論理や日常における価値をこえた何かに出くわしてしまったと感じる経験「絶対的な瞬間」というのが往々にしてあるらしい。そこから、形而上学的な本質をさらに追求したいと感じるようになるのだ。

たとえば、ソクラテスがデルフォイのアポロン神殿で「ソクラテスがギリシャ一の賢人だ」というお告げを受けたことがそうだろう。

あるいは、ヘーゲルがイエナ・アウエルシュタットの戦いに勝利したナポレオンの凱旋を目撃し「世界精神が馬に乗って通る」と表現したのも、現象をこえた何らかの意味に出くわしたということだろう。

作家の三島由紀夫は、1945年の終戦の詔勅を親戚の家の庭で聞いたという。
そして、家族との日常の中で、終戦という絶対的な非日常の終焉を聞き、そこに不思議な感動を通り越した様な空白感を感じたという。
三島にとっては、それが何かに出くわしてしまった瞬間であったのであろうし、終戦後はそれを問い続けたと自らが語っている。『豊穣の海』の最終巻『天人五衰』のラストシーンはその超越的な瞬間を明晰に記したものだろう。

彼女にとっての「絶対的な瞬間」は、タイを旅行中にメコン川をボートでくだっている時だったらしい。その濁流の水面が太陽できらめく一瞬を目にして、彼女は愛を感じるという神秘体験を経験したという話を語ってくれた。
自然というのは、人になんらかのメッセージを示唆するものであるようだ。

その話を聞いて、僕もある瞬間を思い出した。
僕は、その「絶対的な瞬間」に、大学時代20歳の頃に出くわしてしまった。

その頃の僕は、東京の端にある国公立大学に通っていて、調布の安アパートにひとり暮らしていた。

おそらく、秋だったと思う。大学にはなかなか通わず、多摩川の河原沿いをiPod classicでボブ・ディランを聞きながら、CAMELのタバコを吸って散歩ばかりしていた頃だ。当時は絶望的に未来が見えなかった。単位取得や卒業について考えるのは憂鬱だったし、はじめから関心などなく諦めていた。社会人になることなど考えるのも嫌だった。とにかくいつまでも自由でいたかった。

日が暮れると家に帰り、ウォッカにナツメグを溶かして一口に飲むと、ソファーに横になり乾燥させたアジサイを混ぜたタバコを吸った。当時は、オルダス・ハクスリーやジョン・C・リリーなどの60年代のヒッピーに傾倒していた。憂鬱な気分もいくらか穏やかになり、あるいは高揚した。

ある日、明かりを消したバスルームでチャンダンのお香を焚きながらウォッカを飲んでいると、不思議なイメージが現れた。目の前にあるのは宇宙だった。無であり混沌とした形而上学的な宇宙だった。
あたりを見回すと、その宇宙の中で、人々が回し車の中を歩き続けていた。まるで、車輪の中のハムスターと同じだった。どれだけ歩き続けても決して前進することはない。虚空の上で車輪が回り続けるだけなのだ。それなのに、人々は絶えず歩き続けていた。なぜ人々が歩き続けるのか僕には理解できなかった。歩き続けても意味などないのに。僕は、みんなになぜ歩き続けるのかと尋ねた。誰も答えはしなかった。

すると太陽が現れた。狂おしいほど眩しい、真っ白な太陽だった。
太陽は膨張しはじめた。熱量を大きくしながら、さらに巨大になり続けた。
すべては太陽に包まれた。すべては太陽に焼かれていった。
風が吹いた。その時、僕は生きるとはこういうことなのだと思った。

僕がその体験について話を終えると、「それは多分、悪魔のささやきね。」と彼女は笑った。

けれども、僕はなんとなくすっきりした気持ちになっていた。
ようやく気づいたのだ。
このイメージは、誰かのストーリーをなぞっているだけだと。

それは、フリードリヒ・ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』だった。

ニーチェは、19世紀の終わりに活躍し、20世紀が訪れる前年1900年に亡くなった。
「ニヒリズムが、来るべき2世紀の最大の問題であり、これは、文明の『病』だ。」と語って。

今は、2016年だ。
あれから10年近くたってしまった。
ボブ・ディランはノーベル文学賞を受賞した。
僕は社会人になってまがいなりにもコンサルタントを名乗っている。
いまだに安アパートにひとり暮らしだ。

文明は「病」を克服するだろうか。
確かに相対主義の時代が終える気配はある。
けれど、それは反動に過ぎないのかもしれない。


滝口悠生『愛と人生』を読んで考えること

2015年3月11日 by 宝田 とまり

3月11日ですね。
あれから4年、早いのか遅いのかその判断が遠のく辺りに震災の風化を現実のものとして感じてしまいます。(個人の意見です)

今日ある小説を読み終えました。
とても偶然にその本の最後には、それまでとは何の脈絡もない形で震災を思わせる記述がありそれによって今僕はこれを書いています。
だから、今日僕がその本を読み終わらなかったらここにこれを書くことはなかったでしょう。

今日、地震が起こった14時46分に黙祷を捧げたり自身のSNSに書き込みをした人が多くいたと思います。
その中に一つ興味深いツイートを見つけました。
呟いた人(ある文芸批評家の方です)の名は伏せて転載させて頂きます。

2万人近くの死、というのも、よくわからない。交通事故であれなんであれ、人が死ぬのは哀しいだろう。しかし、知らない二万人よりも、家族とか親しい一人の死の方がつらくないかね。(中略)
集団の死を、集団で慰霊するということの意義が、リアリティを持った形で想像できないというか、それは一体どういうことなのか? っていう本質が未だにわからない。親しい人を喪った人の気持ちを想像する。これはわかる。それが数万人分。これ、脳の容量超える。そして、普段、その辺でやっている知らん人の葬式にもそう感じなきゃならんのか、でも現にそう生きていない。では、日々の死者や遺族の悲しみに、差をつける根拠はなんぞやってのが、わからなくなる。

死んだ人間に黙祷を捧げるのに、何故、加害者である地震の側のタイミングに皆が合わせなければならないのか。納得ならん。

ここまでです。
僕も純粋にそうだなーと納得してしまう部分もありました。
テレビではテレ東を除きキー局は半ば義務的にワイドショーの枠を拡大し震災4年に合わせた報道番組をやっていました。
ただ僕はこのツイートへの答えってこういう事じゃないかなと思ったのです。

滝口悠生『愛と人生』(講談社)
中編が3つ載った作品集です。
その中の3つ目『泥棒』という作品の最後で、今までご近所だった伊澤さんという人物がなんの前触れもなく引っ越しをし、元あった家や庭が業者によってまたたく間に更地にされてしまうという部分があります。
突然お隣さんがいなくなったり、解体までの描写には「水」や「川」「流れ」といったワードが吹き出すように現れ、これはまず間違いなく震災での被害を表していると言えます。
話はさらに少しだけ続き、そして最後にこんな文章で締められています。
(途中出てくる“熊”というのは登場人物のあだ名であり人の事です)

私も驚きがおさまらぬまま、慌てて、ありがとう、と早口で言った。自分も何かを取り繕っているみたいな気持ちになって、振り返ると、熊を見る時にはたいてい冷たく醒めた顔つきの妻が、珍しく私と一緒に熊に礼を言いそうな柔らかな笑顔をしていた。これまでにほんの何度かだけ見たことのある、私の好きな、忘れられない表情だった。妻もびっくりしてつくる表情を間違えたのかもしれなかった。私はこれからもこの瞬間のことと、その妻の表情を忘れないが、妻の表情を覚えることはできなくて、だから自由に思い出すこともできない。(滝口悠生『泥棒』)

なぜ、誰しもが誰しもに倣ったかのように同じ時間に黙祷を捧げる(意地悪な言い方をすれば自己顕示的)のか。
それは4年前の東日本大震災の被災者やその関係者でない人間の方が日本には圧倒的に多いからです。その人たちは、どうなるか。
“震災”のことを忘れまいと誓うが、次第に
「覚えることはできなくて、だから自由に思い出すこともできない。」
ようになってしまうのです。

なので半ば機械的なタイミングを利用せざるをえなくて、こうやって祈ったり思い出したりするのです。
人間は弱く不自由で特に自然になんて勝てっこなく、圧倒的に無力です。
しかし、一人ではなく多くの人が集まって一緒になることで生まれる力もあるのかもしせません。いや、実際はそんなシーンばかりでしょう。
震災の被災者の方、今も苦しみながら毎日生活されている方にとって少しでも良い未来が訪れればと思います。


あの頃、僕らが夢中になったのはこんなレコードだった。

2018年11月2日 by Heiwagokko

10年弱前のmixiの日記に大学4年間で刺さった10枚みたいなものを書いていたのを偶然見つけた。ほぼ全てインディーロックで時代を少し感じたのと自分可愛いかったなと暖かい眼差しで読んだ。


どうも!今日は僕が大学4年間に聴いたアルバムの中から特に素晴らしかった10枚をピックアップして紹介します。 
興味のない方は僕の牧場に虫でも入れてお引取り下さい。 
それなら公開しなきゃいいじゃないか?もっともです。でもあえて公開するのはちょっと見てもらいたい気持ちもあるからです。笑

スタートする前に注意事項を!今回は70’s~2000’sの中から10枚を選びました。

なぜ、60’s(50’sはともかく)を外したのか。かのピッチフォーク(アメリカの音楽サイト)も60’sはアルバムのランキングを公開せずに、曲のランキングだけに留めてあります。おそらく音楽基地外の集団であろうピッチフォークでも「ごめん、60sはアルバムで順位はつけれねーわ。わかるだろ?」的なことが英語で書いてありました。
それをたかだか4年間音楽をかじった程度の僕が安易に優劣をつけることはできません。70’s以降なら多少なりとも詳しい人とある程度は会話できるんですが、60’sの話になると、「それは何ですか?」の嵐です。60’sは奥が深いし、いちいちクオリティが高いので、それを含めたものは5年後なり10年後なりにでも書けたらいいと思ってます。
一応一つのバンドでアルバム一枚までっていう制限をつけました。それじゃあ、スタート。

No.10 
I Can Hear the Heart Beating as One/Yo La Tengo <1997> 

アメリカの良心!ってよく言われるバンドだけども、ホントにその通りでコンスタントにいいアルバムを作るし、どれをベストに挙げるかはすごく難しい。これと近い時期にでたエレクトロオピューラっていうのも大好きで迷ったんだけどアルバムとしての完成度の高さからこっちを。

このバンドの何がいいかって、音に人柄がすごくよく出てる。得意の3分ポップス系(ストックホルムシンドロームとか)なんかは、家庭生活の延長線上にこの音がありそうだし、長尺系の曲にしてもギターの音はすごくひしゃげてるんだけどどこか暖かい。ロックバンドっていうと、自分達とは離れた世界の存在をイメージしがちだけど、この人たちはふつうのおじさんとおばさん。(おじさんはギター持つと、ノイズおじさんに変身するけど。)すぐ隣に住んでそうな。そこにどこかひとつのクッションがあるというか、だからライブでお遊戯みたいなダンスをしても許されるんじゃないかなんて思う。

No.9 
Entertainment!/Gang of Four<1979> 

ニューウェーヴ、ポストパンク期の名盤として取り上げられることが多いこのアルバムだけど、時代が偶然に生んだ音かっていうとそうじゃなくて、このキレキレでジャキジャキの音は、ドクターフィールグッドから受け継がれてきたものらしい。去年フジでウィルコジョンソン見た時にはギターの音にそこまでキレを感じなかったんだけど、当時の映像を見てみると、面白いくらいにジャキジャキした音を出しててびっくりした。この音をニューウェーヴの解釈でより無機的にしたのがギャングオブフォーだって考えるとすごくしっくりくる。

このアルバムについてだけど、もうひたすらカッコよくて踊りださずにはいられない程のキレと勢い。序盤から中盤にかけての勢いがとまらずに爆発していくような感じがたまりません。映画のマリーアントワネットを見た時に、オープニングでこの曲がフルに近いくらい流れてて、ちょっといじらしい気持ちになった。ソフィアコッポラはずるい。おれも好きな曲あーいう風に使いたい。笑 ちなみにソフィアが映画で使った音楽で一番上手だなと思ったのが、ロストイントランスレーションでのマイブラのサムタイムズ。あれはぞくっとした。

No.8 
Marquee Moon/Television<1977> 

このアルバムが出た頃はちょうどピストルズがイギリスでわいわいやってた頃で、アメリカではちょっと前からニューヨークドールズなんかがやいやいやってた影響もあって、テレビジョンもニューヨーク・パンクのジャンルでくくられることが多いんだけど、これはパンクか?笑 

歌詞はまともに読んだことないけど、詩的で知的な印象まで受ける。 
もちろんアルバム全体を通してすごく完成度が高い。音はとてもシンプルな構成なのに名曲のオンパレード。 
でもなんといってもそこはやっぱりタイトル曲のマーキームーンが群を抜いて素晴らしい。ギターが絡む絡む。そりゃもう官能的なまでに絡む。こんな名曲が生まれた時の気持ちを是非聞いてみたい。 
ちなみに一曲目のSee No Evilには「足、足のー、いぼー」っていう空耳もあります。

No.7 
The Lonesome Crowded West/Modest Mouse<1997> 


はいきた。モデストマウス!僕はこのバンドに関しては断然初期派でこれかファーストかどっちかで迷った。ファーストはアメリカの労働者階級のことを主に詞にしてて、ギターも一貫してヒリヒリした音を鳴らしてるんだけど、どこか救いがない感じがするのでこっちを選んだ。今回えらんだこのセカンドは曲の強弱がハッキリしてるし、音にも柔らかさが出てきたのがファーストよりも進歩してるんじゃないかな。ちょっと前にジョニーマーが加入したけど、正直このバンド自体にものすごくパワーがあるから、あまりプラスには働かなかったんじゃないかな。クリブスに移って正解だと思う。

モデストマウスはアルバム一枚の時間が長いものが多くて、1枚40分推進党の僕としては強く推せないところもあるんだけど、それは抜け出せないアメリカの貧富の差や汚い言葉でのメッセージを伝える為にあるんだと思って目を瞑ります。 
あ、下手糞なのにすごくいい声、歌い方してますこのボーカル。

No.6 
Y/Pop Group<1979> 


気をつけて下さい。全然ポップじゃありません。 
この人達はホントはジャズとかファンクとかそういう音楽がやりたかったみたいなんだけど、技術が追いつかなくて、なんとかうまくやれないかってことでこういう形でアルバムを作ったとのこと。

これもやっぱりニューウェーブ期のミックス感のなせる業じゃないかな。このアルバムがきっかけでダブとかレゲエのアルバムも何枚か聴いてみたけど、うまく雰囲気をそこから持ってきてるのがよくわかった。実際解散後にダブに寄せたアルバムも何枚か作ってるし。

でもそういうテクニック云々な話は抜きにしても、この衝動的な音はなかなかだせるもんじゃないと思う。パンクの形容でよく使われる、初期衝動のような~とは一線を画す本当に衝動的な音。ぜったい需要はあるはずなのにセカンドが廃盤なのが謎。CD1枚に5,000円は出せません。再発を強く希望。

No.5 
Crooked Rain,Crooked Rain/Pavement<1994> 


このときのアメリカはグランジ全盛、太いでかい音が暴れ回ってるような時代。そんな中、うらでひっそりとヘロヘロ、ローファイムーブメントが!ベックなんかもローファイで括られるんだけど、僕に言わせるとベックはローファイじゃない。弱気なこと歌ってればそれはローファイか?違う。笑

このペイブメントこそ、弱気、無気力、ダサい、三拍子揃った真のローファイバンドじゃないだろうか。曲もどこかつかみ所が無くて、ふわふわしてる感じなんだけど、多分それをあえてやってるところが恐ろしい。耳慣れないリズムで進んでいく曲が多いんだけど、下手糞が間違ってたどりつけるようなものではない気がする。ファーストかこのセカンドかで迷うところだけど、生活にフィットしやすく、春に向かうこの時期にうってつけなセカンドを選んだ。 
捨て曲無し、感涙必至のアルバムです。

No.4 
Closer/Joy Division<1980> 


最近やたらとジョイディビジョンのTシャツ着てる人がいて嫌だ。おれが着れなくなるじゃねーか。笑

首吊って自殺したとか、そんなことばっかりが取り上げられてロックのファッションアイコン化してるイアンカーティスだけど、音は間違い無く本物です。このアルバムに関してはは隙みたいな部分が一切無く、文句のつけようがないです。うねるギターあり、絡むギターあり、ベースの音もたってるし、印象的なのはファクトリー的なキシッというドラムの音。24アワーかコントロールか忘れたけど、ファクトリーはドラムの音にものすごく気を使っていてドラマーにドラムを何回も何回も叩かせていたシーンがあった。それの結晶がこの音、じゃないかな。

もちろんニューオーダーも12インチ買うくらい大好きなんだけど、アルバムで選ぶんだったらジョイディビジョンになっちゃうね。他に代わりのきかない凛としたカッコよさ、美しさがすごくよく出てるアルバム。偏見を捨てて、音量高めで、さあどうぞ。

No.3 
Future Days/CAN<1973> 


CANっていうのはドイツのバンドで、ボーカルは日本人のダモ鈴木さんが担当しております。 
去年の後半から僕がジャーマンロックの世界に迷い込んだのはこのバンドのせい。 

CANの何がいいって、延々と続く反復リズムにいろいろ音が乗っかっていくときのあの感じ! 
今のミニマルミュージックの起源はこの時期のドイツにあって、なるほど頷けるものがこのCANにもあります。これはダモ期最後のアルバムで、独特の浮遊感がたまりません。バンドとしてのピークはやっぱりダモがいた3作とその後のババルーマまでだと思うんだけど、他の作品もまだ僕の耳が追いついてないだけかもしれない。約40年前、みんながロックに走る中で、現代のポストロックとでもいうべきこんな音楽を、ふざけたくらいの高レベルでやっていたCAN。もはや笑うしかない!天才!

No.2 
Remain In Light/Talking Heads<1980> 


このアルバムはCDでも持ってるし、レコードでも持ってます。そのぐらい好きな一枚です。 
トーキンヘッズはもうほとんど全部のアルバムが好きなんだけど、とりあえず選べと言われたらこれかな。ファーストの曲のような完璧なポップセンス、サードでのアフリカに若干寄せた感じ、スピーキングインタンズのエレポップ路線、どれも捨てがたい。ただ、このアルバムはその中でも際立って完成度が高い。3枚目から継続してバーンはアフリカンミュージックを取り入れたアルバム作りをこのアルバムでも行ったわけだけど、多分イーノの力も多分にあるんじゃないかな。

バーンとイーノがこのアルバムを作る前に、ソロの共同作として、これよりも幾分実験的なアルバムを一枚つくってるんだけど、それが3枚目のフィアオブミュージックをより奥に押し進めたようなもので、その時点でこの名盤、4枚目に繋がるものがある程度見えていたんじゃないかと思う。このアルバムでのファンクともどこか違う、もっと血沸き肉踊るような独特なサウンドは唯一無二の一言。体が自然に動き出します。このアルバムリリース後にはゲストメンバーを迎えて世界ツアーをしてたみたいでその頃のライブも必見!

No.1 
Hatful of Hollow/The Smiths<1984> 


ありがとうございます。スミスです。なんでクイーンイズデッドじゃないのか?理由は単純で初期スミスこそが僕の中では本当のソフィスティケイトされてないスミスだと思うから。グズグズでダメダメなスミス。メロディーが痛いくらいに沁みる。最高。 

こんだけ書いといてあれだけど、そもそもロックなんていうのはそもそもが騙し、騙されの存在であって、歌詞に共感したり、優しいメロディーなんかに心惹かれても、こちらの問題は何にも解決してないわけで。そんな事実には10代を超えれば大抵の人は気づくし、理解もちゃんとできる。でもなんで古いレコード集めるおっさん達がいなくならないか。単純に騙され続けていたいから、はじめて聞いたときの感傷的な気分を忘れたくないから、そんな理由だと思います。僕もスミスが騙しだってことには気づいてるんだけど、それでもこうして一番上に持ってきてるし、外そうなんて思いません。2万でヨレヨレのスミスTシャツ買ったりします。笑 

似てるとこではウィーザーなんかも騙しだと思うんだけど、繰り返し聞いたことは全然恥ずかしくないしむしろ良かったと思う。騙すこともある種の力だと思うし、これからもできることならどんどん音楽に騙されたい。頑張って60年代掘り進めよう。

2010年02月11日07:20

あの頃、僕らが夢中になったのはこんなレコードだった。

10年弱前のmixiの日記に大学4年間で刺さった10枚みたいなものを書いていたのを偶然見つけた。ほぼ全てインディーロックで時代を少し感じたのと自分可愛いかったなと暖かい眼差しで読んだ。


どうも!今日は僕が大学4年間に聴いたアルバムの中から特に素晴らしかった10枚をピックアップして紹介します。 
興味のない方は僕の牧場に虫でも入れてお引取り下さい。 
それなら公開しなきゃいいじゃないか?もっともです。でもあえて公開するのはちょっと見てもらいたい気持ちもあるからです。笑

スタートする前に注意事項を!今回は70’s~2000’sの中から10枚を選びました。


なぜ、60’s(50’sはともかく)を外したのか。かのピッチフォーク(アメリカの音楽サイト)も60’sはアルバムのランキングを公開せずに、曲のランキングだけに留めてあります。おそらく音楽基地外の集団であろうピッチフォークでも「ごめん、60sはアルバムで順位はつけれねーわ。わかるだろ?」的なことが英語で書いてありました。
それをたかだか4年間音楽をかじった程度の僕が安易に優劣をつけることはできません。70’s以降なら多少なりとも詳しい人とある程度は会話できるんですが、60’sの話になると、「それは何ですか?」の嵐です。60’sは奥が深いし、いちいちクオリティが高いので、それを含めたものは5年後なり10年後なりにでも書けたらいいと思ってます。
一応一つのバンドでアルバム一枚までっていう制限をつけました。それじゃあ、スタート。

No.10 
I Can Hear the Heart Beating as One/Yo La Tengo <1997> 

アメリカの良心!ってよく言われるバンドだけども、ホントにその通りでコンスタントにいいアルバムを作るし、どれをベストに挙げるかはすごく難しい。これと近い時期にでたエレクトロオピューラっていうのも大好きで迷ったんだけどアルバムとしての完成度の高さからこっちを。

このバンドの何がいいかって、音に人柄がすごくよく出てる。得意の3分ポップス系(ストックホルムシンドロームとか)なんかは、家庭生活の延長線上にこの音がありそうだし、長尺系の曲にしてもギターの音はすごくひしゃげてるんだけどどこか暖かい。ロックバンドっていうと、自分達とは離れた世界の存在をイメージしがちだけど、この人たちはふつうのおじさんとおばさん。(おじさんはギター持つと、ノイズおじさんに変身するけど。)すぐ隣に住んでそうな。そこにどこかひとつのクッションがあるというか、だからライブでお遊戯みたいなダンスをしても許されるんじゃないかなんて思う。

No.9 
Entertainment!/Gang of Four<1979> 

ニューウェーヴ、ポストパンク期の名盤として取り上げられることが多いこのアルバムだけど、時代が偶然に生んだ音かっていうとそうじゃなくて、このキレキレでジャキジャキの音は、ドクターフィールグッドから受け継がれてきたものらしい。去年フジでウィルコジョンソン見た時にはギターの音にそこまでキレを感じなかったんだけど、当時の映像を見てみると、面白いくらいにジャキジャキした音を出しててびっくりした。この音をニューウェーヴの解釈でより無機的にしたのがギャングオブフォーだって考えるとすごくしっくりくる。

このアルバムについてだけど、もうひたすらカッコよくて踊りださずにはいられない程のキレと勢い。序盤から中盤にかけての勢いがとまらずに爆発していくような感じがたまりません。映画のマリーアントワネットを見た時に、オープニングでこの曲がフルに近いくらい流れてて、ちょっといじらしい気持ちになった。ソフィアコッポラはずるい。おれも好きな曲あーいう風に使いたい。笑 ちなみにソフィアが映画で使った音楽で一番上手だなと思ったのが、ロストイントランスレーションでのマイブラのサムタイムズ。あれはぞくっとした。

No.8 
Marquee Moon/Television<1977> 

このアルバムが出た頃はちょうどピストルズがイギリスでわいわいやってた頃で、アメリカではちょっと前からニューヨークドールズなんかがやいやいやってた影響もあって、テレビジョンもニューヨーク・パンクのジャンルでくくられることが多いんだけど、これはパンクか?笑 

歌詞はまともに読んだことないけど、詩的で知的な印象まで受ける。 
もちろんアルバム全体を通してすごく完成度が高い。音はとてもシンプルな構成なのに名曲のオンパレード。 
でもなんといってもそこはやっぱりタイトル曲のマーキームーンが群を抜いて素晴らしい。ギターが絡む絡む。そりゃもう官能的なまでに絡む。こんな名曲が生まれた時の気持ちを是非聞いてみたい。 
ちなみに一曲目のSee No Evilには「足、足のー、いぼー」っていう空耳もあります。

No.7 
The Lonesome Crowded West/Modest Mouse<1997> 



はいきた。モデストマウス!僕はこのバンドに関しては断然初期派でこれかファーストかどっちかで迷った。ファーストはアメリカの労働者階級のことを主に詞にしてて、ギターも一貫してヒリヒリした音を鳴らしてるんだけど、どこか救いがない感じがするのでこっちを選んだ。今回えらんだこのセカンドは曲の強弱がハッキリしてるし、音にも柔らかさが出てきたのがファーストよりも進歩してるんじゃないかな。ちょっと前にジョニーマーが加入したけど、正直このバンド自体にものすごくパワーがあるから、あまりプラスには働かなかったんじゃないかな。クリブスに移って正解だと思う。

モデストマウスはアルバム一枚の時間が長いものが多くて、1枚40分推進党の僕としては強く推せないところもあるんだけど、それは抜け出せないアメリカの貧富の差や汚い言葉でのメッセージを伝える為にあるんだと思って目を瞑ります。 
あ、下手糞なのにすごくいい声、歌い方してますこのボーカル。

No.6 
Y/Pop Group<1979> 



気をつけて下さい。全然ポップじゃありません。 
この人達はホントはジャズとかファンクとかそういう音楽がやりたかったみたいなんだけど、技術が追いつかなくて、なんとかうまくやれないかってことでこういう形でアルバムを作ったとのこと。

これもやっぱりニューウェーブ期のミックス感のなせる業じゃないかな。このアルバムがきっかけでダブとかレゲエのアルバムも何枚か聴いてみたけど、うまく雰囲気をそこから持ってきてるのがよくわかった。実際解散後にダブに寄せたアルバムも何枚か作ってるし。

でもそういうテクニック云々な話は抜きにしても、この衝動的な音はなかなかだせるもんじゃないと思う。パンクの形容でよく使われる、初期衝動のような~とは一線を画す本当に衝動的な音。ぜったい需要はあるはずなのにセカンドが廃盤なのが謎。CD1枚に5,000円は出せません。再発を強く希望。

No.5 
Crooked Rain,Crooked Rain/Pavement<1994> 



このときのアメリカはグランジ全盛、太いでかい音が暴れ回ってるような時代。そんな中、うらでひっそりとヘロヘロ、ローファイムーブメントが!ベックなんかもローファイで括られるんだけど、僕に言わせるとベックはローファイじゃない。弱気なこと歌ってればそれはローファイか?違う。笑

このペイブメントこそ、弱気、無気力、ダサい、三拍子揃った真のローファイバンドじゃないだろうか。曲もどこかつかみ所が無くて、ふわふわしてる感じなんだけど、多分それをあえてやってるところが恐ろしい。耳慣れないリズムで進んでいく曲が多いんだけど、下手糞が間違ってたどりつけるようなものではない気がする。ファーストかこのセカンドかで迷うところだけど、生活にフィットしやすく、春に向かうこの時期にうってつけなセカンドを選んだ。 
捨て曲無し、感涙必至のアルバムです。

No.4 
Closer/Joy Division<1980> 



最近やたらとジョイディビジョンのTシャツ着てる人がいて嫌だ。おれが着れなくなるじゃねーか。笑

首吊って自殺したとか、そんなことばっかりが取り上げられてロックのファッションアイコン化してるイアンカーティスだけど、音は間違い無く本物です。このアルバムに関してはは隙みたいな部分が一切無く、文句のつけようがないです。うねるギターあり、絡むギターあり、ベースの音もたってるし、印象的なのはファクトリー的なキシッというドラムの音。24アワーかコントロールか忘れたけど、ファクトリーはドラムの音にものすごく気を使っていてドラマーにドラムを何回も何回も叩かせていたシーンがあった。それの結晶がこの音、じゃないかな。

もちろんニューオーダーも12インチ買うくらい大好きなんだけど、アルバムで選ぶんだったらジョイディビジョンになっちゃうね。他に代わりのきかない凛としたカッコよさ、美しさがすごくよく出てるアルバム。偏見を捨てて、音量高めで、さあどうぞ。

No.3 
Future Days/CAN<1973> 



CANっていうのはドイツのバンドで、ボーカルは日本人のダモ鈴木さんが担当しております。 
去年の後半から僕がジャーマンロックの世界に迷い込んだのはこのバンドのせい。 

CANの何がいいって、延々と続く反復リズムにいろいろ音が乗っかっていくときのあの感じ! 
今のミニマルミュージックの起源はこの時期のドイツにあって、なるほど頷けるものがこのCANにもあります。これはダモ期最後のアルバムで、独特の浮遊感がたまりません。バンドとしてのピークはやっぱりダモがいた3作とその後のババルーマまでだと思うんだけど、他の作品もまだ僕の耳が追いついてないだけかもしれない。約40年前、みんながロックに走る中で、現代のポストロックとでもいうべきこんな音楽を、ふざけたくらいの高レベルでやっていたCAN。もはや笑うしかない!天才!

No.2 
Remain In Light/Talking Heads<1980> 



このアルバムはCDでも持ってるし、レコードでも持ってます。そのぐらい好きな一枚です。 
トーキンヘッズはもうほとんど全部のアルバムが好きなんだけど、とりあえず選べと言われたらこれかな。ファーストの曲のような完璧なポップセンス、サードでのアフリカに若干寄せた感じ、スピーキングインタンズのエレポップ路線、どれも捨てがたい。ただ、このアルバムはその中でも際立って完成度が高い。3枚目から継続してバーンはアフリカンミュージックを取り入れたアルバム作りをこのアルバムでも行ったわけだけど、多分イーノの力も多分にあるんじゃないかな。

バーンとイーノがこのアルバムを作る前に、ソロの共同作として、これよりも幾分実験的なアルバムを一枚つくってるんだけど、それが3枚目のフィアオブミュージックをより奥に押し進めたようなもので、その時点でこの名盤、4枚目に繋がるものがある程度見えていたんじゃないかと思う。このアルバムでのファンクともどこか違う、もっと血沸き肉踊るような独特なサウンドは唯一無二の一言。体が自然に動き出します。このアルバムリリース後にはゲストメンバーを迎えて世界ツアーをしてたみたいでその頃のライブも必見!

No.1 
Hatful of Hollow/The Smiths<1984> 



ありがとうございます。スミスです。なんでクイーンイズデッドじゃないのか?理由は単純で初期スミスこそが僕の中では本当のソフィスティケイトされてないスミスだと思うから。グズグズでダメダメなスミス。メロディーが痛いくらいに沁みる。最高。 

こんだけ書いといてあれだけど、そもそもロックなんていうのはそもそもが騙し、騙されの存在であって、歌詞に共感したり、優しいメロディーなんかに心惹かれても、こちらの問題は何にも解決してないわけで。そんな事実には10代を超えれば大抵の人は気づくし、理解もちゃんとできる。でもなんで古いレコード集めるおっさん達がいなくならないか。単純に騙され続けていたいから、はじめて聞いたときの感傷的な気分を忘れたくないから、そんな理由だと思います。僕もスミスが騙しだってことには気づいてるんだけど、それでもこうして一番上に持ってきてるし、外そうなんて思いません。2万でヨレヨレのスミスTシャツ買ったりします。笑 

似てるとこではウィーザーなんかも騙しだと思うんだけど、繰り返し聞いたことは全然恥ずかしくないしむしろ良かったと思う。騙すこともある種の力だと思うし、これからもできることならどんどん音楽に騙されたい。頑張って60年代掘り進めよう。

2010年02月11日07:20

柄谷行人と村上春樹-デカルト、フッサール、サルトルと構造主義からの批判

デカルトのコギトにしても、フッサールの超越論的自我にしても、サルトルの無の自由にしても、それらは超越論的主観である。
そして、それは形式的であり人間中心主義だと構造主義から批判される。

超越論的主観による形式化に対する批判が構造主義からなされたのだとすれば、なぜ、フランス現代思想はある種文学的な文体を持つ文章なのかということは確かに理解できる。

他方で、日本のポストモダン文学史の中での柄谷行人による村上春樹批判はその超越論的主観を問題視した。
また、フランス文学者の蓮實重彦もサルトルのフローベール論『家の馬鹿息子』の翻訳を15年に渡り放置した言われ、そこにはある種のサルトルフォビアがあったのではないかと考えられている。
そう考えてみると、文壇における村上春樹批判というのはむしろ文芸批評家による哲学的コギト批判にも思える。

だが、他方で柄谷行人はデカルトを評価している。デカルトは哲学界の悪役でコギト的であると評価されているが、しかし、常に共同体の外で考えようとした人間だと評価するのだ。
この共同体は言語ゲームを互いに共有する人々であろう。であるならば、柄谷行人による村上春樹批判は何を意味したか。

それは、大きく言えば全共闘世代、つまり、解放区を共有した者同士の共同主観性を前提とした主観を超越論的主観として他者との関係を考慮する意思のないインポになった新左翼への批判でもあったのではないか。

だが、問題は、むしろ他者を持たないはずの超越論的主観の作家である村上春樹の作品が世界中の人々に救済として受容されていることだろう。
その意味を、ポップなファストフードとして消費されていたとしても、また、問わねばならないのではないか。

『東方のラビリンス』

以下は、過去636日間における14の文章である。
順序としては、もっとも新しい2018年9月21日の文章から順番に並び、2017年1月27日が終わりの文章にあたる。

これらの文章が何を意味しているのかはわからない。
ただ、最近、熱帯魚のベタを飼いはじめたことが関係しているように思う。
タイトルはベタの「ラビリンス器官」による。



タイ(バンコク・アユタヤ)を旅する ― 聖なるものと俗なるものの濁流をさまよう

2018年9月21日

2018年9月14日~18日、タイ〈バンコク・アユタヤ〉を旅行した。

微笑みの王国、タイ。

かつて「クルンテープ」(天使の都)と呼ばれ「東洋のヴェネツィア」と讃えられる水の都バンコク。

あるいは、世界遺産にも登録された古都アユタヤ。

アジアの雑踏。崇高な超越へのあこがれと、猥雑な風俗が雑多に混じりあった東洋の王国。

バンコクを流れるチャオプラヤー川の濁流は聖俗浄穢を飲み込むタイの風土を象徴しているかのようだ。

それは、同じアジアの王国でも、日本の列島全土を流れる清流や神道的な穢れの思想とは対称的である。

初日

ぼくら(友人とぼくの3人)は、9月13日(木)の夜に羽田空港に集まり、9月14日(金) 00:30 東京・羽田発 → 9月14日(金) 04:50タイ・バンコク行きのフライトで旅行を開始した。

旅行初日はトラブルの連続であった。バンコクの空港に降り立つと、友人がひとり行方不明になった。iPhoneのSIMカードはwifi環境でのアクティベートが必要ですぐには使えなかった。ぼくらは、とりあえず、なかば諦めて入国審査カードを記入した。

どうにか、ようやく友人と再会し、電車や船を乗り継ぎながら朝8時ころホテルにチェックインすることができた。

観光を開始すると、王宮前ですぐに詐欺グループに絡まれた。友人たちは気のよさそうな(ぼくにはそう思えなかったのだが)タイ人の親父相手に会話を楽しみ、言われるがまま通りすがりのトゥクトゥクに乗り込んでいた。正直に言って、ぼくは友人たちの素直さにうらやましさを感じた。

もちろん、トゥクトゥクの運転手はぼくらと会話していたタイ人の親父の顔見知りであった。どうやら、彼らは言葉たくみに観光客を誘導し、大金をだまし取る詐欺グループだったらしい。タイの有名観光地でのこうしたトラブルは数十年前から存在するという。

しかし、さすがに、初日から詐欺にあうわけにはいかない。彼らの前を立ち去り、ぼくらは王宮、タイ料理屋でのランチ、ワット・ポーの見学とタイ式マッサージ、その後、射撃クラブとナイト・マーケットを楽しんだ。三島由紀夫の『暁の寺』に登場するワット・アルン、一番の楽しみでもあったが時間の都合で今回は省略した。次回、その暁の姿を見たい。

だが、問題はその後であった。ぼくらは、終電のバスを乗り過ごした。

フライトからぶっ続けで遊び続けた疲労困憊のぼくらは、いくつもの失敗を繰り返した。

まずは、バス停で待ちながら所定の路線(25番線)のバスを見過ごした。ふたつめに、バスに乗り込むとそれは逆側方向へのバスであった。道を渡って、Googleマップでバス停の位置を探す。それが最後のチャンスだった。スコールが降っていた。ぼくらは雨の中バスを待ち続けた。

かすかに、そこが本当にバス停なのだろうかと不安を抱いていた。なぜなら、そこにバス停の標識が見られなかったからだ。友人はぼくに「雨宿りしながら、少し離れた場所でバスを待とう」と言った。

だが、ぼくはその最終バスを逃したくはなかった。ぼくはこのまま待つと答えた。

バスが現れた。ぼくらは手をふった。バスは通り過ぎて、200メートル離れたところで停車し、また走り出した。バス停はぼくらのいたところには存在しなかった。ぼくらは現実と地図をはき違えていた。

24時過ぎ。ぼくらは最終バスのないバスの停留所に座り込んだ。タクシーは観光客には冷淡だった。

彼らは深夜のぼくらを乗車させてくれなかった。疲れたぼくらはそこで15分ばかりぼんやりと過ごした。スコールは、その雨脚をいっそう強いものにしていた。だが、その雨音の向こうにかすかに大型車のブレーキの音が聞こえた。雨脚の向こうに、バス停のすぐ手前に、バスがいままさにそこに停車しようとしていた。それは25番線だった。バスは時刻表を30分以上遅れて運行していた。ぼくは奇跡という言葉の意味がわかった気がした。

ホテルに戻ると、浴槽のないバスルームでシャワーを浴び、シンハー・ビールを飲んで、ぼくらは朝までゆっくりと眠った。

二日目

二日目は、チャイナ・タウン、カオサン・ロード、電車移動をして古代遺跡アユタヤ、そしてナイト・クラブを巡った。

アジアにおいて、中華文明というのは特異点であり、タイにおいても中国文化の影響は色濃い。

一説には、そもそも、タイ族は中国南方から移動してきた人々だともいわれている。

タイ各地においても中国風の寺院や漢字が見られるところは多い。そんなタイのチャイナ・タウンで朝食をし散策をしながら二日目ははじまった。

チャイナ・タウンを散策すると、トゥクトゥクで15分ほど移動してカオサン・ロードに移動した。

バックパッカーの聖地。マクドナルドのキャラクター、
ロナルド・マクドナルドがワイ(合掌)している姿も見られる。カオサン・ロードはシルバー・アクセサリーの名店街でもあるらしい。SILVER
FACTORYなどの看板が多く掲げられていた。

午後は、バンコク駅(フワランポーン駅)に移動し、そこから鉄道で古都アユタヤに移動した。

バンコク駅と鉄道移動で見た景色はもしかしたら今回の旅でもっとも印象深かったものかもしれない。

バンコク駅ではイスラームの衣装を着た女の子たちが離れ離れになるのだろう、抱き合って涙を流している姿を見かけた。仏教国タイにも少数ながらイスラーム人口はあるということらしい。近年の統計では、約400万人、4.6%がイスラム教徒であるという。

それから、弁当の売り子、ペプシのポスター、サバ缶の看板。色とりどりのタイがバンコク駅にはあった。

鉄道が出発してしばらくすると、バラック建ての家々が立ち並び、アユタヤ周辺まで移動したころには広大な農地がその姿を見せるようになった。タイは非常に都市と地方の差が大きく、また、貧富の差も大きかった。

古都アユタヤは、王朝の滅亡とかつての仏教の繁栄をよく示していた。日本でいえば、平家物語や奥州藤原氏を思わせる栄枯盛衰を想像させた。あらためて、一日かけてゆっくり見たいと感じた。

今回は駆け足でトゥクトゥクでツアーを行い、その後、河上のコテージ風のレストランでタイ料理とシンハー・ビールを飲むと、また鉄道でバンコクに戻った。

そして、ナイト・クラブを楽しむことにした。

バンコクでもっとも有名な歓楽街のひとつナナプラザ。ゴーゴーバーやバービアが多く集合するモール型の歓楽街。多くの日本人が訪れるという。

正直に言えば、セクシーな女の子が舞台の上に並んでるのを眺めながらアルコールを飲むところと聞いていて、Disco Trainみたいないわゆるclubを想像していた。だが、それとは違っていた。ステージの上の女の子たちは踊ってはいなかった。彼女たちは、ただステージに立ち、音楽に合わせてポージングする。

それを見つめる男たちの熱狂、熱い視線。対して、見られる彼女たちは、彼女たちの肉体は熱狂とは遠く、冷たい肉のようにも見えた。仏教国のタイでは、人々は輪廻転生を当たり前のことのように考え生きているという。あるいは、肉体と精神の乖離した彼女たち。肉体は現世における魂の牢獄にすぎないだろうか。

タイでは売春は違法ではない。厳密にいえば刑事的な処罰はない。だが、それらは合法でもない。それらは、双方が法的に守られた関係でもない。そこには、ただ、微笑みがあった。ぼくらはどこか醒めた気持ちを感じながらジントニックを飲み干した。

三日日

三日目はサムットソンクラーム県のメークロン市場(折り畳み市場)とバンコクの水上マーケットを観察し、エラワン美術館を巡った後で、サイアム・スクエアのモールでお土産を買い、ホテルに戻った。

そして、浴槽のないバスルームでシャワーを浴び、シンハー・ビールを飲んで、空港行きの朝4:30のシャトル・バスまで少しのあいだゆっくりと眠った。

そして、ぼくらのタイ旅行は終わった。朝7時半、タイ・バンコク発 → 東京・成田行きのフライトでぼくらは日常に戻った。

きっと、いつかまたぼくらは、タイの街を訪れるのだろうという予感を残して、上野駅でぼくらは別れた。


哲学–賭け–愛するということ

2018年3月3日

パスカルは神の実在に賭け、アインシュタインは神はサイコロを振らないと言い、カエサルは賽は投げられたと行動し、ハイデガーやサルトルは企ての中に身を投じることをエンドースした。

哲学的な認識と実践のあいだには決定的な亀裂があって、それらは二元論的に制御すべきで一元論的に統合することは出来ない。

しかし、認識と実践のあいだにある飛躍、死を覚悟した跳躍というのは?

それは、まさに賭けというものなのではないだろうか。

賭けは、人間にとって強烈で不思議な魔力を持っている。ギャンブラーであれば、赤のカードが5回続いた次には黒が来るのではないかと流れを感じ取ってしまうはずだ。

奇妙な話ではある。確率的にいえば、これからの出来事とこれまでの出来事には因果関係はない。しかし、人はそこに流れを見出してしまう。あたかも、ヒューム的な違和感というか、有らぬものをあたかも有るかのように感じるのだ。

ある意味では、人生自体、賭けと言えなくもない。もちろん、僕らはディーラーではないからほとんどの場合には、はじめから負け戦だけれど。

他者を愛するということも賭けである。

僕らに、彼女らの気持ちは解りえない。応えてくれるだろうか?あるいは裏切らないだろうか?

無償の愛ならどんな愛でも良いだろう。しかし、もし相手に求めるところがあるなら?

サルトルの言った、投企=アンガジェは、エンゲージ(リング)=婚約=愛するということと同じ語源である。

愛することは自らを投げ入れること、それは賭けと言わざるを得ない。

とはいえ、賭けというものは、状況把握と確率のコントロールと可能性への前進であり、それは主体性の問題であるといえる。

それはある意味では、コミットする機会を逃さぬことでもあるが、他方で良くないゲームは続けずにすぐに降りなければならない。

つまるところ、賭けで最も下手なやり方は、ロマン主義であることと冒険主義であることだ。

まずは、心を落ち着けて、クールにゲームを楽しむことだ。そのうちに流れも変わる。あるいは、チャンスが巡ってくるかもしれない。

君のゲームにボーナス・ライトが灯ることを願って。

Have a nice play !!


西洋コンプレックスとアジア的意識 – 近代/一神教/自由の意味 –

2018年1月27日

最近、アジア的なものに関心がある。

基本的に自国や他国に対する強い思い入れはないのだが、なぜアジアについてとらえ始めたのかと考えているうちに、自分の中に強い西洋コンプレックスがあるのではないかと気づいた。

アジア人として生まれたことに対する、非西欧的であることへのコンプレックス。

一見すると、かなり奇異なことを言っているように思われるかもしれないが、やはり現在の世界は西欧中心の価値観で構成されていると考えていいのではないだろうか。

世界的なグローバル化はある意味で文化的なアメリカナイズという側面が強く、世界中どこへ行ってもある程度の都市ではSTARBUCKSやMcDonaldやGAPの店に出会うだろうし、道行く人々の手の中にはApple製のiPhoneかGoogleのAndroidのスマートフォンが握りしめられている。彼らが休日を過ごすのはローマ-イギリス-アメリカ起源のショッピング・モールだし、日記代わりに記録を残していくのはシリコンバレーで開発されているFacebookやInstagramやTwitterにである。

精神的にも経済にも、マックス・ウェーバーが語ったところの西洋におけるプロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神に覆われたシステムの中に僕らは生きていると言っていいだろう。

そもそも、普段からジャケットやパンツ(ズボン)やシャツを着て生活し、ローマ字入力のキーボードを叩いているのだから、西洋化された世界に取り込まれていないと考えるのは難しいのではないだろうか。

正直に言えば、近代化以後の日本人の中には強烈な西洋コンプレックスがあったのではないかと思う。

福沢諭吉の脱亜論もある意味でそうだが、現在でもある中国・韓国・朝鮮への強烈なヘイトや反発の基底にあるのは、西洋コンプレックスそのものではないだろうか。

一方で、ある種のヒエラルキーの中で、彼らよりも近代化を先んじたから上にあるという不遜。他方で、伝統ある大陸の東洋文化を無知蒙昧で未開で下品なものとして見る態度。

強い一神教的西洋とか弱き多神教的東洋

とはいえ、西洋コンプレックスというのは、結局のところ一神教的理念を持たないアジア・東洋におけるある種の弱さから来るものではないかと思うのだ。

それは、近代化を確立し得たのが一神教的理念を持つ西欧(西洋)であったこと、いまだにその近代モデルの中に世界があるということから由来する。

もちろん歴史的には例外もあった。多神教的な世界観が良い結果をもたらすのかと期待された時代だ。

80年代は日本にとってはミラクルな時代でJapan As No.1/エコノミック・アニマルとしての経済的成功と、ポスト・モダン的な思想の潮流に後押しされた乗った時代だった。

それは再評価されたコジェーブがいったところのスノッブな形式主義な日本と、ロラン・バルトがいったところの空虚な中心としての皇居〈コーラ〉という言説が輝いて見えた時代だった。

それは、結局のところアニミズム-汎神論-多神教的なイメージにつながるものだ。その意味でスピノザ-ドゥルーズにも連なるものだった。

とはいえ、90年代になってみれば強力なリーダーシップ不在の日本企業は没落し、リベラル的な多様性の尊重と承認の言説からは結局十分な多様なる個人が満たされることはなかった。

加えて、21世紀は一神教 対 一神教の戦争からはじまって、現在は相対主義の反動から強烈に一神教的ともいえるポスト・トゥルース的状況に至っている。

これでは、多神教的なものに弱さを感じざるを得ない。

他方で、僕は現在この瞬間の中国という国に注目しているところがある。

それは、現在の中国の状況が80年代の日本とよく似ていて、大衆の時代精神としてはエコノミック・アニマル=爆買い、Japan As No.1=強い中国経済のようには見えるからだ。

とはいえ、中国はアジアの特異点で、一神教的なところが強い。

もともと、天-皇帝-王朝という天帝-天子による民衆とのある種の世俗化した信仰的意識が強い。それは、天-毛沢東-共産党という体制として今も受け継がれている。

アジア的に土着化されていて、帝国主義的だけれど、ある種の一神教であるのが中国という国だ。

今後、アメリカ-中国という西洋-東洋のコンフリクトが激化していくのは、まず間違いないだろう。

世界第1の大国としての西洋のアメリカと世界第2の大国としての東洋の中国の対立ともいえる。

ある意味で、かつて日本が天皇-西田哲学-近代の超克-八紘一宇-満州国で東洋代表として西洋文明に対抗していたことの反復のようにも思える。

中国にも勿論日本と同様近代化を先んじた西洋に対するコンプレックスは根強くあるだろう。

中国の政治的・経済的な成功によって、アジアは西洋コンプレックスを克服できるのだろうか。

アジアに自由と民主主義はあり得るか

シンガポールは「明るい北朝鮮」と呼ばれているらしい。それは、経済的に高度に発達しながらも独裁的な政治であることを示唆している。

ある意味で、オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』が現実化された世界だといえるだろう。

それは、ジョージ・オーウェルの『1984』的な監視社会と揶揄される中国が経済発展の中で目指しているような世界像でもあるだろう。

最近、インド映画の『バーフバリ』を見た。

それは理想的な王の到来を描いた神話的超大作であった。

そこで思わず気付かされたのは、アジアにおいては民主主義という理念は現実味がなく、むしろ王→民という統治意識が強いのかもしれないということだった。

しかし、アジアの国々のそのような統治意識を単にアジアの未開性と切り捨てるわけにもいかないだろう。

アジア各国には、近代史的経験、ヨーロッパがそれぞれ闘争を通してリバティを獲得して近代化したのとは異なり、帝国列強の植民地であったトラウマの記憶があるのだ。

それゆえに、支配された経験のあるアジア各国が自由でリベラルな国民主権ではなく国家としての強固さ権力システムに有利な国家主権に重きをおくのは自然なことだろう。

例外はタイと日本だけだ。むしろ、例外的に被植民地ではなくむしろ列強であった日本、外交により難局をやり過ごしたタイも王国であったのである。

他方で、自由という言葉にはリベラル的なリバティという理念だけではなく、リバタリアン-自由主義-ハイエク的な(ハイエクはリバタリアン的ではないのだが)自由競争の自由という意味もある。

この自由の概念はアジアにも行き届いた。中国では改革開放の中でハイエクが大きな影響力を持ったらしい。

アジアの人々は権利としてリバティとしての「自由」は獲得できずに、西洋的「自由」競争の世界の中で生きているといえる。

未だ複雑な思いを抱えて生きざるを得ないだろう。


アイデンティティとナショナリズム

2018年1月12日

人間には否応なく認めざるを得ない暴力性というのがあるのではないか。

それは、ある種アイデンティティの維持と関わるものだと思われる。

暴力性は、他者を攻撃したり人を支配するという欲望と同質のもので、特に自己の危機において顕著に立ち現れる。

批評空間の「明治批評の諸問題」を読んでいる。

そこでは、日本語の言文一致はむしろ根本的に翻訳が起源だと書かれている。

二葉亭四迷のツルゲーネフ翻訳や漱石の翻訳的言文一致的な文章が起源だというのだ。

言文一致とナショナリズムは大きな補完関係にある。

ナショナリズムについて書かれた著作には、ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』がある。

そこによれば、ナショナリズムが起因する近代国家〈ネーション〉は、成員が「共同幻想」を共有することによって成立するとされている。

アンダーソンは近代国家〈ネーション〉成立の要因を出版資本主義の発展に求め、新聞が〈ネーション〉の公用語の普及に大きな役割を果たし、世俗語の言文一致をあまねく至らしめるとともに「想像の共同体」の形成に大きく寄与したとする。

翻って日本の言文一致の起源を考えると、言文一致の翻訳起源を否定するような日本ナショナリズムがあれば、それは翻訳が起源の言文一致により生まれたナショナリズムによるという現象が起こるということになる。

これは奇妙なパラドックスではある。

ナショナリズムというものが求めるのは、ミクロコスモスたる〈私〉とマクロコスモスたるネーション・ステート〈国家〉の合一で、それはウパニシャッドのアートマンとブラフマンの梵我一如や、プラトンの一者合一と同じものであろう。
あるいは、ヘーゲル=キリスト教的な弁証法による神の国への救済。
つまり、救済だ。

ナショナリズムについて別の見方をすれば、近世以降、宗教国家から世俗国家へと権力による支配形態が変わる時に正当性として〈宗教〉から置き換えられたものが〈ナショナリズム〉の起源だろう。

そして、その後、正当性となるものは国家の論理〈ナショナリズム〉から資本の論理〈資本主義〉へと移行した。

19世紀後半から20世紀にかけて、上記の動きが行き過ぎた結果をもたらす。

20世紀は、それへの対抗としてソビエト型社会主義〈共産主義〉・ファシズム〈国家社会主義〉・ケインズ主義〈修正資本主義(国家資本主義)〉が台頭した。

そして、それぞれが20世紀の内に自壊した。

1990年代以降は、純粋資本主義の独壇場であった。

それは情報技術と交通技術の発展によりグローバル化を果たした。

あたかも国家や宗教は死滅してゆくように思われた。

しかし、グローバル化はむしろ紛争など民族同士の対立をもたらした。

そして、21世紀は宗教国家と資本主義国家との対立から始まった。

20世紀は、社会主義-国家
対 資本主義-国家のイデオロギーの対立があった。

21世紀は、イスラム-国家
対 キリスト教-資本主義-国家との対立から始まった。

あるいは、この時、宗教-資本-国家の結びつきが再接続されたと言われるのではないだろうか。


日本語のエクリチュール/パロールと中国語

2018年1月12日

少し遅れたが、すでに、2018年がはじまっている。

個人的には、今年、少し語学を学習しようと考えている。

これまでの興味の対象は概念であったが、ある種の言語的転回(展開)が沸きあがってきたというところだろう。

昨年わずかに英語・中国語・PHPを学習しはじめたが、今年はそれをどれだけ蓄積できるだろうか。

ところで、中国語を少し勉強してみて、とてもよくわかったのは、むしろ日本語についてで、日本語は書き言葉(エクリチュール)と話し言葉(パロール)がまったく別の流れを持った別々の言語だということ。

日本語と中国語は、漢字という共通の基盤を持つためエクリチュールは眺めればかなり内容の想像がつく。

しかし、にもかかわらず音声言語においては、相互に輸出入された単語はあるが、基礎的な音からまったく異なっていて学習しなければ聞き取ることができない。

考えてみれば、日本語は古代の漢字の輸入以前からあったわけで、音声言語としては別の流れにあるわけである。

中国語は構造的な性質を持ち、日本語は叙情的な性質を持つ。

古代、日本に輸入された頃から漢字は官僚機構によるシステム運用にりようされた。これが日本の書き言葉の始まりだろう。

他方、もともと存在した日本語は話し言葉としてそのまま残る。これが記録に残ったのは、詩、和歌においてだ。

平安の時代、遣唐使の派遣事業の終了と並行して、国風文化が栄える。その時、日本的な風土をもとにしたかな文字が生まれる。そういった意味では、ひらがなこそが日本的な日本語であろう。

源氏物語や平家物語などその後の文学に大きな影響を与える。

とはいえ、もののあはれを体現したような言語はあまりに自然でシステム運用には向かない。

そのため、ながく公用語としては中国由来の漢文が用いられ、漢文は江戸時代においてもヨーロッパにおけるラテン語のような教養の地位を占めていた。

ここから想像されるのが、近代における言文一致運動の不徹底だ。日本語は、書き言葉と話し言葉が一体となっていない。

これは哲学の構築にも影響を与えている。ドイツやフランスなど西洋おいては、日常言語と哲学書の文体が接続されているという。しかし、日本語はそうではない。

西欧における近代哲学の果たした役割を日本では文学や批評のシーンが担っていた部分が大きい。これは、日本語の言文の不一致ゆえ、構造と叙情性のはざまで揺れ動く言語であることにあるだろう。

そして、その由来は書き言葉と話し言葉の源流の違い、中国-大陸の漢字と日本-島の音声言語からなる言語であることにあるのではないかと思うのだ。


現代中国を描く大河ドラマ
小説『兄弟』/映画『山河ノスタルジア』

2017年12月31日

2017年も残りわずか数時間となった。

今年は近年稀に見る激動の年であった。

アメリカではポピュリズム的な現象を背景にトランプ政権が発足、フランスではマクロンに敗れたがマリーヌ・ル・ペン率いる国民戦線が躍進。

ヨーロッパでは、イギリスのメイ首相がEUに離脱を通知、スペインのカタルーニャ地区は独立を宣言した。

中東ではイスラム国は事実上の崩壊。

しかし、アメリカのトランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都と認定したことから多数の抗議活動が起きている。

アジアでは、フィリピンのドゥテルテ大統領が麻薬撲滅キャンペーンを実施し超法規的殺人が行使され、マレーシア・クアラルンプール空港では北朝鮮の金正日総書記の長男である金正男が暗殺され、ミャンマーはかつての民主化運動の旗手アウンサンスーチーによる新政権のもとロヒンギャは混乱に陥っている。

そして、日本では飛翔体が定期的に飛び越えている。

他方、経済面は数値の上ではバブルとも思える好調であった。

世界的に各国の経済は軒並み好調、日経平均もかつて1992年のバブル崩壊前の水準に上昇。

また、仮想通貨の価格は10倍にも100倍にも高騰した。

そのような状況の中で、ひときわ存在感と彩色を放っていたのは一帯一路国際フォーラムや中国共産党第十九回全国代表大会を開催した中国であったかもしれない。

現在の中国は、かつてのソビエト連邦-第三インターナショナルや日本の夢見た満州国-大東亜共栄圏のような、東の中心・大国としての存在感を増している。

今年、自分にとって大きな影響を与えたのは前半は香港や台湾(中華民国)など東アジアを旅行したこと、後半は中国本土出身の女の子と友人になったことだった。

彼女は、ほぼ同世代の1988年の中国生まれ。僕は、1987年の日本生まれ。その世界観・パースペクティブには大きな差がある。

一方で、改革開放と天亜門事件以後の社会主義市場経済とその発展の中で育った彼女には(実際には中国の同世代の彼ら・彼女らには)明るい未来が見えるだろう。

他方で、1987年の日本生まれの僕らは、バブル崩壊、オウム事件、失われた20年の中を生き、リーマン・ショックや年越し派遣村の報道を見ながら就職活動を行い、社会人になると東日本大震災や福島第一原子力発電所事故を見てきた。

それは見えるものは異なるだろう。

とはいえ、個人的な関係は、文化・制度・国家を超えたところにある。

はじめは好奇心から始まり、次には差異を感じながら、次第に共感を抱くようになる。

その中で、今年はいくつか現代の中国を描いた作品を読んだり観た。

特に印象的だったのは、余華の小説『兄弟』とジャ・チャンクー監督の『山河ノスタルジア』だった。

余華『兄弟』

カンヌ映画祭で鮮烈な印象を残した張芸謀の『活きる』。
その原作者である中国文壇の気鋭、余華が十年ぶりに発表した長編小説『兄弟』は、中国に大議論を巻き起こした。軽薄! ソープドラマ! ゴミ小説! 文学界の猛批判をヨソに爆発的なヒットとなった本書は、文化大革命から世界二位の経済大国という、極端から極端の現代中国四十年の悲喜劇を余すことなく描ききった、まさに大・傑・作。
これを読まずして、中国人民(と文学)を語るなかれ!

1966年――文化大革命が毛沢東の手ではじまった。
隣人が隣人をおとしいれるこの恐怖の時代に、出会ったふたつの家族。
男はやさしい男の子を連れ、女はつよい男の子をつれていた。
男の名は宋凡平。子どもの名は宋鋼。
女の名は李蘭。子どもの名は李光頭。
ふたつの家族はひとつになり、宋鋼と李光頭のふたりは兄弟になった。
しかし、時代はこの小さな家族すら、見逃しはしなかった――。

『山河ノスタルジア』

第68回カンヌ国際映画祭コンペティション部門正式出品!
『長江哀歌』(ヴェネチア国際映画祭金獅子賞)、
『罪の手ざわり』(カンヌ国際映画祭脚本賞)の名匠ジャ・ジャンクー監督最新作!
時代を越えて変わらないもの―母が子を想う気持ち、旧友との絆、そして生まれ育った故郷の風景。
その全てが愛おしくも哀愁に満ち溢れ、世界が賛辞を贈った壮大な叙事詩。
過去、現在、そして未来。ずっとあなたを想いつづける。
急速に発展する中国の片隅で、別れた息子を想いひとり故郷に暮らす母。
息子は異国の地で、母の面影を探している。
母と子の強い愛から浮かびあがる、変わりゆくこの世界。変わらぬ想い。

1999年、山西省・汾陽(ルビ:フェンヤン)。
小学校教師のタオは、炭鉱で働くリャンズーと実業家のジンシェンの、二人の幼なじみから想いを寄せられていた。
やがてタオはジンシェンからのプロポーズを受け、息子・ダオラーを授かる。
2014年。タオはジンシェンと離婚し、一人汾陽で暮らしていた。ある日突然、タオを襲う父親の死。
葬儀に出席するため、タオは離れて暮らすダオラーと再会する。
タオは、彼がジンシェンと共にオーストラリアに移住することを知ることになる。
2025年、オーストラリア。19歳のダオラーは長い海外生活で中国語が話せなくなっていた。
父親と確執がうまれ自らのアイデンティティを見失うなか、中国語教師ミアとの出会いを機に、
かすかに記憶する母親の面影を探しはじめる―。

現代の中国を描く2つの大河ドラマ

大きな意味では二つの作品には重なるところがある。

ひとつは、このどちらの作品も中国の現代を壮大に描いた大河的作品であったということだ。

『兄弟』は文化大革命〜現代までの中国の姿、『山河ノスタルジア』は1990年代〜2025年の中国の姿が描かれている。

中国の発展のスピードはヨーロッパや日本の現代とは異なる圧倒的な展開とスピードで歩みを進めている。その発展は、新しくより良い未来を手に入れるということは、しかし同時に、古いものを捨てることをともなっている。

この2つの作品の中で描かれるのは、中国の発展が勝ち取ったその栄光と古き良き家族との離別であった。

それはかつて、木下恵介監督が『日本の悲劇』で描いたような、ある種の悲劇である。

もうひとつ、この2つの作品に共通していたのは作品のモティーフとして三角関係が描かれていることだった。2人の男、1人の女。

2人の男は友人であるが、1人の女を同時に好きになる。強い男と、優しい男。女は最終的に強い男を選ぶ。(あるいは選んでしまう。)

言われてみれば、これは文学的にはよく見られるモティーフかもしれない。夏目漱石の『こころ』に見られる先生とKとお嬢さんの三角関係。村上春樹の『風の歌を聴け』や『ノルウェイの森』に見られるような三角関係。

そこで描かれる2人の男は「近代化・高度経済成長の時代」と「古き良き時代(ノスタルジー)」を表しているのだろう。

近代化や高度経済成長にはある種の喪失とノスタルジーが必要なのだろうか。

『山河ノスタルジア』のラストシーンはとても美しく印象的であった。

それでも、音楽は鳴り、人々は踊り続け、時代は流れる。


『ゲンロン6 ロシア現代思想Ⅰ』を読む。 – 再び、ヒューマニズムと本来性を求めて –

2017年9月17日

時代が大きく変化している情況において、より大きな動きが見られるのはもっとも開発されもっとも進んだ先進国ではない。

むしろ、ある種のつまずきを抱えてその遅れを取り返そうとしている国において、大きな動きが見られる。帝国主義時代のドイツ・ロシア・日本がそうであったろう。

そして、今のロシアはまた同じようにつまずきを抱えて、それを乗り越えようとしている。

であるならば、これからの21世紀の相貌の一端がまた見られるのは、ロシアの現代思想からなのかもしれない。

現代思想としての哲学は、20世紀に取り残された1つの課題を抱えている。

それは、しばらくのあいだ忘れ去られていた課題、「近代の超克」の問題だ。

思想史的な現代の情況をみたてると、ヒューマニズムにより近代を超克しようという熱病が再燃しているのが現在だろう。

近代哲学の完成がヘーゲルだというのは意見の一致するところだが、そこからの超克を目指して19世紀後半から20世紀前半に展開されたのがニーチェやマルクス,ハイデガーやラッセルなどいわゆる反哲学=現代思想としての哲学だった。

19世紀の近代化された世界は問題を抱えていた。

それを乗り越えるために20世紀に企画・実施された壮大なプロジェクト、反哲学的な思想をふまえて近代の超克を目指して提起されたのが、⑴マルクス=レーニン主義によるソビエト型社会主義(共産主義),⑵ナチスなどのファシズム的な国家主義(国家社会主義),そして⑶ケインズ的な修正資本主義(国家資本主義)だった。

ざっと20世紀を振り返れば、上記の⑴マルクス=レーニン主義と⑵ファシズムが倒れたのは自明であった。

そして、現在は⑴・⑵の体制が崩れ去ったその後で、⑶の修正資本主義(国家資本主義)だけが残りはじめの意図を超えて爆進しているというのが実情だろう。

しかし、その課題をきちんと見つめ捉え返さなければいけない時が来ているのではないか。

そもそも、マルクス=レーニン主義やファシズムが現れたのは、ヒューマニズムからであった。

理性的な人間を中心とした近代的な思考と社会システムが、かえって人を疎外し抑圧するものとなる。その阻害に対してのノン、異議申し立てから湧き上がったのが、マルクス=レーニン主義やファシズムであったのだから。

それらがヒューマニズムから湧き上がったものであれば、現在の問題であるヘイト・スピーチやテロリズムの問題が、またヒューマニズムを源泉としていることは明らかだろう。

彼らは、本来的な人間のあり方を訴えるナロードニキでありボリシェヴィキであるのだ。

ヘイト・スピーチやテロリズムがヒューマニズム?ナンセンス!

確かに、ナンセンスと思われるかもしれない。

しかし、たとえば代表的テロリストとしての日本人、重信房子の言葉を引用してみよう。

“隊伍を整えなさい。隊伍とは、仲間であります。仲間でない隊伍がうまくゆくはずがないではありませんか”

届くならちぎれるまで手を差し伸べたい。

革命に向けて、同志たち、友人たち。燃える連帯を込めて、勝利の日まで。さようなら。

『週刊読売』1972年4月15日号 赤軍派アラブ代表 重信房子

見誤ってはいけないのは、彼らは単に憎悪に燃えた人間ではなく、抑圧されたシステムからの解放を願う本来的なあり方を求めるヒューマニストそのものなのだ。

そこでは右翼や左翼といったイデオロギーの方向は大きな意味を持たない。

個別具体的な事例ではあるが、重信房子の父親が血盟団事件に関わった右翼組織の門下生であったことは有名な話だ。

むしろ、「小さな親切運動」に熱心に取り組むような人情に篤い少女であったこと、このヒューマニズムが反転したところでテロリズムに至ったと考える方が自然なのだ。

だが、問題はロシアだ。

東方正教会の信仰とツァーリへの崇拝が一体となったヨーロッパの反動ロシア。大衆のためのインテリゲンチャ、ナロードニキによるテロリズムの国ロシア。

そして、レーニンにより領導され理想のユートピア国家ソビエトを建設したロシア。

そのユートピアの夢はスターリンにより悪夢へと変わる。ディストピア国家、赤い帝国。

しかし、ソビエトは70年間でその歴史を終える。

後に残ったのは、意味も価値観も何もない戦後思想のような、フロイト的超自我としての父を持たないロシアだった。

「ゲンロン6」 共同討議で感じたのはある種のイデオロギーと神秘主義の国ロシアだった。

ロシアにおけるイデアとマテリアルの結びつき、象徴的なものの壁を突破して聖なるものに触れたいという欲望、あるいは父のいないロシア=カルフォルニア的な神秘思想。

しかし、これは、どこかで見たような景色だ。

オウム真理教の身体への直接刺激による超越への跳躍、捨てられた子供としての教祖・麻原彰晃と繋がるものを感じるのだ。

1995年の事件、20年以上前の話だ。

今では、95年をめぐる心暖まる伝説のひとつに過ぎない。

これはオウム以前の類似現象としての連合赤軍。1972年のあの事件にも似たものを見い出せる。

あのリンチ事件も単なるヘゲモニー争いからの暴力ではなく、森恒夫による「殴ることによる総括。殴られ気を失うことにより、次に目覚めた時に共産主義化された人間として生まれ変わる。」という超越への跳躍だった。

そして、父なき時代、丸山眞男が殴られる時代の帰結だったのだ。

“暴力を包み込む保護者不在”

たが、これも今では些細なことかもしれない。

結局のところ、それらは、エルンスト・レーム率いる突撃隊のように、あるいは北一輝と二・二六事件のように時折歴史の舞台の上に現れる何かなのだろう。

だが、乗松享平さんの「敗者の(ポスト)モダン」にもあるように反体制的ナショナリストとソ連の「ロシア性」が結びつく様相、哲学者アレクサンドル・ドゥーギンとラディカルな若者たちの動きはあるいは同じような構図にも見える。1930年代的な様相。本来的なあり方を求める志向性。一気に革新に進もうというそのラディカルなスタイル。

反復される普遍性だろうか。

しかし、本来的なあり方があるなら、非本来的とされるあり方は?ここでは、言うまでもなく、米国式リベラリズム=グローバリズム=リバタリアニズムだろう。

新たなる本来性の物語

しかしながら、本著の特集の中心とされているアレクサンドル・ドゥーギンの思想は確かに人を納得させ魅了するだけの力があるのではないか。

そのチャート式やポストモダン的なスタイルはわかりやすく、またブラヴァッキーのような神智学的な世界認識は、世界に対して違和を抱いているものに真実を与えるものだろう。

他方、ザハール・プリレーピンは、戦後何もないところの虚無主義から舞台で演ずる役者となった三島由紀夫の再来のようだ。

流石に世界文学の国のポスト・トゥルース・ストーリーといって良いように思う。


〈都市教養〉というキーワード=コンセプトについて

2017年9月9日

よくわからない名称の大学や学部というのがある。

例えば、首都大学東京にある「都市教養学部」がそうである。

「都市教養学」とは何か?あるいは「首都大学東京」という名称をファルスのように感じる人もあるかもしれない。

これは都政の改変にもとづいてつけられた名称だ。その名称には疑問の声も多い。

そして、今現在、それらの名称は変更が検討されているという。

しかし、あらためて現在という時代を眺めてみれば、今の時代に本来的に必要なのはまさに〈都市教養〉というキーワード=コンセプトではないだろうか。

そして、これは学的な分野ではなくもっと普遍的に志向されるべきキーワードだろう。

「教養」とは?それが社会に出た時に役にたつだろうか?経済性は?

「教養」という言葉自体、すでに批判の対象だろう。

古典的な「教養」が古くさいもの,ホコリを被ったもの,無用の長物,賞味期限切れ、これは確かにそうだ。自明である。

必要のない役に立たない教養こそ重要だという議論など欺瞞に過ぎない。

では、「教養」は不要なのか?そうではない。

もし、行動や信仰をむしろ良きものとする反知性主義の道を選択するのであれば、僕らは20世紀からすら何も学んでいないし、近代を超克することなどできやしないだろう。

むしろ、僕らは近代に培ったものを20世紀の経験をふまえ止揚すべきではないか。

では、それはいかにということになる。

現在をながめ未来を志向した時に、経験としての過去を振り返り、僕らの抱えている課題はなんだろうか。

移民問題やヘイトスピーチ、多文化共存やLGBT、テロリズムや観光、ブラック企業の労働問題や「日本死ね」問題。ポストモダンの末に消えゆく地域性。

僕らが抱えているのは都市の問題である。

世界は都市化している。地方ですら都市化している。

イオンを見てみればわかる。スターバックス、GAP、ルイヴィトン。東京,大阪,台北,香港,ニューヨーク,ロンドン,ミラノ,バンコク,リオと何が違うだろうか。

僕らはどこにいてもすでに都市にいる。

であるならば、僕らは都市の問題を真摯に見つめ、移民問題やヘイトスピーチあるいはテロの時代の次の世界を想像するべきではないか。

そして、そのために使うのは統計学やAIだけではない。

むしろ、歴史的な経験に裏打ちされた「教養」こそが強度をもった道具となるだろう。

もちろん、教養そのものを具体的な計画や方法論として形作ることは難しいかもしれない。

しかし、仮にそうだとしても、少なくとも「政策=都市政策=総合政策」の基礎あるいは前段階理念としての〈都市教養〉の価値は否定すべきものではないだろう。

なお、〈都市教養〉の対象とする問題は明確で、それは他者(自己ではないもの)とどう生きるべきかという問題に限りなく接近したものだろう。

それは、社会問題としては、移民問題,多文化共存,格差,労働問題,都市犯罪,テロリズムとして現れる。

それらとどのように接するのかというのが問題であり、これらを拒否するという反応をとるのか、あるいは受け入れるのか。もし、受け入れるとすればいかに受け入れるのか。

しかし、この問題の根深いところは社会的な現実がある一方、これらがアイデンティティや承認欲求の問題と深くかかわってつながっているということで、それこそが宗教やイデオロギーに偏りやすいところだ。

だからこそ、歴史や文学あるいは思想史的な展開など教養的な諸成果の上に立つ必要がある。


台湾を旅行する。- 中華民国台湾省台北市的小旅行 –

2017年9月1日

8月24日から8月28日にかけて、台湾を旅行した。

台湾旅行を振り返ると、文化あるいは歴史的な流れにおける気づきが大きかった。

また、この旅は4泊5日だったのだけれど、予想していたよりも台北は大きかった。

旅の全体像は、以下のような日程であった。

前日深夜から羽田空港で過ごし、LCCのタイガーエアで05:30に離陸。

1日目、西門駅周辺の昆明街にあるホテルに到着。龍山寺周辺や台湾総督府周辺を散策。

2日目、世界三大博物館の故宮博物館や誠品書店をめぐる。夜は士林夜市を散策。

3日目、鼎泰豊の本店で食事、夕方からは九份を散策、台北101 にてナイトビュー。台湾式マッサージを試す。

4日目、夏休みらしく白沙湾のビーチで過ごす。足裏マッサージを試す。

5日目、昼過ぎの便で帰宅。日常に戻る。

香港旅行のように気軽な散策という感じでは十分ではなく、満喫するにはもう数日いてもよかったように思う。

正統なる「中国」としての台湾

台湾は思いのほか中国であった。あるいは、失われた故郷としての中国であった。

そこには、連綿と連なる中国王朝とその芳醇な文化の香りが漂っていた。

そして南国の風土がそのその香りを包んでいた。

台湾は、彼らからしてみれば、むしろ正当なる中国である。

故宮博物館では、古代王朝から受け継ぐ文化が語れていた。そこでは漢民族の歴史だけではなく、モンゴル民族国である元や満州民族の国である清の歴史も多く語られていた。

また、その歴史の流れと強く結びつきながら語られていたものは仏教についてであった。古来、中国は仏教が大盛した国であった。

特に、自らの解脱だけではなく他者の救済をもふまえた仏教、衆生を救おうとする菩薩の御心を示した大乗仏教は中国で大きく栄えた。

そして大乗仏教は各王朝の皇帝の治世と結びついたのではないだろうか。台湾には数多くの仏教寺院が存在した。もちろん中国らしい、道教に影響を受けた寺院であるが。

それら寺院で目を引いたのは、多く関羽や孔子あるいは道教の神々や帝が同時に奉られていることであった。

台湾には多くの宮も存在した。宮とは帝を祀る宗教施設である。

日本では、古来から天皇と仏教との繋がりがあった。

また、春日大社など数々の神道と仏教が結び付きながら神仏習合を果たしていたといわれる。

しかし、日本のそのような文化はまったくのオリジナル、東方の僻地のガラパコス・カルチャーではなかったようだ。

中国においては、仏教は道教と結び付きながら受容され、また儒教と結びついた王朝文化がまた、皇帝による大乗仏教的な治世として仏教と結びついていた。

それが文化の中心、中国だった。

博物館では、中国の文化としての仏教は、インドのみならず密教で有名なチベットやその興隆地モンゴル民族の文化と結びついていることが語られていた。

くしくも、それらは中国共産党から弾圧され対抗した地域であった。

他方、台湾(中華民国)を見ると高砂族の存在があった。

彼らは音楽の音色で農耕作物をねぎらう優しい原住民であったという。

台北も中心地から少し離れると(といっても台北は東京で暮らすわれわれのイメージよりもはるかに広い)、高砂族だろうと思われる日に焼けた素朴な表情の人々ともすれ違った。

台湾と日本

しかし、振り返れば明治28年(1895年)、日清戦争の後に交わされた下関条約により日本は台湾を領有していた。

時代は帝国主義の時代であった。

1919年に完成した台湾総督府は現在も公務で使用されている。

総督府の周辺にはいまだに当時の面影を残す建物が多く建ち並んでいる。

また、かつて日本軍が使用していた軍事施設は、現在では中華民国国軍により利用されている。

ガイドの男性によると懲役の任期中にはこのような怪談話も囁かれるという。

“夜中見廻りをしていると軍靴の音が聞こえた。”

“見廻り中に居眠りをしてしまったら、上官らしき声に日本語で怒鳴られ起こされた。”

総督府付近を散策しながら商店街の中で趣のある寺院を見つけ入ると意外にも空海が祀られていた。

西門駅周辺にある台北天后宮である。

ふと、その像を眺めながらカメラのシャッターを切っていると日本語で人の良さそうなおばあさんに話しかけられた。

彼女は昭和4年生まれ、現在88歳。かつて、日本が統治していた時代に国民学校に通っていたという。

あまり普段は話さないという日本語で語る彼女は、そこはかつて弘法大師を祀っていた日本の神社であったと語った。

第二次大戦後、台湾を統治した国民党によりその寺院は改められ天号宮とされたという。

中国国民党の台湾

国民党はその後、国共内戦で中国共産党との戦いにより台湾に撤退することになる。

台湾や国民党といえば、孫文というイメージがあったのだが、蒋介石も国民党の党首として語り継がれているように感じた。

硬貨の絵柄を見ると、50元や10元は孫文、10元と5元,1元は蒋介石の肖像が描かれていた。

また、国民党の歴史も見たいと思い国軍博物館にもいったのだが、記念展設営の改修のため休業であった。また機会があればよりたいものだ。

台湾には、現在でも徴兵制があるということだ。

街中にはいくつも軍警用品店というミリタリーショップがあった。

また街中に、監視カメラが設置されていた。

陶磁器と漢字の文化

故宮博物館では、仏教のほか陶磁器と漢字の文化が大きく取り扱われていた。

中国の文化のたよらかな風合いは、この陶磁器と漢字の文化によるところが大きいのではないか。

陶磁器は、古代から続く代表的な工芸・芸術である。

それらはもちろん職人が作るのだが、それはあまりに自然な雰囲気を持っている。

陶磁器はあくまで土であり、泥である。それを捏ね、造形し、焼き、色合いをつける。

しかし、それらは土であり、形を崩せばいずれそれらは土に戻るであろう。

われわれもまた、土であり泥である。われわれもまた、土に戻る芳醇な自然の一部の存在であるのだ。

あるいは、漢字文化。それらは、ラテン語やギリシャ語から影響を受けているヨーロッパの言語とは大きく異なる。ヨーロッパの言語は表音文字である。たとえば、ローマ字には1文字1文字には意味がない。デリダが批判したように、ヨーロッパの言語は音声中心主義であり語りを中心に作用する。

言いかえれば、ヨーロッパの言語には読み手による解釈の幅、遊びの要素が広くない。

きわめて論理的なのである。

他方、漢字文化はもともと象形文字由来の表意文字である。

それらは、1文字1文字がシンボルでありなんらかを象徴し表している。

他方、それゆえにそれらには厳密な論理構築には適さない。

それはこういう風にも言えるだろう。漢字はシンボリックなメタファーの遊びであると。漢文の古典を考えてみればあきらかだが、それらはいくらでも解釈の余地がある。しかし、それゆえにそれらは芳醇なのである。

それらは、論理により語り尽くすのではない。語りと語らぬ中に、別の語りを含むのだ。

それから

その他、色々と過ごした。

誠品書店ではカバーがリデザインされた洋書を買った。

白沙湾では地元の女子高生と男子たちの戯れと日差しに目が眩んだ。

士林夜市ではその喧騒のムードに飲まれたのかストリート風のTシャツとキャップを買ってしまった。

九份帰りの相乗りタクシーではサンフランシスコ出身のバリーと仲良くなった。

女の子たちは、みんな可愛かった。

女の子がみんな素敵な台湾ガールならね……。


若者の街とユース・カルチャー
~ 渋谷,音楽,ファッション ~

2017年8月21日

自分が大人になると、若者の姿を見ることがなくなる。

もしかすると僕らの知らないところで「若者」はひっそりと絶滅してしまったのかもしれない。

そんな気分になることがある。

もちろんそれは何かの勘違いのようなものだろう。

インターンをこなしている大学生、リクルートスーツの就活生、しっかりと勉学に務めている大学院生の話は聞くことがある。ありきたりでつまらない、たまらない話。

「実学」重視の就職予備校や職業人養成学校となった学園で職業訓練者たち学生らは、そのモラトリアムをどのように過ごしているのだろうか。

(実学なんて、糞食らえだ。雑学の方が、まだましだ。と、思うこともある。教養はどこに行った?時代の流れには逆らうまい。せいぜい、社会のために働くと良いと思う。)

もちろん、下の世代の若者に対して批判をしても仕方がない。

はたして、いわゆる「若者」はいまでもいるのだろうか。

むしろ、かつての「若者文化」はまだ生き残っているのだろうかというのが、気になるところだ。

おそらく、若者像自体大きく変わっている。

皮肉な言い方だが、変わるべきものが変わり、変わるべきでなかったものが変わっているのだろう。

若者の街

渋谷、原宿、下北沢。

「若者の街」と呼ばれる場所がある。いや、「あった」なのだろうか。

ストリートはいまや決してランウェイではない。

ストリート?むかしむかし、かつて、みゆき族や竹の子族のように、ファッション感覚で街にあふれることがあったらしい。

もはや、フォークロアに近い感覚だ。

渋谷はすっかりオフィス街の様相を見せている。

原宿からはファッション文化の象徴としての栄光はすでに失われてしまった。

また、かつて住みたい街ランキング常連であった下北沢からは急激に人が離れているという。

多くのファッション・ブランドが、展開を終了した。

撤退戦だ。

「何か」が終わった。

あの憧れはなんだったのだろう。

ユースカルチャーのアイコンとしての「渋谷」

それでも、僕らはやはり「渋谷」をまだ求めてるのではないかと思う。

渋谷のショップで流れるサウンド、流行のマジックナンバー、街角に溢れるシーン。アルコールで漂う中飛び込んでくる電飾。深夜の交差点を行き交う人波、誰かのクラクション。

「また会おう、それじゃ」 「少し歩こうか」 「もう一軒、飲み直そうよ」

「もう帰る?それとも、今日はあの坂を登って、泊まろうか?」

音楽は止まらない

忘れた人たちは忘れているだろうし、忘れられない人たちはきっと忘れられない。

パーティは終わった。音楽は鳴り止んだのだろうか?

夜の渋谷をさまよう人びと、淡さと切なさが交差する都会的なグルーブ感、それから。


存在探求のためのメモランダム/言葉をめぐる冒険/浮遊への逃避行

2017年8月17日

存在探求のためのメモランダム

ハイデガーの『存在と時間』を手にしている。

古代以来、哲学の根本的努力は、存在者の存在を理解し、これを概念的に表現することをめざしている。

ハイデガーは言う。「哲学や形而上学の本来問うべき問いは『存在とはいかにあるのか?』ということである」と。

けれども、これは単に論理形式上あるいは実体化された「有・無」や「揺らぎ」としての「存在」ではない。

むしろ、「在り方」への問いであるし「有意味とはいかなることか?」という問いである。

もし神がいないのならば、全てが許される。

ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』イワンの台詞だ。

もし神がいないのなら 実存が本質に先立つ。

このような言葉でサルトルは語った。

あるいは三島由紀夫の「豊饒の海『天人五衰』」のラストシーン。

しかしもし、清顕君がはじめからいなかったとすれば……それなら、勲もいなかったことになる。ジン・ジャンもいなかったことになる。……

近代はルネッサンスの人文復興が嚆矢となり、神との決別からはじまった。

しかし、だからこそ、デカルトは神の存在証明を行なったし、カントは理論理性によってはいかなる方法によっても神の存在証明はできないとしながらも道徳・実践的見地から神の存在を要請した。

ここで言う神は多神教の神ではない。それは一神教のGODである。

神はこう言いかえることもできる。神‹創造主›=客観=絶対法則。

ふりかえれば哲学の歴史はギリシャ悲劇のようであった。

プラトンからはじまりヘーゲルに至る形而上学の神殿はくしくもその根底から崩れさった。

アポロンの神殿はディオニュソスの叫びに飲み込まれた。

潮騒香る風景はその景色を一変させる。

その上、ひょっとしたら、この私ですらも…。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまった。

などてすめろぎは人間となりたまいし

神は死んだ。

他方、神なきユダヤ人のマルクスやレーニンは、客観的でもっとも正確な科学や歴史を信じた。

自由で自律した人間のユートピアを夢みて。

そして牧師になるという母の夢のために神学信徒であったスターリンも、神を棄て共産主義に傾倒する。

ブハーリンは呟く。

コーバよ、なぜ私の死が必要なのか?

言葉をめぐる冒険

村上春樹の『羊をめぐる冒険』の羊は、西洋哲学・現代思想の言葉でいえば「形而上学」そのものなのだろうと感じている。

人に幻想を抱かせ操るもの。

だからあの物語は『言葉をめぐる冒険』と名付けることもできる。

完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね

形而上学の果てともいえる「1960年代」近代の終焉に起こったのが若者たちの”知性の叛乱”だった。

それは形而上学=哲学=理性を、=現実たらしめるための進歩主義的革命だった。

しかし、「僕」はその中で彼らイデオローグたちの「言葉」の欺瞞に気づき、それとの闘争/逃走を開始する。

村上春樹と同世代、全共闘世代の小阪修平は言っている。

同世代の一番優秀な奴は滅んだか、半ば廃人になった

「羊抜け」だ。

小阪修平もなかば離人症のようになったという。

誰もが、語る言葉を失った。

歴史の終焉、革命の終わり、宴の後。

1970年代はさめざめとした殺伐とした風景を思わせる。

1970年「よど号ハイジャック事件」、1971-1972年「連合赤軍事件」。

文化面では、1972年『木枯らし紋次郎』、1973年『氷の世界』、1974年『傷だらけの天使』、1975年『僕たちの失敗』、1976年『いちご白書をもう一度』。

イーグルスによる『ホテル・カルフォルニア』が歌われた次の年、「ダッカ日航機ハイジャック事件」の翌年、1978年に村上春樹は処女作『風の歌を聴け』の執筆を開始する。

その小説は、歴史の終わり=観念の王国の崩壊=羊が離れた年、1970年の8月8日からはじまる18日間の物語だった。

浮遊への逃避行

僕はむかしから幻覚にすごい関心を持っていて、それは世界の認識とか在り方と係わっているものだと思っている。

そして、オルダス・ハクスリーやティモシー・リアリー、ヒッピー・ムーブメントはそれを予見したものであったのだろう。

ところで、看護師の姉から聞いたのだけれど、手術後、人は一般的にせん妄を抱く傾向があるらしいという。

そういう意味では、人間の意識というのはきわめて不安定で浮遊したものだと思う。

この意識の不安定さというのは本来ぼくらが世界とつながりを持つ上で忘れてはいけないものだと思っていて、この浮遊を捨てて理性(論理)による固定に偏るとある種の抑圧や理性の暴走につながるのではないかと考えている。

だから、この意識の不安定さというものこそが、ヒューマニズムそのものといえるだろう。

また、 この意識が浮遊した意識状態というのは経験≒論理による既成概念の固着をなくした状態、エポケーに近いものではないだろうか。

そして、その状態において、身体性に重心をおいて捉えればヨーガになどにつらなるものとなり、他方言語的な方向に重心がかかれば詩的なものになるのだろう。

それは、ある意味でポスト・モダンが思い描いていた状況によく似ているものではないだろうか。

かつて解放区で行動していた小坂修平は、そのポスト・モダンの重みを後年語っていた。

しかし、欲望は、リゾーム化したバベルの塔を夢視たいのだ。


左右対立のねじれについて ‐ あるいは革新右翼,ハイデガー,三島由紀夫 ‐

2017年8月4日

”右翼と左翼の言説が反対になっている” “右翼が改革を目指し左翼が保守的になっている” という〈左右対立のねじれ〉を問題にして、いかにして勢力図式はこう変更されたのかという問題提起がある。

たしかに、それはそうだ。右翼=保守,左翼=革新というのが一般的な見立てである。

しかし、1960年代や1970年代における新左翼の運動や冷戦構造の転換を通して、その勢力図式が塗り替えられたと語られている。

しかし、ここでは別の側面から、この〈左右対立のねじれ〉について、あるいは〈それ以後〉について捉えてみたいと思う。

それは、大正~昭和に興隆し展開した革新右翼をとおしてある時代の流れを捉えるということかもしれない。

現在からおよそ一世紀前に、革新右翼というものが登場した。

代表的な人物としては、後にイスラーム研究者となった大川周明や『日本改造法案大綱』を記した北一輝などがいるだろう。

考えてみると、彼らは僕らが “ヘイト・スピーチ” でイメージするような右翼像ではないのかもしれない。

たしかに、彼らの中にはむしろ社会主義的な主張を含むものが少なくなかった。

しかし、彼らはまさしく右翼であった。

そして、彼らを支持した一方の人々は、三陸大津波や世界恐慌、昭和東北大凶作・大飢饉に生活の煽りを受けた貧困農家の出身の青年たちであった。

大正~昭和の時代をふり返ると、そこにはロシア革命や第二次世界大戦があり、関東大震災があった。

その時代に描かれた光景は、9・11,東日本大震災=福島原発事故を通過し、イスラム国(IS)の登場とポピュリズムの台頭を目撃する現在と通底するものがあるのかもしれない。

すると、ある方向が想い描かれないだろうか。

ある段階まで、グローバリズム(帝国主義)が進んだ時代に、その時代が孕んだ問題を解決するために台頭するのは革新右翼なのではないだろうか。

少なくともそのような状況で、論理性があり、かつ行動力/実行力がある存在としての右翼が成長するというのは、不思議でないだろう。

そして、これに関連して思い出すことがある。三島由紀夫の『わが友ヒットラー』という戯曲だ。

その戯曲は(あるいは歴史の中では)、ハイデガーのドイツ民族主義的な突撃隊(SA)が親衛隊(SS)によって粛清された事件が描かれている。

これと似たような事件は日本でも起きていた。それは、勃興していた北一輝や皇道派が統制派に粉砕されたということであった。

思えば、三島由紀夫には、ハイデガー的な実存哲学に似たものがあった。

晩年の長編小説『絹と明察』には、ハイデガーの思想に傾倒しヘルダーリンの詩を好む「岡野」という人物が登場する。彼はシニカルな傍観者としての役割であったが、作品の最後で社会へのコミットメントに向かうこととなる。

あるいは、『豊饒の海』を読むとよく実感できるのだが、そこで描かれていたテーゼは、存在の偶然性と不条理な無であった。三島由紀夫の中心には空虚があった。

『豊饒の海』を書き上げた三島は市ヶ谷の自衛隊の駐屯地に乗り込むことになるが、三島由紀夫がそこで演じたのは戯曲『わが友ヒットラー』における突撃隊のレームのようなハイデガー的な愛国心を持った人間の破滅と悲劇だったのかもしれない。

レームに私はもつとも感情移入して、日本的心情主義で彼の性格を塗り込めた

また、そこには二・二六事件で銃殺刑に処せられた青年将校や北一輝に重なるものがあった。

二・二六事件により、皇道派の壊滅は決定づけられた。

一方、統制派の政治的発言力は強化されることになる。そこから時代は加速した。

知識人、理論家が左翼の方にひきつけられるように、しぜん、官僚、実際家は右翼にひかれる。したがって右翼は理論に弱く、理念わ獲得し得ないことが常に苦の種なのである。左翼の特徴的な弱点は、その理論を実際にうつすことができないことにある。

E・H・カー『危機の二十年』1939年

左翼⇔右翼,革新⇔保守という〈左右対立〉のねじれの問題を考えていたのだけど、「左翼⇔右翼」という対立イメージ自体がすでに見せかけの虚飾に過ぎないのではないかと感じた。

むしろ、アクチュアルなのは、ヒューマン⇔システム、政治的にいえば格差是正 – 平等⇔優勢性保持 – 自由ではないだろうか。

たしかに、E・H・カーの話はわかるのだけど、あまりに古典的で、それは1つのシステムの外部たる理論家や知識人というポジションが存在した時代の話であって、そこがいわゆるモダンと現在の違うところだろう。

あるいは、この状況を打開する方法はあるのだろうか。

飛躍するのだけど、多数のカルト/セクトの生成・乱立こそがむしろシステムのあり方を変えるのではないかと思った。

そして、それをつくるメディア・プラットフォームは豊富にある。

そうゆう意味ではポスト・モダンのツリー→リゾーム図式は正しくて、むしろ、それらの問題は核なき相対主義の肯定であったわけで、しかし、人はそれほど強くないということにあった。

それゆえに、アイデンティティの源泉たる物語・神話が必要なのだけれど、それを作り出せるのがポスト・トゥルース的状況ということがある。

だから、むしろポスト・トゥルース的状況をあまりに否定してはいけなくて、もちろんシステムもこの状況を利用するわけだけど、規制は逆説的にシステムによる統制だけを肯定するわけだろう。


僕らが旅に出る理由 – 日常の外の日常 –

2017年5月31日

僕らが旅に出る理由はなんだろうか?

とはいえ、旅にも色々あるかもしれない。

ある意味、旅はある形での自由(自我の拡大)の追求だろう。

ヘーゲルの絶対精神の弁証法の旅やゲーテの自由を求めるビルドゥングスロマン、コリントスから逃れたオイディプスの悲劇の旅。

他方、旅は他者との邂逅や出会いと別れ、ヒューマンを感じるものかもしれない。

東浩紀の「観光客の哲学」や川端康成の「伊豆の踊り子」、あるいは市川崑の「木枯し紋次郎」「股旅」。

僕は以前から「旅」「旅行」「観光」といったキーワードには違和感を持ち続けていた。

そこには、ある種の憧れと軽蔑、アンビバレントな感情があった。

なぜ、旅をするのか?目的は何か?何をどう楽しむものだろうか?

そもそも、社会人の男性をターゲットとした旅の目的地はあるのだろうかという疑問(風俗や酒場は別として)。

あるいは、物理的に移動する意味はあるのか?旅行とインナートリップはどちらがより遠くまで行けるのか。

しかし、5月は思いがけずに何度か遠出をした。

香港・マカオへの旅行、ブラジル街大泉町の散策、伊豆大島の旅行、御岳山登山。

住めば都というが、出れば旅も悪くない。

たしかに、日常の想像の外の世界に触れることができる。

たとえば、香港の乾物の匂いの漂う路地裏。

マカオの下町で猫のように暮らす老人たちの飲茶をする姿。

ブラジル人労働者たちのアパート暮らしと、ソウルフード、そしてカトリックの教会。

踊り子たちが暮らしていただろう島の風景。

それは、僕らの日常の外にあるものだ。

しかし、それは僕にとってであり、かれらにとっては日常だ。

僕はここにいて、かれらはそこにいて。

もしかしたら、彼らは僕らなのではないか。

そんな想いすらよぎる。

あるいは、真っ暗で底が見えやしない休火山の噴火口。

まるで人のいない18時の登山道。

沈みゆく黄昏が映る。日没が迫る。頂上まで辿り着けるのだろうか?

いや、それは日常そのものじゃないか。


思考の袋小路

2017年1月27日

ある時に、ふと袋小路に迷い込むことがある。どこから入り込んだのか、出口が見つからない。物理空間であればまだ救いはある。壁を乗り越えることができるなら。
情報空間でのエラー。繰り返しのリダイレクト、503 Error Service Unavailable。思考の袋小路。

哲学的な問いは、ある意味で薮知らずの森だ。そして、それは足を踏み入れるまでもなく、気づけば僕らを取り囲んでいる。 存在への問い、価値への問い、客観への問い。本質とは何か、美とは何か、人間とは何か。
答えはあるだろうか、ないだろうか。

思考の袋小路に迷い込んだことがある。きっかけは、すべての現象は言葉によって、善にも悪にも自由に解釈できると気づいたことから始まる。すべては人間の解釈によって定義される。つまり、世界そのものには価値は存在しない。すべては相対化されるから。

世界に価値が固定されていないのであれば、人間の論理や認識が世界を定義づけることになる。 では、人間にとって、定義の基礎は存在するのか?何か絶対的なものがなければ定義の基礎づけはできないのではないだろうか。絶対性は存在するだろうか?

絶対性は存在するだろうか?日常的には、絶対性が存在するようには思えない。しかし、絶対性が存在しないとすれば、それは絶対的な否定が存在すると肯定することとなる。論理矛盾。

あるいは、人にとって死は絶対不可避であるといえる。これこそが絶対的なものであると、人は言う。 しかし、死とは認識や解釈の無を意味する。絶対的なものが無であるのであれば、すべては無である。基礎づけはできない。

それらは観念的な妄想かもしれない。科学的に観察をすれば、客観的な事実を獲得できるはずである。客観的な事実を基礎づけに置けばいいというのが、現実的だろう。
しかし、何が客観を基礎づけるのか?客観を認識するのは主観に過ぎない。客観を観察する客観を客観的に把握しうるだろうか。

この森に出口はないように思える。 優秀な大人は、はじめからこのような問題には取り組まないという利口な態度でやり過ごす。 常識的な人間は妥協点を知っている。彼らは日和見主義だが賢い。
では、愚かな僕らはこのような問題にどのように取り組むべきだろうか。

おそらく方法はいくつもある。だから、これは僕の意見だが、重要なことは、思考の二項対立に第三項・第四項を追加することだろう。
たとえば、絶対性の存在の有無は、絶対性が有るか無いかという二項対立である。二項対立は罠だ。第三項・第四項を検討することを忘れてはならない。有かつ無、非有かつ非無。

そして、論理はつねに矛盾を内包していることを忘れてはならない。二律背反(アンチノミー)、不完全性定理。むしろ、論理は固定化できるものではなく、ヘーゲルが言うところの絶対精神の弁証法と同様に、ダイナミクスの中にあるものだろう。

加えて言えば、サルトルのように無であることを受け入れ、むしろ自由を手に入れることだ。世界には価値がない。僕らにも価値がない。すべては相対的で恣意的だ。だからこそ、すべてを定義づけられるのは、僕自身だけであるし、自由に定義づけることができる。

その時、袋小路はすでに存在しない。それは虚構の空間であった。偽物の論理は粉砕された。すべての抑圧は解き放たれた。OSはその時再起動し、人は再び語ることができる。

『判決、ふたつの希望』を観る。

『判決、ふたつの希望』を観る。歴史的であり局地的であり普遍的でもある問題。それに観る者の目を開かせ、葛藤を共有させ、そして希望を提示する。多面的な描写、平板ではない物語の進行、様々な人物のぶつかり合いによる変化、ハリウッド的に洗練された構図等、テーマとエンタメ性が巧みに絡み合っている。

裁判シーンの言葉の応酬はこの映画の見どころだ。一方で、自体を引き起こし人々を振り回すのも、言葉というものが本質的に持っている過剰さである。言葉は、それを発した本人の意思を超えて力をふるってしまう。「クズ野郎」「シャロンに抹殺されていればよかった」言葉を発端にした争いは、言葉を武器にする弁護士を介し、言葉でやり合う法廷に持ち込まれたことで、国を巻き込む一大事になってしまう。二人の主人公、夫と妻、息子と父、弁護士と弁護士(父と娘)、民族と民族、男性と女性、右派と左派、老人と若者、様々な対立が飛び火し、拡散し、露見する。

誰にも歴史があり否が応でもそれを背負わざるを得ない。裁判は歴史と傷と罪が暴かれる場でもある。主人公二人だけでなく、関わった者は皆痛みを負い、変化していく。始まりの地点と同じ場所に居る者はいない。踏み出した一歩が思ってもみなかった遠い場所に辿り着く。

『アンダー・ザ・シルバーレイク』を観る。

『アンダー・ザ・シルバーレイク』を観る。ピンチョンの『競売ナンバー49の叫び』を現代にアップデートして映像化したかのよう。イメージの洪水に悪酔いを起こす、凄まじい迷宮映画だった。しかしながらそこには歴史も対抗文化ももはや無く、自ら築いた迷路には消費とポップの悪夢だけが広がっている。

街中の看板、テレビ番組、流行曲、お菓子の景品、壁の落書き、動物の死骸、シンクロニシティ。氾濫するメッセージに「真相」などなく、解読は誤読にしかなり得ず、読み取った物語は自身の映し鏡である。意味も黒幕も限りなく空虚だ。

そこには、あたかも身体性は無いけど生理的というのだろうか、肉体を持たないまま五感だけが鋭敏になっているような感覚がある。

作中で言及される大衆文化についての知識合戦や隠喩についての考察合戦がおそらく繰り広げられるのだろうけど、撒かれたピースから各々が解釈を組み立ててしまうこと自体が作品と相似している。

タイ(バンコク・アユタヤ)を旅する ― 聖なるものと俗なるものの濁流をさまよう

2018年9月14日~18日、タイ〈バンコク・アユタヤ〉を旅行した。

微笑みの王国、タイ。
かつて「クルンテープ」(天使の都)と呼ばれ「東洋のヴェネツィア」と讃えられる水の都バンコク。
あるいは、世界遺産にも登録された古都アユタヤ。
アジアの雑踏。崇高な超越へのあこがれと、猥雑な風俗が雑多に混じりあった東洋の王国。

バンコクを流れるチャオプラヤー川の濁流は聖俗浄穢を飲み込むタイの風土を象徴しているかのようだ。
それは、同じアジアの王国でも、日本の列島全土を流れる清流や神道的な穢れの思想とは対称的である。

初日

ぼくら(友人とぼくの3人)は、9月13日(木)の夜に羽田空港に集まり、9月14日(金) 00:30 東京・羽田発 → 9月14日(金) 04:50タイ・バンコク行きのフライトで旅行を開始した。
旅行初日はトラブルの連続であった。バンコクの空港に降り立つと、友人がひとり行方不明になった。iPhoneのSIMカードはwifi環境でのアクティベートが必要ですぐには使えなかった。ぼくらは、とりあえず、なかば諦めて入国審査カードを記入した。

どうにか、ようやく友人と再会し、電車や船を乗り継ぎながら朝8時ころホテルにチェックインすることができた。

観光を開始すると、王宮前ですぐに詐欺グループに絡まれた。友人たちは気のよさそうな(ぼくにはそう思えなかったのだが)タイ人の親父相手に会話を楽しみ、言われるがまま通りすがりのトゥクトゥクに乗り込んでいた。正直に言って、ぼくは友人たちの素直さにうらやましさを感じた。
もちろん、トゥクトゥクの運転手はぼくらと会話していたタイ人の親父の顔見知りであった。どうやら、彼らは言葉たくみに観光客を誘導し、大金をだまし取る詐欺グループだったらしい。タイの有名観光地でのこうしたトラブルは数十年前から存在するという。
http://www.newsclip.be/article/2015/05/24/25730.html

しかし、さすがに、初日から詐欺にあうわけにはいかない。彼らの前を立ち去り、ぼくらは王宮、タイ料理屋でのランチ、ワット・ポーの見学とタイ式マッサージ、その後、射撃クラブとナイト・マーケットを楽しんだ。三島由紀夫の『暁の寺』に登場するワット・アルン、一番の楽しみでもあったが時間の都合で今回は省略した。次回、その暁の姿を見たい。

だが、問題はその後であった。ぼくらは、終電のバスを乗り過ごした。
フライトからぶっ続けで遊び続けた疲労困憊のぼくらは、いくつもの失敗を繰り返した。
まずは、バス停で待ちながら所定の路線(25番線)のバスを見過ごした。ふたつめに、バスに乗り込むとそれは逆側方向へのバスであった。道を渡って、Googleマップでバス停の位置を探す。それが最後のチャンスだった。スコールが降っていた。ぼくらは雨の中バスを待ち続けた。
かすかに、そこが本当にバス停なのだろうかと不安を抱いていた。なぜなら、そこにバス停の標識が見られなかったからだ。友人はぼくに「雨宿りしながら、少し離れた場所でバスを待とう」と言った。
だが、ぼくはその最終バスを逃したくはなかった。ぼくはこのまま待つと答えた。
バスが現れた。ぼくらは手をふった。バスは通り過ぎて、200メートル離れたところで停車し、また走り出した。バス停はぼくらのいたところには存在しなかった。ぼくらは現実と地図をはき違えていた。

24時過ぎ。ぼくらは最終バスのないバスの停留所に座り込んだ。タクシーは観光客には冷淡だった。
彼らは深夜のぼくらを乗車させてくれなかった。疲れたぼくらはそこで15分ばかりぼんやりと過ごした。スコールは、その雨脚をいっそう強いものにしていた。だが、その雨音の向こうにかすかに大型車のブレーキの音が聞こえた。雨脚の向こうに、バス停のすぐ手前に、バスがいままさにそこに停車しようとしていた。それは25番線だった。バスは時刻表を30分以上遅れて運行していた。ぼくは奇跡という言葉の意味がわかった気がした。

ホテルに戻ると、浴槽のないバスルームでシャワーを浴び、シンハー・ビールを飲んで、ぼくらは朝までゆっくりと眠った。

二日目

二日目は、チャイナ・タウン、カオサン・ロード、電車移動をして古代遺跡アユタヤ、そしてナイト・クラブを巡った。

アジアにおいて、中華文明というのは特異点であり、タイにおいても中国文化の影響は色濃い。
一説には、そもそも、タイ族は中国南方から移動してきた人々だともいわれている。
タイ各地においても中国風の寺院や漢字が見られるところは多い。そんなタイのチャイナ・タウンで朝食をし散策をしながら二日目ははじまった。

チャイナ・タウンを散策すると、トゥクトゥクで15分ほど移動してカオサン・ロードに移動した。
バックパッカーの聖地。マクドナルドのキャラクター、 ロナルド・マクドナルドがワイ(合掌)している姿も見られる。カオサン・ロードはシルバー・アクセサリーの名店街でもあるらしい。SILVER FACTORYなどの看板が多く掲げられていた。

午後は、バンコク駅(フワランポーン駅)に移動し、そこから鉄道で古都アユタヤに移動した。
バンコク駅と鉄道移動で見た景色はもしかしたら今回の旅でもっとも印象深かったものかもしれない。
バンコク駅ではイスラームの衣装を着た女の子たちが離れ離れになるのだろう、抱き合って涙を流している姿を見かけた。仏教国タイにも少数ながらイスラーム人口はあるということらしい。近年の統計では、約400万人、4.6%がイスラム教徒であるという。
それから、弁当の売り子、ペプシのポスター、サバ缶の看板。色とりどりのタイがバンコク駅にはあった。
鉄道が出発してしばらくすると、バラック建ての家々が立ち並び、アユタヤ周辺まで移動したころには広大な農地がその姿を見せるようになった。タイは非常に都市と地方の差が大きく、また、貧富の差も大きかった。

古都アユタヤは、王朝の滅亡とかつての仏教の繁栄をよく示していた。日本でいえば、平家物語や奥州藤原氏を思わせる栄枯盛衰を想像させた。あらためて、一日かけてゆっくり見たいと感じた。
今回は駆け足でトゥクトゥクでツアーを行い、その後、河上のコテージ風のレストランでタイ料理とシンハー・ビールを飲むと、また鉄道でバンコクに戻った。
そして、ナイト・クラブを楽しむことにした。

バンコクでもっとも有名な歓楽街のひとつナナプラザ。ゴーゴーバーやバービアが多く集合するモール型の歓楽街。多くの日本人が訪れるという。
正直に言えば、セクシーな女の子が舞台の上に並んでるのを眺めながらアルコールを飲むところと聞いていて、Disco Trainみたいないわゆるclubを想像していた。だが、それとは違っていた。ステージの上の女の子たちは踊ってはいなかった。彼女たちは、ただステージに立ち、音楽に合わせてポージングする。
それを見つめる男たちの熱狂、熱い視線。対して、見られる彼女たちは、彼女たちの肉体は熱狂とは遠く、冷たい肉のようにも見えた。仏教国のタイでは、人々は輪廻転生を当たり前のことのように考え生きているという。あるいは、肉体と精神の乖離した彼女たち。肉体は現世における魂の牢獄にすぎないだろうか。
タイでは売春は違法ではない。厳密にいえば刑事的な処罰はない。だが、それらは合法でもない。それらは、双方が法的に守られた関係でもない。そこには、ただ、微笑みがあった。ぼくらはどこか醒めた気持ちを感じながらジントニックを飲み干した。

三日日

三日目はサムットソンクラーム県のメークロン市場(折り畳み市場)とバンコクの水上マーケットを観察し、エラワン美術館を巡った後で、サイアム・スクエアのモールでお土産を買い、ホテルに戻った。
そして、浴槽のないバスルームでシャワーを浴び、シンハー・ビールを飲んで、空港行きの朝4:30のシャトル・バスまで少しのあいだゆっくりと眠った。

そして、ぼくらのタイ旅行は終わった。朝7時半、タイ・バンコク発 → 東京・成田行きのフライトでぼくらは日常に戻った。
きっと、いつかまたぼくらは、タイの街を訪れるのだろうという予感を残して、上野駅でぼくらは別れた。

映画『きみの鳥はうたえる』を観る。

「きみの鳥はうたえる」を見た。
素晴らしかった。良い映画を観れたという実感が強く残った。

主人公である“僕”のバランス感覚に好感を抱いた。純文学作品の映像化となると、主人公の偏屈さだったり欠損(その痛さこそがチャームでもあるが)がどうしても目立ちがちだが、本作の“僕”にはそれがあまりみられないような気がした。

行動の動機や生活における力の配分、人との接し方など、とてもバランス感覚に優れている。だからこそ彼を含む佐知子と静雄との関係は永遠に続くはずだったし、彼が最も望んでいたことがそれだったのは冒頭のモノローグからも自明である。

ただ、そんな事はあるはずもなく、この物語でも“僕”の感覚ではどうにもできないところからバランスが崩れていく。顕著な例が森口というバイト先の人物。彼の致命的なバランス感覚の無さに僕は居ても立っても居られず鉄槌を下す。思えばあの場面から少しずつ雲行きが怪しくなっていった。

永遠に続くように思えた飲んだり遊んだりの毎日は、不安の裏返しだろう。振り返った時にそう思えるのは何ら問題がない。問題なのは、その瞬間に不安を感じていることだと思う。少なからず“僕”にはそれが無かったと思いたい。佐知子や静雄には、店長や森口や静雄の母には恐らく不安があった。

不安は日常のバランスを揺るがす。揺らいだ日常は、かつてのものではない。佐知子と静雄の関係の変化はその顕れだろう。その変化に気づいた“僕”も少しずつ変化していく。嫉妬もそうだ。静雄の母とのことをあのように佐知子と静雄に伝えたのは、“僕”のバランスが少しずつ崩れている証左だろう。

そして最後のシーン。もう戻れないところまでバランスを崩した“僕”は120を待つことができず13で走り出す。佐知子のこの上ない表情で物語は閉じられ、結末は観客に委ねられる。ただ、あのいつまでも続くと思われた夏がはっきりと終わったという事だけは明らかだ。

群像新人賞-芥川賞候補作、北条裕子『美しい顔』問題によせて

北条裕子『美しい顔』の無断引用問題は個人的に非常に残念です。
僕は『美しい顔』を読んで、非常に優れた小説だと思いました。
群像新人賞の選評でも賞賛され、掲載翌月の新聞の書評でも好意的に取り上げられた記事も多くみました。
そして、159回の芥川賞の候補にもノミネートされている。

読み手としては、無断引用なんて問題は当たり前にクリアされている前提で受け取るので、もはや対処の仕様がない。
一つの作品として世に出されたものが素晴らしければ積極的に賞賛したいし、本作に救われたと実感した人もいたはず。そんな人たちの期待と感謝を裏切ることとなったのは事実。

と、一元的に片付けられない部分も確かにあると思う。
本作のテーマが震災を扱っていることや客観的に作者の容姿が整っていることや新人賞の在り方など。

ただ、一つ言えるのは、本作は未だ単行本化されておらず、事態が発覚した際は既に次の号の群像が発売されており本作が掲載されている群像は書店には残っていなかった。
つまり、本作『美しい顔』をきちんと読んでいる人間は、数多の批判がなされるなかのほんの一握りしかいないという事。

純文学雑誌(群像)の発行部数を考えると、これは紛れもない事実。

何が言いたいのかというと、僕はバイアスがかかる前の『美しい顔』を読み純粋に心を打たれる経験をできたということ。残念ながらこの小説はもう純粋ではなくなってしまった。ただ、僕はまだ当たり前に純粋と信じられている時に読み、
まだ若い主人公のやり場のない憤怒が堰を切ったように溢れだす瞬間に心を打たれた。それを力強く表現した小説の世界に圧倒された。そんな貴重な読書体験ができたと思う。

とはいえ、乗代雄介『生き方の問題』が本作の載った号に同載されたせいで芥川賞候補にならなかったというのが純文学界的な一番の問題な気もする。

今回の芥川賞は暗い純文学界隈の話題を吹き飛ばすためにも松尾スズキ受賞が一番だろうけど、現実的ではない。町屋良平の『しき』も個人的には大好きだけど、受賞のボーダーには満たない気がする。古谷田は三島賞取ったばっかりだしさすがに難しそう。となると、満を持しての高橋弘希になるのだろうか。

メモ書き『サリンジャー的、サルトル的ーあるいは村上春樹と柄谷行人、ポストモダンの文学精神』

本稿では、20世紀の米文学界を代表する作家J.D.サリンジャーとフランスの哲学者・思想家で作家のジャン=ポール・サルトルの作品・作家および日本における受容と影響を比較することを通して浮かび上がってくる日本文学の思想・精神史を読みときたい。


Ⅰ. サリンジャー的、サルトル的
〈サルトルの倫理、サリンジャーの倫理〉

Ⅱ. サルトル的ー超越へと駆動する力
  (三島由紀夫、大江健三郎、吉本隆明、柄谷行人)
〈三島由紀夫の場合(時間)ー行動の究極地点、テロリズム〉
〈大江健三郎の場合(空間)ーサルトルとの対話〉
〈吉本隆明(空間・時間)・柄谷行人(空間)の受容と差異〉
〈サルトルの倫理〉

Ⅲ. サリンジャー的ー自己修復の物語
  (村上春樹、村上龍、高橋源一郎、加藤典洋)
〈サリンジャーーイノセント&フラジャイルな作家〉
〈三つの翻訳、三つのサリンジャー〉
・α.戦争神経症的なサリンジャーー『危険な年齢』〉
・β.分裂的なサリンジャーー『ライ麦畑でつかまえて』〉
・γ.解離的なサリンジャーー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』〉
〈ポスト全共闘のサリンジャー革命からのロスト〉
・彼らの失語症
・欺瞞へのいらだち
・彼らの失語からの回復ー物語の構築
〈サリンジャー的倫理〉

Ⅳ. 邂逅、対立、躓き、四散
〈サルトルとサリンジャー〉
1980 – 1989
〈吉本隆明による高橋源一郎・村上春樹・村上龍評〉
〈柄谷行人・浅田彰への批判 季刊思潮「批評は今なぜ、むずかしいか」〉
1990 – 1999
〈柄谷行人による村上春樹批評『終焉をめぐって』「村上春樹の「風景」」〉
〈湾岸戦争・自衛隊派遣への抗議 〉
〈オウム真理教事件ー村上春樹のコミットメント、サルトルのアンガージュマン〉
〈吉本隆明が語る人間の深いところー毛沢東と麻原彰晃〉
〈加藤典洋『敗戦後論』批判ー批評空間派〉
2000 – 2006
〈批評空間・NAM解散〉
〈村上春樹『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を発表〉

Ⅴ. サリンジャーとサルトルのあいだで
〈村上春樹の『壁と卵』〉
〈サルトル『いま希望とは』〉

■ 参考資料
・『吉本隆明と柄谷行人』合田正人
・村上春樹『考える人』2010年夏
・その他


Ⅰ. サリンジャー的、サルトル的


J.D.サリンジャーとジャン=ポール・サルトル。いずれも20世紀に一世を風靡し世界中を席巻した小説家であり文化人である。

サリンジャーは海外文学としては、非常に広く受容されている作家である。野崎が名訳を残し、村上春樹により新訳された『ライ麦畑でつかまえて(キャッチャー・イン・ザ・ライ)』は世界的にヒットした伝説的な小説である。思春期・青年期の若者に絶大な影響を及ぼしてきた作家・小説といえる。

他方、サルトルもかつてほどの名声は聞かないまでも、読者の価値観を塗り替えるような小説『嘔吐』や哲学書『存在と無』は文学・哲学史に燦然と輝きを残している。いわゆる全共闘以上の世代にはカリスマ的な知識人であった。

しかし、社会から隠遁したミステリアスなアメリカの作家サリンジャーと、アンガージュマンを唱え行動する哲学者として振る舞ったフランスの思想家サルトル、まったく正反対ともいうべきふたりの作家をどうして比較しようというのだろうか。
だが、これまで特別に比較されてこなかったこのふたりの作家をあえて比較することは単に筆者の個人的な思いつきや嗜好によるものではない。

あえていえば、ある時期から、サリンジャー的なるものとサルトル的なるものが交錯し対立しながら揺れ動き、日本の文学・思想の潮流を作ってきたといえる。

サリンジャーとサルトル。ふたりを補助線として、サルトル的なるものとしての三島由紀夫・大江健三郎・吉本隆明・柄谷行人、サリンジャー的なるものとして村上春樹・村上龍・加藤典洋・高橋源一郎をそれぞれみることで、1960年代以降のポストモダンな日本文学の精神史を追うことにしたい。

だが、なぜあらためてポストモダンの文学の精神史を問う必要があるのだろうか。
それはポストモダンの文学は物語がないところでいかになにを語るのかということを問い続けた半世紀という時間を持つからである。
これは現代という時代に対峙するときにアクチュアルな意味を持つ問いである。
ぼくらの生きる現在、2018年においてはポスト・トゥルースという言葉が跋扈する時代である。それは、フェイク・ニュースや歴史論争やマーケティングにおいて人々の精神が書き換えられていく時代でもある。

ぼくらの時代精神はあらためてよりどころとなる真実がないということに気付かされ畏怖している。
ポストトゥルースという言葉は、真実などないという現状から超越しようという精神が姿を現したということを表現しているといえるだろう。どこにも真実などないのだから、自分たちの信じたいことを信じ、自分たちに都合の良いことだけを語ろうとしてしまう人間の開き直りと弱さ。

そのときに、ある者は科学的・工学的なものだけを正しいものとして思考し、ある者は現実を直視するのではなくそれを超えた真実というものを発見し、スピリチュアルやナショナリズムに意味を見出し、ある者は自分自身だけが正しいという独我論に陥って他者を排斥していくであろう。

だからこそ、ぼくらはあらためて物語の終焉から、いかに物語がありうるだろうかと問い続けた半世紀の文学の精神史を問う必要があるのだ。そして、日本における
ポストモダンな文学はサルトルとサリンジャーの影響をおおいに受けて涵養された。
その精神史の中心人物が上に記した8名の作家である。

彼らにとって、何がサルトル的、何がサリンジャー的であったのか?
それは倫理である。

〈サルトルの倫理、サリンジャーの倫理〉

先に核心的なところを述べれば、サルトル的な倫理とは、根源的な問題との格闘であり、前進である。それに対し、サリンジャー的なるものの倫理は損壊した世界と私を修復しようという試みであり、癒やしというようなものである。

サルトルは不条理の中のコギトであり混沌を切り裂きながら意味を作り出すプロジェクトに全身全霊を捧げる。
哲学研究者の合田正人は、吉本隆明・柄谷行人と「全共闘」世代を比較しこう記載している。
これはサルトル的なものによる、サリンジャー的なものへの批判である。

”昨今、「分カリ易サ」のイデオロギー、新たな「ニッポン・イデオロギー」(戸坂潤[一九〇〇~一九四五])が台頭し、それが、「倫理」「エートス」「大人」といった御守言葉でさまざまに偽装された「全共闘」世代論とともに暗躍しつつあること、それと、吉本、柄谷をめぐるこの逆説的情況とは、無縁であるどころか密接に関連している。原理的問題群と格闘する者たちへの畏敬の念はやがて、誰がやってもダメじゃないかという諦観に変容し、それだけならまだしも、この停滞のうちに、原理的問題群を棚上げにする格好の口実を見出す者たちがまたしても跋扈しはじめたのだ。”
(『吉本隆明と柄谷行人』合田正人)

他方で、村上春樹は雑誌のインタビューでサルトル的なものを批判してこう言う。

”大げささな言い方をするなら、『1Q84』というのは、二〇世紀の「現代小説」、たとえばサルトル的なものに対する、僕なりの対抗テーゼと言ってもいいかもしれない。”
(村上春樹『考える人』2010年夏)

前進し分裂的なサルトルと、失語する離人的なサリンジャー。
サルトルの不条理をつらぬく視点と、いかに現実を再形成しようかとさまようサリンジャーの視線。

それは、集合論や精神分析のキーワードとも関係してくる問題である。
外部のスプリッティングがいきつく暗黒の噴出、内部が充満する開かれた集合。
あるいは超自我的な超越と井戸の底の集合的無意識。

ポストモダン文学を精神史を俯瞰するために、まずは時代の流れに沿って、サルトルの作品・作家・日本における受容を把握することからはじめたい。


Ⅱ. サルトル的ー三島由紀夫、大江健三郎、吉本隆明、柄谷行人


〈サルトルー行動する哲学者〉

サルトルならびにサルトル的な思想家とはなんであろうか。彼らは超越に取り憑かれた思想家たちである。

サルトルは絶対的な無の中に現象を視る。混沌とする無の中に、どこからか現れたそれは超越である。人は超越を掴もうとする。
超越はイマジナリーな世界を人に想起させる。それを現実として掴もうとサルトルは超越を追いかけて、行動する。

これがサルトル的な思想家の共通点である。

〈三島由紀夫の場合ー行動の究極地点、テロリズム〉
三島由紀夫の現代文学に対する後に残した影響は大きい。
ある意味で、サルトルがポストモダンのフランス現代思想家たちに残したものを、三島由紀夫も日本文学上に残したといえる。

だが、三島由紀夫はサルトルを嫌いだと公言していた。そこから話を始めよう。

もちろん、三島由紀夫のサルトルを嫌いだという言葉を額面通りに受け取ってはならない。
なぜならば、彼はその強烈なエゴにより太宰治に憧れながら彼に対して直接『私はあなたの文学が嫌いです』と言った人物であったのだから。

三島由紀夫とサルトルの共通点は明らかである。前後に颯爽と登場した行動する知識人。
三島由紀夫と対話したこともある文筆家の小阪修平は、サルトルと三島由紀夫を評してこう言う。

『三島由紀夫vs.東大全共闘―美と共同体と東大闘争』

三島由紀夫はサルトルに対して、同族嫌悪を感じていたと言わざるを得ないだろう。彼が、太宰治に感じていたのと同じように。

〈大江健三郎の場合ーサルトルとの対話〉
大江健三郎は三島由紀夫とは異なり、サルトルの影響を直接に受けた。

彼はのサルトルの翻訳で名高い海老坂武らとともに、実際にサルトルと対話を行なっている。

〈吉本隆明・柄谷行人の受容と差異〉

共同体の幻想を構造的に把握、それを突き破るものとしての柄谷行人

哲学者の合田正人は著作『柄谷行人と吉本隆明』でこう語る。

※ ここに引用

〈サルトルの倫理〉

「飢えた子どもに物語が有効か」


Ⅲ. サリンジャー的ー村上春樹、村上龍、高橋源一郎、加藤典洋


『ライ麦畑でつかまえて』 伝説的であり、いわくつきの本でもある。

〈三つの翻訳、三つのサリンジャー〉

サリンジャーは日本ではどのように受容され、村上春樹、加藤典洋、高橋源一郎にどのように影響を与えたのであろうか。また、なぜ村上春樹はサリンジャーを翻訳し直したのだろうか? そこから考えていこう。

これまでに日本で出された『The Catcher in the Rye』には複数の翻訳が存在する。
それぞれの翻訳を見ると、時代の空気をよく反映しているのがよく分かる。

時代の空気。よく言われることだが、精神的な病というものは、時代とともにその現れが変容する。
70年代頃までは対人恐怖や神経症が多く、80年代は境界例の時代であり、90年代以後は解離性障害が増加したという。
サリンジャーは無垢であるとともに、病的な小説家でもある。
翻訳と時代の空気、病からサリンジャー受容を見ていこう。

・1951年  J. D. Salinger『The Catcher in the Rye』(原著)
・1952年  橋本福夫 訳  『危険な年齢』
・1964年  野崎孝  訳  『ライ麦畑でつかまえて』(1984年 改訳)
・2003年  村上春樹 訳  『キャッチャー・イン・ザ・ライ』

〈α.戦争神経症的なサリンジャーー『危険な年齢』〉

まず、はじめに、原著が刊行してすぐの1952年に訳した橋本福夫訳は『The Catcher in the Rye』を戦後文学として受容した。
以下、論文を引用するが、『危険な年齢』というタイトルは”「戦後のアメリカの若い人達の持つ空虚感を表明した言葉」を日本のコンテクストに受容可能なように訳した”というものであった。つまり、いわゆるロスト・ジェネレーションの文学として受容された。

” 日本でいち早く The Catcher in the Rye を翻訳したのは、橋本福夫である。翻訳に先立つ書評(橋本 1952, 52)で、「わたくしはこれはいわゆる war novel ではないが戦争の生んだ小説、après guerre(戦後)小説の一つだと思う」と述べている。”
(論文『村上春樹の新訳と三人のサリンジャー(林 圭介)』)

石原慎太郎が『太陽の季節』を描き、木下恵介が『日本の悲劇』を撮った時代である。

〈β.分裂的なサリンジャーー『ライ麦畑でつかまえて』〉

名訳と名高い野崎孝による翻訳が描かれたのは、1964年のことであった、その翻訳を1984年に改訳する。
1964年に翻訳した野崎孝は社会の下層に位置する主人公が、大人に反抗する小説という「ピカレスク小説」としてこの作品を翻訳したと書いている。今でいえば、村上龍の小説と近いフォーマットとでもいえる。
そして、1984年の改訳ではそのフォーマットのパターンを強化したという。

” 一方、1964 年の初訳における「解説」で、野崎(サリンジャー 1964, 299-301)は「子供の夢と大人の現実の衝突」が「作品の基本的パターン」だと指摘し、「彼は子供の世 界にありながら、大人の世界に片足突っ込んだ不安定な姿勢で立っている」と主人公 のホールデンについて論じている。野崎がこのテクストに見出すのは、「見なれた場面 を、常とは変わった、興味をひく視点」が主人公によって描かれる「ピカレスク小説」 という枠組みである。この枠組みは 1984 年の改訳で強化される。”
(論文『村上春樹の新訳と三人のサリンジャー(林 圭介)』)

精神科医の斎藤環は『ライ麦畑でつかまえて』を “世界でもっとも有名なボーダーライン文学” “ボーダラインの標本みたいな小説” と評し、分裂的な文学としてとらえているが、その斎藤環がより身近に感じているのが、この野崎孝の翻訳である。

分裂とは、不安などから自己の精神を守るための防衛機制のひとつである。ここで分裂を定義するなら、対象の全体を受け入れるのではなく、白黒をつけて切断し、認識や判断をすること、としよう。
「好き・嫌い」/「綺麗・汚い」/「正義・悪」/「敵・味方」/「愛・憎悪」/「粋・野暮」こういった二項対立での思考形態が典型的な分裂的な思考である。

この小説の主人公、コーンフィールドが世間や他者を批判しながら、しかし、無垢なものを求める姿勢。物事の本質を白黒ついてはっきり突くという姿勢はまさしく分裂的なものといえよう。分裂的な傾向というのは、ある種の批評性のようにも思えるが、この思考法が病理と呼ばれるようになった段階のひとつが境界例(ボーダーライン)である。

だが、名訳といわれる野崎孝の『ライ麦畑でつかまえて』であるが、村上春樹・高橋源一郎・加藤典洋によるサリンジャー受容はかならずしも〈分裂的なサリンジャー〉ではないようなのだ。彼らの受容は後述する。

〈γ.解離的なサリンジャーー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』〉

そして、村上春樹は解離的なサリンジャーを描いた。

精神科医の斎藤環は村上春樹を解離的あると評価する。
” 私の村上評価は、「ねじまき鳥クロニクル」を境として、ほとんど180度近く変化した。(略)私にとって重要なのは、この作品を嚆矢として、村上作品の「解離」ぶりは、いっそう洗練されていったという点である。(略)解離の導入がなぜ必要であったか。それは私がかつて述べたような、境界例的「分裂」から多重人格的「解離」へ、という、時代精神の変化を反映した流れであった(p115)”

斎藤環のこの発言の後に発表された村上春樹によるサリンジャー翻訳はこれまでの神経症・分裂的であった物語を解離的な翻訳に変容させた。しかし、それだけでなく、村上春樹の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』は、これまでの翻訳よりも、やさしく、癒やしを感じさせる文章が志向されていた。ある種、それはカウンセリングを感じさせる表現であった。
それに対して、世間からは「これは翻訳ではない。翻案だ」という批判の声もあがった。だが、その批判は正しくない。村上春樹の飛躍した翻訳には、彼自身の転回、彼自身の飛躍が試行されていた。しかし、その飛躍の前には、躓きが必要であった。

〈ポスト全共闘のサリンジャー革命からのロスト〉

ここで、サリンジャー的作家の4人が登場する以前に戻り、かれらの世代について一度確認しておこう。

東大安田講堂事件が終局、70年安保が自動延長すると、全共闘的な学生運動は一気に退潮した。
物語の終焉、革命の終わり、宴の後。そして三島由紀夫は自決する。
1970年代はさめざめとした殺伐とした風景を思わせる。

1970年「よど号ハイジャック事件」、1971-1972年「連合赤軍事件」。文化面では、1972年『木枯らし紋次郎』、1973年『氷の世界』、1974年『傷だらけの天使』、1975年『僕たちの失敗』、1976年『いちご白書をもう一度』。

文筆家の小阪修平はその時代の空気を『思想としての全共闘』でこう語る。”同世代の一番優秀な奴は滅んだか、半ば廃人になった” 小阪修平もなかば離人症のようになったという。誰もが、語る言葉を失った。

イーグルスによる『ホテル・カルフォルニア』が歌われた次の年、「ダッカ日航機ハイジャック事件」の翌年、1978年に村上春樹は処女作『風の歌を聴け』の執筆を開始する。高橋源一郎は『さようなら、ギャングたち』を1980年に書く。
彼らは、その時までことばを失っていた。

彼らは、ロスト・ジェネレーションであった。そして、そんな彼らがサリンジャーを読んだのだ。1984年以前の、より分裂的に改訳される前の野崎孝の翻訳、あるいは橋本福夫訳によって。革命の終わりに、喪失感と共に、まるで戦後のような心情で。

加藤典洋は『敗戦後論』でこう書いている。彼はサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を“戦争からの生還者の苦しみ”だと表現する。そこには、彼の革命の失敗した後に生き続ける自分の苦悩が重ねられていただろう。
“太宰の「トカトントン」はわたしにJ・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を思いださせる。一見したところ関わりをもちそうにない二作だが、全く無縁だというのでもない。簡単にいえば『ライ麦畑でつかまえて』は、あの『お伽草紙』がそうであるような戦争小説である。そこに描かれていることの一つは、「トカトントン」が描くのと違わない、戦争からの生還者の苦しみなのである。”
(加藤典洋『敗戦後論 』)

〈彼らの失語症、欺瞞へのいらだち〉

学生運動と逮捕・拘置所での勾留から失語症を経験したことのある高橋源一郎は小説『優雅で感傷的な日本野球』でこう書いている。
そこからは、どうしても拭い去ることのできない不快感のようなものが見て取れる。

“驚くべきことに、生徒たちの何人かは『危険な年齢』というタイトルになっていたサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の古い訳本を持っていました、また何人かは「抹香街」という漢字を即座に書き取ることができました、また何人かは真善美社から出版された本を持っていました、どうしたんですか? 気分でも悪いんですか?”

そして、村上春樹もまた失語した。
デビュー作『風の歌を聴け』にはこんな文章がある。

“それにもかかわらず、文章を書くことは楽しい作業でもある。生きることの困難さに比べ、それに意味をつけるのはあまりにも簡単だからだ。十代の頃だろうか、僕はその事実に気がついて一週間ばかり口も聞けないほど驚いたことがある。少し気を利かしさえすれば世界は僕の意のままになり、あらゆる価値は転換し、時は流れを変える…そんな気がした。
それが落とし穴だと気づいたのは、不幸なことにずっと後だった。僕はノートの真ん中に1本の線を引き、左側にその間に得たものを書き出し、右側に失ったも のを書いた。失ったもの、踏みにじったもの、とっくに見捨ててしまったもの、犠牲にしたもの、裏切ったもの…僕はそれらを最後まで書き通すことはできなかった。”

加藤典洋は『敗戦後論』で現実をアクチュアルに捉えることのない、帰還兵の欺瞞へのいらだちをこう言う。
“彼の窮状とは、彼がどうにもいわゆる世の中のインチキに我慢できず、それに従うなら死んだほうがましだ、と思っているということだ。”
(加藤典洋.敗戦後論(ちくま文庫))

村上春樹もまた『ノルウェイの森』で欺瞞へのいらだちを明らかにする。
” ストが解除され機動隊の占領下で講義が再開されると、いちばん最初に出席してきたのはストを指導した立場にある連中だった。(略)これはどうも変な話だった。なぜならスト決議はまだ有効だったし、誰もスト終結を宣言していなかったからだ。大学が機動隊を導入してバリケードを破壊しただけのことで、原理的にはストはまだ継続しているのだ。そして彼らはスト決議のときには言いたいだけ元気なことを言って、ストに反対する(あるいは疑念を表明する)学生を罵倒し、あるいは吊るしあげたのだ。(略)そんな連中が大学解体を叫んでいたのかと思うとおかしくて仕方なかった。”

〈彼らの失語からの回復ー物語の構築〉

村上春樹、村上龍、加藤典洋、高橋源一郎をひとりひとり見てみよう。
〈村上龍 ー『限りなく透明に近いブルー』〉
〈村上春樹ー『風の歌を聴け』〉
〈加藤典洋ー『敗戦後論』〉
〈高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』〉

〈サリンジャー的倫理〉
「物語」


Ⅳ. 邂逅、対立、躓き


〈サルトルとサリンジャー〉

言語にとって美とは何か、ひとりの個体 位置づけ 吉本隆明

戦争が個体にとってどのような影響を及ぼすかとちうこと

【1980 – 1989】

1980年台、ポストモダンが一気に受容された時代に、颯爽とあらわれたサリンジャー的な作家たちは一世を風靡する。
これに対して称賛を送るサルトル的な批評家がいた。他方で、 サリンジャー的な作家を批判する批評家も出現する。

彼らは、時に出会い、 認め合い、対立し、時にはすれ違った。
流れはわかれ、時にはヘゲモニー争いのように三つ巴・四つ巴の論争となる。
あらためて、サルトル的/サリンジャー的な彼ら8人を分類しておくならば以下のように分けられるだろう。

① サルトル的(右翼)           :三島由紀夫
② サルトル的(岩波朝日文化人) :大江健三郎
③ サルトル的(批評空間)    :柄谷行人
④ サルトル的(大衆の原像)   :吉本隆明
⑤ サリンジャー的        :村上龍
⑥ サリンジャー的 (吉本派)  :加藤典洋、高橋源一郎
⑦ サリンジャー的 (英米文学) :村上春樹

以下、1980年代以降の彼らの邂逅と対立を見ていこう。

〈吉本隆明による高橋源一郎・村上春樹・村上龍評ー吉本隆明の転向〉

吉本隆明は転向した。

1990年代を通して、サリンジャー的、サルトル的な彼らはさらに交錯し、対立し、あるいは自壊した。

その前哨戦は、1988年の加藤典洋/高橋源一郎/竹田青嗣の鼎談「批評は今なぜ、むずかしいか」からはじまった。

〈1988年 :批評空間・加藤典洋の対立 季刊思潮「批評は今なぜ、むずかしいか」〉

対して、柄谷行人率いる批評空間の編集者となる浅田彰は猛烈な反論を行った。
いわく、加藤典洋/高橋源一郎/竹田青嗣らの批評は外部に開いていない。閉じている。
共同体の内部に閉じこもっているというものであった。

「季刊思潮「昭和批評の諸問題1965−1989」」

【1990 – 1999】

〈1990年 : 柄谷行人による村上春樹批評『終焉をめぐって』「村上春樹の「風景」」〉

1990年、柄谷行人は著作『終焉をめぐって』を発表する。
その第一部は「大江健三郎のアレゴリー」と「村上春樹の「風景」」という批評であり柄谷行人による、大江健三郎と、村上春樹への批判が描かれている。

これに対して、村上春樹は村上春樹は沈黙を貫いていた。
それは、1986年-1995年まで、海外で活動をしていたところによるものも大きい。
だが、1998年に出版された『夜のくもざる』に「柄谷行人」というタイトルの柄谷行人を批判する戯作的な文章を入れる予定だったと本人が語っているところをみても、これらの評論から受けた影響は少なくないだろうと思われる。(村上春樹『雑文集』に収録)

〈1991年 : 湾岸戦争・自衛隊派遣への抗議 〉

1991年、湾岸戦争への自衛隊派遣に抗議し、柄谷行人、中上健次、津島佑子、田中康夫、高橋源一郎らは『湾岸戦争に反対する文学者声明』を発表した。

この件は大きな反応を呼ばなかった。だが、これは後に加藤典洋とのあいだで大きな論争に発展する。

〈1994年 : 大江健三郎 ノーベル文学賞受賞〉

1994年、ノーベル文学賞を受賞した。
川端康成以来26年ぶり、日本人では2人目の受賞者となる。
サルトルのように辞退することはなかった。

受賞理由として、以下が語られている。
「詩的な力によって想像的な世界を創りだした。その世界では生命と神話が凝縮されて、現代の人間の窮状を描く摩訶不思議な情景が形作られている (who with poetic force creates an imagined world, where life and myth condense to form a disconcerting picture of the human predicament today )」

〈1995年 –  : オウム真理教事件ー村上春樹のコミットメント、サルトルのアンガージュマン〉

1995年、阪神・淡路大震災と同じ年に、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起きる。
地下鉄サリン事件は、死亡者13人、負傷者 約6,300人の大規模テロ事件である。

オウム真理教には、ある種のニューエイジ運動(New Age movement / NAM)の側面があった。
それは、サリンジャーが後期に辿りついた神秘主義や東洋思想、輪廻的なものをベースにした新宗教であったことだ。
ある意味で、オウム真理教は政治性から離れて世捨て人になったサリンジャー的な人びとの集団であった。

この事件に村上春樹は衝撃を受ける。そして、村上春樹は海外から帰国しノンフィクションの仕事をはじめる。
しかも、地下鉄サリン事件の被害者へのインタビュー『アンダーグラウンド』と、オウム真理教の信者に対するインタビュー『約束された場所で―underground 2』を両面で行ったのである。
これは不思議な方法である。
だが、アンダーグラウンドの意味するところを考えれば意図は明確であった。アンダーグラウンドは、直訳すれば「地下」を意味するが、「見えないもの、影の存在」を意味する言葉でもある。村上春樹は『アンダーグラウンド』では地下鉄事件の被害者を描き、『約束された場所で―underground 2』ではオウム真理教信者の心の深いところを描こうとしたのである。

そして、この経験から、村上春樹は加害者であるオウム真理教信者からむしろ示唆を受けることになる。
それは、人が物語を持たないことの危険性である。

オウム真理教に帰依した何人かの人々にインタビューしたとき、僕は彼ら全員にひとつの共通の質問をした。「あなたは思春期に小説を熱心に読みましたか?」答えはだいたい決まっていた。ノーだ。彼らのほとんどは小説に対して興味を持たなかったし、違和感さえ抱いているようだった。人によっては哲学や宗教に深い興味を持っており、そのような種類の本を熱心に読んでいた。アニメーションにのめり込んでいるものも多かった。言い換えれば、彼らの心は主に形而上的思考と視覚的虚構とのあいだを行ったりきたりしていたということになるかもしれない(形而上的思考の視覚的虚構化、あるいはその逆)。
彼らは物語というものの成り立ち方を十分に理解していなかったかもしれない。ご存知のように、いくつもの異なった物語を通過してきた人間には、フィクションと実際の現実とのあいだに引かれている一線を、自然に見つけだすことができる。
(中略)
つまりフィクションが本来的に発揮する作用に対する免疫性を身につけていなかったと言っていいかもしれない。
(村上春樹『村上春樹雑文集』「東京の地下のブラック・マジック」)

これにより、村上春樹は人びとに物語を語ることを志向するようになる。
物事を語ることによるコミットメントである。それは、サルトルが「文学は何ができるか」で語った「飢えて死ぬ子供を前にしては『嘔吐』は無力である」「作家たるものは、今日飢えている二十億の人間の側に立たねばならず、そのためには、文学を一時放棄することも止むを得ない」というテーゼとは相反するものであった。
はじめに出した彼の「『1Q84』というのは、二〇世紀の「現代小説」、たとえばサルトル的なものに対する、僕なりの対抗テーゼと言ってもいいかもしれない」というのは、まさにこの意味である。

〈1995年 –  : 吉本隆明が語る人間の深いところー毛沢東と麻原彰晃〉

他方、サルトル的な人物の中にもこの事件に関心を持つ人間がいた。吉本隆明である。
彼は、対話集『夜と女と毛沢東』において、毛沢東の深い闇の部分と麻原彰晃の闇の深さを共通のものとして語っている。

吉本隆明/辺見庸 『夜と女と毛沢東』(文春文庫)2000年

〈1997年 : 加藤典洋『敗戦後論』批判ー批評空間派〉

内田樹「戦争論の構造」(『論集』第46巻第3号、2000年3月、神戸女学院大学研究所に収録予定)(内田樹のホームページで読める。http://www.geocities.co.jp/Berkeley/3949/)この論文で内田は高橋をサルトル – カミュ論争における「正しすぎる」サルトルに見立てている。興味深い指摘である。

批評空間出身の東浩紀は加藤典洋と批評空間派との対立を『郵便的な不安たち』の中で、こう称している。

【2000 – 2006】

〈2002年 : 批評空間、2003年 : NAM解散〉

2000年、柄谷行人は資本と国家への対抗として、政治運動 New Associationist Movement (NAM)を立ち上げる。
それは、あらたな希望を切り開こうとする柄谷行人の行動であった。
あるいは、盾の会を率いた三島由紀夫や、毛沢東主義の学生を支援したサルトルのように。

サルトルは分裂的な作家であった。いや、彼は分裂的であったからこそ、明晰であったといって良い。
解離は内部をスプリッティングさせるが、分裂的な人物は外部をスプリッティングさせる。
他者を語った柄谷行人もまた明晰であった。そして、柄谷から大きな影響を受けた彼の子犬たちもまた明晰であった。
彼らは新たな地平を切り開こうとした。NAMは2003年に解散する。

そして、批評空間社も2002年に編集長 内藤裕治の急死により解散した。

だが、それ以降も柄谷行人は超越を切り開こうと前進し続けている。
「新たな交換様式にもとづくグローバル・コミュニティ(アソシエーション)」に向けて「その実現は容易ではないが、けっして絶望的ではありません。少なくとも、その道筋だけははっきりしているからです」と語っている。
(柄谷行人『世界共和国へ』(2006年))

〈2004年 : 九条の会 結成〉
2004年、大江健三郎は中心人物のひとりとして、九条の会を結成した。
呼びかけ人は、オールド左翼の以下の9人であった。
井上ひさし、梅原猛、大江健三郎、奥平康弘、小田実、加藤周一、澤地久枝、鶴見俊輔、三木睦子。
彼らは60年台から、大きく転向せずに戦い続けている。時代の流れに逆らいながらも戦い続けたサルトルのように。

〈2006年 :村上春樹『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を発表〉

2006年、村上春樹は『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を発表した。


Ⅴ. サリンジャーとサルトルのあいだで


批評空間の崩壊後、日本の思想のシーンはアカデミズム・ジャーナリズム・サブカルチャー・政治経済へと四散し、曖昧になった。批評は、ストリートの思想と呼ばれるマルチチュードとゼロ年代批評といわれる傾向に別れていった。
ある意味では、サルトル的な〈行動〉とサリンジャー的な〈引きこもり〉が極限まで突き詰められたともいえるだろう。
サウンド・デモ〈祝祭的革命〉とセカイ系〈失語的喪失的世界〉と考えればサルトル的なものとサリンジャー的なものであったことがよく分かる。
だが、アクチュアルな意味での一般的な現実からは乖離し続けた。そして、世間への影響力は低下した。

一方で、村上春樹が新刊を出版すると大騒ぎとなった。だが、そのあまりの人気の高さから村上春樹の物語は商品として流通し、日本国内では文学として批評されずらい状況が続いた。

そして、サリンジャーとサルトルは、また交錯しはじめている。

2011年、3月11日 東日本大震災、福島第一原発事故が発生。
同年、それまで『未完のレーニン 〈力〉の思想を読む』、『「物質」の蜂起をめざして: レーニン、“力”の思想』レーニン研究など理論的な仕事をしていた批評家の白井聡は、加藤典洋の『敗戦後論』の影響が見られる『永続敗戦論』を出版した。

2012年、批評家の吉本隆明が他界した。
吉本隆明の講演は、ほぼ日刊イトイ新聞の糸井重里がアーカイブスし、無料で公開している。
ぼくらはいつでも彼の思想に触れることができる。
http://www.1101.com/yoshimoto_voice/

2013年、加藤転洋と高橋源一郎は対談『吉本隆明がぼくたちに遺したもの』を出版。
同年、「批評空間」出身の東浩紀は福島第一原発観光地化計画を主催、2015年には批評史「ゲンロン」を創刊する。

2015年、高橋源一郎はSEALDsの学生と対話を行い『民主主義ってなんだ?』を「自由と民主主義のための学生緊急行動主宰メンバーたちとの対談」として出版した。
同年、村上春樹は『職業としての小説家』を発表、自身がかつてノンセクト・ラジカルであったこと、イスラエル賞受賞式前の苦悩を明かしている。

2017年、村上春樹は現在の文壇の中心人物ともいえる川上未映子との対談『みみずくは黄昏に飛びたつ』を発表した。


さて、サリンジャーとサルトルとの違いは、その倫理であるとはじめに告げた。
それぞれの倫理がどんなものであるか、最後に整理しよう。

〈村上春樹の『壁と卵』〉

2009年、イスラエル賞受賞式での村上春樹発言は大きく報道された。
これをオウム事件後以降の村上春樹のデタッチメントからコミットメントだと評価したしともいた。
一方で、あのような発言には意味がない、受賞を断るべきだという意見もあった。
だが、そうではない。彼の試みは単なるアイロニカルな抵抗ではないということを理解しなければならない。
オウム事件語の『アンダーグラウンド』/『アンダーグラウンド』で彼は転回し、サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の翻訳で彼は飛躍し物語をつくり、そこから離れることなく跳躍をして『壁と卵』を語ったといわなければならないではないか。

彼は語る。
「高くて硬い壁と、壁にぶつかって割れてしまう卵があるときには、私は常に卵の側に立つ」

以下引用しよう。

” 「それでも私は最終的に熟慮の末、ここに来ることを決意しました。気持ちが固まった理由の一つは、あまりに多くの人が止めたほうがいいと私に忠告したからです。他の多くの小説家たちと同じように、私もまたやりなさいといわれたことのちょうど反対のことがしたくなるのです。私は遠く距離を保っていることよりも、ここに来ることを選びました。自分の眼で見ることを選びました。」

そして、たいへん印象的な「壁と卵」の比喩に続く。

「高く堅牢な壁とそれにぶつかって砕ける卵の間で、私はどんな場合でも卵の側につきます。そうです。壁がどれほど正しくても、卵がどれほど間違っていても、私は卵の味方です。」

http://blog.tatsuru.com/2009/02/18_1832.php ”

ここで思い出すべきであるのは、まさに『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の一説である。

サリンジャーの倫理は憐れみである。か弱きイノセントなものたちを包み込むように守らなければならない。
サリンジャーの以下の文章は、まさに村上春樹のイスラエル文学賞でのスピーチと響き合うものである。

"「僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ――つまり、子供たちは走ってるときにどこを通ってるかなんて見やしないだろう。そんなときに僕は、どっかから、さっととび出して行って、その子をつかまえてやらなきゃならないんだ。
一日じゅう、それだけをやればいいんだな。ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。馬鹿げてることは知ってるよ。
でも、ほんとになりたいものといったら、それしかないね。馬鹿げてることは知ってるけどさ」"

〈サルトル『いま希望とは』〉

対して、すでに明らかであるが、サルトルの倫理は希望であり、それは行動である。
少し長くなるが、サルトルの言葉を引用する。

"企てられた行動のきわめて重要な特徴の一つは、さきほど言ったように希望だということ。そして希望という言葉の意味するところは、行動を企てれば必ず行動の実現を期待する、ということだ。(略)ということは、行動が必ず目的を実現するに違いない、ということではなく、未来のものとして立てられた目的の実現の中に、行動が姿を現すに違いない、ということだ。しかも、希望自体の中に、一種の必然性がある。いま現在、挫折の観念はわたしの内で深い根拠を持っていない。"

そしてサルトルは続ける。

"とにかく、世界は醜く、不正で、希望がないように見える。といったことが、こうした世界の中で死のうとしている老人の静かな絶望さ。だがまさしくね、わたしはこれに抵抗し、自分ではわかってるのだが、希望の中で死んでいくだろう。ただ、この希望、これをつくり出さなければね。
説明を試みる必要があるな。なぜ今日の世界、恐るべき世界が歴史の長い発展の一契機にすぎないのかを、希望が常に、革命と蜂起の支配的な力の一つであったということを。それから、自分の未来観としてどういうふうにわたしがまだ希望を感じているのかを。"


これもまた村上春樹に新訳された小説であるが、レイモンド・チャンドラーが生み出したハードボイルド小説の主人公フィリップ・マーロウは言った。

"強くなければ生きていけない、優しくなければ生きる資格が無い"

ぼくらは、サリンジャー的、サルトル的であるだろうか。


【P.S.】
最後に、個人的な想い出をひとつ。
いまから10年ばかり前のこと、大学の卒業式に東京都知事であった石原慎太郎が来賓として登壇した。
彼は、ぼくらに、こう言った。

「サルトルのようにアンガジェしなさい」

小説『サリンジャー的、サルトル的 ー Like Salinger, Like Sartre』(抜粋)

東京、2018年。 サルトル好きの青年とサリンジャー好きの女の子が出会った。 中国人の女の子、白人の青年、ケイト・スペードの死、ドストエフスキー『罪と罰』とハイデガー『存在と時間』、ヒッピーの青年、シティ・ボーイの青年。
渋谷の街でぼくは10年という時が過ぎ去ったのを感じた。


ぼくらはまた歩きはじめた。
モール内の有線放送では、The Mamas & the Papasの『California Dreamin’』が流れていた。

ぼくはふと、むかしのことを思い出した。それはいまから10年前の風景だった。
その頃のぼくは、東京の端にある公立大学に通っていて、調布の安アパートにひとり暮らしていた。大学に入り、ひとり暮らしをはじめると、時間軸から開放される。
それがたった4年間の話だったとしても、開放された空間を楽しむのが学生の特権だ。

当時は、iPodが広く普及した時期だった。誰も彼もが、iPodで音楽を聴いていた。
当時のiPodはいまのiPhoneやAndroidのような通信系のモバイル端末ではなかった。ぼくが持っていたのはiPod Classicで、それは60GBの記憶装置を持つ小さなジューク・ボックスだった。

バーに入りカウンターのマスターにオリーブ入りのドライ・マティーニを注文する。一服しながら空間の隅っこにあるジューク・ボックスをながめる。ジューク・ボックスに近づき、お気に入りのナンバーを探す。
クリームのWhite Room、ディープ・パープルのSmoke on the Water、レッド・ツェッペリンのStairway to Heaven、そしてドアーズのLight My Fire。そんな風に、ぼくらは、喫茶店でマクドナルドで駅のプラットフォームで下北沢の商店街で、どこでもiPodで音楽を聴いていた。

当時、音楽を聴いていない友人がいただろうか。
”NO MUSIC NO LIFE.”
”DIVE INTO MUSIC.”
そんな言葉が、まだいきいきして見えていた。

iPodは音楽の聴き方を変えた。TSUTAYAでCDを借りると60GBの記憶装置にあらゆる音楽を詰め込んだ。
60’s~00’sのロック、ヴィレッジヴァンガードで知ったジャズの名盤、映画の影響で聴きかじってみたストラヴィンスキーやマーラー。
あらゆる音楽の波に呑み込まれて楽しんだ。
不思議なのだけれど、音楽を集中して聴いていると、目の前に音の色をした光が現われたり、音の球体がひだまりの猫のように目の前で遊び飛び跳ねるように見えることがある。
音楽との戯れは、直接的に、ぼくらにフィジカルになにかを見せてくれた。

おそらく、秋だったと思う。大学にはなかなか通わず、多摩川の河原沿いをiPod classicでボブ・ディランを聴きながら、CAMELのタバコを吸って散歩ばかりしていた頃だ。当時は絶望的に未来が見えなかった。単位取得や卒業について考えるのは憂鬱だったし、はじめから関心などなく諦めていた。社会人になることなど考えるのも嫌だった。とにかくいつまでも自由でいたかった。

日が暮れると家に帰り、ウォッカにナツメグを溶かして一口に飲むと、ソファーに横になり乾燥させたアジサイを混ぜたタバコを吸った。当時は、オルダス・ハクスリーやジョン・C・リリーなどの1960年代のヒッピーに傾倒していた。憂鬱な気分もいくらか穏やかになり、あるいは高揚した。

オルダス・ハクスリーの『知覚の扉』。ドアーズ(The Doors)の名前の由来になったエッセイだ。『知覚の扉』というのは、もともとは詩人ウイリアム・ブレイクの一説からの引用による。

“知覚の扉澄みたれば、人の目にものみなすべて永遠の実相を顕わさん”

ずっとむかしから、ものごとの存在や本質を見たいと思っていた。それは、もしかしたら、ぼくが色盲だからということもあるのかもしれない。人と見えているものが違うということに違和感があった。人々のいう常識や法律の授業に出てくる社会通念に強烈な違和を感じていた。
オルダス・ハクスリーの『知覚の扉』はそんな疑問を解くための方法論としてぼくにとってヴィヴィッドなものだった。

『知覚の扉』は、幻覚剤メスカリンをオルダス・ハクスリーが実際に体験した、エッセイであり体験記である。その本には、幻覚剤メスカリンを使用した意識状態でのものごとの見え方、芸術の見え方、人との関係のあり方、存在の仕方が描かれている。

オルダス・ハクスリーは、身体に刺激を与えることで人間固有の認識のフィルターや社会的なバイアスのフィルターを除去し、知覚の拡大をできるのではないかと考えていた。

イマニュエル・カントが『純粋理性批判』でいうように、人間は外部の物自体の存在を知覚しているのではなく、悟性や理性のフィルターを通して認識を行っているとすれば、人は事象そのものを把握することはできない。つまり人は客観には到達しえないし、あらゆる人は主観で語るにすぎない。
そうした状況での常識・社会通念に不信感と欺瞞を感じるのは、どうしても避けられないのではないかと思う。

しかし、もし物理的な刺激により、人間固有の認識のフィルターや社会的なバイアスのフィルターを除去することができるのであれば、本質を体験することができるのではないか。そして、それは理想的な話に思えた。

歴史的に見れば、オルダス・ハクスリーの『知覚の扉』は、1960年代の西海岸のヒッピーやハーバード大学教授だったティモシー・リアリーやジョン・C・リリーが行った運動、LSDによって意識の拡張を追求した社会的ムーブメントに、大きな影響を与えている。
意識の拡張は、個人のあらたな意識への変革と他者への共感を意味する。彼らは、新しい物語として、あらゆる人々の意識の変革を未来の社会の希望としていた。

おそらくぼくはそのパロディを個人的な体験として求めていた、あるいはサイキック・ボルシェヴィキを夢想していたのだろうか。iPodから流れる音楽と共に。

ある日、Pink FloydをBGMに、明かりを消したバスルームでチャンダンのお香を焚きながらウォッカを飲んでいると、不思議なイメージが現れた。目の前あるのは宇宙だった。無であり混沌とした形而上学的な宇宙だった。

あたりを見回すと、その宇宙の中で、人々が回し車の中を歩き続けていた。まるで、車輪の中のハムスターだった。どれだけ歩き続けても決して前進することはない。虚空の上で車輪が回り続けるだけなのだ。それなのに、人々は絶えず歩き続けていた。なぜ人々が歩き続けるのかぼくには理解できなかった。歩き続けても意味などないのに。ぼくは、みんなになぜ歩き続けるのかと尋ねた。誰も答えはしなかった。
ぼくは孤独を感じた。ふと足元を見ると恐怖が沸き起こった。ぼくの足元はなにものの上にも立ってはいなかった。ぼくはどうしようもない気持ちになっていた。

すると太陽が現れた。狂おしいほど眩しい、真っ白な太陽だった。太陽は膨張しはじめた。熱量を大きくしながら、さらに巨大になり続けた。すべては太陽に包まれた。すべては太陽に焼かれていった。
風が吹いた。そのとき、ぼくは生きるとはこういうことなのだと思った。


以前、レズビアンの女の子となかよくなったことがあった。厳格なプロテスタントの家庭で育ち、ミッション系の大学を卒業した法律事務所で働く年上の女の子。ぼくらはよく新宿三丁目の飲屋街で、ふたりで食事をした。仕事を終えた、その後で。
あるとき、彼女は神秘的な体験を経験したという話をしてくれた。愛の神秘体験。彼女にとっての永遠の瞬間は、タイを旅行中にメコン川をボートでくだっている瞬間だったらしい。その濁流の水面が太陽できらめく一瞬を目にして、彼女は愛ということばの意味を理解したと言って笑った。
それから彼女はロサンジェルスへ行くと言った。家族とは絶縁状態だから、もう帰って来ないかもしれないと。彼女はいま、なにをしているだろう?


2018年6月5日、ケイト・スペードが自殺した。
世界的に有名なデザイナーが自殺をしたというニュース。
彼女はこの5年間、鬱病や不安神経症に罹患していたが、麻薬やアルコールへの依存はなかったという。自殺の前夜は、カリフォルニアへの旅行計画の話をしていて楽しそうにしていたという。
自分の名前を冠したブランドで世界中を席巻したデザイナーの死。
それはとても悲しい話のようにぼくには思えた。


つぎに彼女と会ったのは新宿だった。新宿駅構内のビアカフェで彼女と会った。その日、彼女は休日を楽しんでいた。ぼくらはホットドッグをかじり、レバー・ペーストを食べて、ビールを飲んだ。

「お仕事、おつかれさま」

「おつかれさま。今日はなにをしていたの?」

「今日はね、新宿御苑を散歩しながら写真を撮って、バルト9で『レディ・プレイヤー1』を見て、それから紀伊国屋でデザインの本を買って、あとはLUMINEで服を見たりね」

「それは満載だね! 活動的なんだね?」

「休日はとにかく予定を詰め込むタイプなの。とにかく外に出て動かなきゃ」
正直にいって感心してしまう。

「仕事はどう?」

「そうね。最近はなんとなくスランプなのよね。もしかしたら、忙しくしていて、落ちついて考えることができていないのかもしれない。
アパレルのデザイナーって、とにかくなんでもするの。いまのトレンドを追ってコンセプトを考えるような企画会議をしてるだけじゃないの。裁断してくれる工場と交渉をしたり、海外や地方の会社から生地を手配したり、店舗の空間のアレンジメントを考えたり、実際に売り場に出てお客さんと会話をして反応を見たりね。
けれど、忙しいだけじゃないかな。人間関係の調整も大変だもの。商業デザインだから他のデザイナーさんとも共同で仕事をするのだけれどデザイナーにはどうしてもこれはゆずれないっていうような部分がけっこうあるの。だけど、それはうまくいくように折り合いをつけて調和させてやらなきゃならない。あと、年配のデザイナーさんなんかにはかなり性格がきつい人も多かったりするしね。
それに、店舗のスタッフの声からの意見もある。彼らがいちばんお客さんのそばにいるのだから、店舗のスタッフは絶対に無視できない。けど、そう考えていたらどんどん混乱していっちゃうし。とにかく、いろいろ大変」そう言って彼女は笑った。

「藤井さんは、仕事どうだった?」

「どうかな。とりあえず、順調だよ。だって、そんなに複雑なことじゃないもの。
相談を受けて、状況を把握。コンセプトを整理して、課題を明確にする。あとは、現実的に、余裕を持った形でプロジェクトをまとめて、進捗を確認する。目標数字は達成しているか? スケジュールに遅れはないか? それで、きちんと成果を出して、その分だけきちんと報酬をもらって、また次につなげる。合理的でシンプルな話だよ。世界は合理的でシンプル」

「藤井さんからするとなんでもシンプルなのね」と彼女はあきれた。

「わたしにはすべてそんなにシンプルとは思えない」心底というような感じで彼女はつぶやいた。

「わたしにはわたしのことすらよくわからないの。すごい複雑。色々なものがもやもやとしていて、わたしはいつも形を変えている。見る角度によって色々なわたしが存在するの。そういうのってわかる?」

「まだ、わからないかもしれない。でも、これからきっとわかると思うよ」

「わたしのことほんとうに好き?」彼女はたずねた。

「もちろん。インターネットの占いで姓名診断したくらい」

「それは、ちょっとやばいね」彼女は笑った。

「結果はどうだった?」

「相性95%だったよ」

「それはすてき。良い未来が示されている」
ふたりとも笑った。


土曜日の夜はひとりで過ごした。
ひとり暮らしの休日の半分は、ライフスタイルのメンテナンス=洗濯と掃除に費やされる。万が一、川本さんが部屋に来ることを想定して、不要なものは捨てることにした。

部屋の片隅にあるティファニーのペンダント。中国人の女の子とクリスマス・イブにふたりでスキーに行った時に渡そうとしたものだ。あの時は色々とトラブルが重なって、ヘマをして微妙なムードになったうえにぼくがiPhoneをゲレンデに起き忘れて別々の新幹線で帰ったんだ。それでなんとなく上手くいかなくなって‥。だけど、その後で、その子は終電を逃したと言ってうちに泊まりに来たことがあったのだけれど、しかし、まあぼくは意図を解さずにベッドと床に別々に寝て、それからは疎遠に‥‥。彼女からはもうメッセージは届かない。なんとなくだけれど、これは部屋に置いておかないほうが良い気がした。


中国人の女の子。
彼女は、1988年の中国生まれ。ぼくは、1987年の日本生まれ。

彼女とぼくのあいだには、世界観・パースペクティブに大きな差があった。一方で、改革開放と天亜門事件以後の社会主義市場経済とその発展の中で育った彼女には(中国の同世代の彼ら・彼女らには)明るい未来が見えていた。
他方で、1987年の日本生まれのぼくらは、バブル崩壊、オウム事件、失われた20年の中を生き、リーマン・ショックや年越し派遣村の報道を見て就職活動を行い、社会人になると東日本大震災や福島第一原子力発電所事故を見てきた。

それは見えるものは異なるだろう。とはいえ、個人的な関係は、文化・制度・国家を超えたところにある。はじめは好奇心から、つぎは違いを意識ながら、次第に共感を抱くようになった。

「日本文化が好きなの。大学では日本語を専攻していて『NARUTO』とか『ONE PIECE』を見て日本文化を勉強した。日本の風景はきれい。京都とか鎌倉とか、北海道もナイス。あとは、スキーとかゴルフが好きだからね。知らないと思うけど、日本は世界一スキー場の数が多くて、世界で二番目にゴルフ場の数が多いの。最高よ」

山東省の生まれ。上海の大学に進学して、大学院から日本の大学に留学。それからはずっと日本に住んでいる。
そう彼女は言っていた。

「中国ってほんとうに人の数が多いの。もう人波の洪水って感じ。だって、13億8,000万人だもの。ほとんど14億。だけどね、それだけの数の人波にもまれて流されていると、もうほんとうの自分がなんなのかわからなくちゃうの。自分を見失っちゃうの。それで、ほんとうに自分の好きなものはなんだろうって考えて日本に来たの。冒険ね。それで、いまは日本の中でマイノリティとして生きてる」

「ぼくもマイノリティだよ。いままで、ひとりも似てると思える人に会ったことないもの」

「男の人ってすぐそう言うのよね。藤井さんはふつうだよ。大丈夫、すごくふつう」と彼女は笑った。

「結局ね、マジョリティかマイノリティかという問いは二項対立でしょ? それは集合論の問題なの。切り方によっては、全員がマジョリティだし、全員がマイノリティなのよ。ほんとうはね。

わたしはね、中国と日本の架け橋になりたいの。2017年で日中国交正常化45周年。2018年は日中平和友好条約締結40周年なのよ」


部屋の掃除を終えると意外にもそれほど捨てるべきものはなかった。本棚に収まりきらずに床に重ねられている本がいくつかあったが、これは仕方がない。
ハンガーラックにはUNIQLOの服、本棚には紙の本、それにラジカセ、ベッド、電子レンジ、冷蔵庫、洗濯機。あらためて、部屋にあるものを眺めるとそれくらいだった。やっぱり世界はシンプルじゃないか。

iPhoneのイヤホン・ジャックにケーブルを挿して、ラジカセのInputにつなげる。SONYのCF-1980Ⅱ。LINE INをONにして、LOUDNESSもONに。
NIRVANAの『Smells Like Teen Spirit』は剥き出しの音という感じがした。

彼女はどんな気持ちでこの音楽を聴いているのだろう。
うまくチューニングしてイメージを想像できなかった。
むずかしい。

しばらく聴いてからBill Evansに切り替えた。さすがに、もうNIRVANAを聴く年齢ではなかった。”Don’t trust over thirty.”なんて言えたものじゃない。
なんていうのか、30歳を迎えたときに大きな感慨やショックなんて全然なかった。
だけど、20歳になったときはとてもショックだった。ティーン・エイジャでなくなること、ダメな大人や汚い社会の仲間入りをしてしまうということに吐き気がしていた。
20歳の冬、憂鬱な気持ちで雪の降る街を歩いていた。Paul Smithのコートで身を包んで、iPod classicが奏でるBill Evansの『B Minor Waltz』を聴きながら。くわえタバコに両手はポケットに突っ込んで身を縮めながら、それでもなにかに震えていた。その目に景色は映らない。当時は、ほんとうに死にたい気分だった。


アルコールが飲みたくなった。
部屋にはなにもなかった。コンビニに買いに行こう。最寄りの千駄ヶ谷のミニストップに行き、ジム・ビーム・ハイボールの缶を3つカゴに入れてレジに並んだ。それから、フライドポテトも買った。
店の前のベンチに座り、ジム・ビーム・ハイボールを飲みながら、フライドポテトを食べた。ベンチには他に誰もいなかった。ぼくはなにも考えず、明治通りと交差する目の前の414号の車の流れをながめていた。まるで海岸の波の音のような、414号沿いの高速道路を走り去る車の音を聞きながら。高速道路の向こう側にはドコモタワーがあって、それから共産党本部の赤旗が風に揺れているはずだけれど見えなかった。もしかしたら、存在しないのかもしれない。白人の男性が歩いてくるのが見えた。彼は一度コンビニに入るとすぐに出てきて、ベンチのぼくのとなりに座った。

しばらくして、ぼくはなんとなく視線を感じた。右をふり向くと彼がこちらを見つめていた。目が合うと彼は微笑んだ。ぼくも微笑み返した。ぼくはiPhoneを取り出して、なんとなくTwitterのタイムラインを眺めていた。

ふと、白人の彼に話しかけられた。
「ねえ、きみは歳はいくつ?」

「ぼく? 30歳。旅行中?」と、ぼくは返した。

「旅行中? いや違う。日本に住んでいる」と彼は答えた。

「きみは結婚してる?」そう彼は聞いた。

ぼくは笑いながら「結婚してない」と答えた。
すこし緊張した空気が流れた。なんだろう。
彼はすこし照れながら言った。
「これから一緒に寝ませんか?」

「ごめん。彼女がいるんだ」とぼくは答えた。

「OK. All right.」と彼は言った。

すこし考えて、ぼくはビニール袋からジム・ビーム・ハイボールの缶を取り出し、彼に差し出した。
彼は微笑んで「ありがとう」と言って、受け取った。そしてプルタブを開け、飲んだ。ぼくはハイ・ボールを一缶飲み終わると、席を立って彼に「おやすみ」と言った。彼も微笑んで「おやすみ」と言った。


2018年6月9日夜、神奈川県内を走行中の東海道新幹線内で乗客の男女3人が男に刃物で殺傷された事件で、殺人未遂容疑で現行犯逮捕された自称愛知県岡崎市の無職、小島一朗容疑者が逮捕された。
調べに対し、小島容疑者は「誰でもよかった。むしゃくしゃしてやった」などと供述していて、警察は動機などをくわしく調べる方針。

2001年6月8日に8人の死者を出した「大阪池田小事件」から17年、2008年6月8日に7人の被害者を出した「秋葉原事件」から10年を迎えたというニュースが大きく報道された直後にこのような事件があったことから、それらニュースを見たことによる模倣犯だったのではないかとも指摘されている。

小島容疑者は自閉症と診断され、昨年2~3月には岡崎市内の病院に入院していた。自宅ではいつも2階の部屋に引きこもってパソコンを触っていた。「自分は価値のない人間だ。自由に生きたい。それが許されないのなら死にたい」などと話していた。一部報道によると、小島容疑者の部屋にはドストエフスキーの『罪と罰』やハイデガーの『存在と時間』があったとされ、生きることに対する悩みと社会に対する深い苛立ちがあったのではないかと分析されている。


『今度、実際に会って飲みませんか?』

突然の誘い。
Twitterにダイレクト・メッセージが届いていた。それは、普段からTwitterで相互フォローしている青年からの誘いだった。彼とぼくと、共通のフォロワーであるもうひとりの青年との3人で飲もうという誘いだった。それまで、ぼくはインターネットで知らない人に会うなんてしたことはなかった。けれども、彼らとぼくは哲学や文学のなど共通のジャンルに興味があることはよく理解っていた。それで、なんとなく会ってみたいと感じた。金曜日の夜、ぼくらは新宿で飲むことにした。

彼らはふたりともエンジニアで、それぞれ四谷と国分寺に住んでいた。

「俺たちには共通点がある。都内在住、IT周辺で仕事をしていて、在野でなにやら個人的にカウンター的な哲学的な活動をしている。俺はね、これから軽トラックで北海道から沖縄まで旅をしてね、沖縄で安い土地を買って、小屋を作って住もうと思っているんだ。ほんとうの生きた思想を見つけようと思ってね」クラシックなヒッピーらしい国分寺の青年はそう言って笑った。

四谷の青年は、対象的に、あからさまにアーバンなシティ・ボーイだった。Mr.POPEYE。彼は、深夜の都心を徘徊しながらRICHO GRⅡで写真を撮影していると言った。

「僕らがふだん想像している世界は、世界の一つの側面に過ぎないんですよ。日常の中には色々な側面があって、僕らは気づいていないだけで、様々な美しさを持っている。僕はそれを切り取ってサンプリングしているんです」と彼は言った。

Twitterを通してではなく実際に出会って、すぐにぼくらは意気投合した。
「どうして旅にに出るんだい?」クラシック・ヒッピーの青年にぼくはたずねた。

「正直言ってね、もう、顧客先に常駐の契約社員のエンジニアなんてうんざりなんだ。たしかに、年収は意外に悪くはないよ。けどね、金銭的に安定した生活をしたいからって、社会のヒエラルキーの中で決められたルールやしがらみやに束縛されて生きるのには、もう俺にはうんざりなんだ。わかるだろ?
俺たちは、たぶんマイノリティなんだ。それはわかっている。DNAはランダムに進化を試していて、そのシステムの中で、俺はオルタナティブ枠を担当することになってしまったんだなってそんなような自覚はある。メインストリームの側から俺たちを診断してみたら、非常時には役に立つけど、基本的には反社会性なんたらみたいな病理かもしれない。
とにかくね、俺たちには俺たちのスタイルが大事なんだよ。それぞれが、それぞれのスタイルを確立することがね。それができたら、俺たちマイノリティは、はじめてマルチチュードな連帯ができるんじゃないかってね」

「そうですよ。僕らにはぼくらのスタイルが大事なんです。単に、多様な相対主義ってわけじゃない。そんなんじゃ、ドナルド・トランプみたいなポスト・トゥルースな力やナショナリズムに飲み込まれてお終いです。トランプはある意味天才ですよ。白人であることだけしかアイデンティティのない白人の弱者に対して優越感を持てるような物語を与えて強大な力を手に入れた。だけど、僕らはそっちに行っちゃいけない。マスの力に飲み込まれるなんてツラいだけです。飲み込まれて、個性を殺しちゃいけない。僕らは、ひとりひとりのライフ・スタイルにそれぞれが自分らしい物語を与えることが大事なんですよ」

「ふたりとも冴えている!」

「藤井さんだってそうでしょ? TwitterとかBlog見ていますよ。良いこと書いてある。あのコンセプトかっこいいですよ。作者のところに匿名的な幾何学的なアイコンがあって、自己紹介のところに“シミュラークルになりたい”って」
ぼくは笑いながら言い訳をした。

「インターネット上におけるストリート・アートやグラフィティみたいなことがしたいんだよ。キース・ヘリングと誕生日が一緒なんだ。次の日だったらカール・マルクスと一緒だったんだけどね。
とにかく、テクストを書いて、インターネットや情報空間でシミュラークルとして氾濫したいみたいなこと考えるんだよ。射精して、遺伝子のコードで女性を汚してしまうように、検索エンジンにテクストを散種して汚したい。そして、世界中に、四半世紀先の彼方に語りかけてみたい、みたいにね」

「結構、特殊な性癖ですよ」

「結構、特殊かもしれない。ぼくらは、みんな特殊」
三人とも思わず笑った。

「藤井さん、けど、なんで匿名が良いんですか? 承認とかアイデンティティとかは?」

「アイデンティティ? むずかしい。考えたことないんだ。アイデンティティとか考えなくても、はじめからぼくのコギトは存在しているし」

「ほら、悩みとかこうなりたいとか、コンプレックスとかないんですか?」

「むかしから虫歯が多いとかかな。あまりわからないんだ。ないのかも」

「前提条件なんですけど、悩みと哲学ってセットですよ」四谷のシティ・ボーイの彼は言った。

「普通に、そう」国分寺のクラシック・ヒッピーの彼もそう言った。

「そうなんだ。ちょっと想定外だった。というか、哲学って健康的な発想だと思っていたというか‥。ニーチェとかサルトルとか、なんだろう。永劫回帰とか超人とかって、健康的じゃない?」

「特殊だよ、特殊。みんなが超人になれるわけじゃない。みんな色々抱えて、むしろ、悩んだり満たされなくて、みんな承認を求めて生きているんだと思うよ。それで、もがきながら思想書とか古典を読んで、その中に自分にとっての真実がないかっていうのを探すんだと思うよ。多くの人にとって哲学とか文学っていうのはそういうものだよ」

「当然ですよ。それに、承認欲求だって全否定できるものでもない。もし、承認欲求がなければ、愛なんてはじまらないんじゃないかな? 愛のプロセス自体が。
もし、他者の承認なしで、自分だけで楽しめるのなら、それはそれで良いかもしれないけど、どこか心の中で修復不可能な問題が起きそうな気がする。たとえばそれは、ウロボロスの蛇みたいに自分で自分を飲み込むような破壊的な衝動だとか」

「むずかしい問題だ」ぼくは言った。
「むずかしい」四谷のシティ・ボーイの彼は言った。
「むずかしい」国分寺のクラシック・ヒッピーの彼もそう言った。

「彼女いる?」ぼくはたずねた?
「いまはいない」みんなそう答えた。

「そういえば、このあいだナンパ塾というのに行ってみたんです」Mr.POPEYEがそう言った。

「もちろん、本気じゃないですよ。知り合いに誘われて。誘ってくれた彼、MBAも持っているし独立して中国とかシンガポールとかマレーシアとかアジアを飛び回ってビジネスをしている人で、すごくアクティブな人だから面白いかもしれないって思って、ついていったんです。Tinderって知っていますか?」

聞いたことのない固有名だった。ぼくらはふたりとも知らないと答えた。

「スマートフォンの出会い系のアプリなんですけど、異性の写真が表示されて、それを指でシュッとスワイプして〈いいね〉をしていくんです。それで、お互いに〈いいね〉を押したらマッチング成立。連絡を取り合うらしいんです。
そのナンパ塾では、恋愛工学みたいなものを教えていて、要するに確率の問題。ひとつは、ひたすら、出会いの数を増やす。だから写真なんか見て迷っちゃだめだって。とにかく、スワイプ・スワイプ・スワイプ。それでマッチする確率を高める。
もうひとつは大事なのは知り合ってから、心理的なラポール、信頼感とか安心感を掴むまでのテクニックの問題だって教えているんです。だから、神経言語プログラミングとかコールドリーディングとか心理学を応用して、工学的に解決しようって」

「それ、どうなんだろう」ぼくは思わず笑った。

「けど、クレバーなやり方ではある」クラシック・ヒッピーは言った。

「そうなんです。クレバーではあるんです。たしかに、賢く考えたらエンジニアリングでいけは良いんです。でもね、その会場を見回したら、なんていうのかな、みんな目の奥が濁っているような感じで、それで講師の話を聞いて、確率論と心理学に夢中になって熱中しているんです。それで、僕はなんかもういいかなって、受講料1万2千円払っちゃったけど、途中で帰っちゃいました」

「ちゃんと最後まで受講してればね、いまごろは女の子と食事をしていたよ」とぼくは笑った。

「なんでもかんでも統計処理とエンジニアリングなんてうんざりさ。AIなんかで計算してすべてが解決するもんじゃない。もちろん、エンジニアリングをバカにしているわけじゃない。俺だってエンジニアだからね。だから、エンジニアリングでいけるところまではエンジニアリングでいけば良いと思っている。だけどね、人間はエンジニアリングの対象だとは思えないな」

「AIに愛を語らせるつもりはないって話だね?」
みんな笑わなかった。

「愛の問題はむずかしい。とりあえず、アルコールをまた頼もう」
ハイボールとレモン・サワーを追加した。

「けどさ、どうしてこうなっちゃったのかな。以前は、Appleが”Think Different”って言って、Googleは” Don’t Be Evil(邪悪になるな)”って言って、ちょっと違うやばい奴らがクールなことをしているって感覚があったじゃないか? もっと前は、リチャード・ストールマンのフリーソフトウェア運動とかGNUプロジェクトとか、ハッカー文化とか。なんだか、そういう理念は忘れ去られて、技術とか方法だけが目的化されちゃってさ」

「そうだね。19世紀に、マルクスが『資本論』を書いて革命を夢見たじゃない? エンゲルスと一緒に。 20世紀になって、ロシア革命があって、ユートピア建設を目指してプロジェクトを進めた。だけど、科学的とか歴史法則とかいって無理やり進めてソビエト連邦はおかしくなるし、60年代・70年代の学生は『資本論』をシンボルにして、暴れておかしくなっちゃった。それと同じなんじゃないかな。
スティーブ・ジョブズはスティーブ・ウォズニアックとふたりでガレージでMacを作った。IBMとかシステムに反抗してね。だけど、彼も偶像化されて、iMacと林檎のマークはシンボルになって、若者もえらい大人もみんな理念を忘れて小手先でテクノロジーを使い回して騒ぎまくっている。そうやって『すばらしい新世界』を創ろうとしているんだからね。きっと、なにも変わらないよ。ファルス!」

結局ぼくらは終電近くまで話し続けた。

クラシック・ヒッピーの彼は二週間後に旅に出ると言った。
まずは北海道、南下して全国をまわってから沖縄へ。
また、東京まで南下してきたら飲もうと、三人で約束した。

「おやすみ。それじゃ、また」

新宿駅の南口でぼくらは別れた。


それから、また一週間が過ぎた。大人になってからの一週間なんてあっという間だ。ほとんど2・3日くらいの感覚で一週間なんて過ぎていく。川本さんの記憶は、もう夢のように思えた。日常の感覚があっという間に戻ってくる。
シェア・オフィスの女の子の視線はまだ痛い感じがする。根本的にデリカシーの問題が疑われている。それは確かに認めるしかない。


週末の夜は、大学時代からの友人たちと飲んだ。
彼らと会うのはだいたい渋谷だ。学生の頃はよく渋谷に来た。HMV、TOWER RECORD、ディスク・ユニオンを巡り、宝探しのように中古のCDやレコードを掘り当てていた。それから、すこし原宿方面に歩いて古着屋を巡り歩いて、あれも宝探しのようだった。あとは、なにかがありそうな期待感からCLUBに行って、でも結局、そんなところに出会いなんてぼくらにはなにもなくて、夜明けまで飲んで過ごして、目に刺さるような朝焼けの太陽を見ながらぼくらは始発の井の頭線に乗ったんだ。

結局、ぼくらが〈渋谷〉に求めているのはなんなのだろう。
ショップの店先で流れるサウンド、流行のマジックナンバー、街角に溢れるシーン、アルコールで漂う中飛び込んでくる電飾、深夜の交差点を行き交う人波、誰かのクラクション。

「また会おう、それじゃ」
「すこし歩こうか」
「もう一軒、飲み直そうよ」

人波の中で聞こえてくる、そんな会話の断片。

渋谷も、もう若者の街ではないかもしれない。
ストリートはInstagramに、古着屋やファッションはメルカリやZOZOTOWNに、レコード屋はYouTubeやApple MusicやSpotifyに取って代わられてしまった。
もちろん、ぼくらももう若者じゃない。この10年のあいだに、政権だって二回も変わった。

だけど、それがどうしたって言うんだ?
時代が変わったってなにも変わらないじゃないか。時と共に、人間も変わるものだろうか? すくなくとも、ぼくは、人間はそんなに変わるものじゃないという立場を取るし、そんな変わらない人間を大事に思いたい。変わらずに人間の心の奥にある柔らかいところを愛しているから。それから、もしも、そんな風に考える人と人が出会い理解し合うことができたならば、と。


「最近は、なにを聴いているの?」
出版業界から広告代理店に転職した友人にたずねた。
彼はいまでもディスク・ユニオンに通ってレコードを発掘していた。Mr.digg。

「レコードはもう古いのばかり聴いているよ。ファラオ・サンダースとか、アフリカン・ファンクとか。最近のものは、そうだな、カニエ・ウェストの新譜とか。あとは、すこし前だけどコーチェラ・フェスのビヨンセ観た?」

「観てないな。今度、観てみるよ」とぼくは言った。

「だけどね、最近の新譜はけっこう良いんだよ。音楽業界って1999年に売り上げがピークになって、それ以降、売り上げが落ちているんだよ。これは国内のデータだけどね。世界的に見たら、1999年というのは、Napsterが登場した年でもある。その後、2005~2007年のあいだにYouTubeが登場してさ。ちょっと違うけれど、『ラジオ・スターの悲劇』みたいな話だよね。ちなみに、2003年にMySpaceがはじまって、2006年にはmixiミュージックが開始した」

「mixiミュージック。あれ、良かったよね。みんなで、あいつはなにを聴いてるんだろう? このアルバム知らないぞ! やばい! 聴かなくちゃ! みたいにね」

「そうだった」と言ってぼくらは笑った。

「けどさ、音楽業界の失速とか再編が原因で、それで音楽活動やめちゃった人も多いんじゃないかな。残念だけど。
けど、考えてみたらほんとうに音楽をやりたい人たちはもう手元の楽器とiMacなんかでDIY的に作っちゃってYouTubeなんかで流通できるんだよね。TofubeatsとかDAOKOも最初はインターネットで活動して出てきたもの。
だけど、もっと大きいのはほんとうに音楽が好きな人は、結局、音楽業界に残ったってことだね。最近の若いバンド、ceroとかSuchmosなんか、かっこ良いものね」

「だからさ、俺はこれからも音楽というカルチャーの未来については、楽観的なんだ。ずっと、いい音楽聞き続けられるかもね」
そう彼は笑った。

「転職して、仕事はどうだい?」

「同じように言葉を売るのでも全然違うよ」と彼はうんざりした顔をして言った。

「けど、まあ仕事だからね。俺、結婚することにしたんだ。婚約したんだ」

「おめでとう! そうか。じゃあ、今日はぼくのおごりだ。高いのをたくさん頼んで良いよ」

「ありがとう」と彼は笑った。

「同棲もう何年だっけ?」

「3年と半年。そういや、すこし前、年末に妹がデキ婚して子供を産んだんだ。その時は、ずいぶん偶然性に身を任せて冒険するなと思ったんだけどね。
だけど、先月彼女が入院したんだ。全然そんなにたいした病気じゃなかったんだけど、手術することになって、それで彼女1週間くらい入院することになってさ。見舞いに行ってね。病室に入ったら彼女は眠っていたんだ。カーテンを空けて彼女の寝顔を覗き込んだらさ、なんだか、たまらなくなって。それで、彼女が退院してから、結婚しようってプロポーズして婚約したってわけだ。エンゲージリングは、それなりに高かったよ。大変だ」彼は笑った。

「すばらしいね! うらやましいな」

「けどね、やっぱり冒険とか賭けみたいなところはあるな。彼女がほんとうはなにを考えているのかなんてわからないもの。不安はある。けど、まあ、前進する価値はある」

「ちゃんと大人の階段を登っているね」とぼくは言った。

「大人だからね」と彼は微笑んだ。

「そういえば、このあいだ言っていた女の子とどうだった? 川本さんだっけ?」

「夢かと思うくらい最高だった。でも、終わってしまった」

「けど、一瞬の夢でもすてきな出会いだったんだろ?」

「ほんとうにそう思うよ。正直に言ってね、彼女に出会ってぼくは興奮して感動してしまった。それは、ぼくのコギトを超えて現象学的な世界を共有できると実感できる人にはじめて出会えたということだよ。はじめて世界が実際に存在すると実感できた。だって、一瞬だけでも同じ世界を見ていると感じることのできる人が存在していたんだからね。誤解だったのかもしれない。だけど、その一瞬で、彼女の存在そのものが、彼女が存在してくれているということがすごくうれしくて、なんていうんだろう、ほんとうの安心みたいなものを感じられたんだ。彼女のおかげで、無意味な世界に意味が作り出されたという感じがあった」

「永遠の一瞬だった?」

「そう。永遠と思えるような、夢みたいな一瞬だった」

「ねえ、どうして人を傷つけてしまうんだろうね?」

「まあ、俺たちは知らず知らずのうちに人を傷つけてしまうタイプだからね。
たぶん、傷ついたことがないからだろうな。俺たちは空っぽだから」

「そうかもしれない」

「優しくなれるように努力するしかない」

「うん」

「それで、彼女とはもう終わり?」

「たぶん、そうだと思う。だけど、もしかしたら、夢で会えるかもしれない」

「うん。きみらしいよ」

それから、と考えながらぼくは言った。
「小説を書いてみようと思うんだ」


あれからひと月になる。
もう、夏だ。

中国人の女の子からメッセージが届いた。

2018年4月期 ドラマ評(概観)

4月期ドラマも半分ほどが初回を迎えたのでざっと総評。
全体的に少し低調のような気がしてしまうが、期待したい。

『コンフィデンスマンJP』

連ドラは3年ぶりの古沢良太の脚本。昨今恐らく誰も引き受けたがらない月9枠は、前作『デート』と同枠。
古沢は前作からの3年の間に映画の脚本を何本か書いていて、その影響が色濃く出ている。

ただ、古沢の特徴であるキャラ造形や膨大な台詞量に魅力を感じる一方、特に連ドラで描くべき作品なのかという疑問が残る。制作陣から取り敢えず何でもいいので月9で書いて下さいと丸投げされ、それをこなしているように感じてしまう。

第2話を通して
初回の暴走する展開にがっかりしたが、今回は良かった。
初回では昨今の映画での古沢脚本との近接性を感じたが、2話でようやく『リーガル・ハイ』のリブートをおこなうという狙いに気づいた。
『リーガル・ハイ』は12年と13年の連ドラなので、あれから5年か。

『リーガル・ハイ』は悪人や悪事に対して、人間的には変態ではあるものの司法という公的な武器で対峙する辛うじて「正義」が存在する物語だった。一方、本作の主人公は詐欺師。つまり「法律」や「正義」が悪に対する武器として機能しなくなり、それに代替されるのが詐欺師が武器に使う「感情」。

本質的で真っ向から正論をかまし敵を論破する古御門と、“らしさ”や“空気”を演出し敵の感情に付け込みぎゃふんと言わせる本作の3人。時代観がしっかり反映されている。それに加えて、後ろめたさから任務を完遂できないボクちゃんの感情に流されるキャラクター造形や、今回の吉瀬美智子演じるヒール役のワンマンで新しい事を目論む人間に対する日本的な寛容のなさへの皮肉など、物語の軽いタッチとは裏腹にしっかりと描くべき現代的なテーマが見てとれた。これが続いていくとは限らないが、2話でだけみれば古沢脚本の良さが十分伝わる内容だった。

『正義のセ』

個人的に『タラレバ娘』がなぜあれだけ評価されたかイマイチ理解できない身としては、同じ制作陣と主演の吉高由里子での本作に魅力を感じない。1話を見た限りではお仕事ものとしての話の筋や画面の装飾などの演出も中途半端。あと、職場に女性が主人公の吉高一人なのはどうかと思う。

『あなたには帰る家がある』

これも良くある頑張れお母さんもので、そこに不倫とサイコパスキャラを入れアクセントにしましたというお世辞にも褒められない設定。最終的に中谷美紀が理想とする家族が再生されれば良いのだろうか。テーマが散漫になってしまっていてメッセージが伝わりにくい。

『Missデビル』

平穏な世界にノイズを差し込み価値観に根本から揺さぶりをかけるというのはまさに遊川和彦の手法で、その二番煎じのような作品。過去の成功体験から視聴者を繋ぎ止めるフックとしてこのような設定を利用するのは悪くないが、毎度同じような展開で続けていては最後まで持たないだろう。

『いつまでも白い羽根』

大きく括るとお仕事ものだが、主人公がその職業に夢や希望を抱かず単につぶしだと割り切っている点が今っぽい。そこに周囲の人間の問題が組み込まれる点も評価できる。ただ、基本淡々とした展開で物語が進む中、主人公が初回から2度同じ流れでキレた点に単純な型の予感を抱いた

『宮本から君へ』

まだ初回しか見てないけど、素晴らしい。
原作の評判は様々なところで聞くが、未読。池松壮亮演じる宮本のエネルギーがとにかく明るい。明るいんだけど暗い。このアンビバレントを真利子哲也が確信犯的についてくるんだから、間違いようもない。

原作の予備知識がないのでオープニングでベタ過ぎるみやじの声が聞こえ池松壮亮のあの何とも言えない表情のアップを見せられると、もう最高だろうとなってしまう。ヒロインの華村あすかもドラマの出演がほぼ初めてみたいだが存在感があるし、三浦透子にも『素敵な…』を見たばかりでドキッとさせられた

『シグナル』

初回だけでみれば明らかに一番良くできていた。
韓国で大ヒットしたドラマのリメイクで、原作が安定しているのが大きい。設定を説明するような台詞をことごとく省く尾崎将也の脚本も良い。お決まりの警察内部の闇という流れにならず、時空を超えた心情と事件をしっかり結びつけてほしい。

『未解決の女』

初回を見る。大森美香の久々民放作品がテレ朝というのに不安があったが、その不安が見事に的中。
演出が『ケイゾク』『SPEC』と酷似し、主題歌の使い方も『アンナチュラル』の成功の模倣。
そもそも、挑戦的なドラマを悉く避け数字だけを追い求めるテレ朝ドラマに大森美香は勿体なさ過ぎる

きちんとした原作もあり重厚感のある1話完結の刑事もの(謎解き)をやりたいのであれば、今までやってきたように専用の作家を使えばいいのにと思う。
この作品で大森美香が描く書き言葉というのは彼女の作品史的にはとても重要なテーマなのに、それがボヤけまくっている。

もう少し辛抱してみようと思うが、波瑠含め登場人物も全くぱっとしないし、見所が見つからない。
大森脚本のオリジナリティはNHKに戻ったときの楽しみとしたい。

「人生は歩きまわる影法師、あわれな役者」~DNA-偶然性-運命論-自由~

2018年のエイプリルフール

米国株式の現在の状況は1929年・1987年・1990年という歴史上の3大崩壊に非常に似ているというニュース記事と、中国経済は日本のバブル崩壊直前と酷似しているとニュース記事に目を通した。
そんなことはいつも言われているのだろうが、しかし、大正・昭和の終わりのように、元号の変わり目だなという感じが強い。

けれど、春の日差しの中、待ちゆく人々の顔にはうきうきとした気持ちが表れ、新宿御苑には満開の桜の花を見に来た人たちが溢れていた。
今夜はブルームーン。2018年最後のブルームーン、次は2年半後の2020年ということだ。


「極東の火薬庫」からはじまった第三次世界大戦は前世紀の二度の世界大戦と東西冷戦を弁証法的に止揚したものとして展開した。
それはフランシス・フクヤマの『歴史の終わり』や石原莞爾の『世界最終戦論』における仮説を覆し、5次元空間での戦争と新たな歴史を本格的に始動するものであった。

読書ノート

『不安定な時間』ミシェル・ジュリ

「われわれの時代に、人類はついに内的宇宙を征服することができたんだ」「だが、部屋には悪魔がはいっていて、あんたがたはドアに鍵をかけなくちゃならないのだ」 ディックの『ユービック』を連想する。主観的な時間旅行あるいは死後の世界。人格と場面が唐突に目まぐるしく変転し、変奏を加えて何度も何度も繰り返される。この反復がどういうわけか愉しくてしかたない。どこにもたどり着かずに跳躍し続けてくれてもいいくらい。SF文学史にボリス・ヴィアンやレーモン・クノーの名前が出てくるあたりがとてもフランス。

『神曲 地獄篇』ダンテ

建築物としての全体も神学も歴史的背景もわからないなりに、パオロとフランチェスカの恋愛、ウゴリーノ伯の餓死、農耕詩的な比喩、といった細部の造型を美しいと思う。と同時に作者の自我の強さというのか同人誌的というのか、自らを偉大な叙事詩作者として数えたり、オウィディウスの『変身譚』にも勝ると自負したり、嫌いな相手を(存命であっても!)地獄に落としたり、大好きなウェルギリウスを登場させてイチャイチャしたり、作品の緻密さや幻視の凄まじさと合わせて、文学者の業に感動する。解説『ダンテは良心的な詩人か』がためになった。

『アウトライナー実践入門 ~「書く・考える・生活する」創造的アウトライン・プロセッシングの技術~』Tak.

死ぬほど苦手だった、文章を書くということの仕組みを初めて体感できた気がする。今まで目にしたどんな文章技術の本よりも実践的でわかりやすい。

『挑戦者たち』法月 綸太郎

ジョジョやノベルゲーやTwitterのネタからボルヘスや稲垣足穂、カフカにベケットにレムにナボコフにカルヴィーノまでパロった本格ミステリ版「文体練習」。元ネタの多彩さが楽しい。特に『幻獣辞典』が笑えた。「〈読者への挑戦〉とは書物の中にひそむ妖魔で、(F・R・ストックトンの疑わしい報告によれば)女と虎が半分ずつ混じり合った姿をしている」って何だ。

人文の終わり/批判的であること – マルクスからスティーブ・ジョブズへ –

先日、ワシントン・ポストの記事にウィスコンシン大学が人文学と社会科学の実質ほぼ全てともいえる13のコースを廃止するというニュースがあり衝撃を受けた。

A University of Wisconsin campus pushes plan to drop 13 majors — including English, history and philosophy

大学には経営と予算、学生の集客の課題がある。そのため、より予算が付きやすく、より学生が集まりやすい、就職やキャリアにつながるような実学的な学部を増強し、予算が付きにくく学生の集客力の弱いリベラル・アーツ系の学部は廃止したほうがビジネスとして合理的であるという判断である。
背景として、アメリカは学生の奨学金返済問題が深刻だという問題もある。

他方で、保守的な共和党から影響を受けている部分も大いにある。
ウィスコンシン州知事であるスコット・ウォーカーは2015年にウィスコンシン大学の理念を秘密裏に変更しようとしたということである。
その内容はこうだ。

by removing words that commanded the university to “search for truth” and “improve the human condition” and replacing them with “meet the state’s workforce needs.”

大学のミッションから「真実を探る」と「人類の発展」という言葉を削除し、それらを「国家の労働需要を満たす」というように置き換える

真実を探求したり、人類のより良い状態を目指すのではなく、国の労働力になれと。
いうなれば、社会に借りがあるのだから、働き蜂になって返せというのが保守陣営のまっとうな論理ということである。

いわゆる人文知は圧倒的な敗北に帰した。遠からず消滅へ向かうのだろうか。

一方でITやグラフィック・デザインやマーケティングやMBAのコースは拡張するということである。
また、VRやGAMEや観光学などビジネスにつながりそうな領域は伸びそうである。

しかし、これはある種の「動物化」や「機械化」ではないだろうか。
間違いなく近代 – ポストモダンの終わりという感じがして、人々は〈神〉をその台座から引きずり降ろして殺すことで近代を迎えたけれど〈人間〉を殺して近代を終えるのだなという感じが強い。

ポスト・トゥルース的高度資本主義世界へようこそ


しかし、人文は本当に終わったのだろうか。
無くなってしまったのだろうか。

あるいは、かつての「文学-批評-哲学」の業界は、今では「ブロガー-広告-自己啓発」にその役割を取って代わられ、マルクス的な〈革命〉の理念はスティーブ・ジョブズ的な〈起業〉へと置き換えられたというのが、実際のところなのだろう。
その移行を象徴的に表すシンボルが『資本論』から『Mac Book』へのアイコンの変化だろう。

そういった意味では、今の時代の「文学-批評-哲学」をアクチュアルに理解しようと思ったら、やはりはあちゅう やイケダハヤトやほぼ日をちゃんと読まなくてはいけないのかもしれない。

とはいえ、マルクスは教条主義化されて二度死んだわけだけれど、あるいはジョブズも二度死ぬのだろうか。
それこそ『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』を地で行く話ではある。

ヘーゲルはどこかで、すべての偉大な世界史的な事実と世界史的人物はいわば二度現れる、と述べている。彼はこう付け加えるのを忘れた。一度目は偉大な悲劇として、二度目はみじめな笑劇として、と。


近年、批評的言説の衰退と再起動ということが言われる。

課題として、吉本隆明的な批評家の後継がきちんと継承できなかったのが問題であったのではないだろうか。
もちろん、多くの人に影響を与えている。高橋源一郎や中沢新一、宮台真司など。
しかし、今のところの1番大きな後継者(吉本隆明-試行を継ぐもの)は糸井重里-ほぼ日であろう。

一般的に、吉本隆明のテクストはあまりに詩的で読めないという批判がある。
けれども、人々に影響を与えるのは結局は広告やコピーライトであるという現実はあって、それを認めることのできない批評性とは何だろうか。

ドラマ『アンナチュラル』最終回を終えて – 理性や倫理の先にある“思い”が人を動かす –

先日『アンナチュラル』がその短いようで長い旅の終わりを迎えました。
各方面から大きな反響を呼んだ本作ですが、個人的にもテレビドラマ史に残る名作だったと思います。その魅力と新しさについて解説していきます。

本作を語る上で欠かせない要素の一つとして、脚本が挙げられます。
脚本を担当した野木亜紀子は2010年にフジテレビヤングシナリオ大賞を受賞しデビューした、一般的には若手に分類される作家です。脚本家として彼女の名が知れ渡るきっかけとなったのが、2016年の『重版出来!』と『逃げるは恥だが役に立つ』の2作です。『空飛ぶ広報室』や『図書館戦争』など、原作ものの脚本には以前から定評があった野木ですが、『重版…』『逃げ恥』に共通する原作漫画をテレビドラマのフォーマットに落とし込むという手腕で彼女はその人気と実力を決定づけました。

そんな野木が完全オリジナル 作品として挑んだのが本作『アンナチュラル』でした。

脚本に関して初回放送後の反響として大きく上がったのが、「質の高い海外ドラマを見ているよう」という声でした。確かに初回の真実に辿り着くまでに二転三転する先の読めない展開と疾走感はこれまでのテレビドラマの水準を超えるようなものでした。法医学という設定で1話完結の謎解きミステリを構成するというのは野木の書き手としての新たなチャレンジだったのかもしれません。

しかし、本作の脚本の魅力はそれだけに留まりません。死因究明に至るまでの死者の個性や社会的状況を反映させた社会派ドラマの側面に加え、真相が明かされた時点からは登場人物たちの個人的な“思い”に物語がフォーカスしていきます。実はこの“思い”を描き続けることこそが本作の一番の魅力であり、登場人物たちの内面と深く結びつく“思い”は、鮮明な感情なしでは説得力を持ちえない結末に向かい存在感を増していきます。謎解きパートや時事ネタ・コミカルな会話劇など多くの要素で高い水準を保っていた本作ですが、やはり特筆すべきは登場人物たちの“思い”を描ききったことでしょう。

あくまで個人的にですが、本作が始まった当初この物語は主人公である三澄ミコトの感情を描き込むことに力を入れていると思っていました。ゆえに、事件を解決した後にミコトが吐露するセリフや演技に注目していました。
実際、2話の感想ではこのようなことをメモしていました。

このドラマは石原さとみのための作品になる。

近年の石原さとみは、映画『進撃の巨人」『シン・ゴジラ』ドラマ『校閲ガール』など、現実の解像度を極端に下げる事で漫画の主人公を地で演じる(3→2.5次元)、過剰にデフォルメされた演技が目立っている。人間の内に秘められた数多の感情を敢えて10ほどに絞り、スイッチ1つでその場に最も適した感情を表現する彼女の機械的な演技は目を見張るほどである。しかし、本作で石原さとみはこれまでとは異なるアプローチから主人公を演じている。人間的で複雑な感情を引き出す要素として用意された過去のトラウマ(一家4人の練炭自殺で唯一生き残った彼女の生い立ちや幼少期の記憶)により、彼女は今も重い十字架を背負っていることが判明する。絶対絶命の状況で部下の窪田正孝演じる久部に語った死の恐怖や生への執着、命の恩人となった井浦新演じる中堂への感謝の言葉と諦念にも似た表情、市川実日子演じる同僚の東海林と「ご飯行こう」「絶望している暇があったらご飯を食べて寝る」などあっけらかんとしている態度など、これだけの短い間で哀しみ・強さ・明るさなどいくつもの感情が入り乱れ浮かび上がる様子からも、ミコトの人間的な内面を描きたいという気概が伝わる。この丁寧な描写でミコトが抱える思いを受け止めることができれば、このドラマは傑作になると思う。

そもそも1話完結の謎解きもので描かれる“思い”というのは、せいぜい犯人の動機くらいで、主人公が事件の真相を踏まえて抱く感情の機微までを詳らかに描くことは物語のノイズになりかねないというリスクがあります。特に初回のような事件を解決するまでの複雑な展開に尺が割かれる場合であれば尚更です。しかし、本作はリスクを冒してまでその通例を覆そうとします。そこには、事実や倫理と線引きされた、個人的な“思い”を描くことでしか到達し得ない結末が用意されていたからだったのでしょう。

さらに驚くべきは、主人公・ミコトの“思い”を描くだけでも十分意欲的であるにも関わらず、本作は物語が進むうちにミコトから中堂・久部へと心情を描写する対象が変化していく点です。もちろん、1話完結の謎解き部分の質を落とすことなく。それが決定的になったのが物語中盤の5話でした。
以下、5話終了時の感想です。

「同情なんてしないから」

話は5話で展開する。愛する者を亡くした中堂と同じ境遇の人物を登場させ、彼の復讐を幇助するというストーリーから中堂の中に秘められていた感情が垣間見える。犯人が明かされた後は台詞が抑えられ、感情が先行する。そこは理性や倫理といった物差しが機能しない世界で、そこに立たされる中堂やミコト・久部の“思い”や“願い”が引き立つ。もはや、ミコトの感情の上にのみ物語が成立するのではないという野木なりの宣誓だったのかもしれない。いつくか注目すべき台詞がある。中堂の「人を殺したやつは殺される覚悟を持つべきだ」という言葉。これは中堂の危うさが表出した後半へと続く重要な台詞である。中堂の言動を踏まえ、ミコトは中堂に過去を話して欲しいと詰め寄る。5話はミコトのこのような言葉で締められる。「同情なんてしないから」

話は少し逸れますが、ここでドラマの主題歌である米津玄師の『lemon』にも触れておきたいと思います。この歌のMVは2/27に公開されました。MVが公開されるまではドラマの終盤のタイミングでかかる良い曲だなというほどの印象でしたが、公開されたMVを見てこれは中堂の“思い”が歌われている曲だと確信しました。MVの米津玄師は中堂の面影を思わせます。MVで踊る彼女は中堂の亡き恋人であり、米津の履くハイヒールは彼女の遺したものでしょう。このように、ドラマの後半は中堂の抱えてきた“思い”をミコトはじめUDIラボの面々がどう受け止めるかということに主題が移っていきます。

中堂と同じく重要な役となったのが、ミコトの部下である久部でした。初回を見終わった後、久部を窪田正孝が演じている事に違和感がありました。ここまで達者な役者に主題に絡んできそうもない受動的な役をやらせていることに疑問があったのです。しかし、物語が進むにつれ久部の存在感は大きくなっていきます。特に、事件解決後に毎話見られたミコトと久部の会話には、二人の“思い”が色濃くうかがえるようになってきます。久部の本来的な陰の気質に合わせるように語るミコトの言葉には、中堂との会話以上に複雑な感情が顕れていたように感じます。ミコトは久部との会話の中で自らの“思い”を表明し、久部の感情を引き出します。それにより、久部の苦しく後ろめたい立場が確固たる物語として成立するのです。

つまり本作は、事件を通じて中堂の感情を深掘りしつつ、事件が解決した後の幾つかの会話で久部の感情をも描いてしまうという極めて高度な脚本によるものだったのです。

そして最終回。物語はUDIラボの存続と中堂を守るという難題に向かっていきます。これまで描き続けてきた「理性や倫理と“思い”」つまり「事実と感情」という二つの要素は最後まで重要な鍵となります。ミコトは報告書類を改竄することなく26人を殺害した疑いのある人物を罪に問うため法医学という武器で真っ向から立ち向かいます。これはミコトが母に背負わされたトラウマを克服するためという伏線の回収にも繋がります。彼女の勝ち負けに執着する姿には若干の違和感がありましが、恐らくこれは彼女のトラウマの裏返しや法医学者としての矜持の表れなのでしょう。しかし、犯人は彼女の理性や倫理に基づく訴えに容易になびくような相手ではありません。そこで最後の切り札となったのが、これまで描いてきた感情の部分=“思い”だったのです。彼女は事実を越えた感情で犯人を挑発します。結果として、ミコトの放ったある言葉が犯人の自白のきっかけになります。「あなたに心から同情します」

同情には共感や思いやりといった意味があり、一見すると誤解を生みかねない表現であります。しかし、5話でミコトが中堂に言った「同情なんてしないから」と、最終回で犯人に言った「心から同情します」は全く同じ意味で使われていたのは言うまでもありません。もちろん、かわいそうに思うこと・憐みの意味です。登場人物の数多の複雑な“思い”を丁寧に描いてきたからこそ、その上に乗せられた台詞に人は心を動かされたのでしょう。圧巻のラストだったと言えます。

今回のクールのドラマは良作ぞろいで甲乙つけがたいのですが、その中でも野木亜紀子が描いた『アンナチュラル』という物語の世界は一つ抜け出ていたと思います。彼女の次回作が楽しみです。